やっぱり幽霊はいなかったのか――そう落胆するきららだったが、ではかんなが見たものは何なのだろうとの疑問が持ち上がる。
あれこれ考えても答えが出ないまま廊下を歩いていると、被服室の壁にかんなが忍者のように張り付いているのを発見した。
かんなに声をかけようと近づくと、かんなが鋭く振り返って口元に人差し指を当て、怖い顔で「シーッ」のハンドサインを繰り出した。きららは頷いて静かに忍び寄り、かんなの隣で同じ体勢を取った。
――あなたがこんな服を隠し持っていたなんて驚きね。それに、ずいぶん着慣れているじゃない。
――ひ、ひとりのときたまに着ていたから……。
――背筋を伸ばしてちゃんと立ちなさい。なによあなた、こんな服を隠れて着ていたのに、今さら恥ずかしいだなんて言わないでしょうね?
――う、うう、うるさい。私はこういうのに慣れていないんだ。あまりいじめないでくれ……。
部屋の中から詩と美岐の声がしていた。窓からそーっと中を覗いてみると、青地のドレスの上からレースのエプロンを重ね着した美岐が立っていた。いつもの制服ではない、不思議の国のアリスが着ているような愛らしいドレス姿だ。けれど美岐は両腕で体を抱き込むようにして、もじもじとどこか心細そう。詩は椅子に座ったまま、その様を鑑賞するように眺めている。
「かわいいわよ、めいニャン」
「ひゃんっ! わた、わた、わたしが……かわいい!?」
「そう、『かわいい』。あなたのかわいいところはね……」
詩が立ち上がった。指で机の上をなぞりながら、まるで蛇みたいに体をくねらせて近寄っていく。そして美岐の後ろに回り込み、腕から肩にかけての曲線に指を這わせた。
「たとえばこの肩。広くてたくましいわよね――女のくせに」
「ふぐっ!」
「それに、なあにこの腕。筋肉でかちかちじゃない。お手入れもしていないし。すごく無骨」
「いやあぁぁ……」
詩は続けて美岐の腰に手を置き、スカートを少したくし上げて、露わになった太ももを直接触った。
「足だって太くて固い。せっかくの長い足なのに、これじゃあ……ね?」
美岐は両腕を胸の前でクロスさせて羞恥をこらえていたが、詩の指が内股に達すると、目を開けていられなくて、顎もツンと上に向けてしまう。
「こんなに恥ずかしいカラダのくせに、あなたはかわいい服を着れば自分もかわいくなれると思ってる。なんの努力もしないで、ただ服で隠して誤魔化して。そんなあなたってすっごく『かわいい』わよ」
かわいい、の言葉に耐えかねて、美岐はその場にうずくまってしまう。
「もうやめてくれ……。私はこんな自分が恥ずかしい!」
言いながら美岐は、膝を抱えてかぶりを振った。
「ねえ、かんな。これは一体なにをしてるの?」
疑問に思ったきららは小声で尋ねてみた。
「なにって、なんだろう? たぶん羞恥プレイみたいなものじゃないかな?」
「うんにゃ。そっちじゃなくて、きららたちのこと」
「ああ、こっちか。ええとね、アルバイト的なやつ」
「アルバイト的なやつ?」
「うん」
かんなは、おうむ返しするきららを放ったまま、スマホを取り出して中の二人を撮影しはじめた。
「もうやめてくれ……。これ以上わたしを辱めないでくれ……」
「なに言ってるのよ。まだ隠してる衣装があるんでしょ。はやく着てみせなさい」
詩に告げられて、美岐は目を大きく見開いた。その瞳には軽く絶望が滲んでいる。
「なぜそのことを――!?」
「あなたについて知らないことなんか何もないの。なによ、見てあげるって言ってるのに、嫌ならこれでお開きかしら。それならここにみんなも呼んで、いまのあなたの恥ずかしい姿を見てもらうのもおもしろいかしらね!」
「ま、待ってくれ! 誰も着替えないとは言っていない! 時間を……心を落ち着けるだけの時間をくれないか!」
「へえ。待ってあげてもいいけど――そうねえ」
詩は椅子に腰を下ろして、大袈裟に足を組んでみせた。
「ちょっとこっちにいらして」
「? あ、ああ」
「座って」
「座るってどこに?」
美岐の疑問に詩は言葉ではなく、指で床を指し示した。
「ここにか?」
「そう。そこに」
「わかった」
そう言って、美岐が片膝を床につけた。
「そうじゃないでしょ。正座」
「せ、正座……?」
詩の言葉に美岐は唾を飲み込んだ。
美岐の喉が上下する様を詩はめざとく見つけて口の端を釣り上げる。
それから詩は靴を脱ぎ、床の上に正座になった美岐の太ももに、ストッキングだけになった足を乗せた。
「脱がせて」
「脱がせるって、ストッキングをか?」
「はやく」
美岐は詩のスカートの下に手を差し入れて、太ももにかかったストッキングのゴム部に指を入れた。そのまましずかに下げていく。指先で触れる詩の足はきめ細かくて滑らかだった。自分の足とはまるで違う触り心地に、思わず手が震えてしまう。
そうして、やっとのことでストッキングを脱がし終えると、
「匂い。嗅いだらだめよ?」
と詩が制した。
「そっ、そんなことするわけないだろう!」
「あらそう。勘違いだったかしら」
「まったく! 人をなんだと思っているんだ! で、次は何をすればいい」
「キスして」
「へっ?」
「だから、足にキスして。できるわよね?」
「何を言い出すかと思えば……そんなことできるはずないだろう」
「めいニャンならできるわよ。だって、私に待っていて欲しいんでしょ? キスしてる間だけ待っててあげる」
「な……なんてことを言い出すんだ……」
「いやならこれでおしまい。どうする?」
再び美岐の喉が上下した。ストッキングの中であたためられた詩の体臭が洗剤の匂いに乗って美岐の鼻腔をくすぐった。美岐は「わかった」とかぼそく頷いて、詩の足を両手で胸の前に掲げ、その甲に口付けた。
「おりこうさん。あなた、本当にかわいいわね。そう言われない?」
詩の言葉に、美岐は口付けたまま首を振った。詩の肌は唇に触れる足の甲ですら柔らかく、艶かしかった。
「いつまでそうしてるつもり? 早く次の衣装に着替えなさいよ」
「あ、ああ……。そうだな。待たせてしまってすまない」
美岐が立ち上がり、詩に背を向けたときだった。
「どこに行くつもりかしら。ここよ。ここで着替えるの」
「なぜそんなに酷いことを言うんだ……。そんなことができるわけないじゃないか……」
「あら、そんなに悠長なことが言っていられるのかしら。いつ誰がきてもおかしくないのよ。ほら、その扉の向こうに誰かいるかも」
そう言って詩がきららたちの潜んでいる扉を指差した。
驚いたきららが思わず重心を後ろ足にかけてしまう。けれど、かんなは完璧に気配を殺したままだ。その頬を汗がつたったが、かんなはまったく動じずに、中の様子を窺っていた。それに合わせてきららも後ろ足にかかった重心をゆっくりと元に戻した。
「わかった! わかったから。すぐに脱ぐから。あまり脅かさないでくれ」
「急いでよね」
美岐は困ったような顔をしてはいたが、脱いでもいい理由を得たことで従順になれた。まずエプロンを外し、ドレスを頭から脱ぐ。そして下着だけになって、鍛え抜かれた身体を詩の眼前に晒した。
美岐は、服を着た姿より、むしろ着ていないときの素の身体のほうが自信があった。けれど、詩のただ見ているだけのような冷たい視線に耐えかねて、思わず背を向けてしまう。そして、そそくさと衣装棚へと向かった。
次に取り出したのは、紫色を基調としたセーラー服ベースの戦闘服で、いわゆるコスプレ用の衣装だった。肩についた大きなフリルが袖になっていて、紫のスカーフとお揃いのリボンで髪を結ってある。腰にも同じ色のリボンが巻いてあり、短いスカートが揺れるたびリボンも揺れて、まるで媚びを売る猫のよう。
「あはは。なかなかいいじゃない。じゃあ何か決めポーズをちょうだい」
「き、決めポーズ?」
「普通あるでしょ。セリフと一緒にかわいい格好するじゃない」
「それが……ないんだ……」
「なあんだ。つまんない」
「すまない……」
「じゃあ、次のときまで宿題ね」
「次!? 次があるのか!?」
「もちろん。あなたが嫌ならかまわないけど、どうする?」
「う、う、う……」
「はっきりしないわねえ。もういいわ。飽きちゃった」
「うう……。そんなぁ」
「これでお開き。早く脱いでしまっちゃいなさい」
「ああ……そうだな。ゆっくりもしていられない」
美岐はがっくりと肩を落とし、のろのろと衣装を脱ぎ出した。再び見事な肢体が現れる。衣装を棚にしまい終え、脱いでいた制服を着直そうとしたところで詩が声をかけた。
「なにしてるの。先にこっちよ」
そう言って、詩は組んだ足を揺らして美岐を呼びつける。詩の足はストッキングを脱いだままなので、もちろん裸足だ。美岐が下着のまま近くに来ると、もうわかってるわよね、と言わんばかりに顎をしゃくった。
美岐はもう当たり前みたいに詩の足元に正座して、傍に置いてあったストッキングに手を伸ばした。
「丁寧にお願いね」
「うん」
美岐は頷いて、器用にするするとストッキングを上げていく。そして、指先が外腿に触れると、思わず驚いた目を向けてしまう。
「あら。これが気になるのかしら?」
詩がスカートを捲ると、外腿の上のほうに古傷があり、その部分の肉が縦にわずかに盛り上がっていた。
「詩ちゃんのヒミツ、知られちゃった」
「きれいだ……」
そんな言葉が口をついていた。
からかうような顔をした詩だったが、美岐の言葉にふうんと頷いて、
「触りたい?」
美岐が頷くと、詩も無言で頷いた。美岐は指の腹で詩の傷口を確かめるように触れた。
「意外とやわらかいんだな。それに色も綺麗だ」
「私の秘密を知ったんだから、あなたにも秘密を持ってもらわなきゃ不公平よね。そう思わない?」
「しかし、私にはこれ以上の秘密なんか……」
「あなたの秘密は私が決めるのよ」
詩は椅子から降りて床に膝をつき、美岐と目線を合わせた。それから美岐の胸と首筋に交互に目をやった。
「こっちに決めた」
「えっ?」
詩は美岐をしっかりと抱きしめて、首筋に思い切り吸い付いた。驚いた美岐が振り払おうとしたが、詩の締めはそんなことではびくともしなかった。
「なんだ!? なにをしてるんだ? 怖い! 頼むからやめてくれ!」
美岐がバランスを崩して後ろに倒れ込んでも、詩は離れない。むしろ詩が覆い被さっている形だ。美岐の首筋には鋭い痛みがはしっていて、未知の恐怖に身じろぎひとつできなかった。
ちゅぽん! と濡れた甲高い音とともに、ついに詩の口が外れた。
「ふふふ。秘密のできあがり」
「なんなんだ? 私はなにをされてしまったんだ?」
うろたえる美岐に向け、詩はスマホをかざして撮影した。
「ほら。見て」
画面に映る美岐の首筋には、赤黒いアザが詩の唇の形で残っていた。
「少し噛んだから痛かったでしょう。それとも気持ち良かったかしら?」
「なんてことをするんだ! こんなことがみんなにバレでもしたら……」
「そう。大変なことになる。だから必死に隠さないとね」
「まさか、これが秘密だとでも言いたいのか?」
「そうよ。けれど痕はすぐ消えてしまう。それまで私を楽しませてちょうだい。じゃあ私は戻るから。あなたはゆっくりしていってね」
そう言って詩は、なんの未練もないみたいに美岐の傍を抜けて扉に向かった。
「なあ駒川。教えてくれ。いまの私は醜いか?」
美岐は正座したまま、絞り出すように言った。
「ええ、とっても」
「なあ! その……また私を見てくれないか?」
「気が向いたらね」
詩はそれだけ言って扉を開けた。
かんなときららは、被服室の扉から顔を出した詩とばっちり目が合った。けれど詩は動じることなく後ろ手で扉を閉め、人差し指を口元に付けて二人に合図した。唇の間から赤い舌がちろりと覗いて、合図を出した指先を舐めた。その指で、口にチャックをするよう横に引くと、形のいい詩の唇が指に押されて艶かしく形をへこませた。
被服室の中に残された美岐は下着姿のまま正座を崩していなかった。その美岐の口元が嬉しそうに笑っているのをきららは見た。少し開いた唇の間から、吐息が湯気になって漏れているような気がした。
「詩ちゃんこわー!」
被服室から離れ、辺りに誰もいないことを確認すると、溜めた呼吸を吐き出すようにしてかんなが言った。
「幽霊よりも怖いものをみたかもしれない……」
「まあいいや。次いこ、次」
かんなが階段を駆け上がっていく。きららも遅れないよう着いていく。かんなは屋上の踊り場まで一息に駆け上がり、きららの到着を待ってから告げた。
「ここからは要注意。足音厳禁だからね」
かんなは口を引き結び、「わかった?」と表情で訴えた。きららも真似をして口を引き結び、親指を立てて了解した。
屋上への扉はスチール製で、開けると軋む音が鳴ってしまう。かんなは少しずつ慎重に扉を開いていく。そして、時間をかけ、扉を無音で開け放つことに成功した。