図書室に着くと、かんなはまず何かを確かめるようにぐるりと一周した。
「うん。誰もいない」
そう言って学習席に向かう。
この学校の図書室は窓からの採光を遮らないように、低い本棚が壁に沿ってぐるりと並んでいる。その前に背の高い本棚が中央に向かって背合わせで並び立つ。部屋の中央には一人がけと六人がけの学習席がきちんと並び、それを囲うようにして低い本棚が並んでいる。
かんなは窓のない壁に背を向ける形で置かれた学習席にあたりを付け、その背後にある本棚の後ろに向かった。その席からは図書室全体を一望でき、かつ背後には誰もいないという、ある種の生徒にとって理想的な位置どりになっている。
「『彼女』の指定席はあそこ。今日もきっと来るよ」
そう言って、低い本棚の裏に身を潜めた。きららもその真似をして身を潜める。
すぐに扉が開き、中を窺うような間を開けてから足音がまっすぐこちらに向かってくる。
かんなは息を殺して耳をそばだてたまま微動だにしない。緊張からきららの心臓が跳ねる。
足音は目の前の席で立ち止まり、椅子を引く音がして、それからどさどさと荷物を机に広げる音が響いた。そこでようやく、かんながゆっくりと本棚の上から顔を出した。
かんなの出した合図にきららは頷き、同じようにして顔を出すと、そこにはこちらに背を向けた由紀子の姿があった。由紀子はノートパソコンを広げて、その両サイドにたくさんの冊子を積み上げ、すごい速さでキーボードを叩いていた。
(由紀子は――勉強をしている? それをなぜ覗き見る必要が?)
きららが疑問に思っていると、かんながポケットからオペラグラスを取り出してきららに手渡した。それを目に当てると、パソコンの画面に浮かんでいる文字がくっきりと鮮やかに見えた。
『――の屹立した――を――深く咥え込み――――怒張した――抽送――――押し殺していた声がついに洩れ――絶頂させられた秘部を嬲――――ねっとりとした襞を指先に感じ――まだ敏感な亀頭への刺激は――潮を――』
(お……お……おおおおお……おふぅ……)
エロ小説だった。
男と男が果てることなく絡み合い、何度も何度も射精と絶頂を繰り返す――そんな描写がきららの目に飛び込んだ。
きららの目には強すぎる毒に、思わずオペラグラスを下げると、かんながきららの受けた衝撃を全肯定するように強く頷いた。
由紀子の手はほとんど止まることなくキーボードを叩き続け、手を止めたかと思えば冊子に手を伸ばして付箋の貼ってあるページを開いて、再びキーボードを叩く。
冊子は探すためではなく、そこにあること自体に意味がある外部メモリでしかなく、由紀子は生き急ぐように激しくキーボードを叩いた。
そして、由紀子が図書室を訪れてからきっちり一時間経ったところでピタリと打鍵をやめ、荷物をあっという間に片付けてそそくさと図書室を後にした。
「由紀子にあんな才能が……。全然知らなかった……」
きららがため息と一緒に吐き出した。
「うーん。あの分だと完成はまだまだ先かな」
「いつから監視してたの!?」
「えっとねえ、ずっと前?」
そんな曖昧な答えを返して、かんなは笑った。
気付くと窓から金色の光が差し込んでいた。時計の針が六時を指していた。世界を焼き尽くすような太陽の熱気もやわらいで、窓の外にぬるい沈黙が広がっていた。
「今日はもうこれでおしまい?」
きららが尋ねた。
「ううん。まだだよ」
かんなが答えた。
かんなは踵を返して、図書室の隅へとまっすぐ歩いていく。きららもそれに続く。
両脇に聳える本棚はまるで森の中の木立のようで、進むにつれ細く薄暗くなっていく本棚の隙間は森の小径を思わせた。
やがて行き止まりに突き当たった。そこには本棚と本棚の間に数十センチほどの隙間が空いていて、かんなはそこに迷わず手を入れた。
がらり――と引き戸の開く音がした。
そこに扉があると知らなければ、決して開かれることがないような、大胆に隠された扉だった。
「そんなところに部屋があるなんて、きららは知らなかった」
「誰も知らないんじゃないのかなあ。たぶん、あやみんも知らないはず」
「そうなのか――えっ?」
きららの胸中に疑問の火が灯る。
かんなは彩未の手先となって、色々と嗅ぎ回っていたのではなかったか?
なのに今、彩未の知らない部屋の扉を開けている?
かんなは何のためにここにいる?
「ねえ、かんな。この部屋には『誰』が『いる』の?」
「もちろん『幽霊』だよ」
おそるおそる尋ねるきららに、かんなはあっけらかんと答えた。
かんなの顔は笑っているはずなのに、薄暗い影に完璧に溶け込んでいて、まるでなにも見えなかった。