続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
闇夜の中で火のついた薪を投げれば、その動きは必然的に目に留まる。
ティア・スリザーは忠正の不審な動きにもちろん気が付いてはいたが、それを阻止する為の行動は取れなかった。
目の前に立ちはだかるロゼッタの攻撃はどれも派手な大技ばかりだが一撃一撃の威力が高く、まともに受けてしまえばたちまち致命傷に至るだろう。
いくらプレートメイルを着込んでいても、重要な血管を正確に狙われれば防御力は関係ない。
そして彼女の攻撃は的確にそれを狙ってくる。
そんな派手な大技ばかりでは体力が続くはずもないのが常だが、防御に回る方も消耗は激しい。
再び大振りの上段からの一撃をレイピアの根本で弾いたティアは、篝火からまた一歩後退しつつ大きく息を吐いた。
対するロゼッタも刀を正眼に構えると、肩で息をしながらティアの前に立ちふさがった。
ティアは大きく舌打ちしながら吐き捨てるように言う。
「身を挺して人質を庇うとは、泣かせるじゃないか。あの鍵が無い限り無駄なあがきだと言うのに」
ロゼッタは大きく息を吐きながら首を傾げて見せた。
「あいにく私の仲間は頼りになるので、鍵がなかろうが何とかすると思うわよ」
「どうにもならないさ。全員、私に殺されるのだから!」
言いながら鋭い突きを放つ。
ロゼッタはそれを刀で弾くが、同時に左肩を激しい痛みが駆け抜ける。
貫通こそ避けたものの決して軽傷ではないその傷が、時を経る度にずきずきと痛みを増していく。
止血をしていない為に出血は止まっていないし、刀を振るう体力以上に肩の傷口から体力が抜け出ていくような感覚だ。
時間をかける事は不本意だがわずかにでも体力を回復させるために、ロゼッタは敢えて言葉を投げかけた。
「このままじゃれ合っていれば爆破時間が来て、あなたも一緒に吹き飛ぶわよ」
そんなロゼッタの言葉に、ティアは驚いたような表情を浮かべた。
そして侮蔑も露わに不愉快そうに声を上げた。
「お前の母親にも全く同じ言葉を言われた事がある。状況は若干違ったが」
どんな状況で戦っていたのよ、お母様は!と思わず心の中でぼやいたロゼッタだったが、無表情を装い答える。
「それで、その言葉を投げかけられた後、あなたは負けたのよね。“隠密のサリシュアン”に」
ロゼッタはその戦いを知っているわけではない。
ただ状況から推測しただけだったのだが、ティアの表情は見て取れるほど憎々しそうに歪んでいった。
「あの時は不覚を取ったが、今度はきちんと殺してやる。八つ裂きにしても飽き足らない。細切れに切り裂いて、私が受けた屈辱を万倍にして返してやろう」
その腹の奥に燻っている憎しみを全て吐き出したかのような、どす黒い感情に対してロゼッタは全く表情を変えずに無表情に一言だけ答えた。
「哀れね」
その一言にそれまで感情を露わにしていたティアの顔が、能面のように感情を宿さずに固まった。
「……何と言った?」
思った事を口にしただけだったのだが、思いのほか“当たり”を引いたようだ。
ロゼッタは極力記憶の中の母の姿を追いながら、その一挙手一投足を再現しながら続けた。
「哀れ、と言ったのよ」
氷河のような灰色の瞳の上の深い二重の瞼をわずかに痙攣させながら、ティアは震える声を出した。
「一応、なぜそう思うのか聞いておこうか」
その声は悲しみや絶望で震えているのではない。爆発しそうな怒りを抑え込んでいる為に震えているのだ。
ロゼッタはそれを察知しながらも言葉を続ける。
「あなたはサリシュアンへの復讐というものに縛られて、本当に大切なものを見失っているわ」
その言葉に強烈な既視感を感じつつ、ティアは大きく頭を振った。
「復讐以上に重要なものなどない!」
徐々に興奮していくティアとは反対に、ロゼッタの声はどんどん冷たくなっていく。
「では聞くけれど、ここで私達“サリシュアン”を殺したとして、その先はどうするの」
「なんだと……!?」
「あなたがサリシュアンへの復讐を果たせたとして、その先に何も見ていないのであればこれほど無責任な事はない。私の母である“隠密のサリシュアン”があなたを打ち負かしたにも関わらず、止めを刺さなかった事の意味を考えた事があるの?」
「な……い、意味だと? 」
ティアは明らかに狼狽していた。
「そもそもあなたが“隠密のサリシュアン”と戦った理由は何だったというの。何かを賭けて戦い、それを成せなったのではないの。ここで私と戦ったその先に、それが成せるというの」
ロゼッタの言葉は確実にティアに突き刺さっていた。
二十三年前に“隠密のサリシュアン”とこのドルファンで戦った時。
当時、シベリア国家連合の特殊部隊であるスペツナズの一員としてドルファンに潜入していた彼女はドルファン国内に隠されているというダイヤモンド鉱山の場所を記した地図の入手と、燐光石の輸出入を牛耳っていたベイラム・オーリマンという貴族の暗殺が任務だった。
そのオーリマン卿の暗殺計画として、舞台の観劇に訪れている彼をシアターごと爆破するというプランを実施する際に、それを阻止するべく戦いを仕掛けてきたのが“隠密のサリシュアン”ことライズ・ハイマーという女剣士だった。
彼女もまたドルファンと敵対するヴァルファバラハリアンという傭兵部隊の隠密、そして八騎将という部隊長としてドルファン国内に潜入をしていたのだが、何故彼女がオーリマン暗殺計画を阻止しようとしていたのかはわからない。
だが、目の前の障害物は排除しなければならないし、何よりも彼女はヴァルファバラハリアンの一員だ。
ヴァルファバラハリアンに対して並々ならぬ憎しみを持っているティアは、ライズ・ハイマーを屠らなければ感情が収まらなかった。
ティア・スリザーとは忠正が見抜いていた通り、偽名である。
彼女の本当の名はエレーナ・ロストワといい、シベリアのある寒村の貧しい夫婦の下に生まれた。
その村は国土の広大なシベリア帝国の中でもスィーズランド等の北欧に近い、首都モスクヴァからは遠く離れた場所に位置していた。
決して裕福ではないが、雪深く人の寄り付かない村の人々の結束は強く、村人全体が家族のような、そんな村だった。
その寒村はティアが五歳になった時、野盗に襲われて壊滅している。
その背景には当時ハンガリア共和国内で起きていた、王政復古を目論むボルキア回帰戦線とハンガリア国軍との戦闘により縄張りを荒らされてしまい行き場を失くした事があったのだが、まだ幼かったティアにはそんな事は理解できなかった。
ただ、彼女の記憶に鮮明に残ったのは、目の前で無残に殺された両親、村の仲間達の血で真っ赤に染まった野盗達の姿だった。
ティア・スリザーことエレーナ・ロストワはその野盗の襲撃の中で唯一生き残った。
何故生き残れたのか、どうして彼女だけが無事だったのか、今はもうわからない。
だが、たまたま村を通りがかったスペツナズのある部隊が彼女を見つけた時、ティアは今もその頬に残る醜く大きな傷を負いながらも生きていた。
優しかった両親と、家族のように暖かかった村人たちを殺された怒りを、幼いその目にたたえたまま。
その後、スペツナズに拾われた彼女は過酷な訓練を受けて優秀な剣士として成長した。
そういう意味ではパトリツィア・オーエンズとその出自は似ている。
しかしティアはその後狂気の復讐者として生き、パトリツィアは敬愛出来る人の役に立ちたいと生きている。
その決定的な違いは、それぞれの運命の人との出会いにあった。
パトリツィアは冷酷な戦闘マシーンとして育ったが、ロゼッタ・サリシュアンとの出会いによって人の暖かさと絆を知った。
しかしティアが出会ったのは、ミハエル・ゼールビスというテロリスト上がりの男だった。
このゼールビスという男は元々ヴァルファバラハリアン八騎将の一人ではあったのだが、当時ドルファンと戦争を起こしたヴァルファの状況を見て脱退し、その腕を買われたシベリアへと身を寄せていた。
ティアと同じ部隊に配属され、彼女の身の上を知ったゼールビスは彼女に対し一芝居打った。
曰く、ティアの故郷の村を襲ったのはヴァルファバラハリアンという野蛮な傭兵部隊であり、その証拠に彼らは真っ赤な装備をしていたはずだ、という事だった。
幼かったティアの心に刻まれた血まみれの男達の蛮行は、ゼールビスの印象操作により、たちどころにヴァルファバラハリアンの仕業として塗り替えられた。
長らく故郷の人々の仇を打ちたいと心に誓っていたティアの怒りの対象は、ヴァルファバラハリアンへと向いてしまった。
そうして出会ったヴァルファバラハリアン八騎将の一人、“隠密のサリシュアン”は聞けば軍団長の娘であり、その中枢の人間であるという事だった。
これ以上の復讐の相手はいない。
かくしてオーリマン暗殺計画の作戦中に邂逅した二人は死闘を繰り広げ、ティアは敗れた。
ずべては故郷の人々の仇を討つ為。祖国の人々に自分のような思いをさせない為に戦った。
だがティアの剣は“隠密のサリシュアン”には届かず、逆にその身に一生消える事の無い傷を受ける事になった。
その日からティアの生きる意味は変わってしまった。
エレーナ・ロストワの名を捨ててスペツナズを離れ、吟遊詩人のふりをしながら生き恥を晒し、暗殺稼業で金を稼ぎながら諸国を旅して“隠密のサリシュアン”を探して歩いた。
彼女への復讐こそが生きる意味となり、それが人生の目的へと上書きされてしまった。
“隠密のサリシュアン”が何故自分に止めを刺さなかったのかはわからない。
だが、こうして生き残った以上、彼女を殺して復讐する事だけがティア・スリザーの生きる意味なのだ。
その“隠密のサリシュアン”本人ではないものの、瓜二つの容姿を持ち“サリシュアン”の名とルビーのような紅い瞳を引き継ぐ娘が今、目の前にいる。
復讐は果たされようとしている。
復讐を果たした先にあるものは、復讐を果たした後にしかわからない。
故郷の人々の無念を晴らす事だけが自分の生きる意味だ。
“隠密のサリシュアン”と戦った時と同じような言葉を投げかけられて動揺していた心が落ち着いていく。
――復讐以外の事など、どうでもいい。
ティアはもう狂気的な笑みを浮かべていなかった。
ただ冷酷に、ただ復讐を果たす為、その剣を静かに構えなおした。
ティアの纏う雰囲気がにわかに変わった事に気付いたロゼッタは、静かに深く息を吐いた。
――藪蛇だったかも……
そう思いながらも、彼女の心は落ち着いていた。
いくつか言葉を交わしている間に、若干の体力は回復できた。
左肩を負傷している状態で、これ以上戦闘が長引くのははっきり言って不利だ。
この相手は剣士として非常に強敵であるし、万全の状態で戦ったとしても勝敗はわからない。
しかし、相手が強ければ強い程、己の剣技がどこまで通用するのか試してみたい気持ちが湧いてくる。
この性分は恐らく母親から受け継いだものではない。
聖騎士として名を馳せた、そして剣術を授けてくれた父親から受け継いだものだろう。
ロゼッタは刀を一度大きく振ると、そのまま鞘へと戻してしまった。
ティアの眉がぴくりと動き、警戒はしているもののその行動に困惑しているようだった。
それはそうだろう。
抜刀術の優位性は先に述べた通り、初撃にあるからだ。
それでもこの状況で刀を鞘に納めるという事は、何か手があるという事だ。
だが、剣術には絶対不変のセオリーがあり、それは決して覆らない。
『刺突は斬撃よりも速い』
このセオリーがある限り、抜き打ちを仕掛けるロゼッタに対してティアの優位は揺るがない。
頭の中でそれを理解しているティアではあるが、納めた刀の鞘に左手を置き、わずかに前傾姿勢を取るロゼッタの圧力に異様とも言える迫力を感じていた。
再び硬直するかに見えた状況だったが、ロゼッタは落ち着いた声で言葉を発した。
「……私が、あんたの過去も、復讐も、“サリシュアン”への執着も。何もかも斬り捨ててあげる」
ティアは過剰に反応した。
「ふ、ははは! 笑わせてくれる。お前に出来ると思うのか。この私を斬れると思うのか!」
それはプレートメイルを着込んでいるという事ももちろんそうだが、ティアが今まで背負ってきた重みのこもった言葉だった。
だがロゼッタは静かに深い呼吸を繰り返し、少しずつ前傾姿勢を強めていく。
「斬れる」
ポツリと呟いた言葉は確信に満ちていた。
「……なめるなっ! サリシュアン!!」
ティアは叫びながら全身の筋力を引き絞り、閃光のような突きを繰り出した。