続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ハンガリアの艦隊はパーリヤ沖で万全の迎撃態勢を取ったドルファン海軍に対して、消極的な戦い方だった。
その攻撃は申し訳程度の砲撃で、気合を入れていたアルバートがすっかり拍子抜けのような表情を浮かべている事からもその異常さが見て取れた。
二〇〇メートルほどの距離を取ってそれ以上は近づこうとせずに、牽制のような砲撃。
こちらが接近しようと舵を切れば向こうは後退するといった具合だ。
「これは時間稼ぎですぜ」
呆れたように言うアルバートに、ジョアンは低く唸った。
「まともに戦う気はないようだな……こちらから深追いしようとすれば、どんどんハンガリア領海に引きずりこまれるわけだ」
「そうでしょうね。あっちの領海内にどんな戦力を隠しているかはわかりません。そこにいるのが二十隻ぽちなんだから、たんまり戦力は残っているでしょうから」
ジョアンは深く長いため息を吐いた。
「こんな時キミならどうするかね」
その言葉にアルバートは肩をすくめた。
「これ以上無駄玉撃つ前に、とっとと撤退しますかね。あの様子じゃ向こうも深追いはしてこないだろうし、撤退戦ならこっちはカノン砲が使えます」
「ふうむ、それが良さそうだな。まったくの肩透かしだ」
「それはわかりませんぜ。事実オレ達はここに丸一日以上釘付けにされたんだ。タダマサの言う通り別動隊が動いていたのなら、ドルファン港が危ないはずだ」
ジョアンは渋い表情を浮かべながら言う。
「ルシル君の艦隊は間に合うと思うかね?」
その問いにアルバートは遥かに遠いドルファンの方向を向いて目を細めながら言った。
「……艦隊戦力全部が間に合うか、と言われれば難しいと思うが、お嬢の船だけならあるいは」
「ブルー・セレンの足の速さ次第という事か……」
ジョアンは重々しく言うと、後ろを振り返りつつアルバートの分厚い肩に手を置いて言った。
「我々もここでまごついてはいられない。一刻も早くドルファン港へ帰還しよう。撤退戦の用意を」
「サー、イエッサー!」
アルバートは船乗りらしく声を上げると、撤退戦の指示を始めた。
その様子を横目で眺めつつ、ジョアンは胸の前で十字を切った。
「キサラギ君、どうかドルファンを……私の家族を守ってくれ……」
忠正は激しい体中の痛みに必死に抗いながら、よろける足を踏ん張ってなんとか立ち上がった。
至近距離から拳銃で撃たれたにも関わらず自分が何故生きていられるのかはわからないが、こうして生きている以上出来る事をやらなくてはならない。
この男が持っている怪しい黒いライフル銃といい、その冷静で好戦的な思考といい、ここで取り逃せば間違いなく今後の脅威となるだろう。
歯を食いしばって立つ忠正の姿に、アンスガーはその無表情な顔にわずかに驚いた様子を浮かべた。
そして口角を上げて不気味に微笑んだ。
「貴君は不死身か何かなのかね。この距離で撃たれて生きているとは、幽霊や死霊の類でないとすればなかなかに興味深い」
そう言いながらも拳銃を腰のホルスターに戻し、甲板に突き立ったライフル銃を力づくで引き抜こうとした。
斧の刃は数秒の間甲板に留まろうと食らいついていたが、やがてアンスガーの力に負けて解き放たれた。
その間に朦朧としていた意識が徐々に覚醒しだした忠正は、レイピアを構えながら左手で撃たれた腹を触ってみた。
その手に触れたのはナイフの柄だった。
リンダに会うためにフィオナから借り受けたエリータス家の紋章入りのナイフ。
大切なものなので失くさないように制服の内側に入れていたのだが、奇跡的にもそのナイフが銃弾から身を守ってくれたのに間違いなかった。
撃ち抜かれる事での致命傷は免れたが、撃たれた衝撃と先ほどのみぞおちへの痛烈な一撃で内臓や見えない場所には確実にダメージが蓄積している。
対してアンスガーはまったくダメージも無ければ疲れている様子もない。
このままではジリ貧だし、状況を一変させるような手を打たなければ確実に負けるだろう。
何か、新しい風が吹けば……
額に浮かぶ冷や汗を拭った時、忠正が喉から手が出るほど欲しかった風が吹いた。
「タダマサ! 無事か!?」
その声と共に空中を華麗にロープで舞いながら波打つ銀髪をたなびかせて颯爽と甲板に降り立ったのは、ルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラだった。
状況を一変させるほどの強い風かどうかはわからないが、追い風である事は間違いなかった。
「ルシル! 来てくれたか!」
忠正の横に駆け寄ったルシルはちらりとアンスガーの方を見て、即座に腰の拳銃を両手で抜くのと同時に狙いをつけた。
だがアンスガーはそれを意にも介さず、すかさず銃床の刃を横に振りかぶってルシルとの距離を詰めていった。
銃口を向けられて動ける人間は少ない。
ましてや狙いをつけられているにも関わらず、突進してくる人間などほとんどいるわけがない。
しかしルシルは慌てることなく、海賊にふさわしい冷たい表情で両手の銃の引き金を引いた。
火薬の破裂音とほぼ同時に銃弾はアンスガーの左肩と胸の真ん中に着弾したが、アンスガーはわずかに体が震えただけでそのまま突進してきた。
「嘘だろ!?」
その人間とは思えない行動に、流石のルシルも声を上げた。
ルシルを間合いに捉えるとアンスガーは先ほど忠正を吹き飛ばした一撃と同じように真横からのフルスイングを仕掛ける。
それを見た忠正は咄嗟にルシルの襟首を掴んで力任せに後ろに引っ張った。
そのお陰でルシルは刃の一撃を避ける事が出来たが、そのまま後ろに吹き飛ばされて転んでしまった。
空を切った刃はやはり先ほどと同じようにアンスガーの体を軸に一回転して、今度は忠正めがけて飛んできた。
だが、その技をすでに一度見ていた忠正はすでに反撃に出ていた。
レイピアを振りかざす余裕はないので、体全体でアンスガーの腰をめがけてタックルを仕掛けたのだ。
アンスガーの攻撃は遠心力を利用した高速の一撃だ。
だが遠心力を利用しているという事は、その回転の中心に近ければ近いほど速度は落ちるという事でもある。
理論としては正しいのだが、忠正の行動は無我夢中のものだった。
固いけれども柔軟に変化する何かの感触を肩に感じながら捨て身の体当たりを放った忠正は、その勢いのままごろごろと甲板に転がった。
不意を突かれたアンスガーは武器が空振りした勢いと、忠正のタックルの勢いで体制を大きく崩しながら三歩ほど後ずさりして膝を着いた。
お互いに体制を整えるのに一瞬の間が生まれ、忠正とすでに起き上がっていたルシルはアンスガーを中心に左右に挟むような恰好となった。
アンスガーは油断なく立ち上がると、ゆっくりと銃を腰の辺りまで下げ、最初と同じ構えを取る。
「なかなかに粘るな。咄嗟の機転も利くようだ。貴君の戦いぶり、素直に賞賛に値する」
呼吸も荒らげず余裕綽々といった様子で言うアンスガーに対し、わずかに肩を上下させながら忠正は声を返した。
「それはどうも。さっきオレが不死身かと評価してくれたけれど、あんたの方こそ不死身か何かかい? 少なくとも今オレの仲間に二発撃たれたと思ったんだけれど」
体力を回復させる為に敢えて会話を試みる忠正であったが、その疑問はむしろ素直な疑問でもあった。
今しがたの攻防でルシルの銃撃は間違いなくアンスガーに命中したはずだが、彼は怯むことなく反撃してきていた。常人ではとても考えられない事だ。
アンスガーはつまらなそうにため息を吐くと、忠正が見たことのない黒い軍服の裾をめくってみせた。
その下には黒々と輝く細い鎖で編まれたかたびらがのぞいていた。
「服の下にチェインメイルを着込んでいるのでね。銃弾や刀剣の類では私に傷をつける事は出来ないというわけだ」
「それはまた、用意周到な事で」
言いながら忠正は小さな舌打ちをするのと同時に、感心もしていた。
服の下にチェインメイルを仕込むのはままある事だ。
編み込む鎖の太さによって防御力は変わるが、ルシルの銃弾を受けても貫通しなかった事を考慮すると、それなりの太さの鎖を編み込んでいるのだろう。
しかしチェインメイルはその材質故に、どうしても重量がかさんでしまう。
それだけの重量を着込むというのは動きにも制約が出やすいし、着ているだけで体力を奪われそうなものだが、この男にはそんな様子はまったく見られない。
特別体が大きいわけでもないのに、想像を絶する筋力と体力の持ち主という事だ。
忠正は深く大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐いた。
チェインメイルを着込んでいる以上、生半可な攻撃は通らない。
狙うならば露出している顔、頭であるが、そこは人間が本能的に一番守ろうとする場所だ。
よっぽど相手の裏をかくような突飛な攻撃でもない限り、仕掛けるのは難しい。
自分のレイピア、ルシルの銃とナイフ。今手元にあるのはこれだけだ。
相手の斧のような武器による近接攻撃と、ライフルによる遠距離攻撃。両方を封じつつ手持ちのカードで勝つ為には何をすればいいのか。
冷静に考えれば考えるほど打開策が見つからない。単純に武器と防具の相性が最悪だ。
だが、高い防御力を誇るチェインメイルではあるが、欠点がない完璧な防具というわけでもない。
質の悪いチェインメイルは刺突に弱いと言われるが、アンスガーのそれがどの程度の品質なのかはわからない以上、刺突に頼るような博打は打てない。
刺突を封じられてしまうと選択肢として残るのは斬撃だが、斬撃に対してこの防具は無類の防御力を発揮する。
しかし、この条件下では完璧に見えるチェインメイルでも、唯一防げないものもある。
それに賭けるしかないと判断した忠正は、ルシルに目配せをする。
言葉をかわさずに意図する事がすべて伝わるわけではないが、流石に半年近く一緒の部隊にいるのだから、攻撃を仕掛けようとする意志だけは伝わると信じる。
ルシルは力強く頷くと、腰に吊るした二刀のナイフを逆手に構えて猛然とアンスガーへ突進していった。
アンスガーは即座に反応し、先ほどと同じように横からのフルスイングで応戦する。
ルシルはそれを予測しており、急ブレーキと同時にしゃがみ込んで紙一重のタイミングでそれを躱すが、アンスガーの斧はそれで止まらない。
アンスガーの体を軸にした斧がもう一回転する前にすかさず忠正は懐へと飛び込み、レイピアの根本の部分でライフル銃の銃身が加速する前に押し止める。
それによって鍔迫り合いのような状況が発生し、密着した忠正とアンスガーはお互いの武器を自由に振るう事が出来なくなっていた。
しかしそれこそが忠正の狙っていた状況だった。
忠正はレイピアを持つ手を離すと、体を捻りながら体重を込めてアンスガーの腹部に膝蹴りを放つ。
「ぐ!?」
苦悶の声とともにアンスガーの体がくの字に折れた。
その好機を逃さずに、追撃とばかりに渾身の力を込めた蹴りを叩き込むと、この戦いで初めてアンスガーは後ろに向けて数歩後ずさり片手で腹部を押さえた。
忠正はすかさずレイピアを拾いあげながら叫ぶ。
「ルシル! 体当たりだ!!」
体制を立て直していたルシルは忠正の言葉を一瞬も疑わずに、アンスガーの背中めがけて体当たりを仕掛けた。
その体当たりにタイミングを合わせるように、忠正はレイピアの柄をアンスガーに向けて左手を拳を守る為の丸い鍔に添えて、全体重をかけてアンスガーへと飛び込んだ。
アンスガーの体を挟み込むように前後から体当たりを仕掛けた二人は、お互いに骨が砕ける独特の音を聞いた。
チェインメイルは銃弾や、矢、その他の刃物に対しては絶大な防御力を発揮するが、打撃に対してはその柔軟性ゆえに防ぐ事が出来ないのが弱点だ。
棍棒やフレイルの打撃に対して何一つ防ぐ事が出来ないように、単純な体当たりや打撃などの衝撃はしっかりと伝わる。
忠正とルシルの連携による体当たりは前後からの挟撃によってその威力は倍以上となってアンスガーの体を襲った。
それは間違いなく彼の内臓にダメージを与え、体を支えている肋骨を始めとした上半身の骨格にも並々ならぬ損傷を与えたはずだった。
だが信じられない事にアンスガーは口元に血をにじませながらも、自身を独楽の軸に見立ててライフル銃を振り回した。
反撃には転じたもののすでにかなりのダメージを追っている忠正はあわてて飛び退いて間一髪で刃を躱す。
同じように下がって避けたルシルの顔も、信じられないと言わんばかりに驚愕の表情を浮かべていた。
アンスガーは片手で口元を拭うと、もう一度銃を腰の位置まで下げて刃を後ろに構えを取った。
そして先ほどと変わらない口調で言った。
「無言の連携から相手の武器を抑え、チェインメイルに有効な打撃に切り替えた瞬時の判断。どれを取っても見事な戦略だ。賞賛に値する」
骨が砕けた感触を確かに感じた忠正は、この男がなぜ何事もなかったかのように立ち上がり、自分たちを讃えているのかまったくわからなかったが、その不気味なまでの迫力に肌が粟立つのを感じていた。
それはスィーズランド時代から幾多の戦場に立ち、前線で数多の敵と対峙した忠正を持ってしても初めての感覚だった。
単純にこの男が、今対峙しているこの男が怖い。
騎士にとって死は恐れるものではない。戦いは常に死と隣り合わせだし、戦いの末に死ぬのであればそれは騎士にとって名誉な事ともいえる。
忠正も騎士である以上それは覚悟の上だったし、自分は目的の為にはまだ死ねないので、なんとしても生き残っていこうと思って戦いに臨んでいる。
だが、今敵対しているこの相手は体中から死の匂いを放っている。
その匂いを嗅いだだけで容易く昇天してしまいそうな、濃厚で強い死の香りだ。
今までの戦いの経験の中で死を身近に感じた事は何度かあったが、これほどまで濃厚に死を全身に纏った男は初めてだった。
レイピアを持つ自分の右手が震えているのを感じ、強引に左手で抑え込んだ忠正は声が震えないように必死に腹の底から絞り出した。
「あんたのような強い騎士に褒めていただけて光栄だが、それほどの強さを持つ騎士が友好国に何の申し伝えも無く、不意打ちで領海侵犯をするような国に肩入れをしているのはなぜだ!」
明らかにこの男はアルビアの人間ではないのは一目見た瞬間からわかっていた。
この男はアルビア皇国の住人の特徴ではなく、ドルファンも含まれるトルキア地方の人間、さらに言えばゲルタニア人の特徴を強く持っている。
そんな人間がアルビアの船に乗っている事が忠正には理解出来なかった。
その忠正の疑問にアンスガーは小さなため息とともに答えた。
「貴君らにはわかるまい。我らシュバルツデスアプグルントの崇高なる目的が。大トルキア帝国の誇りも忘れ、仮初めの王政でこの土地を汚しているドルファンの民などには」
「大トルキア帝国だと……?」
忠正がつぶやいた時、すぐ近くでズィーガー砲からの砲撃を受けた船が大爆発を起こした。
アンスガーの狙撃が止まり息を吹き返したズィーガー砲の焼玉が、アルビアの船の火薬庫に直撃したのだった。
その轟音に誰もがそちらに視線を送り、何か言葉を発する前にその船は暗い海の底へと轟沈していった。
もともとシレーナ・ケ・カンタ号に抑え込まれるようにバランスを崩していたアルビアの旗艦船は、轟沈した船の起こした波を真横に受けて大きく揺さぶられた。
まるで垂直になるような勢いで傾いた甲板に、忠正もアンスガーも気が付いた時には体が宙に舞っていた。
唯一足場の悪い船の戦いに慣れたルシルだけは、手にしたナイフを咄嗟に甲板に突き立てて吹き飛ばされるような事は無かった。
「タダマサーっ!!」
ナイフにぶら下がった状態で叫ぶルシルに向かってわずかに手を伸ばしながら、忠正とアンスガーは日が沈み始めた黒い水面へと飲み込まれていった。