「なるほど……な」
茶色のトレンチコート。
黒っぽいベレー帽。
渡された紙を見る目元を隠しながら。
前に座る人物とマスター以外に人の見えない、喫茶店。
その一角で、ワイリーは呟いた。
その目の前に座るのは、小綺麗に見目を整えた灰色のスーツ姿の老人。
髪はソレにあったロマンスグレー。
とでも称そうか。
歳を取ったと言うよりも、重ねたと言うべきか。
何でもないようにコーヒーを啜る一挙から漂うは、積み重ねた歴史。
品。
節々に刻まれている皺はしかし、衰えよりも経験を感じ取らせる。
所々に見える装飾や服飾。
それ等が唯人ではなく、一角の人物であろうことを知らしめる。
そのような人物がコーヒーカップを置き。
添えられた角砂糖を四つばかり放り込んだ。
そのままスプーンで幾らか掻き混ぜ、口を付ける。
一つ頷き、またカップを置いた。
「………………正直、貴方ほどの方が気にするような事柄ではないと思うのですが」
「ぁあ……?」
「有り体言って、ただ学校を移転する。それだけの話を何故、気にされるのか。そう思っただけです――断っておきますが、他意はありません」
ミルクを数秒ほど。
渦巻いているコーヒーへと注ぎながら。
しかしその表情はともかく、目に鋭さがあった。
興味。
関心。
あるいは、何某かあるのか。
危機を事前に知り得ておこうと言う、警戒。
鋭さの中には、言ってしまえば単なる野次馬根性ではなく、そう言ったモノが覗いていた。
だからこそワイリーは何の気もなしに頷く。
意図的に。
大した意味を持っていた訳ではないことを教えるためにも。
「なに、光のヤツが近い所に居るじゃろ? 息子も」
「…………ああ、なるほど。お子さん……いや、何れは孫の方ですか」
「おう。通う可能性がある訳じゃが……そこが移転の計画があったと小耳に挟んだ。だから気になった。それだけじゃ」
そう口にしながら、渡されていた書類をテーブルの端に整えた。
フォークを取り、刺す。
断層を創り出していたミルクレープをそのまま抉り、一口。
内心中々悪くないものだと頷き、書類を一瞥した。
既に中身を見終え、頭の中に入れ終えた書類。
『秋原小学校拡張計画書』。
発展を続けているデンサンシティ。
その近郊にある住宅地、秋原町だが、ある問題を抱えていた。
らしい。
住宅地、ベットタウンと言うのは当然、人が集まる地域である。
しかし、自然豊かで田舎町のような秋原町。
改め、人の殆んど居なかった秋原町。
そこにデンサンシティの発展と共に住宅地としての需要が生じれば、当然ながら人口は増加する。
人口の中には当然、子供もそれだけ含まれることになる。
必然、ただの田舎町の小学校では、増加を始めている子供への需要に限界があった。
幕末より開かれていた、歴史ある学校と言えどもだ。
要するに、そのための計画。
現在使われている校舎の改築ではなく、移転のための計画。
拡張と書きながら、実際は移転の計画。
小賢しさが垣間見える。
それを小耳に挟んだからこそ、真偽を確かめるためにもワイリーは訪問しに来ていた。
幸い、移転予定の土地の所有者とは多少だが関わりがあったこともあって。
もっとも、秋原町の方まで来たのは、それだけが理由ではなかったが。
「……それだけですか?」
「それだけじゃ」
半ば、呆れ。
そのような色を顔に乗せている様子を気にもせず。
ミルクレープを食べ進めるワイリーの姿に毒気を抜かれたのだろう。
肩を竦め、コーヒーをまた一口飲んだ。
眉間に微かばかり寄せていた皺を消して。
無言。
食い。
飲み。
無意識的にだろう。
籠っていた肩の力を抜いた様子で啜る姿を一瞥し。
そろそろ頃合いかと見定める。
「ああ」とさも今、思い付いたような調子でワイリーが再び口を開いた。
「そう言えばこの計画、地下はどうなっとる?」
「………………地下?」
「うむ」
片手間。
思い付いて。
そう示すように、相変わらずミルクレープを食べ進めながらもう片手で計画書を適当に捲り。
目当てのページ。
校舎の設計図面が描かれている、その殆んどが空白となっている、地下部分を示した。
「コレにはないが、設計上、地下に空間が出来る前提のものに思えるが?」
「…………」
答えは、沈黙。
押し黙り、目を細める。
その様を気にするでもなく、ワイリーは食べ進め。
やがてその全てを口に納めた。
「…………話したくないなら話す必要はない。邪魔したな」
「……お待ちを」
フォークを皿に置き、財布を取り出しながら立ち上がった姿を片手で押し留め。
ゆっくりと唇を舌で濡らす姿に腰を戻す。
腕を組み、天井を眺めたのは数瞬。
観念したような薄い笑みを浮かべながら、口を開いた。
「お上の方から口止めされてはいますがね。避難所にするそうですよ」
「避難所?」
「光親子の、です」
思わず。
ソレは一種の、そう、嫌悪。
思わずして微かに片眉を動かした。
同時に気付き、思わず舌打ちを溢す。
見られたことに気付いて。
だが相手側も相手側で、その姿に話すだけの価値がありそうだと考えたのだろう。
一つ息を吐き。
残っていたコーヒーを一気に飲み干してそのまま口を開き続ける。
「まあ……ワイリーさん、貴方はご存知の通り、私はまあそんな自慢出来るコトをしている訳じゃあない」
「うむ」
「だからこそ世情は気にしてる方だと自負してるんですが……十年ほど前、アメロッパで成立したオッカ法のタイトル9はご存知でしょう?」
「知らん」
「ええ、そう――知らない?」
「ああ、知らん」
「……ええ……と。そうですか? そうですか……」
渋い顔でカップを取り、しかし空。
その様に眉を下げる姿を尻目に、ワイリーもまた残っていたコーヒーをゆっくりと啜り始める。
内心の渋面を隠すように。
よくあることだった。
ワイリーは天才と言われているがため。
全く興味も関心も、欠片たりとも持ち得ていないような事柄に対して。
「貴方なら知っていて当然ですよね?」と言わんばかりに問われることが。
当然、知らない。
そしてそれを隠す気もない。
ただ内心で小さく悪態を吐く。
中。
不意に胸元で起きた振動に視線を下げ、そのまま懐へと手を伸ばした。
『ゴゴゴ……』
「ん。ああ、聞いてたのかストーンマン」
「聞いて――誰かに聞かせてたのか?」
「ネットナビじゃ。聞かせてたというより聞いてただけでもある」
剣呑な光を瞬時に宿した相手の瞳。
それを一瞥すらもせず。
PETの画面が見えるように置いた。
画面の端に映っているストーンマン以外、大部分は文章に覆われていた。
正しく、今の話に挙がっていたアメロッパの法律の、簡単な説明であった。
「あー……マフィアは頭も含めて共犯者、と言う感じの法律か。で、タイトル9はその中にある……マフィアは共犯者含めて全財産没収、と」
「………………主犯だけじゃなく、その大本。根ごと潰す法律と思えば宜しいかと」
「ふぅん……だが、此処は二ホンじゃ」
「貴方ほどの方がニホンとアメロッパの協力体制はご存知ない? そう遠くない内に、此方にも似たような法律が出来ると考えているんですよ。少なくとも、私はね」
また、レッテル貼り。
よくあることだからとワイリーはそれほど気にはしないが。
しかし。
暫くの間。
無言の間、ストーンマンをジロジロと訝しむような目を向けていた老人であったが。
分かっていないワイリーへの説明の為だけに動いたのだと納得したのだろう。
一先ずは。
とでも言うように半ばまで上げていた腰を下ろし、ポケットに入れていた手を抜き、代わりに身を乗り出すようにする支えとしてテーブルへと置いた。
「此方としては。まあこれから先を考えるならあまりお上に逆らうようなコト、すべきじゃあないと考えていた訳ですよ」
「丸くなったな」
「フフ……ま、多少はね? 息子も結婚してますし、最近は此処等に警察の目が行き届く機会も多い」
「…………光のヤツが住んでいるから、か」
「は、は、は。そう言う訳で、私等が解決してきたようなトラブルも減って来てて遣り辛く……と言うより、動き辛くなってきてた所に」
「学校の移転。地権者の中にお前が含まれていた訳か」
「だけじゃなく――尻尾を振るには良い機会だったんで、話を纏めるの、手伝わせて貰いました」
小さく口中で笑いを溢している姿から再度、ワイリーは計画書へと視線を直した。
一見すれば、ただの学校移転計画である。
だがワイリーはかつて、科学省でも地位はあった。
相応、人と会う機会もまた。
そうした中で会った記憶のある名前も、チラホラと見受けられた。
秋原町。
官公庁のあるデンサンシティにある住宅地とは言え、ただの一市町村の中の学校の一つに過ぎないにも拘らず。
大層な名前があるようではないか、と。
「…………上手く尻尾を振れたお陰で、機密にも触れられた訳か」
「現場で働くモンだとか、警備の人員だとか、地元の者じゃないと揃えられない所でもありますからね。口が堅くもないと、今回はイけないと言うので尚更ね」
「随分とお堅い口じゃな?」
「其処は今後もよろしく、と言うことで頼みます」
「話を聞くぐらいはしてやるわい。で、地下空間を用意するのは分かったが、それだけか?」
「それだけだそうですよ。今は」
「今は?」
ワイリーの視線が計画書から上がった。
予想通り。
食い付いた。
そんな、何処か悪戯に成功したような顔つきで。
だが何処か違和感を感じさせる表情のまま、老人はゆっくりと頷きながら続ける。
「あくまでも計画――想定の一つとして、秘密の駅舎を造る……なんて話もあるそうで」
「駅舎ぁ? ……そもそもないじゃろ、此処」
「光親子に危険が及んだ場合、迅速に助けられるように……って話で上がってた案の一つだそうですよ」
そもそもこの辺り、駅がないのに。
そのような疑念を口にしたワイリーに答える形で、老人も「その通りなんですがね」と頷く。
秋原町。
まだ、人が増えているという段階でしかない此処は当然、駅舎等は存在していない。
仮に造ろうという話が挙がっても、他に造るべき場所は幾らでもある、と言った形で終わる話だろう。
「…………そんな予算もないじゃろう」
「なのであくまでも今の所、地下シェルターまでの計画らしいです。通せるような設計にはするそうです――それに、あくまで光親子だけが使える方向で」
そもそも論。
予算がない。
潤沢にあるのであれば、ワイリーはアメロッパに渡る必要もなかったのだから。
吐き捨てるように口にしたその言葉を、半ば笑い流すように。
実際、半笑い気味の顔で。
しかし鋭い視線を外に向けながら言った。
半笑い。
そのような口元をしているが、しかし。
確りと見ればその端は微かに攣く付いていた。
それはそうだろう。
たった二人の為だけに、駅舎を、そして線路を。
引き、しかもそれ以外の誰にも使わせる予定のない計画がある。
面白い筈がない。
その辺り、あるいは誰かに愚痴の一つとして聞かせたかったのかも知れない。
「………………出入口は……正面の辺りに造る予定じゃな? 噴水の整備用にでも偽造する具合じゃろう」
「さあ?」
「フンッ――ま、気が向いたら……どうせ、お前の息が掛かったヤツを校長だかに据えさせるつもりじゃろ? 顔写真でも送ってこい」
「……送るとは?」
「記念の銅像でも送ってやるわ。出入口の上に拵えられるようなのを、な」
「…………まあ、感謝はさせて頂きます。しかし生憎、ソチラのアドレスを知りませんが?」
そう言いながら老人は、ポケットからPETを取り出して見せる。
海外、と言うよりもアメロッパへの関心があるのだ。
それに、ニホンの科学省としても推進している携帯機材。
政府の動向に気を向けているのならば、当然持っているだろうとワイリーは予測していた。
併せて、画面に映るのは緑色のネットナビ。
おおよそ丸っこいその姿は、ワイリーもよく知っているモノ。
だからこそ興味は、その本体に移った。
懐からケーブルを取り出しながら。
「そのPET、何処のじゃ? 見覚えはないが」
「伊集院PETカンパニーと言う所のですよ――アメロッパの、ネットナビが社長をしている会社はご存知ですか?」
「知らぬ訳あるまい」
「ほほぅ……知らない訳がないとは。ともかく、そこが株主していると言うので、其処のにしてみたんです」
「理由が読めん」
「聞いた話、PETは要するにナビの家でしょ? ソレを疎かにしているような会社に、ネットナビが投資する訳もない。と思ったまでです」
PETへの理解が、それか。
機能ではなく。
微妙な心持ちを表に出さず、ストーンマンがアドレスを引っ張り込むことに成功したことには頷き、ケーブルを抜いた。
家。
家ではあるが、そもそもの主題はPETの利用にある筈なのだが。
否。
とワイリーは内心で頭を振った。
己自身がどうであったか。
そう考えれば、ワイリーに何か言うことはない。
「ストーンマン、リーガルの作ったマニュアルがあったじゃろう。禁書棚に」
『ゴゴゴ』
「ソレを送ってやれ」
「――問題ないんで?」
「ワシが監修もした。それで不足か?」
「そうではなく。ソレは私が貰って問題ないんで?」
「構うまい」
指先で弄ぶように。
ケーブルを纏め、懐へと仕舞った。
併せて、PETも。
「そも。お前がワシの誘いに乗ったのはワシのネットナビが欲しかったからじゃろう」
「………………」
「だがワシとしては、ネットナビの改造も出来んヤツに渡すつもりはない」
「………………」
「少なくとも、そのマニュアルがあれば今居るナビより高性能のは出来るじゃろうよ」
「……今居るナビは?」
「……くく。ボディを入れ替えるだけで済む。そうじゃな、そのマニュアルも作って……うむ。後で送ってやる」
呵々と。
早速送ったマニュアルから視線を上げるように、ワイリーを見詰める老人に。
素直に抜けていたことを詫びながら頷いて答える。
その反応に些かの安心を覚えたのだろう。
微かに上がっていた肩を落としつつ老人は息を吐いた。
そうしてそのままの流れでワイリーは立つ。
立ち上がろうとしている老人を片手で制し。
レジに移動した、今までの会話を何一つ聞いていないようなマスターに幾枚かのお札を手渡した。
一枚だけ取り、レジを開き、小銭を取り出そうとする姿をまたも制す。
「ヤツの分と、そこのカウンターに縮こまっとるのにもケーキとコーヒーをやっといてくれ」
「――ご来店、ありがとうございます」
「おう。また来るかは分からんが、まあ、美味かったんじゃないかな?」
残りのお札をマスターが受け取り。
軽い遣り取りを交わし。
頭を下げている老人に手で挨拶だけ。
颯爽とワイリーは店の外へと出て行く。
鈴々と鳴り響く音を背に。
幾歩か。
歩んだ所で身を震わせた。
春はまだ遠い。
凍て空とまで言うには、だが。
何気ない様子で歩き。
やがて遠くに見えたタクシーに手を振る。
幸い乗せていなかった。
近付いて来、開かれたソレに身を滑り込ませた。
一瞬だけ、秋原町の一角、遠くを何ともなしに見詰めてしまってから。
タクシーを降りる。
お札を一枚。
返された幾枚の札と小銭を受け取ってから。
軽快に走り出したタクシーに視線も向けず、ワイリーは歩を進める。
待ち合わせ。
それがあった。
人に会う。
ソレを伝え、ゆりことミヤビ、その双方に指示を出したのだ。
とは言ってもそう難しいことではなく。
適当にある町の散策でもしていろ。
ミヤビは護衛の一つにでもなっていろ。
その程度の話だ。
終わった後の待ち合わせに選んだのが、其処。
駅近くの銅像。
昔の、忠犬の銅像の前でだった。
「…………」
人は、多い。
PET。
その有用性が広がれば、駅前の銅像を目印にする必要も減るだろう。
しかし、今暫くは変わることはない。
技術の進歩に一般人が付いていくには遅い。
ワイリーからすれば、カタツムリか亀のように。
遅過ぎる。
言っても仕方ないことだと理解しているが故、ただ鼻を鳴らすに留めた。
それに、わざわざ待ち合わせ場所を選んだワイリー自身にも言えることなのだ。
進歩がない。
と言うのは。
緊張。
連絡を直接することへの。
ゆりこに持たせている小型のパソコンか、あるいはミヤビのPETか。
そこに連絡を入れれば、わざわざ待ち合わせ場所を設定する必要など、なかったのに。
時間稼ぎ。
あるいは。
心の整理。
そのようなことをする時間を、ワイリーは欲しても居た。
「お、おっちゃーん待たせたぁ?」
「おー? コイツが例のかよ?」
「そそ。でも、な~に? なんかネクラ? 元気ねー。トシのせい? キャハ!」
「こんなシャバいジジイでイけんのかよ、あァ? ゆりこちゃ~ん?」
「でもぉ。キャンピングカー持ってるぐらいナウなんだからいけっしょ?」
まあその余韻は一瞬で砕け散ったのだが。
ゆっくりと、顔を上げた。
先に居たのは、二人。
赤いボディコン気味の、キツめの化粧をした小柄な女。
ねめつけて来る、リーゼントの男。
呆けたように口を開けたのは一瞬。
周囲からの視線が集まっていることに気付き、ワイリーは軽い咳払いと共に腰を上げた。
「おお、すまんすまん。そっちのが彼か?」
「キャー! 彼だってぇ!」
「ケッ! さっさ行こぉぜ、ジジイ」
「おお……うん」
ケラケラ笑うのとオラついている二人組を先導する形で。
ワイリーは近場のタクシーを呼び止め、乗り込む。
助手席に。
併せて後ろにその二人組も連れて。
一瞬ギョッとした目をワイリーに向けた運転手だが。
何事もないように目的地を告げる姿に口を開かず、運転へと移った。
無言の前席。
後ろはキャイキャイと騒がしいのを努めて無視。
何事か口にする運転手の言葉も即座に後ろの騒がしさに呑まれ。
おおよそ十分ほどだろう。
駅から少し離れた所で止まり、さっさと降りていく二人を放っておく形でワイリーは会計を済ませた。
逃げるように去っていくタクシー。
それを背に、駐車場に止めていたキャンピングカーへと近付いて行く二人を眺める。
そのまま鍵を差し込んだのだろう。
さっさと後ろに乗り込んだのを見届けてから、ワイリーも遅れて乗り込んだ。
「……遅かったけど、何かあったの?」
「いや、別に……」
ボディコンの女。
もとい、ゆりこ。
それがウィッグ等を取り外しながら、聞いてくる。
幼さを隠して若い女に成り済ましていたのは見事な変装技術であった。
ワイリーとしては、別れた時の格好と違い過ぎて軽く引いたが。
「………………」
無言で髪型を戻す男。
もとい、ミヤビも同様。
如何にもな若者だった。
しかし既に派手な服装を脱ぎ捨て、何時もの何やら古めかしい和装に戻って、片隅に立っていた。
「……報告は必要でしょうか?」
「いや、要らん。ありがとう」
「報告ってなに?」
「…………そうじゃな、伝えておこう」
鏡を見ながら化粧を落としていたゆりこから、声が掛かる。
躊躇は数瞬。
ミヤビと視線を交えたワイリーだったが、口を開いた。
「ゆりこ」
「なに?」
「今日、ミヤビと一緒に行かせた町はな、記憶を失う前のお前が住んでいた町じゃ」
瞬間。
ゆりこの動きが止まった。
化粧を拭う手は。
しかし対照的に、その目が揺れ動く。
気付いていないように。
気にしていないように。
そのようにしながらも、
「――記憶喪失から戻す手段の一つに、思い出深い場所に行くとある。そう調べた。どうやら、ダメだったようじゃな」
微かに声音を上擦らせながら。
何でもないように。
ワイリーは言った。
五感。
環境。
人物。
本来、住んでいた場所。
その町の匂い。
その場所の思い。
そこに住む人達。
それ等と接すれば、記憶も蘇るかも知れない。
丁度、聞きたいことがあった。
丁度、近くまで行く予定が立った。
丁度、案内をさせられる人物が居た。
だから、頼んでいたのだ。
無駄になったが。
「――――――――記憶が戻ってたらどうしたの?」
「別に。帰れば良かったと思うておる。ミヤビにはそう伝えていたしな」
「…………」
「趣味悪ぅ」
無言で腕を組んでいるミヤビを半目で睨み、ゆりこが呟く。
言い訳もない。
ただ、目を閉じて佇む。
依頼されればその通りに動く。
だからその通りにした。
忍びとして、当然のことでしかない。
「で、どうするの? お、じ、さ、ま?」
「別にどうもせん…………と言いたい所だが、一応は聞いておこう」
「なにを?」
「どうする?」
「住んでた場所、見て回ったのに記憶が戻らなかったんだもん。家族に会っても希望が薄い、でしょ? なのに会ってどうするの……?」
ワイリーも。
ミヤビもまた。
沈黙を答えとした。
それが何よりも雄弁なことだった。
家族に会わせたとして。
もし、相手に気付かれれば。
もし、それなのにゆりこが思い出せなければ。
それほど残酷なことはない。
故にこそ、ワイリーは接触はないよう依頼していたことでもあり、ミヤビはその通りに努めた。
もっとも。
既に遺族として追い回されるのを嫌い、引っ越したとワイリーは調べを付けていたのだが。
そこは語らず。
万一の備えとした程度として。
「…………」
「居ても良い? おじさま?」
「……好きにせい」
「ありがと」
話はソレまで。
それ以上は誰も口を開かず。
各々の場所へと戻る。
ミヤビは運転席へ。
ワイリーは機材の一つの前に腰掛け。
ゆりこは、そのまま。
顔にまだ残っているモノを落とすため。
鏡を見ながら、その目元を拭った。