続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ティア・スリザーの奇襲は完璧なタイミングと言えた。
まさかこの吟遊詩人が襲い掛かってくるとは思ってもいなかったロゼッタの首筋を狙い、右手に構えたナイフを正確に突き入れた。
誰もがティアの動きに反応出来ないでいる中、ロゼッタだけは違った。
ティアが地面を蹴ったその瞬間には、彼女はすでに猫のようなしなやかさで左に飛んでいた。
ティアのナイフは空を切り、奇襲に失敗してわずかに上体が泳いだところに、左に飛んだロゼッタがまさかの反応速度で着地と同時に体当たりを仕掛けた。
これには流石のティアも成す術がなく、ロゼッタの体重と突進力をまともに食らって数メートル吹き飛び、ダンスフロアに転がった。
だがティアも転がりながらもすぐに立ち上がり、ナイフを前に突き入れるような姿勢で構える。
体当たりを仕掛けたロゼッタは間髪を入れずに体制を整えており、ティアに向かってドレスの足を開きながら徒手空拳で構えを取った。
体のラインにぴったりと沿ったドレスのスカートのスリットから、片足だけ白い足が露出した。
「随分なご挨拶じゃない?」
構えたロゼッタがやや挑発気味に言うが、ティア・スリザーは射殺さんばかりの視線のまま何も言葉を発さずナイフをロゼッタに向けた。
ダンスフロアでこの後の演奏に備えていた楽団員達がざわざわと声を上げ始める。
ナイフを持った不審な人物の乱入に誰も悲鳴を上げなかったのは王城で演奏できる楽団だからこそだ。
「ティア・スリザー……!」
忠正はロゼッタの隣でレイピアを引き抜くと、ティアに向けて構える。
この吟遊詩人は確かに以前から少し不審なところはあったが、まさか何者かの刺客だとは思っていなかった。
しかし、この場にナイフを隠し持ってきているという事は確実に危険因子である事に間違いはない。
「大胆な行動だが無駄な抵抗はやめた方がいい。すぐに騒ぎをききつけた近衛兵達が来るぞ」
「うるさい、黙れ。私はその女に用がある」
「私はあなたとは初対面だと思うけれど」
「お前のその紅い瞳、一日でも忘れた事などなかった」
「わお。熱烈なファンもいたものね」
ロゼッタがそう言うもののティアの怒りに満ちた視線は変わらず、今にでも襲い掛かってくるような勢いだ。
――“隠密のサリシュアン”と、ティアは言った。もしかしてローゼの事ではなく……
そう考えた忠正だったが、今は思考を打ち消して目の前の事態に対応しようと気持ちを切り替える。
「ティア・スリザー。お前を逮捕する!」
ティアは忠正の事をまるで無視し、ロゼッタに向けて蛇が鎌首をもたげるかのように尋常ならざる殺気を放ちながらじりじりと距離を詰めてきていた。
そのナイフを前に突き出した構えはレイピアを構える忠正とよく似ており、その事実が忠正の記憶の引き出しに合致した。
「あの時のナイフ使いと同じ構え……!」
フィオナを尾行していた男を追ってマリーゴールドへ忍び込んだ時に襲い掛かって来た灰色のローブの人物。
まさにその人物と同じ構え、そして同じ色のローブに間違いなかった。
エリータス家と繋がりがあるだろう暗殺者がプリシラ暗殺計画の現場に現れ、“隠密のサリシュアン”という名前を口にしてロゼッタに襲い掛かる。
何もかも理解できないが、まずはこの事態の収拾が先だ。
そう判断した忠正が無手のロゼッタを庇うように前へ進み出た時、騒ぎを察知したダンスフロアの警備を担当していた近衛兵二人が槍を手に走り出てきた。
「不審者め、大人しくしろ!」
ティアと対峙している忠正とロゼッタの両脇から走り出た二人は、ティアに向けて槍を構えながら突進していった。
左右正面からの長得物の突きと言うのは実は対処が難しい。
だが斜めに突進してくる近衛兵に対し、ティアは驚くべき反応を見せた。
前へ飛び出したのである。
その虚をついた突飛な動きと初速の速さに、近衛兵達は一瞬ティアの姿が消えたように見えた。
ティアは勢いのまま膝をついてダンスフロアを滑り槍の穂先をかわすと、左側の近衛兵の懐に飛び込むと同時に喉笛へナイフを突き立てていた。
宮廷楽団の音楽が流れるはずだったダンスフロアに、甲高い悲鳴が響いた。
ティアは瞬時にそのナイフから手を離し、近衛兵が腰に差していたブロードソードを鞘から引き抜く。
喉笛を突かれた近衛兵が声にならない耳障りな音を発して膝から崩れ落ちるのと同時に、ティアはブロードソードを構えてもう一人の近衛兵へと突進していた。
もう一人の近衛兵はわずかに防御の構えを取ろうとしたが、圧倒的な速さで突っ込んできたティアのブロードソードに腹部を貫かれ、血を吐いて倒れ込んだ。
その白く美しい顔に真っ赤な返り血を浴びて悪魔のような表情となったティアは、今度は休む間もなくロゼッタへと切り込んだ。
「ローゼ!」
すかさず間に割って入った忠正がブロードソードの一撃をレイピアで受け止める。
鍔迫り合いのような状況になった二人は、剣と剣がこすれる音を聞きながらお互いを睨み合った。
「邪魔をするな! 邪魔をするならお前も殺す!」
激昂して叫ぶティアに忠正は戸惑った。
ティア・スリザーは怪しく信用のおける人物でなかった事は確かだが、このように激情に任せるようなタイプには見えなかった。
「ティア・スリザー。お前が何者か知らないが、すぐに剣を引け! 逃げ場はないぞ!」
「逃げ場だと? そんなもの、この場でサリシュアンを殺せるのなら!」
驚くべき力で強引に押し返したティアは、体制を崩す忠正を無視し、ロゼッタに向かって片手で突きを放つ。
しかしロゼッタは冷静に上体を引いてそれを避けると、後ろへと下がる。
「サリシュアンっ!!」
いまいましそうにティアが声を荒げるのと同時に、二階のフロアを警備していた白い鎧に身を包んだ近衛兵達が、六人程どやどやと螺旋階段を降りてきた。
「何事か!」
床に転がる仲間の無残な姿と、血に染まったローブ姿のティアに近衛兵達はたちどころに状況を把握した。
「緊急事態だ! 無力化しろ!」
近衛兵の一人が警戒の笛を吹き、他の兵たちはティアを取り囲む。
「雑魚どもが、わらわらと!!」
ティアはブロードソードを両手で構えると、近衛兵達へ躊躇なく飛び込んで行った。
階下での緊急事態を知らせる笛の音を聞いた近衛兵団長のコナー・ウォレスとミラカリオ・メッセニ中将は無言のまま顔を見合わせて頷きあうと、すぐにプリシラの脇へと歩み寄った。
そしてメッセニが低く小さな声で言う。
「プリシラ様、緊急事態が発生したようです。すぐに避難を」
その言葉にプリシラは先ほどまでの気さくな態度から一変して真剣な表情になると、凛とした口調で答えた。
「何が起きているのか報告しなさい。中庭には大勢の無辜の民がいるのよ。彼らに危険がないかを把握しないまま私だけ避難する事は出来ないわ」
「……御意」
メッセニは苦虫を嚙み潰したような表情で頷き、コナーへ顎で合図を送る。
プリシラの性格を熟知しているメッセニは、彼女ならばそう言うだろう事はよくわかっていた。
コナーはすかさず部下の近衛兵を走らせるが、その様子を横目で見ていたアルダナルが神経質そうに目を細めてメッセニに声をかける。
「ここは安全なんでしょうね」
メッセニは無表情かつ感情の伴わない声で答えた。
「今、状況を把握しています。王女がこちらにいらっしゃるので、王室会議の皆様におかれましてもこちらで待機ください」
アルダナルは「ふん」と鼻で笑うと、椅子に座っている足を組み替えた。
近衛兵の一人がコナーの元に駆け寄り、耳打ちをしてまた戻って行った。
コナーは一歩前へ出るとその場に跪いてよく通る声で言う。
「階下のダンスフロアにて賊が一人、暴れているそうです。一階を警備していた部下を二名殺害し暴れているそうですが、現場に居合わせた海軍兵士と、応援に向かった部下たちによって対応していますので、間もなく鎮静化できるかと思います」
プリシラは表情を変えずにそれを聞いていたが、すぐに立ち上がり手にしていた杖を振りかざした。
「鎮圧、急ぎなさい。それと、近衛兵の一小隊を組織し増援を出す事。クリスマスパーティーのダンスは中止とするわ。私はこれからバルコニーに出て、国民にパーティーの中止と即時避難を指示します。コナー団長は軍部と協力して民衆の避難を誘導してください」
一瞬の躊躇もなく下されたその指示に、アルダナルは不満そうに顔をしかめた。
「お言葉ですが、そこまでする必要がありますか。たった一人の賊、近衛兵も間もなく鎮圧出来るでしょうし、パーティーの中止はすでに楽しんでいる民草達にいらぬ混乱を与えるのではないですか。それこそ、王室は暴徒の一人も制圧できない無能で無力な者の集まりだという印象を与えかねないのでは?」
その言葉を隣で聞いていたシャルシス・エリータスも訳知り顔で頷く。
だが、プリシラはきっぱりと首を横に振りながら言った。
「賊が一人だけという保証はありません。もしも仲間がいて、会場で爆薬でも使われたらどうするのですか。私の使命は国民の命を守り、生活を守る事です。万が一の可能性を排除できないのなら、国民にそしられたとしても私は命を守る事を最優先にしなければなりません」
プリシラの毅然とした態度はアルダナルの意見を真っ向から跳ね除けるだけの頑なな意思の現われだった。
アルダナルは大きくため息を吐きながら言う。
「王女摂政宮がそう判断なさるなら、これ以上は言いますまい。ですが、そのような弱腰の姿勢ではいつか国民の失意を買い、このドルファン王国の弱体化につながるであろう事は意見しておきます」
「諫言、感謝いたします」
プリシラはそう言うと、マントを翻してバルコニーの方へと歩き出した。
それを合図にコナー団長が部下を引き連れて慌ただしく指示を出していく。
メッセニはプリシラの後に続きながら振り返り、やや投げやりに言い放つ。
「王室会議の皆様におかれては、早々に避難なさるが良いでしょう。プリシラ様はお任せください」
「御冗談を。わたくしも民衆の避難誘導を手伝いますわ」
そう言って立ち上がりコナーの方に走っていくリンダ・ザクロイドを醒めた目でみつめつつ、アルダナルはゆっくりと立ち上がりもう一度大きくため息を吐いた。
隣にローナン・ディビチが近づいていく。
「申し訳ありません。例の吟遊詩人が暴走したようです」
その言葉にアルダナルの隣に座っていたシャルシス・エリータスが勢いよく立ち上がった。
「あの女剣士が! 素性の知れない女だと思っていたが、大丈夫なのだろうな」
叱責に近い言い方のシャルシスの言葉にローナンはやや憮然とした表情を浮かべた。
「貴公が無理な依頼に使いすぎたせいで嫌気がさしたのかもしれん」
「なんだと!」
一触即発のような雰囲気となった二人を、アルダナルが手で制した。
「やめろ。今は計画が失敗した事と、あの女剣士の暴走をどう解決するかの方が重要だ」
「む、むう……」
アルダナルの冷たい視線に射抜かれたシャルシスは思わず口ごもり、それを見ていたローナンは嘲るような笑みを口元に浮かべた。
アルダナルは片眼鏡を外して絹のハンカチで拭って曇りを取ると、鼻にかけながら言う。
「どちらにしろ、プリシラが心配するような事がないのはわかっている。あの女剣士がどれだけ抵抗したとて、結局は一人。無力化されるのは時間の問題だろう」
「その場で近衛に殺されてしまえば口封じにもなる。捕縛されたなら面倒になるぞ」
シャルシスの言葉に頷いたアルダナルは、氷のように冷たい口調で答えた。
「捕縛されたのなら、それはそれでいいでしょう。幸か不幸か、使う用途をなくしてしまったクリスマスのプレゼントもあることだしな」
その底冷えするような言葉のニュアンスと、アルダナルの感情を伴わない瞳にシャルシスもローナンも思わず唾を飲み込んだ。
「野良犬は所詮、野良犬か」
アルダナルはそう呟いて静かに歩き出した。