続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
日毎に強く眩しくなる日差しに、ロゼッタ・サリシュアンの不満は募る一方だった。
それまで自分の監視役として手元に置かれていたパトリツィアがドルファンの潜入捜査に赴いてからというもの、教育係と称して監視され続けているエルヴィン・ハーンの付きまといに我慢の限界が近づいていた。
ロゼッタが自分の目的の為に、このシュバルツデスアプグルント、いわゆる<漆黒の深淵>騎士団に入団して以来、彼女は意図的に冷たい言葉を使い、無感情を装い、鉄の女を演じ続けている。
だが、本来の彼女の性格は明るく自由奔放で、なんならじゃじゃ馬娘という言葉がぴったりな程の跳ねっ返りであるのだ。
なので太陽が明るく輝き、エネルギーが満ち溢れる夏という季節が大好きだったし、日増しに暑くなっていくというのに、暗く狭い部屋の一角に閉じこもっているなど我慢がならなかった。
飽くまでも表立った行動が出来ない影の騎士団であるシュバルツデスアプグルントにおいて、しばらくは大きな軍事行動も無ければ戦争に赴く事もない。
今はまだじっと堪えて力を溜めており、来るべきタイミングに向けての裏工作に専念している状況だ。
だがその日ついに我慢の限界に達したロゼッタは、まだ日も昇らない早朝に『二、三日で戻る』とだけ書いた手紙を自室に残し、監視の目をかいくぐって馬を走らせていた。
行く当てがあったわけではなかったが、本拠地を抜け出したロゼッタの足は自然と海の方へと向かっていた。
常に身に纏っていた真っ黒な鎧から解放されて、父親から受け継いだ刀一本の武装に動きやすいパンツスタイルの私服という出で立ちで愛馬を走らせていると、鼻孔をくすぐる風の匂いにわずかに潮の香りが混ざるのを感じた。
少し先の小高い丘まで駆けると、やがて視界の先に青々と光る海が飛び込んできた。
眩しさに目をすぼめながら、ロゼッタは声を出して笑っていた。
せっかく海まで来たので浜辺を探してうろうろとしていると、細い岩場の切れ目に小さな浜に繋がっていそうな道をみつけた。
馬を降りると手近な木に手綱を結び、早速その道へと進んでいく。
ごつごつとした岩場を抜けると、そこは人の姿もない隠れた小さな浜辺であった。
「わあ、最高!」
思わず声を上げて靴を脱ぎ捨てたロゼッタは、白亜の砂浜へ駆け出した。
七月の太陽に焼かれた砂の熱くて軽い感触を足で楽しみながら波打ち際まで走る。
透明に澄んだ波が寄せてくるギリギリまで行くと、わずかに足を撫でた海水の冷たさに飛び退く。
本当はこのまま海に飛び込みたいところだが、衝動的に飛び出してきたので着替えを持っていない事と、腰に差した刀はもちろん金属なので塩水に弱い事に思い至り、悔しいけれど止めておいた。
ロゼッタは波打ち際に立ち尽くすと、寄せては返して足元をくすぐる波の感触と、眼下に広がる光輝く海の景色、肌を焼く太陽の熱さをしばらくの間時が経つのも忘れて楽しんでいた。
「風が……心地良いな」
存分に夏の匂いを取り込んで満足し、ようやく振り返った瞬間、彼女は砂浜の人影に気が付き咄嗟に腰に差した刀の柄に手をかけた。
だがその人の出で立ちに慌ててその手を下ろした。
そこにいたのは大きな麦わら帽子をかぶり、砂浜に無造作に座っている女性だった。
麦わら帽子に隠れて表情は見えないが、帽子からこぼれる長くて緩やかに波打つ金髪を後ろで緩やかに結んでいる。
非常にラフな白い服にデニム地のショートパンツといった飾らない服装で、手に持ったスケッチブックに何かを描いているようだ。
その女性はロゼッタがこちらを見ているのに気が付くと、極めて明るい声で言った。
「やあ、もう少しそこに立っていてくれると助かるんだけれど」
大人っぽい艶やかな声だった。
「何をしているの」
ロゼッタはそう声を投げながら、その女性へと近づいていった。
身なりや様子からシュバルツの関係者ではないと思ったが、一応は警戒をしておく必要がある。
せっかく抜け出してきたのに、こんなに早々に連れ戻されたらたまったものではない。
ロゼッタが女性の元まで歩み寄ると、その女性は麦わら帽子のツバを上げて微笑みかけてきた。
金色の髪によく合う黒に近い緑がかった瞳に、少し垂れ目がちな目の形と反対にやや吊り上がった眉。
年のころは恐らくロゼッタの母親と同じ頃なのだろうが、着ているラフな恰好もあって若々しく見える。
肉付きは良いがほっそりとした足を惜しげもなくさらけ出してあぐらをかいている様が、妙にその雰囲気に似合っていた。
その女性は微笑んだまま手にしたスケッチブックをロゼッタに差し出した。
それを受け取り、今まさに描いていたその絵を見ると、そこには書きかけではあるものの雄大な海を見つめる自分の後ろ姿が、非常に力強いが繊細なタッチの水彩画で描かれていた。
「これ、私?」
ロゼッタが言うと、女性は嬉しそうに頷いた。
「そうさ。波打ち際に佇むあんたがすごく絵になる構図だったんで、思わず。迷惑だったか?」
「いいえ……別に構わないけれど……」
ロゼッタは半分聞いていなかった。
その絵の海の色、空の色、夏の強い日差しの色、全てが美しく色彩豊かで思わず見入っていたからだ。
女性は手にしていた筆を砂浜の上のパレットに置くと、静かに立ち上がった。
「気に入ったかい?」
その言葉に我に返ったロゼッタは慌ててスケッチブックを女性に返した。
「ええ、とっても。なんていうか、夏の匂いを感じるわ。あなたは……画家なの?」
素直なロゼッタの言葉に、女性は目を細めて微笑んだ。
「気に入ってもらえて嬉しいよ。画家なんて大袈裟なものじゃないけれど、各地を旅しながら絵を描いているんだ」
「素敵! いいわね、そんな旅も!」
ぴょんぴょんと跳ねて感情を表現するロゼッタに、その女性は少し驚いた顔をしたがすぐに柔らかく笑った。
「あんた、面白いな。あたしはレズリー・ロピカーナ。言った通り、放浪の旅をしているしがない絵描きさ」
ロゼッタは一瞬名乗りを躊躇したが、放浪の絵描きに名乗った所でなんの支障もないだろうと判断し、右手を差し出した。
「私はロゼッタ。ロゼッタ・サリシュアンよ」
二人は握手を交わして微笑みあった。
二人は再び砂浜に座ると、レズリーは絵の仕上げに取り掛かり、ロゼッタはそれを物珍しそうに眺めていた。
パレットの上の絵の具を水で伸ばし、混ぜて、色を置いていく。
初めて見るその光景に興味津々で目を輝かせて覗き込むロゼッタに、レズリーは手を動かしながらも自然と口元が緩んだ。
「珍しいかい?」
レズリーの言葉にロゼッタは何度も頷いた。
「絵を描くところなんて初めて見るから、とっても新鮮で興味深いわ」
前のめりに鼻息荒く言うロゼッタに、レズリーはまるで子犬のようだと感じていた。
今にも目に見えない尻尾がぶんぶんと揺れているのが伝わってきそうだ。
「まるで昔のロリィを見ているようだ」
呟いた言葉にロゼッタは不思議そうな顔をしたが、レズリーは微笑みながら首を振った。
「いや、こっちの話し。それよりも、こんな人気のない海岸であんたは何をしていたんだ?」
明るく言うレズリーに、ロゼッタは静かな海を眺めつつわずかに目を伏せた。
「……何も。ちょっと気持ちが塞ぎ込んでしまいそうだったから、息抜きに」
さっきまで絵の具に興奮していた仕草が急に鳴りを潜めた事に、レズリーは驚いた。
「そうか。何か大変な事があったんだな」
「……ううん。何もないの。でも、今後大変な事が起こるだろう事はわかっているし、私は何としてもやらなきゃいけない事があるから、へこたれてなんかいられないし」
そう言ったロゼッタの目は遠くをみつめていたが、後半の言葉には確固たる強い意志の力が宿っている。
「それは、あんたが持っているその剣に関係する事なのか?」
レズリーが筆の先で脇に置いていた刀を指す。
ロゼッタは自分の刀をちらりと見たが、その赤い瞳をまた海の方へと向けた。
「……そう、なるでしょうね」
寂しさと覚悟が混じったその言葉に、レズリーは「ふうん」と相槌を打ちながら何かを思い出していた。
年頃の娘が剣なんて携えているのは、まったく普通ではない。
それにこれがただの剣では無いことをレズリーは経験から知っていた。
二十年以上前だが、懐いていた外国人の傭兵がよく似た剣を使っていた。
あの東洋人傭兵はこの剣の事をなんと呼んでいただろうか。
こんな朗らかで明るい雰囲気の娘が武器を携えているのは、なぜだろうか。
そんなレズリーの思考を打ち切るように、今度はロゼッタが明るい声で言った。
「レズリーさんこそ、こんな所で何を? 絵を描きに来たのかしら」
「あたしは旅の途中なんだ。まあ、アトリエに帰る途中なんだけれど、ふらふらと歩いていたら人気もない良い浜辺を見つけたから寄ってみたのさ」
「アトリエ?」
「ああ」
レズリーはキャンバスに筆を落とすと、最後の仕上げの色を伸ばしながら答える。
「あたしの活動拠点、アトリエはドルファンにある。諸国を巡ってスケッチをしたり、時には現地で絵を描く事もあるけれど、基本はドルファンのアトリエで旅先の事を思い出しながら作品を仕上げるんだ」
「ドルファンの人なの?」
レズリーは頷いた。
「まあな。とはいえ、一年の半分以上はどこかに旅しているから、胸を張ってドルファンの人間とは言えないかも」
そう言って笑うレズリーに、ロゼッタは曖昧に頷いた。
「そういうロゼッタはゲルタニア出身なのか? この辺りではあまり見かけない黒髪に顔立ちだけれど」
レズリーの言葉にロゼッタは自分の髪を撫でながら言った。
「私はスィーズランドの出身なの。この髪は両親譲りね。どちらも黒髪だから、どっちに似たかはわからないけれど」
「スィーズランドか……。それにしては、なんとなく異国風な雰囲気を感じるな」
レズリーの観察力にロゼッタは感心したように目を輝かせた。
「わかる!? 私、父が東洋人なの!」
「東洋人?」
「ええ、お箸の国と言えばわかるかしら。母はスィーズランド出身だから、ハーフなのよ」
「へえ……」
頷きながらもレズリーは記憶を呼び戻すまでもなく、昔からの友人の顔を思い出していた。
その友人に最後に会ったのはもう十五年程前にだっただろうか、長期の旅からの帰り道にスィーズランドの住まいに寄った事があった。
レズリーがまだドルファン学園高等部の生徒だった頃、三年間同じ学び舎で過ごした友人の家だ。
当時、ドルファンは隣国であるプロキアとの戦争の真っ最中であった。
その友人はスィーズランドからの留学生であまり目立つタイプではなかったが、ひょんなことから付き合いが始まり、気が付いた時には絵のモデルになってもらうような関係となっていた。
ドルファン学園を卒業後は、なぜかわからないが当時の戦争の為にドルファンに雇われていた東洋人の傭兵とスィーズランドに帰り、その数年後に二人は結婚していた。
結婚式に参列する事(そもそも結婚式を挙げたのかも知らないが)は出来なかったのだが、放浪の絵描きとして駆け出しのころ、最初の旅に出た帰り道に、その二人の住まいに寄ってみたのだ。
あの時はまだ小さな子供だったが、双子の姉弟がいた。
夫婦によく似た黒い髪と、母親である友人の瞳の色をそっくり受け継いだルビーのような大きな瞳が印象的だった。
年の頃もあれからの年月を考えれば、丁度今のロゼッタと同じくらいになっているだろう。
だがロゼッタはサリシュアンという姓を名乗っていた。
レズリーの友人なのであれば、母親とも、東洋人である父親とも姓が違う。
「レズリーさん?」
ロゼッタの言葉にはっと我に返ったレズリーは、軽く頭を振った。
他人の空似というものかもしれないし、仮に友人の子供だったとしても、だから何という事もない。
レズリーは筆を置き、パタパタとスケッチブックを振って絵を乾かし始めた。
「さて、とりあえず絵も描き終わったし、そろそろ行こうかな。日が暮れるまでに宿に帰らないと、店主にどやされるんだ」
「すごい、旅慣れしている感じがするわね!」
「まあな。あんたはどうなんだ。見たところ大した荷物もないようだし、帰るんだろ?」
その言葉にロゼッタは困ったように肩をすくめた。
「何も考えずに飛び出してきたから、何も準備をしていないことに気づいたわ」
悪びれずに言うロゼッタの様子に、レズリーはため息を吐いた。
「……だったら、あたしの宿に来るかい? 空き部屋は無いと思うけれど、雑魚寝でよければあたしの部屋に泊めてやるよ」
「本当に!? 助かるわ!」
途端にニコニコと笑顔になるロゼッタに、レズリーは呆れて苦笑いを浮かべた。