続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
後部デッキからぼおっと景色を眺めていたエルザ・ディーリアは、眼下を滑っていく波しぶきを漫然とみつめていた。
一般の船よりも圧倒的に足の速いブルー・セレンに出港してすぐは心躍ったものだが、三日も過ぎればその速度にも慣れてしまい、最初は心地よかった頬を滑る海風も髪型が乱れるだけですっかり飽きてしまっていた。
「よう。しけたツラしているじゃないか」
船長専用の黒い三角帽子(トリコーン)を被ったルシルが、ゆっくりと隣に歩み寄った。
エルザはわずかに視線を動かしてルシルを確認したが、またすぐに変わらない海原の景色に視線を戻して言った。
「海の上って思っていた以上に退屈ですね。揺れるから本も読めないし、文官である私がお手伝いできることもありませんし」
珍しく不貞腐れているエルザの様子に、ルシルは隣にもたれ掛かりながら手に持っていたラム酒の瓶を呷った。
「へえ。真面目な文官さんの仏頂面は思いのほか酒の肴になるな。自分から言い出して付いてきた割には不機嫌そうじゃないか」
からかい口調のルシルの顔を目線だけ動かしてじろりと眺めたエルザはため息交じりに答えた。
「あなたもお気づきの通り、私は自分の意思でついてきたと言うより、荒唐無稽な交渉をしないようにお目付け役として派遣されているに過ぎませんからね。言わば任務です」
そんなエルザの言い分を聞きながら再び酒を呷ったルシルは、くつくつとからかうように笑った。
「海賊で学のないオレはともかく、あの化学者のメネシスに関しては荒唐無稽とはいかないんじゃないのか?」
荒唐無稽という言葉を正しく理解している時点で、ルシルもこの時代の荒くれものである海賊にしては相当に頭が良い事を物語っている。
それを理解しているからこそ、エルザは不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「私が一緒に行く意味が本当にあるのか、という事ですよ。リンダ様のご指名でなければ、私もドルファン首都城塞に残ったのに……。処理しなければいけない事務仕事が山のように残っているんです」
エルザの言い分は至極真っ当な物言いだったが、その言葉に含まれる想いを敏感に察知したルシルは酒を飲む口元を大きくほころばせた。
「おいおい、違うだろ? あんたは確かに仕事人間だし、頭に馬鹿がつくほど真面目な軍人ではあるが、その不機嫌さはそういった事からじゃあない」
漫然と海に向けていた視線を、わかったような物言いをするルシルの方へと向ける。
「じゃあなんだと言うんですか。二ヶ月も留守にした後に処理しなければいけない仕事以上に、何が私を不機嫌にさせると言うのですか」
その言葉にルシルは多少の酔いに任せて大げさに驚いた振りをした。
「まさか、気付いていないわけじゃないだろう。他ならぬ自分の事なんだ。誰よりも文官殿自身が一番わかっているんじゃないのか?」
「はい?」
全く身に覚えがないといった様子で酔っ払いを侮蔑するような顔をしたエルザに対し、ルシルは喜色満面に言った。
「タダマサと二ヶ月も離れるのが嫌なんだろ?」
「はあ!?」
酒に酔ってほんのり赤い顔のルシルよりも、一瞬で茹でた蟹のように真っ赤な顔になったエルザは甲板で作業をしていた船員達が思わず振り向くくらいの大きな声を出した事に気付き、あわてて口元を手で隠した。
そしてすかさずルシルに身を寄せてひそひそ声だが確固たる意志の力を込めて抗議の声を上げた。
「ど、どうしてそうなるんですか。キサラギ曹長と離れるのが嫌って……、そんな!」
「おや、いつも冷静沈着な文官殿が随分な慌てようじゃないか」
「あなたが変な事を言うから……!」
「まあまあ、気持ちはわかるぜ。あの男、無害そうな顔しておきながら天然のタラシだからな。ニコニコと人の良さそうな雰囲気してやがるくせに絶妙に女にいい顔するから、あんたみたいな初心な娘はコロッと騙されちまう」
「わ、私は別にキサラギ曹長の事なんてどうとも思っていません! ただの同僚、ただの上官、ただの……」
「ただの、喫茶店に二人で出かける仲間ってか?」
にやにやと言うルシルに、エルザは視線を泳がせる。
「き、喫茶店にはたまたま……と言うか、なんでルシルさんがそんな事知っているんですか!?」
「観光地での護衛及び治安維持は、オレ達傭兵の仕事だぜ? ロムロ坂っていうのは人気の観光スポットだからな。オレの部下が治安維持活動にあたっていても、何らおかしくはないだろう」
「し、職権乱用ですよ!」
ルシルはカラカラと笑いながら、美味そうに酒を呷った。
エルザはきゃんきゃんと何か抗議の声を上げているが、ルシルの耳にはもう届いていない。
エルザの気持ちなど、普段の業務中でも目の隅で忠正の姿を追っているのを見れば、たちどころにわかると言うものだ。
それに実際に如月忠正という人間が一人の男として魅力がないわけではないともルシルは思っていた。
確かな剣の実力に、他人の為に体を張れる切符の良さ。ふとした時に見せる知性と、仲間であっても打ち明けない影を背負っていそうな雰囲気。
海賊として豪放な異性交遊を楽しんできたルシルをもってしても、忠正に惹かれる気持ちは確かにある。
だが、だからこそエルザが心配をする気持ちも、二ヶ月も離れたくない気持ちもわかるのだ。
エドワーズ島で関わった、あの三人娘。
その中でも命を救われたショートカットの娘は、陸に戻ってから確かに忠正を見る瞳が変わった。
そして、最初から熱の籠った視線を送っていた長い三つ編みの方の娘。
ジョアンの娘という事だが、あの視線は唯の友人や知人に向けられるものではない。
まだ騒がしく抗議の声を上げているエルザに向けて、ルシルはにっこりと微笑んだ。
「さて、ライバルは多そうだけれど、この二ヶ月でどう動くか楽しみだな!」
「?」
エルザは不思議そうに首を傾げたが、またすぐにルシルへと詰め寄った。
イングレスへの航海は順調そのものだった。
午後の授業が終わり部活動に勤しむ生徒達を余所に、帰宅部の生徒たちは嬉々として校門をくぐり家路へと着いていく。
陸上部として活動しているサラ・ショースキーを除き、部活には所属していないフィオナ・ロベリンゲとパトリツィア・オーエンズの二人は学生寮への道を並んで歩いていた。
この秋から学生寮へと移り住んだパトリツィアは、フィオナと一緒に登下校する事が日課となっていた。
それは、フィオナの命を狙う刺客を探す意味でも、またその刺客から守るという意味でも効率的だからだ。
ドルファン学園から学生寮までは徒歩二十分ほどで、基本的にフェンネル駅からサウスドルファン駅までの道のりを通る事になる。
人通りも多いし、夜になっても比較的明るく安全な道と言える。
だが、逆に言えば人通りが多いが故に事故に巻き込まれる可能性も高いわけだし、突然路地裏などに連れ込まれたとしても、人々が気付かない可能性もある。
二人は他愛のない会話(基本的にはフィオナから語り掛けるだけなのだが)をしながらいつもの道を歩き、いつものように学生寮へと帰りついた。
フィオナが玄関で革靴の埃を落としていると、パトリツィアは外に視線を向けると今入ってきたドアを開けた。
「どうしたの?」
フィオナが声を投げるとパトリツィアはいつもの澄ました態度で答えた。
「ちょっと用事を思い出したから出かけてくるわ。フィーはこの後、出かける予定はあるの?」
「ううん、今日は課題が多いから部屋に籠るつもり」
「そう」
「私も一緒に行く?」
「いいえ。課題を片付けていて」
「一応言っておくけれど、パティにも同じ課題が出ているんだからね」
「フィーのやったものを写せばいいだけよ」
「もう……!」
呆れ気味に頬をふくらませながら自室の方へと歩いていくフィオナを見送ると、パトリツィアは外へと出て行った。
そのまま来た道を戻っていきサウスドルファンの大通りに出ると、少し先の角に見知った男が立っているのを見つけてそちらへと歩いていった。
「今日は何の用かしら」
パトリツィアのいつもと変わらない態度に、その男、如月忠正は頭を掻いた。
「どこから気付いていた? 尾行には結構自信があったんだけれど」
「ドルファン学園の校門を出た所から」
「最初からじゃないか」
「視線を大衆に紛らすのが下手なのよ。対象をみつめすぎだわ」
「さいですか」
忠正は大きくため息を吐きながら続ける。
「どこかで茶でも?」
パトリツィアは興味なさそうな様子だが、渋々と頷いた。
「お腹が空いているの。パフェをご馳走してくれるなら付き合うわ」
今度は忠正は渋い顔をして頷く番だった。
ロムロ坂のカフェ・ラ・レテに行けるのが本当は一番良いのだが、時間的な事も考えて忠正達はサウスドルファン駅前の広場にある喫茶店へと入った。
広場に面したテラス席の居心地がいい季節ではあるが、人目を避けるために店内の席を選んだ二人は向かい合って座り、忠正は紅茶を、パトリツィアはチョコレートパフェとエスプレッソをそれぞれ注文していた。
運ばれてきたパフェをあらかた食べ終わるのを待ってから、忠正は話を切り出した。
「フィオナの事だけれど、何か有用な情報はあるかい?」
パトリツィアはパフェのグラスの底の方のチョコレートソースをスプーンで慎重に掬ってから口に入れると、名残惜しそうに空になったグラスを眺めながら言う。
「情報は無料じゃないわ」
忠正は呆れたように答える。
「今食べ終わった物はなんだろうね」
その言葉にパトリツィアは少し考えていたが、やがて小さく頷いた。
「金貨とまではいかないけれど、まあいいわ。特別割引で」
忠正は小さくため息を吐いて続ける。
「それで、何か進捗はあったかい?」
「フィーの周りをうろちょろしている特定の人物を数人把握しているわ。いずれも成人男性、身なりも悪くない、一般的な容姿」
「そいつらがフィオナの命を狙っていると?」
「……どうかしら。どちらかと言うと、行動パターンを記録しているように見える。彼らは殺しをするような人物ではないと思うわ」
しれっと言い切るパトリツィアに、忠正は固唾を飲んだ。
フィオナやサラと変わらないドルファン学園の制服を着た女子学生の一人が、何の躊躇もなく殺しの話をする事に背筋が凍る思いだ。
「じゃあ、殺しをやる人間っていうのはどういう人間なんだ?」
思わず口をでた忠正の言葉に、パトリツィアは唇に冷たい微笑みを浮かべた。
「あなたのような人よ。傭兵さん」
一瞬空気が凍り付くが、忠正は頭を振って紅茶を一口飲んだ。
「君も学生寮に住んでいるんだな」
「ええ。つい先日から」
「なら知っているかもしれないが、フィオナの従兄弟のジュリアン・エリータスが彼女に迷惑をかけている件についてだ」
パトリツィアはエスプレッソの小さなカップを手に取ると、口をつけて苦味を味わった。
そして顔をしかめた。
「マキアートにするべきだったわ」
「追加で頼もうか?」
「いいえ、結構よ」
真っ黒な凝縮されたコーヒーを飲み込むと、パトリツィアは渋い顔で言った。
「ジュリアンの件は知っているわ。私が寮に住む前だったので直接には見ていないけれど、学内で噂になっているのを聞いたわ」
「じゃあ話が早い。ジュリアンの度重なる迷惑行為によって、フィオナが退寮させられる可能性がある。それは彼女の望むところではないはずだし、なんとかしてあげたい。だが、相手が相手なだけにどう対処していいか悩んでいたところだ」
パトリツィアはふうん、と返事をするとウェイターに手を上げて呼び出し、キャラメル・マキアートを注文した。
「さっきいらないと言ったじゃないか」
「ただのマキアートはね。甘い方が美味しいでしょう」
パトリツィアは全く悪びれる様子もなく言い、そのまま続けた。
「それで、フィーが退寮させられるかもしれないという事だけれど、その方が良いのではないかしら」
「どうして?」
「だって、退寮させられれば父親の屋敷に戻るのでしょう? そうすればジュリアン・エリータスもおいそれと来れなくなるし、刺客から狙われる心配も今よりは減ると思うのだけれど」
一瞬パトリツィアの言葉に納得しかけた忠正だったが、もう一度情報を整理しなおした。
フィオナは屋敷には帰りたがってはいない。
それはエリータス家自体に対する嫌悪があるからだし、小学校、中学校と苛められた原因もエリータス家の分家だからという理由だった。
仮に屋敷に戻ったとすると、マリーゴールド地区のエリータス家からドルファン学園に通う必要がある。
それはとても歩ける距離ではないし、必然的に馬車が必要となる。
馬車で通うなど、庶民の通うドルファン学園ではあり得ない話だ。
そうなれば噂好きな学生の間で格好の的となるだろうし、どこから通っているのか、どこの家の人間なのかはすぐにわかってしまうだろう。
それは避けなければいけない。
それに、刺客からの刃を遠ざける事にはつながらないかもしれない。
ジョアン・エリータスが実の娘の命を狙っている線は、可能性として大分低くなっているが、まだ確証はない。
同じ学生寮にパトリツィアが住んでいるのならば、人間として信用はできないものの、フィオナの安全という点では信頼出来る。
総合的に考えてフィオナを屋敷に戻す事は事態の解決にはならない。
忠正は考えをまとめ、考えている間にテーブルに届いたキャラメル・マキアートを満足そうに飲んでいるパトリツィアに言う。
「屋敷に戻す案はやはり却下だ。それはフィオナの望むところではない」
パトリツィアは再びふうん、と返事をする。
少なくとも友人関係ではあるはずなのに、この興味の薄さはなんなのか忠正が考えあぐねていると、パトリツィアが言った。
「まあ、その方がいいかもしれない。キャラメル・マキアートもご馳走いただいた事だし、その分は追加情報を提供してあげてもいいわ」
この人を食ったような態度は気に食わないが、今は彼女の方が情報を持っている。
忠正は冷めてしまった紅茶を一口飲んで頷いた。
それを見たパトリツィアは面白そうに目を細めて続けた。
「最初に話したフィーの周りをうろついている男達だけれど、彼らがどこに戻って行くのか、どこに雇われているのかに興味はないかしら」
途中から話が逸れてしまい忠正はすっかり失念していたが、確かにそれは重要な情報の一つだ。
若干熱くなっていた自分を恥じながら忠正が言う。
「確かにそれは興味深いな。ジュリアンの件は置いておいたとしても、命を狙われる脅威を取り除くのもフィオナにとって重要だ」
その言葉にパトリツィアは口元に先ほどと同じような冷たい微笑みを浮かべた。
「ともすれば、両方が解決するかもしれないわ」
忠正が訝し気にパトリツィアを見る。
「……どういう事かな」
パトリツィアはもったいぶってキャラメル・マキアートのカップを両手で持って回していたが、やがて小さな声で言った。
「その男達が帰っていくのはエリータス家よ」
忠正は聞き間違えかと思って一瞬惚けてしまった。
だがすぐに聞き返す。
「なんだって?」
パトリツィアは愉快そうに笑みを浮かべながら、もう一度言った。
「彼らはエリータス家に戻って行ったと言ったのよ。ただし、ジョアン・エリータスのところではなく、本家のシャルシス・エリータス、旧家の両翼の所だけれどね」
思いも寄らない事実に、忠正は紅茶のカップを持ったまま固まってしまった。