■パーパルディア王国
中央暦一六四〇年十一月
王都エストシラント
かつて七十余の属領を従えたパーパルディアでは、新たな制度への移行に伴う、大規模な改革が続けられていた。
属領支配の象徴だった皇国軍は、本土防衛を目的とする軍に再編され、並行して基地や兵站の整理も行われていた。
騒動は、その最中に起こった。
「何!? 旧属領の軍勢が国境を越えただと!」
王国宰相カイオスは、報告に来た官吏に詰め寄った。
「はっ! 今朝未明、北方国境が突破されました。その数、およそ五千!」
「どこの軍勢だ?」
「カース、クーズ、マルタ、アルーク、バルーサなど、複数の旗を確認しております」
パーパルディア皇国の旧属領を取り巻く事情は一様ではなかった。皇国の支配によって徹底した搾取を受けた地域がある一方、統治下でかえって経済的に発展した地域もある。
完全な独立を望む国もあれば、自治権を得られれば十分と考える勢力もあった。
そのため、カースで開かれた大会議は紛糾したものの、最終的には独立の確保を優先し、パーパルディアへの軍事行動を行わないことで一致していた。
国境を越えて侵攻したのは、それに不服を唱える急進派の連合部隊であった。
「敵軍の目標は?」
「進路から見て、おそらくアルーニとのことです」
「陛下に進言する。アルデ司令とマータル作戦参謀にも伝令を」
「はっ!」
「急いでくれ。敵は我々の準備が整うまで待ってはくれんからな」
■同日
パーパルディア王国 王城
王国の北方一帯を描いた地図が、長い卓上に広げられていた。
王国南部の海岸に王都エストシラントがあり、王都の北には肥沃な平原と緩やかな丘陵が続いている。
麦畑や葡萄畑の間を街道が走り、低い丘には古い町や砦が点在し、王都の北およそ五百キロにアルーニがあった。
「現在、敵はどこにおる?」
ルディアスが臣下に問うた。
「アルーニの北方でございます、陛下」
マータル作戦参謀が地図を指した。
「兵力は約五千。北部街道を南下しております」
「アルーニの守備兵力は?」
「一千でございます」
ルディアスはアルデに顔を向けた。
「アルデ、増援は出せるか?」
「可能でございますが、本格的な部隊の編成には時間を要します」
「かつての軍ならば、五千程度で騒ぐ必要もなかったであろうな」
「皇国軍は、もうございません」
「解っておる」
ルディアスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「アルデ殿、アルーニを守り切れるか?」
カイオスの問いに、アルデは答えた。
「可能だ。しかし、無理はすべきではない」
「何故だ?」
「敵は五倍だ。寄せ集めとはいえ五千は五千。我が方にも大きな損害が出る」
「アルーニを捨てると申されるか?」
「そうは言っておらん。守れる限りは守るが、無理ならば退くべきと考えておる」
「…なるほど」
ルディアスはしばらく地図を見た。
「良い。アルーニに伝えよ。死守は命じぬ」
「はっ」
「勝てるなら守れ。無理ならば退け。ただし、むざむざ渡すことは許さぬ」
「承知いたしました」
そこでカイオスが口を挟んだ。
「陛下、五国連盟にも知らせるべきかと存じます」
「奴らに救援でも乞えと申すか?」
「今さら体面をお気になされますか」
ルディアスの目が細められた。
「カイオス、
「陛下、事実を申し上げております」
一瞬の沈黙の後、ルディアスは破顔した。
「はっはっは。其方も言うようになったな」
ルディアスは北部国境を指差した。
「カイオス。五国連盟に支援を要請せよ」
「よろしいのでございますか?」
「今さら面子のために兵を失うほど、余は愚かではない」
王の手が地図を叩く。
「奴らはフィルアデス大陸の平穏を望むと公言しておった。急進派どもの越境は、その顔に泥を塗るに等しい」
■パーパルディア王国 アルーニ
アルーニの周辺には低い丘が連なり、斜面を果樹園や小さな林が覆っていた。
遠くまで見通せる場所がある一方、丘一つを挟めば大部隊さえ姿を隠せる地形である。
守備隊はこれを利用して戦列を敷いていた。兵力は一千。十二門の魔導砲を備えた砲兵、重歩兵と魔導マスケット兵、十頭の地竜、さらに八騎のワイバーンロードがその戦力だった。
やがて丘の向こうから急進派連合軍が姿を現した。
軍服も旗も揃わない急造部隊だったが、その前面には同じ構造の荷車が並んでいた。
兵士数人が押す荷車に、鉄板で覆った厚い木製の盾を取り付けたものである。
守備隊指揮官リスカは望遠鏡を上げた。
「…何だ、あれは?」
「防御用の盾を荷車に載せているように見えます」
「厄介なものかもしれん。ワイバーンロード隊に対応させよ」
命令を受けた八騎のワイバーンロードが敵陣に向かう。
だが、火炎弾を放とうと高度を下げたところへ、雲の中から矢が降り注いだ。
「上空、敵竜騎兵!」
急進派側のワイバーン五十騎が、上空で待ち構えていたのである。
通常種のワイバーンの戦闘能力は、ワイバーンロードに劣っている。
そのため、急進派連合の部隊は、ワイバーンロード隊の意識が地上に向いた瞬間を狙って襲いかかった。
最初の一斉射で一騎が翼を傷め、別の一騎の騎士が肩を射抜かれた。
だが、奇襲の優位は長く続かなかった。ワイバーンロードは通常種の間を抜けて急上昇し、その背後から火炎弾を浴びせた。
旧皇国軍以来の精鋭である騎士たちの騎乗技術も、急進派軍を圧倒していた。
それでも兵力差は大きく、矢と火炎弾に加え、複数方向から体当たりを受け、傷ついたワイバーンロードに新手のワイバーンが押し寄せる。
激戦の末、八騎のワイバーンロードすべてが撃墜されたが、急進派側も大損害を受け、十数騎が残ったに過ぎなかった。
「ワイバーンロード隊、全滅」
報告を受けても、リスカは表情を変えなかった。
「地竜隊、前進へ」
魔信による命令を受けた地竜十頭が地面を揺らしながら前進し、急進派軍の盾車へ突入する。
吐き出された火焔が盾を焼き、何台もの盾車が巨体による体当たりによって踏み潰され、急進派の前衛が混乱する。
だが、急進派軍の将ミーゴは、すぐに反撃を命じた。
「弓兵、地竜に集中。放て矢!」
三千近い長弓からの矢が、地竜に殺到した。
分厚い鱗は多少の矢なら弾いたが、数百本単位となれば防ぎ切れない。
眼や口、首筋、関節など鱗の薄い場所を射抜かれ、さらに矢には地竜対策として毒が塗られていたため、毒の回った個体には特に集中攻撃を受けた。
最後の地竜が倒れた。
双方の主要な機動戦力が失われると、戦いの中心は歩兵に移る。
アルーニ守備隊は重装歩兵を前面に置き、その後方に魔導マスケット兵と魔導砲を配した。
重歩兵が敵の矢と突撃を受け止め、その間に銃兵と砲兵が火力を発揮する、古くからの陣形である。
しかし急進派の仰角を取った一斉射は、重装歩兵の頭上を越え、後方の銃兵と砲兵に降り注いだ。
砲手や装填手が射抜かれる中、十二門の魔導砲は応射を続け、急進派軍に損害を与え続けていた。
それでも矢の雨を止めるには至らず、砲兵は次第に数を減らしていった。
魔導マスケット兵も、装填のたびに身を晒さなければならない。
そこに、生き残りのワイバーン十数騎が戻ってきた。
火炎弾と矢が密集する重装歩兵に降り注ぎ、低空からの体当たりで重装歩兵が吹き飛ぶ。
対するパーパルディア側には、それを迎撃するワイバーンロードは残っていなかった。
重装歩兵の隊列が崩れ、前線が崩壊し始める。
魔導砲が三門まで減った時点で、リスカは銃兵を前進させた。
銃兵たちは矢を受けながら距離を詰め、ようやく射程内に入ると一斉射撃を行った。
ほとんどの銃弾は盾車に弾かれたものの、隙間から身を出していた兵が倒れる様子もあった。
だが、魔導マスケットの装填は遅い。
急進派軍は銃兵の再装填の隙をついて前進、盾車の陰から弓兵が長弓を水平に構えた。
距離五十メートル。長弓には十分な距離である。
千以上の矢が戦列に殺到した。
銃兵が応射し、残った魔導砲が盾車を撃ち抜いたが、兵力も射撃速度でも守備隊は劣っていた。
近距離での撃ち合いが続くにつれ、戦力差はさらに広がっていった。
守備隊は主力のワイバーンロードと地竜を失っていた。
重装歩兵も壊滅。
一千のうち半数近くが死傷し、あるいは行方不明となっていた。
もはや戦列を維持できる状況ではなかった。
ここに至って、リスカは
「全軍、退却!」
魔信を通じて、直ちに退却命令が伝達される。
「負傷者を運べ。魔導砲は捨て置け。残存銃兵を後衛に回し、南へ退け」
アルーニ守備隊は撤退を始めた。
敗走ではあったが、散り散りになった兵を拾い、互いに支えながら可能な限り隊伍を保って退却した。
旧皇国軍であれば、都市を捨てた指揮官は臆病者と呼ばれたかもしれない。
だが、今のパーパルディア王国軍に必要なのは威信ではなく、次の戦いに立つ兵である。
同日午後、アルーニは陥落した。