続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【32】シレーナ・ケ・カンタ

──時は遡り、前日の夕刻。パーリヤ沖十数キロ地点。

 

 

 西の水平線にゆらゆらと赤い太陽が沈んでいき、海の上は真っ暗な闇に包まれ始めた。

今夜は新月で月明かりもなく、薄曇りの夜空は星々のきらめきもまばらで、船の各所に設置された燐光灯の灯りが無ければどこに何があるのかを判別すら出来ない。

太陽が沈んだ夜空が濃紺から黒に変わるのを確認したルシルは、若い船員を二名呼び出して何やら指示を出した。

二人は力強く頷くと慌ただしく船首の方へと駆けて行った。

それを見ていたジョアンが不思議そうに言う。

 

「あの二人には何の指示を?」

「斥候に出す事にした」

「斥候……?」

「ああ。どうにも気持ち悪いんだよ、ハンガリアの動き方が。大艦隊が揃っているんだったらとっとと攻め込んでこないと意味ないだろう。数で勝っているんだから、オレ達を待ち伏せて罠に嵌める必要もないはずじゃないか?」

「それは……そうかもしれん」

 

ジョアンは思案顔で腕を組んだ。

二人が話している間に指示を受けた船員は以前ルシルがシーエアーのビーチに流された際に乗っていた小型のボートを海に降ろし、真っ黒な夜の海に漕ぎ出していった。

 

 

 ルシルの指示で斥候に出た二人は、今回の傭兵徴募を機に〝白鷲〟に加入した若い海賊だった。

もともとはスィーズランドの商船で船乗りをしていたのだが、過酷な労働とそれに合わない賃金、不条理な上下関係に嫌気がさして、ドルファン入港の為の準備で寄港していたブルー・セレン号のルシルに半ば押しかけのような形で雇ってもらった経緯がある。

先日の海戦で怖い思いをしたものの、それほど航海に出る事もなくドルファンの観光地で護衛や観光客の誘導などをしていればそれなりの給与と待遇を保証してもらえていたし、何よりもサウス・ドルファンで美味い料理を楽しみ、夜の街を楽しめている事が、この仕事を続ける一番の理由だった。

 

 そんな二人は、ルシルの指示に渋々真っ暗な夜の海に漕ぎ出していた。

斥候なんてやりたくはないが、現状に満足している以上、〝白鷲〟での仕事を失うわけにはいかない。

星も見えない夜の海では容易く方角を見失ってしまいそうなものだが、ルシルからは高価なコンパスを渡されているので、少なくとも迷う事はなかった。

一人がコンパスを確認し、一人がオールを両手に持って漕ぐ。

何も考えずにただ真っすぐに北を目指して漕ぎ続けるだけだ。

 

 風は穏やかで波もあまりないので船を進めるのに障害はないが、ひっそりと静まり返った海は不気味で、二人はあまり言葉も交わさずに役割を交代しながら黙々とハンガリアの艦隊を目指した。

小一時間ほど漕ぎ続けると、少し先に灯りのようなものがいくつも見えてきて、ぼんやりと船のシルエットらしきものが浮かんできた。

だが二人は違和感から顔を見合わせた。

聞いていた話より、明らかに船の数が少ない。

ハンガリアは大艦隊で攻め込んでおり、それはハンガリアのほぼ全戦力という話だった。

しかし今目の前にいる艦隊は、いいところ二十隻くらいのフリゲート艦のみで、旗艦となる大型船の影すら見えない。

周辺を見渡してもそれらしい船の光は見えず、少なくともこの海域にいる敵船はこれだけのようにしか思えなかった。

 

 二人はその敵艦の少なさと夜闇の暗さ、そして静まり返っているが故に、実は船体を真っ黒に塗られた中型のフリゲート艦に近づき過ぎている事に気付いていなかった。

この敵艦の少なさをルシルに報告するべく、男の一人がオールを掴んでボートの方向を変えようとした時、何か風切り音のようなものが聞こえた気がした。

何かの気のせいか、波音を聞き間違えたのか、男は言い知れぬ不気味さを感じてもう一人の男へ声をかけようとして絶句した。

右手にコンパスを持ったままその男はぐったりと座っているように見えたが、その右肩から首筋の辺りに何かが突き刺さっていた。

それを目の当たりにした瞬間、男はがむしゃらにオールを漕ぎ出していた。

先ほどの風切り音のようなものが聞こえたと同時にボートの床に何かが突き立った。

咄嗟の判断とはいえ、瞬き一つのタイミングでも漕ぎ出しが遅れていればその何かは自分に突き立っていたはずだ。

 

無我夢中で漕ぎ出したボートは徐々にハンガリア艦隊から離れていき、真っ暗な海の上へと消えて行った。

真っ黒に塗られた船の甲板からそれを見ていた一つの影が舌打ちをする。

夜の闇より深い漆黒の鎧に全身を包み、兜ではなく偽りの笑顔を張り付けた黒いピエロの仮面をつけたその男は近くに控えていた兵士の一人に何か指示を出し、もう一度ボートの方を仰ぎ見た。

ボートはもはや影も形も見えなくなっていた。

 

 

 斥候に放った男が息も絶え絶えにブルー・セレンに戻ってきたのは、すでに日付も変わろうかという夜中だった。

厳しい任務をこなしてくれた男達を労おうとわざわざ甲板に出たルシルは、縄梯子を登ってきた男の表情に只ならぬものを感じたし、登ってきた男が一人だけだったのにも違和感を覚えた。

 

「どうした。何かあったのか。もう一人はどうした」

 

ルシルが言うと、男は肩で息をしながらすがるように声を絞り出した。

 

「こ、殺されました! やつらに!」

「落ち着け。ゆっくりでいいから説明しろ」

「やつら、聞いていた数より全然少ないです! せいぜい二十隻くらいのもの……! 船長に報告しようと船を漕ぎ出そうとしたら何かが飛んできて……!!」

「わかった、ご苦労だったな。おい、誰か酒を持ってきてやれ! こいつを頼む!」

 

船員にその男を任せると、ルシルは縄梯子を降りて男が使ったボートへと降り立った。

後からついてきた船員が燐光灯のカンテラでボートを照らす。

そして見えた光景に思わず顔をしかめて声を上げた。

 

「お嬢、これは……」

 

ルシルは答えず、その光景を凝視していた。

斥候に出したもう一人の男はボートに座ったまま絶命していた。

その首元に突き立っていたのは、真っ黒に塗られているが明らかに投擲用に作られた刃渡り十センチほど、全長二十センチの柄の部分に何も巻いていない全体が金属むき出し状態の両刃のナイフであった。

それと同じナイフが二本、ボートの底床に突き立っている。

 

「投げナイフ……それもかなりの腕だ。夜闇の中で確実に急所を狙っている」

 

黒く塗られているのは闇の中でも目立たないようにする為なのか、他の意図があるのかはわからない。

ルシルは床に突き立ったナイフを一本引き抜くと再び縄梯子を登った。

 

「誰か、司令殿をたたき起こしてこい!」

 

怒号ともとれるルシルの指示にあわてて飛んでいった船員に寝床から引き吊り出されたジョアンは、それでもきっちりと軍服をまとい、あくびを噛みしめながら甲板にあらわれた。

 

「……斥候が戻ったのかね?」

「ああ」

 

ルシルはぶっきらぼうに答えたが、やや神妙な声で続けた。

 

「斥候の話では、敵艦はわずか二十隻ほどしかいないそうだ」

 

ジョアンは訝し気に目を細めた。

 

「どういう事だ。ハンガリアは何故そんな事を……」

「タダマサの言った通りかもしれない。奴らはオレ達をドルファン港から引きはがす為の囮……!」

 

ルシルが緊張気味に言った時、メインマストの上から声が響いた。

 

「船長! 0時の方向に敵艦隊と思われる灯りを発見! こちらに向かってきます! 距離四海里!」

 

その報告にルシルは確信を持った。

 

「奴さん、ついに動き出したな。こいつは完全に陽動だ。こちらの艦隊をこの海域に張り付ける為の……!」

 

ジョアンは頷き、緊張の面持ちで言う。

 

「部隊を二つに分けよう。敵艦の規模は二十程度と言うが、増援の可能性もある。足の速いブルー・セレン号とフリゲートの半分、スループ船全船は首都城塞へ全速で戻ってもらいたい。私はここに残り、カノン砲もある〝白鷲〟の各船、残りの戦力で敵を迎え撃つ」

 

予想外と言っては失礼なのだが、思いのほか的確な指示にルシルは思わずジョアンの肩を叩いた。

 

「なんだ、ただのお飾り司令殿ってわけじゃないんだな」

 

その言葉にジョアンはやや憮然とした表情で言葉を返した。

 

「私とて伊達に何年も海軍にいるわけではないんだ。キサラギ君頼りでは恰好もつかんしな」

「へえ。じゃあ、今日からちゃんと〝提督〟って呼んでやるよ」

「エリータス提督、か。ふむ、悪くはない」

 

調子に乗るジョアンに呆れつつも、ルシルは遥か遠くのドルファン港を心配しつつ、声を上げた。

 

「ブルー・セレン、錨を上げろ! 全速でドルファンに戻るぞ!!」

 

 

 

──再び時は戻り、現在、ドルファン港。

 

 時刻は午後四時を過ぎアルビアの艦隊はゆっくりだが、確実にドルファン港に肉薄していた。

その距離はすでに五〇〇メートルを切っており、船首大砲が今すぐにでも火を噴きそうな緊張感が漂っていた。

対する近衛兵団のズィーガー砲だが、斉射の勢いは確実に落ちていた。

もちろん三十隻近くあった戦艦の内、半分の十五隻ほどにはダメージを与える事に成功し、前線から後退させるには至っていたが、残りの半数は損傷軽微もしくは全く損傷無しのまま海上を滑り続けている。

ズィーガー砲の全砲門がフル稼働すれば、この距離、この数の戦艦であれば無力化する事も可能なのだが、その砲門の稼働は半分以下に落ちてしまっている。

それと言うのもズィーガー砲の射手に対して敵旗艦と思しき船からの超遠距離からの狙撃によって、大砲の装填と発射を妨害されているからだった。

 

近衛兵団長のコナー・ウォレスはズィーガー砲の影に身を隠しながら、大きく舌打ちをした。

このままでは敵の艦砲射撃の射程に入ってしまう。そうなってしまえばより一層反撃は難しくなるし、そもそもズィーガー砲自体を破壊される可能性も高まる。

港内に敵艦隊の侵入を許してしまえば、今の戦力であればたちどころに白兵戦となってズィーガー砲を占拠されてしまうだろう。

あと一〇〇メートルという猫の額ほどの距離を進まれれば、陸軍の七大大隊のどこかが出撃するのは火を見るよりも明らかで、そうなってしまえばドルファン港は地獄絵図になる。

 

『こちらの射手の犠牲を覚悟で、撃てる限りの砲を撃つしかない、か』

 

部下に対してそんな命令を下すのは苦渋の決断どころでなく、まさに断腸の思いなのだが、侵入を許した場合を考えればその指示を下さざるを得ない。

 

 

 コナーが覚悟を決めて大きく息を吸い込んだ時、ズィーガー砲とは全く別の種類の激しい火薬の破裂音が港内に響き渡った。

そして間髪入れずにアルビア艦隊の最後尾にいた旗艦船の船尾付近の木材が弾け飛び、大穴が空いた。

シルベスターの花火さながらに火薬の破裂音が絶え間なく鳴り響き、大量の鉛玉がアルビア艦隊の背後から雨あられのように降り注いでいく。

完全に不意をつかれたアルビア艦隊の乗員達が慌てふためく中、ドルファン港の灯台のある高台の影から、そびえ立つ三本マストの巨大帆船が悠然とアルビア艦隊の後方に進み出た。

 

「おお! あれは!!」

 

コナーはアルビアの船の倍以上はあると思われるその巨大な船に見覚えがあった。

青く塗られた船体は午後の強い日差しを受けて輝き、三本マストに張られたこちらも大型の水色の帆が風を孕んで大きく膨らんでいる。

その帆に描かれたドルファンの国旗であるイルカと剣と盾のシンボルが、この船が間違いなくドルファン王国の物だと主張している。

全長六十五メートル、全幅十八メートル、総排水量五〇〇〇トンという堂々とした世界でも最大級の船体に百二十門の大砲を装備したその船は、ドルファン海軍唯一の軍艦である旗艦〝シレーナ・ケ・カンタ〟号だった。

 

 〝シレーナ・ケ・カンタ〟はアルビア艦隊の後方から砲撃を仕掛ける形となっている。

装備している大砲の大半はカロネード砲という三十二ポンド砲で、これはほとんどの船の主力である二十ポンドカルバリン砲よりも射程は短いが圧倒的な破壊力と命中率を誇る大砲で、こういった船と船の距離が近い海域で本領を発揮する砲であった。

 

 アルビア艦隊はその不意打ちに近い強襲に対応出来ていなかった。

海戦に長けたアルビア艦隊であるが、元々そのアルビアが設計をして運用していたのがこの〝シレーナケカンタ〟だ、

この船がどれほど脅威になるのかはアルビア海軍が一番よくわかっていた。

〝シレーナケカンタ〟は船全体が真っ白な煙に包まれながら漫然とドルファン沖を進んでいき、アルビア艦隊の陣形の真ん中へと割り込んでいった。

アルビア艦隊に囲まれる形となっていくのだが、その百二十門に及ぶ大砲が絶え間なく火を噴き、アルビアの反撃を許さない。

そしてその巨体は、ゆっくりとした速度だが確実にアルビアの旗艦船へと近づいて行った。

 

 

 アルビア旗艦船の船尾楼の上にいたシュバルツデスアプグラント騎士団のアンスガー・ヘイガーはすでに甲板に降りており、突如として現われた巨大な船を見上げながら激しく舌打ちをしていた。

 

「こんな隠し種があるなんて聞いてないな。ドルファンにはあんな船を運用する人員はいないんじゃなかったのか」

 

全長一四〇センチほどの真っ黒な銃を肩に担ぎながら不機嫌な声を上げるアンスガーに、アルビア海軍の制服とマントをまとった船の船長は慌てふためきながら抗議の声を上げる。

 

「ドルファンの全艦隊は確かにパーリヤに向かったはずだったんだ。このシレーナを動かせるだけの人員がいるわけがない! そもそも指揮を取れる人材がいないという話だった!!」

 

アンスガーはもう一度大きく舌打ちをした。

 

「事実として動いて、攻撃されているだろうが」

 

 

 その時、シレーナケカンタの巨体がこの船に体当たりを仕掛けて、船体が激しく揺れた。

慌ててマストから垂れ下がった縄に捕まり、なんとか振り落とされずにすんだアンスガーの目の前に、シレーナからロープ伝いに飛び込んできた一人の剣士が見事に着地をしてこちらを見上げた。

南欧ではあまり見かけない黒い髪に、印象的なルビーのような色の瞳がこちらを凝視している。その紅い瞳の色にはなんとなく既視感を感じる。

その男は静かに立ち上がりながら腰に差したレイピアを引き抜くと、ひっきりなしに響き渡る大砲の発射音の大音響の中にも関わらず、まるで久しぶりに会った知り合いに話しかけるようにさりげなく、しかしよく通る声で言った。

 

「見たところあんたがこの船で一番偉い人かな? 悪いけれど、捕縛させてもらう」

 

その不遜とも取れる物言いにアンスガーは唾を吐きながら声を荒げた。

 

「貴様も騎士の端くれなら、まずは名乗ったらどうなんだ」

 

レイピアの剣士は一瞬驚いたような顔をして答えた。

 

「失礼。どうも最近は海賊とばかり連れ立っていたので、そんな基本の事を忘れていたよ」

 

そう言いながら顔に不敵な笑みを浮かべながら続ける。

 

「オレはドルファン海軍の傭兵、タダマサ・キサラギ二等水兵。あんたは?」

「シュバルツデスアプグルント騎士団、第三騎士隊長アンスガー・ヘイガー」

「シュバルツデ……なんだって?」

 

男の安い挑発には乗らず、アンスガーは肩に担いだ銃の銃口を男の方へ向けた。

撃つわけではない。

この銃は遠距離からの狙撃に特化した銃なのでこの距離で撃つような代物ではないのだ。

だが銃床にはこんな時に対応する為に、斧のような刃をつけている。

自分の二つ名である〝黒の死神〟というのは、戦場でアンスガーに出会った者がことごとく死んでしまうからに他ならない。

だが、彼が銃で撃ち殺した数は実はそれほど多くはない。

彼が積み上げた死体の数は、その銃床の斧が作り上げたものがほとんどなのだ。

アンスガーは赤い瞳の剣士と対峙すると、揺れる足場を慎重に進み始めた。

 

 

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