続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【84】崖の果ての賭け

 潮の流れに身を任せ漂うままに流れていたアンは、不意に夕焼けの赤い光を遮る陰に顔を上げた。

見上げた先には深みのあるグレイッシュブルーに塗られた、独特な船体の中型船が海上を滑っていくところだった。

三本マストの帆船ではあるのだが、後部デッキにはなぜか煙突のようなものがそびえたっているのは異様だ。

煙突は煙を吐いていないが、メインマストに張られた帆は風を孕んで膨らんでおり、そこには骸骨を掴んだ白鷲が描かれている。

 

 しかしアンはその船を知っていた。

忠正の所属するドルファン海軍の主力にして海賊船団“白鷲”の基幹船、マルタギニア海最速の呼び名も高いブルー・セレンディバイト号だ。

以前忠正を海で救出した際にこの船を見た事があったが、少しだけ形が変わったように見えるし、こんな煙突はなかったはずだった。

 

――最期にもう一目だけ逢えるかもしれない。

 

そんな思いから船に手を差し伸べたアンの姿は、波の陰に隠れて消えた。

 

 

 銀髪の御者の駆る馬車は明らかに法定速度を超過した速度でキャラウェイ通りを走り抜け、サンディア岬駅を横目に教会への道を走って行った。

プリシラ女王を乗せた馬車はドルファン港へと向かっているものと思いこんでいた追討隊はまんまと思惑を裏切られ、この道を封鎖するような者は誰もいなかった。

 

 馬車は教会へと続く道を疾走し、そのまま白く輝くドルファン教会の脇を滑り抜け、裏に広がる共同墓地の入口へと入って行ってようやく停まった。

 

「到着したぜ」

 

御者の声に客車からふらふらと降り立った忠正達は、まだ体が上下に揺られているような浮遊感を味わいながら御者の方を見た。

そしてロゼッタは一歩前に出ると懐から金貨を詰めた袋を取り出した。

 

「ありがとう。無事に目的地に到着する事ができたわ」

 

御者はなんのためらいもなく袋を受け取ったが、中身を改めるような事はしなかったが、ロゼッタの顔をまじまじと眺めると、その涼し気な目を細めて微笑んだ。

 

「まあ、仕事だからな。それにしても良く似ているな。その髪を三つ編みにすれば、若い頃のあいつに瓜二つだ」

 

ロゼッタは一瞬驚いたような顔をしたが、ふふんと肩をすくめながら言う。

 

「だとすればお母様も若い頃はなかなかの美人だったという事ね」

 

その言葉に御者はおかしそうに声を上げて豪快に笑った。

 

「その物言いは親父の方の血だな。そっちの坊主は生き写しかと思うくらいそっくりだが、その瞳の色だけは母親譲りか」

 

そう言いながらまっすぐな視線を向けられた忠正は、わずかに戸惑いながら頷いた。

 

「父と母の知り合いのようですね。失礼ですが、お名前を伺っても?」

 

御者は値踏みをするように忠正を眺めたが、やがてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「ジーン・ペトロモーラだ。お前らの両親とは古くからの付き合いなんだ。なんにせよ、仕事は果たしたからな。オレはここらで失礼させてもらうぜ」

 

金貨の袋を乱暴に御者台に放ると、ジーンと名乗った御者は手綱を引いて追撃でボロボロになった馬車を走らせ出した。

 

 半ば惚けながらそれを見送った忠正は、あわてて顔を左右に振るとロゼッタ達の方を見た。

 

「岬の方へ行こう。タイミング的には、もう着いているはずだ」

 

 

 

 共同墓地を抜けていくと、その端の断崖絶壁に面した岬の先に、小さな墓がある。

墓標にはかすれた文字でルシ*・ライ*ノールと刻まれているが、安い墓石が長らく海からの強い風と雨にさらされたせいでほとんど読み取る事は出来ない。

その墓石を何の気なしに眺めていたルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラは、共同墓地を抜けてくる忠正達一行に気づくと、手を上げた。

 

「タダマサ! こっちだ」

「時間通りだな!」

 

ルシルの隣まで駆け寄った忠正は崖の淵まで行くと、三〇メートルはあろうかという高さを見下ろし小さな声で唸った。

 

 そこにはなるべく岸壁に近い場所に寄せながら海上に浮かぶ、改修を終えたブルー・セレンディバイト号の姿があったからだ。

見慣れたグレイッシュブルーの船体にそそり立つ煙突からはわずかに黒い煙が立ち上っている。

そして、ここからは距離が離れてはいるが、その甲板にはエルザ・ディーリアをはじめ、ブリジットやメネシス、コーミンの姿が見える。

その面々に向かって忠正が手を振っていると、隣まで来て船を眺めたロゼッタが小さく口笛を吹いた。

 

「わお、素敵な船ね。それで、どうやってあの船に乗り込んだらいいの?」

 

ロゼッタの疑問はもっともだった。

崖の高さは相当なものだし、船までの距離は優に一〇〇メートルはある。

そもそも桟橋があるような場所でもないこの岬の先に、ルシルはどのようにしてやってきたのか。

その疑問にルシルは不敵な笑顔を浮かべた。

 

「ああ、あれさ」

 

そう言ってルシルは少し先にある立派な木を指さした。

 

「はあ?」

 

ロゼッタはいぶかしげにその木の方を見ると、その顔が見る間に青ざめていった。

 

「え? 念の為に聞くけれど、あれで船まで行くの?」

「もちろんだ。この場所に部下を先行させておいて、しっかりと仕掛けさせてもらったぜ」

 

ルシルが胸を張って言うのでなおさらロゼッタは大きなため息を吐いた。

 

 その木の幹には二本のロープが巻き付けられていた。

二本のロープは上下に二〇センチほど間隔で平行に張られており、そのロープは遥か先のブルー・セレンのメインマストのシュラウドにつながっているようだった。

二本のロープの間に滑車が取り付けられており、滑車の左右には何か持ち手のようなものが付いている。

滑車本体にもロープが結び付けてあり、手繰り寄せる事が出来るようになっているようだ。

 

「まさかあれにぶら下がって船に乗り移るわけじゃないわよね?」

 

ロゼッタが恐る恐る確認をするとルシルは不思議そうな顔をした。

 

「ん? 何を心配しているんだ? 海賊じゃあ当たり前の移動方法だぞ」

「だって、もしも手を離したら一巻の終わりじゃない!」

「手を離さなければいいだろう。オレが船からこっちに移動してくるのに使っているから、安心していいぜ」

 

あっけらかんと言ってのけるルシルにロゼッタはもう一度大きくため息を吐いた。

 

 そんな二人のやり取りを横目に、忠正が言う。

 

「それよりも急ごう。恐らくハンガリアやアルビアの目を盗むことが出来ていると思うが、なるべく早くここを離れたい。錨を下ろしている所を狙われたら危険だ」

「それもそうだな。じゃあとっとと船に移ってくれ。誰から行くんだ?」

 

ルシルの言葉に流石の忠正も若干腰が引けたが、そこには近衛兵団長のコナーが名乗りを上げた。

 

「まずは私が行こう。姫様もこれを使う以上、安全性は確認したい」

「あら、わたしは楽しみだけれど。海賊気分が味わえるなんて最高じゃない?」

 

プリシラのあっけらかんとした言葉を無視したコナーは滑車の持ち手を掴み、強度を確かめるように何度か体重をかけると、意を決したように崖から飛び降りるように身を翻した。

滑車は驚くべきスピードで加速しながらも二本のロープの間を安定して滑っていき、岬に響き渡るコナーの絶叫とともに瞬く間にブルー・セレンの船上へと滑り降りていく。

最後は網のように張られたシュラウドに半ば突っ込むような形で放り出されたコナーは、絶叫してしまった事にわずかに顔を赤らめながらも無事に甲板に降り立ち、少し照れくさそうに岬の上へと手を振った。

 

「ほら、楽しそうじゃない!」

 

まるで子供ようにはしゃぐプリシラの態度に、忠正はコナーの日頃の苦労を想像せずにはいられなかった。

 

 

 ルシルが手元のロープを引いて滑車を岬まで手繰り寄せると、次はプリシラが歓喜の声と共に滑り降り、ロゼッタ、パトリツィアが続いて行った。

再び滑車を戻すためにルシルがロープを手繰り寄せるが、この作業が地味だがなかなか時間がかかってしまう。

 

 その時、何の前触れもなく岬の反対側からゆっくりと何かの帆船のジプセイル(船の先頭の三角帆)の影が現れた。

忠正もルシルもその突然の来訪者に言葉もなく、思わずお互いの顔を見合わせた。

間もなくその旗艦船は静かに岬を廻って、その巨体をさらしていった。

間違いなくハンガリアの軍艦で、ガレアス船の旗艦級であった。

 

「Volltreffer!! 見つけたぜ、カワイ子ちゃん!」

 

その旗艦船の船橋で舵輪を握る船長の隣で声を上げたエルヴィン・ハーンは、すかさず指示を飛ばす。

 

「左舷砲門開け! 準備出来次第、一斉射!! 急げよ!!」

 

舷側の砲門を閉じていた蓋が次々に開き、黒塗りの二〇ポンドカルバリン砲が姿を現す。

 

 その光景を見た忠正は、ようやく手元に戻ってきた滑車をルシルに掴ませた。

 

「ルシル、セレンに戻ったらすぐに出航用意だ。いざとなったら滑車のロープは切り離して構わない!」

 

ルシルは舌打ちをしながらも声を投げる。

 

「ボイラーはいつでも動かせるように温めてある。だけど、お前はどうすんだよ!」

「なんとかするさ!」

 

言いながらルシルの背中を強く押して送り出す。

ルシルの姿があっという間に小さくなり、ブルー・セレンの甲板に華麗に着地をすると、彼女が指示を飛ばしているのが見えた。

忠正は必死に滑車のロープを手繰っていくが、滑車はじりじりと近づいてくるものの、その速さは牛の歩みのようであった。

 

 耳を劈くような火薬の爆発音が響き、ハンガリアからの第一射がブルー・セレンの周辺の海域に水柱を立たせる。

それと同時に崖面にも直撃した砲弾で忠正のいる岬の地面が激しく揺れる。

もしも砲弾の威力で崖が崩れるような事があれば、忠正はもちろん、崖面に近い所にいるブルー・セレンも巻き添えを食って終わりだ。

 

 まだ半分の位置にも戻っていない滑車を睨んでいると、ブルー・セレンの煙突の細い煙が勢いを増し、もうもうと黒煙を吐き出し始めた。

それと同時にいままでわずかにたわんでいたロープがピンと張り、結び付けている木がギシギシと音を立て始めた。

 

「流石、コーミンとメネシスの自慢の蒸気機関だな。初動が早い……!」

 

二人の天才の偉業を誉めつつ、この瞬間ばかりはそれが恨めしい気持ちで呟いた。

忠正は意を決したように滑車のロープを手放すと、腰に差したレイピアを鞘ごとベルトから外した。

そしてそれをピンと張り詰めたロープの上に通すと、刀身部分を両手で持ち、さながらグライダーにぶら下がるようにブルー・セレンへ向けて滑り降り始めた。

 

 ブルー・セレンの艦上から仲間たちが声を上げているが、それよりも忠正の耳に届いたのは限界まで張り詰めたロープが上げる悲鳴のような音だった。

ブルー・セレンはその強力な推力を以て束縛から解放される瞬間を待つように、じりじりと速度を上げて崖から離れていく。

 

「あと少し!」

 

半分を超えたあたりで忠正が声を上げた瞬間、それまで必死に耐えていたロープがバツンと音を立てて千切れとんだ。

 

「くそっ!!」

 

あと数メートルというところで空中に投げ出された忠正は、慣性の法則によってそれでもブルー・セレンに向かって宙を舞う。

必死に体制をコントロールしながらシュラウドではなくミズンマストの一番下の帆に突っ込んだ忠正は、一瞬だけ帆の弾力に包まれつつも、それに弾かれて強かに後部デッキへと叩きつけられた。

ぎりぎりで受け身を取ったものの、その衝撃で肺の中の空気をすべて叩き出された忠正は激しい痛みに襲われたが、それは紛れもなく自分がまだ生きている事の証明でもあった。

 

「忠正!」

 

駆け寄ってきたロゼッタに対しなんとか親指を立ててみせた忠正は、痛みをこらえて必死に立ち上がった。

その姿を船橋から眺めていたルシルはにやりと笑って声を投げた。

 

「よう、なんとかなったな!」

 

忠正は苦痛に顔を歪めながらも、渋い笑顔を浮かべた。

 

「出航させろと言ったのはオレだからな」

 

ロープによる束縛から解放されたブルー・セレンは、勢いを増して砲弾の雨の中を進んで行った。

 

 

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