続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ドルファンの秋は足早に過ぎて行き、冬が玄関のドアをノックする十二月の初週。
忠正はサウスドルファン駅の外れ、薄暗い隅の方で何気なく壁にもたれており、すぐ隣のベンチに腰かけている冬服のパトリツィアとさりげなく会話をしていた。
駅の隅の方なのでまわりに人はいないが、一応ベンチもある場所なのだから人が座る事を想定しているスペースだ。だが、馬車を待つ客が雨に濡れないように大きなピロティになっているサウスドルファン駅のその一角は、そとの光もあまり届かずに薄暗い雰囲気を持っており、密かに話をするのにはうってつけの場所だった。
「あなたが連中の刺客と戦闘になって以来、フィーの観察をしていた連中も鳴りを潜めているわ」
口の動きを隠す為にマフラーで口元を覆ったまま喋るパトリツィアに、忠正は視線を向けずに独り言のように応じる。
「こちらの動きを警戒している、という事かな」
「さあ。ただ、向こうとしてはエリータス家のナイフを持った人間が、何故自分たちに敵対するような行動を取ったのか、まったく理由がわかっていないでしょうね。恐らく必死になって調べている事でしょう」
忠正は小さくため息を吐く。こぼれたため息は白くなってすぐに消えた。
「ジュリアン・エリータスはその後、寮に来たりはしていないかい?」
「あれ以来そういった事は起こっていないわね。もっとも、下校時の通学路で待ち伏せは三回ほどあったけれど、私が事前に察知していたので遠回りしたり迂回させたりで接触は避けているわ」
「そうか……」
こうして放課後にパトリツィアと情報交換をするのはすでに二度目だった。
毎回喫茶店で情報交換をするのは人目につくし、忠正の安い給金では痛手が大きい事もあり、人目につきづらく、なおかつあまり不自然ではない場所という事でここが二人にとってお決まりの場所となっていた。
ジュリアン・エリータスとフィオナの問題は、根本的には何も解決していない。
エリータス本家に出入りしている謎の刺客がいるという事は突き詰めたものの、それが誰なのか、何の目的があってフィオナの周辺に現れるのかはわかっていない。
結局こちらは大した収穫もないままで、むこうが行動する事を躊躇っているだけである事を忠正は歯がゆい思いでいた。
順調に行けば船大工のスカウトに出ているルシル達もあと二週間足らずで帰還するだろう。
そうすれば新造船の建造に取り掛からなければならず、あまりフィオナの事に時間を割けないかもしれない。
せめて今のうちにある程度の進捗が欲しい忠正は、一人ジレンマを抱えてやきもきとしていた。
「それはそうと」
苦虫を嚙み潰したような顔をしている忠正へ、パトリツィアはいつもの口調でさらりと語りかけた。
「最近、かもしか亭のサラが空気の抜けた風船のようになっているのだけれど、何か心当たりはないかしら。あの元気だけが取り柄のような娘がしょぼくれているので、フィーが心配しているの」
その言葉に忠正は思わず片方の眉が反応してしまった。
無関心を装っているパトリツィアではあるが、その観察力が忠正のその変化を見逃すはずもなかった。
「心当たりがありそうね」
呆れたように言うパトリツィアに忠正は後ろの壁に頭をもたせ掛けると、そのまま上を向いて言う。
「心当たりはあるが、なぜサラの元気が無いかはわからない。神に誓って言うが、何かがあったわけじゃないんだ」
「ふうん」
パトリツィアは興味がなさそうに頷いたものの、視線を駅を行き交う人々の方へ向けながら言葉を続けた。
「もうすぐクリスマスなのだから、それまでになんとかした方がいいんじゃないかしら。王宮のパーティーにあなたが来るのかどうかをフィーが気にしていたし、サラとも何かわだかまりがあるまま会場で顔を合わせたら気まずいでしょう?」
パトリツィアの言葉に忠正は驚いたようにそちらを見た。
「普段はあまり友達に興味がなさそうな素振りのキミに、そんな事を心配されるなんてちょっと意外だったな」
パトリツィアはマフラーの位置を直しながら立ち上がり、忠正の方を振り向いて呆れたような口調で言った。
「誰にでもいい顔をしていると痛い目を見るわよ。まあ、私には関係のない話だけれど」
その言葉を残して歩き去っていくパトリツィアの後ろ姿を、忠正は困ったような顔でみつめていた。
サウスドルファン駅を後にして、ふらふらと考え事をしながら歩いていた忠正は、気が付くとセリナリバー運河脇の遊歩道に差し掛かっていた。
静かな運河沿いのこの遊歩道は若いカップルに人気の場所であり、ドルファンのデートスポットの定番の場所でもある。
平日の夕方という事もあり歩いている人の数は多くはないが、その中でも数組の仲睦まじいカップルを見つける事が出来る。
そんなカップル達を茫然と眺めながら、忠正は思考を巡らせていた。
サラに誘われて行ったフラワーガーデン。自分は特に気にしていなかったが、サラにとってはデートのつもりだったのだろうか。
いや、そうだったのだろう。
あの日のサラはいつもと違うよそ行きの恰好をしていた。髪型も違っていたし、少なからずオシャレをしていた。
ではそれは誰の為かと言えば、相手は自分しかいなかったわけだし、自分の為にしてくれていた事に他ならない。
そうだとすれば、あの日、アンと偶然に出会った事でサラが帰ってしまった理由が忠正には全く思いつかなかった。
仮にサラがデートのつもりだったとすれば、あのまま一緒にいればよかったのだ。
あの時、自分がどんな顔をしてアンに話しかけていたのかを知らない忠正にはそうとしか考えられないのだ。
だからと言って“かもしか亭”は行きつけの食堂であるわけだし、食事に行く機会は多い。
サラの母親のハンナの手前もある。サラに対して何か悪い事をしてしまったのであれば、それは謝らなければならないし、何か考え違いをさせてしまったのであれば誤解は解かなければならない。
思春期の多感な年齢から軍に所属して禁欲的な生活を送っていた忠正はとにかく男女のそういう機微に疎かったし、元々読書好きで同じ年頃の友人との関りを持とうとしなかった弊害と言えた。
意を決して顔を上げた途端、不意に目の前にあらわれた女性とぶつかりそうになり、忠正はあわてて体を半身になってかわしたが、その女性は「きゃあ!」と声を上げながら尻もちをついてしまった。
「すみません! 考え事をしていて……」
そう言いながら手を差し伸べた忠正だったが、地べたに座るその女性には見覚えがあった。
金と茶の間くらいの色をしたボブカットの髪を後ろで一つにまとめ、若干垂れ目の大きな緑色の瞳が申し訳なさそうにこちらを見ている。
以前会った時は薄汚れた革の作業着を着ていたが、今日は女性らしいが垢抜けないベージュのワンピース姿のその相手は、鍛冶屋の娘ブリジット・ファビオーニであった。
「こ、こちらこそすみません……」と言いながら、おどおどと忠正の手を取って立ち上がったブリジットはスカートの埃を手で払うと、あらためて頭を下げて早口で言った。
「ご、ごめんなさい。あの、歩いているお姿をお見掛けしたので、先日修理したレイピアの調子はどうかお伺いしようとしたのですが、どうやって声をおかけしたものか迷ってしまって、なんとなくお声をかけそびれていたら距離が近くなってしまいまして……!」
一気にまくしたてつつも、視線があちらこちらへと忙しく動く。
その様子に忠正は思わず微笑んだ。
「オレも不注意で申し訳ありません。レイピアはありがとうございました! あれからとても使いやすくなりましたし、切れ味も今まで以上に良くなったので喜んでいたところです」
「ほ、本当ですか!? 良かったぁ……」
胸の前で両手を組んだブリジットは、大きく安堵のため息を吐いた。
「今日は作業着ではないのですね。散歩ですか?」
忠正が言うと、ブリジットは白い頬をほのかに桃色に染めながら答えた。
「商業ギルドの集まりの帰りなんです。父はそういう集いが苦手なので毎回私が名代として参加しているのですが、流石にまともな恰好をしていかないといけませんので……」
その言葉に忠正は以前見かけたブリジットの父親を思い出していた。
無口で無愛想でいかにも職人気質といった老人だったが、面倒見が良く、銀細工職人の工房をわざわざ紹介してくれたものだ。
商業ギルドの集まりに代理を立てるなど、いかにも彼の老店主のイメージにピッタリだった。
「ギルドの集まりはこの辺りで?」
忠正が言うと、ブリジットは首を振った。
「いいえ。集まり自体はサウスドルファン駅近くの商工会議所で行うのですが、滅多に工房から出ないから、物珍しくてついフラフラとここまで歩いてきちゃいまして……」
「なるほど。でも、物見遊山ならキャラウェイ通りや城東大通りの方が面白いものも多いんじゃないですか?」
年頃の娘が買い物をするならブティックや宝石店などが軒を連ねるキャラウェイ通りか、アクセサリーの露店などが並ぶ城東大通りがセオリーだ。
知識としてそういった事を知っている忠正ではあるが、所詮は書物で齧っただけの知識でしかない。
ブリジットは控え目に頷いたが、遊歩道を歩くカップルに目線を向けて呟いた。
「人ごみが苦手と言うのもあるのですが、ああいう人達にやっぱりちょっと憧れます」
言い終わって自分の言った言葉に気付いたブリジットは、顔を真っ赤にしてあわてて顔の前で手を振った。
「あ、私、何言っているんですかね!? あの、忘れてください! たわ言です、妄言です、気の迷いです!!」
必死に取り繕うブリジットだったが、忠正は至って真面目な顔で答えた。
「ブリジットさんもああいうものに憧れるのですね……。不躾ですみませんが、ちょっと相談に乗っていただけませんか!?」
「え、ええ!?」
思ってもみない言葉に、ブリジットは困惑の表情を浮かべた。
戸惑い気味の二人は遊歩道のベンチに並んで座り、忠正は神妙な顔で切り出した。
「すみません。こんな話、誰に相談したら良いかもわからず」
忠正の重苦しい雰囲気にブリジットは固唾を飲んだ。
「い、いえ。あの、お力になれるかはわかりませんが、まずはお話伺います」
とにかくサラの気持ちもなぜこんな事態になったのかもわからない忠正は、カップルに憧れを抱いているブリジットならばサラの気持ちが少しはわかるのではないかと思い、相談を持ち掛ける事にしたのだ。
ブリジットはハンナの事を知っているので、サラの名前は伏せておいたが、知り合いの女性に誘われた事、いつもと違うオシャレをしてきた事、フラワーガーデンでの一連の出来事、その後のサラが元気がない事などを事細かに説明した忠正は、頭を抱えたまま言った。
「どうでしょうか。オレには彼女が帰ってしまった理由も最近元気が無い理由もさっぱりわからなくて……」
時折相槌を打ちながら黙って聞いていたブリジットだったが、忠正の言葉を最後まで聞くと明らかに不快そうに口をへの字にしながら言った。
「あの、私も女なのでその子の気持ちがよくわかりますが、キサラギさん、はっきり言って最低ですよ?」
いつもオドオドとした口調で話すブリジッタがこれほどはっきりと強い口調で言葉を発する事からも、流石にただ事ではない事を察した忠正は絶望の表情で顔を上げた。
「ど、どのあたりが最低でしょうか……」
今にも消え入りそうな声で言う忠正に、ブリジットは侮蔑の表情を浮かべたまま怒りを含んだ声で言った。
「もう、全部ですよ、全部! まず女の子から勇気を出して誘ったお出かけで一生懸命オシャレもしたのに褒める事もなく、二人で出かけたフラワーガーデンで『花よりも君の方が綺麗だよ』くらいの言葉もかけず……」
「いやいや、そんなキザな言葉をかけるやつなんて見た事ないよ」
「黙っていてください!」
ブリジットの勢いに忠正は身を縮ませた。
「不慮の出来事だったとしても、デート中の相手を放っておいて姉弟喧嘩なんかして……」
それは全くの偶然だったし自分の責任では無いのでは、と忠正は思ったが黙っている事にした。
ブリジットは勢いそのままに続ける。
「挙句の果てには別の女性に鼻の下を伸ばして! しかもその人が気を使ってくれたのにも関わらず、そこで会話を切り上げずにいつまでもデレデレしちゃって……!」
ありのままの内容を伝えたつもりではあったが、デレデレしていたというのはブリジットの主観が混じった曲解のような気がするが、忠正は引き続き黙って続きを待った。
「私がその子の立場だったら、キサラギさんを引っ叩いて帰っちゃいますけどね! そうしなかったのはその子の優しさですよ! わかってます!?」
鼻息も荒くまくしたてるブリジットに忠正は俯きながら頷く。
「はぁ。キサラギさんって剣のお手入れをちゃんとする、真面目でマメな方というイメージでしたが、ちょっとガッカリです……」
「面目ない」
まさかここまで責め立てられると思っていなかった忠正であったが、お陰で自分がサラに対してどれだけひどい行動をしていたかは理解出来た。
「ブリジットさん、オレはその子に対してどうしたらいいだろう?」
忠正の反省した態度を目の当たりにして、ブリジットは先ほどまでの興奮がやや落ち着いてきていた。
まくしたててしまった自分を少し恥ずかしく思いながらも言葉を返す。
「どうしたらいいかはわかりませんが、しっかり謝罪するべきだとは思います。そもそも……」
ブリジットは忠正の顔を覗き込んで言う。
「キサラギさんはその子の事をどう想っているんですか?」
「え!?」
その直球すぎる質問に、忠正は咄嗟に答える事が出来なかった。
サラの事が嫌いなわけがない。
“かもしか亭”の看板娘として明るく接してくれるし、何かと縁のあるフィオナ達三人娘
の一人として、好きか嫌いかで言われれば圧倒的に好きだ。
だが、それはフィオナに対しても同じ事が言える。
敵か味方かよくわからないパトリツィアの事は置いておいたとしても、忠正にとってサラもフィオナもドルファンで知り合った大切な友人だ。
そこに男女間の特別な感情があるのかと言うと、わからないというのが正直なところだった。
軍師として卓越した能力を持ち、その圧倒的な知識から下される冷静な判断と柔軟性のある発想により“百識のサリシュアン”の二つ名で呼ばれる忠正ではあるが、その中身は初恋も経験したことのない初心な男に他ならない。
彼の中で母親以外の身近な女性と言えば、乳母かわりの姉やであるプリムというメイドと、双子の姉のロゼッタだけだった。
だがドルファンに来て以降彼のまわりにはフィオナとサラだけでなく、パトリツィア、ルシル、エルザを始め、今目の前にいるブリジット、そしてアンとの出会いがあった。
多種多様な人々との出会いがあり、そのどれもが特別だ。
思い悩む忠正の姿に、ブリジットは少しだけ気を使いながら言葉をかけた。
「キサラギさんのその誠実な態度は悪くないと思いますが、自身の中で特別な人をみつけていかないと、色々な人を傷つけてしまうかもしれませんよ。……なんて、恋愛経験が大してあるわけでもない私に言われても説得力がないかもしれませんが」
「特別な人……」
ブリジットの投げかけたその言葉に忠正の脳裏にすぐに浮かんだ女性は明確だった。
姉やのプリム。彼女は忠正にとって間違いなく“特別”な存在だ。
だがそれは肉親以外で血のつながりはないが “家族”という意味も含まれる。
明るい笑顔を浮かべるプリムを思い浮かべるのは容易く、彼女の笑顔を守る為ならばどんな事だって出来る、と忠正は思った。
そう思いながらも、頭の中のプリムの影にわずかに別の女性の姿がちらついた。
大人びているようでどことなく幼い、優しく微笑むその笑顔。
「キサラギさん?」
ブリジットの声に我に返った忠正はあわてて首を左右に振ると、顔に手をあてて言った。
「ブリジットさん、ありがとうございます。何をすればいいのかはまだわかりませんが、自分の中で少しだけ答えへの手がかりが掴めたような気がします」
先ほどまでの意気消沈とした言葉ではなく、しっかりとした口調で言う忠正にブリジットは驚いた。
「い、いえ。お役に立てたなら良かったですが……」
忠正は立ち上がり、沈みかけた太陽の赤い光に目を向けた。
「さあ、暗くなる前に帰りましょう。サウスドルファンまで送りますよ」
迷いなく言う忠正に、ブリジットは目をぱちくりとしながら頷いた。