続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
眼前に広がるドルファンの街並み。
白を基調に整然と計画された建物は最近建てられたものとすでに何十年も経っているものの比率は半々くらいだろうか。
過去百年以上はレッドゲートと言われる城壁に囲まれたこの首都城塞の中にまで敵国が攻め込んだ事がないこのドルファンの街は、侵略や戦争で朽ちた建物が無いという事もあり美しく輝いている。
遺跡群が多く点在するレリックス駅から少し歩いたところにあるこの銀月の塔は、ドルファンが王国として建国される以前の時代、まだ月神信仰が色濃かった時代からこの丘に存在する遺跡の一つで、今はその祭壇としての役割は果たしていないがドルファンの街並みを一望できる展望台として一般公開されている。
しかし、古い遺跡ではあるが特筆するような特徴に乏しく、近くに点在する半壊している遺跡群の方が遺跡としての迫力や面白みがあるといった事で人気が高い事から、この塔を好き好んで訪問する人の数は決して多くはない。
なので、今日もいつもと変わらずに閑散とした最上階の展望台から遠くに広がるドルファンの街並みを眺めているのは、フィオナ・ロベリンゲただ一人だった。
塔の展望台は影になるようなものが何もなく、夏の強い日差しが容赦なく照り付けてくる。
フィオナはつばの大きな麦わら帽子で日差しを遮りつつ、軽いリネン生地のワンピースは涼しいがノースリーブの肩を焼く強い日差しに日傘を持ってくるべきだったと後悔する。
弱弱しい夏の風がわずかに吹き込んできた時、塔の階段を上ってくる足音が聞こえてきて、一人きりだった展望台に闖入者があらわれた。
フィオナはその人影を振り返ると、小さく会釈をした。
「お呼び立てをして、ごめんなさい」
「別に構わないわ」
いつもと変わらぬ金色の三つ編みを揺らしながら、薄手の白いブラウスに黒いプリーツスカートという出で立ちのパトリツィア・オーエンズが、いつもと変わらぬ抑揚のない口調で言った。
フィオナがパトリツィアと顔を合わせるのは一週間ぶりだった。
忠正の見舞いでサラも含めた三人で病院を訪れて以来、フィオナは学生寮の自室に籠って誰にも会っていなかったのだが、どうしても話をしなければならないと一念発起をしてパトリツィアを呼び出したのだ。
パトリツィアがどこに住んでいるのか知らなかったので呼び出すのは少し手間だったが、学園で調べれば彼女がフェンネル地区のアパートメントで一人暮らしをしているのはすぐにわかった。
パトリツィアはフィオナの隣まで歩いてくると、展望台のふちに腕を載せながら言う。
「初めて来たけれど、いいところね。人がいなくて静かだわ」
「そう……ですよね」
「レリックスの駅前でトルクが演説をしていたわ、ここはそういう活動が活発な場所なのかしら」
「いえ……あまりそういった話はきかないけれど」
フィオナは自信なさげに答える。
トルクとはトルキア人至上主義者の事で、社会思想的には極右派に位置づけられる。
一般的に暴力的で排他的な彼らの主義は外国人排斥法の緩和に否定的で、それを推進したプリシラ王女への批判が最近の主題のようだった。
だが、今日は別の事で緊張していてそんな事に全く興味のないフィオナは駅前での演説などやっていたかどうかすら怪しいくらいの認識であった。
パトリツィアは軽くため息をついて言葉を続けた。
「それで。わざわざ手紙でこんな所に呼び出して、なんの用かしら?」
その言葉にフィオナは唾を飲み込んで、硬い表情で言った。
「あの……まずは、お礼を言いたいの」
「お礼?」
「この前エドワーズ島で襲われた時、助けてもらったから……」
「ああ……」
パトリツィアはさも大したことではないと言った様子で、肩をすくめた。
「あれは自分に向かって飛んできた火の粉を払っただけよ」
「そうだとしても、それによって私は助かったから……ありがとう」
神妙な声で俯きながら言うフィオナの姿に、パトリツィアはわずかに冷たい目をして答えた。
「……命が助かったわりに随分浮かない顔じゃない。本当は別に言いたい事があるんじゃない?」
その言葉にフィオナは目を伏せた。
そして一回、二回と深く息を吸うと、顔を上げてパトリツィアをまっすぐに見た。
「オーエンズさん、あなたは一体何者なの」
振り絞った勇気とともに切り出したフィオナの言葉にもパトリツィアの表情は変わらなかった。
だがほんの少しだけ唇の端が上がったように見える。
「何者もなにも……あなたと同じドルファン学園の生徒よ。知っているでしょう?」
そんなパトリツィアの言葉に、フィオナは首を振った。
「私と同じようなただの学生が、剣を持った戦士相手に戦えるわけがない」
「それは両親が軍部の人間だから……」
言いかけたパトリツィアに被せるようにフィオナは声を大きくして言う。
「こんな問答をしても、本当の事を言う気なんてないよね。でもあなたが何者であろうと、それは私にとって大切な事ではないから」
その一方的な物言いに言葉を止めたパトリツィアだったが、フィオナの言葉には興味を引かれた。
押し黙りながら瞳に好奇の光をほんの少し宿らせつつ、次の言葉を待つ。
フィオナは自分の口から出た言葉の勢いに自分で驚いた様子だったが、再び視線を落とすと小さな声で続けた。
「私、昔から何度も今回みたいな怖い目にあった事があるの。あんなに露骨に命を狙われたのは初めてだったけれど、道を歩いていていきなり背中を押されて馬車に曳かれそうになったり、知らない大人にセリナリバーに突き落とされたり……。その都度、運が良かったのか、なんとか助かってきたけれど……」
経験してきた恐怖を思い出したのか、真夏の暑さだというのにフィオナの肩はわずかに震えていた。
「こんな事、家族に相談できるような事じゃないし、言ったところで相手にされない事もわかっている。だからと言って、他の誰にも相談なんて出来ない」
パトリツィアは会話の方向性が思わぬ方向に向かってきているのを感じながら、フィオナの境遇に興味を持ち始めていた。
旧家の両翼と言われる名門貴族のいわゆる分家の娘が、子供の頃から執拗に命を狙われる理由は若干気になる。
「誰にも相談できない事を、私に打ち明けたのには何か意味があるのかしら」
パトリツィアが言うとフィオナはもう一度彼女の目を見て答えた。
「それを知ってもらった上で、お願いがあるの」
「お願い」
フィオナはこれから何か重大な告白をするかのように緊張した面持ちをしていたが、覚悟を決めたようにきっぱりと言い切った。
「私を殺そうとしている人をみつけてほしい」
そのはっきりと言い切った言葉にパトリツィアは何も答えずに黙っていた。
二人の間にしばし沈黙が訪れる。
時折髪を揺らす風の音と、遠くに響く蝉の鳴き声だけが二人の耳に届いていた。
やがてパトリツィアが沈黙を破った。
「その相手を見つけたとして、あなたはどうしたいの」
フィオナは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに目を伏せながら言う。
「……わからない。わからないけれど、なぜ私を殺したいのかは聞いてみたい。私なんかの、私みたいな価値のない人間の命を狙う意味を……聞いてみたい」
パトリツィアはその細い指を顎に当てながら、値踏みをするようにフィオナを見ていた。
正直、フィオナの願いには単純に興味がある。
彼女の語る事が真実だとしたら、ただの貴族の娘であるフィオナの命を狙うような輩が何者で、何の意図をもって実行しているのかは個人的に知りたい気持ちはある。
だがそれを手伝ったところで何のメリットもないという事も事実だ。
パトリツィアの使命はこのドルファンに潜入し、首都城塞内の情勢を観察し、ゲルタニアの本隊に報告する事に尽きる。
この話は完全に任務以外の余計な事だが、かと言って任務に支障をきたすような事でもない。
迷ったパトリツィアは至極単純な質問に行き着いた。
「なぜ、私なの。それに、それを私が手伝ったとして私になんのメリットがあるというの」
フィオナは胸の前で指を組み、大きく息を吸うと少しだけ申し訳なさそうな声で言った。
「まず、なぜあなたなのか、という事について答えるね」
そうして唇を少しだけ舐めて湿らせると言葉を続けた。
「私は、オーエンズさんが普通の人ではないと思っている。それはこの前の戦いを見たこともあるし、今までの学校生活での行動も見て、何か秘密のある人なんだろうなと思っているの」
パトリツィアはほんの少し驚いたような顔をした。
おどおどとして鈍そうな娘として見ていたフィオナが思ったよりも鋭い感性をしていたからだ。
フィオナは続ける。
「でも、あなたの正体が何者でも、それは私には関係ないの。ただ、私の周りの人の中で私が命を狙われた事を目の当たりにして知っている人はあなただけだし、あなたが強いという事も私は知っている。だからあなたに頼みたいし、他に頼める人もいないから」
その言葉にパトリツィアは訝し気に首を傾げた。
「エルザ・ディーリアも部分的にだけれど、あなたが命を狙われた事を知っているわ。海軍にはあなたの父親もいるのだから、そちらに助けを求める方が利口でしょう」
だがフィオナは黙って首を横に振った。
「海軍は……父は、頼れないの。私、父には嫌われているから。それに、オーエンズさんがあの剣士に言ったように、父が私の命を狙っている可能性だってあるもの」
寂しそうに、そして悲しい瞳で言ったその言葉には悲壮な説得力があった。
この娘は今日までずっと父の事を疑いながら、生きてきたのだろうか。
フィオナはパトリツィアの様子を見ながら、言葉を続ける。
「あなたのメリットについてだけれど……」
パトリツィアは思考を切り上げてフィオナの方を見る。
「調査に必要な経費は負担します。それ以外に報酬も……多くはないけれど用意する」
ここまでは至極普通な話だ。
そんな表面的な話は聞きたい事ではない。
パトリツィアが黙っていると、フィオナは意を決したように顔を上げて言った。
「協力してくれるなら……オーエンズさんが武器を携帯して、不審な行動を取っている事を軍部や学校には通報しません」
その言葉にパトリツィアは怒りを通り越して、思わず唇の端を上げて笑みがこぼれていた。
これは、お願いでも相談でもない。
この一見すると気弱に見える娘は、今、自分を脅迫している。
協力をするなら黙っているが、もし拒否するのなら自分を軍部に売ると脅しているのだ。
潜入捜査を任務としているパトリツィアにとってそれは死活問題だ。
仮に今、フィオナが軍部に通報をしたとて、パトリツィアが逮捕されるような事にはならない。
潜入捜査をするにあたってすぐにボロが出るような安い事前工作はしていないし、自分の身辺に関しても調べられて困るようなものは全く出てこないだろう。
その為に携帯に便利で処分もしやすいナックルダスターのような暗器を使用しているのだから。
だが、フィオナは海軍将校の娘であり、王室会議に席を連ねるエリータス家の一族だ。
いざとなれば内外に圧力をかけて罪をでっちあげる事も可能だろう。
そうなってしまえばパトリツィアに罪があろうがなかろうが、関係はないという事だ。
それだけは避けなければならない。
そうであれば、一番簡単な方法がある。
パトリツィアは極力冷たく感情を伴わない声で言う。
「私があなたを殺す事だって、出来ると思うけれど」
これ見よがしにポケットからナックルダスターを一つ取り出し、人差し指にかけてクルクルと回して見せる。
フィオナの顔が一瞬恐怖で歪んだように見えたが、彼女は小さく息を吸うと比較的落ち着いた声で反論を述べた。
「オーエンズさんは私を殺さないと思う」
その言葉にパトリツィアは興味を引かれた。
回していたナックルダスターを一瞬の動作で止めて指に嵌めると、小指側の刃をフィオナに向ける。
「へえ、どうしてそう思うの?」
刃を向けられたフィオナは金縛りにあったかのように微動だにしなかったが、やがて恐怖を飲み込みながら絞り出すような声で言った。
「だって、私たちは友達だから」
想像すらしていなかったその言葉に、パトリツィアは一瞬自分の任務も、この状況も、何もかもを忘れて呆然としてしまった。
しかし、すぐに堪えきれずに笑いが込み上げてきて、思わず噴き出してしまった。
その行動にフィオナは驚いた顔で目を見開いた。
こんな風に笑うパトリツィアの姿を見るのも初めての事だった。
パトリツィアはひとしきり声を上げて笑うとようやく落ち着いたようで、人差し指で軽く目を拭いながら言った。
「友達とは恐れ入ったわ。言うに事を欠いて、まさかそんなものが切り札だったなんて思いも寄らなかったわ」
「……何がそんなに可笑しいのかわからないし、私はあなたを友達だと思っているから」
やや憮然としたフィオナに、パトリツィアはまた少し笑った。
パトリツィアにとって友達という言葉は意味を成さないものだ。
今までの人生の中でそういった関係の人間は誰一人として存在しなかったし、自分の生き方の中でそんなものが登場する機会はないと思っていた。
それが、潜入捜査で潜り込んだ先で、半ば脅迫を受けている最中にそんな関係を持ち出されては可笑しいと思わない方が無理というものだ。
だが、その正気とは思えない提案がパトリツィアは気に入っていた。
友達云々ではなく、フィオナの顔に似合わない肝の据わった提案と、その詰めの甘さがなんとなく微笑ましいと思ったのだ。
シュバルツデスアプグルントの任務よりも優先するものは何もない。
だが、その任務の片手間にフィオナの手伝いをするくらいの余裕はある。
ここで下手に彼女を敵に回して任務に支障をきたすくらいなら、ここで彼女の願いとやらを聞いてあげた方が効率的だ。
そう判断したパトリツィアは脅しをかける為に取り出したナックルダスターをしまうと、右手を差し出した。
「ふふ、いいわ。あなたのお願いとやらを聞いてあげる」
その態度の豹変にフィオナは不信感もあらわに一歩後ずさりをする。
「……信用していいの?」
自分から切り出した話を、自分で訝しんでいては世話はない、とパトリツィアは思ったが一般人であればそうなのかもしれないとも思った。
なので、そこに関しては極力歩み寄りの姿勢を見せる事にした。
「あなたの言う通り私たちは友達だし、私はあなたに通報されるような事は避けたい。いわばこれは契約よ。私はあなたの命を狙う人を探すし、あなたは私の行動を黙認する」
フィオナはまだ少し怪しむような顔をしているが、パトリツィアの差し出した手をそっと握った。
「……契約成立ね」
パトリツィアが言うと、フィオナはやや固い表情のまま頷いた。
「よろしくお願いします。オーエンズさんの事……信じているから」
「あら」
そんなフィオナにパトリツィアは悪戯な表情を浮かべた。
「私たち友達だし、お互い契約を交わしたパートナーなのだからそんな他人行儀な呼び方をしなくていいわ」
「え……?」
戸惑うフィオナにパトリツィアは面白そうに目を細めて言う。
「パティ。親しい人は私の事をそう呼ぶわ」
もっともそう呼んでくれるのは、生きている人間ではロゼッタ・サリシュアンただ一人なのだが。
フィオナは戸惑いつつも、ほんの少しだけリラックスした笑顔を浮かべて言った。
「わかった。よろしくね、パティ」
「よろしく、フィー」
二人はもう一度手を取り合うと、今度は先ほどよりも力を込めて握り合った。