続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
忠正は椅子から立ち上がると静かに右手を上げた。
どこからそれを見ていたのか、リンダ・ザクロイドの屋敷の扉が開き、後ろ手を縛られた男がリンダの執事の一人に連れられて出てきた。
その顔には殴打された痕がありありと残っており、鼻や口元には乾いた血がこびりついていた。
その男を見てシャルシスは露骨に顔をしかめた。
ボロボロの様相に嫌悪感を抱いた、というよりは見たくもないものを見てしまったというような表情だった。
隣にいるジュリアンはぎょっとしたように目を見開いたが、こちらは純粋に驚いただけのようであった。
その表情の変化を確認しながら忠正はやや鋭く言った。
「その男に見覚えがおありのようですね」
しかしシャルシスは忠正を凌ぐ鋭さで切り返した。
「知らぬな」
「そうですか……」
忠正はゆっくりと男の方に近づきその肩に手を置いた。
男の身体がビクッと一瞬震え、うつろな目に恐怖の色が浮かんだ。
「さっき教えてくれた事を、もう一度お願いできるかな」
男は口をパクパクとさせながら落ち着かない様子で忠正とシャルシスに視線を泳がせる。
シャルシスは男を不機嫌そのものといった表情で侮蔑の視線を送りながら言う。
「その薄汚い男がなんだと?」
「シラを切るおつもりですか。この男が何者かは、あなたが一番よくご存知でしょう」
シャルシスは射殺さんばかりの勢いで男を睨みつける。
忠正はあえて男の前にまわりその視線を受け止めると、男の脇を肘で小突いた。
「先ほどの海賊流のもてなしは、いわば前菜のようなもの。メインディッシュを味わいたいのなら、彼らは喜んで振る舞うだろう」
男はその言葉にガクガクと全身を震わせながら、必死に声を上げた。
「わ、私はそこのシャルシス・エリータス卿に雇われて、フィオナ・ロベリンゲを監視していました。その情報は銀髪の吟遊詩人へ常に報告し、機会があれば協力して殺せ、という指示も受けていました」
やや上ずってかすれたその言葉に、シャルシスはその神経質そうな顔に嘲笑を浮かべながら言う。
「ふ、何を言い出すかと思えば。その男が何者か知らんし、見たところだいぶ手ひどい暴力を受けたようだ。恐怖心からでまかせを言っているのかもしれんが、王室会議メンバーであるこの私に、あらぬ疑いをかけるような物言いは許されんぞ」
その言葉に忠正の顔から表情が消え、冷たい目だけがシャルシスを捉えた。
「……この男は以前フィオナさんの行動を監視し、尾行をしていた人物です。あなたの所有する屋敷から出入りする姿を何度も確認しています。今朝ほど捕縛して取り調べを行った結果、あなたに雇われた事を自白しました」
「私はそんな男など知らんと言っている。それに、貴様らが暴力を以てその男に言わせているだけの妄言に、何の真実があると言うのだ!」
頑なな態度を崩さないシャルシスに、忠正は大きなため息を吐いて見せると視線を隣のジュリアンへと向けた。
「キミはどう思う、ジュリアン・エリータス」
突然話の矛先を向けられたジュリアンは驚いたように身をすくませたが、軽く咳払いをすると取り繕う様に胸を張った。
「ち、父上がそう仰るのならそれが真実なのだろう」
忠正はもう一度大きくため息を吐きながら言う。
「このままではいつかフィオナは殺されるぞ」
冷たいその響きにそれまで黙って聞いていたフィオナが身を固くした。
ジュリアンはそんなフィオナの方をちらりと見ると、やや大きな声で言った。
「戯言を言うな。なぜ父上がフィオナの命を狙わねばならないと言うのだ! 彼女はエリータスの人間であり、美しく可憐でいたいけな娘で、僕の妻になるべき人物だぞ!」
その自信に溢れた言葉にシャルシスとジョアンは眉をひそめ、フィオナは俯き、素知らぬ顔で聞いていたパトリツィアまでも苦々しく舌打ちをした。
「ジュリアン。お前には行く行くはエリータス家の筆頭としての立場を継いでもらわねばならない。こんな分家の娘よりももっと相応しい相手を見つけてやると言っているだろう」
苦々しく言うシャルシスに、ジュリアンは席から立ち上がって反論の声を上げる。
「なぜですか、父上。フィオナは分家とは言えエリータス家の人間。そして、あの世界的歌姫ソフィア・ロベリンゲの娘ですよ! この僕の妻にこれほど相応しい人物は他にいないはずです!」
「黙れ、ジュリアン。歌姫とは言っても結局は下賤の民よ。世界的な人気だか知らぬが、どうせ商売女同然に色を売って得た名声だ。そんな女の娘など、エリータスの人間に相応しいわけがあるまい!」
そのあまりにも侮蔑的な言葉に忠正は瞬間的に頭に血が上るのを感じたが、ジョアンがテーブルに手を激しく叩きつけながら立ち上がったのを見て、ぐっと堪えた。
ジョアンは手をついたままの姿勢で顔を上げずに、低くくぐもった声で言った。
「兄上。今の言葉、撤回をお願いいたします」
その凍り付きそうなほどに冷たい声音は娘であるフィオナですら聞いた事がなく、思わず肩を抱いた。
しかしシャルシスは臆する事なく言葉を返す。
「兄に対してその態度はなんだ。事実を事実として述べただけだ。撤回はしない」
ジョアンはゆらりと顔を上げる。テーブルについた手が怒りで小刻みに震えていた。
「事実とは異なります。私の妻ソフィアは断じて売女のような真似をして名声を得たわけではない。努力とたゆまぬ研鑽で勝ち取った名声です。そして、その娘であるフィオナもまた、母を誇りに気高く生きている。いくら兄上とは言え、二人への侮辱は看過できません」
ジョアンの語調は丁寧ではあったが、言葉の端々に言い知れぬ怒りがこもっているのがありありと感じられた。
しかし、それが逆にシャルシスには気に入らなかった。
「ふん。借金の形に母上から与えられた女風情に、大した熱の入れようだな。もっとも貴様のようなエリータスの名を名乗るのもおこがましい無能には似合いの母娘よ」
そんな侮蔑の言葉にもジョアンは厳しい表情を浮かべたまま一歩もひるまずに言う。
「私の事は何と言われようと構いませんが、妻と娘を卑下する事は許容できません。発言を撤回して下さい」
その言葉に、フィオナの頬を涙が滑り落ちた。
ジョアンが妻であるソフィアを深く愛している事は、幼い頃から身近で見てきてよくわかっているつもりだった。
だが、今父がエリータス本家の兄に放った言葉と感情は、明らかに自分にも向けられた深い愛情を示していた。
――父には愛されていない。
そう思って生きてきたフィオナにとって、こんなにも激しく、こんなにも直接的な愛を目の当たりにして、自然と涙が零れていた。
怒りに全身を震わせるジョアンに対し、シャルシスは嫌悪感も露わに顔をしかめながら考え込んでいた。
なぜエリータス家の当主たる自分がこんな場所で不快な思いをしているのか。
無能な弟にそれ相応の妻と娘。エリータスの名を名乗る事すらおこがましい下劣な者達が、自分の言葉を撤回しろと言う。
息子であるジュリアンは政治的な事は何も考えずに、その凡俗な娘と結婚すると言う。
もしもジュリアンがフィオナを娶った場合、フィオナはエリータス本家の人間となり、その父であり海軍で着実に成果を上げているジョアンの影響力は間違いなく上がるだろう。
そうなった場合、万が一にも自分の身に何かあった際に王室会議の席を継ぐのがジョアンになる可能性も出てくる。
そんな事は許されるはずもないし、誇り高きエリータス家は本家の人間である自分と、その息子であるジュリアン以外に任されるべきではないのだ。
だからこそ、ジュリアンの目に留まらぬところでフィオナを亡き者にするつもりだったわけだし、その計画は秘密裏に実行されるはずだった。
だがその計画は失敗に終わり、あまつさえ自分が疑われるような状況に追い込まれている。
シャルシスは指で眉間を揉むと、冷静さを取り戻しながら言った。
「こんな茶番に付き合うのはもう終わりだ」
席を立とうとするシャルシスに対し、忠正はおもむろに懐からハンカチの包みを取り出して見せた。
三十センチほどの名が細いその包みにシャルシスは思わず目を向けた。
「なんだそれは」
シャルシスの言葉に忠正はハンカチをゆっくりと解いていく。
現れたのは美しい銀の装飾が施された鞘に収められたナイフだった。
フィオナはハッとして息を飲んだが、それに気づいたのはパトリツィアだけだった。
見覚えのあるそのナイフにシャルシスは怪訝な表情を浮かべた。
忠正はナイフを鞘から引き抜くと、刀身に刻まれた紋章を見せた。
「エリータス家の家紋入りのナイフです。これが紛れもない本物である事はおわかりですね」
このナイフはエリータス家の人間である事の証明となる、いわば身分証明書のようなものだ。
その細かな装飾とお抱えの職人にしか刻めないといわれる刀身の紋章は、それが本物である何よりの証拠だった。
「なぜ貴様がこのナイフを持っている。これはエリータスの人間しか持つ事を許されぬ物だ」
「パトリツィアの言っていた、フィオナさんを襲った銀髪の剣士が所持していた物です。これはまさにエリータス家の物であり、あなたがその剣士に与えた物ですよね」
忠正の自信に溢れた表情に、シャルシスは虚をつかれたような顔をしたが、やがて静かに笑い出した。
「ふ、ふふふ。こんなものまで持ち出すとは……」
「もう言い逃れは出来ませんよ。これはあなたが褒美として与えたナイフですね」
「馬鹿を言え。エリータスの証明たるこのナイフを褒美に与える阿保など、いるわけがあるまい」
「あなたが与えたわけではないと?」
「当然だ」
「ではなぜ、このエリータスのナイフを持っていたのでしょう」
「知るか。あの女が何を持っていたとしても、私が知るわけがない」
「“あの女”」
忠正はナイフを鞘に収めると、わずかにリンダの執事に目線送った後にシャルシスを見下ろした。
「シャルシス卿。私はフィオナさんを襲った刺客について、銀髪の剣士とお伝えしました」
「それがどうした」
「なぜあなたはその剣士が女だとわかったのですか」
一瞬、時が停まったような間が訪れた。
シャルシスはわずかに視線を泳がすと、至極冷静に言った。
「パトリツィアという娘が言っていただろう」
しかしパトリツィアはシャルシス以上に冷静に、むしろ冷徹とも言える声で言った。
「言っていないわ。私は『銀色の髪をした剣士。左頬に大きな傷跡を持ち、冷たい目をしていた』と言ったのよ」
その場ににわかに緊張が走り、ジョアンもジュリアンも驚愕の表情でシャルシスを見る。
「……下らん。私はもう行く」
そう言いながら立ち上がるのとほぼ同時に、今の今まで気配すらなかった白い鎧を身にまとった近衛兵団の兵士たちが周りの木の影から現れるなり数人でシャルシスを取り囲んだ。
シャルシスはその兵士達を一瞥し、次いで忠正を睨みつけた。
「これは何のつもりだ」
忠正は小さく息を吐きながら静かに答える。
「フィオナさんを襲った剣士は、クリスマスの夜にテロ紛いの大虐殺を行った人物と同一人物です。あなたがその剣士と繋がりがあるのならば、これは重大な国家への反逆行為の疑いとなります」
「バカな!!」
声を荒げるシャルシスに近衛兵達は手にした槍を向ける。
「控えろ! 私は王室会議参位エリータス家当主、シャルシス・エリータスだぞ!!」
「そうです。王室会議のメンバーでありながらテロリストと繋がり、姪の命を狙っていたのであれば、それは重大な事態ですよ」
「それは貴様の妄言だと言っている!」
シャルシスの鋭い言葉にジョアンやジュリアンが狼狽えていると、リンダの屋敷のドアがゆっくりと開き、中からリンダ・ザクロイドとミラカリオ・メッセニ中将が進み出てきた。
メッセニは杖をつきながら歩をすすめると、シャルシスの前に立ちはだかった。
シャルシスは二人の登場に若干驚いた様子だったが、すぐに大きな声で叫ぶ。
「メッセニ中将! この無礼な近衛たちを下がらせろ」
しかしメッセニは静かに首を横に振った。
「シャルシス卿。この東屋の屋根には伝声管がついており、話の内容は一部始終聞いておりました。誠に残念ながら私はドルファンの軍部最高司令官の権限に基づいて、詳細について貴方にお話を伺わなければいけません」
「メッセニ!!」
ついにはメッセニの事すら呼び捨てにしたシャルシスに対し、脇に控えていたリンダが冷たい声を上げた。
「見苦しいですわよ、シャルシス様。貴方が貴族であるのなら、貴族らしくありなさい。やましい事がないのならそれを堂々と主張すればいい。声を荒げて権威を叫ぶだけなど、野良犬同然ですわ」
シャルシスは顔を真っ赤にして歯を食いしばっていたがそれ以上の反論はせず、近衛兵に連れられてリンダの屋敷の方へと歩いて行った。
「ち、父上……」
今だ状況を把握出来ておらず戸惑うジュリアンの肩に、ジョアンが手を置く。
「兄上は王室会議のメンバーだ。悪いようにはされないさ」
「し、しかし……!」
それでも戸惑うジュリアンにジョアンはやや厳しい口調で続けた。
「しばらくは取り調べで軟禁されるだろう。その間、エリ―タス家はお前が筆頭代理として守らなければならないんだ。私も後援はしてやれるが、お前が表に立たなければならない」
「あ……う……」
突然の重責に言葉が出ないジュリアンの様子を見て、忠正は呆れ顔を浮かべたが、こうなってはフィオナの事を追いかけまわす暇などあるはずもない。
そのフィオナはパトリツィアと共に席を立っており、わずかに腫れた目でジョアンをみつめていた。
その視線に気づいたジョアンは少しだけ視線を泳がせた後におずおずと娘に近づくと、背中に腕をまわしてそっと抱きしめた。
フィオナはジョアンに体を預けると、胸に顔をうずめてまた少し泣いた。
忠正がそんな二人を見ていると、不意にパトリツィアと目があった。
いつも無表情なパトリツィアの口元に、ほんの少しだけ微笑みの欠片が浮かんでいるように見えた。