続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ドルファン港を出港したルシル達は、二日の航海を経た正午頃にドルファン最西端の港町パーニヤの沖合十数キロの位置に到達していた。
ここからもう少し南西に行けば最初の海戦の舞台となったシチー島の周辺だが、その近辺は風が弱く凪の時間が多い事から今回の作戦ではそこを避け、ハンガリア軍のドルファン侵攻の予測航路でもあるこのパーニヤ沖にて迎え撃つ事になったのである。
九月にしては天候も穏やかな日が続いており、東の水平線上にわずかに見えるドルファンの陸地を横目に旗艦であるブルー・セレンディバイト号は艦隊を引き連れてゆっくりと海を進んでいた。
ルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラが船長を務めるこの海賊船ブルー・セレンディバイト号は総排水量数八五〇トンになるフリゲート艦で、その名の由来となった超希少な鉱石であるセレンディバイトのような深みのあるグレイッシュブルーに塗られた船体は、見る者の目を引き付ける不思議な魅力を持っている。
海賊船の旗艦らしく大量の大砲を装備し、〝白鷲〟の他の船と同様に船尾には超重量の大型カノン砲を装備している船ではあるが、特筆すべき特徴はその足の速さである。
当時の天才的な船大工による設計は重量のあるフリゲート艦であるにも関わらず浅い喫水線を持ち、水の抵抗を最小限に留める滑らかな船首のお陰で同規模の他の船に比べて圧倒的な速度を誇っている。
そんなブルー・セレン号は〝白鷲〟にとっての象徴であり誇りでもあって、それは同時にルシルにとってもかけがえのない誇りでもある。
この時代の海賊船は海賊である事の主張と降伏勧告の意味を込めてジョリーロジャーという海賊旗を掲げていた。
一様に不気味な白骨化した骸骨をモチーフにしたものが多いのだが、〝白鷲〟はその海賊団の名が示す通り、一羽の白鷲が羽を広げ骸骨を掴んで飛んでいる意匠が旗に描かれている。
その〝白鷲〟のジョリーロジャーと、ドルファンの国旗であるイルカと剣と盾を組み合わせた旗をなびかせたブルー・セレンディバイト号のメインマストに登って哨戒活動をしていた船員が、何かを見つけて下に合図を送った。
海風を感じる為に甲板に出ていたルシルは、その合図を見るとメインマストの上の見張り台へと登って行った。
そこで父の形見でもある伸長式の単眼鏡をかざして船員の差し示す方を覗く。
遥か先、肉眼ではとても観測できない程の遠くにそれは小さな黒い染みのように浮かんでいた。
ルシルの表情がにわかに険しくなり、全身からピリついた緊張感が漏れ出る。
しばらくそのまま単眼鏡を覗いていると、その黒い染みのような点は徐々に水平線上に数を増やしていき、点だったものは船の形を取り、風を受けるマストとそこに貼られた帆に描かれた猛り狂う角を突き立てた牛をモチーフにしたハンガリア国軍のマークが確認できるようになった。
ルシルはまだ単眼鏡を覗いたまま、落ち着いた静かな声で隣にいる船員に指示を出した。
「半鐘鳴らせ。敵艦影補足。砲戦用意」
「シ!」
船員は声を上げると同時に、見張り台に括りつけられた半鐘をハンマーでけたましく叩き始めた。
この鐘を叩く速度と回数でルシルの指示は離れた船にも伝わる。
船尾楼の一番奥にある船長室にいたジョアンも、流石にその鐘の音を聞きつけて不安顔で甲板へと出てきた。
ルシルはすでに甲板に降りており、ジョアンの姿を見つけるとゆっくりと隣まで歩いて行った。
「よう、司令殿。五海里(約十キロ)圏内にハンガリアの船影を見つけたぜ」
からかうような口調のルシルに、ジョアンは不機嫌そうな顔で言葉を返す。
「それは先ほどの鐘の音でわかる。それで、規模はどの程度なのかね」
前回の海戦では船長室から全く出てこなかったジョアンだったが、今回は随分と勇ましいものだとルシルは思いつつ、少し口調を改めた。
「聞いていた話の半分くらいだな。ただ、まだ距離があるから全部が見えているわけじゃねえし、部隊を分けている事も考えられる」
「そうか。キサラギ君の推測について判断するには、まだ早いな」
「そうなんだが……」
相槌を打ちながらいつもキビキビと喋るルシルが言い淀むのに、ジョアンは首を傾げた。
「何か気になる事でもあるのか?」
「ああ……」
ルシルはまだ肉眼では確認できない水平線の向こうの敵艦隊の方へ視線を向けた。
「どうも妙と言うか……。こっちが敵影を確認できたように、向こうもこっちを確認できているはずだろ?」
「それはそうだろうな。ハンガリアの望遠鏡の品質が極端に悪くない限りは」
「だとしたら、やっぱり妙だ」
ジョアンはますます首を傾げる。
「なんだと言うのだね」
ルシルは無意識に親指の爪を齧りながら言った。
「敵艦が動いていないんだ。まるで錨を下ろしているかのように、前進もせずにただオレ達が来るのを待ち伏せているように見える」
前回の海戦でも述べた通り、海戦、特に艦隊対艦隊の戦いというのは必然的に艦砲戦となる。
お互いが大砲の射程圏内に敵を捉え、砲門の数が多い舷側を相手に向けられるかが重要だ。
なので戦艦の進路というのは敵に向けてまっすぐ進み、いかに上手く敵の船の舷側を回避しながら自分の船の舷側を向けられるように進路を取るかが重要になる。
船は潮の流れと風によって動いているし、旗艦船ともなれば排水量一千トンを超える巨体だ。
悠長に構えて動かないでいると、それは敵の恰好の的になってしまうだろう。
しかし、ハンガリアの艦隊はまるでこちらの接近を待っているかのように、まったく動きを見せていない。
前回の海戦で〝白鷲〟が動かなかったのは、凪の海域へハンガリアを誘い込む為だったし、カノン砲という圧倒的射程での有利があったからだ。
前回の海戦を踏まえてハンガリアがカノン砲等の長距離砲を装備している可能性ももちろんあるが、前回の戦いから半年も経っていない状況で大砲の製造から船の改修まで終わらせているというのは考えづらい。
ルシルはそんな事を考えながらジョアンに言葉を投げるというよりは、自分の頭の中の整理の為につぶやいた。
「何かの作戦か……? こちらをおびき寄せておいて、左右から挟撃しようと……? いや、それなら近づく敵艦隊をこちらも補足できるはず……」
その時、まだメインマストの上で敵の動きを観察していた船員が声を上げた。
「敵艦隊に動きあり! 船首回頭、こちらに背を向けて後退する模様!」
「なんだぁ?」
その敵船の不可解な行動にルシルはあからさまに怪訝な声を漏らした。
これではますますこちらを誘い込んでの罠の可能性が高くなるし、後を追いかけて攻撃をするかは判断が難しい所だ。
〝白鷲〟の船が装備しているカノン砲はその重さ故に船尾にあるという特性上、船首を敵に向けての追撃戦には使えない。
敵を待ち構えての迎撃戦や、敵から逃げる逃走船でこそ真価を発揮する武器だ。
だが目と鼻の先に敵艦隊がいる事は事実で、これを放置するという選択肢もない。
「これだから軍隊の艦隊戦は気に入らねぇ」
ルシルは舌打ち交じりに言うとジョアンの方を見た。
「それで、どうする? このまま追撃をするか、追いかけずここで海域防衛に徹するか」
ジョアンは不安げにルシルの顔を見たが、作戦の本来の目的を思い出していた。
敵殲滅などとブリーフィングでは言ったが、本当の目的はそこではない。
即ち、ドルファンに敵を攻め込ませないという事だ。
それに追撃をかけてこちらから攻撃を仕掛けるという決断をするのは、元来が臆病な性格である彼の思考には合わないものだった。
「追撃はしない。わざわざ向こうの罠にかかりに行くほど愚かではないさ。錨を下ろしてこの海域で敵の動きを観察し、侵攻を食い止めるぞ」
「アイ、サー」
ルシルは気乗りしない返事をし、見張りの船員に手信号を送った。
それを見た船員は再び半鐘を鳴らす。
砲戦用意解除、警戒継続、錨下ろせ、の指示だ。
この時、ジョアンはもちろん、ルシルまでもが、これが敵の思惑通りだとは全く気付いていなかった。
──次の日、午後三時を過ぎた頃のドルファン
ミラカリオ・メッセニ中将は我が目を疑うような光景に、杖を持つ自分の手がわなわなと震えているのを感じていた。
ドルファン港の脇に位置する灯台に常駐している哨戒兵からその一報を受けた時の衝撃そのままに、こうして自分の目でその景色を見てようやく信じる事が出来た。
ドルファン港に向けて迫りくる戦艦の数々。
穏やかなドルファンのコバルトブルーの海上を数多の戦艦が血を流したように赤く塗りつぶす。
真っ赤に塗られた船体に大きなオフホワイトの帆。メインマストに掲げる旗は緑色に塗りつぶされ、その中央には白く細い三日月とその中央に一つ星のシンボル。
ドルファンの友好国であり、長年海の守りを担ってきたアルビア王国の軍艦に間違いなかった。
そのアルビア王国の軍艦が、三十隻を超す規模でこのドルファン港へ、いやドルファン首都城塞へ向けて海原を進んできているのだ。
「まさか、これがあの東洋人の息子が言っていた別働隊なのか……?」
メッセニは一人呟きながらも困惑していた。
アルビア王国とは友好国であり、アルビア王の三男であるアム・アルビアがプリシラ王女摂政宮の王配として王家に婿入りしているほど良好な関係を築いていると言っていい。
だが、そのアム殿下はアルビア国内で起こった内乱の対応でここ一年ほど故郷に帰っていた。
もしやそのアム殿下がアルビア海軍を引き連れてドルファンに帰還したのかもしれないのだが、そんな連絡は受けていないし、いくら友好国だからと言って軍艦を引き連れて港に来るのならば事前連絡があって然るべきだ。
むしろ事前連絡なしで三十隻からなる艦隊がドルファン港に近づくというのは領海侵犯であり、侵略行為とみなされてもおかしくない。
アルビア海軍の船はすでのドルファン港の沖合三キロの距離まで侵入してきており、もう間もなくズィーガー砲の射程距離に入る。
ここまで接近してくるのならば例え友好国であっても、ドルファン王家と縁を結んだ国家であっても、許されるべきではない。
ドルファンの防衛を任されている軍の最高責任者として判断はしなくてはならない。
メッセニは前を見据えると、脇に控えている近衛騎士団の軍団長へ低く威厳に溢れる声で言った。
「プリシラ様や王室会議に判断を仰いでいる時間はない。まずはズィーガー砲で威嚇射撃を五発。艦隊が停船の意志を示す又は白旗を掲げない限りは第一種防衛配備を発動し、私の特権により攻撃を許可する」
「で、ですが、相手は友好国のアルビア……」
「馬鹿者! 友好国であるならば事前に報せを送るのが筋だ。無言で軍艦を運用している以上、それは敵対行為とみなす!」
「は、はい!」
近衛兵団の軍団長は緊張気味に返事をすると、真っ白な鎧をガチャガチャと鳴らしながら走り出した。
忠正との約束もあるメッセニは万が一の事態に対応する為、ズィーガー砲の使用準備はすでに済ませていたのだった。
「しかし……」
あの数の軍艦を相手に、全部で二十門、しかも若干時代遅れになっているズィーガー砲でどこまで戦えるのか。
本土上陸という最悪の事態を考えなくてはならないし、場合によってはプリシラの緊急避難もしておかなくてはならない。
頭の中で様々な事態を整理しつつ、メッセニは舌打ちとともに言葉を吐き捨てた。
「この一大事にあの東洋人の息子は何をしているのだ……!」
普段は年に一度のバラの日と言われる祝日に、冬を追い払う意味合いで空砲が放たれるだけのズィーガー砲、正式名称ズィーガーM二十型大砲は絶え間なく火を噴いて鉄製の二十ポンド弾を音速を超える速さで撃ち出していた。
弾丸を砲身の後ろから込める、所謂後込め式砲台備え付け型の大砲であるズィーガー砲はその砲身の長さから射程距離は一五〇〇メートル程度と、並の大砲の七倍以上の性能を誇る。
連射はきかないが後込め式という比較的早く次弾装填の出来る構造と、二十ポンド弾を使用するという取り回しの良さもあり、四十ポンド以上の大型弾が多様される時代になってもこの大砲は重要な戦力であり、ドルファンの海の守りの要として今日まで君臨し続けているのだ。
唯一の欠点は砲台に固定されているので左右の射角に融通が効き辛い事だが、そこは二十門という数で補っていた。
ズィーガー砲が絶え間なく撃たれる中、アルビアの船はドルファン港を目指し前進を続けていた。
ズィーガー砲の破壊力は十分だが、日ごろからの練度不足で照準を上手くつけられない近衛兵団の所為でその砲弾のほとんどは穏やかだったドルファンの海に、いくつもの水柱を立たせるに至るばかりだった。
艦隊との距離は間もなく一〇〇〇メートルを切るところで、これが四〇〇メートルを切れば敵艦からの艦砲射撃が始まるのは間違いない。
波に上下する船体から二十六ポンドのカルバリン砲で射撃をする事になるのでこちらが被弾する可能性は低いが、ここは外洋ではなく波の穏やかな港湾部だ。
敵が港に近づけば近づくほど敵からの射撃の精度も上がるはずだ。
近衛騎士団長のコナー・ウォレス大尉は歯ぎしりをしながら漫然と進んでくるアルビア艦隊を睨むと、団員たちに聞こえるよう声を張り上げた。
「移動式砲弾加熱炉の準備は出来ているか!?」
「はい!」
白い鎧を身に着けた、近衛兵たちが声を上げる。
「距離一〇〇〇を切ったら、三発ごとに焼玉を混ぜて砲撃しろっ!」
「はい!!」
焼玉というのは、鋼鉄製の砲弾を炭で熱し真っ赤になるまで焼いた玉の事だ。
これを撃ち込まれた船は火災を誘発しやすい。
そして、流石にドルファン国軍の中でも精鋭揃いの近衛騎士団の隊員達は、早くも照準のズレを修正し始めておりズィーガー砲の癖を掴み始めていた。
「焼玉、用意出来ました!」
加熱炉の前でしきりにふいごを吹いて炭を燃やしていた兵士が特製の金ばさみで真っ赤に燃えた弾を持ち上げた時、何か小さな流星のような光が走った瞬間、何の前触れもなく前のめりに崩れ落ちた。
真っ赤な玉が地面に落ちてごろごろと転がる。
「おい、どうした……」
コナー・ウォレスは倒れた兵士のもとへしゃがみ込むなり、言葉を失った。
その兵士は頭部を撃ち抜かれており、顔の半分は原型をなくしていたからだ。
状況を即座に判断したコナーは大声で叫んだ。
「しゃがめ! 狙撃されている!!」
自分が何を言っているのか、その言葉がどんな意味を持っているのか、部下たちには気が触れたと思われるかもしれない。
何故なら敵艦隊からはまだ約一キロも離れており、その距離から狙撃されることなどあり得るはずがないからだ。
だが数々の戦場を経験し、幾多の状況を見てきたコナーは、その兵士の損傷を見た瞬間にたちどころに理解していた。
これは間違いなく銃による狙撃で、鉄の鎧や兜はおろか、恐らく騎士の盾でさえも撃ち抜ける程の超威力を持った銃撃である、と。
そしてそれをこの長距離でも命中させる超人的な精度を持ったガンナーがいるという事を。
アルビア軍艦隊の真ん中。旗艦船となる軍艦の船尾楼の一番高い位置に特別に作らせた射撃台の上でうつぶせになりながら、特製の真っ黒に塗られた狙撃用ライフル銃のレバーを引き排莢を行った男は、慣れた手つきで次の弾を装填し始めた。
短く刈り込んだ金髪と、落ち込んだ眼窩からギョロリと覗く瞳の色は濃いブルーで、特徴的な鷲鼻がいかにもゲルタニア人といった印象を与える。
銃に取り付けられたスコープを覗き込みながら、シュバルツデスアプグラント騎士団の部隊長の一人、〝黒い死神〟アンスガー・ヘイガーはその顔に冷たい微笑を浮かべた。