続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
酒も飲まないのに昼前から夕方までひたすらに居酒屋のテーブルに居続けるというのは、それはそれで苦痛なものだ。
何杯目だったかもう数えていないが、いい加減に飽きている炭酸水を口にして忠正は小さくため息を吐いた。
一緒にこの苦痛を共にしているルシルは、それでもエールからワインに切り替え、途中からはラム酒と酒を変えて楽しんでいるので、それほど辛くはなさそうだ。
ただ、不審な人物が入店して来た時にしっかりと気づく事が出来るかというと、その猫の目のような白に近い灰色の瞳が若干とろんとしている所に不安を感じなくもない。
やはり日の高い時間に出入りする者のほとんどは港で働いている人たちで、若干人相が悪かったり、素性の良くなさそうな人はいたものの、不審者や裏稼業を担っているような感じは無かった。
やはり本命は夜か、と考えた忠正は美味しそうに酒を飲むルシルを憎らし気にみつめながらナッツの欠片を口に放り込んだ。
その時、入口のドアを開けて静かに入ってきた人影に忠正は一気に体中に緊張が走った。
灰色の長いローブを頭から被り、ゆっくりと歩いてバーカウンターの方へと向かっていく。
その異様な雰囲気に周りでがやがやと食事をしていた人や、酒を飲んでいた人々も訝し気な視線を送っている。
そのローブの人物は両手で小さなハープを持っており、ローブに隠れた顔を上げて店内を見渡すと、忠正の顔を見て確かに一瞬動きを止めた。
ただならぬ気配を発する忠正に敏感に気づいたルシルが、目を細めながら後ろを振り返る。
そんな忠正とルシルの下へローブの人物はゆっくりと近づくと、フードを降ろした。
そうして現れたその姿に、その場にいた誰もが目を奪われて視線が釘付けとなった。
現れたのは女の顔であった。
フードから零れたシルバーブロンドの長い髪が薄暗い店の中でも光を放ち、細い顎のラインに氷河のような青みがかった灰色の冷たい瞳。
絶世の美女という言葉が誇張表現にもならない、均整の取れた美しい顔に走る一筋の醜く長い傷跡が、逆にその美しさを引き立てているようにすら見える。
「ティア・スリザー!?」
忠正は咄嗟にその名前を呼んでいた。
女は鈴のように透き通る声で言葉を返した。
「こんな所でお会いするなんて奇遇ですね、勇敢なルビーの瞳の騎士様」
その美しい顔に妖しい笑みを浮かべた彼女の事を、忠正は一瞬の躊躇もなく思い出していた。
あれはドルファンに来て間もない頃だったが、ジョアンと立ち寄ったサウスドルファンの酒場で、間違いなくこの女性と出会っていた。
旅の吟遊詩人だと言い、今日と同じように長いローブと小さなハープを片手に、それを珍しがったジョアンが武運長久の歌を謳わせていた。
そうして名乗った彼女の名前が、思わず忠正が口走った名前なのだが、忠正自身はその名前が偽名だと確信していた。
だからこそ、この突然の再会を忠正はただの偶然ではなく、戸惑いと猜疑の気持ちで受け止めていた。
ティアはルシルの方を見ると、膝を落として頭を下げた。
「初めまして。私はティア・スリザーという旅の吟遊詩人でございます。以前、こちらの方に歌を捧げた事がありまして」
「あ、ああ。そうなのか」
ルシルはわずかな驚きを顔に浮かべながら、曖昧に頷いた。
その顔にはさっきまでの酒の酔いなど微塵もなくなっていたが、この吟遊詩人の女が敵なのか味方なのか、脅威なのか無害なのか、判断に困っているようではあった。
忠正はその間に冷静さを取り戻しており、冷たいとはいかないまでも、あまり親しみのこもったわけではない口調で言った。
「お久しぶりですね。こんな所にも歌いに来るのですか」
この吟遊詩人がただの吟遊詩人でない事を直感で判断している忠正ではあるが、だからと言ってこの人物が何者なのかはまるでわかっていない。
しかし、このタイミングでこのエドワーズ島に現れたという事は、万が一という可能性を排除出来なかった。
しかしティアは、殊更何かを隠している様子もなくサラリと言葉を返した。
「この時期は稼ぎ時ですので、毎年エドワーズ島に赴いているのです。こちらの酒場の店主さんとは懇意にさせていただいておりますので」
その言葉にちらりとバーカウンターの方を見るが、店主は特にこちらを気にしている様子もなく、ティアの事を警戒している様な素振りもなかった。
それに、リゾートであるエドワーズ島の夏に、吟遊詩人が出稼ぎに来るというのも説得力がある。
人が集まって休暇を過ごす場所ならば、必然的に非日常の出来事に対して財布の紐が緩むというのは道理にかなっていた。
この吟遊詩人が信用できるかどうかは別として、その言葉に嘘はないと判断した忠正はルシルの隣の、自分の向かいのスペースを手で示した。
「私とこの同僚は休暇でここに来ているのです。せっかくですから、一杯いかがですか」
ティアはわずかに微笑を浮かべながら勧められたスペースに体を差し込むと、静かに答えた。
「アルコールを飲むと声が通らなくなりますので、私は白湯をいただきます」
店員に合図して白湯をもらうと、ほのかに湯気を立てるカップを軽く上げてティアは言う。
「再会と新しい出会いを祝して、乾杯」
「……乾杯」
忠正とルシルはグラスを上げてみせる。
それぞれの飲み物を一口ずつ口にした三人だったが、まずはルシルが口を開いた。
「吟遊詩人なんて珍しいな。オレは各地の寄港地で酒場に行くが、意外と見かけないもんだ」
その言葉にティアは美しい口元の端をわずかに上げて微笑しながら言う。
「結局は皆さん、劇団の歌姫の歌の方が良いのでしょう。吟遊詩人の歌う歌なぞ、古くから伝わる民謡がほとんどです。退屈な古い詩よりも流行歌の方が受けが良い。私のような者が淘汰されていくのは時代の流れでしょう……」
「あんたほど綺麗なら、舞台でも活躍できると思うが」
「御冗談を……」
そう言ったティアの目が、若干鋭さを増したように見えた。
そして頬の醜い傷跡を撫でながら言う。
「このような醜い痕を持つ者が舞台などに立つものではございません。ましてや、ドルファンには世界に誇る歌姫がいるのですから、なおさら」
「ソフィア・ロベリンゲか」
間髪入れずにルシルが言うと、ティアは黙って頷いた。
ソフィア・ロベリンゲの高名ぶりは書物で読んで知っていた忠正だったが、目の前で第三者が話題にしているのを目の当たりにして、改めてその人気ぶりを実感した。
「それはそうと……」
忠正は話題を戻すべく口を挟んだ。
「ティアさんは今年はいつからこの島にいるんですか?」
彼女が忠正達に差し向けられた刺客とは考えづらいが、一応確認は必要だ。
ティアは不審がる様子もなく白湯を少しずつ飲みながら答えた。
「私が島に来たのは昨日の夕方です。今日からここで歌わせてもらおうかと」
「そうですか」
昨日の夕方と言えば、忠正達が到着した後という事になる。
タイミング的にはベストだが、仮に刺客だとしたらこうも堂々と目の前に出てくる事は得策ではない。
今のところ限りなくシロではあるが、万が一という事もある。
彼女を警戒するに越した事はない。
それに、毎年来ているというのなら新参者の違和感には敏感かもしれない。
「昨日から今日で、例年とは違う雰囲気の観光客や港の人物などを見ませんでしたか」
忠正が言うとティアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに面白そうに目を細めて笑った。
そして忠正を指さした。
「例年見かけない騎士様を見かけましたわ」
「む……、それはそうだろうが」
戸惑う忠正にころころと笑ったティアだったが、ひとしきり楽しむと小さく頷きながら言った。
「休暇中だというのに、仕事熱心なのですね。治安維持も軍部の重要なお務め……何か違和感があれば、お伝えしますわ」
「そうしてくれると助かる」
言いながら忠正は壁の時計を見上げた。
もう少しでフィオナ達との約束の時間だ。
グラスに残っていた炭酸水を飲み干し、ルシルの肩をたたく。
「すまない、先に行くよ。ゆっくり楽しんでくれ」
ルシルにはこれだけでもティアへの警戒と観察の意図が伝わるはずだ。
案の定、ルシルはすべてを理解しているようで、ウィンクをした。
「まあ、楽しんできな。オレはこちらの詩人さんにもう少し付き合ってもらうさ」
忠正はルシルとティアに軽く会釈をすると、店を出た。
夏の夜の訪れは遅いので夕方過ぎの時間だがまだ空が明るい中、忠正はすぐそこの花屋で買った花束を片手に、フィオナにもらったメモの住所へ向けて急ぎ足で歩いていた。
住所から推察するに、フィオナの別荘はどちらかというと島の中でもビーチや港の近いエリアではなくて、島の中央の山の中にある落ち着いた雰囲気の湖のほとりのあたりで、あまり人気のあるエリアではない所だった。
今はまだ太陽が出ているので問題ないが、どんどん山道に入ってくるので帰りはランプがないと危ないかもしれない。
休暇中の騎士を装っているので、いつものレイピアは装備していない。
自分が刺客の立場ならば、もう少し奥まって港街から離れれば襲撃するのに最適だ、と考えているとほどなくして目当ての建物が見えてきた。
背の高い木々の林の奥にひっそりと佇む上品で瀟洒な屋敷で、それほど大きな館ではないが、一般庶民の財産ではとても手に入らないであろう規模ではあった。
敷地を囲う鉄柵を横目に、門扉のカギは開いており、煉瓦を敷き詰めた敷地内の道をすすんで屋敷の扉にたどり着く。
玄関脇の燐光灯が明るく灯り、中からわずかに料理の匂いが漂ってくる。
玄関扉に括りつけられた獅子の頭を模したノッカーを叩くと、中からフィオナの慌てた声が聞こえた。
「は、はい! 少しお待ちください!」
周辺を観察しながら待っていると、唐突にドアが開き、フィオナが顔を出した。
「あ、こ、こんばんは」
フィオナはいつもの三つ編みを後ろでアップにしてリボンのついた髪留めで留めており、薄いピンク色のカジュアルなカクテルドレスを纏っていた。
その親しみやすいが上品な装いに、忠正は自分のラフな格好を見て頭を掻いた。
だが一応年上の矜持もある。すかさず跪いて花束を差し出す。
「こんばんは。今日はお招きいただき、ありがとう」
「わあ、素敵。ありがとうございます!」
フィオナは嬉しそうに花束を受け取り、ドアを大きく開けた。
「さあ、入ってください。サラもパトリツィアさんも待っていますよ」
促されて中に入ると、燐光灯のシャンデリアに照らされていたダイニングのテーブルの上に今まさに出来上がったであろう料理の数々が湯気を立てていた。
フィオナと同じように青いカクテルドレスを着たパトリツィアが、食器とグラスを手に運んでいたが忠正に気づくと小さく頷いた。
「こんばんは。あなたも暇ね」
「やあ、お邪魔するよ」
パトリツィアはいつも通りの三つ編みを前に垂らして、いつもと同じリボンをしていた。
「よう! タダマサ!」
奥から料理の載った皿を持ったサラが出てきた。
フィオナやパトリツィアと同じように薄い黄色のカクテルドレスを着ているが、一つ違うのはその上からエプロンを身に着けている所だった。
四人はあらためてテーブルにつくと、ピュエリで乾杯をした。
テーブルの上は数品の料理が並んでおり、どれもご馳走というよりは家庭的な料理だった。
「料理はサラが作ってくれたんです」
フィオナが皿に取り分けて忠正に渡しながら言う。
忠正は受け取ると、美味しそうな香りを吸い込んだ。
「流石だな。どれも美味そうだ」
その言葉にサラは気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いたが、まんざらでもなさそうだ。
言いながらも忠正は若干の違和感を覚えていた。
この屋敷は一般人がおいそれと手に入るような規模ではない。
そうなればフィオナの家は相当な金持ちだし、だとすると使用人がいてもおかしくない。
だが、今この屋敷に使用人がいるような素振りはない。
料理もサラが作ったというのは、もてなしと取ることもできるが、それは使用人がいないから仕方ない面もあったのではないか。
「使用人はいないのかい?」
その疑問を素直に口にした忠正に、フィオナは申し訳なさそうに言った。
「ここは父と母の別荘ですが、その……私はあまり父と仲が良いわけではないので、屋敷の鍵は貸してもらえましたが、あとは自分たちでなんとかするように、と言われています」
「そうなのか」
言いながら料理を口にした忠正はその言葉と自分の持っている情報を整理していた。
こんな別荘を持つ金持ちで、フィオナの持つロベリンゲという姓。
フィオナ・ロベリンゲの母親がドルファンの誇る劇団アガサの歌姫、ソフィア・ロベリンゲであるという事はまず間違いがないだろう。
そうであれば父親はジョアン・エリータスという事になる。
では、フィオナとジョアンは仲が悪いという事なのだろうか。
もともとこの任務というか、この作戦の本来の目的は、海軍の幹部を抹殺する為の暗殺計画の阻止だ。
海軍の幹部として一番に狙われるのはジョアンのはずだ。
だが、ジョアンはここにはいない。
代わりにその娘であるフィオナがいる、というのは果たして偶然なのだろうか。