■日本国
中央暦千六百四一年
昭和二十五年 一月二十三日
九州南西方約七〇〇キロ
雲一つない青空を、淡い緑の大型機が飛んでいた。
四基の魔導エンジンが、青い光とともに圧縮空気を噴き出して機体を進ませていた。
第三文明圏の技術水準では、決して作ることのできない航空機。
中央世界にある世界最強の国、神聖ミリシアル帝国の技術の結晶〈ゲルニカ35型〉は、使節団を乗せ、時速三一〇キロで日本国へ向かっていた。
「間もなく日本側との航空管制引継地点に入ります。なお、日本国の飛行機械二機が、我が機を先導する予定となっております。
軍用機が接近しますが、先導が目的ですのでご安心ください」
機内放送が流れた。
「長かった! あと三時間ほどですね」
情報局員ライドルカは、隣に座った外交官フィアームに話しかけた。
「しかし、やはり遠いですね。
これから東の果ての文明圏外国家を相手にしなければならないかと思うと、頭が痛い限りです。
軍用機が二機、先導のために来るとのことですが、ワイバーンではなく飛行機械を持っていること自体が驚きです。
パーパルディアを追い込んだ理由が、何となく分かったような気がします。どんなものが来るのか楽しみですよ」
外交官フィアームの脳裏には、ムーのレシプロ戦闘機が浮かんでいた。
機体後部に取り付けたプロペラで飛ぶ、独特な形の飛行機械である。
ミリシアル情報局は今回の派遣に先立って、日本についてある程度の情報を集めていた。
しかし、その多くは不確かなうえ、内容も突拍子がないものだった。
結局、日本国は使節団にはパーパルディア皇国衰退の一因となった国とだけ伝えられ、具体的な国情については詳しく知らされていなかった。
「フィアームさん、日本に対しては、文明圏外の蛮国といった先入観を持たずに見た方がよいと思います」
「分かりましたよ」
「いやあ、私も日本国がどのような飛行機械を出してくるのか、非常に興味がありますね」
技官ベルーノも話に加わった。
三人は窓の外を見た。
遥か下方には海が広がり、機内には魔光呪発式空気圧縮放射エンジンの甲高い音と、機体が空気を裂く音だけが響いていた。
その時だった。
後方から、二機の機影が猛烈な勢いで近づいてきた。
低い轟音が急速に大きくなる。
二機は〈ゲルニカ35型〉の左右を追い越すと、前方で大きく旋回した。
速度を落とし、一機が先導位置につき、もう一機が機体の横に並ぶ。
「なっ……何だ!? 速すぎる!」
「ムーの飛行機にあるプロペラがないぞ!」
技官ベルーノが声を上げた。
「後ろから何かを噴き出している……。まさか、我が国の魔導エンジンと似た方法で飛んでいるのか?」
「なんという速さだ!
武官アルパナが窓際へ身を乗り出した。
ベルーノも、横に並んだ機体を食い入るように見つめていた。
「翼も妙な形をしている。……なぜあんな形で安定して飛べる?」
彼にはその理由が分からなかった。
神聖ミリシアル帝国の飛行機械は、古の魔法帝国から得た技術をもとに、強力な魔導エンジンの力で飛ばしている。
理論を積み上げて機体を設計するという発想そのものが、彼らには馴染みのないものだったのである。
外交官フィアームは、わなわなと震えながら口を開いた。
「馬鹿な……文明圏外の国が、我が国を上回る飛行機械を持っているはずがない!あってはならないことだ!」
「ですが、実際に飛んでいます」
ベルーノは窓の外から目を離さなかった。
「しかも、〈ゲルニカ35型〉に合わせて速度を落としている。どこまで速く飛べるのか分かりません」
「我が国は、古の魔法帝国の遺産を多数研究できるという、他国にはない大きな優位を持っている。にもかかわらず、航空技術で負けているというのか……いったいどういうことだ!」
フィアームは困惑しながら、日本国防軍の〈二三式戦闘機「六花」〉を見つめ続けた。
〈ゲルニカ35型〉は二機の六花に先導され、九州上空へ入った。
やがて眼下に、広大な市街地が見えてきた。
道路が伸び、建物が密集し、港には大型船の姿も見える。
これほどの都市が文明圏外にあり、しかも一地方都市に過ぎないという事実に、使節団は再び衝撃を受けた。
「日本国には魔法がないと聞いていたが……魔法なしで、これほどの都市を築けるものなのか?」
ベルーノが疑問を口にした。
やがて機体は、板付飛行場の舗装された滑走路へ降り、誘導員の指示に従って駐機場へ進んだ。
そこには数機の旅客機が並んでいた。
フィアームは、その光景を見て少しばかり自尊心をくすぐられた。
零式輸送機を改装した双発旅客機と三菱MC-20に挟まれて駐機する〈ゲルニカ35型〉は、実際以上に大きく、堂々として見えた。
「……まあ、航空技術のすべてで負けているわけではないようだな」
誰に言うでもなく、フィアームは呟いた。
機を降りた使節団は、日本国側の出迎えを受け、挨拶を交わした。
その後、用意された自動車に分乗し、福岡市内のホテルへ向かう。
自動車という乗り物は、神聖ミリシアル帝国の魔導車によく似ていた。
走りは速く滑らかだったが、その形は妙に角張っている。
道路には乗合自動車や貨物自動車、自転車、スクーターが行き交い、その間に乗用車も混じっていた。
乗用車は誰もが持てるほど安価ではなかったが、裕福な市民であれば個人で購入することもできるらしい。
少なくとも、自動車が官庁や軍だけの特殊な乗り物というわけではない。
その点では、神聖ミリシアル帝国ともそう大きな違いはなかった。
一行は旅の疲れを癒すため、その日はホテルへ直行した。
■福岡 岩田屋本店
神聖ミリシアル帝国使節団との事前交流の場として、天神の岩田屋百貨店が充てられた。
戦前に建てられたこの建物が、大規模な催事場を備えていたためである。
日本国外務省は、外交交渉に先立つ事前交流として、神聖ミリシアル帝国使節団に多色刷りの資料を配布し、日本国の概要を説明していた。
資料の内容は多岐にわたっており、自然、文化、建築技術など、さまざまな事柄が紹介されている。
軍事に関する情報は、軍事情報が流出することを避けるため、掲載されていなかった。
世界最強の評判も名高い神聖ミリシアル帝国の使者を相手にするため、日本国の対応にも力が入っている。
沖縄事件の発生を許した原因に、日本が侮られたためであるとの分析もあるため、政府指示により、配布資料は日本の国力や工業力を窺わせる内容となっていた。
やがて紹介が終わり、外務省職員が今回の交流会について説明を始めた。
「神聖ミリシアル帝国使節団の皆様、本日は遠路、日本国までお越しいただき、厚く御礼申し上げます。
私は、日本国外務省の近藤と申します。事前にご説明いたしましたとおり、本日から二日間、日本国内をご案内しながら、皆様との交流を深めたいと考えております。
まずは、両国が初めて相まみえたことを祝し、歓迎の午餐を用意いたしました。
午餐終了後、二時間ほど休憩を挟み、板付飛行場へご案内いたします。どうぞごゆっくりお過ごしください。
それでは皆様、よろしくお願いいたします」
挨拶が終わると、各人の前に料理が運ばれてきた。
食事に手をつけながら、情報局員ライドルカは隣のフィアームに話しかけた。
「おお、これは美味いな……。
フィアームさん、先ほどの説明をどう思われました?」
「どう、と言われてもな」
フィアームは手元の資料を見た。
厚手の紙に、日本各地の写真や地図が多色刷りで載せられている。
復旧した港湾、工業地帯、鉄道。東京、大阪、名古屋などの都市の写真もあった。
「文明圏外の国として考えれば、異常なほど発展している。おそらくムーと同等の分野すらあるだろう。
だが、先ほど飛行場で見た旅客機は旧式のようだった。何もかも我が国より上というわけでもない。
正直なところ、よく分からん国だ」
「魔法を使っていないので、余計に分かりにくいですね」
ライドルカは技官ベルーノへ顔を向けた。
「ベルーノ殿は、どう見ます?」
「産業基盤は相当に強いでしょうな」
ベルーノは資料を一枚めくった。
「港湾設備、工業施設、鉄道網。どれも派手ではありませんが、実用に耐える規模で整備されている。
特に興味深いのは、これです」
指で示した先には、二両一組のディーゼル機関車が、長い客車列車を牽く写真が載っていた。
「新型のDD50形という機関車です。東海道本線で、特急〈つばめ〉の客車を使った試験走行を行っているそうです」
「鉄道か」
フィアームは写真を眺めた。
「見たところ、我が国の鉄道より特別速いというわけでもなさそうだな」
「速度ではありません」
ベルーノは首を傾げながら、写真の説明文を読んだ。
「この機関車には魔導機関がないそうです。軽油という液体を燃やして動く、と書かれている。
……燃料を燃やすだけで、これほどの列車を動かせるものなのでしょうか」
ライドルカが笑った。
「ベルーノ殿らしいところに興味を持ちますな」
「私には、こちらの方が飛行機械より不可解ですよ」
ベルーノは真顔で答えた。
三人が話していると、会場前方から一人の日本人が歩いてきた。
近藤だった。
彼は三人の前で立ち止まり、一礼した。
「改めまして、日本国外務省の近藤です。今回の交流会から国交交渉、先進十一ヵ国会議に関する協議まで、神聖ミリシアル帝国を担当させていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
フィアームも立ち上がった。
「神聖ミリシアル帝国外務省のフィアームです。今後の外交交渉も、近藤殿が担当されるという認識でよろしいですかな?」
「はい。特に変更がなければ、その予定です」
フィアームは満足そうに頷いた。
「それでは、担当される近藤殿に、私個人から一つ贈り物を」
傍らに置いていた鞄を開け、中から厚みのある箱形の機械を取り出した。
上蓋を開くと、内側には色のついた画面があり、下側には文字盤が並んでいた。
「これは我が国で製造された携帯型の魔導計算機です。
計算だけではありません。文章の作成、記録、表の処理、簡単な図形の表示もできます。記録媒体を交換すれば、別の資料を読み込ませることも可能です」
近藤の表情が変わった。
「携帯型で、総天然色の表示までできるのですか」
「ええ。少々重いのが難点ですがな」
フィアームは得意げに答えた。
近藤は画面と文字盤をしばらく眺めた。
日本では文書処理とカラー表示をまとめる機械など作れない。
少なくとも神聖ミリシアル帝国は、日本よりも遥かに進んでいると言えた。
「これは興味深いですね。ありがとうございます。大切に扱わせていただきます」
素直に感心した近藤を見て、フィアームはようやく機嫌を直した。
「演算装置の能力は、産業の速度に直結します。中央世界では、こうした機械も少しずつ普及し始めています」
「よく分かります」
近藤は頷いた。
「我が国でも演算装置の開発は重要な課題です。もっとも、イルメリアから入ってくるPDAという機械は、さらに小型なのですが、今のところ使用者は政府要人に限られます。」
「……PDA?」
フィアームの眉が動いた。
「はい。手のひらに収まる程度の演算装置です。通信や計算、文書の閲覧などが行えるそうです」
近藤はそれ以上説明せず、フィアームも聞き返さなかった。
ベルーノは黙って食事を続けていたが、その胸中は穏やかとは言えなかった。
食事を終えた使節団は、予定どおり板付飛行場に戻った。
駐機場の一角に、先ほどは見当たらなかった大型機が停まっていた。
全幅の大きな翼と、そこから伸びた機首。機体下面には巨大な箱形構造物が吊り下げられていた。
優雅さとは無縁な、むしろ軍用輸送機にしか見えない大型機である。
「……あれに乗るのですか?」
フィアームが尋ねた。
「はい。イルメリア航空の〈C-88ハイカラ旅客機〉です」
近藤が答えた。
「イルメリアの飛行機械か」
ベルーノが機体を見上げた。
「大きさは〈ゲルニカ35型〉の方が勝っておりますな」
「旅客型では二百名ほど乗れます。本来は大型輸送機で、旅客用の区画を取り付けて運用しているそうです」
「速度は?」
「最高で時速七八〇キロほどです」
ベルーノは近藤を見た。
「七八〇キロ?」
「はい」
「あの大きさで、ですか?」
「ええ」
使節団は、もう一度〈ハイカラ〉を見上げた。
自分たちが乗ってきた〈ゲルニカ35型〉の巡航速度は、時速三一〇キロである。
それより小さいとはいえ、大型機がその倍以上の速度で飛ぶ。
「……日本の機体ではないのですね?」
フィアームが念を押した。
「いえ、イルメリアの機体です」
その答えに、フィアームは少しだけ安堵した。
しかし、その感情が正しいのか、自分でも分からなかった。
日本よりさらに高度な航空技術を持つ国が、この国と密接な関係を結んでいる。
それは、別の意味で厄介な話だった。
使節団は旅客コンテナへ乗り込み、福岡を離れた。
〈ハイカラの〉離陸滑走は想像したものよりも余程短く、僅かな滑走距離でふわりと浮き上がった。
窓の外を流れる雲を、ベルーノは黙って眺めていた。