体長10mの鷲 作:害獣駆除業者F
「ピョォ……」
「ピョヒョ……」
「ピー……」
なんと良い湯か。札幌を出た私は、再びジュゴン湯へとやって来ていた。何故か北海道神宮の手水舎にも居た古代ローマ風の男も居るが、ここは変わらず野生動物達の楽園だ。以前は喧嘩を繰り返していた金ペンキの鳶も不明種の鷲も仲良く私と川の字で浮かんでいる。
あ、ローマ人が溺れた。…………なんだ? どこに消えた? どこにも居ないぞ。まぁ、良いか。そういうこともある。
「ピョ(ジュゴン湯と狩り場を往復する毎日、中々どうして悪くない)」
だが、そうだな。この生活も、もう十日目だ。ジュゴン湯にも慣れきり、新鮮味の無い日常となった。そろそろ、別のことをするべきなのかもしれない。
「ピョオ(そうだ、鮭を食おう)」
失念していた。もう9月中旬に差し掛かろうとしているじゃあないか! 北海道の魚のメインシーズンにして、北海道の漁業イメージの七割を占めると言っても過言ではない道東の本領。こうしちゃいられないぞ。
北海道の秋の鮭と言えば、秋鮭。そして秋鮭と言えば……政府公認の鮭の聖地、根室海峡。北海道東部の2本の出っ張りこと知床半島と根室半島に挟まれた海だ。
根室海峡の鮭は、江戸時代には将軍に逸品として献上されていた程の代物。1万年前から17世紀まで常に人が住み続けていた当時の根室海峡沿岸でも鮭は彼等にとっての象徴であった。古くから日本において美食の象徴の一つであった鮭の、日本最大の産地。その旬のど真ん中。鷲として、行かぬ選択肢は論外。
ライオンの鬣に刺して遊んでいた羽を抜いてそこら辺の岩の上に置き、私は力強く空へと舞い上がった。あ、羊の顔面が風圧で凄いことになってる……。
「ピョ(良い潮風が吹いている)」
野付半島、根室海峡に接する日本最大の砂嘴。30km弱という大きさの野付半島は、砂嘴でありながら地図上でハッキリと視認できる。一見この世の果てのような景色だが、多様性に富んだ生態系をしている。海獣や猛禽類でも有名で、シロイルカやオジロワシが……あ、ゴマフアザラシだ! 可愛いなぁ。
ここで雑学披露おじ……お兄さんになるのだが、アザラシはあのツルツルとした見た目に反し中々の剛毛。そんじょそこらのおじさんよりよっぽど硬い。よく、ちょっと柔らかいタワシみたいに言われたりもする。
この剛毛は頭から尻尾にかけて流れている。実はこの毛流れの向きが重要だったりする。あんな自然界を舐め腐ったフォルムながら繁栄できている理由の一つで、この剛毛がより高い場所に登る時スパイクの役割を果たしているのだ。逆に頭から下へ降っていく時には一切動きを阻害せず、なめらかに滑ることができる。一見ふざけた見た目でも、生物の肉体とは合理性の結晶なのだ。
「ピョピョッ(アザラシだけに、毛がザラザラってな!)」
…………。
「ピョ(さて、狩りの時間だ)」
勿論アザラシではない、秋鮭のことである。航空機並みの高度を維持したまま、海面を眺める。鮭は比較的浅い場所に居る。栄養に富んだ根室海峡でも、魚の姿はよく見える。
「ピョッピョー」
見付けた。上空から急降下で一気に接近する。鉤爪と接触した海面が大きな水飛沫を上げ、一時的にクレーターをも作り出す。即座に秋鮭をキャッチし、近くに居たもう一匹も傷付けないように掴む。
「ピョ(そうだ。鷲の身でせっかく根室管内に来たんだから、根室管内に行こう)」
私は南西の野付半島に向かっていた身体を真反対に向け、飛行する。やって来たのは、どこか違和感のある街並みが広がる我が国固有の領土。
「ピョピョ(日本で取れた魚は、日本で食べたいよな)」
おや、エトピリカが飛んでいるな。久し振りに見たが、相変わらず種の分かりやすい顔だ。鳥にはそう明るくない私でも、アレだけ目立っていると一瞬で分かる。
「ピョ?(おや、この秋鮭が食べたいのかい? あぁ、良いよ良いよ。好きに食べなさい。日本の魚は極上だ、日本の野鳥にとっては尚更だろう)」
私は今、機嫌が良いんだ。どうせこの二尾を食べた後にまた新しい秋鮭を取りに行く予定だったしな。
……さて、と。
まん丸と太った立派な雄鮭。鱗越しの生でも分かる、強烈な鮭の香り。私のベースであるハクトウワシの主食は鮭、原始的な本能が食欲を掻き立て脳を揺らす。
鮭の身に、嘴を刺した。
「ピョ、オォ……」
仰ぐ。どこまでも広がる、垣根無きスカイブルー。純白の雲の筋。美しく、爽やかな日本列島の秋晴れ。
鮭の香りが、スッと鼻を抜ける。上質で上品な確かな脂と柔らかな旨味が、淡く儚く喉を通る。スッキリとした鮭の香りが鼻を抜け、啄む嘴を加速させる。あぁ、アイヌが何故秋鮭を崇めたのか。それがよく分かる。これこそが、太陽の恵みぞ。
爆発的な旨味は無い。大衆的でド直球な味でもない。だが、この秋鮭は……兎に角、美味かった。惜しいのは、塩焼きではなく生であったことか。
眠気がする。どうやら、適合が始まったようだ。私は海面に身を投げ出し、漂う。余韻を胸に、目を閉じた。
◇
「お嬢、今日の朝刊は面白いですよ」
「どれどれ? ……ふふっ、また彼か」
「何なんでしょうね、あの方は。あんな重い鳥、初めてでしたよ」
「重っ……君は彼のことを''重い鳥''として見ていたのかい!?」
長身な女が、筋肉質な女から受け取った新聞を見て微笑む。『支笏湖周辺に巨大な自噴泉を発見。ジュゴンやライオンの入浴と、通常では考えられない大きさの鷲の羽根と足跡を確認』新聞の大見出しである。
「この温泉も、きっと彼の仕業だな」
「そういうもんですかね」
「そういうものさ」
長身はリモコンに手を伸ばし、テレビを付ける。入間から取り寄せた狭山茶で喉を潤し、小さなかりん糖を一つまみ。
「テレビでも丁度やっているね」
『見て下さい、この温泉を! 報道の道を歩み18年、これ程の興奮はありません!』
「おぉ……」
「そう言えば君はライオンが好きだったね。よく、ライオンのグッズを使っているのを見掛ける。そのスーツのラペルピンもライオンだ」
「えぇ、高校生時代からライオンのコスプレを最大の趣味としています」
「…………あぁ、そうなんだ」
「こちらがその写真です」
「うわすっごいリアル。あー……因みに、どうして?」
「カッコいいからです。ライオンが」
「……自分を貫き通していてカッコいいね!」
「ありがとうございます」
『こちらに落ちている羽根! 森林官の成沢さん、こちら触ってみても……』
『えぇ、どうぞ』
『うおぁ……まるでランツクネヒトの大剣を彷彿とさせる迫力と大きさです! 私の中の少年心が止めどなく沸き上がっております!』
筋肉質の女は、終始ドヤ顔であった。