7回表聖タチバナ学園の攻撃。
エラー直後、四番にタイムリーが生まれ、勝負の振り子は徐々に聖タチバナへと振れ始めた。なおもツーアウト・ランナー二塁で、五番打者は初球をユニフォームをかすめる死球で出塁し、チャンスは拡大。続く六番も粘り強く喰らい付く。追い込んでからの投球パターンのナックルを見極め、次球の際どいコースのストレートもカットして逃れた。
今までとは明らかに変わった戦法に、帝光の監督の表情がやや硬くなる。
「(あからさまに粘るようになってきた。まあ、常套手段ではあるが――)」
スライダーを踏み込んで振り切った。打球は一塁側の内野スタンドで弾み、ファウル。
「(と思えば、これだ。今までは追い込まれてからのナックルだろうと体勢を崩さず振ってきた、その迷いのないスイングが、序盤から鈴本にプレッシャーを与えていた。だが今は――)」
カウント2-2からの6球目、真ん中外寄りから外角へ流れていったナックルを追いかけ、体勢が崩れることも構わず、バットの先端でかろうじて、カット。
「球数は?」
「93球です」
「(93⋯⋯120までは許容内だが、この回だけで既に20球近く放らされている。1イニング20球を超えると、パフォーマンスが徐々に低下していく。本来ならここらで、シュートを混ぜた組み立てに変えるのだが⋯⋯)」
今日は序盤から、シュートを組み立てた投球をしてきた。配球を大きく変えることは難しい。加えて、鈴本のシュートは芯を外すツーシーム系ではなく、三振も奪える変化の大きなシュート。逆方向へ回転を捻りかけるシュートを序盤から使用していたことで、肘への負担も通常の登板よりもかかっている。
そして、シュートの多投にはもうひとつ懸念が――しかし、聖タチバナはもちろん、帝光学院の監督も今はまだ気づいていない。
「(ブルペンを用意するにしても、一点差で鈴本を降ろす度胸はさすがにない。代わった投手から追加点を奪えないのも想定外だ。とにかく今は、球数を節約して凌ぐ他ない。いいな?)」
ベンチの様子を窺っていたキャッチャー千葉は、監督が出したブロックサインに頷くと前を向いて、鈴本へサインを出す。
かさむ球数、相手の出方を考慮し、バッテリーはナックルを続けた。
『空振り三振! スリーアウトチェンジ! 最後は、膝元へスッと変化したナックルボール! 鈴本選手、一点は失いましたが追加点は許しません! 帝光学院7回裏の攻撃は、7番から下っていく打順。上位へと繋いでいけるか。それとも、聖タチバナ学園のエース・橘選手が踏ん張り望みを繋ぐか? 目の離せない攻防に胸の高鳴りが抑えきれません!』
追加点は奪えなかったが、なかなか答えが見えず漠然と続けて中、ようやく意図的に配球を変えさせることに成功したことで、聖タチバナに落胆の色はない。
「よしっ、聖いくわよ」
「気合い十分なのはいいが、空回りしないようにな」
「するわけないでしょ。やっと来たこっちのペース。絶対手放すわけないじゃんっ!」
「うむ。いくぞ」
下位打線から始まる裏の守備を、宣言通り三人で切ってみせたみずきは意気揚々とベンチへ戻ると、マネージャーからスポーツドリンクが注がれた紙コップを受け取り、ベンチで休憩。彼女の隣に腰を降ろした聖はプロテクターの上を外しながら、ピッチング内容について話す。
攻撃の指揮を執る和花は、回の先頭打者を除いた出場選手たちへ改めて、作戦を伝える。
「ナックル以外は今まで通りっすか?」
「はい。追い込まれてからは可能な限り、カットに徹してください」
「あくまでも、ヒットを狙いながら、際どいコースはカットか⋯⋯」
「難しい要求をしていることは解っています。ですが、出来なければ勝機はありません。それと――」
セットポジションで投球練習を行う鈴本へ一瞬視線を送り、和花は視線を戻す。
「シュートは選択肢から外してください」
「根拠は?」
「多投の影響により、球威が落ち、シュート回転の棒球同然です。漆原さんに打たれて以降、一球も投げていません。認識を改めてください」
「了解。ストレート、スライダー、各々狙いやすい方に絞って対応だな」
話し合いの最中も続いていた試合は、この回先頭打者の6番バッターが前の回に受けた和花の指示通り、ストレートに照準を合わせつつ、スライダーを対処するセオリーに徹していた。
『外へ逃げるスライダー、ファウルで逃げました。次が6球目』
「(先頭バッターに6球。節約しろって言われたのもあるけど、長々と付き合ってられるかっての。次で仕留めるぞ)」
頷いた鈴本の6球目は、ナックル。縦へ大きく変化するも落ち幅が大きく、ベースの手前でワンバウンド。バッターはしっかり見送って、ボール。
そして、仕切り直しの7球目――待っていたインコースのストレートを、しぶとく三遊間の間を抜けるコースヒットを放った。
『聖タチバナ学園、この試合初めて先頭バッターが塁に出ました!』
ファーストベースを回ったところで拳を小さく握ってベースへ戻り、一塁ベースコーチャーとグータッチ。座っていたみずきは立ち上がって、ベンチの最前列で身を乗り出す。
「キタキタっ!」
「みずき、無駄な体力は使うな」
「こんなのでバテるわけないじゃん。どんだけ走り込んで来たと思ってんのっ」
「だとしてもです。次の失点は致命的になります」
みずきを窘めつつ、和花は走者と打者へサインを送る。
サインを受け取ったバッターは、初球をバントの構えからバットを引いて見送る。判定は、ストライク。
「ん? 和花、送るの?」
「いいえ、構えだけです。三塁へ送るならまだしも、期待値が降っていく打順で、簡単にアウトをひとつ渡すつもりはありません」
聖タチバナの待球作は、当然バレている。しかし作戦がバレているがゆえに、バッテリーの思考を動かす。
二球目は配球パターンを崩して、ナックルを使って来た。そして、三球目もナックル。追い込まれていたためカットに行くが――結果は、空振り三振。
「カウント稼ぎにもナックルか」
「思い切って変えてきたわねー。ま、出し惜しみしてる余裕がなくなったってことね。さてと、行ってくるわ」
「相手にとっても、次の一点が重要ということなのでしょう。私も、ネクストへ行きます」
替わりにネクストに立っていた選手と入れ代わって、みずきはバッターボックスへ向かい。和花は、ネクストバッターズサークルで打席に備える。
左打席に立ったみずきは足下を軽くならしながらさり気なく、鈴本へ視線を向ける。
「(次が最終回。もし、私が
みずきは自らの判断で送りバントはせずに、バットを短く持って構える。
初球は、外角へストレートが決まった。バッテリーは二球目も、ストレートを続ける。
「ファウル!」
「オッケー、ナイスボール!」
「(はっや⋯⋯素直に三振しておこっと)」
体力の温存、ケガのリスクを考え無理はしない。みずきがそう考えた直後の一球は、膝元のスライダー。ワンバウンドになりそうな投球に対し、みずきは咄嗟に身体を引いて見逃す。判定は、ボール。
「(追い込んだらナックルのパターンも変えてきたわね。和花)」
「(併殺狙いと断定して構いません)」
いったんバットを手放した和花はみずきへ向かって、ネクストからサインを送る。
「(まっすぐ7割、スライダー3割ね、おっけー)」
視線を戻し、改めて構え直す。
バッテリーは相手が投手のみずきでも油断せず慎重にサイン交換を行う。一度首を振り、鈴本は頷いた。
「(ずいぶん慎重だったわね、私なら決め球を使うけど。ゴロを打たせたいなら、ストレートも、変化球も内側で――って、外じゃんっ!)」
バッテリーの勝負球は、外角のストレート。
内側に意識が向いていたみずきは、手が出ない。
「ボール!」
『際どいコース! わずかに外れました! カウント2-2』
一呼吸置いてから「ナイスボール!」と言って、ボールを投げ返したキャッチャー千葉、そのボールを受け取ったマウンド上の鈴本共に表情がやや硬い。
「(今のは、たまたまか? いや、鈴本はあのコースのまっすぐを投げ損ねるようなヤツじゃねぇ。ん? サイン⋯⋯同じコースにストレート。ダメだ。確かめたいのはわかるけど、一点が重い場面でリスクは負えねぇよ)」
「(わかっているよ。ここは、これで決めよう)」
鈴本が出したサインをなぞって出し、千葉はミットを構える。
「――ストライク! バッターアウト!」
「ああんっ!」
『ストライク! 球審の右手が挙がった、見逃し三振! 決め球は、外角のスライダー。ボールゾーンからストライクゾーンへ食い込んで来ました。ツーアウト!』
「ごめーん、手でなかった」
「併殺ではなかったので結果オーライです。橘さんは、ピッチングに専念してください。この試合長くしましょう」
「おっけー」
腰の前で軽くタッチを交わしたあと、打席へ向かおうとした和花をみずきは呼び止めた。
「あ、そうだ」
「なんですか?」
口元を隠して、打席で感じたことを和花に伝える。
みずきの話しに「わかりました」と答えた和花は、改めて打席へ向かい。打席に入り、足場を慣らして構える。
球審のコール。バッテリーのサイン交換。
「(もし、橘さんの話しが正しいのなら――)」
『ツーアウト・ランナー一塁、バッターは一番に帰って、先ほど惜しい当たりを打った夢城選手。バッテリーのサイン交換が終わりました。鈴本選手、ランナーの警戒は怠りません! 対する城選手、感情を読み取らせないポーカーフェイスは健在です! 聖タチバナ追いつき追い越せるか? しのぎきれるか? 帝光バッテリー。注目の対戦です!』
「(この場面ですべき私の役目は――)」
鈴本の選択肢をひとつ"奪う"こと――。