宵の闇。
灯篭の光。
妖しい揺らぎ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ…………」
「――――凄い声ですな」
「……うっさいわ」
立ち込める湯気の中。
ワイリーとミヤビ。
二人は湯に浸かっていた。
観光シーズンを少し外れた山中。
お陰で人も少ない、離れた宿。
普段はキャンピングカーで研究ばかりのワイリーだが、今宵ばかりはたまの休息。
温泉宿に泊まることとなったのだ。
流石に一流の有名処は、ともなったが。
ミヤビ、忍びの力でおすすめを探し当てた上で。
百聞は一見に如かず。
地方は、ナナシュウ。
場所は、うふふ院。
「近場の名湯ほどではないが有名処にある湯に一度浸かるのは一つの経験にもなろう」との言であった。
「ワイリーさんも飲まれるか?」
「今はいらん」
そのようなことを言っていたミヤビ。
顔を赤らめている姿こそ酔いどれに見えよう。
いや、そうとしか見えない。
だが、傍らで徳利をお猪口に傾ける姿は、様になっていた。
それは肉体。
石から直接彫り出したような作りを見れば、ただの酔いどれと見間違ごう者は居まい。
滅多にない休暇に、身を休めている。
他に人の姿の見当たらないこの場では、そう思う者は居なかろうが。
実際。
本州は当然、うどんで有名なイヨの方も回ってしまった後。
ニホンでは本格的に最後の地方である。
しかもそれも、半ば回り終えている状況も相まってのことだった。
しかし今回、実を言えばストーンマンからの苦言でもあった。
外を出歩く機会は、たまのフィールドワーク。
海や山を探索することはあっても、概ね車内。
座りっ放しが健康に良いハズもない。
「……そういえば」
「ん?」
「何体かネットナビを作っていたようですが、アレは?」
「あぁ……ワシのネットナビの劣化コピーが出回っているようでな。元から処分させるためじゃ」
「劣化コピー……それは、調べましょうか?」
「いらん。もう済ませてある」
「然様で」
苦笑を漏らし、ミヤビは酒を呷った。
運転手をやっているというのもあるが、夜ぐらいであれば役に立てる自信はあったのだ。
しかしまさか、ウラインターネットなる世界各地に繋がっているネットワークに関わる事柄と分かるはずもない。
そしてそれに対応したのが、現状ワイリーの創り出した最高峰のネットナビ達十数体。
下手しなくとも、国家の中枢システムを乗っ取るぐらい訳のない連中である。
等というのも、普通ならば一笑に付す話。
と言うよりも。
下手に電脳システムに頼っている国家であればミンチより酷いことに出来る等、言っても誰も信じたくないし、笑ってなかったことにしたいだろう。
閑話休題。
そのようなことで、ワイリー達一行は温泉宿に一泊していた。
当然、この場には居ないがゆりこも居る。
だが生憎、そちらは温泉よりも街歩き。
宿の外へと繰り出していた。
大人達と違って、食事の後でも温泉は十分に楽しめるとの心算もあってのこと。
幾らかお小遣いにゼニーを渡されてもいたので、土産物屋で温泉饅頭なんかを眺めていた。
結局そのまま何も買わずの冷やかしで終わるのだが。
二人はゆっくりと、温泉に浸かっていた。
山中。
交通の便が然程良くはない。
むしろ悪い。
それでもミヤビに油断はなかった。
酒は入ろうともミヤビは忍び。
それも、集団の未来を担う頭になることを実は内定している天才。
多少の揺らぎはあろうとも。
ワイリーもまた。
アメロッパにて若者であるバレルの訓練を付けられるだけの体力はある。
同時に、相応の能力も。
故にこそ、
「……ん、っ!」
「…………ほう?」
一筋の風。
揺蕩う湯煙を切り裂いた後。
その湯気よりも白い、白髪白髭の老爺。
元からそうであったような赤ら顔で。
ミヤビの隣、脇に置いてあった徳利から自身の盃へと中身を注いで、居た。
一息。
ワイリーを守るように。
そして間合いを計るように湯の中で立ち、ミヤビが構える。
その背後。
尻を向けられている形となっているワイリーは気にも留めず。
ただ、両肘を変わらず石の縁に乗せながら無遠慮にその目を向け。
軽く感嘆の息を吐いた。
小柄な老爺。
真っ白な髪と髭は、恐らくその小柄な体躯の臍辺りまでは長いだろう。
湯を吸い上げた結果、幾つかの房のようになってはいるが、一際高く赤い鼻がそれらを割って顔を覗かせていた。
数多の皺のある、しかし不思議と老いを感じさせないその顔を。
「ほっほっほ、郷に入っては焼酎のイモか、悪くはない」
「………………」
「おお冷たいのう。腹まで冷えそうじゃ、カッカッカ!」
真正面からミヤビの抜身の刃の如き警戒を向けられてもなお。
我関せず。
柳に風。
そう言わんばかりに流している様相。
只人ではない。
しかし故にこそ、ワイリーにとっては不審でもあった。
何故、わざわざ不審を買うように現れたのか。
唐突に姿を現す術があるならばもっと上手く出て来れたろうに、と。
「…………」
芋焼酎のロック。
それを、朱塗りの盃で以て呷る。
温泉に浸かりながら。
何とも贅沢に愉しんでいる老爺を尻目に、ミヤビの警戒は緩まない。
後ろ手にワイリーへと合図を送る。
下がれ、と。
敵意も害意も見られないが。
しかしプロに任せるべきだろうと一先ずの納得をしたワイリーが身を起こした。
ところで、
「ワイリー殿」
「!」
「……なんだ?」
「一つ、頼まれて欲しい」
「内容に依るな」
「ワイリーさん」
「一先ず聞こうじゃあないか、ミヤビ。で?」
口にしながら再び湯の縁へと背中を預けたワイリー。
その姿を見、盃を縁へと置いた。
そして心なしか姿勢を正し、真正面に向き直るようにして、口を開いた。
「なに、おぬしには一つ、ネットナビを作って頂きたくてのぉ」
「作ってやる理由がないわ」
「急くな急くな。無論、満足頂けるだけの礼の用意はある」
「……その、満足できると言う礼の内容だけでも聞こう」
聞き飽きた。
そう言わんばかりの調子の断り。
当然である。
ワイリーには、この手の嘆願等、聞き飽きるほどに聞いてきた。
あるいは、耳が腐るほどに、か。
またその手の輩であろう。
失望と共に老爺への関心を失い掛けた所で追加された文言。
それには、僅かばかりの興味を向けた。
僅かばかり。
その返答次第では本当に興味の欠片すらも失うことは見て取れるほど、冷めた瞳。
流石にソレを揶揄うようなモノではない。
そう、理解したらしい。
髪の間から覗く瞳を細め。
一言、
「おぬしの探しているモノの持ち主を」
端的に。
言った。
対して、
「ほう」
再度、ワイリーは感嘆の声を漏らす。
無遠慮な視線と共に。
否。
先程までのモノよりも、幾分も鋭さの増した視線を。
熱。
熱気。
いや、湿気か。
植生からして、違う。
港から離れて幾分か。
町中。
運転する車中から見える景色。
幾重にも、腕ほどかそれを超えて伸びた葉。
木から垂れ下がるように伸びているのは蔦か。
時折に見える町中の小道。
その先には植物のトンネルが垣間見えることもあった。
「…………道に間違いは?」
「ないない。間違えているようであれば伝えるわい」
「そうですか」
端的な返事。
それに何か可笑しさを見出したのか。
老爺は笑い、瓢箪から酒を呷った。
ミヤビの隣の助手席で。
端的に言えば。
ワイリーは老爺の話に乗った。
目的の代物を真に理解しているのか。
特段、誰に言っている訳でもない事柄を知っているらしき老爺への関心でもあり。
あるいは、未知への興味でもあるか。
老爺。
さらりと温泉宿の宿泊にも、流石に別室でだが、紛れ込んでしれっとワイリーに支払わせていた人物。
ソレは己を、風天老師。
そう名乗った。
自らを老師と名乗るある種の豪胆さには。
無味。
呆然。
興味。
各々がそのような感情を覚えていたが、ともかくとして。
案内、である。
ナナシュウより車ごと船に乗り込んで暫く。
辿り着いた先。
船から降りれば、案内を風天老師に任せるがまま。
些かの警戒を、あえて、顕わにしている二人を他所にワイリーは気にも留めていなかった。
ただ、機械を稼働し、その数値を計る。
かと思えば徐にキーボードを叩き。
そうした中で、ストーンマンと幾らか言葉を交わす。
鋭い視線のまま。
『ゆりこぉー! ゆりこぉー!』
「……やめて…………ホント……」
その脇のベットに倒れているのは、ゆりこ。
どうも船との相性が良くなかったらしい。
熱こそないが、ぐったりと伏していた。
流石にお勉強はお休みとして、一時ばかりの休養と言う形になるか。
「……風天」
「なんじゃ?」
「宿はアチラが取っているんじゃろうな?」
「さあ……?」
「さあ?」
「それなりの家じゃ。必要なかろ」
「そっちか。うむ、分かった」
チラとゆりこを一瞥し、ワイリーの視線が画面へと戻る。
現状の持ち物。
遺物。
二つはマグネメタルを利用した遮断箱に入れてあり、無力。
とはいえ、弱っている人間を近くにおいてはどのような影響を及ぼすか分かったものではない。
幾つか予備の箱もある。
現地に着けば、件の代物もそちらに入れて調べる方向に話を持っていきたいと思っているが。
果たして。
風天を使いと出すような人物が、どの程度の癖のある人物であろうか。
徐々に強くなっていく、特殊な電波の値。
間もなく、逢う。
数値が示しているだけに、何とも言い難い心境であった。
やがて到着したのは、如何にもな、シーサーアイランド特有の家。
まず家を囲うようにある塀。
高さこそワイリーが中を覗けるほどしかないが、一つ一つが煉瓦などよりも余程大きく、それこそ子供ほどはありそうな岩の段々。
赤とも茶とも付かない色合いをした瓦。
その下の、開放感溢れる民家のような一角。
軒下で、麦藁だろうか帽子を被った妙齢の女性が一人、団扇で己を仰いでいた。
「や。連れて来たぞ」
「やー――これはこれは、よくお越し下さいました」
塀越しにもキャンピングカーが見えていたのだろう。
首を小さく傾げていたその女性だったが、風天が塀の中に入って片手を挙げた所で目を丸くしていた。
完全に油断していたのだろう。
慌てた様子で身形を確認しながらも、立ち上がり、深々とその頭を下げ、
「あ、あらららら」
落ちた麦藁帽を懐に拾い上げ、曖昧に笑った。
笑うしかなかった。
連れて来られた側からすれば、そう言うべきなのだろうが。
そうして。
時間は幾分。
ゆっくりと。
否。
目まぐるしく。
流れに流れて、
「――風天さん?」
夜。
家の外に見える明かりは僅か。
大きめの卓袱台のようなテーブルを囲い、六人が居た。
「来られるのなら来られるとちゃんとご連絡して下さいな」
「ほっほっほ、すまんすまん」
シーサーアイランドと言えば。
これ。
泡盛。
とでも言わんばかりの具合に自身の杯に注ぎ呷る赤ら顔の風天を、軽く睨むように女は見ていた。
五十嵐ソウ。
彼女は自らをそう名乗った。
とは言っても、挨拶もそこそこ。
慌ただしく出ていった様はあまりにも無警戒と言うべきか、無防備と言うべきか。
よもや、風天に任せたとは言っても、子供を置いて出ていく慌てよう。
それに関してワイリーが言えることはない。
むしろ、何の連絡をしなかった風天が悪いのである。
自身等を含めて四人。
急に、予定のなかった客が来るともなれば準備が忙しくなるのは道理でしかない。
「ランちゃん、何でも食べれて偉いわねぇ」
「ん!」
六人での食卓。
急に増えた人間に対して、大して気にしていない様子は大物か。
歳は何とも言い難いが、背丈は一メートルほどはあろう。
口一杯に頬張っている姿を微笑ましそうに眺めている、多少顔色が悪いままのゆりこを尻目にチャンプルを皿によそう。
チャンプルと言っても種類があるらしい。
生憎、ワイリーはゴーヤが入っているものしか知らなかったが。
ランチョミート。
曰く「種類は色々ありますけど、分かり易く言うと花の名前の物が一番良い」らしい。
子供でも食べ易いソレに舌鼓を打ちながら、視線を一角へと向けた。
何気なく。
仏間、と言うべき場所に飾られている代物。
笛。
ワイリーは既に、ソレが件の代物であるというのは分かっていた。
しかし、聞くタイミングがなかった。
来て早々。
恐らく呼び出した張本人であろうソウは食材を買いに出てしまい、戻ってきても料理を始めてそれどころではない。
そもそもワイリー達もワイリー達で、ランの相手をしていてそれどころではなかったのもあった。
普段から修行しているミヤビとゆりこと違い、ワイリーは別に普段から鍛えてはいない。
フィールドワーク程度は余裕をもって出来る。
それだけの体力はまだまだある。
しかし、子供を相手にする体力はまた別なのだ。
何とも言えぬ倦怠感。
島豚の生姜焼きだとか説明されたものを肴に、泡盛を呷る。
今日は何かもう良いかな、と言った気分であった。
酒を呷る。
箸を進める。
最近どうだったか、とでも言うような雑談がその耳を通り過ぎていく。
何時しか食事はなくなり、肴ばかり。
ランとゆりこの姿も既にない。
そりゃあ、だらしない大人の姿だ。
子供に見せるような有様ではなかろう。
とは言っても、そのようなザマなのは、ワイリーと風天の二人ばかり。
スーパーで買ったばかりと思しき雑な代物を嬉々として開き、呵々と瓶を空けていく風天の所為で、あまり出したくなかったのだろう。
そのような顔に見えた、ハブ入りの酒まで雑に半分ほど空けたあたり。
また一つなくなった肴を呆れ顔で眺めたソウが、幾度目になろう、仕方なさそうな仕草で席を立った際。
事件は起きた。
「…………ほっほっほ」
「おい、ヒューテン、にゃにしとる」
「ほっほっほ」
「………………はぁ」
「みやびぃ、みやび、とめんか!」
「……まあ、良いんじゃないですか?」
「ほっほっほ」
さりげなく。
風天がソウのコップの中身を自身の杯に注ぎ、そのままハブ酒を代わりに入れた。
最早、呂律の回っていないワイリーが止めようとしても、笑ってばかりで無駄。
と言うよりも笑ってしかない。
態度が変わっていないように見えるだけでこれはもう、相当酔っているのだろう。
諦め。
と言うよりも呆れ。
そのような色を瞳に宿したミヤビが、諦観と共に呟く。
夜空は良い天気。
本土の方ではまず見えないだろう、家の中からでも見える星々。
油断なく自身のカップは確保したまま、遠くを見つめるミヤビ。
我関せず。
忍びはただ、陰に偲ぶのみ。
席にありながら気配を消すが、それはあまりにも甘かった。
「……何をやっておられるのやら」
頭が痛い。
倒れ伏し、ジタバタと暴れているワイリー。
それがまさか自分のために何かしようとした残骸だと知る由もないソウは、追加の肴を持ってきて、そのような顔をした。
そしてそのまま、何の警戒もなく自身のカップに口を付け、
「……………………」
一瞬にして赤ら顔。
胡乱な瞳が宙を彷徨い。
「…………うぃー……っく」
嵐を巻き起こすまで。
あと僅か。
神殿。
または、城。
ワイリーから見れば、宮。
それほどの高さのないが、広い領域。
かつて、シーサーアイランドが王国だった頃の名残。
その中。
五十嵐ソウ。
ワイリー。
それに、風天老師。
それら三人が対峙するように座っていた。
残りの三人。
ゆりこ、ミヤビ、ランは全員、外で遊んでいるのだが、ともかく。
「――――改めまして、此度はシーサーアイランドにまでご足労頂きありがとうございます」
装束も民族的な衣装に改め。
恭しくその頭を下げる。
一挙手一投足。
指先の一つにまで細心を行き届かせているような、所作。
さながら、神威を宿しているかの様相ですらある。
ワイリーは内心、感嘆の息を吐く。
一昨日のへべれけた様からは想像も出来ない。
昨日の、四人全員で倒れ伏していた様相からは考えられない。
その有り様を。
なるほど。
これであれば確かに、ただ顔を見せただけで最奥まで通れる訳だ。
只人ではない。
思わず居住まいを正してしまったことに苦笑しながら、ソレを見やった。
最奥。
祭壇。
そこに在る、笛。
今日、共に移動する際に何気なくソウが此処まで運び込んだ代物。
既にその正体を、そもそも初日の時点で、ワイリーは分かってはいたが。
「では改めて――ワイリーである。其方の要望は既に聞いている……ネットナビを創って欲しいとのことじゃが、その理由までは聞いておらん」
故に、話せ。
そのように、暗に示す。
小さく頷き、その口は開かれた。
「まず初めにこの度、お願いすることになった経緯からお話させて頂きます」
「ほぅ」
「私はかつての王国時代ではチフィジンと呼ばれていたノロの子孫に当たります。そもそもノロと言うものはオナリ信仰から……話が逸れますので先に進ませて頂きますが、王にある種、仕えておりましたチフィジンですが王国の廃絶と共にその代が途絶えた訳ではありません。このように神殿の奥にまで入れていることが証左です。あとは……他の三十三君の皆様も来れるでしょうか? そう言った意味で、ユタの皆様とは異なる特権、とでも言えば良いでしょうか。と言うのも王国にて代々受け継がれている祭器の中には手入れの手間等と言った都合から口伝にてその取扱い方を継承されてきている物もありまして」
「すまん。長くなりそうなら結論から入って貰って良いか?」
流石にワイリー。
遮った。
本題に入るまで紆余曲折の末、これは一時間以上掛かると考えたためであった。
「えっ……これでも短く話せるように色々と省いているのですが……」
「とりあえずネットナビが欲しい理由を言え」
「そうですか……まずはそのためにも王国について知って頂きたかったのですが……」
残念そうにその身を窄めた。
顔も少しばかり悲しそうな色を帯びているが、助け舟は出さない。
出せば嬉々として、本当に、かつての王国についてを延々と語り出すことが想像できたためである。
専門用語込みで。
「チフィジン」だとか「ノロ」だとか、この時点で何を言ってるのか分からず割とお腹一杯であったのだ。
悪いことではない。
それだけ、自身の仕事に対する誇りだとかを持っていることの証明でもあるのだから。
だが、今、それを発揮されても困るというもの。
割と意志が固いのを察したのだろう。
小さくため息を吐き、しかし崩れていた姿勢を戻し、視線を合わせた。
「――――『環境維持システム』についてはご存知でしょうか?」
「知っている」
「! 流石です」
感嘆。
素直な驚きに満ちた顔には何も言わず、ただ先を促す。
頷き、進めた。
「いわゆるコンペ、と言うものでしょうか? ソレをそう遠くない内……聞く所、一年ほど先にするということなのです」
「コンペ?」
「環境維持システムの管理を行うネットナビを選定するコンペ、です」
「要件は?」
「規定以上の処理能力と倫理観。それに、戦闘能力――――詳しくは此方にある通りです」
徐に立ち上がり。
近場の、朱塗りと思しき棚。
その引き出しを開いたかと思えば、一枚の紙を取り出し、見せた。
受け取り見れば、なるほど。
表紙にデカデカと記された機密文書の記載は無視して。
『環境維持システム』。
その、簡素な説明。
そしてその制御や調整を地方でも出来るよう、アクセス権を有するネットナビを選定すると。
「………………なるほどな」
「当然、科学省よりネットナビが出てくることも予想されます」
「別にそれでも良いのではないか?」
「まあ……私個人では構わないのですが……」
返しながら尋ねれば、浮かべているのは微苦笑。
それを見れば察するものが少なからずある。
例えば。
そう、例えばの話。
かつての王国の名残り。
累々と積み上げられてきた歴史。
今でこそ一地方ではあるがと有するプライド。
シーサーアイランドの自然を本土に任せて良いのかという反発。
等々と。
ワイリーが軽く考えるだけでもこれだけ浮かぶのだ。
内実、もっと仰々しく鬱々とした物事が渦巻いているのだろう。
「…………まあ其方の苦労も幾分察するが、それで? ワシとしてはそれを聞いてむしろ関わりたくなくなったんじゃが……」
「この場所にある物でしたら好きなように調べて下さって構いません」
「………………全てか?」
「全てです」
「それはさっき言っておったチフィジン? だとかの総意と言うことで構わんのか?」
疑念にただ、微笑んだ。
さしものワイリーも眉を顰めた。
明言しない。
その一事。
詰まる所、暗黙の了解ということだろう。
それこそ、この場所。
ソウは『神殿』と口にした場所の最奥。
学者と言われるような人間が今まで幾人、此処まで来れただろうか。
しかし逆説。
もしもコンペで落ちようものならどうなるか。
そのもしもは、ワイリーにとって起こり得ない仮説でしかない。
そしてそもそも、ワイリーの関心は一つ。
どれほどまでに歴史的な価値があるモノが周囲にあろうとも、ただ一つ。
唯一。
「であれば、その笛を調べたデータは此方で好きにさせて貰う。それで良いな?」
この中で唯一、
電波を醸し出している笛のみ。
「構いません。ただ、それを用いたネットナビを作って頂ければ」
「良いじゃろう。では、交渉は成立としよう」
「はー……終わったか」
頷いた両者。
ソレを見届け、風天が立ち上がった。
腰を回すようにしながら。
一瞥し、収める。
第三者として立会を求められていたのだろう。
その程度の分別は付く。
さっさと外に向けて歩き出す姿に二人、思わず顔を見合わせ、後に続く。
ソウだけ一瞬戻って笛を手に。
「では調査が終わるまでお渡ししておきます。壊れないとは思いますが、壊さないで下さいね?」
「うむ」
何でもないように、手渡した。
何でもないように、受け取る。
そしてポケットの中へと滑り込ませた。
それに対する言葉は、何もない。
当然、どのような代物かは分かっているのだろう。
「そう言えば」
「はい」
「おう」
「お前達はなぜ、無事なんじゃ?」
ふと、些細な疑問。
笛を渡されたことで思い到った事柄を口から出した。
対する二人は顔を見合わせ、曖昧に笑った。
「私はそもそもノロとして」
「長いなら言わなくとも構わん」
「……神を宿す巫女として修業していますから。あくまでも一時だけこの身に神を――まだ小さいですが、娘も同様です」
「ほっほっほ。わしは伊達酔狂で老師と呼ばれては居らんよ」
「呼んだ覚えはないがな」
ソウはともかく、風天は答えになっていないがワイリーは追及せず。
そのまま誰とも擦れ違うようなこともなく、話しながらも扉を幾つか通り過ぎながら数分ほどか。
三人は外。
宮に囲まれた広場、とでも言うべき場所に出た。
といっても、入る時に通った場所であった。
扉に鍵を掛けているソウを横目にワイリーが周囲を見渡せば。
幾らかの観光客らしき人影。
屋根の下、神殿と言うだけあって台座のような場所に置かれているのは供物か何かか。
食品や酒だけでなく、珍しいことに何故かバトルチップなんかも供えられている。
バトルチップ。
外に置きっぱなしでは不具合でも起きそうなモノ。
半ば呆れ眼で暫く見詰め、広場へと視線を移した。
ゆりことミヤビが、ランの相手をしてやっている。
ランの存在は珍しくもないのだろう。
見える警備員も特別気にするでもなく、広場を駆け回っているその姿を見守っていた。
だが、
「……………………」
ワイリーがその中。
捉えているのは一人。
ゆりこ。
追いかけっこに興じている。
それは確かだが、
「…………相変わらず顔色が悪いな」
一昨日。
いや、それよりも前からか。
船に乗り、シーサーアイランドに来てから。
否。
あるいは着くよりも前から、調子が悪そうに見えていた。
悪化はしていない。
調子を多少、取り戻しているように見える。
だが、続いている。
それがどうにも、気に掛かっていた。
しかし、相性が悪いのかと首を傾げるしかなかった。
「恐れが見えるな」
「……恐れ?」
そうして歩を進めようとした刹那。
ひょっこりと脇から顔を出してきた風天がそのようなことを口にした。
ワイリーとて、評価すべき部分は評価する。
この老人がただの酒飲みでないことぐらい、当然ながら分かっているのだから。
髭を撫でているその姿を横目に、耳を傾ける。
白毛の奥。
微かに覗く瞳。
帯びている光は、憂いか。
「自然への恐れかのぅ」
「自然………………チッ」
数秒。
自然に思いを巡らせ。
気付き思わず舌打ちした。
迂闊。
そうとしか言いようがなかった。
船に乗ってから調子がおかしい。
その時点で気付くべきだったのだ。
あるいはそれよりも前から、多少の挙動不審があったかも知れない。
風天に気を取られていたとしか言いようがなかった。
だがそれでも、考えを巡らせておくべきだった。
ミヤビは、まあ、気付かなくとも無理はない。
ゆりこを拾ったのがどのような状況だったか等、言っていないのだから。
海へのトラウマ。
普段見えないのは、四方が海である機会が殆んどなかったからだろう。
あってもおかしくない。
いや、むしろあって当然のことだった。
最も古い記憶が、水底に沈んでいく自分の記憶しかない少女には。
気付いたらしい懐のPETからも、どこか呻きに似た声が漏れ聞こえた。
しかしそれに構う等、無駄。
反省する時間は、移動する最中にでも取れば良い。
「――ソウ、風天」
「はい。いかがされたでしょう?」
「なにかのぅ?」
「急ですまんが明日にも此処を出る。調査が終わるまでは笛を預けてくれると言う話じゃったが、国外でも有効か? ならばネットナビの件は受けよう」
「…………」
「わしが付いていくのは構わんかな?」
言い淀んだ形のソウを前に、変わらず髭を撫でている風天が何でもないように問う。
自ら目付け役を買って出た形だろう。
些かの間。
悩まし気に、眉間へと皺を寄せていたソウだったが。
最終的に、若干の苦々しさを込めつつも頷いた。
「――――――風天さんに預ける。そのような形であれば……ただ、あまり長くは」
「許可は降りたのう。であれば、次はチョイナへと行こうかの」
「なに勝手に行き先を決めとるんじゃ、貴様」
そのようなことを言う風天を軽く睨むように見る。
付いてくるのは仕方がない。
このような、海に囲まれた島からはさっさと抜け出してしまうべき。
そして現実的に言えば確かに其処にはなろうが、それを勝手に決められる筋合いはない。
だというのにその様相は変わらない。
「おや、次の案内は要らんのかな?」
悪戯っぽく、笑みを浮かべるばかり。
ワイリーでも無視できない言葉を口にしながら。
「――次?」
「お主の探し物の持ち主。わしは一人しか知らんと言った覚えはないんじゃがのぅ? ほっほっほ」
軽やかな足取りで。
さっさと広場の三人の下へと向かう風天。
一瞬だけ視線を合わせたワイリーとソウだが。
深く頭を下げたソウに片手のみを上げ、その後へと続いて行った。