続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
ドルファン歴D.五十三年 四月、早朝。
奇しくも一年前の同じ日に如月忠正がドルファンに訪れたその日に、ハンガリア共和国、アルビア皇国の連合艦隊がその朝靄で煙るドルファン港の沖合にその姿を現した。
ハンガリアの基幹船となる大型のガレオン船を中心に組まれた編隊は、軍艦五〇隻、随伴する武装船一五〇隻という大編隊で、これはハンガリアとアルビアの海の戦力のほぼ八割を占める数であった。
もちろんそれだけの数がドルファン港に侵入するわけにはいかず、コルベット艦二〇隻と、それを指揮するガレアス船が一隻、主力となるフリゲート艦五隻が先行してドルファン港に近づいていた。
対するドルファン海軍は、主力となるシレーナ・ケ・カンタ号がソフィア・ロベリンゲの船上コンサートの為に不在。
基幹船として活躍していた“白鷲”のブルー・セレンディバイト号も現在行方をくらましており不在。
それ以外の海軍所属の海賊達の船はその大艦隊を見るなり錨を上げて、まるで蜘蛛の子を散らすかのようにドルファン港から散り散りに逃げ始めていた。
威嚇射撃もほどほどに全速力で逃げていくドルファンの船を、先行する基幹船のデッキから眺めていたシュバルツデスアプグルント騎士団の“猛る雷”ことエルヴィン・ハーンは、その様子に呆れながら隣に立つ船長に向けて言った。
「主力となるシレーナ・ケ・カンタがいなければ、まともに戦う気力もなしってか?」
ハンガリア海軍に所属し、人生の半分以上を海の上で過ごしてきた船長は小生意気なこの黒ずくめの鎧の男を受け入れているわけではなかったが、その意見には同意だった。
「所詮寄せ集めの烏合の衆だ。シチー島沖やパーニヤ沖ではなかなか見どころのある戦い方をしたそうだが、特定の船長の力によるところが大きいようだな」
「へえ……」
生返事を返しながら風になびく金色の髪を片手で撫でる。
ここまでは“緋眼のサリシュアン”の情報の通りだった。
シレーナ・ケ・カンタが不在で、それに随伴して海軍将校のジョアン・エリータスも不在の状況であれば、ドルファン海軍は何の機能もしないはずだ、と。
事実としてそうなっているのだが、エルヴィンはその結果に今一つ納得がいっていなかった。
この一年でドルファン海軍は予想外に善戦していたし、それは傭兵を募り海賊達を引き入れたからだ。
しかし、それを統率していたのがジョアン・エリータスだという情報には猜疑的だった。
ジョアンは元々海軍の将校であり、傭兵徴募の以前から海軍を率いていたが、その当時には優れた指揮を執るような情報はまったくなかった。
「なにか、いるはずなんだよなぁ……懐刀みたいなヤツが」
エルヴィンはそう呟きながら朝靄の海原の先に霞むドルファン港を見やった。
隣の船長も単眼鏡を覗き込みながら、やや不安げに言う。
「問題はズィーガー砲だが、本当に撃ってこないのだろうな?」
その言葉にエルヴィンは肩をすくめて見せた。
「そいつはドルファンのお偉いさんに聞いてくれ。あの男が本当に団長に忠誠を誓っているなら、弾丸は飛んでこないだろうよ」
「あの男だと?」
訝し気に顔をしかめる船長に、エルヴィンは不敵な笑みを浮かべるのみだった。
「あの男さ。ドルファン王国を最も愛し、その歴史を最も重んじる、な」
プリシラ・ドルファン王女摂政宮は早朝にも関わらずすでに身支度を整え、国王の寝室にミラカリオ・メッセニ中将とともに赴いていた。
数年前に肺を病んで以来、ベッドで寝たきりの生活を強いられている国王デュラン・ドルファンは辛そうに上体を起こしてその二人の顔を静かにみつめていた。
プリシラが神妙な面持ちで言う。
「事前の情報通りハンガリアとアルビアの連合艦隊が沖合に来ています。シレーナがいない今、海賊船はほぼ応戦せずに逃げ回っています」
デュラン国王は静かに頷く。
「……ズィーガー砲はどうなっている?」
それにはメッセニ中将が低い声で答える。
「前回は近衛兵団が使用したので迎撃を行えましたが、今回それは叶わんでしょう」
「運用は陸軍……ピクシスか」
顔を撫でながらそう呟いたデュランは軽く咳き込んだ。
あわててプリシラが水の入ったグラスを差し出すが、デュランはそれを手で制した。
「よい。それよりも例の黒い騎士団はどこまで来ている?」
グラスをサイドテーブルの上に置きながら、プリシラは浮かない声で言う。
「夜明けとともにダナンを出発するとの知らせが届いています。今日の夕刻には首都城塞まで到達する見込みです」
「あまり時間がないな」
「……はい」
デュランは長く深いため息を吐きながら、弱り切って痩せた顔からぎょろりと覗く瞳でメッセニ中将の見た。
「メッセニ。貴官が証人として立ち合うのだ」
「……御意のままに」
その場に跪くメッセニ。
それを横目で見ながらプリシラは口惜しさを隠そうともせずに歯を食いしばっている。
強く握られた手が震えているのに気付いたデュランは、痩せ細り枯れ枝のようになった手を伸ばしてその手を取った。
「お父様……」
それに気づいたプリシラが声を上げると、デュランは優しく微笑んだ。
「これでいいのだ。弱り切ったこの体では王城を脱する事は出来ぬ」
「でも……!」
言いかけたプリシラの瞳から涙が零れる。
それを見たデュランは目を細めた。
「本当の父娘でないにも関わらず、お前には責任ばかりを押し付けてしまうな。こんな形でしかドルファンを守れない不甲斐ない私を笑ってくれ」
「そんな事ありません! お父様は私を愛して下さいました。本当の父娘とか、血がつながっていないとか、そんな事は関係ありません。私はお父様が愛したこのドルファンが好きです。だから私もこの国を守りたいのです!」
涙ながらに訴えるプリシラの言葉に、デュランの年老いた頬にも光る物が滑り落ちた。
それを拭うとデュランは病魔に侵されているとは思えないほどの強い意志の宿った声で言った。
「では、始めようぞ」
夜が明けきらないうちにレッドゲートへと舞い戻ったパトリツィアの姿を見て、ロゼッタは思わず声を上げそうになったのを必死で飲み込んだ。
全身に返り血を浴び、黒い鎧が真っ赤に染まっているのを目の当たりにしたからだ。
何があったかはその壮絶な姿を見れば想像がつく。
ロゼッタは手近な井戸端へパトリツィアを連れて行くと、全身にこびりついた返り血を洗い流してやった。
「あなたは負傷していないの?」
頭から水をかけてやりながら言うロゼッタに、パトリツィアは小さく頷いた。
「攻撃を回避する事に注力しましたので」
「よくあの連撃を躱せたわ」
「連撃のスピードは驚異的でしたが、攻撃パターンは比較的単調でした」
「それにしたって」
あらかた流し終わり濡れネズミと化したパトリツィアの小さな体をロゼッタは優しく抱きしめた。
「……無理はしないで。パティの実力はよく知っているけれど、死んでしまったらそれで終わりなんだから」
「ロゼッタ様……!」
その柔らかな暖かさにパトリツィアは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚える。
こうしてロゼッタが自分を大切に”人”として扱ってくれるたびに、パトリツィアは得も言われぬような暖かい気持ちが湧き上がってきて、この人の為ならばどんな事もやれるような気がしてくる。
そんな心地よい暖かさに浸っているところに、不意に男の声が聞こえた。
「ローゼ、オーエンズさん!」
甘美な時間を邪魔する声にパトリツィアは不機嫌さを隠そうともせずに声の主を見た。
薄暗い中を駆け寄ってきたのはロゼッタの双子の弟、如月忠正に間違いなかった。
「何をしているんだ?」
忠正の無遠慮な言い方にパトリツィアは恨みがましい視線を送る。
それを横目に苦笑しつつ、ロゼッタはパトリツィアから手を放して忠正の方を見た。
「シュバルツの部隊長とその部下が先行してレッドゲートを通過したわ。全員片づけたけれど」
一瞬顔をしかめた忠正は、濡れそぼったパトリツィアを見て何やら納得したようだった。
「大丈夫なのか? 先行視察に来ていたのだろう? それを……」
「言いたい事はわかるけれど私とパティの裏切りなんて、事が始まればすぐにバレるわ。それよりも脅威にしかならない“黒衣の聖女”を早い段階で排除出来た事の方が大きい」
「部隊長級の二つ名持ちか。あとは誰がいるんだっけ?」
その質問にはパトリツィアが早口に答えた。
「“猛る雷”エルヴィン・ハーンと、“帝王の門番”ゴットフリート・ファン・デン・ブルク。エルヴィンはハンガリアとアルビアとの連携の為、海に出ているはず。本来は“黒い死神”アンスガー・ヘイガーが担う役割だったはずだけれど、誰かさんが彼を亡き者にしたから」
忠正は肩をすくめてみせる。
パトリツィアはつんと横を向きながらも続けた。
「ゴットフリートはその二つ名の示す通り、団長の護衛であり側近の実力者だから、ヴァルデマールの側を離れる事はない。なので今回の作戦の一番の脅威は彼という事」
忠正は目を合わせてくれないパトリツィアの態度に苦笑しながらも、気持ちを切り替えて真面目な口調でロゼッタに言う。
「もう一度作戦をおさらいしておこう。オレ達の目的はデュラン国王とプリシラ王女を城から無事に脱出させ、ブルー・セレンでシレーナ・ケ・カンタと合流することだ。それはいいな?」
今度はさすがに忠正の方を見たパトリツィアとロゼッタが頷く。
「よし。作戦成功への障害となるのは二つ。一つ目はデュラン国王の体調だ。長く病に臥せておられた国王は足腰も弱っているはず。走る事も難しいはずだ。それをどうやって例の場所までお連れするかだが……」
忠正は言いながらロゼッタの顔を覗き込む。
ロゼッタは神妙な顔をして頷いた。
「それに関しては大丈夫。信頼が置けて、なおかつ凄腕の馬車を手配してある……はずよ」
「なんだ、その“はず”っていうのは……。本当に大丈夫なんだよな?」
今度はロゼッタが肩をすくめてみせた。
忠正は小さくため息を吐いて続けた。
「二つ目の障害は、王室会議との対決。これはプリシラ王女のご意向でもあるが、裏切りの首謀であると思われる王室会議メンバーとシュバルツデスアプグルント騎士団のヴァルデマールが揃った現場で話をしたいとの事だ」
「どうしてそんな事をする必要があるのかしら。これがなければ、先に王女と国王を秘密裏に逃がす事ができたのに」
「裏切りの証拠をその目で確認しておきたいという事だろう。推測だけで国外逃亡をして舞い戻ったとしても、その不在の期間がある限り国民からの不信を買う事は火を見るよりも明らかだ。その時に確信を持って情報発信する為にも、必要な事とプリシラ王女とデュラン国王はお考えのようだ」
「なるほど。それは確かにそうかも」
ロゼッタが頷いた時、レッドゲートの城壁の上から眩い光が差し込んできた。
「……夜明け」
パトリツィアの呟きとともに目を細めてその太陽の光を仰ぎ見た忠正は、やや緊張の面持ちで二人を振り返った。
「ここからはドルファンの未来をかけた作戦になる。失敗は許されない」
無言で頷くロゼッタとパトリツィア。
忠正も頷き返すと、決意を込めた声で言った。
「じゃあ行こう。ドルファン城へ」