アイリス。
そう呼ばれるネットナビを、ワタシは詳しく知らない。
知っていることと言えば、そう。
唐突に現れた、カーネルの妹ナビ。
強いて言えば、花の名前か。
カーネルはシステムを元にした名前なのに。
全く意味が分からない。
何かしら理由はあるのだろうが。
そう首を傾げてみても、分からず仕舞いではある。
恐らく、ワタシには考え付かない何かしらがあるのだろう。
ともかく。
とんでもないことを任された。
ワタシの心境は、これに尽きる。
記録にある未来で、おおよその想像が付いているからだが。
写真の女性。
名前は知らない。
ワイリー様とは何かしら親しい部分があったのだろう。
それを、電脳世界に再現する。
再現された結果、どうなるか。
彼女は、箱舟となるのだ。
カーネルの「優しさ」。
それを封ずる、箱舟。
何れ、ワイリー様の元から電脳の海へと消え去る舟に。
顧みず、それさえもまとめて葬り去ろうとする存在に。
それぞれがそう成る。
この意味は、重い。
「何故」
なぜワタシにそれを任せたのか。
思わず漏れた恨み言も、ワイリー様は知る由もないだろう。
実際問題、ただ再現しろとしか仰られてはいない。
ワタシが仰々しく考えているだけに過ぎないのかも知れない。
だが、とにかく。
ワタシが、アイリスを作る。
形作る。
それに、ワイリー様が「優しさ」を封じる。
それさえ分かっていればそれで良い。
ワタシがやることは決まり切っている。
ワイリー様から任された。
ならば、やらねばならぬ。
託されてから数日。
ワタシがしたことは少ない。
カーネルへの連絡。
不明のエリア深くまで潜ると偽りその間は連絡を受けないと。
一時的に研究に集中するから暫くは姿を見せることはないと。
それぞれ、それだけ簡潔に済ませ。
調整を進めた。
持っているウラインターネットのチップデータを売り払って。
移動させたお陰で把握していた、人体のデータを引き出して。
準備を進めた。
リーガルも、バレルも、どちらとも顔を合わすことのない転居したプライベートエリアの奥の奥に入り。
意味もなく息を整える。
正座し。
湯呑から湯気立つ白湯を啜る。
まだ、茶の味は調整出来てないから。
軽く息を吐くような動作をしながら、周囲を見渡す。
居並ぶは、ボンバーマンやボンバーガール、それに類する形。
記録から再現した、形だけの存在達。
何れは彼等彼女達も、一個存在として電脳世界を暮らして貰いたいが。
今回は、そんな今までとは違う。
ワタシの記録頼りではない。
知る存在がワタシ以外にないと言う、ある種の気楽さはない。
元となる写真が残っている。
それらを元に、作り出す。
箱舟を。
いや。
棺を。
カーネルの、ワイリー様の、「優しさ」を納める彼女の像を。
この、ワタシが。
「――始めますか」
白湯を飲み下し、湯呑を砕く。
データの粒子となったソレを払い。
ゆっくりと立ち上がる。
ワイリー様には恩がある。
ワタシの存在。
これはまず間違いなく、ワイリー様の思惑から外れている。
ストーンマン。
次いで、ワタシ。
最後に、カーネル。
この順で作られたワタシ達だ。
カーネルはともかく、ストーンマンとワタシに特別な意味を持たせられているとは思えない。
しかし、ワタシが居るのはワイリー様のお陰なのだ。
記録がある。
虚ろな記録が。
真贋の知れぬ不明な記録が、ワタシの中に宿っている。
ボンバーマンの中にワタシが宿ったのだろうか。
あるいは記録からそう思っているだけなのかも知れない。
それともバグから生じた偽物のワタシか。
どれにしろ、このワタシが真にワタシとは言えぬかも知れずとも。
何とも知れぬ記録を持った、ボンバーマン。
ソレを作られたのがワイリー様である以上、ワタシ自身の真偽に依らずとも、このワタシが存在していられる理由はワイリー様のお陰なのだ。
無茶もした。
無理を通した。
それでもなお、ワタシがまだ居られるのはワイリー様のお陰だと思っている。
であるならば。
今更のように考えているが、そう。
ワタシは、ワイリー様に恩がある。
そう思っている。
そう納得している。
だからこそだろうか。
ワイリー様には幸せになって頂きたい。
既に難しそうである。
だから少なくとも、納得はして頂きたいのだ。
そのためにも。
何れはWWWとして活動もすることもあるハズ。
というかこの状況なら、まず間違いなくそうなるだろう。
避け得るならば避けたいが。
その上で、それでも。
ある種の締め括り。
終わりの到る時に在る、アイリス。
彼女を創り上げる。
外見だけ。
形だけだが。
それであってもこのワタシが手を抜けるハズがない。
写真データから体型と身長を予測。
読み取ったそれらと過去に手に入れていた人体データを選定。
選定したデータを元に大まかな人体モデルを作成。
不出来なマネキン染みた姿を大本のモデルと仮定。
大本となるモデルの他、写真内のポーズや配置を併せ。
モデル同士をリンクさせ、準備は完了。
「さて。魂を入れるのは博士の役割ですから――」
期間は概ね一週間。
瞼を下ろす。
二礼、二拍、一礼。
世界を創れる訳はないけれど、
「――――御像までは仕上げて見せましょう」
異様。
その光景を知るのは、ただ一人。
Dr.ワイリー。
彼だけはその場所を知っていた。
ボンバーマンの秘密工房。
改造を進めるためのデータ。
身体を形作るためのプログラム。
様々な情報を納めた部屋。
アメロッパ軍部よりデータを動かし終え、ボンバーマンが真っ先に整えたそのエリア。
プライベートエリアの更に奥。
見えざる通路の先の金庫部屋、その更に先。
ボンバーマン以外ではワイリーしか知らず、そして見ることは叶わない。
言ってしまえば家の奥の、秘密基地とでも言うべきか。
ボンバーマンの外装アーマーはエリアの隅。
エリア際に並ぶ数十もの男性女性不明な外装から少し離して並び置かれている。
パインの姿は、かつて並んでいたその中の一つから選び出した外見であった。
閑話休題。
そのエリアは、如何にも雑然に、端へとモノが寄せられたのが分かる。
本棚や箪笥を模した収納スペース。
バグの欠片が石炭のように詰め込まれたコンテナ。
横倒しにされたテーブルの横に、雑に積み重なったチップデータ。
そんな数々に囲まれた、中心に居るパインの周囲もまた異様。
小型のジオラマ。
若干適当気味な背景を前にしてそこに居る、無数の少女達。
否。
同じ姿の少女達。
違うのは精々が服装ぐらいか。
その姿は、パインの前に直立する少女の姿を触れる度に変わっていく。
僅かずつ。
時に大きく。
変化は続く。
最早執念と称する他ないだろう。
細かな髪が、風に靡くように蠢く。
胡桃かあるいは灰茶か、髪の色合いが僅かに変わる。
常盤色の瞳が僅かにその深みを増す。
頬に触れた手が放されると僅かな赤みが差す。
物憂げに開いた小さな口元が次の瞬間には笑みを零す。
傅くようにパインが触れた爪先に艶が現れる。
少しずつ変わり。
少しずつ近付く。
「…………」
それを知っているのは唯一人。
声を掛けることもなく。
姿を見せることもなく。
忠実に。
精密に。
少しずつ。
僅かずつ。
記録の通り。
記憶の通り。
ソレは人に近付いていく。
物から者に近付いていく。
その様をただ眺める。
神は細部に宿る。
その言葉の通り。
半ば狂気の域に在りながら、その姿に何かを宿そうとしている様を。
「……………………」
徐に。
ワイリーの手が動き画面を切った。
食事も睡眠もなく動けるナビとは違う。
食事をしなければならないし、睡眠を取らなければならない。
現実世界でバレルやリーガルに教える様々な事柄がある。
だからこそ、ただ見ていた。
食後の一休み。
コーヒーを一杯を口にしながら、カレンダーを見やった。
今月は、ステゴサウルスの描かれたそこにあるバツ印は既に幾つも。
約束の日、丸の日に向かって近付いていくバツ印と共に。
何かが宿って行くその有様を。
「クゥー……………さて」
軽く伸びをし、向き直る。
問題児がしているように。
己の仕事へと向き直った。