続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
忠正に抱きかかえられた状態でフィオナがドルファン学園の学生寮に帰り着いたのは、夜中の三時を過ぎた頃だった。
そんな夜半に営業している馬車などいるわけもなく、また、裸足のフィオナを歩かせるわけにもいかず、フィオナは気恥ずかしさを感じながらも忠正の腕に抱かれたままの帰還となった。
帰り道の途中で聞きたいことは山ほどあったのだが、ロゼッタとフィオナは現場の処理の為にその場に残ってしまった為話が出来ず、忠正と二人きりの道中は、それまでにあまりにもいろいろな事が起こりすぎたが故に疲れ果ててしまい、眠ってしまっていてほとんど記憶がなかった。
「フィオナ、起きられるかい? もうすぐ寮に到着するよ」
忠正の柔らかな声に目を覚ましたフィオナは、見慣れたサウスドルファンの景色になんとも言えない安堵に小さなため息が漏れた。
だが、その安堵のため息もすぐに引っ込んでしまった。
寮の入り口に人影があったからだ。
そこにいたのは心配そうにまわりを見渡している寮母長のクレア・マジョラムと、他ならぬジョアン・エリータスだった。
近づいてくる忠正と、彼に抱きかかえられているフィオナに気付いた二人は、慌てて駆け寄ってくるとまったく対極の感情を爆発させた。
「フィオナさん、大丈夫? 一体なにが……」
まず何よりも心配をしたクレアに対して、駆け寄ってきたジョアンは怒りの表情を満面に浮かべてかなり厳しい声で言った。
「貴様、何があった。事と次第によっては……わかっているだろうな」
「ちょ、ちょっと待ってください」
忠正は戸惑いながらもフィオナを守るように体を傾けた。
「お二人の気持ちもわかりますが、まずはフィオナを。怪我はありませんが、だいぶ体力を消耗しています」
「そ、そうね! 今、毛布を持ってくるわ。何か拭くものも用意しなきゃ……」
冷静さを取り戻したわけではなさそうだがすぐに行動に移ったクレアに忠正はわずかに安心した。
しかし、ジョアンはその神経質そうな顔の眉を寄せながら、黙って拳を握って立ち尽くしていた。
フィオナの介抱をクレアに任せ、静まり返った寮の食堂で向かい合わせに座った忠正とジョアンは、いつになく緊張感を漂わせていた。
ティア・スリザーとの戦闘から始まり、爆弾からの救出、レリックス駅から歩き詰め、と疲れ果てていた忠正ではあったが、流石にこの状況では事情を説明しないわけにもいかないと覚悟を決めていた。
ただ、問題はどこまでを説明するのか、という事だ。
重苦しい沈黙を破って最初に言葉を発したのはジョアンだった。
「夜にクレアさんから連絡をもらったのだ。フィオナが就寝前の点呼に応じなかったとな。それ自体はまあ、学生寮ならばままある事かもしれんが、フィオナに限って言えばそれはありえない」
先ほどよりも幾分落ち着いてはいるが、言葉の端々から怒りが伝わってくる。
ジョアンの言いたい事は何となく理解できる。
遊びたい盛りの高等部の学生が、門限を過ぎてまで遊びに行く事はよくある事だろう。
その為に学生たちも色々なアリバイ工作をするのだが、フィオナは絵にかいたような真面目な生徒だ。
遊びで門限を超えた事など一度もないし、娘の事を信頼しているという事をその怒りで暗に語っているのだろう。
「それは……そうでしょうね」
自分でもなんとも間の抜けた返事をしたものだと忠正は思ったのだが、疲れのせいか思うように頭が働かない。
ジョアンは忌々しそうに忠正の顔を覗き込みながら続けた。
「夜中になっても帰ってこないというので私もこちらに駆け付けたのだが……。一体フィオナに何があった? なぜ貴様がフィオナを連れて来た? なぜフィオナは……!」
徐々に語気が強くなっていくジョアンに対し、忠正は右手を前に出して制した。
「待ってください中佐。まず最初に断っておきますが、私がフィオナさんを連れ出したわけではありません」
忠正の言葉にジョアンは顔をしかめたが、やや不満そうではあるが小さく頷いた。
「そんな事はわかっている」
それが本当かどうかはわからないが、おそらくジョアンの中で娘への心配と忠正への信頼が戦っているのだろう。
そんなことを考えながら、忠正は意を決して言う。
「結論から申し上げますと、フィオナさんは誘拐されておりました」
「なんだと……!?」
ジョアンは音を立てて立ち上がったが、一瞬間を置いて再び座った。
「どういう事だ? 私の元に身代金の要求など来ていないぞ」
誘拐された事実に対し即座に身代金要求の話が出るというあたりに、ジョアンにとっては誘拐というものが身近な脅威として存在している事を物語っている。
そういうあたりはさすがに名門貴族なんだなぁ、と漠然と考えながら忠正は続けた。
「犯人は先日のクリスマスパーティーでテロを起こした吟遊詩人のティア・スリザーです」
「馬鹿な。なぜフィオナがテロリストに誘拐されなければならない!?」
やはりそういう方向に行くよな、と忠正はどこか冷静に考えていた。
それを説明するには自分の事を隠してはおけない。
忠正は小さくため息を吐くと、目を伏せて言った。
「ティア・スリザーは個人的に私と姉のロゼッタに恨みが、厳密に言えば私の母に恨みがあり、その復讐を果たすための材料の一つとして、フィオナさんを誘拐したと考えられます」
ジョアンは怪訝そうな顔をする。
その反応も忠正の想定の範囲だった。
「なぜキミに個人的な恨みを持つあの吟遊詩人が、フィオナを誘拐する必要がある?」
それは当然の疑問だ。
忠正やロゼッタを誘い出す為の人質であれば、それはフィオナでなくても良い。
たとえ誘拐されたのがサラやブリジットであっても、忠正は救出に向かっただろう。
忠正は短く息を吸うと、覚悟を決めて冷たく言い切った。
「それは、今回のティア・スリザーの抹殺対象にフィオナさんも含まれていたからです」
一瞬時間が止まった。
ジョアンはその言葉の持つ意味を理解するのに、数秒の時間を要した。
「待て、どういう意味だ?」
戸惑いながら答えるジョアンに忠正は冷静に言葉を続けた。
「フィオナさんは以前から何者かに命を狙われており、行動を監視するために尾行者がついておりました。私はそれを察知し、尾行者の正体を調べたことがあります。その際に尾行者の一味と交戦になり、その相手がティア・スリザーだった事は間違いありません」
突然突きつけられた事実にジョアンは声もなく戸惑っていた。
そしてこの後にさらに明かさなければいけない事実に、忠正はの気持ちは沈んでいた。
「そして、そのティア・スリザー達の一味が出入りをしていた場所は……他ならぬ、エリータス家所有の屋敷です」
「な……」
ジョアンはたっぷり十秒は固まっていた。
冬の長い夜はまだ明けそうになく、静まり返った薄暗い食堂の中でジョアンは石像のように固まっていた。
忠正は驚くジョアンを見つつ、言葉を続ける。
「最初はもしかしたら中佐がフィオナさんの命を狙っているのか、とも考えていました。ですが、中佐と知り合っていくうちにそれは無いと考えるに至りました」
「当然だろう! 私が実の娘を亡き者にしようとするはずがない!!」
咄嗟に興奮して反論するジョアンに、忠正は若干気圧されつつ答えた。
「も、もちろんです。可能性の一つとしての話です」
「万に一つもそんな可能性はない!」
きっぱりと言い切るジョアンの態度にあらためて信頼感を感じつつ、忠正は軽く咳払いをした。
「中佐。そうであれば、ティア・スリザーを陰で操っていた正体は自ずと限られるという事です」
忠正の言葉にジョアンはゆっくりと目を閉じ、大きく深いため意を吐いた。
そして重々しく口を開いた。
「……それは、兄上がそうだと言いたいのかね」
忠正は黙って頷く。
再び訪れた静寂に二人は居心地の悪さを感じていた。
何か言葉を発する事でバランスが崩れそうな感覚を二人が覚えた時、その静寂を打ち破るように後ろからか細い女性の声が聞こえた。
「あ、あの……」
その声に二人が振り返ると、新しい清潔な部屋着の上から毛布を羽織ったフィオナの姿があった。
「フィオナ! もう大丈夫なのか!?」
立ち上がるなり駆け寄ったジョアンは、娘の肩にそっと手を置いた。
フィオナは戸惑い気味に頷く。
「ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした……」
「む……。いや、無事ならそれで良い」
どこかぎこちなく感じる二人のやり取りに忠正は首を傾げた。
先ほどまで娘を心配し、感情のままに激高すらして見せたジョアンが、急に鳴りを潜めてしまった。
そしてフィオナに関しても、実の父親の前だというのに、まるで目上の人に話すような言葉遣いだ。
貴族の親子関係とはそういうものなのだろうか、と忠正が考えていると、フィオナはジョアンの元から立ち上がった忠正の方へと静かに歩いて来た。
「キサラギさんも……しっかりお礼が言えていませんでしたが、ありがとうございました。あの場所へ来てくれたのを見た時、本当に嬉しかったです」
いつもの三つ編みを解き、まだ少し湿っている髪の毛を下ろしているフィオナはどことなく大人びて見えるが、その瞳は少し悲し気に翳って見えるは気のせいだろうか。
「怖い思いをさせて申し訳なかった。本来ならこんな事になる前に手を打てていたら良かったんだけれど……」
忠正が言うとフィオナは首を横に振った。
「いつかはこういう事も起こると思っていましたから……。それよりもキサラギさんやパティが来てくれて本当に心強かったし、私がどれだけ安心したかは言葉に出来ません」
フィオナのいじらしさに忠正は思わず頭をなでたい衝動に駆られたが、父親の前ではさすがに自重して、不自然に自分の顔を撫でていた。
しかし、そのフィオナの言葉をジョアンは聞き逃しはしなかった。
「待て。『いつかはこういう事も起こると思っていた』と言ったが、過去にもこういったことがあったとでも言うのか?」
その驚きと怒りがない交ぜになった語気に、フィオナの身体がわずかに震えたのがわかった忠正は、一歩前に出てジョアンの間に入ろうとしたが、フィオナは再び首を横に振って振り返った。
「お父様の仰る通りです。去年の夏休みにエドワーズ島で過ごした際、刺客を差し向けられた事があります」
事実を事実として淡々と述べるフィオナの告白に、ジョアンは顔面蒼白となり入り口のドア枠に手をかけて辛うじて立ちながら震える声で言った。
「そんな重要な事を……なぜ、黙っていた。なぜ、報告しない!?」
そんなジョアンの言葉に、フィオナはわずかに目を伏せて答える。
「……お父様もお母様も、お忙しいですから。私なんかの事で、お手間をかけさせるわけには参りません」
「手間をかけさせる? 何を言っているのだ?」
「ドルファン学院にも馴染めない、貴族として社交的に振る舞う事も出来ない、歌姫の娘としても相応しくない私なんかに、お忙しいお二人の時間を割いていただく必要はないという事です」
「な……なにを言っている?」
戸惑うジョアンに対し、フィオナは目を伏せたままやや強い口調で言い切った。
「愛してもいない娘がどうなろうと、どうでも良いではないですか!」
次の瞬間、乾いた音が静まり返った食堂に響いた。
一瞬の出来事で忠正も動く事が出来なかったが、左の頬を叩かれたフィオナが驚いた表情で、ただ呆然と叩かれた頬を押さえて立ち尽くしている。
思わず娘を平手で打ったジョアンは振り抜いた手のまま、荒い呼吸でフィオナをみつめていた。
「なんの音ですか!?」
廊下の先にいたと思われるクレアが慌てて入ってくると、忠正もハッとして声を上げた。
「中佐!」
フィオナを庇う様に前に出ると、ジョアンは我に返ったように忠正の方を見た。
「う、あ……、すまん」
「私に謝ってどうするんですか!」
「あ……う……」
しかし、ジョアンはまるで自分が叩かれたかのようにショックを受けており、会話もままならない。
フィオナは頬を押さえたまま、下を向いて何かを堪えているようだった。
その双眸から雫がぽたぽたと落ちる。
そんなフィオナを優しく抱きしめながら、クレアが言った。
「少し落ち着いた方がいいわ。フィオナさんも色々あって疲れているだろうから。悪いけれど、キサラギさんはエリータス中佐と一度お帰りになってくれる?」
「は、はい」
忠正は慌てて頷き、悲壮な表情でフィオナをみつめるジョアンの肩に触れた。
「中佐、一度改めましょう」
「……」
ジョアンは答えず、クレアによって奥へと連れていかれるフィオナの後ろ姿を黙って見送っていた。