星谷かんなの完璧な沈黙   作:やわらかな土

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糸繰り姫

「た……たいへんなものを見てしまった……」

 伶那とアレシアの二人が屋上から姿を消して、きららはようやく肩の力を抜くことができた。胸に溜め込んだ空気をやっとの思いで吐き出すと、午後のちりちりに熱された空気でさえ、おいしく感じた。

 

 そんなきららとは対照的に、かんなは落ち着き払った声で、

「なんか、すごかったね」

 と言いながら、ビデオに収めた『戦利品』を、うんうんと頷いて確認している。

 

「かんなは驚いてないの?」

「驚いてるよ。でも、予想通りって感じでもあるし」

「これを予想していたの? ハッ――まさか、かんなも未来予知が!?」

「あはは。違うって。まー説明するより見た方が早いかも。次いこっか」

 かんなは爽やかに笑って、すたすたと歩き始めた。そして、扉の前で立ち止まり、向こう側の様子を注意深くうかがってから扉を開けた。

 階段を降り、廊下を渡り、二人は校舎の端の端までやってきた。あたりにはなんとなくチョコレートの甘い匂いが漂っていて、その匂いの出どころと思われる教室には「化学室」と書かれた教室プレートが立っていた。かんなは足音を立てながら化学室の扉に駆け寄り、ノックもせずに扉を開けた。

 

「あやみーん。かんなが来たよー」

「はあい、おかえりー。あ、その顔。さては」

「うん。大収穫! あやみんの言った通りだったよー」

 

 彩未は整然と並んだ作業机の一角に座っていて、かんなはそこへ小躍りするようなステップで駆け寄っていった。

 化学室には作業用のものとは別に家庭用のオーブンや冷蔵庫が並んでいて、彩未はよくこの部屋でお菓子作りをしているのだ。きららも何度もご相伴にあずかった。

 彩未は先ほどまで何かのお菓子を作っていたようで、部屋にはその残り香が立ち込めていた。シンクには洗い終えた器具が干してあり、その表面はもうすっかり乾いている。

 

「じゃあ、さっそく確認しちゃおうかな」

 

 彩未はかんなを隣に座らせ、二人で並んで撮影した『戦利品』をあらためる。

 まずはドレス姿と下着姿の美岐。それから満たされたような邪悪な笑みを浮かべる詩。

 続いて伶那とアレシアの情事の動画。

 それらを確認して、彩未は満足そうに頷いた。

 

「ばっちりだね。じゃあご褒美の時間だー」

「やったー!」

 

 彩未が冷蔵庫の扉を開け、中からお皿に乗った不思議な形のお菓子と紅茶のボトルを取り出した。

 それから彩未は所在なげに立ち尽くしていたきららを手招きして、一緒の卓に座らせる。

 

「彩未。このお菓子はなあに? きららはこんなお菓子見たことない」

「パパリーヌ・ダヴィニョンっていうフランスのお菓子だよ」

「ぱぱ……にょん?」

 かんなが素っ頓狂な声を上げた。

「パパナシならきららも知ってる。ルーマニアのお菓子だってアレシアが言ってた」

「違うよ、パパリーヌ。あっちはドーナツ、こっちはチョコレートなんだから。軽く説明すると――」

 

 パパリーヌは赤く着色したホワイトチョコレートを飴細工のようにコーティングしたボンボンで、ホワイトチョコとビターチョコの二層構造になっている。その中にはオレガノをはじめとしたマジョラムなど多くのハーブで作られたリキュールのシロップが入っていて、複雑で芳醇な味わいをもつお菓子だ。その見た目は、どこかアザミや梅干しに似ている。

 

「チョコの中に隠された秘密のリキュールの味、かんなの口に合うかな?」

「いただきまーす!」

 そう言ってかんなが一個丸ごと口に放り込んだ。

「いちおうお酒だからね。一気に食べすぎちゃダメだよ」

 

 かんなはもぐもぐと咀嚼してすぐに、眉間に皺を寄せて複雑な表情を浮かべた。

「あやみん〜、これお酒はいってる〜」

「だからそう言ったじゃない」

「お酒じゃなかったら完璧だった」

「どれ、きららもひとつ……」

 続いてきららも口に一粒放り込む。舌に当たるトゲトゲのホワイトチョコはすぐに溶け出して、滑らかな舌触りとクリーミーな風味が口の中に広がった。固いビターチョコを噛んで割ると、とたんにハーブの透き通るような香りが口の中に溢れ、アルコールとともに鼻から抜けていった。そして後には甘い余韻が尾を引く。

 

「きららにはとても美味しく感じる」

「さすがきららちゃん。大人の味は、かんなにはまだ早かったかな」

 紅茶で流し込むかんなを尻目に、きららは深く息を吸い込んで余韻を楽しんだ。

 

「あやみんは色んなことを知っててすごいなあ。いつも知らない名前のお菓子をくれるし。パパリーヌなんて初めて聞いたよ」

「ふふふ。だって、誰も知らないものじゃなきゃ取引にならないじゃない」

「それはそうだけどさ」

 

 雫世界のルールでは、記憶にあるものはなんとかして構築することができるが、逆に言えば知らないものは構築することができないということになる。

 つまり個人の知識と経験がモノを言う世界なのだ。

 特に食べ物や読み物は価値が高い。変化に乏しい雫世界では娯楽が何より重要だからだ。

 

「ねえ。彩未はみんなの秘密をにぎって、何をするつもり?」

 彩未の様子から弱みを握って脅すというような素振りが見られなかったし、好奇心あたりだろうと予想して、軽い調子で問うてみた。

 

「別に、何もしないよ?」

「秘密をにぎっても何もしないなら、なぜわざわざ暴くような真似を? 彩未の秘密これくしょん?」

 きららが軽い調子を維持したまま重ねて尋ねた。だが、返ってきた答えは、

「この世界には秘密なんてない。みんな正直で公平で、隠し事なんかあってないようなもの。でもね、秘密がないのはつまらない。だから――」

「秘密がないなら作っちゃえばいい――だよね?」

 と、彩未の言葉に合わせて、かんなが続けて言った。

 

「うん? なんだかあべこべ。彩未たちは秘密を作らせた――つまり、秘密をはじめから知ってることになる。だから秘密を知りたいんじゃなくて、秘密を抱えさせたいと言っている。どういうこと?」

 きららが混乱したように言うと、彩未とかんなは顔を見合わせて頷いた。

「やっぱりきららは鋭い。ね、味方につけてよかったでしょ」

「きららは味方なの?」

「そうだよ。もう共犯。覚悟しなくちゃね」

 と言って、彩未はにこやかに笑う。

「きららもついに悪に染まってしまったのか――」

 きららは広げた手のひらを顔にかざし、指の間から片目を出して嘆きを表現したが、彩未のにこやかな笑顔は崩れない。

「きららには嘘も隠し事もない。でも騙すこともできない。なにせ神様がついてるからね。それならこっち側に引き入れるしかないじゃない」

「確かに。うーん、納得してしまいそう」

「きらら。詩ちゃんと美岐の関係を見てどう感じた? 伶那とアレシアの情事については?」

「ど……どきどきした。どうなっちゃうんだろうって、すりるとさすぺんすの坩堝……」

「でしょう! あの子たちがこれからどんなふうになっていくのか、興味あるよね!」

「ある!」

「ほらね。きららもこっち側なの。あの子たちはこれから悩んだり迷ったり間違えそうになったり、色んな形でつまづくと思う。衝突だってきっとある。でもね、そこに私たちは寄り添ってあげることができる」

「あやみん……悪いおんな……」

「あら。お姉さんはなにもしてないよお。ただ線を繋いであげただけ。あとはあの子たちの問題だったのよ。それがこういう結果になった、それだけ。秘密なんて抱えない未来だってきちんとあったんだから」

「それはそう。そういう意味ではきららの未来予知と共通しているかも」

「そうね。そっくり」

 

 きららの未来予知はその性質から必ず的中するが、あくまでも予知した時点での未来であり、未来自体は不確定で無限に分岐している。だから、ちょっとしたきっかけで未来など簡単に変わってしまう。

 未来を予知したとして、予知と違う行動を取れば未来は当然変わり、それと引き換えにきららの未来予知は「ハズレ」となる。

 彩未がくれたチョコは甘くてほろ苦い。そして複雑な余韻が細長く尾を引いたまま、いつまでも消えていかなかった。

 

 おやつを食べ終えて、きららはかんなと一緒に化学室を後にした。

 教室を出ると、なんとなく足元がふらつくような感じがあった。

「おっとっと」

「なあに、きらら。さっきのチョコで酔っちゃったの?」

 そう言うかんなの頬もかすかに赤らんでいる。

「かんなこそ、宴会で大騒ぎするおじさんみたいにまっ赤だよ。お酒がすっかりまわった顔」

「おろ、かんなも酔っちゃったかぁ」

 あはははは、とかんなは高笑いしながら階段を上がっていく。

「かんな、どこに行くの?」

「図書館」

「それも彩未の依頼?」

「……うん。そろそろ『彼女』が来る頃合いだからね」

「そうなのか」

「もちろんきららも来るよね」

「ご一緒しますとも、どこまでも!」

「うむ、くるしゅうない」

「あれ、そういえば彩未に幽霊の正体のこと言わなくてよかったの?」

「幽霊の正体?」

 かんなの声色がわずかに変わった。けれど、少し回った酔いがその違和感をきららに気付かせなかった。

「そう。幽霊と思っていたのは、実は詩や伶那たちの秘め事……って、あれ?」

「なに言ってるの、きらら。幽霊はあやみんの依頼じゃないよ」

「そうじゃなくて。きららが幽霊の正体と思っていたのは実は彩未の策略で、だとすると幽霊なんて――いない?」

「いるよ。幽霊はいる。かんなが見たって言ってるじゃん。いいから早く行こうよ」

「お、おう……」

 

 かんなは階段を一歩ずつしっかりと踏みしめていく。まるで酔ってなどいないようにも見える。後ろ姿からはかんなの思惑がまるで読めない。何か考えようにも頭がぼうっとしてしまう。

「まあいいや」

 きららは自分に言うように呟いて、かんなの後に続いた。

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