体長10mの鷲 作:害獣駆除業者F
支笏湖、これまた言わずと知れた北海道の観光名所。札幌の南西、洞爺湖の北東に位置する。洞爺湖がいまいち不完全燃焼な感じで終わったことに加え、札幌へ行く前に身を清めたくここに来た。
日本一綺麗な水が広がっており、世界でもロシアのバイカル湖に次ぎ世界第二位の極上の水質。また、日本で二番目に深い湖でもある。
懐かしい。札幌一人暮らし時代、よくここに来た。友人と、恋人と。輝かしい青春時代が蘇る。
……いかんな、札幌に近付くと妙に昔を思い出し感傷的になる。少し、年を取ったかな? ……い、いや! 私はおじさんではない。私は若者、若者なんだ……。
「ピョ(美しい……これが美だ)」
今日はよく晴れている。広大な支笏湖は、澄み切った空と風不死岳を明瞭に投影する。冷涼な風が羽をはためかし、太陽の光が背を暖める。
「ピョーヒョロッ、ピョォッ」
「ピョピョッ(おや、支笏湖の住民かい? お邪魔しているよ、ここは良い場所だね。私の体重にも平然と耐えてくれている)」
支笏湖がよく見える胡桃の大樹の上に乗っていると、真横に一羽の鷲が新たに停まる。彼は何鷲だろうか、いまいち覚えの無い種だ。だが、美しく、力強く、穏やかで、知性と威厳に溢れている。きっと、長い時を生きた空の賢者なのだろう。私の1/10程の体長だが、ただ隣に居るだけで心が安らぐ。
私以外誰も居なかったこの胡桃の木に、かの鷲を皮切りに数々の動物がやって来る。別の鷲、鳩、ヤツガシラ、てんとう虫、蝶。争うことなく、土一つ無い姿で木の周りで眠り始める。
「ピョ(また異種群か。流行りすぎじゃないか?)」
ゆっくりとした、穏やかな足音。何処かから逃げ出したのだろうか、毛並みの整った羊や牛がやって来る。湖からはジュゴンとライオンの家族が顔を出し……ジュゴンとライオン? …………ジュゴンとライオン!? えっ…………なんで? 鷲やヤツガシラ、羊に牛はまだ納得出来る。だがジュゴンとライオンはおかしすぎるだろう。自分でも驚く程綺麗な二度見をしたぞ。
「……ピョ(まぁ……うん、いいか。そういうものなのだ、きっと。異種群にはもう慣れた。白鯨と比べれば、まだ納得出来る)」
隣に居た謎の鷲が私の脚を優しく掴み、翼を動かす。爽やかな風は向きを変える。彼もまた風の方に身体を向け、着いて来いとでも言わんばかり視線を向ける。
他の動物達も起き上がり、北東を向き動き出す。私はゆっくりと飛び上がり、脚を放し飛び立った彼の後ろを滑る。
数分して、彼は広く深々と窪んだ地形で止まり翼を休ませる。動物達はいきなり穴を掘り始める。不思議に思っていると、何だか湿気と温度が高い事に気付く。
「ピョオ!(温泉か!)」
自噴泉に近い程に地表近くまで昇ってきていた温泉が、動物達の前足によって勢い良く噴出する。温泉は泥と混じることもなく急速に窪みに貯まりだす。脚を近付けてみると、心地よい温かさ。
「ピョオッオォッ!」
こうしてはいられん! 私は今の自分がそこまで汚れていないことを確認するや否や、まだ貯まり切ってもいない天然温泉にダイブする。
仄かに焼きたてのパンとぶどう酒を彷彿とさせる匂いがするトロトロとした塩化物系の泉質が、羽毛の撥水性を貫通し全身に深く染み渡り浸透する。しかし、不思議と湯を吸って重くなった身体に不快感を抱かない。ただただ、心地よい。
少しして、動物達も温泉に脚を踏み入れ漂う。虫達は流石に難しいようだが、ライオンの背に乗ってきたジュゴンも一緒に仲良く漂っている。
奇妙な光景だ。気味が悪い程に。大変美味なことで有名なジュゴンに対しても、一切の欲が湧かない。透明だ、気分が良い。
「ピョ(おや、君は入らないのかい?)」
一頭の羊が、この広い温泉の横に立っていた。彼は温泉に浸かる素振りを見せるも、途中で止めるを繰り返していた。とても幼い個体だ、湯が怖いのだろうか。
「ピョピョ(分かるよ、少し違うが私も幼少期はプールに顔を付けるのが苦手だった。だが、この湯はとても良いモノだ。君も、心では分かっているのだろう?)」
怖がらせてしまわないように、ゆっくりと。大きな翼を広げ、子羊をその上に乗せ抱き抱える。
「ピョ(おいで。私が側に居るよ。君を愛し、幸福へ招こう)」
子羊は私に全てを委ね、身動ぎ一つせずに湯へ浸かる。翼から降ろすと彼はバシャバシャと下手くそな犬かきで、嬉しそうに私にすり寄ってくる。この世の全ての欲望と苦しみから解き放たれた私には、それがただただ愛おしかった。
「ピョッ(おっと、大丈夫かい?)」
足でもつってしまったのだろうか。子羊は途端に温泉に沈む。すぐに掬い上げ、抱き締める。安心したのだろうか、彼は目を細め穏やかな顔で眠りに就いた。
◇
「ピョーッ!」
いやぁ、良い湯だった。ついつい丸一日浸かり続けてしまった。途中から乱入してきた金ペンキを被った鳶と最初の品種不明の鷲の白熱の空中戦は凄かったな。体調には問題無いが、おかげで腹が空いて空いて仕方なかったよ。
湯から出て欲望に満ち溢れた後も、あの動物達はなんだか食べる気にならなかった。急いで南下し、太平洋で爆食いしてやった。再び温泉で軽く身を清め、今に至る。
「ピョッピョ(さて、早速札幌へ……おや)」
道端に新聞が落ちているぞ、結構綺麗だ。えぇと、今が8月27日だから……2日前の記事か。出版は朝日と。朝日は読むものではなく飲むものだが……久し振りの活字だ。折角だし読んでみよう。
「ピョ(む……見られていたか。函館だしなぁ、人もそれなりに居るか)」
水産学、特に太平洋での漁業の場合は一国だけで完結しない。中国、台湾、韓国、フィリピン、ロシア、アメリカ……自ずと、複数の独立主権国家と関わる機会が出てくる。
そこで私は、彼等の文化を理解し共に尊重し合う為の手段として宗教に目を付けた。神道のみならず、仏教とキリスト教を派閥問わず広く浅く学んだ。それは私の青年期の成長に大きく寄与し、未熟で軽薄な人格に寛容と敬意が花開いた。……まぁ、あの落下死以来、私の精神的根底は猛禽類のソレになってしまっているのだが。
兎に角、私は神道信者をベースとしながらも、軽い仏教徒兼クリスチャンという訳だ。我ながら、この節操無しな独特の宗教観には日出ル処ノ血筋を感じる。
そして、2日前は日曜日。日曜日はミサが行われる大切な日。丁度暇だったので、私はHAKODATE聖ヨハネ教会の屋根上でミサを盗み聞きしてコッソリ参加していたのである。
自殺を選べるレベルの神道仏教兼教ゆるふわクリスチャンの私は、いつも通り主の祈りへ勝手に『日本列島に清浄なる水の恵みがあらんことを』と異物混入させておいたぞ。主よ、これがジャップの信仰というものだ。まこと敬虔な教徒層を拡大させられると思うなよ。
当時のミサ隠密参加の様子が、新聞の見出しであった。
「ピョ(朝日ウッキウキだなぁ。文面から喜びが溢れている)」
神鳥だと? 神に対して、随分と無礼な扱いだな。私はそう崇高な存在ではない。私が1日にどれ程の生命を欲望の赴くままに奪うことか。八百万の神とは言うしカパッチリカムイに当たる存在かもしれんが、そうやって扱われるのは複雑で微妙な感覚を覚える。私は、あくまでも役職も階級も無い末端の多宗教信者だ。せめて死後に言ってくれ、それなら神仏を名乗れんこともない。
「……ピョ?(は? EUとイギリスが提案国のフランスを主軸に極秘開発していた最新鋭超大型原潜が2023年5月に行われた最終試験航行中にて失踪していた? 海自の技術とデータを幹部が勝手に流した? おい待てふざけんな、超緊急事態のビッグニュースじゃあないか。こんなクソどうでもいい鷲ニュースなんか大見出しにするな。そういう所だぞ朝日新聞)」