続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
シュバルツデスアプグルントの本拠地に戻ったロゼッタは、自室に入るなりドアを激しくノックする音にため息を吐いた。
「開いているわ」
だるそうに声を投げると、眉をひそめた不機嫌顔のエルヴィン・ハーンが遠慮もなしにずかずかと部屋に入って来て、やや早口に言った。
「やあ、プリンセス。二日間どこに行っていたのかな」
ロゼッタは椅子に深々と座ると無表情に答える。
「休暇を取っていたの。どこに行っていてもいいでしょう。こうして戻って来たのだから」
エルヴィンはロゼッタに詰め寄ると、顔を近づけて低い声で言った。
「勝手な行動をされると困るんだよ、仔猫ちゃん。戻ってきたからと言って、どこで何をしていたのか報告してくれないと。この二日間でどこぞの間者と連絡を取っていたのかもしれないだろう?」
「信用ないのね」
冷たく言い放ったロゼッタに、エルヴィンは金髪をかき上げながら侮蔑の色も露わに言った。
「当たり前だろう? ゲルタニア人でもない他国から来たぽっと出の女の事なんて、誰が信用するって言うんだ。ましてや」
エルヴィンは耳元で確かな怒りを声に込めて囁く。
「ヴァルファバラハリアンなんて過去の亡霊の傭兵団の娘なんぞ、オレはこれっぽっちも信用していない」
ロゼッタは答えずにただ黙っていた。
エルヴィンはしばらくロゼッタを鋭い視線で睨んでいたが、やがて背を向けて入り口のドアに手をかけた。
「団長がお前の事を目にかけているからこれで済ましてやるが、万が一にでも裏切ろうものなら、地獄に落ちた方がまだ幸せだと思える目に合わせてやる。始末書は今日中に提出しろ」
満身の怒りを声に込めて言ったエルヴィンはドアを開けて部屋を出ると、激しい音を立てて叩き閉めた。
静まり返った部屋に残されたロゼッタは深いため息を吐いた。
「……いつかは輝く時が来る、か」
そう呟いて窓の外へと視線を移す。
あの海辺は、もう遥か遠くになってしまっていた。
海軍本部の会議室に集まっていた如月忠正、ルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラ、そしてエルザ・ディーリアは前に立つジョアン・エリータスの言葉に首を傾げた。
「エドワーズ島に行け、と? なんでまた、あんなリゾート地に」
忠正が不満げに言うのに、ジョアンは肩をすくめて答えた。
「キサラギ君の言いたい事はわかる。だが、確かな筋からの情報なのだ。無視するわけにもいかんし、仮にガセネタだったとしても、それはそれでいい骨休めになるだろう」
「なぜ我々なんですか。ザクロイドとの契約もあるので、海賊達の一団を仕向ければいいのではないですか」
「あそこは貴族や上流階級の人々を中心に、彼らが夏を過ごす場所だ。いくらマニュアルがあるとは言え、素行の悪い海賊達を差し向けるわけにはいかんよ。信頼が置けて、なおかつ少数精鋭で事に当たる方が最適だと私は思うがね」
ジョアンの言う事は正論だった。
忠正はそれでも少し不満げにルシルとエルザの顔を見た。
「ルシルはともかく、ディーリア伍長はこの任務からは外すべきだと思いますが」
そんな忠正の言葉に、エルザは一歩前に出ると凛とした声で言った。
「私も今は会計課にいますが、士官学校を卒業しています。格闘、射撃に関しても素人ではありません。人手は一人でも多い方が良いという少佐のご判断なのです」
「それはそうかもしれないですが……」
なおも不満げな忠正に、ルシルがため息交じりに言った。
「連れていけばいいんじゃないか。言う通り、人手は大いに越した事はない。〝白鷲〟の船長も二人ばかり連れていくが、それでもあの島の大きさを考えれば少ないくらいだ」
「でもなぁ……」
煮え切らない忠正ではあったが、結局は折れるしかない事はわかっていた。
ジョアンが掴んだ情報というのは、ハンガリアのスパイが商船に扮してエドワーズ島に入港し潜伏している、という話しだった。
ドルファン国軍の諜報部隊が仕入れた情報という事だが、信ぴょう性はイマイチと言わざるを得ない。
潜入していると思われる部隊の規模も人数もわからないし、潜伏して何をしているのかもわかっていない、いわゆる眉唾の情報ではあるが、先にジョアンが述べた通りエドワーズ島は貴族や金持ちが集まる島だ。
そもそもこんな仕事は陸軍の治安維持部隊もしくは地区警備隊に任せるような案件ではあるのだが、商戦に扮した侵入というのが分掌を曖昧にさせていた。
海からの侵入、しかも敵対しているハンガリアのスパイとなると、それは海軍の管轄になる。
もしここで事件が起きたとするとそれは大事になるし、事前に情報を仕入れていたにも関わらずそれを放置していたとなると、海軍の、そして海軍唯一の将校であるジョアンの責任問題にもなる。
責任を押し付けられているような、背後に見え隠れする何かきな臭いものを感じ取った忠正は乗り気ではなかったのだが、ジョアンの言う通りだからと言って放置する事も出来ない。
この情報がガセネタであれば、リゾート島での夏を過ごせるわけで骨休めにはもってこいなのだが、仮に本当にスパイが潜入していたならば捕縛するのには骨が折れるだろうし、荒事も発生するだろう。
エドワーズ島でバカンスを楽しんでいる上流階級の人々を守りながらそれを実施するというのは難易度が高く、人手が大いに越したことはないのは間違いない。
忠正も、エルザは軍人なので素人を連れてい行くよりも余程頼りになるとは思っているのだが、どうにも不穏な匂いのするこの任務自体にどうしても不信感をぬぐい切れていなかった。
「……まぁ、悩んでいても仕方ないか」
この情報が空振りで、ただの楽しい休暇になってくれる事を願いつつ、忠正はジョアンに頷いてみせた。
海猫が飛び交い、みゃあみゃあと鳴き声を上げる中、私服姿の忠正とエルザ、ルシルの三人はエドワーズ島への定期便の船に乗り込んでいった。
潜入調査員の調査という事なので、一目で軍人と分かってしまうドルファン海軍の制服姿ではなく、あくまで一般の旅行客に扮して島へと赴くためだ。
ルシルが選出した〝白鷲〟の船長二人は先に自分達の船で現地入りをしており、向こうで表立ってではなく秘密裏に落ち合う予定だ。
定期便の船は百人以上が乗れる大きさのキャラック船だが、乗客がゆったりと座れるスペースの確保や長期滞在の為の大量の荷物を積み込んでいる為、忠正達以外は二十名程のいかにも金持ち風の乗客しかいなかった。
普段の年季の入った革のジャケットではなく、いかにもリゾート風のシルクのシャツの胸元を大きく開けたルシルが甲板の手すりにもたれながら、物珍しそうに周りを眺めて呟く。
「本当に金持ちしか乗っていないんだな。これで外洋に乗り出すのなら、海賊なら真っ先に狙いたくなる船だ」
隣で大きな白い帽子をかぶったワンピース姿のエルザが生真面目な顔をして答える。
「物騒な事言わないで下さい。ルシルさんはそもそもの発想が軍人としてふさわしくないんですよね……」
「所詮は雇われだからな」
そう言って不敵に笑うルシルに、エルザはため息を吐いた。
そんな二人のやり取りを横目に、忠正は乗客を観察していた。
この船に乗り込んで来ているのは今の所五組のグループで十九人。
貴族の家族連れが三組と、金持ちそうな老夫婦、ザクロイドの子会社の社長家族だ。
乗客は自分達も含め全部で二十五人という事だったので、あと三人の乗船を待っている状況だ。
他の乗客に比べると若い男女の忠正達は若干浮いて見えるが、ジョアンが用意した仕立ての良い服を纏っているせいか、この船の空気感に馴染んでいないわけではない。
ただし、その一般の乗客を装う為に武装はしておらず、忠正のレイピアもルシルのナイフと銃も、すべて荷物を詰めた木箱の中に納められていた。
「丸腰だと落ち着かねえな」
ルシルの言葉に忠正も頷いた。
「同感だな。腰が剣の重みを覚えているから、バランスが悪く感じるよ」
「オレは真っ直ぐ歩ける自信がないぜ」
そんな軽口を叩き合っていると、最後の乗客と思しき人影が桟橋からタラップを渡ってくるのが見えた。
顔を動かさず視線だけそちらに送った忠正だったが、すぐに驚いて顔を向けてしまった。
乗船してきたのは三人組の若い女子の一行で、先頭のショートカットの女性が甲板の忠正を見つけて大きな声を上げた。
「タダマサ! なんでこんなところに!?」
その声に後に続いていた二人も忠正の方を見た。
「き、キサラギさん!?」
「ああ、傭兵さん。あなた、どこにでも現れるのね」
三人娘のそれぞれの言葉に、ルシルが呆れた声を上げる。
「知り合いか?」
「まあ……」
そう言って忠正は三人娘の方へ近づいて行った。
「やあ、サラ、フィオナ、それにオーエンズさん。君たちもエドワーズ島へ?」
そう言いながら忠正はため息を飲み込んで、引きつった笑顔を作った。
色々な意味で大変な任務になりそうだった。
乗客をすべて載せた定期便は、緩やかにドルファン港を離れていき、瞬く間に港外へと進んでいった。
三本マストの大きな帆にいっぱいの風を受けて走り出した船はあまり揺れる事もなく快適そのものだった。
三人娘と忠正は後部デッキの手すりにつかまって離れていくドルファン港を眺めながら、話をしていた。
「へえ、フィオナの別荘に?」
忠正が感心したように言うと、フィオナは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「そんな大した物じゃないんです。父と母が保養の為に買ったものなんですが、二人とも忙しくて全く使っていないので……」
それにしてもエドワーズ島に別荘を持っているなど、やはりフィオナの家はただの金持ちというわけでもない。
忠正はそんな事を考えていると、サラが若干意地の悪い低い声で言った。
「ま、あたしとパトリツィアは役得ってやつだけど。タダマサは休暇か? 美人を二人も連れて、いいご身分だな」
今度は忠正が慌てる番だった。
まさか任務で来ていると言う訳にもいかないが、それを言わないと自分は両手に花でリゾートまで遊びに来ている遊び人と捉われかねない。
忠正がオロオロとしていると、パトリツィアが見兼ねて口を挟んだ。
「さっきの大きな帽子の女性は軍人だし、銀髪の方も一般人という訳じゃなさそうね。大方、海軍の演習か何かで来ているんじゃないかしら」
パトリツィアはエルザと面識がある。先日、ロムロ坂のカフェ・ラ・レテで一緒にパフェを食べた事を思い出した忠正はパトリツィアの意見に乗ってしまう事にした。
「そう、そうなんだよ。ただ、軍の保養も兼ねているから市民の皆さんに不安を与えないよう、こうやって私服で来ているんだ」
「ふうん……」
訝し気な声で返事をしながらこちらを見るサラと、若干不審そうな上目遣いで見ているフィオナの視線が刺さるが、全部ではないが概ね本当の事だ。
ただ、パトリツィアだけは興味なさげに海を眺めているものの、その口元はほんの少しだけ面白そうに上がっていた。
小一時間でエドワーズ島に到着した船は、桟橋から積み荷を降ろす作業でごった返して人が入り乱れていた。
忠正達はそれほど荷物が多いわけではないので比較的早々に木箱を回収し、宿泊する為の宿へと馬車の手配が完了していた。
エドワーズ島にも軍の施設はあるが、もともと力の無い海軍の管轄の建物は一切ないし、陸軍が管轄している施設を使う訳にもいかず、ザクロイド財閥が運営している一般的な宿を使用する事になっていた。
エドワーズ島の港はそれほど規模が大きいわけではない。
桟橋も大型船が二層停まったらスペースがなくなってしまう程で、今は定期便が二つの内の一つを塞いでいる状況で、もう一つの桟橋は空いている。
小さな漁船のような船やボートなどは何艘か見つけられるが、商船の類は少なくとも港周辺には見つけられなかった。
ルシルが油断なく周りを警戒しながら言う。
「それらしい船はいないな。もっとも、あからさまに怪しい船なんぞで潜入するわけはないだろうが」
忠正は頷きながら顎を撫でた。
「むしろわかりやすくハンガリア船籍の商船なんかがいてくれれば、仕事が楽なのにな」
「そう上手くはいかねぇだろ」
ルシルが呆れた声を上げると、そんな忠正とルシルのもとに船から降りたフィオナが歩み寄ってきた。
そして忠正を見ると遠慮がちに声をかけた。
「あの、宿はお決まりですか?」
「ああ、少し先の海岸沿いの宿に部屋を取っているよ」
「そうでしたか……」
少しだけ残念そうな顔をしたフィオナだったが、すぐにメモを取り出して忠正に差し出し、ほんのり頬を染めながら言った。
「ここに私たちの泊まる別荘の住所を書きました。明日の夜に簡単なパーティーをする予定なので、あの、良かったら遊びに来てください」
「そうなのか。ありがとう」
悪びれもせずにメモを受け取る忠正の仕草にルシルはため息を吐いた。
そして意地悪な微笑を唇の端に浮かべながらフィオナに言う。
「そのパーティーにはオレ達も参加していいのかな。それともご招待はタダマサだけ?」
その言葉にフィオナはあわてて首を振った。
「いえ、あの、是非みなさんで遊びに来てください! お、美味しいものを用意しておきますので!」
フィオナの慌てぶりに、ルシルはカラカラと笑った。
「うそうそ。冗談だよ。悪いがオレとエルザは大人同士、楽しい夜を過ごす予定があるんだ。からかって悪かった」
ポンポンと頭を撫でられて赤くなったフィオナは礼儀正しく二人に挨拶をすると、一二度振り返りながらサラとパトリツィアと一緒に馬車へと乗り込んでいった。
馬車を見送る忠正をルシルは軽く小突いた。
「可愛い娘じゃないか。お前も隅に置けないね」
「冗談。まだ子供だよ、あの子達は」
「そうかな。あの娘の目は……」
「なんだ?」
不思議そうな顔でこちらを見るその純粋な瞳に、ルシルはもう一度ため息を吐いた。
「意外と朴念仁だな、お前」
「?」
「いや、こっちの話だ。それよりもオレ達も宿に行こう。これからの方針を決めなくちゃな」
「あ、ああ……」
まだ納得のいかない顔をしつつも、忠正は遠ざかる馬車を横目に自分たちの馬車へと乗り込んだ。