続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
忠正はジュリアン・エリータスの名前を知らないわけではなかった。
ドルファンに入国する前の下調べで、旧家の両翼であるエリータス本家の現当主であるシャルシス・エリータスの一人息子だという事は頭に入れていた。年齢は二十四歳。
こうして実際に本人の顔を見てみると、距離があるとは言え実年齢よりも幾分幼く見える。
エリータス家の実質的な跡取り息子であるし、正真正銘の貴族中の貴族だ。
そんなジュリアンに対しフィオナとサラが怪訝な態度を取っているのは疑問だ。
その事についてフィオナに話しかけようとした時、周辺の席から大歓声が上がって試合が始まってしまった。
ジュリアン・エリータスはブロードソードを模した木剣を右手に持ち、まるでレイピアのように剣先をパトリツィアに向けて構えた。
それに対しパトリツィアは第一試合と同じように中段、正眼の構えだ。
まずジュリアンの構えに違和感を覚えた忠正だったが、それは瞬く間に不審に変わり、そして確信に変わった。
──ジュリアン・エリータスは限りなく素人だ。
武器がブロードソードとはいえ、レイピアを極めた者がその構えをとり、剣を振るったのならそれは脅威になるだろう。
だがジュリアンのそれはただ見様見真似で構えを取っただけであり、その後に繰り出した斬撃も突きもすべてがちぐはぐな動きでその行動に意味というものを見つけられない。
その癖に「きえええ!」だとか「ちょわー!!」だとか妙な気合の声だけが空回りしているのだからこれが滑稽でなくてなんだと言うのだろうか。
それに相対するパトリツィアの動きもどうにも妙であった。
先ほどまでのような動きの切れがなく、出鱈目なジュリアンの攻撃をなんとか凌いでいるように見えるが、間違いなくこれは意図的な行動だろう。
わざと苦戦しているように見せているが、忠正の目には完全にパトリツィアが手を抜いており、なおかつ勝とうという気すらないように見えた。
しかしそんな無気力な試合内容にも関わらず、観客のボルテージは上がっていく一方だ。
つい先ほどまで騎士を相手に大立ち回りを繰り広げていたパトリツィアが貴族の剣士に追い詰められているのだから、娯楽としてはこれ以上に面白いものはないのだろう。
その異常ともいえる興奮の中、先ほどまで同じように歓声を送っていたサラも、心配そうにみつめてフィオナも、二人とも押し黙って座り静かに試合を眺めるだけだ。
やがてジュリアンのどこを狙ったのかまったくわからない切り払いに弾かれて、パトリツィアの剣が宙を舞った。
呆然と立ち尽くすパトリツィアに対し、ジュリアンが高々と剣を掲げると審判は勝負が決した事を報せるハンドベルを振り鳴らした。
割れんばかりの拍手と歓声の中、ジュリアン・エリータスは会場中に響き渡る声で高らかに叫んだ。
「見たか群衆よ、これが聖騎士たるエリータスの力だ! そして、この勝利を我が愛しの子猫に捧げよう!!」
大衆相手にとんでもない言葉を吐くものだと忠正が呆れていると、隣の席のフィオナが立ち上がった。
「……私、パティを迎えに行きますので……失礼しますね」
そう言って興奮する観客達の前を縫っていくフィオナの背中を見つめながら、サラが耳元で言う。
「あたし達もパトリツィアに会いに行こう」
頷いた忠正はフィオナの後を追っていった。
スタジアムの外に出ると外周に沿って色々な屋台が並んでおり、観戦の合間に菓子や酒などを買い求めにきた観客達で大いに賑わっていた。
フィオナはそんな屋台に見向きもせず、足早に関係者出入口の方へと進んでいく。
その後ろを少し離れた位置から追いかけていく忠正は、隣を足早で歩くサラへ声をかけた。
「サラもフィオナもジュリアン・エリータスを知っているのかい?」
その言葉にサラは僅かに声を荒らげながら答える。
「まあね。あの野郎、なんでかは知らないけれど子供の頃からフィオナにぞっこんなんだ。あたしは小さい頃からしょっちゅうフィオナの屋敷に遊びに行っていたから、あいつがフィオナに粉かけようとするのをずっと隣で見ていたもんさ」
「悪い話ではないだろう。一応はエリータス本家の嫡子だ。貴族なら従妹婚など珍しくもないのでは?」
サラは不意に立ち止まると、怒りを目に浮かべながら忠正を見た。
「……親族同士の婚姻は珍しい話じゃないよ。でも、それは相手が尊敬できてお互いが愛し合っている相手だった場合。ジュリアンのような卑怯で矮小なクズ野郎だった場合は違うよね!」
自分の事でもないのにその静かで深い怒りに忠正は驚いた。
いくら幼馴染とは言え、普段から明るいサラがここまで怒りを見せるのは知り合ってから初めてだった。
「あまり好ましい人物ではないのかな?」
忠正が言うと、サラは再び早足で歩きだしながら鼻息も荒く言った。
「まったく好ましい人物ではないね! 尊大で器が小さいくせに、貴族以外の人間をドブネズミと同じだと思っているようなヤツだよ」
サラとジュリアンの間に何があったのかはわからないが、少なくともサラがジュリアンを本気で嫌っていることは間違いないだろう。
そのまま関係者出入口の前に到着すると、丁度パトリツィアが出てくる所だった。
「パティ、怪我はない?」
フィオナが心配そうに駆け寄ると、パトリツィアは肩をすくめてみせた。
「怪我をするような場面があったかしら。それよりも、せっかく祭りの屋台が並んでいるのだから何か食べたいわ。丁度小金が入った事だし」
「小金?」
横から顔を出したサラが口を挟むと、パトリツィアは何かコインのようなものを投げてよこした。
素晴らしい反射神経でそれを受け止めたサラが手を開くと、そこには金貨が三枚あった。
金貨三枚といえば一般的な家庭が一ヶ月は生活に困らないだけの金額である。
女子学生がおいそれと持てるような金額ではないし、そもそも金貨など未成年の子供が持っていていいものではない。
「ど、どうしたのさ、これ?」
サラが驚いた声を上げると、パトリツィアは特に何事もなかったかのようにいつもの口調で答えた。
「八百長の報酬よ」
「……八百長?」
フィオナが怪訝な顔で聞き返す。
「そう。とある貴族の執事さんに、三試合目の開始前に提示されたの。相手を勝たせてくれたら相応の対価をお支払いする、とね」
そう言いながら悪びれるでもなく唇の端で微笑んだパトリツィアに、忠正は思わず呆れてため息を吐いた。
とある貴族などと言っているが、相手がジュリアン・エリータスである事は明示されているようなものだ。
「まだ……彼らはそんな事をしているのね」
フィオナが視線を落としながら呟くのを横目に、忠正はため息まじりに言った。
「それにしても大金だな」
「ああ、最初は金貨一枚を提示されたのだけれど、私が五枚を要求したら値切られたのよ」
「お前……」
その不遜な態度と先ほどまでの戦いぶりのギャップに、忠正は眉根を寄せた。
そんな忠正を見たパトリツィアは愉快そうに口元だけで笑ったまま、賑わう屋台の方へと歩き始めていた。
その後ろを慌ててフィオナとサラが続いていく。
この剣術大会がどれほど由緒正しいもので、この大会での勝利にどれほどの価値があるのかはわからないが、王室会議の筆頭たるエリータスの本家が安くはない金を使ってまで得なければならないほどの栄誉なのだろうか。
そして、まったく悪びれる素振りもなく八百長を受け入れてしまうパトリツィア・オーエンズというこの女子学生の事がますます理解できなくなってきた忠正は、深いため息を吐きながら三人娘の後を追った。
興味の対象がすっかりと屋台に移ってしまった三人娘は、きゃいきゃいと明るい声を上げながら何を食べるのかで盛り上がっていた。
こうしていると、先ほどまで腕に覚えのある騎士達と木剣とはいえ鎬を削る戦いを繰り広げていたパトリツィアは、どこからどう見ても祭りを楽しんでいる普通の女子学生で、とても同一人物とは思えない。
彼女達は果物を飴で包んだ菓子を買う事にしたようで、今度は誰がどの果物にするかで盛り上がっている。
早々にリンゴの菓子を選んだパトリツィアが少し離れて見守っていた忠正の横へと歩み寄る。
そして飴の割れる小気味良い音を立てながらリンゴに齧りついた。
「あなたは食べないの? 美味しいわよ」
パリパリと音を立てて食べながら言うパトリツィアに、忠正は呆れ顔で答える。
「立ち食いなんて、行儀がよくないよ」
「あら。祭りの日に行儀を気にしている人なんてあなたくらいのものじゃない」
「……剣術の心得があるんだな」
さりげなく、だが幾分鋭く言った忠正の言葉に、パトリツィアはリンゴを食べながら応じる。
「言ったでしょう、両親が軍属だって。私を軍人にしたいと思っている両親に、子供の頃から仕込まれていたのよ」
「あの足さばきで見せた、マイナーな体術もかい?」
「……」
パトリツィアは答えず、リンゴの菓子を食べ終わった。
そしてリンゴを刺していた串を忠正に向けると、ニヤリと笑いながら言った。
「ナイトがしっかりしていないから、私があの娘を守る羽目になったのよ。私に戦いの心得があった事を感謝して欲しいくらいだわ」
「その節はありがとう。生憎あの日は先約があってね」
「二兎を追う者は一兎をも得ず」
「……手厳しいな」
「あなたが私にどんな疑念を持っているか知らないけれど、少なくとも私はあなたにとって脅威ではないわ。……それに」
パトリツィアは串を指先でくるくると回しながら続けた。
「あなたも興味があるんじゃないの? 誰があの娘を狙っているのか」
パトリツィアがただの学生ではない事はもはや確定的ではあるが、その後ろ盾についてはまるで想像がつかない。
だが、彼女が言うように自分にとっての脅威にはならないような気はする。
そしてフィオナの命を狙う勢力の調査の足掛かりになりそうでもある。
「まるで誰が狙っているのか、知っているかのような口ぶりだな」
忠正が言うとパトリツィアは愉快そうに眼を細めた。
「さあ、どうかしら。ただ、有益な情報があれば共有してあげるわ。もちろん、対価はもらうけれど」
「オレは金貨三枚なんて用意できない」
「フィーの顔を立ててお安くしておくわ」
忠正とパトリツィアの間に言いようのない静かな緊張感が漂った時、菓子の串を持ったフィオナとサラが来た。
フィオナは苺を、サラはブドウをそれぞれ選んだようだった。
「なんのお話ですか」
菓子を片手に言うフィオナに、パトリツィアは愉快そうな顔のまま答える。
「銃で撃たれるような不甲斐ない自分に愛想が尽きたので、私に剣を教えて欲しいんですって」
「え!?」
それにはフィオナだけでなく、サラも驚いた顔をして声を上げた。
「おいおい……」
忠正はうんざりとした顔でため息を吐いたが、その機転の早さに舌を巻いた。
パトリツィアの正体はわからないし、これからも注意が必要な人物である事は間違いないが、味方でいてくれる分には害はないだろう。
それに命を狙われているかもしれないフィオナには護衛をしてくれる人間が必要だ。
それが同じ学校に通うクラスメイトならこれほど都合が良い話はない。
「オレも何か食べようかな」
忠正が言うと、サラが明るく答えた。
「そうだよ! せっかくのお祭りなんだから! パトリツィアがご馳走してくれるって言うし」
「あら、大人はダメよ。傭兵なんだから、自分の分は自分で払う事ね」
「わかったよ」
苦笑いを浮かべつつも、こういった平穏な時間がいつまでも続けば良いと忠正は思っていた。
サラに誘われた収穫祭も結局はいつもの三人娘に付き合わされただけになってしまったが、それはそれで良かった。
パトリツィアと話も出来たし、彼女が普通の女子学生でない事も確信できた。
注意を払うべきものとそうでないものを区別しておくだけでも、頭の中が整理できるというものだ。
そんな事を考えながら三人娘と別れた帰り道を歩いていた忠正だったが、寝床である軍宿舎の建物の玄関前に、赤毛の癖のない長い髪を指で弄んでいる私服姿のエルザ・ディーリアが立っているのを見つけた。
「ディーリア伍長!」
忠正が声をかけるとエルザは一瞬パッと明るい顔をしたが、すぐに浮かない表情で敬礼をした。
「キサラギ二等水兵、遅かったですね。待ちくたびれました」
「非番の日にどうしたんですか? ディーリア伍長も収穫祭に行ったものと思っていましたが」
「私もお祭りを楽しみたいと思っていたのですが……」
そう言いながらエルザは周りを伺いながら丸めた羊皮紙を差し出した。
忠正はそれを受け取って広げると、びっしりと書かれた文字を読み始めた。
一行、二行と読み進めるうちに忠正の表情がにわかに厳しくなっていった。
最後まで読み終えた忠正は羊皮紙を再び巻物のように巻きなおしてエルザに渡した。
「この情報はいつ入手したのですか?」
「昼頃にエリータス少佐からいただきました」
「Ⅾ弐号は?」
「明日の朝には発令されると思います」
忠正は深く息を吸い込むと、夜の帳が降りかけている空を見上げて呟いた。
「大きな海戦になりそうですね……」
エルザは不安そうに頷きながら、同じように空を見上げた。
晩夏の星座はまだ輝いてはいなかった。