続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【39】フィオナ・ロベリンゲ

 先日ナイフを借り受けた時は急いでいた事もあり学生寮に直接乗り込んでしまった忠正だったが、今回は事前に手紙を送り待ち合わせの約束をした忠正は、約束の時間五分前にその場所へ到着した。

待ち合わせ場所はシーエアー駅の脇にある大きなヤシの木の下だったのだが、秋らしい赤いチェックのスリーピース姿のフィオナ・ロベリンゲがすでに到着しており、忠正の姿を見つけると胸の前で小さく手を振った。

 

「ごめん、待たせたかな」

 

忠正が言うと、フィオナは軽く首を振った。

 

「いいえ。私が早く来すぎてしまったから」

 

そう言って微笑むフィオナは、ほんの少しだけ疲れているように見えた。

 

「それで、今日はどんな御用ですか?」

「ああ」

 

忠正は絹の布で包んだナイフを手にしていたが、多くの人で賑わう駅前ではゆっくりお礼も言えないと思い当たった。

 

「少し歩かないか。ここじゃ落ち着いて話もできないし」

「はい!」

 

嬉しそうに返事をするフィオナを連れて、忠正はビーチの方へと歩き出した。

 

 

 つい先日まで海水浴客で賑わっていたビーチも十月になると人の気配はまったくなくなり、物寂し気な砂浜には穏やかな波音だけが響いている。

時折薄い雲が引く空を海猫が飛び交い、みゃあみゃあと声を上げていた。

そんな物静かな海辺で忠正とフィオナは手頃な大きさの流木に並んで腰かけていた。

 

 忠正は新品同様に修理されたナイフを取り出し、フィオナに差し出した。

 

「急なお願いにも関わらず貸してくれてありがとう。なかなか返すタイミングがなくて遅くなってしまって、すまなかった。でもこのナイフのお陰で目的を果たす事が出来たよ」

 

フィオナはそれを受け取ると、わずかに目を伏せた。

 

「いいえ。これは私が持っていてもあまり意味のある物ではないですから……。何かのお役に立ったなら嬉しいです」

 

その横顔が明らかに愁いを帯びていたので、流石に鈍感な忠正もわずかに戸惑った。

このナイフに刻まれたエリータス家の紋章は、彼女が間違いなくエリータス家の人間である事の証左であり、誰しもが持てるような物ではない。

その装飾も見事であるが、彼女の身分を証明するためのいわば身分証明書のようなものだ。

それを持っていても意味のない物と言い切るのはいささか乱暴とも言える。

 

「その……聞いていいのかはわからないけれど、フィオナはエリータス家の名前を名乗っていないけれど、それと何か関係があるのかい?」

 

フィオナは黙って静かに寄せては返す波打ち際を眺めていたが、やがてぽつりぽつりと語り出した。

 

 

「キサラギさんがどこまでご存知かわからないですけれど……私が名乗っているロベリンゲという姓は母のものなんです」

「ああ、君のお父さん……ジョアン・エリータス中佐に聞いたよ。ソフィア・ロベリンゲ。劇団アガサの花形の歌姫だよね」

 

忠正の指摘にフィオナは足元の貝殻を指で弄びながら答える。

 

「ご存知だったんですね。母があのソフィア・ロベリンゲだ、と」

「最初に聞いた時は驚いたよ。もっとも、フィオナが中佐の娘だと知ったのはその後だったけれど」

「……父は、母を深く愛しています。仕事で忙しくなかなか家に帰って来られない母をいつも心配していましたし、帰ってくれば子供みたいに喜んで……母もそんな父を愛していると思いますし、事実として二人が仲睦まじい姿を子供の頃からずっと見て来ました」

 

ジョアンと妻であるソフィア・ロベリンゲの関係が良好だというのは、なんとなく予想出来ていた。

以前ジョアンとサウスドルファンのバーで食事をした際にも、ジョアンは妻の事を悪く言うような事は絶対になかった。

むしろ、欧州全土にその名を馳せる歌姫ソフィアの威光に興味すらなく、一人の人間として見ている事に驚いたものだ。

フィオナは言葉を続ける。

 

「そんな父なので、私の事はそれほど興味がないんだと思います。子供の頃から私には無関心というか……とても素っ気ない態度でしたし、母に向けるような笑顔を向けてもらった事もありません」

 

忠正は頷いて見せながらも、わずかな違和感を覚えていた。

忠正の知るジョアン・エリータスは面倒見が良く、愛想がない人間ではない。

貴族であってもそれを笠に着るような事もないし、自分のような傭兵やルシルのような海賊の言葉にも耳を貸す、どちらかと言えばそれなりの人格者であると言えるような人物だ。

そんなジョアンが最愛の妻との子供であるフィオナに対して、フィオナが言うような冷たい態度で接している姿が想像できなかった。

だが、忠正は余計な口を挟まないようにした。

忠正の知るジョアンと、家庭に戻った時のジョアンは違うのかもしれない。

フィオナは自嘲気味に微笑むと、寂しそうに呟いた。

 

「私、小等部、中等部とずっと苛められていました。その時はエリータスの名前を名乗っていましたが、私の家は分家ですので、旧家の両翼のはみだし者とクラスメイト達にからかわれていました」

 

フィオナは顔を上げると、その頃を思い出しているような遠い目をして続ける。

 

「それに輪をかけて、父が軍部に所属し、ドルファンの中でもお荷物だと言われていた海軍に配属された事で苛めは過激になっていきました」

 

そこまで言ってフィオナはハッと何かに気付き、あわてて忠正の方を見た。

 

「ご、ごめんなさい。海軍の事を悪く言うつもりはなくて……」

 

そんなフィオナに忠正は優しく微笑んで見せた。

 

「わかっているよ、気にしないでいいさ。外国から見ても、ドルファンの海軍はアルビア頼りで何の役にも立たないと馬鹿にされていたからね。キミの置かれた立場も少しはわかるつもりだ」

「あ、ありがとうございます……」

 

フィオナは安堵のため息を漏らしたが、忠正は目を細めて今までの言葉を頭の中で反芻していた。

 

 

 フィオナが子供の頃から学校で苛められていたというのは、想像が出来る気がする。

分家とは言え上流貴族である旧家の両翼エリータス家の父と、世界的に有名な歌姫の娘。

まわりからは羨望の眼差しを向けられるだろうが、同時に嫉妬や妬みの感情も向けられやすいだろう。

ましてやフィオナは自分から反論をしたり、文句を言うような性格ではない。

子供故の無邪気な悪意を向けられれば、ただ俯いて受け止めてしまったであろうことは想像に難くない。

フィオナはナイフを鞘から半分ほど引き抜き、刀身に刻まれたエリータス家の紋章をみつめながら言った。

 

「私にとってエリータスという名前は呪いに等しいものです。だからと言って父の事を恨んだりはしていません。衣食住を与えられて、なに不自由なく生活出来ているのは両親のお陰だと思っています。ですが、エリータスの名を持って生まれたからこそ背負ってしまった物も沢山あります。それはきっと今も……」

 

そう言いながらフィオナはナイフを鞘へと納めた。

そして極めて明るい声で言った。

 

「ごめんなさい。私なんかの昔話、楽しい話じゃないですよね!」

 

無理に作られたその笑顔に、忠正は複雑な表情で答えた。

 

「オレの方こそ辛い話をさせてしまってすまなかった。でも、フィオナがエリータス家に生まれていなければ、オレはドルファンに来て軍の宿舎の場所がわからなかったし、フィオナがそのナイフを貸してくれなければ、死んでいたかもしれない」

「え!?」

 

驚いた声を上げたフィオナに、忠正は心底申し訳なさそうに事の経緯を説明した。

借り受けたナイフを懐にしまったままだった事。

敵との戦闘で撃たれた際にこのナイフが命を救ってくれた事。

代わりに柄に傷がついてしまい、修理をした事。

さすがにこのナイフで敵に止めを刺した事は伏せたが、以上の事を説明するとフィオナはその大きな目をまん丸にして驚いた。

 

「借りた物を傷つけてしまって、本当に申し訳ない! でも、腕の良い職人だったので、傷は綺麗さっぱり直って……」

 

そこまで言いかけた忠正は声を飲んだ。

フィオナの目から一筋の涙が零れたからだ。

 

「フ、フィオナ……?」

 

ナイフを傷つけてしまった事がそこまでショックだったのかと忠正があわてていると、フィオナは自分が涙を流している事に気付き、指で涙のしずくを拭った。

そしてわずかに震える声で言った。

 

「良かった……キサラギさんが生きていてくれて……」

「フィオナ……」

 

忠正は自分の考えがいかに愚かだったかに今更気づき、自分に呆れながらもハンカチを取り出してフィオナに渡した。

フィオナ・ロベリンゲはこういう娘だった。

大切な貴族のナイフよりも、人の命を心配してくれるような優しい娘なのだ。

フィオナは忠正のハンカチで涙を拭くと、少し恥ずかしそうに言う。

 

「すみません、泣いたりして。でも、あなたが生きていてくれて本当に良かったです。私にとってこのエリータス家のナイフは何の価値もないものですけれど、キサラギさんの命を救ってくれたのなら、何にも変えられない宝物になりました!」

 

そう言って微笑んだフィオナに、忠正は胸の奥に言葉が詰まるような感覚を覚えていた。

なんと答えればいいか言葉を探しあぐねていると、フィオナは先ほどとは逆にナイフを忠正に差し出した。

 

「あの、良かったらこのナイフ、キサラギさんが持っていてくれませんか」

 

突然の申し出に忠正が驚いていると、フィオナは忠正の手にナイフを持たせて自分の手をその上に重ねた。

 

「あなたに持っていて欲しいんです。私にとって呪いだったエリータスの証があなたの命を救ったのなら、きっとこの先もあなたを守ってくれるような気がするんです。私にとっては呪いでも、あなたにとって祝福になるのなら、少しはエリータスの名前を好きになれるかも……なんて、ちょっと虫がいいですかね?」

 

そう言って舌を出したフィオナだったが、忠正は渡されたナイフを力強く握った。

 

「ありがとう、フィオナ。このナイフ、オレが預からせてもらう。そして誓おう。いつか君にとってエリータスの名が祝福になる時まで、この国も、君のお父さんも、オレが守る」

 

いつになく熱のこもった忠正の言葉にフィオナの頬が赤く色づく。

二人の視線がお互いをみつめあい、どちらともなく言葉が消えていく。

ただお互いの瞳がお互いの瞳をみつめている。

 

 

 その時、不意に澄んだ歌声が二人の耳に届いた。

 

「歌……?」

 

フィオナがわずかに顔を上げる。

優しい波音にもかき消されない、驚く程美しく澄んだ女性の声だった。

月明かりの海を歌った恋の歌。

その美しい歌声のする方へ二人が思わず振り返ると、波打ち際を裸足で歩く少女の姿があった。

水色の長い髪が風にたなびき、それを靴をもった片方の手と逆の手で押さえながら歩く様は、まるで絵画のようだ。

その少女の姿に忠正は思わず立ち上がり、大きく声を投げた。

 

「アンさん!」

 

声に気付いた少女、アンは忠正の姿を見つけると小さく手を振った。

嬉しそうに手を振る忠正を見上げながら戸惑い気味に立ち上がったフィオナがおずおずと忠正に声をかける。

 

「お知り合いの方ですか?」

「ああ。さっき話した敵兵に撃たれた時に海に叩き落されてさ。その時に助けてもらった人なんだ」

「ええ……?」

 

さらりと出てきた想像を絶する言葉にフィオナは固まってしまったが、そんな二人の元へアンはゆっくりと歩み寄ってきた。

そして少し緊張した様子で言う。

 

「こ、こんにちは、タダマサさん。お、お身体は大丈夫ですか?」

「はい。まったく問題ありません。歌がお好きなんですか?」

 

逆に聞き返した忠正に、アンは赤い顔ではにかみながら答えた。

 

「は、はい。すみません、お聞き苦しかったですよね」

「そんなことありません!」

 

アンの言葉を遮るように、いつも大人しいフィオナが珍しく興奮気味に食いついた。

 

「私はフィオナ・ロベリンゲといいます。あの、あなたの歌声、とっても素敵でした!」

「え……ありがとう……。私はアン、です」

 

フィオナが自分から積極的に声をかける姿を初めて見た忠正は新鮮な驚きを感じていたが、当のフィオナは無邪気に目を輝かせてアンに迫った。

 

「本当に美しい歌声でした。あの、どこか劇団とかには所属していないのですか?」

「は、はい。私はただ歌う事が好きなだけなので……」

「そんなに素晴らしい歌声なのに、もったいないですよ! きっとすぐにでも舞台に立てます!」

 

ぐいぐいと詰め寄るフィオナに、アンは困ったような顔で忠正を見た。

忠正はフィオナの肩に軽く手を添えて優しく声をかける。

 

「フィオナ、アンさんも驚いているよ。素晴らしい歌声に君が感動したのはわかるけれど、彼女の意向もあるものだから……」

 

忠正の言葉に一瞬きょとんとしたフィオナは、瞬時に顔を真っ赤にすると、消え入りそうな声で言った。

 

「……ごめんなさい、私ったら……つい……」

 

今にも泣きだしそうな顔になったフィオナに、アンが戸惑いながらも優しく声をかけた。

 

「あの、フィオナさんも歌がお好きなんですか? 劇団とか、舞台にとても詳しそうだから」

 

フィオナは申し訳なさそうに目を伏せながらも、細い声で答える。

 

「……はい。私、母が歌手で、子供の頃からずっと憧れていたから……。私なんかが母のようにはなれないという事は、わかっているのですが……」

「……そうでしたか」

 

アンは俯くフィオナの手を取ると、目を閉じながら言う。

 

「歌は自由なものだから、舞台で歌わなくたっていいと思います。フィオナさんはお母様のように舞台で歌いたいかもしれないけれど、お母様にはお母様の。フィオナさんにはフィオナさんの歌があるはずです」

 

そう言いながらゆっくりと目を開いたアンは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「私も歌が好きだから、こうして人のいない海に歌いに来たりします。今日はお二人がいたけれど、いつもは人がいないから。フィオナさんも自分の歌を歌いたくなったらここに来るといいですよ。海は、いつだって歌を、あなたを受け止めてくれるから」

 

その言葉に忠正は感心してしまっていた。

自分とほとんど年も変わらなそうな外見なのに、フィオナの気持ちに寄り添いつつも優しく慰めるような言葉の選び方は見事だった。

 

「は、はい。ありがとうごいます、アンさん!」

 

フィオナが感極まったように頷くと、アンは満足そうに笑った。

 

「それでは、私はこれで失礼しますね。タダマサさん、フィオナさん、また……」

 

再び人気のない浜辺を歩いていくアンの後ろ姿を見送っていた二人だったが、やがてフィオナがポツリと言った。

 

「……とても素敵な人ですね」

「ああ、そうだな」

 

フィオナは離れていくアンの姿を、いつまでもみつめていた。

 

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