続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ザクロイド財閥との話をまとめ、実際の運用について細かなルールを設定したり、各種のマニュアルを作成したりと、しばらくの間忠正は多忙を極めた。
毎日深夜まで書類を作り、エルザと議論を交わし、ザクロイド財閥の担当者と詳細を詰める。
合間の時間を見つけてはジョアンと一緒に、まずはルシル率いる〝白鷲〟に説明と協力を仰ぎ、ルシルの協力を取り付けた後は港や沖合に停泊している海賊の船へ訪れては、丁寧に説明を実施した。
意外な事に海賊達は忠正達の申し出に比較的好意的だった。
もちろん目の前にぶら下った人参に食いついたというのもあるが、北の海で名を馳せた〝白鷲〟の代表であるルシルが仲介をしてくれたというのもあったし、掠奪行為も出来ないドルファン港内では海賊達も暇を持て余していた、というのも大きな要因となっていた。
そんな多忙な毎日が過ぎていき、六月はあっという間に月日が巡っていった。
ようやくすべての段取りを取り付け、海賊達との話をまとめ終わったのは、六月の下旬の夏至祭を翌週に控えた日の夕方だった。
ここ数日最後の調整で机に齧り付いていた忠正は大きく伸びをすると、椅子の背もたれにだらしなく体を預けた。
それを横目で見ていたエルザ・ディーリアが眉根を寄せながら言った。
「キサラギ二等水兵、だらしないですよ。軍務中だという事を弁えなさい」
この一か月、毎日日が昇るのと同時に顔を合わせて、夜中まで一緒に仕事をしていたエルザのこの物言いに、忠正はすっかり慣れてしまっていた。
「ディーリア伍長、今日くらいいいじゃないですか。ようやく一区切りついたんだし」
「気持ちはわからなくもないですが、まだ軍務時間中です!」
エルザがぴしゃりと言うと、それを上座の席から眺めていたジョアンが苦笑しながら言った。
「まあまあ。キサラギ君の言う事にも一理ある。ようやく一段落ついたんだ。今日はもう切り上げていいぞ。私も久しぶりに家に帰ろうと思う」
ここ数日は最後の追い込みで泊まり込みが続いていたジョアンも、連日の睡眠不足で色濃い隈まみれの目をシパシパとしばたかせながら大きく伸びをした。
それを横目にエルザはやや不満そうではあるが、小さな声で答えた。
「……上官命令であれば、従います」
忠正が時計を見上げると夕方の四時前というところで、夕飯を食べるにはまだ少し早い時間だ。
ここ最近酷使し続けていた脳にご褒美と言う名の糖分を与えてもいいかもしれない。
それにロムロ坂の喫茶カフェ・ラ・レテが新作スイーツを出しているというのを、街を歩いていた時の風の噂で聞いていた。
顔に似合わず甘味を好んで食する忠正ではあったが、さすがに男一人で甘い物を食べに行くのは気が引ける。
そこで、不満顔で書類を整理している隣の席の上官に声をかけることにした。
「ディーリア伍長。この後お時間があれば、ロムロ坂のカフェにご一緒しませんか」
エルザはしばらく黙って書類の整理を続けていたが、ややあって怪訝な顔を忠正に向けた。
「……私に言っていますか?」
「はい。そのカフェで新作のスイーツがあるみたいなので、息抜きがてらにいかがかと思いまして」
忠正にしてみれば一緒に行く相手は誰でも良かった。
そこにフィオナがいればフィオナに声をかけたし、サラがいればサラを、ルシルがいればルシルを誘ったのだが、たまたま近くにいたのがエルザだっただけなのだ。
こういった事に疎いのは父に似ずに母親の血を色濃く継いだのかはわからないが、とにかく忠正は甘味が食べたいだけだ。
だが、真面目で堅物なエルザ・ディーリアは、その誘いに激しく動揺していた。
なぜこの男はせっかく早く帰れると言うのに自分とカフェに行こうなどと言うのか。
この一か月さんざん一緒に過ごす羽目になったというのに、まだ一緒にいたいと言うのか。
そもそも上長である自分を誘うなど、なんのつもりだというのか。
士官学校を卒業した彼女は軍務以外で異性と過ごしたことなど皆無に等しく、文字通りまったくの奥手であったのだが、その分そういう男女の関係に対する憧れだけは人一倍強かった。
軍宿舎の自分の部屋の本棚を埋める大量の恋愛小説は、彼女の宝物でありバイブルだ。
カフェで向かい合ってお茶をするというのは、憧れのシチュエーションの一つでもある。
この部下は生意気な年下ではあるが、別に嫌いなわけではないし、一緒にいて嫌なわけでもない。
エルザはごくりと唾を飲み込むと意を決して言った。
「い、いいですよ。望むところです。行ってやろうじゃありませんか」
動揺のあまり妙な口調になってしまったエルザの言葉に忠正は不思議そうな顔をしたが、そんな事よりも新作スイーツが気になっていてそれどころでは無かった。
「良かった。じゃあ、行きましょう!」
かくして奇妙な取り合わせの二人は、軍庁舎を後にした。
ドルファン学園の制服姿のパトリツィア・オーエンズは、ロムロ坂の下にある喫茶店『カフェ・ラ・レテ』のテラス席で、氷の入った冷たい天然水を飲みながら、通りを歩く人の流れをぼんやりと眺めていた。
喫茶店なのだから特製のブレンドコーヒーや様々なフレーバーの紅茶など、飲み物の選択肢には困らないはずなのだが、パトリツィアは天然水を選んでいた。
飲み物など水分補給以外に意味がないと思っているパトリツィアは、味にも色にもこだわりがない。
幼少期を過ごしたゲルタニアのスラム街に比べれば、冷たくて透明な水が飲めるというだけで幸せというものだ。
彼女がこんな所で一人で水を飲んでいるのには理由があった。
つい先ほどまで同じテーブルにクラスメイトのフィオナ・ロベリンゲがいたのだが、何やら慌てて駆けつけてきた執事風の男が彼女を連れ帰ってしまった。
もともとフィオナがこの店の新作スイーツを食べるのに一人では行けないと言うので、半ば無理矢理付き合わせられただけなのだ。
頼んでしまった飲み物を無駄にするわけにもいかず、仕方なしにこうして道行く人を眺めながらちびちびと水を飲んでいる。
この後フィオナが注文していた季節限定の新作スイーツが来ると思うと、憂鬱な気分になるというものだ。
そもそも潜入捜査員としてこの国に忍び込んでいるというのに、このドルファン首都城塞は平和そのもの。
大きな事件が起きるでもない。敵国の侵略に怯えるでもない。
治安が悪いわけでもないし、危険な反体制主義者がデモを起こすでもない。
至って平和な毎日にパトリツィアは辟易としていた。
こんな事ならばゲルタニアに残り、敬愛するロゼッタ・サリシュアンの側にいた方がどれだけ有意義だっただろうか。
そんな事を考えていると、隣のテーブルに一組のカップルが案内されてきた。
男女ともにドルファン国軍の制服である青い軍服を着ているのが視界に入り、興味を惹かれた彼女はそちらに視線を向けた。
女の方の軍人は見た記憶もなかったが、上機嫌にメニューを眺めている男の方には見覚えがあった。
フィオナとサラに連れていかれた五月祭で紹介された傭兵だ。確か名前は──
「タダマサ・キサラギ」
思わず声に出してしまった名前に、呼ばれた当の本人である忠正がメニューから顔を上げ、パトリツィアと目が合った。
一瞬誰だかわからずに考えていた忠正だったが、その特徴的な金髪の三つ編みと、碧眼、鼻の周りのそばかすで、すぐに思い出した。
「パトリツィア・オーエンズさん、だったかな……」
「どうも」
声に出して名前を呼んでしまった自分の迂闊さに若干呆れながら、パトリツィアは会釈をする。
忠正の向かいに座った女性軍人がものすごい不審そうな顔で忠正とパトリツィアを見ているが、忠正は一向に気にせずにパトリツィアに話しかけた。
「君もお茶をしに来たのかい」
先日会った時に比べると随分機嫌良さそうな忠正の態度に若干怪しみながら、パトリツィアが答える。
「お茶をしに来たわけではないけれど、結果的にそうなってしまっただけよ」
「?」
言い放ったパトリツィアの言葉に忠正もエルザも不思議そうな顔をしたが、あまり気にはしていなかった。
パトリツィアの事よりも新作スイーツが気になって仕方がない忠正は、エルザが飲み物を選ぶのを待つと、そわそわと店員を呼んだ。
「この季節の新作スイーツを二つと、ホットの紅茶とコーヒーを一つずつ」
しかし店員の男性はそのオーダーに深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。季節のスイーツは先ほど完売してしまいまして……」
「そんな……!」
先ほどまでの上機嫌さはどこへやら、忠正は深い絶望の淵に立たされたような顔で声を絞り出した。
それを横目で見ていたパトリツィアはため息交じりに言った。
「さっき私の連れがその新作スイーツだかを注文したの。私はそれに興味がないから、そちらにお譲りするわ」
「え、いいのか!?」
一転、パッと明るい顔で言う忠正にパトリツィアは呆れながら頷いた。
「じゃあお言葉に甘えて。あと、DXチョコレートパフェEXも一つ」
注文を受けた店員が下がっていくのを見送り、忠正は隣のテーブルのパトリツィアに頭を下げた。
「ありがとう、オーエンズさん。お陰で目当ての物が食べられそうだ」
「礼ならフィオナ・ロベリンゲに言う事ね。私は別に食べたかったわけじゃないし」
「フィオナに?」
「それを頼んだのは彼女だから。ついさっきまでそこにいたのだけれど、家人に連れていかれてしまったわ」
「そうなのか……」
そんな二人の会話を澄ました顔で聞いていたエルザではあったが、内心は気が気ではなかった。
タダマサ・キサラギがどんな意図で自分を誘ったかはわからないが、まさか二人でお茶を楽しむはずだったものがドルファン学園の女子学生が登場し、なおかつスイーツを融通してもらうなど想像もしていなかった事態だ。
士官学校時代のエルザは地味で華の無い濃紺の制服と、男女の出会い等全く無い、規律に縛られた厳しい学校生活を送っており、街ですれ違う赤くてお洒落なドルファン学園の制服に嫉妬に近い憧れを抱いたものだった。
そんな事を思い出して浮かない顔をしていたエルザに気が付いたのか、忠正があわててパトリツィアを紹介した。
「すみません、ディーリア伍長。こちらは……まあちょっとした知り合いのパトリツィア・オーエンズさんです。オーエンズさん、こちらはオレの所属部隊のエルザ・ディーリア伍長だ」
紹介された二人はなんとなく気まずい雰囲気でお互い会釈をしたが、パトリツィアはじろじろと遠慮のない視線をエルザに投げかけながら言った。
「海軍には女性士官がいるのね」
その口調は敵意や嫌悪感というよりは、好奇心、もしくは若干の侮蔑のようなものを含んだ物言いだったので、エルザは少しムッとしながらきっぱりと答えた。
「私は事務官です。あなたはドルファン学園の生徒ですよね。放課後に喫茶店で寄り道とは感心しません。学生の本文は勉学ですよ」
その言葉にパトリツィアは明らかに嘲るような微笑を浮かべつつ言う。
「戦場に赴く事もない事務官様が、一般市民に説教? 自分こそ軍人で戦時中だという自覚があるのなら、こんな所に制服で来て、甘い物なんか食べている場合ではないんじゃないの」
真っ正面からぶつけられた正論と敵意にエルザは一瞬言葉に詰まってしまったが、沸き上がる怒りに席を立って反論しようとした時、忠正がそれを手で制した。
「まあまあ。二人とも初対面で神経質になるのも無理はない。だが……」
そう言いながら視線を店の中へと向ける。
二人がそれに気づいてそちらを見ると、銀色のトレーに大きなパフェを二つ載せた店員がこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。
「話はあれを食べてからだ」
見た事もない満面の笑顔の忠正に毒気を抜かれてしまった二人は、ため息を吐きながらどちらともなく視線を外した。
やって来た店員が旬のアプリコットをふんだんに使った大きなパフェと、どこがデラックスでどこがエクストラなのかわからないチョコレートパフェをテーブルに置く。
忠正はそのチョコレートパフェをパトリツィアの前に置き直した。
「これは季節の新作スイーツを譲ってくれたお礼だ」
そして、目の前のエルザに向かってスプーンを差し出すと、喜色満面のまま言った。
「さあ、伍長! シェアになってしまい申し訳ないですが、我々はこちらのパフェをいただきましょう!」
その有無も言わさない勢いに、エルザもパトリツィアもきょとんとした顔で目の前の甘味をみつめていた。
戸惑う二人の事などお構いなしに、忠正は自分のスプーンをパフェに差し込み、たっぷりのクリームとアプリコット・ジャムを掬うと大口を開けて口の中へ運んだ。
「うん! 杏の爽やかな酸味と甘さが癖のない生クリームと良く合う。このジャムは少し甘めだけれど、それがシロップで煮込んだ杏の酸味を引き立てていて、絶妙なバランスだ。この新作は間違いなく当たりだな!」
饒舌に語る忠正を半ば呆れながら見ていたパトリツィアだったが、あまりにも忠正が美味しそうに、そして嬉しそうにパフェを食べるのを見て、なんとなく自分の前のチョコレートパフェに興味が沸いた。
小さい頃からシュヴァルツデスアプグルント騎士団の一員として育てられてきた彼女は、生まれてこの方、パフェというものを食べた事がなかった。
甘い物になど興味がないとは思っていたが、騎士である忠正が夢中で頬張る姿を見様見真似で一口食べてみる。
その瞬間、感じた事のない感覚が彼女の舌を稲妻のように突き抜けていった。
ふわふわの生クリームとバニラアイスの冷たい甘さが駆け抜けていき、そこにチョコソースの強烈な甘さと隠れたほろ苦さが追い打ちをかけてくる。
信じられない衝撃に、もう一口食べ進める。
今度はクリームに隠れていたバナナが砂糖とは違った自然な甘みと独特の食感で楽しませてくれる。
初めてのパフェという食べ物の魔力に取りつかれたパトリツィアは、気が付いたら夢中でスプーンを口に運んでいた。
そんなパトリツィアの一方で、エルザは真っ赤な顔をしてスプーンを持ったまま固まっていた。
忠正が新作スイーツとパフェを注文したのは、二人で一つずつを食べる為だと信じ切っていたので、まさか一つのパフェをシェアして食べるなど思ってもみなかった。
憧れの恋愛小説のシチュエーションに一つの飲み物を二人で別のストローで飲むというのはあったが、パフェを二人で食べるという場面は読んだ事が無い。
読んだ事がないものは対処も出来ない。
困り果てて固まるエルザに「ディーリア伍長、食べないんですか? 最高に美味いですよ」とあっけらかんと言う忠正に腹が立ってきた。
この男はもしかしたらただ単純に空気も読めない無頓着な男なのかもしれない、と思い始めると緊張している自分が馬鹿らしくなってきて憮然とパフェを口に運んだ。
その瞬間爽やかなアプリコットの酸味と甘みに思わず声が漏れた。
「……美味しい」
呟いた言葉に、忠正が嬉しそうに頷いた。
「ね、言った通りでしょう。これはちょっと油断していました。まさかここまでレベルの高いものが食べられるとは!」
嬉々として言う忠正にエルザの頬は自然と緩み、もう一口スプーンを運んだ。
すっかり甘味を満喫した三人はほぼ無言のまま食べ進み、綺麗にパフェを平らげるとようや人心地ついてそれぞれの飲み物を堪能していた。
不思議なもので、パフェを食べる前のギスギスとした空気はそこには無く、三人の間には何かを一緒に達成したような謎の連帯感のようなものが漂っていた。
そんな不思議な雰囲気の中、エルザがコーヒーを飲みながらポツリと呟いた。
「そう言えば、来週は夏至祭ですね」
「夏至祭?」
首を傾げる忠正に同調するようにパトリツィアも肩をすくめた。
二人の反応を見たエルザは手を打った。
「お二人はドルファンの出身ではないのですね。夏至祭は太陽の輝きを後押しするように各地でかがり火を焚くのですが、カミツレ高原のものはカミツレ山にドルファンの国旗を模した大きなかがり火を焚いて、駅前の広場の色々な露店を楽しむ初夏の風物詩です」
「へえ、面白そうだが、その分人出も多そうですね」
忠正が言うと、エルザは頷いた。
「そうですね。特に運命の人を占ってくれる占い師のテントが人気なので、若い人達を中心に人が集まる印象はありますね」
エルザの言葉に、黙って水を飲んでいたパトリツィアが顔を上げた。
「運命の人?」
「そうです。高名な占い師の方が運命の相手を水晶玉に映して下さるんです。私もいつも占っていただこうと思っているのですが、なかなか踏ん切りがつかず……」
言いかけたエルザはあわてて首を振った。
「いえ、これは忘れて下さい」
「……」
パトリツィアは興味なさげに再び天然水のグラスに視線を移したが、何かを考えているようだった。
忠正は紅茶を飲み干すと、夕闇が迫った空を見上げて言った。
「運命の人……ね。ちょっと興味はあるかな。せっかくだし、行ってみようかな」
その言葉に体を硬直させたエルザと、何かを考えたままのパトリツィア。
三者三葉の想いを余所に、店の燐光灯に明かりが灯った。