続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
約三週間の航海はいたって順調で、ドルファン港を旅立ったブルー・セレンディバイト号は予定よりも二日早くイングレス王国へと到着していた。
到着した、と言ってもイングレス王国はもともと四つの異なる国が併合して出来た国でもある。
ブルー・セレンはその四つの国の中では一番北に位置するアルバという国に帆を向けてきた。
アルバは大小あわせて八百近い島から成る国で、ブルー・セレンはその中でも西に位置するアイル島という人口一万人人ほどの中規模の大きさの島の港に停泊をしている。
港は言うもののブルー・セレンの大きさの船が停泊出来るような大きさではなく、ルシル、エルザ、そしてメネシスの三人のみが沖合に停めたブルー・セレンから小舟に乗り換えて上陸していた。
早朝という事もあり港町は朝もやに包まれており、街の人々はまだ活動を開始していないようでひっそりと静まり返り、時折家畜の鳴き声が響くだけで、波の音と吹き抜ける風だけが耳を打つ。
「何年経っても相変わらず陰気くさい町だね」
強く吹く風にメネシスはローブを抱きかかえながら言う。
ルシルは肩をすくめながら答える。
「町は陰気くさいが、ここで作る酒は他にはない最高の酒さ。ヤツもここの酒から離れられないから、いつまでもここに住み着いて離れない」
「はっきり言ってあたしは好きじゃないね。喉が焼けるようなアルコール度数の酒を“命の水”だなんて言って重宝がっている奴らの気がしれないよ」
「それがいいんじゃないか」
そんな会話を交わしつつ街を抜けて行き、ゴツゴツとした岩が並ぶ丘を登り始めた二人のあとを黙ってついて行っていたエルザが口を挟んだ。
「あの、これから会いに行こうとしている船大工の方ってどんな方なのですか? ブルー・セレン号の設計をし、メネシスさんの旧いお知り合いという事だけは知っていますが」
その言葉に先を歩いていたルシルとメネシスは顔を見合わせてから、まずはルシルがやや投げやりな口調で言った。
「偏屈なばあさんだよ。オレも直接会ったのはニ、三度くらいだけれど、まあ気難しいばあさんでな。一度機嫌を損ねれば一週間は口も聞いちゃくれない。オレの親父もほとほと手を焼いたものさ」
続いてメネシスが言う。
「あたしは学生の頃からの付き合いだからね。リーデン学術院の同期って事になるわけだけれど、学生の頃から変わっていたね。あたしは化学(リバイテック)の研究に没頭していたけれど、あいつは科学(ソサイテック)に夢中だったから、一緒に何かする事はなかったけれど、たまに顔を合わせるとお互いの研究の進捗を話ながら酒を飲んだりはしたもんだ。もう何十年前の話になるのか……」
二人の話を聞きながらエルザは首を傾げた。
偏屈で気難しいという事はわかったが、メネシスと同窓というのは初耳だ。
だが、ルシルは少なくとも中年かそれ以上の年齢を示唆しているが、今目の前にいるメネシスはパッと見た印象では自分とそれほど年齢が変わらないように見える。
学生だというのに酒を酌み交わしてというのも腑に落ちないが、そもそもこのメネシスという人物は一体何歳くらいなのだろうか。
王国の重要な仕事を引き受けていたり、リンダ・ザクロイドに対しても砕けた言葉使いをしていたり、学生の頃を何十年前と振り返ったりと、エルザの常識を超えた部分が多い人物だ。
「あの……」
そんな疑問をぶつけようとエルザが言いかけた時、少し先の海岸線を指さしながらルシルが言った。
「着いたぜ。あそこだ」
ルシルが指さした先にはかなり年季の入った石造りの小さな建物があり、茅葺の屋根はいつから変えていないのかかなりどす黒い色をしている。
その屋根の真ん中に煙突が乗っており、何やらもくもくと煙を吐いている。
ルシルはその小ぢんまりとした家の古い木のドアを遠慮なくノックして声を掛ける。
「ばあさん、いるか? オレだ。ブルー・セレンディバイト号のルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラだ」
すぐには反応がない。だが慌てる様子もなくルシルが待っていると、突如としてドアが開き中から背の低い少女が出てきた。
ハシバミ色の髪を耳の上で左右に二つ結びにしており、垂れ下がった髪は肩のあたりまである。
大きなくりくりとした目の色は髪の毛と同じヘーゼルナッツのような色で、血色の良い桃色の頬と小さめで上向きの鼻の上で長いまつ毛に囲まれて、ルシルの方を訝し気に見上げている。
その頭は背の高いルシルの胸よりも低いので、中等部の女子の平均くらいだろう。
背の低さにそぐわない長くて薄汚れた白衣を引きずっており、それが妙にミスマッチしている。
その少女はルシルの後ろにいたエルザの方をちらりと見ると、その愛らしい容姿と反して不機嫌そうな声で言った。
「知らない顔がいる」
「心配いらない。オレの仲間だよ」
「海賊娘の仲間なんて信頼するアホが、どこにいるって言うのさ」
中等部を卒業しているかどうかも怪しい娘の辛辣な言葉にエルザはむっとしながら反論しようとした所だったが、そんなエルザを手で制しながら後ろからメネシスが進み出た。
「怪しい者じゃないよ。少なくともあたしが言うんだから間違いない」
メネシスの顔を見た少女はその大きな目を見開いた。
「これは珍しい客人だ! ひねくれ者の化学者の登場と来たもんだ。海賊娘と化学者が揃っての訪問だなんて、一体何事だって言うんだい?」
その不遜な態度にエルザが眉を顰めると、ルシルが苦笑を浮かべながら言う。
「とりあえず家の中に入れてくれよ。詳しく説明するからさ、ばあさん」
「ばあさん!?」
エルザが思わず声を上げると、その少女はじろりと睨みつけた。
「ばあさんで悪かったね」
その言葉を全く理解できずにエルザが固まっていると、メネシスがその肩にそっと手を置いて言った。
「見た目はこんなんだけれど、こいつが今回の交渉相手。科学者であり、稀代の船大工でもある、コーミン・キャプスタンだよ」
その衝撃の事実にエルザは開いた口が塞がらなかった。
どう見ても中等部そこそこの少女にしか見えないコーミンは、三人を家の中へと招き入れると、三人掛けのソファにエルザとルシルを座らせ、メネシスには椅子を勧めなかった。
それと言うのも、狭い室内の壁という壁を埋める本棚とそこに乱暴に突き刺さる書籍の数々にすぐに夢中になって飛びついていたからだ。
室内はそれほど広くないが、大きな製図用の机が部屋の中心に居座っており、そこに向き合うようにソファが置かれている。
製図版の上には船の設計書が無造作に置かれて、脇には羽ペンと何本もの不思議な形の定規が転がっている。
コーミンはその製図用机の端に腰かけると、ルシルに向かって言った。
「あの船の調子はどうだ?」
その問いかけにルシルは嬉しそうに答える。
「ああ、すこぶるご機嫌だよ。マルタギニア海でブルー・セレンよりも速い船には、今もって出会った事がない」
「それはそうさ。あれは私の最高傑作だからね。あの船を超える船なんて存在するわけがない」
そう言って胸を張るコーミンを、エルザはまだ信じられないような面持ちでみつめながら言う。
「あの船はあなたが設計されたんですよね?」
コーミンは机の上に座っているので、やや見下すような視線でエルザを見た。
「そうだよ。この海賊娘の父親に頼まれてね。世界で一番速い船を作ってくれと。もう三十年以上前の話さ」
そう言いながら机の脇に無造作に何本も突き刺さっている丸めた設計図を漁ると、その中から一本を取り出した。
「これがブルー・セレンディバイトの設計図だ。船体を細く長く、それでいて大砲を積んでもバランスが取れていて、極めつけには喫水が浅い。ブルー・セレンは速度と強度を両立させた船としては理想に近いものだよ」
広げられた設計図を見ても正直よくわからないエルザだったが、とりあえず興味深そうに頷いて見せる。
そんなエルザの仕草を眺めながら、ルシルがやや挑発的な声で言う。
「ばあさん、ブルー・セレンは当時の最先端の技術で造られた船で今でも最速の船だとオレも自信を持っている。だが、この船が造船されてから、もう三十年も経っている。あれから技術だって進化しているし、新しい理論も続々と生まれていると思うが、どうだい?」
コーミンはブルー・セレンの設計図と器用に丸めると、机の脇に差し込む。
そして若干不機嫌そうにルシルを見た。
「何が言いたい? もちろん技術というのは日進月歩だからね。当時には最新の技術であっても、一年もすれば過去の物だ」
その言葉にルシルは満足そうに頷きながら、少し勿体ぶってから言う。
「新しい船を作る気はないかい? 最新の技術を駆使して、ブルー・セレンを超えるような船を」
コーミンはしばらく黙ってルシルを見ていたが、やがて机から飛び降りるとつまらなそうに肩をすくめた。
「何を言うかと思えば、そんな事か。あんたにはブルー・セレンがある。あの船は世界最速であり、私の最高傑作だ。これ以上何を望むって言うんだい?」
呆れたように言い捨てたコーミンに対し、書物に視線を落としたままメネシスが口を挟んだ。
「ブルー・セレンよりも速く、無風の海域でも漕ぎ手無しで動く、魔法の船を作りたいんだけどね」
「はぁ!?」
コーミンはずかずかとメネシスに詰め寄ると、手にしていた本をひったくって声を荒げた。
「薬品の研究のし過ぎで脳みそがとろけたのか? ブルー・セレンよりも速い船は百歩譲って作れたとしても、無風で漕ぎ手も無しに動く船なんてありえない!」
本を奪われたメネシスは気にする様子もなく眼鏡の位置を軽く直すと、頭一つ分背の低いコーミンを見下ろしながら答える。
「あんただって知っているだろう。海の向こうの西方の大陸では、無風でも動く船はもう技術的にも確立している事を」
「……〝汽船〟の事を言っているか?」
メネシスは答えなかったが眼鏡の奥の瞳が肯定しているかのように半月を描く。
だがコーミンは激しく首を振った。
「確かに汽船なら無風でも船を動かす事が出来るが、あれはダメだ。あれは波の少ない川幅の大きな河や湖で運用することが大前提だ。ブルー・セレンのように外洋に乗り出す船には全く向いていないし、そもそもスピードが全く出ない。赤ん坊と速度を競うような船が欲しいのなら、あたしじゃない適当な腕の船大工を当たりな」
〝汽船〟という言葉をルシルは聞いたことがなかったが、勉強熱心なエルザは心当たりがあった。
西方のローラシア大陸にある国で開発された技術で、船の両舷に大きな水車のような外輪を取り付け、それを巨大なボイラーを用いた蒸気機関で回すことによって推力を得る船という事を海外の文献で読んだ記憶があった。
しかしそれはコーミンが指摘したように、波の荒い外洋ではその外輪が舵を困難にする上に波に翻弄されてほとんど推力を得る事も出来ず、またボイラーとそれを焚く為の大量の石炭による重量の増加で、その速度はブルー・セレンと比べるどころか、殆どの帆船の半分以下だという話だ。
そんな船が今回の任務に向いているはずもない事はメネシスも十分に理解しているはずだ。
エルザは心配そうにメネシスを見たが、当のメネシスはいかにも楽しそうに唇の端をわずかに上げていた。
「もちろんそうさ! さすがに詳しいじゃないか、旧い友よ」
「馬鹿にしてるのかい? 学生の頃からのお前の悪い癖だよ、メネシス。そうやって勿体ぶって語るのは、ガレリア教授とそこに居たいけ好かない野郎にそっくりだ」
「おっと、悪かったね」
メネシスは悪びれずに製図台の端の軽く腰掛けると、愉快そうに続ける。
「蒸気機関で外輪を回すことが海の航海に向いていない事は百も承知だよ。だからこそあたしは、リーデン学術院きっての科学の天才が研究していた理論を、今こそ利用するべきだと思っているのさ」
その言葉にコーミンの顔ににわかに緊張が走った。
「……螺旋式推進器を使おうと言うのか!?」
メネシスの顔が妖しく歪む。心の底から楽しそうな傍から見れば邪悪にも見えかねない笑顔だ。
「いかにも。螺旋式推進器なんて野暮ったい名前ではなく、あたしはスクリュープロペラと呼んであげたいけれどね」
今まで冷静だったコーミンは、明らかに動揺していた。
メネシスから奪った本を床に落とすと、よろよろと歩いて壁の本棚に手をついた。
「あれは……あれは理論上は完成しているが、ダメだ。解決できない問題がある」
「プロペラの精度と、蒸気機関の燃料による重量の問題の事かい?」
コーミンがハッとしたように顔を上げてメネシスを見る。
メネシスは愉快そうに微笑みながら言う。
「あんた、さっき自分で言ったじゃないか。技術と言うのは日進月歩だ、と」
製図台から立ち上がったメネシスは怪訝な顔をしているコーミンの脇まで歩み寄ると、その肩に手を置いた。
「スクリュープロペラをあんたの求める精度で作れる技術者は、ドルファンにいるあたしの仲間が確保している。それに」
メネシスの眼鏡が部屋の中の燐光灯の光を反射し、きらりと光った。
「あたしの本職は化学(リバイテック)。燃焼効率が高く軽量で、なおかつ燃焼時間の長い素材を用意してあげるよ」
それを聞いたコーミンは震える手で添えられたメネシスの手を掴んだ。
「ほ、本当か? 本当にそれを用意できるんだろうな」
「あたしを誰だと思っているんだい。天才化学者のメネシス様だよ。それに今回は出資者に関して確保しているんだ」
そう言ってメネシスはエルザの方を見る。
エルザは思わず視線を逸らしたが、当のコーミンはもはやこちらを見ていなかった。
「……出来る。だったら出来るぞ! やってやろうじゃないか、ブルー・セレンよりも速く、無風でも動く船造りを!!」
興奮気味に声を上げたコーミンはメネシスの手を掴んだまま「ヒッヒッヒッ!」と魔女のような笑い声を上げる。
それに呼応するように、怪しく眼鏡を光らせながらメネシスも笑い出した。
その異様な光景を目の当たりにしたルシルは呆れながら呟いた。
「結局、似た者同士って事かよ。まるで魔女のサバト(集会)だぜ……」
その言葉に頷きながら、エルザは苦笑するしかなかった。