続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

85 / 106
【85】復讐の代償

 岬を大きく回りながらブルー・セレンの進路を塞ぐように進むハンガリアの船に対し、ルシルは極力狙われる面積を減らすように正面を向けながらも、どこからこの執拗な砲撃を逃げられるか模索していた。

しかしゆっくりと思案している間に、砲弾の雨は勢いを増していくし、敵船の増援もあり得る。

事実、ハンガリア船は先ほどから鮮やかな赤い色の発煙筒を焚いており、ドルファン港にいる仲間の船を呼び寄せているのは明らかだった。

 

 船体すれすれを落下する砲弾に立ち上る水柱のしぶきを被りながら、ルシルは舵輪を握りつつ歯ぎしりをしていた。

それはこのハンガリアの船の猛攻に対してではない。

これから経験する、初めての現象に対する漠然とした不安と緊張からだった。

このハンガリアの船を躱して外洋へ抜けるには、風力と人力、両方を備えるガレアス船を凌ぐ機動性と加速力を以て突破するしか方法はない。

 

 岬を巡る風はマストの帆を膨らませるだけの強さはあったが、ブルー・セレンを最高速までに持っていくのにはあまりにも心許ない。

そんな緩やかな風を頬に感じつつ、ルシルは覚悟を決めたように一人頷くと甲板中に響き渡る声で舵輪の横に新たに備え付けられた伝声管に向かって叫んだ。

 

「総員衝撃備え! 機関、赤色燃料投入!!」

 

その言葉にブルー・セレンのクルー達は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、あわてて復唱の声を上げる。

 

「衝撃備え! せ、赤色燃料投入!!」

 

伝声管を通じて機関室の中で指示を聞いていたメネシスは眼鏡の下の目を細めてほくそ笑んだ。

 

「お、いよいよ投入か。楽しみだね」

 

心底愉快そうなその声に、隣に立っていたブリジットは思わず目の前にいる自分よりも背の低いコーミンの白衣の裾を握った。

 

「だ、大丈夫でしょうか? 圧力に耐えられなくてボ、ボイラーが爆発したりしませんか……?」

 

コーミンはその幼い容姿にそぐわない不遜な態度で胸を張る。

 

「ふん。このコーミン様が設計をして、あんたが寸分の狂いもなく打ちあげた窯だ。爆発なんてするわけがないね」

「で、でも、メネシスさんが規格外の爆発力を持たせた可能性も……!」

「あんた、人をなんだと思って……」

 

メネシスが呆れ気味に言った時、赤々と燃える石炭の窯に、煤で汚れた顔の機関士が赤い布で包まれた細長い筒のようなものを放り込み、すぐさま鋼鉄の分厚い蓋を閉めた。

ブリジットが身をすくませ、メネシスとコーミンが耳を手で塞いだのとほぼ同時に、くぐもった爆発音が響いた。

 

 ボン、という激しい音と共に煙突から真っ赤な煙を盛大に噴出したブルー・セレン号は、それ以外は変化がないように見えた。

依然として砲弾の雨を搔い潜りながらじりじりと進んでいたブルー・セレンは、引き続き逃げ道を探してオロオロとさ迷っているようにすら見える。

 

 だが、海面の下に隠れたコーミン・キャプスタン考案の螺旋式推進器、いわゆる“スクリュープロペラ”はメネシスが作成した爆発的にボイラーの温度を上げる“赤色燃料”によって発生した力でそれまでの十倍以上の回転力を発揮し、マルタギニア海の海水を掴んでいた。

 

 ブルー・セレン号の巨大な船体の頭が一瞬不自然に水面から頭を出したかと思うと、そのブルーグレイッシュの船体が一気に加速してハンガリアの船へと迫って行った。

 

「な、なんだぁ!?」

 

これに驚いたのはハンガリアの船長とエルヴィン・ハーンだった。

どんなに快速を謳う帆船であったとしても、現実的にありえない挙動、速度で迫り来るその海賊船の姿に、さしもの二人も飛び上がらんばかりに驚きの声を上げた。

 

「あ、ありえない! なんだあの船は!?」

 

船長の言葉を聞き流しながら、まっすぐにこちらに突っ込んでくるブルー・セレンにエルヴィンは声を荒らげた。

 

「船腹に突っ込んでくるぞ! 主舵でも取り舵でもいい、目一杯回せーっ!!」

 

 

 ブルー・セレンディバイト号では、人生のほぼすべてを海の上で過ごしてきたルシルが、常に不敵な笑みを浮かべているその顔に新鮮な驚きと子供のような無邪気さをこらえきれずに、興奮の面持ちで舵輪を握っていた。

彼女の長い船乗り人生の中でも、全身に感じるこの風と海原を走る疾走感は感じた事のないものだった。

 

「最っっ高だな、オレのブルー・セレンは!!」

 

そう叫びながらもハンガリア船がわずかに取り舵方向に回頭し始めたのを見逃さず、主舵に舵輪を勢いよく回す。

三本のマストに張られた帆を操るロープが俊敏に反応し、水面下ではスクリュープロペラの下に取り付けられた舵が力強く動き、ブルー・セレン号はまるで生き物のように進路を右へと変更していた。

 

 重鈍なハンガリア船の左舷後方を小型ヨットのような身軽さで駆け抜けたブルー・セレンは、ついさっきまで停船していた船とは思えない速度で沖合に向けて疾走し始めた。

見る間にハンガリアの船との距離は広がっていき、焦ったハンガリア船のクルーが後部デッキの大砲を用意しているところに、冷静に役割を全うしていたブルー・セレンのクルー達は後部に装備された四十二ポンドカノン砲を見舞う。

 

 戦闘経験豊富なブルー・セレンの海賊達がまだ百メートルと離れていない距離で砲撃を外すはずなどなく、的確に船尾楼にダメージを与えつつ二撃目、三撃目を放っていく。

通常、船体後部に装備している大砲はメインとなる大砲ではなく、サブ的な役割を担う事が多い。

ハンガリアの船はその例に洩れず、十二ポンドの半カルバリン砲しか装備していなかった為、その火力の差はまさに火を見るよりも明らかだった。

 

 

 せっかく追い詰めたはずの獲物を、見た事もないような何かの力を使われて取り逃がすであろう屈辱を、エルヴィン・ハーンは後部デッキに上りながら苦々しく噛みしめる。

離れていくブルー・セレン号のその後ろ姿と、空に伸びていく黒い煙の向こうの甲板を睨みつけた時、慌ただしく走り回るクルー達の中に“緋眼のサリシュアン”ことロゼッタ・サリシュアンの姿を確かに見た。

 

 ロゼッタもまた、こちらを視線だけで射殺さんばかりに睨みつけているエルヴィンの姿を見つけていた。

二人は一秒ごとに十メートル以上の速度で離れていきつつも、お互いの姿から視線を外さない。

 

 そして、エルヴィンはそのロゼッタの隣に立つ、黒髪の騎士の姿もまた見つけていた。

離れているにも関わらずその特徴的なルビー色の瞳は、すぐそばで確認しているように鮮やかに見えた。

ロゼッタとその騎士の纏う雰囲気や佇まいがあまりにも似ているので、一瞬エルヴィンは我が目を疑ったが、すぐに首を振りながら海面に向けて唾を吐き捨てた。

 

「裏切り者のお嬢ちゃんと瓜二つの騎士……ね。そのツラ、覚えておくぜ」

 

エルヴィンは金髪の髪をかき上げながら怒りに任せて手すりを蹴り上げた。

 

 

 

 すでにカノン砲の射程距離である二千メートルを超え、増援の船も遥か遠くのドルファン港に置き去りにした事を確認したところで、ようやくルシルは大きく息を吐きながら、声高く叫んだ。

 

「見たか、ブルー・セレンの走りを! マルタギニア海最強・最速・最高の船は、この“白鷲”が誇るブルー・セレンディバイト号だ!!」

 

その勝鬨にクルー達も一斉に歓声を上げ、船上は一気に祭りのような興奮に包まれた。

 

 史上初の高速蒸気機関船として産声を上げたブルー・セレンディバイト号は初戦を見事な勝利で飾り、その性能を誰の目にも明らかな程に遺憾なく発揮した事に乗員全員が一体感に包まれて歓喜の声を上げていた。

普段は人の輪に入ろうとしないメネシスやコーミンが機関室から上がってきて甲板で酒瓶を片手に乾杯をしている事や、堂に入った人見知りのブリジットが堅物のエルザと抱き合って喜んでいる事からも、いかにこの成功が大きな出来事なのかを物語っている。

 

 ロゼッタも出会ったばかりのルシルと肩を組んで喜び合い、パトリツィアですらその隣でわずかに微笑みながらその様子を眺めている。

普段は決してプリシラの脇から離れないコナーもこの時ばかりは海賊たちとともに歓喜の声を上げ、プリシラは一歩離れたところで皆が喜ぶ様を満面の笑みでみつめていた。

 

 つまりこの瞬間はこの船の全員が喜びに浮かれ、誰もが油断していたとも言える。

なので、船のメインマストの監視台に全身黒ずくめの仮面の男が忍びこんでいた事には誰も気づいていなかったし、後部デッキへと続く階段の脇にアンの姿があった事にも気づいていなかった。

そして、この千載一遇のチャンスを忠正がひたすらに待ち続けていた事も、誰一人として気づいていない。

 

 

 忠正は幼い頃より剣を取るよりも本を読む方が好きな子供だった。

ただ、それ以上に育ての親であり、最も近しい家族でもあったねえやのプリムの事が大好きだった。

ローズバンク手記を見つけ、ドルファンを追われたプリムの過去を知ってしまった時、忠正の心は決まった。

デュノス・ドルファンやレイス・ローズバンクの為ではない。

最愛のプリムを故郷から追い出し、彼女の人生を奪ったドルファン王国への復讐こそが、忠正の“本当の目的”に他ならない。

そしてそれは、王家の人間を殺すことでしか果たす事は出来ない。

 

 その目的達成への最短距離として、忠正は十四歳でスィーズランド軍への入隊を決意した。

家族の誰にも相談せず、スィーズランド軍の剣術指南役だった父親の名前を最大限に活用して鳴り物入りで入隊した彼は、それこそ血の滲むような努力と苦労の末、その知識と戦術眼で最年少軍師に成り上がった。

それも、永世中立国であるスィーズランド軍の幹部になれば、ドルファン王国の軍中枢に潜り込む機会もあると踏んでの事だった。

 

 しかし、シュバルツデスアプグルント騎士団の暗躍によりハンガリアがドルファンに戦争を仕掛けた事で状況は大きく変わった。

傭兵徴募が始まったと同時に、忠正はスィーズランド軍を辞めて傭兵になった。

ここで活躍する事で国王やプリシラに謁見する機会があるかもしれない。

そして、もしドルファン国軍の正規軍人として登用されることがあれば、王族との距離はどんどん近づいていくだろうし、そうなれば暗殺の機会も訪れるかもしれない。

 

――すべてはその時の為。

 

プリムの為の復讐こそが、忠正の“本当の目的”であり、生きる意味なのだ。

 

 だが、目論見通りにドルファン王国に降り立った忠正にも誤算はあった。

ドルファンで出会った人々は皆善良であり、忠正にとって善き隣人になってしまった事。

元来の性格とその名が示す通り、正義に忠義を尽くす事に喜びを感じてしまった事。

そして、実際に目の当たりにした復讐対象であるドルファン王族のプリシラ・ドルファンが国の為に、国民の為に生きる誠実な王であった事。

憎むべき対象であり、復讐の為に殺すと決めた人物が、善良で真っ当な人であった事が忠正を戸惑わせていた。

 

 また、ドルファンで出会った人々と築き上げた信頼関係が彼の決心を鈍らせていた。

見知らぬ地で戸惑っていた忠正に親切にしてくれたフィオナ。定食屋で明るく接してくれるサラ。軍部で一緒に仕事をしてきたジョアンやエルザ。傭兵仲間として死線を共にしたルシル。世界の歌姫であるにも関わらず信頼を寄せてくれるソフィア。王室会議のメンバーでありながら後援をしてくれるリンダ。それだけでなく、ブリジットやメネシス、コーミン、メッセニやコナー、様々な人が忠正を信頼し、期待をしてくれていた。

 

 これから行おうとしている行為は、そういった人々の信頼を裏切る行為だ。

それどころか、この国の将来、未来を踏みにじるに等しい行為なのかもしれない。

たった一人の個人的な復讐の為に、そんな人々を裏切る事が出来るのか。

そんな思いが忠正の最後の一歩を逡巡させていた。

プリムの事は家族として、育ての親代りとして愛している。

彼女の名誉の為にもこの復讐は正しい物だ。

頭ではそう思っているのに、ドルファンで出会った数多くの人たちの顔がちらついて忠正の右腕は凍り付いたように動かない。

忠正は深く息を吐きながら雑念を振り払うように目を閉じた。

 

 

 その時、閉じた瞼の裏に一人の女性の姿が浮かんだ。

艶やかな水色の波打つ長い髪。幼さと大人っぽさが同居したような穏やかな笑顔。

忠正をみつめる海のようで深く神秘的な瞳。

忠正にとって、この国で出会った“特別な人”。

来年のクリスマスも一緒に過ごそうと約束をしたのに。

確かにお互いの心が通い合ったと思っていたのに。

 

 その想いは波にさらわれていったかのように、あっけなく消えていった。

彼女の未来を守る為ならば、復讐など捨ててもいい。

プリムの名誉を取り戻す事が出来ないかもしれないが、それでも守ってあげたいものができた。

 

 

――守るべきその明日は、拒絶された明日となった。

 

 

 再び忠正が目を見開いた時、そのルビー色の瞳にはもはや迷いの色は無かった。

凍り付いていた右腕は呪縛から解き放たれ、レイピアを引き抜く。

皆が一様に湧き上がり、忠正の行動に気づく者はいない。

プリシラ女王の後ろに静かに歩み寄った忠正は、レイピアを大きく引いて必殺の突きの構えを取った。

極度の緊張と興奮に忠正はまわりの状況など一切見えていなかった。

 

「プリシラ・ドルファン、覚悟!!」

 

発声と同時にプリシラの背中から心臓めがけて突きを放った瞬間、「忠正さん! 危ない!!」という声と共に、彼の身体は何者かによって突き飛ばされる。

 

 

 歓声の響く甲板が一瞬で凍り付いた。

プリシラへの一撃に失敗し甲板に転がった忠正は咄嗟に起き上がり自分を突き飛ばした人物の方を振り返った。

そして、そのあまりにも信じられぬ光景に声を失い、全身が信じられない程に震えた。

 

 そこには――

 

そこには今まさに忠正が立っていた場所で、立ち尽くすアンの姿があった。

その胸には、一本の黒々と光るナイフが突き立っている。

 

「あ……アンさん?」

 

ようやく絞り出した声に、アンは忠正の方を見てわずかに微笑む。

しかし次の瞬間には膝から崩れ落ちる。

忠正はレイピアも捨てて飛び込んでその身体を受け止める。

 

「アンさん! アン!!」

 

必死に名を呼ぶ忠正の叫び声が響いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。