続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【2】『かもしか亭』

 如月忠正はドルファン王国に来た事を早くも後悔していた。

いや、厳密に言うとドルファンに来た事ではなく、傭兵として海軍の募集に応募をした事を、だ。

事前に聞いた話では海軍の傭兵募集に応募し、参集した傭兵の数は優に二百人を超えているという事だった。

だが傭兵達が軍部の海軍本部に一同に参じなければならない今日、この日。

会議室で前に立つ海軍将校の男の目の前に参集したのは、他ならぬ如月忠正ただ一人であった。

 

 背が高く腰にまで届きそうな長い金髪を後ろで細く一つにまとめた海軍将校の男は、その神経質そうな顔に言いようのない怒りを浮かべながら、静かに深いため息を吐いた。

ドルファン海軍の証である青い将校服の襟元に一つ星に横の二重線の階級章が、少佐である事を物語っている。

だが、佐官であるにも関わらず、その脇には補佐をする為の尉官の姿は見えない。

図らずも上官と二人きりで広い会議室に立っている忠正は、ただ黙って足元を見ている以外に出来る事が無かった。

しばらく気まずい空気が漂っていただが、その金髪の少佐はようやく言葉を吐き出した。

 

「ふっ、所詮は海賊かぶれの烏合の衆か。さすがに誰も時間に参集しないとは驚いたが……」

 

そして忠正の前に立つと、強い力で肩を叩きながら言った。

 

「だが、キミはなかなか殊勝な心掛けじゃないか! 私はプリシラ女王陛下よりドルファン海軍を任せられている、ジョアン・エリータス少佐だ。キミの名前を聞こうじゃないか」

 

エリータスと言えば、ドルファン王室会議のメンバーかつ旧家の両翼と呼ばれる、議会筆頭のピクシス家と並ぶ名門貴族の名前だという事を、忠正はよく知っていた。

だからこそ忠正はこのエリータス家の男がたった一人で海軍を統治しているのかを訝しみながら返事をする。

 

「オレ……いや、自分は忠正・ハイマー・如月と言います。スィーズランドより志願して参りました」

「タダマサ……ハイマー・キサラギ……だと?」

 

先ほどまで友好的と言っていいのかわからないが、少なくとも歓迎されている雰囲気であったジョアンの目が、突然嫌悪感と不信感も露わに忠正を睨みつけた。

突如として向けられた敵意のようなものに、忠正は思わず目を逸らした。

 

「貴様、東洋圏の出身か?」

 

棘のあるジョアンの言葉に、忠正は緊張しながら答える。

 

「父が東洋の出身ですが、自分はスィーズランドの出身であります」

「ほう。では、ミソスープとやらを飲んだ事はないのか?」

「なんですか……それ?」

「ふうむ……」

 

ジロジロと遠慮なく投げつけられる視線に居心地の悪さを感じつつも、忠正は黙って立ち尽くしていた。

しばらく忠正を眺めていたジョアンはもう一度深いため息を吐くと、首を振りながら言った。

 

「まあいい。不届き者ばかりの中でキミはまだ見込みがありそうだ。よし、そうだ。今日からキミを私の補佐官に任命しよう」

 

「え!?」と忠正は声を上げたが、ジョアンは至って本気のようだった。

 

「もちろんキミに拒否権などないぞ。私の命令はプリシラ陛下のお言葉と思いたまえ」

 

配属初日の一兵卒に拒否権などあるはずもないだろうと思いつつも、忠正は不承不承、敬礼を返すしかなかった。

 

 

 その日は日が暮れるまでとっぷりとドルファン海軍の現状についてジョアン・エリータスから叩き込まれた忠正は、疲れ切ってやつれた顔でサウスドルファンの街かどをシーエアー方面へ歩いていた。

いきなり海軍少佐の補佐官に任命されたのももちろんそうだが、忠正を疲れ果てさせたのはドルファンの現状が思っていた以上に深刻だったからだ。

友好国であるアルビア任せだった海の守りは、半年前に勃発したアルビア国内での内乱に伴う混乱で、まったく機能していない状況と言える。

混乱に乗じたハンガリアの海からの侵攻は、情勢の潮目に乗った完璧なタイミングと言えた。

 

ドルファンに常駐していたわずかばかりの海軍兵力は瞬く間に駆逐されてしまったのだが、ハンガリア自体は元々そこまで強力な海戦力を持った国でもない。

アルビアの勢力は駆逐されたが、そこからドルファン港を攻め入るだけの余力はハンガリアにも残っていなかった。

時代遅れとは言え腐っても海の守りの要であるズィーガー砲の脅威もあり、現状はハンガリアの追撃を辛うじて防ぐことが出来ている状況との事だった。

ここで今回招集した海の傭兵達、海賊あがりの荒くれ達がちゃんと機能してくれれば情勢を盛り返す事も可能だろうが、今日の様子を見る限りではそれはかなり難しそうだ。

招集に応じない海賊たちに海の守りを任せる事などとても出来るわけがない。

 

だが、心配の種はそれだけではない。

忠正が気になっているのはハンガリアももちろんそうだが、現在沈黙をしているゲルタニアの存在だった。

普通に考えれば、ハンガリアとの海戦でボロボロのドルファン海軍に対して、便乗して海から攻める事が出来るのはゲルタニアだけだ。

内陸で海を持たないプロキアは今回の件に関しては指をくわえて傍観する事しか出来ない。

 

そうであれば、戦力的に海軍もそれなりの勢力を持つゲルタニアがこれを機にドルファン攻勢をかけてもおかしくないものだが、ゲルタニアは沈黙を保っている。

ゲルタニアにとってもドルファンの港湾利権は魅力的に見えるだろうし、プロキアやヴァン=トルキアに対しても軍事力を見せつけるいい機会になり得るはずなのだ。

だが、ゲルタニアは艦隊を揃える事もせず不気味に沈黙するのみ。

その沈黙が忠正は恐ろしいと感じているのだ。

しかし、そんな事を傭兵である忠正が考えても仕方がない。

まずはハンガリアの脅威に対して対抗できるだけの勢力をドルファン海軍で整えなければいけないのだ。

 

 

 大きなため息を吐いた時、不意に声を掛けられた。

 

「キサラギさん!」

 

その声に驚いて顔を上げると、仕事や学校帰りの人混みにまみれて、先日悪漢から助けたフィオナ・ロベリンゲが忠正に小さく手を振っていた。

フィオナは学校帰りのようで、この地域でよく見かける赤を基調とした学校の制服を着ている。

チェック柄のスカートを揺らしながら忠正に駆け寄って来たフィオナは、明るい笑顔で言った。

 

「先日はありがとうございました。今、帰りですか」

「あ、ああ。君も帰りかい?」

「はい。あの、一緒に帰りませんか」

 

一緒に帰るも何もフィオナがどこに住んでいるのかも知らない忠正は戸惑ったものの、笑顔のフィオナを無下に否定する事も出来ず、同意の印に頷いてみせた。

 

「ありがとうございます。じゃあ、帰りましょう」

 

並んで歩きだした二人だったが、忠正はどうにも落ち着かない様子であった。

それと言うのも、彼は年頃の女子と話をするという経験が殆どなかった。

生まれ故郷はスィーズランドの田舎町だが、それなりの人口がいる街ではあった。

もちろん同じ年の頃の子供もいたのだが、忠正は外で友達と遊ぶよりも自宅で本を読むのが好きな子供だった。

学校に通ってからも学友との親交を深めるよりも、図書室の本を積み上げる方が断然好きだった為、そもそも人と話をする事自体が苦手だ。

なので、今こうしてフィオナと並んで歩いていても、どんな話をすればいいのか皆目見当もつかない。

 

「こんな時、ロゼッタなら……」

 

ポツリと呟いた言葉を、フィオナは聞き逃さなかった。

 

「ロゼッタさん?」

 

何の曇りもない瞳で無邪気に返したフィオナの言葉に、忠正は思わず苦笑した。

 

「双子の姉なんだ。オレと違って活発で話題も豊富だから……」

「そうなんですね。私、兄弟がいないから羨ましいです」

「そ、そうか。でも、姉弟なんていたらいたで面倒だよ。オレなんか何度ロゼッタに煮え湯を飲まされたか」

 

そう言って顔をしかめた忠正を見て、フィオナは思わず吹き出した。

 

「うふふ、仲が良いんですね。ロゼッタさんはスィーズランドに?」

 

その言葉に忠正は一瞬驚いたような顔をしたが、ややあって少し寂しそうな顔をして言った。

 

「……うん、ちょっと訳があってね。スィーズランドにはいないんだ。多分」

 

その横顔がこれ以上の詮索を拒絶するように見えて、フィオナはあわてて話題を変えた。

 

「そう言えば、今日は初めて軍部に出勤される日でしたよね。いかがでしたか?」

 

先日忠正を宿舎まで案内した際にそんな話を聞いていた。

忠正は今日の珍事を思い出しながら、困り顔で言った。

 

「なかなか前途多難だ、とは思ったかな」

 

その言葉にフィオナは僅かに俯いた。

 

「あの、上官は……どんな方でしたか?」

「上官? ああ、どうだろうな。それほど話をしたわけではないけれど、悪い人ではなさそうだ」

 

言いながらも初対面時に向けられた敵意のようなものを思い出したが、その後は至って真面目な戦況の話だったので、これは忠正の率直な意見だった。

フィオナはそれを聞いてホッとしたような顔で頷いた。

 

「そうですか……。あの、お腹空いてないですか?」

 

突然の質問に忠正は驚いたものの、言われて自分が空腹だった事を思い出した。

 

「まあ腹は減っているが……」

 

フィオナは嬉しそうに微笑むと、忠正の服の裾を控えめにつまんだ。

 

「あの、もし良かったら、先日のお礼も兼ねて夕飯をご馳走させていただけませんか。近くに知人が経営しているいいお店があるんです」

 

ドルファンに来たばかりで右も左もわからない忠正に、その魅力的な誘いを断るだけの理由があるわけがない。

 

「ご馳走になるかは別として、食事が出来る店を教えてもらえるのはありがたいよ」

「ありがとうございます! では、行きましょう」

 

服の裾をつまんだまま歩き出すフィオナに、忠正は見た目に似合わずなかなか強引な子なんだ、と思いつつも後に続いた。

 

 

 フィオナが案内したのは、サウスドルファンの駅前から五分ほど歩いた表通りの一本裏路地にある、小ぢんまりとしたレストランであった。

レストランという程の風格はなく、どちらかと言うと家庭料理や定食を出す店といったイメージの店構えだ。

フィオナは躊躇する事無く『かもしか亭』と書かれた看板の下の入り口ドアを開けた。

 

店の中は通りに面した壁際に四人掛けのテーブル席が三つ、奥のカウンターの前にカウンター席が五つと少な目の席数。

何とも食欲を刺激する美味しそうな料理の匂いに包まれていて、人々の会話の声で賑やかだ。

燐光灯ではなくランプの照明が店全体を暖かな印象に見せていて、テーブルや床は掃除が行き届いており清潔だった。

テーブル席はすでに先客で埋まっており、フィオナは迷うことなくカウンター席へと忠正を案内し、二人は並んで腰を下ろした。

 

「いらっしゃい! 今日は魚介のトマト煮込みがおすすめだよ」

 

そう言って一人の若い女性がメニューが書かれた板を二人の間に置いた。

ぼさぼさの濃い茶色い髪の毛はショートカットにしてあり、布のカチューシャで前髪を上げている。やや釣り目がちの目に客商売らしい明るい笑顔を浮かべ、薄い黄色の服に濃紺のエプロンをつけた、いかにもサバサバとして活発そうな少女であった。

その少女はカウンターに座ったのがフィオナだと気が付くと、がっかりとした顔で言った。

 

「なんだ、フィオナか。愛想よくして損したぜ」

「相変わらずね、サラ。今日はお客様をお連れしているんだから、行儀よくして」

「連れ?」

 

サラと呼ばれた少女は隣の忠正の顔を覗き込んでまじまじと見つめると、フィオナをからかうような口調で言った。

 

「へえ、男連れかよ。大人しい顔してなかなか隅に置けないじゃん」

 

フィオナはみるみる顔を真っ赤にして反論する。

 

「ち、違うったら。この人は私の恩人なの」

「恩人だぁ?」

 

もう一度忠正の顔を遠慮なく眺める少女に、忠正は若干圧倒されながら右手を差し出す。

 

「恩人という程の者でもないが、タダマサ・キサラギだ。よろしく」

 

少女はその右手を力強く握り返しながら答えた。

 

「あたしはサラ・ショースキー。この店の娘。料理の美味さはドルファン一とは言わないけれど、量はたっぷりあるからね。腹いっぱい食べていってよ」

 

サラは明るく言うと、違うテーブルに呼ばれて離れていった。

そんなサラの動きを目で追いながら、忠正はそのサッパリとした態度に好感を持っていた。

 

「いいお店みたいだね。これで料理が美味ければ最高だ」

 

忠正の言葉に、フィオナは少し恥ずかしそうに答える。

 

「本当はキャラウェイ通りの『エル』にお連れしたかったのですが、あの、私も制服なので……」

「という事は、その『エル』って店はドレスコードがあるって事だろ。オレはこういう飾らない雰囲気のお店の方が好きだな」

「そ、そうですか」

 

そんな話をしていると店の奥の厨房から、一人の女性が店内を見渡しながら顔を出した。

食堂の従業員にしてはほっそりとした体付きにサラと同じ濃い茶色の長い髪を後ろで結んでいる。

頭には三角巾を撒いており、所々汚れたエプロンがつい今しがたまで料理をしていた事を証明している。

目元にわずかに集まる笑い皺が、よく笑う明るい性格を物語っているようだ。

特徴的な少し右足を引きずるような歩き方に、忠正は若干の違和感を覚えた。

その女性は席に座るフィオナを見つけると、カウンターの中を歩いて目の前まで来た。

 

「いらっしゃい。サラが、フィオナが来たって言うからさ」

 

フィオナもその女性に気付くと、親し気な笑顔を浮かべた。

 

「ハンナさん! お邪魔しています」

「邪魔なわけないでしょ。フィオナならいつでも大歓迎だよ」

 

そう言って明るく笑ったハンナという女性は、忠正の方を見て値踏みするような視線を送った。

 

「ふうん、キミがフィオナのボーイフレンドか。私はこの『かもしか亭』の店主のハンナ・ショースキー」

 

ボーイフレンドなどと言われ顔を赤くした忠正は、首を振りながら答えた。

 

「ボ、ボーイフレンドなんかじゃありませんが……タダマサ・キサラギです」

「キサラギ?」

 

ハンナが驚いた声を上げると、すぐさまフィオナがフォローを入れる。

 

「お父様が東洋の出身なんですって」

「東洋の……」

 

そう言って顔をみつめたまま押し黙ったハンナに、忠正は既視感を感じていた。

名前を名乗って訝し気な態度を取られるのは、今日で二度目だ。

ジョアン・エリータスといい、このハンナ・ショースキーといい、東洋系の名前に何かひっかかるものでもあるのだろうか。

それはフィオナも同様だったようで、彼女は小首を傾げながらハンナの名を呼んだ。

 

「……ハンナさん?」

 

声を掛けられてハッとしたハンナは若干あわてながらフィオナの方を向いた。

 

「ううん、なんでもないよ。注文はもう決まっている?」

「いいえ、まだ」

「あら、そうなの。タダマサ君だっけ。好き嫌いはある?」

 

突然振られて驚いた忠正だったが、首を振った。

 

「いえ、特にありません」

 

その言葉に満面の笑みを浮かべたハンナは、ウィンクをした。

 

「じゃあちょっと待っていて。とびきり美味しい物を用意するからさ。それまでは若い二人でごゆっくり~」

 

そう言いながら厨房の方へ戻っていくハンナの後ろ姿を見送りながら顔を見合わせた二人は、なんとも言えない気まずさにどちらともなく目を逸らした。

 

 

 その後ハンナが用意したご馳走の山に、忠正は四苦八苦しながら戦いを挑み、持てる力のすべてを振り絞って勝利を収めた頃には店の中の客はフィオナと忠正だけになっており、ハンナは忠正の席の二つ隣のカウンターに座りコーヒーを飲んでいた。

 

「ご、ご馳走様でした。すごく美味しかったです」

 

若干苦し気に言う忠正に、ハンナは明るく笑った。

 

「よく食べられたね。流石に作りすぎたかと思っていたんだけれど」

「もう何も入りません……」

 

そう言いながらカウンターに突っ伏した忠正を見て、フィオナはくすりと笑って言った。

 

「ご満足いただけたなら何よりです。ハンナさん、お会計を……」

 

立ち上がるフィオナに、ハンナは首を振った。

 

「フィオナからお金はもらえないよ。この子はフィオナの恩人なんでしょう? フィオナの恩人って事は、私の恩人でもある。恩人をもてなすのは当然の事なんだから、大切な親友の子供からお金なんてもらえないよ」

「ハンナさん! そうはいきません。こんな事、父が……父の家が許しません」

「あー……」

 

必死に訴えるフィオナの様子に、忠正は聞いていない振りをしていたが、その単語が気になっていた。

フィオナの父と、その家。

確かにフィオナは物腰も上品だし、どこか良家の出身なのだろうか。

それにしてはこんな定食屋を知っているというのは違和感がある。

そんな忠正の思いを断ち切るように、奥のテーブルでフィオナとハンナのやり取りを見ていたサラが立ち上がり、フィオナの下へと歩いて行った。

 

「おまけして銀貨二枚! 母さんはフィオナに甘いんだよ。この子の家は金持ちなんだから、もらっておけばいいの!」

 

そう言って手を差し出したサラに、忠正が素早く自分の財布から銀貨を二枚取り出して置いた。

それに驚いたのはフィオナだった。

 

「キサラギさん、ダメです! 今日は先日の御礼ですから……」

 

忠正は、もちろんフィオナがそう出るのは予想していたので、サラの手の上から銀貨を一枚つまみ上げた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて銀貨一枚は出してもらおうかな。今日は明らかにオレの方がたくさん食べているし、御礼にしては多すぎるかもしれないけれど」

「でも……」

 

言いかけるフィオナに、ハンナが優しく言った。

 

「それで納めておきなよ、フィオナ。彼にもメンツって物があるのよ」

「……わかりました」

 

まだ少し不満気な顔で頷きながら、フィオナは銀貨を一枚取り出してサラの手に置いた。

サラは嬉しそうにそれを握ると、満面の笑みで言った。

 

「毎度あり! 次のデートも是非当店のご利用を!」

「もう、そんなのじゃないったら!」

 

慌てて頬を膨らませるフィオナを横目に、なんともなしに微笑む忠正。

そんな二人を懐かしそうに目を細めて眺めながら、ハンナは満足そうに頷いていた。

 

 

 

 ハンナの店を後にした二人は、シーエアー方面へ向けて歩いていた。

春が来たとは言え夜の空気は冷たく、食事で火照った頬に心地よい気温だった。

 

「とても良いお店だったな。料理も美味しいし、ハンナさんも良い人そうだ」

 

満腹の腹をさすりながら言う忠正に、フィオナは学生鞄を持っていない方の手を口の前にかざしてころころと笑った。

 

「お口に合ったのなら良かったです。軍部からも近い場所ですし、是非またご利用いただければ嬉しいです」

「ハンナさんとは知り合いの様だったけれど?」

「はい」

 

フィオナは頷きながら、嬉しそうに言った。

 

「ハンナさんは私の母の学生の頃からの友人でして。私とは母のお腹の中にいた頃からの付き合いだって、ハンナさんによくからかわれます」

「そうか、いい関係なんだね」

「ええ、とても」

 

そう言って目を細めるフィオナの横顔は、何故か少し寂し気だった。

 

「そう言えば、ロベリンゲさん……」

 

言いかけた忠正の言葉を遮るように、フィオナが一歩前に出て振り向きながら言った。

 

「フィオナ、でいいですよ。苗字で呼ばれるのはあまり好きではないですし、私なんかを『さん』付けで呼ばないで下さい」

 

忠正は一瞬驚いたが、小さなため息を吐きながら答える。

 

「じゃあ、フィオナ」

「はい!」

 

嬉々として返事をするフィオナに苦笑しながら忠正は言葉を続けた。

 

「キミの家はこのあたりなのかい? もう時間も遅いし、家まで送らせてもらえないか」

 

その言葉に驚いたような表情を浮かべたフィオナは、僅かに頬を赤らめながら言った。

 

「あ、ありがとうございます……。でも、私、この少し先のドルファン学園の学生寮に住んでいるので大丈夫です。人通りの少ないところはありませんし」

「食後の腹ごなしの意味もあるんだ。迷惑でなければ送っていくよ」

「わかりました。では……お願いします」

 

そんなフィオナの言葉に頷きながら、忠正は若干の違和感を覚えていた。

なんとなく今の会話をすんなりと受け止められない自分がいるのに気付いたからだ。

フィオナは間違いなく物腰が上品で、食事の所作などもどこにでもいる町娘とは違う印象を受けていた。

忠正自身は貴族でもなんでもないのだが、故郷の母や乳母がわりのねえやにはかなり厳しくマナーと立ち振る舞いを仕込まれた。

そんな忠正から見てもフィオナの所作は町娘や学生のそれではない。

もっと上等な、それこそ貴族のような教育を受けていなければ身につかないはずの一流の所作なのである。

 

だが、フィオナは学生寮に住んでいるという。

通常学生寮に住むというのは他国からの留学生や、首都城塞から離れた地方都市から上京してきた学生であるはずだ。

ハンナとの馴れ初めを聞く限りフィオナはドルファン首都城塞の出身のようであるし、サラの話を鵜呑みにするなら、裕福な家庭に育っているはずだ。

ドルファンを訪れる前に読んだ文献によれば、ドルファン首都城塞の学校は二つあり、一つは貴族や上流階級の子供たちが通うドルファン学院。そしてもう一つはそれ以外の子供たちが通う庶民向けのドルファン学園だという事だった。

そんな中でフィオナはドルファン学園の学生寮に住んでいるというのは、なんとなく腑に落ちない。

 

しかし、こんな事を考えたところで何の意味もない。

自分はハンガリアへの対抗策を考えるべきなのだと思い至った時、フィオナが少しだけ控えめな声で言った。

 

「あの、ここで大丈夫です。すぐそこですから」

 

その声に顔を上げると、駅前の雑踏はとうに抜けており、少し先のブロックにそこそこ大きな茶色いレンガ積みの建物が見えた。

 

「あ、ああ。玄関まで送るよ」

 

忠正が慌てて言うと、フィオナははにかみながら遠慮がちに答えた。

 

「いえ、本当にここで大丈夫です。……玄関まで来ていただくと、ちょっと」

 

言われて忠正はしまった、と頭を掻いた。

年頃の女子が男に送られて来た所を誰かに見られでもすれば、噂好きな学生たちの格好の的だ。

こんな時の立ち回りが圧倒的に下手だと自分に呆れながら、こういう場面も双子の姉のロゼッタならうまく立ち回るだろうと思わず苦笑いが浮かんだ。

 

「わかった。では、ここで。今日はいいお店を紹介してくれてありがとう」

 

忠正の言葉に、フィオナは穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「いいえ。良かったら、またご一緒させてください。それでは、おやすみなさい」

「おやすみ」

 

離れていくフィオナの後ろ姿を見送りながら、忠正は久しぶりの温かく和やかな雰囲気での食事に、故郷の事を思い出していた。

父と母と、メイドのねえやと、双子の姉と、家族全員で最後に食卓を囲んだ日はいつだっただろうか。

ドルファンの夜は、まだ穏やかだった。

 

 

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