続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
リンダの屋敷を訪れる前にドルファン学園の女子寮に立ち寄った忠正とエルザは、寮母に掛け合ってフィオナを呼び出してもらっていた。
D弐号が発令され父ジョアンと一緒に海戦に出ていたと思っていたフィオナは、忠正の突然の訪問に驚いた様子だったが、忠正が熱心に頼み事をするとやがて部屋の中から美しく装飾された鞘に収まる一本の短剣を持ち出してきた。
それを受け取った忠正はフィオナの手を取って熱のこもった感謝の言葉を述べた。
フィオナは頬を赤く染めて、寮を後にする二人を見送った。
アポイントも無しにザクロイド財閥の総裁であるリンダ・ザクロイドに会う事は基本的に不可能だ。
だが如月忠正は何の約束もしていない中、堂々と以前訪問したリンダ・ザクロイドの屋敷を訪れ、門番に掛け合った。
「国家の存亡、ひいてはザクロイド財閥の今後に関わる極めて重要な内容の為、速やかにリンダ・ザクロイド総裁にお会いしたい」
門番たちは最初は頭のおかしい客として全く相手にしていなかった。
いくらドルファン海軍の制服を着ている軍人相手といえど、こんな突拍子もない話を鵜呑みにして門扉を開けようものならば、たちどころに失職してしまう。
だが、忠正も引き下がらなかった。
先ほどフィオナから借り受けた短剣を取り出すと、門番の二人にその刀身をかざした。
「このナイフに刻まれたエリータス家の紋章が見えるでしょう。我々は王室会議参位、エリータス家の使いの者です。取り次いで下さらないとなると大事になりますよ」
門番たちはその短剣をまじまじと見つめたが、その真贋はとても判断できるものではない。
だからといってそれらしい物を見せつけられて、この頭のおかしい客の言い分が本当だった場合はまさに大問題になりかねない。
渋々執事に確認に走った門番は、数分後、固く閉ざした門扉を開けて忠正とエルザを迎え入れたのだった。
「まったく、呆れましたわ。どんな手を使って屋敷の扉をこじ開けたんです?」
まだ夜遅くとは言えない時間だが、明らかに夕方を過ぎた時間だというのに、リンダ・ザクロイドはいつも通りの紫のドレスを身にまとい、上品で優雅な身のこなしでソファに座り、化粧の崩れなどどこにもない美しい顔で向かいに座る忠正とエルザを見た。
忠正はフィオナの短剣を差し出し、リンダに渡しながら言う。
「エリータス家の名前を使わせてもらいました。国家を揺るがす一大事ですので」
リンダは受け取った短剣を鞘から引き抜き、刃の根本に刻まれた紋章を覗き込んだ。
「……本物。エリータス少佐の物を借り受けたので?」
「いいえ。別の伝手で」
忠正の言葉にリンダは一瞬眉を上げたものの、刃を鞘に納めると忠正へと返した。
「まあいいわ。その伝手とやらを使ってまで謹慎中のはずの貴方がわたくしに会いに来た理由を教えて下さる?」
「耳が早くていらっしゃる。私の謹慎処分が下されたのは今日の昼ですよ」
「あら。エリータス少佐が出港の前の王室会議への報告で、声高に叫んでおりましたわよ。まるで貴方をドルファンに残していく事を正当化するかのように」
そう言って美しい口元に妖しい微笑を浮かべたリンダの、言い知れない凄みのようなものを感じて忠正は若干気圧されそうになる。
だが、負けじと唾を飲み込んで言葉を続けた。
「上官の命令に従わないというヘマをしでかしまして。どうやらエリータス少佐は私の立てた作戦がお気に召さなかったようです。ですが今回の作戦に私は自信があるので、頭の固い上官ではなく、柔軟な思考をお持ちであろう軍の最高司令官殿に直談判をしたいと思っているのです」
その言葉にリンダの口元から笑みが消えた。
「わたくしにメッセニ中将への口利きをして欲しい……と?」
「流石のご慧眼、感服の至りです」
忠正のおべっかを受け流しつつ、リンダは手にした扇子を開いて口元を隠した。
「それは先日のエドワーズ島への間者の潜入にも関わる話なのかしら」
リンダ・ザクロイドをどこまで信用していいかはわからないが、半ばゴロツキと化していた海賊傭兵達の統率を提案したのはこの人物だ。
少なくともこのリンダ・ザクロイドという人は、金の匂いには敏感だが国を裏切るような事はしないだろう。
忠正は覚悟を決めて頷いた。
「そうです」
リンダは大きなため息を吐くと、扇子を下げて後ろに控えている執事たちの方をかるく扇いだ。
執事たちはわずかに会釈をすると静かに部屋を出て行った。
部屋の中にいるのが自分と忠正、エルザだけになったのを確認すると、リンダは扇子を畳んでテーブルに置きながら言った。
「さて……説明して下さるかしら。貴方の考えている事と、何が起こっているのかを」
忠正は隣に座るエルザと顔を見合わせて頷くと、シチー島沖の海戦後から始まった一連の流れと、今回の海戦に向けての自身の考えを静かに語り始めた。
一通りの説明を聞いた後、リンダ・ザクロイドはしばらく黙って何かを考えていたが、やがて口を開いた。
「ここ最近の王室会議でのハンガリアの侵略に対しての消極的な姿勢には、わたくしも常々疑問を感じていたところでした。実のところ、この件に関してはエリータス少佐からも内密に相談を受けておりましたし」
ジョアンが独自に調査を進めると言っていたのを思い出し、それがリンダへ相談する事につながっていたとは忠正は思いも寄らない事だった。
リンダは少しだけ目を細めて険しい表情で続けた。
「誰が裏切り者で、誰がドルファンを売っているのかは一旦置いておきますが、貴方のおっしゃるように別動隊が攻め込んできた際に、ズィーガー砲を然るべき仕事で運用出来るようにメッセニ中将を説得したいという事ね……」
そう言いながらリンダは目線を上に向けた。
「あの根っからの軍人気質で堅物のおじさまが話を聞いてくれるかしら。彼が国を裏切るような事はまず無いと思いますが、規則を重んじて融通の利かない頑固なところがある方ですから……」
「正直、会って話をしてみない事には何とも言えません。別動隊の裏が掴めていない以上憶測にすぎませんし、そんな憶測で部隊を動かしてくれる程メッセニ中将がお人よしだとは思っていません」
忠正がそう言い切ったのにリンダはやや驚いた表情を浮かべた。
「あら。では直接会ったとして、どう口説き落とすおつもり?」
もっともな疑問に当のリンダだけではなく、隣のエルザもうんうんと頷いた。
しかし忠正は妙な自信を見せた。
「無策ではありませんが、ここでそれをお伝えするわけにはいきません。でも、メッセニ中将はきっと答えてくれるはずです。どうか、直接お会いでする機会を作っていただけませんか」
その真っすぐな瞳と何かを確信している態度に、リンダは肩をすくめてみせた。
「わかりました。今は貴方を信じるしかありませんものね」
そう言って紫のドレスを翻して立ち上がったリンダは旧家の両翼にも負けない、毅然とした貴族のような声で続けた。
「明日の午前、王宮の空中庭園にメッセニ中将をお誘いいたします。そこで話ができるよう、手配しましょう」
その言葉に忠正とエルザは顔を見合わせて明るい表情を浮かべた。
「ありがとうございます!」
純粋に喜びを表現するその顔に、リンダは思わず苦笑いを浮かべた。
「その純粋で真っすぐな想い……。……若さですわね」
思わずつぶやいた言葉は忠正たちには聞こえなかった。
次の日。
朝と昼の間の爽やかな時間に、忠正はリンダが手配したメイドに案内されて、王宮内の空中庭園へとやって来ていた。
白い外壁が美しいドルファン王城の中で、かなり奥まった場所にあるこの庭園は一般人が決して立ち入る事の出来ない場所であるし、例え王室会議メンバーの貴族であっても容易には入れる場所ではない。
基本的には王家の人間のみが立ち入る事の出来る特別な空間なのだが、この庭園で植えられている珍しい種類の薔薇や季節の花々を世界各地から取り寄せて植えているのがザクロイド財閥の子会社である為、リンダはその特権で入る事を許されていた。
そして王宮内の警備を司る近衛兵団の長でもあるミラカリオ・メッセニもまた、この庭園への出入りを許された数少ない者の一人だった。
忠正はメイドに庭園の隅に案内されると、ここで待つように言われた。
美しく整えられた庭園の端ではあるが、忠正よりも背の高い薔薇の茂みに囲まれており、まだ花がつく時期ではないので緑に溢れているが、庭園の中央の辺りには色とりどりのダリアがその大輪の花を咲かせていた。
しばらくその場でダリアを愛でていると、静かな庭園に二組の足音が聞こえてきてやがて二人の男女がやってきた。
女性の方は忠正の良く知るリンダ・ザクロイド。
今日はいつもの紫のドレスではなく薄い水色のドレスを着て、長い髪をアップにまとめていた。
その後ろから入ってきたのは将官専用の緑色の軍服に男性用の薄紫のスカーフで首元を飾り、豊かな白髪は分けて流してあり、口元の真っ白な髭を油で固めたミラカリオ・メッセニその人だった。
深いしわが刻まれた厳めしい顔についた少し垂れ目がちの目と、それに反比例するように吊り上がった眉がいかにも厳格な風貌を引き立てている。
メッセニは片手で杖をつきながらゆっくりと歩きつつも。周りを警戒して視線を巡らせていた。
「何か気になるところがありまして? 何やら落ち着かないご様子」
隣を歩きながらリンダが言うと、メッセニは低く落ち着いた声で答えた。
「リンダ・ザクロイド嬢にこんなところに呼び出されれば、周りに注意を払いたくもなるというもの。こんな老いぼれを捕まえて、何に会わせようとしているのかね」
「まあ、人の悪い」
そう言いながら小さく笑ったリンダは、忠正に目配せをした。
それを見た忠正は小さく頷いてメッセニ達の方へ歩き出した。
庭園の隅から出てきた若い海軍兵士をジロリと睨んだメッセニは、リンダの方へ視線を戻した。
「何者ですかな。見たところ一兵卒のようだが」
「海軍の傭兵部隊所属の方ですわ」
「……傭兵部隊。外国人か」
忌々しそうにそう吐き捨てたメッセニの元へ歩み寄った忠正は、膝をついて頭を垂れた。
「メッセニ中将閣下、初めてお目にかかります」
メッセニは醒めた目で忠正を見ると、小さなため息交じりに答える。
「形式ばった挨拶はいい。ザクロイドの令嬢まで使って、この私に何の用だ」
その冷たい声にひるまずに忠正は顔を上げた。
「私はタダマサ・キサラギと申します。メッセニ閣下にお願いがありまして参りました」
「……キサラギだと?」
その声がまた一段階冷たくなった。
メッセニが視線をリンダに送ると、リンダは頷きながら言った。
「中将の思っている通りですわ。彼はあの、幻の聖騎士の息子です」
その言葉にメッセニは深く長いため息を吐いた。
「あの東洋人の息子か。道理でその生意気な面構えに見覚えがあると思ったわ」
言われた忠正はわずかに苦笑した。ここまでは実は想定通りなのだ。
「それで。その東洋人の息子が何の用だ」
忠正は膝を着いたままの姿勢で訴える。
「海軍が全勢力でハンガリアの侵攻を食い止めに向かっている事はご承知の通りですが、私はこの隙に別動隊がドルファン港へ攻撃を仕掛けるという事に確信に近い思いを持っております。閣下へのお願いは、この別動隊が攻撃を仕掛けてくるのに対抗し、閣下直属の近衛兵団にズィーガー砲の運用をお任せ出来ないか、という事でございます」
メッセニは忠正の言葉を黙って聞き、杖をついていない方の手で髭を捻っていたが、おもむろに切り出した。
「その別動隊というのはどこから、どの程度の規模で仕掛けてくるのかね」
思っていたよりも冷静で、的確な指摘だった。
そこで忠正は正直に回答する事にした。
「わかりません。百の艦隊かもしれませんし、千の艦隊かもしれません。そして、別動隊というのもハンガリアかもしれないし、ハンガリアではないかもしれません」
そこまで聞いてメッセニは髭の下で冷たく笑った。
「ふん。来るかもしれないし、来ないかもしれないものに対し、兵力を割けるわけがあるまい」
言い捨てたメッセニの言葉は、何の感情も持っていなかった。だが忠正は食い下がる。
「正体も規模もわかりませんが、敵は確実に来ると思います。表立っては申し上げられませんが、私はその裏付けとなるような事実をいくつか掴んでおります」
「ほう?」
メッセニの瞳がわずかに興味を持ったように見える。
「ですが」
その興味を切り捨てるように忠正は言葉を続けた。
「申し訳ありませんが、その事実を閣下に申し上げる事はできません」
ドルファン国軍、むしろ王室会議のメンバーの中に裏切り者がいるという事実と状況証拠をメッセニに伝えられるはずがない。
確固たる証拠もないまま軍の内部に裏切り者がいるなど、ただの傭兵である忠正が密告したところで、下手をすれば不敬罪で処罰されかねない。
押し黙る忠正を見て、メッセニは笑い声をあげた。
「ふ、ははは。とんだ茶番だな。何の確証もない話で近衛を動かせとは、馬鹿も休み休み言え」
メッセニの言う通りだ。
たちどころに悪くなる旗色に、リンダは一歩離れたところで見守りながら扇子の下に隠した口元で唇を噛んでいた。
だが忠正はおもむろに立ち上がった。
「もちろん、ただで動いて欲しいとは申しません」
まだその瞳に希望の光を灯しているのを見て、メッセニは興味を持った。
「ほう、何か見返りでもくれるのかね。ザクロイド嬢から金でもせしめるか?」
「いいえ。もっと良いものです」
そう言って忠正は懐に手を差し入れて、丸めた羊皮紙を取り出した。
巻物状にされたその紙は革紐で縛られている。
「なんだ、これは?」
メッセニはそれを怪訝な表情で受け取り、革紐を解いた。
そうして広げられた羊皮紙の中を見て、今まで厳格で冷たさまで漂わせていた顔に、
あからさまに驚愕の表情を浮かべて動きが固まった。
忠正が渡したその羊皮紙は、スィーズランドを発つ際に父に託されたものだった。
二十三年前にドルファンで聖騎士になった父、ヒューイ・キサラギはその活躍と功績ゆえにミラカリオ・メッセニとは顔見知りの間柄であった。
メッセニが現在のドルファン軍のトップに君臨している事を理解していた父が、何かの際にこれを渡せば必ず力になってくれると言って託してくれたのが、これだったのだ。
それは何かで封印されたようなものではないので、ドルファンまでの船旅の中で退屈まぎれに中をあらためてみた。
そこには一人の女性の肖像画が描かれていた。
水彩画だがかなり写実的に描かれていたのは、緑色の腰よりも長い髪をした優しい瞳の美しい女性で、どこかの噴水の縁に腰かけてこちらをまっすぐにみつめていた。
その女性が何者なのか忠正にはわからなかったが、その肖像画を目にしたメッセニはわなわなと震える手でそれを持ち、声にならない声でつぶやいた。
「ク……クレアさん……!」
忠正は知る由もなかったのだが、そこに描かれていたのは父ヒューイの上官にしてハンガリアの狼と言われたヤング・マジョラムという騎士の妻で、遠い昔にメッセニが恋慕の情を抱いていたクレア・マジョラムという人物であった。
しばらくの間黙ってその絵をみつめていたメッセニは、ふと我に返ると軽く咳払いをした。
「貴様、どこでこれを手に入れた」
忠正は苦笑しながら答える。
「ドルファンに来る前に父から託されました。閣下なら必ず力になって下さる、と」
メッセニは肺の中の空気をすべて吐き出してしまうのではないかと思うほどの深いため息を吐くと、羊皮紙を大切そうに巻いて自分の制服の中へとしまった。
そして再び厳格で冷たい声で言った。
「他言無用だ。とりあえず貴様の要望通りには動いてやる」
その取り繕った態度に忠正は思わず頬が緩みそうになったが、必死に真面目な表情を作り敬礼をした。
「ありがとうございます。本当は、攻撃自体が杞憂であれば良いのですが」
忠正が言うと、メッセニは不機嫌そうに顔を背けながらも意外な言葉を返した。
「ふん、貴様が確信を持って言うのならば別動隊はいるのだろうさ。小生意気な傭兵としてではなく、聖騎士の息子の言葉としてなら多少は信用してやってもいい。認めたくはないが、あの東洋人傭兵……お前の父は、騎士としては優秀だったからな」
父がこの国でどんな活躍をして、どんな人たちと親交を深めていたのかは全くわからない。
そういう事については父も母もほとんど教えてくれなかった。
ただ、乳母がわりのメイドのねえやが断片的に教えてくれる昔話だけが忠正の知るドルファンでの父である。
そんな過去の父を知る人物が、多少の棘はあるとしても良い評価をしてくれているという事が、忠正にとってむずがゆくもあり、ほんの少しの誇らしさにもなるのだった。