続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ドルファン中央病院の待合室に落ち着かない様子で座っていた忠正は、診察室から出てきたテディー・アデレード医師とソフィアの姿を見るなり立ち上がった。
「テディー先先、アンさんは……」
歩み寄りながら声をかける忠正の慌てぶりに、テディーは若干戸惑いながら答える。
「おそらく貧血のような症状だと思います。安静にしていれば、直に良くなるでしょう。今日のところはベッドを用意しますので、休んでもらいますね」
「そうですか……。よかった」
ほっと胸を撫でおろす忠正に対し、テディーは隣のソフィアの顔をちらりと見た。
ソフィアが小さく頷くとテディーは頷き返して「私は次の診察があるので」と言って歩いていく。
その背中を見送ったソフィアは静かな声で言った。
「タダマサさん、少しいいですか?」
「え、はい……?」
ソフィアのその神妙な雰囲気に忠正はわずかに緊張しながら、彼女のあとに続いた。
ソフィアが忠正を連れて来たのは、病院の中庭にある小さな噴水だった。
その脇にあるベンチに二人は並んで腰かけた。
ソフィアの表情が決して明るくない事に、いかに鈍感な忠正でも悪い予感を胸に抱えながら声を出した。
「……アンさんに何かあったんですか?」
忠正の不安と心配が入り混じった声にソフィアは少しだけ申し訳なさそうな顔で答えた。
「どこから話したらいいか……。あの、少しだけ昔話に付き合ってもらえますか」
「はあ」
忠正にしてみればアンの容態に何か問題があるのか気が気でないのだが、いたって真剣なソフィアの言葉に曖昧な返事をするしかなかった。
ソフィアは勢いよく水を噴き上げる噴水を眺めながら、静かな口調で語り始めた。
「私、子供の頃に父の仕事の関係でダナンに住んでいたことがあるんです」
「国境都市ダナンですか」
「はい。まだ五つか六つくらいの時だったと思うんですけれど、そこでアンさんに会った事があります」
「会った事が? 子供同士で遊んだ事でも?」
「……いいえ。今の姿と何も変わらない、大人のアンさんに、です」
忠正は自分の耳を疑った。
ソフィア・ロベリンゲに高等部の娘がいる事から、彼女は少なくとも三十代以上という事になる。
そのソフィアが五つか六つくらいの頃という事は少なくとも二十五年以上前の事だ。
「ちょっと仰っている意味がわからないのですが……」
忠正の素直な言葉にソフィアも頷く。
「そうですよね。私もまだ混乱しています。ですが、間違いなくアンさんだったんです」
あまりにもソフィアの言っている事が突飛すぎて思わず間の抜けた顔をしてしまった忠正に、ソフィアは静かに続けた。
「もう三十五年ほど前の話です。引っ越したばかりのダナンの街角で迷子になってしまって泣いていた私を、一人の優しそうな女性がなだめてくれ、慰めてくれました」
「……それがアンさんだと?」
「その通りです」
「他人の空似ではないですか。もしくは、アンさんの母親だとか?」
「見間違えではないと思います。あの時、泣きじゃくる私を慰めるために歌ってくれた歌を今でも覚えています。あの歌が私が歌手を目指すきっかけになったんです。そんな思い入れのあるあの人の姿を忘れた事は一度もないですし、今でもその姿を鮮明に覚えています」
「その時の女性が、アンさん本人で間違いないと?」
「……はい」
そう言い切ったソフィアは神妙で複雑な表情を浮かべていたが、その澄んだ瞳に嘘があるようには見えなかった。
「……仮にソフィアさんを助けた女性がアンさんだったとして、色々と腑に落ちません。まず年齢が合わないというか……」
言いながら忠正はアンの年齢を明確には知らない事に思い当たった。
だが、どう見てもアンは十代後半から二十代くらいの容姿だし、若干童顔ではあるものの間違いなく年若い見た目をしている。
もちろん女優をしているソフィアも年相応というよりは随分若く見えるものだが、それでも明らかにアンよりも年上に見える。
ソフィアは忠正の胸中を理解しているかのように言う。
「言いたい事はわかります。私もまだ信じられない気持ちです。ですが、ダナンの街で見たアンさんと何一つ変わっていなかった。何一つ……そう、本当に何一つ変わっていなかったんです」
忠正は訝し気に眉をしかめた。
そんな話、信じろという方が無理だ。
三十五年前にソフィアが出会ったという“アン”が、忠正の知る“アン”と同一人物であるはずがない。
ソフィアは不審げな顔の忠正をわずかに気遣いながらも話を続けた。
「先ほどアデレード先生がアンさんを診て下さった時、不思議な事がありました」
「……」
「アンさんには……“脈”がなかったんです」
「え!?」
「アデレード先生が色々な場所で脈を測ろうとしましたが、アンさんの身体からは脈が取れず、心音も聞こえなかったそうです」
「ど……、どういう事ですか?」
同様も露わに聞き返す忠正に、ソフィアは小さく首を振った。
「アデレード先生もわからないそうです。ただ、生きとし生ける者はすべて鼓動があり、血が巡ります。アンさんには……それがありませんでした」
「死んでいるっていうんですか!?」
思わず声を荒げてしまった忠正は自分の声の大きさに驚いて、周りを見渡すと申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すみません」
ソフィアはもう一度小さく首を横に振った。
「無理もありません。私もこの現実を受け入れる事が出来ていないのですから」
忠正は気持ちを整理するように大きく息を吐くと、こめかみのあたりを指でほぐしながら言う。
「仮に……仮にアンさんに脈がなかったとして、彼女は一体何者なんですか」
ソフィアはしばらく黙ったまま何も答えなったが、やがて小さな声で答えた。
「彼女が何者なのかはわかりません。ですが、これは私の個人的な推測になりますが、いわゆる一種の“思念”のようなものかもしれません」
「“思念”?」
「そうです。私も公演でいくつかの国を訪れた際に土地の伝承だったり御伽噺のようなものを聞く機会があるのですが、その中で、『強い後悔などの感情を持った魂は、天に昇る事が出来ずに思念となって残る事がある』という話を聞いた事があります」
その言葉に、忠正は思い当たる節があった。
クリスマスにアンと過ごしたあの雪の中で、彼女はいくつか気になる事を言っていた。
まるで過去に縛られているような、過去の出来事に捕らわれているような話だった。
だが、だからと言ってアンがソフィアの言うような“思念”という存在であるなど信じられるはずがない。
クリスマスの夜につないだ手の柔らかさと暖かさは、今でもしっかりと忠正の胸に思い出として刻まれていた。
忠正はぶんぶんと首を振ると、ベンチから立ち上がりソフィアの方を見た。
「テディー先生とソフィアさんの言いたい事は大体理解しました。ですが、今、そこにいるアンさんは幻でもなんでもない。そこに彼女がいて触れられるのなら、オレにとってはそれが真実であり、それ以外の事は関係ありません」
忠正のまっすぐな言葉にソフィアは驚いたように胸に手を当てたが、わずかに微笑みながら答えた。
「……そう、ですね。タダマサさんの仰る通りです。アンさんが何者であっても、今あなたの前にいるアンさんが全てですよね」
忠正は力強く頷くと
「アンさんの様子を見てきます。ソフィアさん、色々とありがとうございました」
と言って深く頭を下げ、病棟の方へと足早に歩きだした。
その背中をみつめながらソフィアは小さな声で呟いた。
「……せめて二人に幸運が訪れますように」
アンの休んでいる病室は個室になっており、忠正が部屋に入るとアンはベッドの上で半身を起こして窓の外を眺めていた。
アンは忠正に気付くと白いシーツに目線を落とした。
「あの、ごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまい……」
忠正はベッドの横にある丸椅子に腰かけると、静かに首を横に振った。
「迷惑だなんて、何もありません。それよりも具合はいかがですか?」
「あ、はい。おかげ様で随分楽になりました。最近、まれに気分が悪くなる時があって……。少し休めば大丈夫なんですが」
「無理しないでください。疲れがたまっているのかもしれませんね」
そう言って微笑んでみせる忠正に、アンは感謝と申し訳なさが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。
アンは再び窓の外へ視線を向けると、冬の終わりの寂しい空を流れる細い雲をみつめながら小さな声で言った。
「あの……タダマサさん」
「なんですか?」
明るく答えた忠正に対し、アンの声は少し憂いを秘めていた。
「私たち、もう会わないようにしませんか」
窓の外を一羽の白い鳥が飛んでいき、やがて姿が見えなくなった。
忠正はアンの憂いを秘めた美しくも儚い横顔をみつめながら優しく聞き返す。
「どうしてですか」
アンはしばらく黙っていたが、目線を逸らしながら小さな声で答えた。
「……思い出したんです。忘れていた、大切な事。でも、だからこそ私はあなたに会うべきじゃない」
消え入りそうなアンの言葉を聞きながら、忠正はその手を取った。
ほんの少し冷たいが、確かに暖かさを感じるその手を握りながら忠正は言う。
「それは、オレにもう会いたくないという事ですか。オレの事が嫌いになりましたか」
その言葉にアンは今にも泣きそうな顔を忠正の方へ向けた。
「そうじゃない……! そんなわけ、ないじゃないですか!」
アンの悲痛な叫びに忠正は握った手の上にもう一方の手を乗せ優しく撫でた。
「だったら教えて下さい。アンさんが何を思い出したのか。何にそんなに苦しんでいるのか」
「でも……」
「アンさんの苦悩を一緒に分け合いたいんです。一人では答えの出ない事でも、二人ならわかるかもしれない。オレはこれからもアンさんと一緒にいたい」
握った手がわずかに熱を帯び、アンの瞳が穏やかな波のように揺れる。
小さな波は堤防を越え、シーツの上に落ちて染みを作った。
「……浅はかな女だって、嫌いにならないでくれますか」
怯えにも似た声で言うアンに忠正は柔らかく答える。
「どんな事があっても、嫌いになんかなりませんよ」
アンはしばらくシーツをじっとみつめていたが、意を決したように顔をあげるとか細い声でぽつりぽつりと語り始めた。