■パーパルディア皇国
皇都エストシラント
朝早くから、広場に設けられた魔信放送の受像機の前で、多くの人々がモノクロの画面を見つめていた。
前日から、皇帝による重大な発表が行われると告知されていたからである。
皇都はイルメリアの軍団に包囲されたままだったが、相変わらず市街への砲撃も、城門への攻撃もなかった。
「何の発表だ?」
「皇都の外の敵軍に関してときいたが……」
広場には噂話や憶測が飛び交っていた。
やがて、受像機に皇帝ルディアスが映し出された。
『臣民に告げる』
広場が静まり返る。
『ここ数か月、内外で争乱が続いた。兵は倒れ、各地で多くの者が故郷を追われた』
ルディアスは淡々と言葉を続けた。
『皇国の支配下にあった諸地域では反乱が相次ぎ、その多くで統治が失われた。鎮圧を続ければ、皇国本土の再建すら困難となろう』
人々の間にざわめきが起きた。
『
ざわめきが大きくなった。
『皇国軍には、現在行われている軍事行動を停止させる』
誰かが息を呑んだ。
『加えて、属領に対する宗主権を放棄する』
今度こそ、広場が大きくどよめいた。
「属領を捨てるって!?」
「この先、皇国はどうなるんだ!」
そんな人々を尻目に、放送は続く。
『これは、余の決断である』
ルディアスの声が強くなり、ざわめきが収まっていった。
『取り戻す見込みのない土地に兵を送り、さらに多くの者を死なせることに意味はない』
反発する者、黙って頷く者。
『皇国は広大な領土を統べることで繁栄してきた。しかし、その仕組みを維持できぬところまで来ている』
ルディアスは一度言葉を切った。
『ならば、変えねばならぬ』
『制度を、軍を改める。国庫を再建する』
そして、最後の言葉を告げた。
『属領なき国家が、なお皇国を称する必要もあるまい』
広場の誰もが画面を見つめた。
『本日をもって、パーパルディア皇国の国号を廃する』
広場は水を打ったように静まった。
『これより皇国はパーパルディア王国を称す。余はその王として国を再建する』
皇帝が、皇帝号を捨てる。
パーパルディアの臣民にとって、それは旧属領の放棄以上に大きな意味を持っていた。
この日、第三文明圏の列強パーパルディア皇国は歴史上のものとなった。
放送が終わっても、人々はその場を動かなかった。
「……敗けたということなのか?」
一人の男が呟いた。
「誰に敗けたっていうんだ!?」
別の男が言った。
誰も答えられなかった。
皇都は焼かれておらず、王を捕らえられてもいない。
だが、かつての皇国が終わったことだけは、誰にも分かった。
「陛下は残られる」
年老いた男が言った。
別の場所では、若者が声を荒らげていた。
「属領をすべて捨てるなど!」
「じゃあ、お前が取り戻しに行くとでも言うのか?」
誰かが言った言葉に、反論する者はいなかった。
■パーパルディア王国
王都エストシラント
王国成立の宣言から三日後。
五国連盟の代表団が王政府を訪れた。
渡された文書を読み終えたカイオスは、対面に座る五国同盟の外交官を見た。
「……友好通商条約とありますな?」
「はい、条約の打診に参った
「我が国への賠償請求や領土の割譲については?」
「求めておりません」
カイオスは黙った。
「旧属領については、貴国が一方的に宗主権を放棄されたものと認識しております」
「五国連盟側は、それを認めると?」
「少なくとも、貴国に再征服を求める理由はありません」
条約案には、外交使節の相互受け入れ、通商、船舶の入港、在留者の保護などが記されていた。
極めて一般的な国家間条約である。
「貴国が堅実な統治を行い、他国との国交を望まれるのであれば」
外交官は続けた。
「五国連盟としては、拒む理由はありません」
その答えにカイオスはため息をついた。
「陛下にお伝えします」
条約締結に向けた協議が始まると、エストシラント付近に展開していた部隊が撤収を始めた。
野営地は片付けられ、街道に設けられていた検問所は撤去された。
王都郊外の住民たちは、灰色の車列が見えなくまるまで手を振り続けた。
■日本
熊本県天草 捕虜収容施設
天草の入り江を望む丘陵地に、パーパルディア兵の収容施設が置かれていた。
沖縄や九州西岸からの海上輸送に都合がよく、周囲を海と山に囲まれているため、万一脱走しても容易には本土へ紛れ込めない。収容されているのは、沖縄侵攻の際に武装解除された将兵と、フェン王国での海戦で沈没艦から救助された水兵たちだった。
その日、彼らは朝から施設内の運動場に集められていた。
何かあるらしいとは聞かされていたが、理由までは知らされていない。
程なく、保安隊の係官が彼らの前に立った。
「貴官に通達する」
ざわめきが止んだ。
「貴国との調整が終了した。以上をもって、貴官らの送還が決まった」
しばらくは、誰も声を上げなかった。
言葉の意味を理解するまで、少し時間が掛かったらしい。
「……帰れるのか?」
列の中から、一人の兵士が恐る恐る尋ねた。
「
「捕虜交換ではないのか?」
係官は首を振った。
「五国連盟諸国と貴国との一連の衝突は、公式には戦争として扱われていない。双方が損害についての請求を放棄したため、これ以上身柄を拘束する必要もなくなった。よって貴官らの帰国が決定した」
再び皆が黙り込んだ。
「それは……全員か?」
今度は別の水兵が尋ねた。
係官は少し間を置いて答えた。
「軍人として命令に従って行動した者については、全員だ」
その言い方で、意味を察した者もいた。
「武装商船や私掠船の連中は?」
「殺人、略奪その他の刑事犯罪への関与が確認された者は、送還の対象には含まれない。軍事行動に従事した軍人と、犯罪行為に及んだ者は別に扱う」
パーパルディアの軍人と、民間人への殺害や略奪に加わった者は最初から区別されていた。
ただし、私掠船員は曲がりなりにも国家の許可を受けて武器を取った者たちでもある。
そのため、彼らには刑事犯に対しての絞首刑ではなく、武人として扱われ、銃殺刑が行われた。
「質問はあるか」
係官が尋ねた。
おずおずと若い兵士が手を上げた。
「……所持品は、返してもらえるのですか?」
「私物は返却する。軍から預かった武器類は除く」
「給料はどうなりますか?」
「それは帰ってから自国政府に聞いてくれ」
思わず、あちこちから笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が、そこで初めて緩んだ。
「では、解散。荷物をまとめておけ。出発順は本日中に掲示する」
係官がそう告げると、今度こそ場が沸いた。
歓声を上げる者もいれば、その場に座り込む者もいた。
皆、何度も故郷の名を口にしていた。