続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
プリシラ・ドルファンとの謁見を終えた次の日曜日、忠正はフィオナに借りたエリータス家のナイフを片手にサウスドルファンの外れにある鍛冶屋を訪れていた。
その鍛冶屋は薄暗い裏通りの外れにあり、まだ日の高い時間だというのに建物の影に隠れており、どこか不気味な雰囲気のする小さな店舗だ。
だがその雰囲気とは裏腹に近所からの評判は良く、確かな腕だが偏屈な性格の頑固親父とその技術を引き継いだ相棒の娘と二人で営業をしているらしい。
らしいというのは、忠正がこの店を訪れるのは初めての事だったし、商売柄包丁や鍋など調理用具の手入れをこの店に依頼している、ハンナからの紹介で来たからだ。
どこにでもありそうな普遍的な石造りの玄関ドアの横に“鍛冶ファビオ―ニ”と鉄細工で文字が描かれた盾を模した看板がぶら下がっている。
忠正はその看板を横目に、木で出来た重いドアを開けて店内へと入って行った。
店の中は入ってすぐに接客用と思われるカウンターがあり、その奥は作業場のようだった。
明り取りの窓が一つだけで全体的に薄暗く、奥の壁際には鉄を鍛える為の炉があり石炭が燃える特有の赤い光が漏れている。
その炉の前で小柄で年老いた男が大きなハンマーを振るっており、その脇で同じように小柄な若い女性が小さなハンマーで合いの手を入れていた。
小気味良く響く鋼を叩く音と、叩く度に飛び散る火花に見惚れていると、女性が忠正に気付いて手を止めるとカウンターまで小走りでやってきた。
「す、すみません。お待たせいたしました」
慌てた声で言った女性は石炭の煤で汚れた顔に精一杯の愛想笑いを浮かべたが、どう見ても引きつったその笑顔は明らかに無理をしている事を暗に物語っていた。
仕事を邪魔してしまった事に若干の罪悪感を覚えつつ、忠正は鞘に納刀したままのフィオナのナイフを取り出してカウンターの上に置いた。
「“かもしか亭”のハンナさんに紹介されて伺いました。このナイフの修理をお願い出来るでしょうか」
「ハンナさんに……」
そう呟きながら女性は恭しくナイフを持つと、鞘から抜いて刀身を見始めた。
彼女がナイフを見ている間手持無沙汰になった忠正は、何の気なくその女性を観察した。
身長は忠正よりも小さくて全体的に小柄だが、所々煤で汚れた革で出来た作業着を纏っている。
頭にはボロ布と言っていいくらいの布を汗止め用に巻いており、そこから金色と茶色の間の明るい色の髪がのぞいている。
後ろで縛っているが長さは短そうで、ショートカットのサラよりも少し長い程度だろうか。
煤で汚れた顔は本来は色白のようで、日の光が差し込まないこの工房で働いているのなら納得できる。
小振りな鼻に対してナイフをみつめている若干垂れ目気味の目は非常に大きく、深い森の中の湖のような緑がかった瞳が一心不乱に刃物を眺めている。
ナイフを持つ手は職人らしく無骨な感じがするが、女性らしく小さな手をしている。
彼女は大きな瞳をナイフから忠正へと移し、少し戸惑い気味に言った。
「と、とてもいいナイフですね。刀身には刃こぼれなどは見受けられませんが、どこを修理するのでしょう……」
その質問に忠正は思わず頭をかいた。
「すみません、説明不足でした。持ち手の部分なんですが」
言われて柄の部分を見た女性は、「ああ」と小さく頷いた。
ナイフの柄は美しい銀細工が施されており、実用的な革などが巻かれたものではない。
その銀細工の装飾の一部分、ナイフを持った時に小指がかかるくらいの端の部分が少し削れていた。
これは忠正が“黒い死神”の銃弾に撃たれた際に、命を守ってくれた代わりに傷ついてしまった箇所だった。
女性はそれを念入りに観察すると、申し訳そうに目を伏せて言った。
「すみません。こんなに美しい装飾は当工房では手に余ります。専門の彫金師に見ていただいた方が良いかと思います。刀身の補修などでしたら承れたのですが……」
「いえ、確かに鍛冶屋にお持ちするべきでは無かったかもしれません」
忠正はそう言ったものの他に当てがあるわけでもなく、苦笑いを浮かべた。
二人の間になんとなく気まずい雰囲気が漂った時、女性は忠正がベルトに差しているレイピアに気付いた。
「あ、あの、せっかく来ていただいたので、お腰の剣も見ましょうか?」
それがナイフを修理できない申し訳なさからなのか、それとも商売っ気から出た言葉なのかわからないが、忠正にするとありがたい申し出であった。
なにせこのレイピアは先日“黒い死神”との激闘をくぐり抜け、あまつさえには海に沈んだのだ。
「ありがたい。見ていただけますでしょうか」
忠正が腰のホルスターからレイピアを外して渡すと、女性は嬉しそうに受け取り、静かにゆっくりと鞘から抜き放った。
そして右手で持った瞬間、女性はわずかに首を傾げた。
「あの、何か重たい物やハンマーのようなもので殴られたりしましたか?」
その言葉に忠正は驚いた。
「はい。少し特殊な斧のような武器の攻撃を何度か防ぎました」
「やっぱり。刀身がわずかに歪んで重心がずれていますね……」
言いながら刀身に顔を近づけて舐めるようにみつめると、そのまま言葉を続けた。
「微細な刃こぼれがいくつか……それと……もしかして塩水につかりましたか? 僅かですが錆が浮いています」
この薄暗さの中でよくそこまで見えるものだ。
忠正はすっかり感心して言った。
「仰る通りです。海に叩き落されまして……。回収した後に可能な限りの手入れはしたのですが」
忠正の言葉に女性は先ほどの引きつった笑顔ではなく、心の奥からにじみ出たような自然な笑顔を浮かべた。
「あ、それはわかります! とても良い手入れをされていると思います。普段からちゃんとした手入れをしていないとこうはならないんですよ。大切にされているんですね!」
やや早口で生き生きとしたその口調と笑顔に、最初に声をかけられた時とはずいぶん印象が変わって見える。
どうやら彼女はなかなか筋金入りの人見知りのようだ。
「よろしければ、こちらの剣を直させてください。本日お預かりすれば、明日にはお返しできます」
「ありがたいです。ぜひお願いしたいです」
剣は騎士の魂だ。ただの武器だという人間もいるが、忠正は子供の頃から両親にそう教育されてきた。
その騎士の魂たる愛器をおいそれと預ける事など普段なら絶対にしないが、彼女の確かな目利きと鍛冶屋としての情熱は信頼に足ると忠正の直感が語っている。
「では、お預かりさせていただきますね! 明日の午後には仕上げておきます!」
目を輝かせながら女性が言うと、作業場の奥で黙っていた年老いた店主と思しき男性が声を上げた。
「ブリジット!」
「は、はい!」
飛び上がらんばかりに驚きながら返事をした女性はレイピアを丁寧にカウンターの上に置くと、慌てて男性の元へと駆け寄った。
店主はなにやら耳打ちをして何かを書いた紙を女性に渡す。
女性はそれを受け取って頷くと、忠正の前へと引き返してきた。
「あ、あのこれを」
そう言いながら差し出された紙には、何やら住所のようなものが殴り書きされていた。
忠正が受け取ると、女性はまた例の引きつった笑顔を顔に浮かべながら言った。
「腕の良い彫金師の店です。ハンナさんのご紹介相手に失礼は出来ない、と父が」
驚いて店主の方を見ると、店主は忠正に向かってわずかに頭を下げたが、すぐに後ろを向いて作業に戻ってしまった。
「ありがとうございます!」
忠正が声を投げると、店主は背中を向けたまま片手を上げた。
「すみません、偏屈でして……」
女性の言葉に首を振って見せた忠正は、未だに名乗っていない事に気が付いた。
「失礼。そういえば名乗りすらしていませんでした。私はタダマサ・キサラギという海軍傭兵の者です」
そう言って差し出した右手を、忠正の想像以上の力強さで握り返しながら女性は答えた。
「私はブリジット・ファビオ―ニ。あちらは父のバルカンです」
そう言ってブリジット・ファビオ―ニはまたぎこちなく微笑んだ、ように見えた。
帰り道がてらに紹介してもらった彫金師の店に赴いた忠正は、無事にナイフの修理を依頼する事が出来た。
不測の事態ではあったが、借り物のナイフに傷をつけたままというのは、どうにも気持ちの収まりが良くなかったのだ。
ナイフはなんとかなるそうだし、レイピアの調整も出来る事になり、ようやく足取りも軽くなった忠正は甘味でも食べようかとロムロ坂方面へと歩いていた。
鼻歌の一つでも出そうな気分で歩いていると、少し先に見知った後ろ姿を見つけた。
ひざ下までの長い紺色のプリーツスカートはしわ一つなく、スカートと同じ色のカーディガン。
そして長く癖のない赤色の髪には茶色いベレー帽が乗っている。
普段着でもそのかっちりとした真面目さがにじみ出ているのは、間違いなくエルザ・ディーリアだった。
エルザとは以前一緒にロムロ坂の喫茶店の『カフェ・ラ・レテ』に行った事があるし、エドワーズ島で一件の事で季節のデザートをご馳走する約束をしたものの、まだ果たしていない事を思い出した。
お茶の相手として誘うにはこれ以上の人選はない。
忠正は足早に歩くエルザに明るく声をかけた。
「ディーリア伍長!」
その声にエルザは警戒心も露わに眉根を寄せながら振り向いたが、相手が忠正だとわかるとわずかに微笑を浮かべた。
「ああ、あなたですか」
忠正はエルザの前まで歩み寄ると、笑顔で応じた。
「散歩ですか?」
「王立図書館に借りていた本を返しに行った帰り道です。それよりも……」
エルザは軽く咳ばらいをすると、ややかしこまった声で言った。
「あなたは特進して軍曹になられたのですから、私に敬語を使う必要はありません。むしろ私の上官に当たるわけですから、そのように振舞っていただきたいです、キサラギ曹長」
その言葉に忠正は思わず頭を振った。
「つい先日までディーリア伍長とお呼びしていたのに、そんなにすぐ変われませんよ」
「では今日からそうしてください。我々は軍の人間です。階級は絶対です」
いかにもエルザらしい考え方に苦笑を浮かべた忠正は、小さなため息交じりに言った。
「わかりました……いや、わかった。軍務中はそのようにしよう、ディーリア伍長」
満足げに頷くエルザに、忠正は唇の端に少しだけ意地悪な微笑を浮かべながら続ける。
「ただし非番の日は軍務に関係ないので、オレに敬語なんて使わないこと。オレもそのように接するので。ね、エルザさん」
忠正の言葉に驚いたエルザは目を丸くして反論の声を上げた。
「非番であっても我々は軍属です! 非番だからといってそんな事は出来ません!」
それほど長い付き合いではないがエルザの性格をそれなりに理解していると思っている忠正は、そう言ってくるだろう事はわかっていた。
なのでエルザだからこそ効果のある言葉を返した。
「これは上官命令だよ、ディーリア伍長」
その言葉に息を飲んだエルザはしばらく固まってしまったが、やがてうらめしそうな声を絞り出すようにして言った。
「ずるい……です。私が断れないと知って、そんな命令」
「ほら、敬語になってる」
「――もう、どう喋っていいかわからない……」
狼狽えるエルザの様子にちょっと悪い事をしてしまった気もするが、数少ない海軍仲間で甘味を食べに誘える人材なのだから、これくらいは許容範囲だろう。
そう判断した忠正は上機嫌に言う。
「それで、このあと時間があればカフェ・ラ・レテへ……」
そこまで言いかけた忠正は続きの言葉を飲み込み、戸惑うエルザの肩越しに見えた景色に表情を硬くした。
その様子に気付いたエルザが不思議そうに振り返ると、後ろのほうからこちらに歩いてくる一人の女の姿が目に留まった。
灰色の長いローブを頭から被り、右手には小さなハープを持った女だった。
銀色の美しい髪がローブから零れており、その髪とローブからのぞく瞳は氷河のように冷たい灰色。
舞台女優と言っても通じそうな程の均整の取れた美しい顔を切り裂くような、左頬に走る一筋の醜い傷跡。
その女の放つ一種独特な冷たい異様さに、エルザは思わず固唾を飲んだ。
「ティア・スリザー」
忠正が若干緊張気味に言うと、そのローブの女、ティア・スリザーは忠正を見て妖しく微笑んだ。
「あら、勇敢なルビーの瞳の騎士様。ご無沙汰しております。エドワーズ島以来ですね」
親し気な様子で話しかけては来るが、忠正はこの吟遊詩人の女性をどうしても信用出来ないでいた。
それは何かの確証があるわけではない。
本能的な何か、いやもっと直感的な何かが訴えかけているのだ。
「エドワーズ島では稼げましたか?」
忠正が言うとティアはハープを持っていない方の手を口の前にかざして笑った。
「いいえ。騎士様とお会いした後に不注意から怪我をしてしまいましてね。すぐに首都城塞に戻ってしまったのです」
「へえ……」
生返事を返しながら、忠正は無意識に自分の脇腹を撫でた。
エドワーズ島で撃たれた痕だ。
「私もせっかくのリゾートだと言うのに怪我をしましてね。トンボ帰りだったんですよ」
「まあ、奇遇ですわね。お互い不用意な怪我には気をつけないと……」
そんな表面上の会話を交わしつつ、ティアは忠正の横をすり抜けていく。
すり抜けざまに一瞬エルザの方を見たティアは、先ほど忠正へ見せたような妖しい微笑を浮かべると軽く会釈をして静かに歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を見送った忠正は無意識に大きなため息を吐いた。
「知り合いのようですが……?」
なんとも不穏な空気を感じたエルザが言うと、忠正は少し気まずそうに笑って見せた。
「いや、ちょっとした顔見知り程度で」
「……そうですか」
返事を返しつつ、エルザは何かを思い出そうとしていた。
その信じられない程の美しい顔と、それにそぐわない醜い傷跡は一目見れば忘れられない程のインパクトを持っている。
そんな女性と今まで出会ったことなどなかったはずなのに、なぜか見たことがあるような気がしてならない。
一体どこで出会ったのだろうか。
頭の中の記憶を必死に手繰っていると、忠正が明るく言った。
「言いそびれてしまったけれど、この後時間があれば一緒にカフェ・ラ・レテに行かないかい」
思わぬ誘いに、エルザは手繰っていた記憶の糸が手から離れるのを感じた。
「そ、それはまた、どうしてですか?」
しどろもどろに答えると、忠正はあっけらかんと答えた。
「先日、季節のスイーツとケーキをご馳走するって、約束したじゃないか」
その言葉にエルザは先ほどの忠正に負けないくらいの大きなため息を吐いた。
「そう……あなたはそういう人ですよね」
「え? 都合悪い?」
首を傾げる忠正を恨めし気に睨むと、エルザは忠正の前をさっさと歩き出しながら言う。
「ほら、早く行きましょう。この前のように売り切れてしまうかもしれません」
「また敬語に……」
「こういう喋り方なんです!」
足早に歩いていくエルザの後を、忠正は急いで追いかけて行った。
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