続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
次の日の正午にジョアン、エルザと連れ立って馬車から降り立った忠正は、目の前の屋敷の大きさに息を飲んだ。
ドルファン軍庁舎にも匹敵しそうなその瀟洒な建物は、それこそ地方王国の王城といっても信じそうな程の大きさであった。
そもそもこの屋敷の敷地の大きさ自体が桁外れだ。
高級住宅街と名高いマリーゴールド地区の中でもその規模は圧倒的で、まわりの貴族や上流階級の人々の敷地を圧倒的に上回る大きさを誇る。
入り口の門から広大な庭を抜けてこの屋敷まで辿り着くのにたっぷり五分以上は馬車に揺られていた。
屋敷の入り口で待っていた執事に案内されドルファン王宮にも負けず劣らずの豪華な廊下を進んだ一行は、これまた広大で豪華絢爛な応接間に通されて、明らかに忠正の一年分の給金よりも高額であろうソファに座らされた。
「主が参るまで少々お待ちください」
執事が丁寧に言い下がっていった。
忠正は周りを見渡して高級だがシンプルでセンスの良い丁度品の数々にため息を漏らしながら、高級な椅子の柔らかな感触に居心地の悪さを感じつつ呟いた。
「……なんだか、世界が違いますね」
流石に旧家の両翼であるエリータス家で育ち生まれながらの貴族であるジョアンは、寛いだ様子で椅子に深く腰掛けながら言った。
「ザクロイド財閥と言えばドルファンはもちろん、世界でも有数の売上を誇る企業だからな。その当主リンダ・ザクロイドの屋敷となれば当然だろうさ」
「少佐の御実家もこんな感じですか」
「馬鹿を言え。旧家の両翼などと言っても貴族としては名門だが、ザクロイド財閥と比べたらその資産など吹けば飛ぶようなものだ。もっと古臭くてカビ臭い埃をかぶったような物しかないよ」
そうは言うものの遠慮がちに縮こまって座るエルザと違いソファに座る姿が妙に様になっているのは、やはり名門貴族なのだ、と忠正は感じていた。
その時ドアをノックする音がして忠正達は咄嗟に立ち上がり敬礼の姿勢を取った。
執事の一人がドアを開け、その奥から昨日よりも幾分ラフなドレスに身を包んだリンダ・ザクロイドが優雅に部屋に入ってきた。
微かに薔薇のような上品な香水の香りが漂い、部屋自体がパッと明るく華やぐようだった。
屋敷の主であるリンダは忠正達を見ると柔らかな声で言った。
「あら、少佐。わたくしはただの市民の一人なんですから、そんな堅苦しい作法は必要なくてよ。どうぞ、お掛けになって」
だがジョアンは敬礼の姿勢を崩さずに答えた。
「お戯れをおっしゃらないで下さい。王室会議の一席を任せられている御方に失礼があっては、エリータス家の人間として二度とこの屋敷の敷居を跨げません」
「王室会議メンバーと言っても除籍されて長らく空席だったゼノス・ベルシス卿の席を、プリシラ様の行政改革の一環で市民代表席として任せていただいたに過ぎません。わたくしは市民に選ばれているだけであって、皆様のような貴族様とは違いますわ」
「プリシラ様の改革の素晴らしさはもちろんですが、市民の代表に選出されるという事も誰にでも出来る事ではないと存じます」
リンダはそれを聞きながら目を細めて微笑むと、上品な仕草で向かいの椅子に座った。
「ほら、わたくしが先に座りましたのでお掛けになって。今日はプライベートな会ですので、どうか気兼ねをせずに寛いでいただきたいわ」
「失礼いたします」
リラックスした様子のリンダに対してジョアンは緊張の面持ちで座り直した。
それを見て忠正とエルザも続いた。
全員が座ったのを確認するとメイドが二人音もなく現れて、リンダの前とジョアン達の前に静かにカップを置いた。
緩やかに湯気の上るそのカップはリンダのイメージにはそぐわない持ち手のない無骨な焼き物で、中に入っている茶は深い緑色をしてほんのり甘い匂いがした。
リンダはカップを手に取るとその香りを楽しんだ後に静かに一口飲むと満足そうに頷いた。
「皆さんも是非お試し下さい。東洋の方がいらっしゃるので、東方の島国から取り寄せた貴重な『玉露』というお茶を入れましたの。カップも専用に取寄せた物ですわ」
東洋の方というのは自分に他ならない。忠正は父親こそ東洋の出身だが、スィーズランド生まれスィーズランド育ちの生粋のトルキア人という自己認識を持っていたが、リンダの心遣いを無下にするわけにもいかず、率先してその緑色の茶に口をつけた。
忠正が好んで飲む紅茶に比べると圧倒的に低い温度のこの茶は独特の甘みが口に広がり、それでいてスッキリとした苦みが余韻に残る、初めて飲むタイプの茶だった。
「とても美味しいです」
忠正が素直な感想を口にするとリンダは「オーホホホ」と高笑いをしながら言った。
「お口にあったのなら嬉しいわ。やはり、故郷の物は馴染むのかしらね」
「あの、私は東洋の出身ではなく……」
言いかけた忠正の言葉をリンダが遮った。
「スィーズランドのご出身、でしょう。存じています。あなたの事は調べさせてもらいました」
忠正はカップを持ったまま上辺の笑顔を浮かべたが、一瞬でリンダへの警戒心を強めた。
「私のような傭兵風情、ザクロイド家のご当主様に興味を持っていただくような者ではございません」
「あら」
リンダは心底意外そうな顔をした。
「あなたのキサラギという苗字、興味を持つなという方が無理でしょう。幻の聖騎士、ヒューイ・キサラギという名を知っている者ならば」
その言葉にエルザ以外のそこに居た人物全員の空気が一瞬にして凍った。
その場の雰囲気が凍り付いたことにエルザが若干の戸惑いの表情を浮かべた時、忠正が僅かに低い声で切り出した。
「ヒューイ・キサラギの名をご存知なのですね」
その重々しく切り出した言葉に反して、リンダは明るい声で笑顔を絶やさずに言った。
「もちろん。彼がドルファンにいたのは僅かに三年でしたが、彼のこの国への貢献は並大抵の物ではありませんでしたし……」
言いながらリンダは目を細めて何かを懐かしむような表情を浮かべた。
「彼とは個人的にも付き合いがありましたので」
忠正はその話を鵜呑みにはしなかったが、嘘とも思わなかった。
父がこの国に二十六年前から三年間滞在したのは事実だし、その時の人間関係も勿論あったのだろう。
ただ、東洋から来た一傭兵如きが、今ほどでは無いにしろ当時から財閥として力を持っていたザクロイド家の令嬢と関係があったと言うのは、にわかには信じ難い話しではある。
だが海軍の予算を捻出してくれるというリンダ・ザクロイドの機嫌を自分の個人的な事で損なうのはまったく得策ではない。
忠正は速やかにそう判断すると、にこやかな表情を浮かべた。
「父を知る方とお話が出来て嬉しいです」
「お父様の面影を感じられて、こちらこそ懐かしい気持ちで嬉しいわ」
リンダは穏やかな笑顔で頷きながらジョアンの方を向いて少し声のトーンを抑えて続けた。
「それはさておき、海軍の追加予算の件ですけれど」
「は、はい」
ジョアンがやや緊張をしながら返事をする。
リンダは手にした孔雀の羽で飾られた扇子で口元を隠しながら言う。
「昨日申し上げた通り、追加の予算に関してはわたくしのザクロイド財閥でご用立てしても良いと考えております。もしも上申していない予算がまだあるのならば、それも含めていただいても構いませんわ」
その言葉にジョアンが嬉々とした声を上げる。
「本当でございますか。正直、次に出兵が必要になった際、兵に支払う褒賞金すらおぼつかない状況だったので困っていたところだったのです。なぁ、ディーリアくん」
突然話を振られたエルザは「はぁ」と素っ気ない相槌を打った。
その様子を見ていたリンダが微笑みを浮かべたままの瞳で言う。
「ドルファンを愛する一国民として、他国の脅威から守ってくださる軍隊に貢献するのは当然の話しですわ」
そう言いながら「おーほほほ」とリンダが高笑いを披露すると、今まで黙っていたエルザが口を開いた。
「あの、差し出がましいようですが、発言してもよろしいでしょうか」
リンダは高笑いをやめるとエルザの方を見た。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
エルザは軽く咳払いをすると迷いのない声で言った。
「ご支援をいただけるというのは大変ありがたく存じますが、それではザクロイド財閥に何のメリットもないのではないでしょうか。正直、財閥の持つ資産がいかほどかは存じ上げませんし、掃いて捨てる程のお金が余っていたとしても、いくら愛国の為とは言えなんの見返りもなくザクロイド財閥が支援をして下さるとは、私にはどうしても思えません」
言い切ったエルザにジョアンが飛び上がらん程に驚いて目を見開いたが当のリンダは柔らかな表情を一切変えずに頷いた。
「なかなか見る目のあるお嬢さんのようですわね」
「し、失礼しました!」
咄嗟にジョアンが謝ったがリンダは静かに首を横に振った。
「いいえ。ディーリアさんの仰る通りです。今のままではわたくしどもに何の見返りもない。これは愛国心の話しではなく、ビジネスの話しであると、彼女はそう仰りたいのよね」
エルザは答えず、控え目に目を伏せた。
リンダは一瞬口元に意地悪な微笑を浮かべたが、再び扇子で口元を隠しながら言った。
「ディーリアさんのご慧眼の通り、実を言えばなんの見返りもなく支援をするつもりはございません」
言葉の持つ迫力に忠正もジョアンもエルザも、皆一様に固唾を飲んだ。
「わたくしが求める見返り。それはドルファン港やその周辺に滞留している海賊……いえ、傭兵の力を貸していただきたい、という事です」
「海賊達を……?」
ジョアンは思わず忠正の顔を見つめた。
さしもの忠正も首を傾げる。
リンダはその様子を見て面白そうに笑いながら続けた。
「ザクロイド財閥が燐鉱石とダイヤモンド原石で財を成したのはご存知の事と思いますが、昨今の経営を支えているのは観光業です。外国人排斥法の部分緩和に伴って、海外の観光客を受け入れているので、そういった方々向けに食事や宿の提供、観光地の整備と運営、移動手段の確保、そして現地での治安維持まで一手に引き受けております」
これについては忠正も事前にドルファンについて調べており知っていた。
二十三年前に施行された外国人排斥法はドルファン国籍を持たない者の追放と居住及び渡来を認めないというまさに排他的な法律だったが、それは同時に三方を海に囲まれているドルファンにとっては、海外との断交に近い意味を持ち輸出入に大きな影響を与えて経済の停滞に繋がった。
現国王デュラン・ドルファンが病に倒れ、状況を憂いていたプリシラ・ドルファンが王女摂政宮となり、旧家の両翼が代替わりをしたタイミングで、外国人排斥法の内容は改訂された。
それは、居住を伴わない外国人の受け入れを許可するという内容だった。
これはジョアンの妻であるソフィア・ロベリンゲの所属する劇団アガサの人気が国際的になった事から国外からの来訪希望が爆発的に増えた事もきっかけで、ドルファン国内の観光需要が一気に高まり、それに伴い外資の流入から国の財政が税収以上に潤う事が推測できたことが背景としてある。
事実、十年前に規制緩和された外国人排斥法のお陰でドルファン経済は非常に潤いを見せたし、その観光業を先見の明を持って裏で牛耳ったザクロイド財閥が赤字部門の負債を補って余りある大きな富を得るに至ったのである。
余談だが、今回の傭兵徴募に併せて、軍属の人間に限り外国籍であっても居住する事を許可するように法改正がなされていた。
リンダは話を続ける。
「近年の観光客の増加は目を見張る物がありますが、同時に国内の雇用だけでは観光地の治安維持が難しいという問題が発生しています。観光地の警備に既存の陸軍騎士大隊の力を頼るにも限界があり、困っていたところです」
「その警備を、海賊達にさせろと?」
忠正の言葉にリンダは大きく頷いた。
「その通りですわ。聞けば傭兵達は、軍事招集がかからない平時は何もする事がないというではありませんか。本来なら剣技を磨き、体を鍛え、礼法を学ぶなどやる事がたくさんあるはずなのに、なまじ海賊だったりするからそれもままならない。違いますか?」
リンダの指摘に間違いはなかった。
今回の戦闘にも応じなかった傭兵達は、そもそもドルファンまで来たものの何もする事がなく停泊していた船の乗員たちだ。
このままでは稼ぎもなく、傭兵のはずなのにドルファン港を荒らし始める事は火を見るよりも明らかで、それがジョアンや忠正の今後の課題の一つである事は明白だった。
今後、傭兵達のせいで治安が悪化するのは最も避けなければならない事の一つだし、彼らが陸に上がって仕事をするのなら、その管理も含め、伝令や招集命令も伝えやすくなる。
これは忠正達にとっても願ったり叶ったりの内容だ。
「なるほど、素晴らしいお考えだ!」
ジョアンが鼻息荒く身を乗り出したが、お茶を一口啜ったエルザが冷静な意見を述べる。
「ですが、荒くれ者揃いの海賊達が、素直に仕事に応じるとは思えません。却って観光客から金銭を巻き上げたりして、治安悪化を助長するのではないでしょうか」
リンダが頷く。
「お説ごもっとも。ザクロイド財閥が彼らを雇用し、給与を支払うのならそうなるでしょうね」
言いながらリンダの目が鋭い光を放つ。
それは王室会議のメンバーとしてではなく、ザクロイド財閥を動かす生粋の商売人としての彼女の本性が現れたからだ。
「ですので、わたくしはこの仕事の見返りを全額海軍に支払う事とします。海軍はそれを傭兵達に再分配する」
忠正はそれを聞いて、リンダの思惑が理解できた。
そしてそれと同時に舌を巻いた。この女性は、信じられないほどしたたかだ。
「つまり、人員の管理監督はすべて我々の責任で行え、という事ですね。海賊達の手綱を握るのは飽くまで海軍であり、ザクロイド財閥は軍に金を払うが責任を取る立場にはない、と」
忠正の言葉にリンダは何も言わず微笑むだけだ。
だが、これは海軍にとって破格の好条件でもある。
目の前の問題を漏れなく解決できるだけのポテンシャルを秘めている内容だ。
ふとエルザと目が合うと、エルザも忠正の目をまっすぐに見つめながら頷く。
どうやら彼女もこの案には同意のようだ。
給金という絶対的な価値を握る以上、海賊達のコントロールはやり方次第でどうとでもなるだろう。
忠正はジョアンの肩を叩き、振り向いた彼に深く頷いてみせる。
流石のジョアンもそれですべてを察して、リンダに向けて低い声で言う。
「わかりました。我々としてはそのお話に賛同するよりも良い選択肢は無いようです」
リンダは表情を変えず扇子で顔を扇いだ。
「当然ですわ。わたくしの商売理念は〝お互いが最大の利益を得る事〟ですもの」
その自信たっぷりの言葉に若干呆れつつも、彼女の主張の正しさは忠正にもひしひしと伝わっていた。
だからこそ疑念も浮かぶ。
忠正は若干和らいだ雰囲気に任せて、その胸に沸いた感情をリンダにぶつけてみた。
「ですが、この方法は本来軍部が傭兵徴募の前に考えておくべき内容だと思います。リンダ様が王室会議にいらっしゃるのだから、傭兵徴募の前にこの施策が施行されていてもおかしくないと思うのですが……」
その言葉にリンダの顔から微笑が消えたのを忠正は見逃さなかった。
リンダは平静を装いながら答える。
「この案はもちろん傭兵徴募の前にわたくしから議案として提出しましたわ。プリシラ様にも絶賛をいただいたのですが、旧家の両翼の方々には不評で、法案を通す事は出来ませんでしたの」
「否認された……?」
思いも寄らない回答に忠正は口の前に手を置いて考え始めた。
ドルファンにとって利益しかないはずのこの施策を否認する理由が何かあるだろうか。
この施策を否定するというのはかなり大袈裟な言い方ではあるが、ドルファンが他国に侵略されるのを容認しているようなものではないだろうか。
今回の追加予算の上申にしても否認される要素はほとんどなかった。
もちろんアルダナルが指摘したような問題が無いわけではないが、ハンガリアの侵攻に対応するなら多少の叱責はあっても追加予算も含めて承認されるべきだ。
そんな忠正の思考を読み取ったように、リンダがため息交じりに言った。
「王室会議が必ずしもドルファンの事を考えているかは、誰にもわかりませんものね」
その言葉がにわかに信じられずに忠正は思わず聞き返した。
「超保守派であるピクシスと、それに同調するエリータスの旧家の両翼が主導権を握っているのに?」
ピクシス家と言えば、王家をないがしろにしてでもドルファン王国の存続に固執する政治思想の持ち主だ。
仮にプリシラが旧家の両翼に嫌われていたとしても、だからといってドルファン王国の損失に繋がるような事をピクシス家が選択するのは信じがたい。
リンダは何も答えず、ただ黙って忠正の目をみつめている。
だが、このリンダ・ザクロイドという人物だって果たして信用していいかはわからない。
提案された施策は魅力的な内容だし、一見何も問題がないようにもみえる。
しかし海軍の舵取りが一歩間違えばドルファン国内は混乱するし、下手をすれば陸戦最強を誇っているドルファン陸軍が国内の混乱鎮圧に動く事によって、対外的には防衛力が落ちる可能性だってある。
今まさにリンダが言った言葉も王室会議内の政敵である旧家の両翼を蹴落とす為の手段である可能性も否めない。
何が正しく、何が間違っているのか。そもそも正解などというものがあるのか。
忠正は次から次へと降りかかる難題に、深い深いため息を吐いた。