続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【3】銀髪の海賊とサリシュアンという名

 サウスドルファンの裏通りに店を構え、地元民を中心になかなかの人気を誇る定食屋『かもしか亭』の看板娘、サラ・ショースキーは早朝のランニングを楽しんでいた。

もともと走る事は大好きだし、人が少ない朝の爽やかな空気の中を波の音を聞きながら海沿いの道を走るのは、何にも代えがたい爽快感があった。

 

その日もいつもの日課通りにサウスドルファンの街並みを抜けてシーエアー地区へ入り、海沿いの道へと走っていたサラは少し先に最近見た覚えのある顔を見つけた。

腰にレイピアを差したその傭兵は浜辺に屈みこんで何やらメモを取っている。

こんな早朝の不審な行動に興味を持ったサラは、声を掛ける事にした。

 

「おはよ! フィオナの彼氏!」

 

突然の挨拶と思ってもみない言葉に驚いた如月忠正は、飛び上がるように立ち上がりサラの方へ振り返った。

 

「ああ、おはよう。えーと、ショースキーさん」

「サラでいいよ。あたしもタダマサって呼ばせてもらうし」

 

言いながら忠正に歩み寄ったサラは、額の汗を腕で拭った。

 

「それで、タダマサはこんな朝っぱらからこんな所で何をやっていたの?」

「潮汐を記録していたんだ」

「ちょうせき? もっと簡単な言葉で説明してくれる?」

 

不機嫌そうに言うサラに、忠正は困ったような顔で答えた。

 

「ええと、潮の満ち引きの時間を調べていたんだ」

「ああ、それなら分かる。高潮と引潮の事でしょ?」

「その通り」

 

忠正は頷きながら手帳を大切そうに懐にしまった。

 

「そんなものを調べて何になるのさ。貝でも掘ろうっていうの?」

 

訝し気に言うサラの言葉に、忠正は思わず笑ってしまった。

 

「違うよ。海戦をする上で、潮の満ち引きの時間を知る事はとても大切な事なんだ。万が一の時の為の備えってやつだよ」

「へえ、よくわからないけれど、あんたも一応軍人って事ね」

 

サラは訳知り顔で頷いてみせたが、明らかに興味がなさそうな声だった。

忠正は苦笑しつつ、すぐそこの波打ち際から水平線の方へと目を向けた。

水平線には十や二十を優に超える数の大型の船が浮かんでおり、それぞれが絶妙な距離を置いて穏やかな海に停泊をしていた。

 

そのすべてが海賊船である。

 

ドルファン港に停泊できる船の数は限られており、傭兵徴募に応募してきた船団のほとんどは普段はドルファン沖やエドワーズ島の周辺に錨を降ろしていた。

今はまだ大丈夫だが、もしも事が起こった時にこの船たちにどう指示を出したものか、そして指示を出した所で彼らがちゃんと動いてくれるのかは全くの未知数であった。

 

 

「ところでさ」

 

物思いに耽っていた忠正は、サラの声で現実に引き戻された。

 

「今気づいたんだけれど、あんな所に船があるのって変じゃない?」

 

そう言ってサラはビーチの波打ち際の片隅を指さした。

見ると、確かにこのビーチには不釣り合いな小さなボートが砂浜に乗り上げていた。

遠目で見る限り大型船やそれなりの規模の船には必ず括り付けてある、せいぜい二人乗るのが限界の連絡用の小舟のようだった。

このビーチは夏は海水浴客で賑わう遠浅の浜で、そもそも大型船はおろか小舟ですら近寄る事は滅多に無い。

こんな所に小船があるのは明らかに不自然である。

 

「漂着したのか? その割には綺麗な船だが」

 

忠正は感じた疑問を口に出しつつ、小舟の方へと歩き始めた。

何か乗っているのか。何も乗っていないのか。どちらにしても確認だけはしなくてはならない。

漂流者であれば最悪の事態も考えておかなくてはいけないし、治安の維持は軍部の仕事だ。

躊躇なく進む忠正の陰に隠れながら興味津々といった様子でサラが後に続く。

ベルトに装着したレイピアの鞘に左手を添えながら、忠正はその小舟に近づいて中を覗き込んだ。

 

 そこには、船の中でだらしなく横になった女の姿があった。

意外な事に糊がきいたパリッとしたシャツの胸元を大きく開けているが、首元にはこれでもかという程ジャラジャラとした首飾りがいくつも架けられていてもつれ合っている。

シャツの上に着ているジャケットはかなり年季の入った革製で、傷だらけだが造りはしっかりとしていそうだ。

ジャケットと揃いのズボンもなかなかのダメージで、膝の部分には大きな穴が開いているが、悪趣味な大きな髑髏を象ったベルトのバックルと相まって物々しい雰囲気を出している。

 

そして、そのベルトには少なくとも四丁の銃がねじ込んであり、身体の左右にはそれぞれ大振りのナイフが一本ずつ鞘に納められてぶら下がっている。

よく日に焼けた褐色肌の色と対極的な白髪に近いシルバーブロンドの波打つ髪は背中に届くほどの長さで、その多くが顔に絡みついていてどんな顔をしているのかはわからない。

ただ、その出で立ちからして一般人でない事は間違いない。

死んでいるのか生きているのかも判断付かない状態で転がる女に、忠正は思わず眉間にしわを寄せた。

忠正の肩越しに覗き込んだサラは、その姿よりも強烈な匂いに顔をしかめながら声を上げた。

 

「うわ、酒くさ! うちの親父だって、こんな酒臭い事はないよ」

 

サラの父親が普段どれほどの酒を飲むかしらないが、確かに漂う酒の匂いは尋常ではない。

そうなってくるとこの転がっている女は普通では考えられない量の酒を飲まされて、殺されたという可能性も出てくる。

何はともあれ生死の確認が最優先と踏んだ忠正は、意を決してその女の肩に手をかけると、やや乱暴に揺さぶった。

 

「おい、生きているか。おい!」

 

掴んだ肩は夜の空気にさらされたせいで冷たかったが、身体は硬直しておらず柔らかだった。

 

「……ん、……むぅ」

 

女は生きていたらしく、かなり気だるそうな声を出しながらゆっくりと上半身を起こしてあぐらをかいて座り、髪をかき上げて眠そうな目を開いた。

年の頃は自分とそれほど変わらないだろうが、その灰色を通り越して白に近い瞳の色と、どこか猫や虎を思わせる縦長の瞳孔の形に忠正は思わず息を飲んだ。

 

「あ? どこだ、ここは……?」

 

ややハスキーな声は酒焼けのせいだろうか、と忠正が考えていると、その女は忠正とサラの姿をみつけ露骨に不機嫌そうな声で言った。

 

「なんだ、てめーらは。おい、オレの可愛いブルー・セレンはどこだ?」

 

かなり粗暴な言葉使いだった。

定食屋育ちのサラも決して言葉使いが丁寧なわけではないが、そのサラですら若干の嫌悪感を顔に出している。

そんなサラを後ろ手にかばいつつ、忠正は名乗りを上げた。

 

「オレはドルファン海軍に所属する、タダマサ・キサラギという者だ。お前は何者だ。どこから来た」

 

だが、そんな忠正の言葉を聞き終わらないうちに、その女はベルトに差していた銃を一瞬で抜き去ると、その銃口を忠正へ向けた。

 

「おい、質問をしているのはオレの方だ。ブルー・セレンはどこだ?」

 

忠正は銃口とその女を黙って見ている。サラは突然発生した緊迫のやり取りに唾を飲みこんだ。

僅かな沈黙の後、忠正が静かに言う。

 

「こちらはあんたの言っているブルー・セレンとやらが何か、見当もつかない。オレ達はこの浜へ流れ着いたであろうこのボートを確認しに来ただけだ」

 

その言葉に女は猫のように目を細めた。

 

「軍人と小娘がか?」

「まあ、取り合わせのおかしさは認めるよ。だが、事実を事実として述べただけだ。嘘はない」

 

女はじっと忠正を睨みつけていたが、不意に銃を下げると唇の端をほんの少しだけ上げた。

 

「なかなか肝が据わっているな、お前。気に入ったぜ」

「それはどうも」

 

忠正がそう返すと、女はよろよろと立ち上がり、ボートから浜辺へと降り立った。

忠正の前に立つと、目の高さは僅かに忠正よりも高かった。

 

「オレはルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラだ。ルシル若しくは船長と呼んでくれ」

「船長?」

「そうだ。偉大なる我がブルー・セレンディバイト号の船長だ」

 

その言葉に忠正はようやく合点がいった。

女で年齢が若い事もあって選択肢の中になかったのだが、先入観は良くない。

自分自身にそう言い聞かせながら忠正はため息まじりに言った。

 

「海賊か」

「否定はしないが、お前と同じドルファン海軍所属だよ。目下のところは」

 

強烈な酒の匂いを漂わせながら微笑むルシルに、忠正はもう一度ため息を吐いた。

 

「それで、あんたが傭兵に応募してきた船の船長って事はわかったけれど、どうしてこんな所にボートで流れ着いていたんだ?」

「あー、待て。今、思い出している」

 

ルシルはこめかみを指で揉みながら、目を閉じて記憶を呼び戻そうとしていた。

 

「……昨日の夜は月が綺麗だったんだ。うちの船員どもと飲むのもいいが、静かに一人で飲みたくなってな。この小舟を出した所までは覚えているが……」

 

言いながらルシルは自分が乗っていたボートを見た。

 

「載せたはずの酒樽が無くなっているところを見ると、飲み潰した樽は海に落としちまったみたいだな。で、そのまま寝ちまって潮に流されたと。まあ、状況からの推測だが」

 

そう言って豪快に笑うルシルに、忠正もサラも大いに呆れて顔を見合わせた。

 

 

「ところで」

 

ひとしきり豪快に笑い飛ばしたルシルに対し、忠正はやや厳しい声で言った。

 

「キミが傭兵の船長だという事はわかったが、何故先日の招集に参集しなかったんだ? クルーはともかくとして、船長だと言うなら、キミは参加するべきだろう」

 

それまで能天気な笑顔を浮かべていたルシルの表情から、にわかに笑いが消えた。

 

「なぜ、そんな事をお前に言われなければならないんだ?」

「決められたルールも守れない奴らが、有事の際に役に立つとは思えない」

 

言い捨てた忠正の言葉に、ルシルは今度は侮蔑するような笑顔を浮かべた。

 

「おい、勘違いするなよ。オレ達は金で雇われてはいるが、いつどこで何をするかはオレ達の自由だ。海に生きる者を拘束しようなんて無駄は考えない事だ」

「お前達は軍属だろう」

「オレ達は海賊だぜ? 弱っちょろいドルファンの海軍様に代わって、海を守ってやろうって言うんだ。用があるならお前らが来るべきだ。口の利き方と態度には気をつけな」

 

明らかに喧嘩を吹っ掛けているかのような忠正の態度に、怒りも露わに対応するルシル。

またも一触即発の雰囲気にサラが割って入る。

 

「ま、まあまあ。二人とも落ち着きなって。こんな朝っぱらから……」

「ガキは引っ込んでろ!」

 

鋭い殺気のこもった目で睨みつけると同時に一喝したルシルの言葉に、サラの体が本人の意思とは関係なく勝手に一歩後ずさりをする。

それを見た忠正はサラを庇うように前へ出ると、挑発するような声で言った。

 

「一般市民への威圧行為は明らかな傭兵の契約違反。これは逮捕案件だ」

 

その言葉にルシルが低い声で応酬する。

 

「お前、さっきから何が言いたいんだ? 喧嘩を売りたいなら買ってやるぞ」

「喧嘩? 笑わせてくれるな。お前達の飼い主はドルファンだ。飼い犬が吠えるならば、それを躾けるのは飼い主の役割だ」

「手綱も握れない弱い飼い主なんて存在しねぇだろうが!」

 

怒号一閃、ルシルはベルトに下げていた二本のナイフを逆手で引き抜くと同時に忠正の首筋を狙って左右から斬りつけた。

すでにそれを予測していた忠正はすかさず屈んでそれをかわしつつ、腰のレイピアを右手で引き抜いていた。

 

「サラ、下がっていて!」

 

視線はルシルに向けたまま声を上げた忠正に、サラはあわてて離れながら小舟の陰に隠れた。

ルシルはナイフを順手に持ち直すと、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「お上品な教本通りの剣術で荒海育ちのオレを躾られるものかよ」

 

そんな挑発の言葉を無視して忠正はレイピアを構えた。

大きな赤い鍔のついたこのレイピアは、通常のレイピアに比べると一〇センチほど刀身が短い特注品だ。

取り回しが良く、切り返しの早いこの剣であれば、素早い反面リーチで劣るルシルのナイフ二刀に十分対応が出来るはずだ。

そう考えた忠正の思考を断ち切るように、すかさずルシルが二本のナイフで襲い掛かった。

 

「オラ! オラ!!」

 

気合の声と共に上下左右から乱暴に斬りつけられるその攻撃に、忠正は防戦に必死となる。

ルシルの剣術の真骨頂はリーチの不利を補ってあまりある、その圧倒的なスピードと手数にあった。

息をもつかせないその異常ともいえる手数の多さは、海賊同士の交戦や敵船との戦闘で一度たりとも負けた事がなかった。

乱発される一撃一撃は速く重く、的確に急所を狙ってくる正確性も兼ね備えており、必死に剣を振るい防御する忠正は素直に感心してしまっていた。

 

だが忠正とて故郷を離れて他国の傭兵に志願した人間だ。

腕に自信が無ければ傭兵に志願などしないし、野良猫に喧嘩を吹っ掛けるような事もしない。

切れ間の無い連撃がレイピアに防がれるたびに激しい金属音と火花が散るのを、サラは半ば呆然と眺めていた。

毎朝恒例のランニングをしていただけなのに、今、目の前では突如として命を削るやり取りが行われている。

目の前で起きている事が現実のものと思えないでいる中、わずかに変化が起きている事に気が付いた。

 

少しずつだがルシルの繰り出す攻撃の勢いが弱まっているように見えたのだ。

それは攻撃を繰り出しているルシル本人が誰よりも敏感に感じていた。

一撃を繰り出すごとに自分の手が重くなっていくのを感じる。

今まで戦ってきたどんな相手も、この攻撃をここまで防ぎ切った者などいなかった。

こちらをまっすぐに見据えて、どんな攻撃も的確に防御する忠正を相手に、まるで岩の塊を殴りつけているような感覚に陥っていた。

 

「クソっ!!」

 

ルシルはすでに限界に近い鉛のように重くなった左手のナイフを放り捨てると、それでも素晴らしい速さでベルトの銃を引き抜いた。

それに瞬間的に反応した忠正が足元の白亜の砂浜の砂を蹴り上げる。

 

「目潰しのつもりか、馬鹿が!」

 

そんなものはお構いなしに引き金を引く。

サラがぎゅっと目を閉じて耳を塞いだが、耳を聾するような火薬の炸裂音は鳴らなかった。

 

「不発!?」

 

思わず叫んだルシルは流石の反射神経で右手のナイフを手放すと同時に銃を引き抜き、忠正に狙いを定めた。

だが銃口が忠正の方向を向いた瞬間に、レイピアの切っ先がその銃口に一寸のズレもなく突き立った。

 

「な!?」

 

戦っている最中で動き回る相手の、ましてや指二本の太さもない銃口に正確無比にレイピアを突き差すという神業など出来るわけがない。

ルシルは今起こっている事がとても信じられなかったが、この瞬間に目の前で起こっている事実として忠正のレイピアは自分の銃口に突き立っていた。

左手の銃は不発。右手の銃の引き金を引けば、自分の指が吹き飛ぶ。

左手の銃を捨ててまだベルトに差している銃を使う事は出来るが、恐らく先ほどと同じように不発にされる可能性が高い。

明らかに最初の銃の一撃が不発になったのは、忠正が何かしたからだった。

 

 

「ぐっ……!」

 

喉の奥から絞り出した悔しさを奥歯でギリギリと噛み締めながら、ルシルは左右の手の銃を捨てると、ゆっくりと両手を上げた。

 

「……何をしやがった?」

 

砂浜に落ちた銃を確認しながら、忠正もレイピアの剣先を下ろしながら言った。

 

「フリントロック式の拳銃は発砲するのに火花の発生が絶対条件だからね。この時間はまだ潮が引いたばかりだから砂は湿っているし、ここの砂浜は砂の粒が細かい。あれだけ派手に蹴り上げれば当然銃の撃鉄にもそれは入り込むし、そうなれば火花は立たないので発砲も出来ない」

「狙ってやったと言うのか?」

「最初に銃を抜いた時に射撃に自信があるように見えたからね。ナイフ捌きも凄かったけれど、最後はきっと銃を使うと思った」

 

ルシルは両手を下ろすと、深いため息を吐いた。

彼女の人生にとって初めての敗北という言葉が胸の奥に重くのしかかり、自然と視線が下を向いた。

その視線の先に、ふと忠正の持ったレイピアが目に留まった。

戦い始めた時は興奮していて気付かなかったが、少し短めの刀身に赤い大きな鍔。

何かに気付いたルシルはあわてて顔を上げると忠正の顔を凝視した。

 

「ど、どうした?」

 

戸惑う忠正を無視してルシルはその瞳を覗き込む。

 

「外国人、いや東洋人のような容姿に紅い瞳。お前……スィーズランドの出身じゃないだろうな」

 

突然のルシルの豹変ぶりに若干戸惑いながらも忠正は頷いた。

 

「あ、ああ。スィーズランドはオレの故郷だ」

 

その言葉を聞いたルシルは、大きく目を見開いたかと思うと、天を仰いで何かをこらえるかのように静かに笑い始めた。

 

「何? 気味が悪い……」

 

ボートの陰から恐る恐る出て来たサラがつぶやくと、ルシルはそのままの姿勢で言った。

 

「北の海で聞いた事があるぜ。大きな赤い鍔のついた特注の短いレイピアを使う、東洋人風の赤い瞳の騎士の事をな」

「え?」

 

サラが疑問の声を上げると、ルシルは忠正の方を見た。

 

「スィーズランド軍最強の剣士として名高い〝東洋の聖騎士〟の息子が、若くして軍師にまで上り詰めたって話は、北の海の海賊の間じゃ有名な話しだ」

 

忠正は無表情にそれを聞いている。

 

「そいつは大きな赤い鍔のついた特別拵えのレイピアを使い、父親譲りの東洋風の出で立ちにルビーのような紅い瞳が特徴だそうだ。そしてその卓越した剣技と冷静な分析力、何よりも膨大な知識を駆使した戦術の組み立てで、若干十七歳で特例の軍師に任命された!」

 

ルシルは言葉の勢いそのままに忠正の胸倉をつかんだ。

 

「人呼んで〝百識のサリシュアン〟ってのはお前の事だろう!?」

 

詰め寄るルシルの手を静かに外した忠正は、戸惑い気味に笑って見せた。

 

「何の事だかわからないな。オレはさっきも名乗った通り、タダマサ・キサラギって名前だ。そのサリシュアンだかなんだかって名前じゃない」

「シラを切ろうっていうのか?」

 

ルシルと忠正はそのまましばらく睨み合ったが、やがてルシルは静かに視線を逸らした。

 

「まあいい。お前が何者だろうと、オレの負けは変わらない。それで、お前はどうしたいんだ?」

 

その切替の速さと潔さに思わず微笑が浮かんだ忠正は、レイピアを鞘に納めながら言った。

 

「別に何も。ただ、次の招集日にはちゃんと出席してくれればいいよ。ただでさえ誰も出席してくれない招集日に、ルシルだけでも来てくれれば上官も喜ぶだろう」

 

その言葉に驚いて何とも言えない苦い顔をしたルシルだったが、ため息まじりに唇の端で笑った。

 

「イエッサー、タダマサ。オレだけと言わず、配下の船長どもを連れていくと約束しよう」

「配下?」

「そうだ。オレはこう見えても七隻の船を従える海賊団〝白鷲〟の船団長だからな」

 

そう言って胸を張るルシルに、忠正とサラは再び顔を見合わせた。

 

 

 

 その後、海賊旗をマストに掲げた大きな船が沖合にいるのを見つけたルシルは、発煙筒を焚いて合図を送ると、乗ってきた小舟で母船へと帰っていった。

別れ際に握手を交わした忠正は、その手に残る力強さに頼もしさを感じていた。

ビーチからシーエアー駅へと歩いていると、隣のサラが鼻息も荒く興奮気味でまくし立てた。

 

「いやぁ、タダマサって強いんだね! あたし、思わず興奮しちゃったよ」

「そんな事はないんだ。ただの偶然だよ。もしも船の上で戦ったのなら、きっとルシルに敵わなかった」

「そうかなぁ……。あたしは、それでもきっとタダマサが勝ったと思うけれどね!」

 

きらきらと輝く瞳でそんな事を言われると、忠正はどう扱ったものかと若干困った表情を浮かべた。

その時、シーエアー駅の時計塔が午前八時を知らせる鐘を鳴らした。

 

「あ! やばい! このままじゃ遅刻だよ!!」

「サラも学校へ?」

「当たり前でしょ! あたしは店の手伝いもしているけれど、本業はフィオナと同じドルファン学園の生徒なんだから!」

 

慌てるサラに忠正は苦笑まじりに言った。

 

「じゃあ、急いだ方が良いんじゃないか?」

「うん、そうする! じゃあ、またねタダマサ。今日は結構カッコよかったよ。またお店にも寄ってよね!」

 

そう言いながら走り出したサラを見送りながら、忠正は深いため息を吐いた。

まるで思いも寄らなかった出会いだったが、ルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラと知り合い、助力を得る事が出来たのは上出来だった。

烏合の衆の海賊たちと言っても、そこには規律があり、ルールがあり、守るべき指標のようなものがある。

どうやってそこに切り込もうか考えていた中だったので、今日のこの出会いは偶然だったとしても忠正にとっては本当に幸運だった。

ああいった輩は、自分より強い力を示すのがシンプルで効率的だと知っていたが、思ったよりも上手くはまってくれた。

 

そう考えると、サラが小舟を見つけてくれた事がきっかけだったわけだし、サラは今日の幸運の女神だったとも言えなくもない。

そんな事を考えながら、そろそろ自分も出勤の時間だという事に気付いた。

サウスドルファンの軍本部に向けて歩き出しながら、忠正は小さく声を漏らした。

 

「〝百識のサリシュアン〟……か」

 

自分の身分を隠すために名乗っていた名前だったが、聖騎士の息子だという事まで周知の事実となってしまっていた。

幸いな事に本名を名乗っているこのドルファンでは、特に情報が洩れているような様子がないのがせめてもの救いだ。

ただ、少し気になるのは、ジョアン・エリータスといい、ハンナ・ショースキーといい、如月という父方の姓を名乗ると妙な対応をされるという事だ。

父親がこのドルファンで聖騎士に任命されたのはもう二十三年も昔の話だし、任命と同時に国外退去を言い渡されている父の名前が、ドルファンに浸透しているとは思えない。

国民の殆どはそんな聖騎士がいた事さえ知らないのではないだろうか。

事実、ドルファン関連のどの歴史書にも父の名を見つける事は出来ない。

ただ東洋人傭兵という言葉だけが、いくつか散見されるだけだ。

 

父親は優しかったが、過去の事はあまり多くを語らない人だ。

そんな父の考えを尊重していたのか、母も父の過去を教えてくれることはなかった。

唯一、メイドであり乳母代わりになってくれたねえやからは、少しだけドルファンにいた頃の父の話を聞いた事がある。

ただ、その話のほとんどは女性の知り合いが多かった、という何の役にも立たない話だったのだが。

 

 なんにせよ、サリシュアンという名前はあまり表に出すものでもない。

その名前は自分の中に流れる血のしがらみであり、宿命であり、一種の呪いでもあるのだ。

この国にいるうちは、あまり目立たないように行動しなくてならない。

忠正は自分に言い聞かせると、朝の活気を纏い始めた通りを歩き出した。

 

 

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