続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【5】氷点下の微笑

 夜のサウスドルファンの街並みは四月の終わりの暖かさに包まれており、スィーズランドの夜とは違って上着も必要としないほどであった。

忠正は自分よりも背の高い上司と並んで歩きながら海軍の制服のコートを手に持っていた。

隣のジョアンは佐官用の制服を着崩す事もなく、コートも持っていない寛いだ様子で上機嫌に忠正に話しかけた。

 

「さて、美味いものでもと言ったものの、あまりこの辺りの店に明るくなくてな。何かいい店はないか?」

 

そう言われて咄嗟に忠正の頭に浮かんだ店は『かもしか亭』だったのだが、それを提案するのは若干憚れた。

仮にも貴族であり、旧家の両翼と呼ばれる名門の出身であるこの上司を、いわゆる定食屋のような店に案内して良いものかと思ってしまったのだ。

 

「えーと、私もまだここに来て日が浅いので、あまり店に詳しくなくて……」

 

しどろもどろに言いながら、忠正は通りをきょろきょろと見渡して雰囲気の良さそうな店を探す。

ふと目に留まったのは駅前の一等地にありながら、地下へと続く階段の店構えがそれなりの気品を持った酒場の入り口だった。

 

「あちらの酒場はどうでしょうか」

 

忠正が店を指さすと、ジョアンはちらりと見ながら頷いた。

 

「ふむ、まあいいだろう。入った事はないが、悪い噂は聞かない店だ」

 

生粋のドルファン育ちであろうジョアンが、この駅前の酒場に入った事がないという事になんとなく貴族と庶民との文化的格差を感じつつ、忠正は階段を下りて店の重いドアを開けた。

 

 店の中はすでに葉巻の紫煙と強い蒸留酒の匂いが漂っており、所々の燐光灯ではない蝋燭のゆらゆらと揺れる明かりで独特の雰囲気があった。

調度品は超高級品とはいかないまでも、上品で質の良い落ち着いた物が揃えられていて、この店がそれなりの風格を持った店である事を物語っていた。

店内は奥のバーカウンターとその手前にボックス席がいくつかある。

ボックス席から降りられるフロアがあり、そちらはポーカーテーブルがある事から、カードを楽しみながら酒を飲む事も出来るようだ。

すでにどの席にもまばらに客が入っており、思い思いに楽しんでいるのが見てとれる。

タキシードを簡略化した制服を着た男性の店員が、忠正達に気付くとすぐに近づいてきた。

 

「いらっしゃいませ。お二人様ですね。カウンターとテーブル、どちらがよろしいでしょうか。それともカードを?」

 

ジョアンは興味深げに店を見渡した。

 

「食事がしたいのでテーブルがいい。メニューを用意してくれ」

「かしこまりました」

 

店員に案内され、二人は店の奥のボックス席に落ち着いた。

席に着くのと同時に提供された羊皮紙に書かれた品書きを忠正が眺めていると、ジョアンが口を開いた。

 

「キミはスィーズランドの出身だったな。ドルファンとは食べ物に違いがあるのか?」

「さほど大きな違いはないですね。そもそも私の育った家のメイドがドルファン出身なので、ドルファン料理で育ったようなものですし」

「ほう、ドルファン出身のメイドがいたのか」

 

言ってしまってから忠正はしまった、と思った。メイドがいる家庭など、ジョアンのような貴族であったり、それなりに裕福な家柄でなければ通常はありえない。

スィーズランドの我が家が裕福だったわけではないが、あのメイドは〝訳あり〟だ。

だが忠正の心配を余所にジョアンは品書きを忠正から取り上げると、ワインリストと交互に眺めながら続けた。

 

「何か食べたいものはあるかね?」

「少佐にお任せいたします」

「そうか。飲み物はどうだ。ピュエリでも?」

「いえ、そうですね……あれば紅茶を」

 

ジョアンは一瞬メニューから目線を外して意外そうに忠正の顔を見たが、店員を呼ぶと言い淀む事もなくスラスラといくつかの注文をした。

頼んだメニューの内の何品かは、忠正のひと月の給金の半分は吹き飛びそうな値段だった。

いくらも待たずにテーブルに赤ワインのボトルと忠正の紅茶のポットとカップが供され、二人はとりあえずの乾杯をした。

 

「久しぶりだな。外食をするのは」

 

ワインを一口飲んで頷きながら言うジョアンに倣って、忠正もカップの紅茶を口にした。

 

「これは……」

 

故郷スィーズランドで紅茶好きの母がよく飲んでいたものによく似た味だった。

忠正自身はそれほど紅茶にこだわりがあるわけではないが、思わぬ懐かしい味になんとも言えない満足感を覚えた。

ワイングラスを片手で揺すりながらジョアンが言う。

 

「キミは紅茶が好きなのかね」

「いえ。母が紅茶好きでして、よく付き合って飲んでいたので馴染み深いというか」

「そうか。妻も紅茶が好きでね。なんでも学生の頃の友人の影響だそうだが」

「奥様とは外食はなさらないので?」

 

忠正の言葉に、ジョアンは少し寂し気に応じた。

 

「妻はなかなか多忙でな。普段あまり家に滞在できないし、帰ってきても我が家で家族とゆっくりと食事が出来る方が好きなんだ。もっとも、そんな機会も最近は少なくなってしまったが」

 

相槌を打ちながらも忠正はいささかの疑問を感じていた。

貴族の妻とは、かくも忙しいものなのだろうか。

忠正の知る貴族の妻は晩餐会やダンスパーティーなどに参加する事はあっても、夜の時間に夫を置いて何かをするような機会はあまりないはずだった。

 

「奥様は何かお仕事でもされているのですか?」

 

素直な疑問を口にした忠正に対し、ジョアンはワインを傾けつつため息まじりに言った。

 

「ああ、劇団に所属する歌姫なんだ」

「歌姫!?」

 

忠正が思わず大きな声を出すと、ジョアンはさほど興味もない素振りで言った。

 

「劇団アガサを知っているかね?」

「もちろんです。劇団アガサと言えば、ドルファンどころか南欧でも北欧でも、全欧中で大人気の劇団じゃないですか。スィーズランドでもすごく熱烈に支持されている劇団ですよ」

「ふむ。私は演劇にあまり興味がないので人気の程までは知らんが、妻はそこの歌姫なんだ」

「え!?」

 

予想外の言葉に、忠正は口にした紅茶を危うく吹き出すところだった。

劇団アガサの人気は圧倒的だ。ドルファンの劇団であるにも関わらず、そのあまりの人気で国外からも出演依頼がひっきりなしに来るほどで、少なくともこのトルキア地方でその名を知らぬ者などいないだろう。

そしてその劇団の歌姫と言えば、老若男女問わず誰もが憧れる圧倒的な偶像と言ってもいい。

忠正は咳払いをしつつ、至って平静を保っているジョアンに言った。

 

「あの、劇団アガサの歌姫と言えば有名な方が何人かいらっしゃいますが、奥様のお名前はなんと言うのですか? 少なくともエリータスの名を持つ方はいらっしゃらなかったかと記憶しています」

「なんだ、キミも演劇に興味があるのか?」

「劇団アガサの歌姫と言えば、それはもう一般常識と言ってもいいレベルの知識ですよ」

「大袈裟だな。妻は結婚前の姓を芸名として使っているのだ。名前はソフィア・ロベリンゲと言う」

「!!??」

 

今度という今度こそ忠正は口に含んだ紅茶を盛大に吹き出してしまった。

ジョアンは咄嗟に横にずれてそれを避けたが、露骨に不機嫌そうな顔をした。

 

「汚いな。なんのつもりだ」

 

忠正はあわててハンカチでテーブルを拭きつつも、狼狽えながら言った。

 

「ソ、ソフィア・ロベリンゲ!? 劇団アガサの!?」

「そうだ」

「アガサで一番人気の歌姫じゃないですか! 歌の女神の生まれ変わり、天使の歌声と謳われる、あの!?」

 

興奮して声が大きくなった忠正を、周りの客達が迷惑そうに見た。

それを察した忠正は、声を潜めてジョアンを覗き込んだ。

 

「少佐、本当ですか」

 

ジョアンはため息を吐きながら頷いた。

 

「外国人であるキミにそこまで褒められて悪い気はしないが、こんな嘘をついた所で何の得もしない」

 

忠正はにわかには信じられずに顔をなでた。

忠正自身はソフィア・ロベリンゲの歌を直接聴いた事はないが、その名声と人気が圧倒的である事はよく知っていた。

ソフィア・ロベリンゲが歌う舞台のチケットは一瞬で売り切れてしまうし、海外からの出演依頼が多い理由も、彼女の人気故にだった。

普段芸術や芸能にまるで興味を示さない母親が唯一スィーズランド首都まで公演を見に行ったのも彼女の舞台だった。

 

 

 忠正は冷静さを失っていた自分に気が付き、軽く咳払いをして少し冷めてしまった紅茶を飲んだ。

ジョアンの妻が劇団アガサの伝説的な歌姫であるソフィア・ロベリンゲであるという事はわかった。

それが本当ならば公演や稽古で忙しいだろうし、不在がちなのも納得がいく。

とても信じられないような事実だが、それでもジョアンが旧家の両翼エリータス家の人間である事を考えれば、あながちおかしな話ではない。

あまりにも自分とかけ離れた世界の話に若干冷静さを失っていただけだ。

しかし、ロベリンゲという姓は若干気になる。

育ちの良いお嬢様であるフィオナと同じ苗字だが……

 

そんな忠正の思考を打ち切るように、タイミングよく料理が運ばれてきた。

ジョアンは自分の酒の肴として塩と香辛料を利かせた高級な何かの干し肉と、乾燥させた果物をいくつか頼んでいた。

忠正にはドルファンの名物料理であるティーボーンステーキ、米を魚介のスープで炊いたものが供された。

忠正はさすがに自分の給金ではとても手の出ない料理を前にして、フィオナの事について考えるのは止めた。

考えたところでそれほど重要な事ではないし、仮にフィオナがジョアンの娘であったとしても忠正自身にはあまり関係のない事だ。

二人はしばし食事に集中しつつ、たまに他愛もない会話を交わすにとどまっていた。

 

テーブルの料理もほどほどに空になってきたという頃に、忠正とジョアンのテーブル横に灰色の長いローブを頭から被り、片手に小さなハープを持った怪しい雰囲気の人物が歩み寄ってきた。

その怪しい出で立ちは異様ではあるが店員達が気にしていないという事は、この店舗がこの人物の徘徊を容認しているという事だ。

ローブの人物はテーブルの横に立つと、静かな声で言った。

 

「もし。私は流しの吟遊詩人でございます」

 

その声は女性のもので、どちらかと言うと低く落ち着いており、ある程度の年齢を感じさせた。

そのフードの女はジョアンと忠正の訝し気な視線を受けながらも言葉を続けた。

 

「その制服、軍部の方とお見受けいたします。よろしければ武運向上の歌を歌わせていただけませんでしょうか」

 

若干酒に酔っている事もあり、ジョアンはその言葉に僅かに興味を示した。

 

「ふむ。吟遊詩人とは面白いじゃないか。どれ、一曲歌ってもらおうか」

 

流しの吟遊詩人など金をせびる以外になんの役にも立たない連中なのに、と忠正は思いながらため息を吐いた。

 

「ありがとうございます」

 

そう言いながら吟遊詩人はフードを下ろした。

そうして露わになった素顔に、ジョアンも忠正も息を飲んだ。

銀色の美しく長い髪と陽の光を知らぬような真っ白な肌。線の細い顎のラインとすっと通った鼻筋。ほんの少し青みがかった氷河のような灰色の瞳と整った二重瞼の大きな瞳は、どこか寂し気で切なそうな視線を送る。

まさに絶世の美女といえるような、その美しさ故にどこか冷たい雪原のような雰囲気さえ感じるような女性だ。

 

ただ、ジョアンと忠正が息を飲んだのはその美しさからではなかった。

その女性は絵に描いたような美女だったのだが、その左目の下から口元にかけての頬に一筋の長く醜悪な傷痕がはっきりと刻まれていたからだ。

美しい顔立ちと壮絶な傷痕が何とも対極的で、一種独特な迫力さえ醸し出している。

女はジョアンを見たあとに忠正を見た。

そして忠正と目が合うと、その美しい顔に妖しい微笑を浮かべた。

その言いようのない冷たさに忠正は無意識に肌が粟立つのを感じた。

 

「では唄わせていただきます。私の故郷で武運長久の願いを込めた歌になります」

 

ハープを爪弾き、女は静かに歌い始めた。

 

──シベリア語?

 

聞き馴染みのない歌詞の言葉に忠正は反応したが、ジョアンはその美しい歌声に聞き惚れていた。

 

 

 美しく澄んだ声で一曲歌い上げた女は、深々と頭を下げた。

 

「お耳汚し、失礼いたしました。お二人の活躍をお祈り申し上げます」

 

女の言葉に、目を閉じて歌に聞き入っていたジョアンが手を叩いた。

 

「素晴らしい歌声だった。まあ、私の妻には及ばないが」

 

そう言って高笑いをしながら金貨を一枚取り出し、女の手に握らせる。

女はもう一度深々と頭を下げながら言った。

 

「私は週に何度かこの酒場に参ります。またお立ち寄りの際は是非お声がけ下さい」

「はっはっは。まあ、考えておこう」

 

すっかり悦に入っているジョアンを余所に、忠正は紅茶を口にした。

シベリア語の吟遊詩人。

年齢不詳のその美しい容姿はともかく、頬の醜い傷痕は刃物によってつけられたものだ。

普通の生活を送って来たただの吟遊詩人では無さそうだ。

どんな素性かはわからないが警戒しておくに越した事はない。

そんな忠正の疑心を感じ取ったのか、女は忠正の方を見てまた妖しく微笑みながら小さな声で言った。

 

「そちらの方は、とても美しい瞳の色をしておられる」

 

その言い知れない冷たさに圧倒されつつも、忠正は言葉を返す。

 

「お褒めにあずかり光栄だな。でも、あなたの美しさの前では、オレの瞳の色など道端の石ころのようなものさ」

 

女は冷たい微笑のまま目を細めた。

 

「そのルビーのような瞳の色には見覚えがあります」

 

その言葉の持つあまりの冷たい雰囲気に、忠正はもう一度肌が粟立った。

 

「あなたとは初対面だと思いますが」

 

女は再びフードを頭に被りながら、低く笑った。

 

「もちろんそうですとも。ですが、あなたの様な美しい赤い瞳の人を長年探していたもので」

 

フードで表情が隠れてしまったので、女の感情が読み取れないが、思い出を掘り返して喜んでいる様子は見れない。

忠正は軽く息を吸い込むと、女に声をかけた。

 

「あなたの名前を聞いても?」

 

女は一瞬動きを止めたが、すぐに静かな声で言った。

 

「ティア。ティア・スリザーと申します」

 

偽名だ、と忠正は一瞬で見抜いていた。

ティアは遠いイングレス王国の言語で、スリザーはシベリアの言語でそれぞれ“涙”を意味する言葉だ。

ティアと名乗る女はフードの下でくすくすと笑うと、ハープを片手に持ったままローブの裾をつまんで腰を落とした。

 

「それでは、またお会いしましょう。ドルファンの勇敢な騎士様」

 

そう言ってテーブルから去っていく女の後ろ姿を、忠正は緊張の面持ちで見送った。

 

 

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