続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】   作:ケルティック☆タイチ

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【86】夢幻泡影

 その場にいた誰もがそこで起きた出来事を理解できないでいた。

胸にナイフが突き立ったアンは力なく忠正の腕に抱かれているが、不可解な事にその胸からは血が流れる事は無く、弱々しい呼吸に胸がわずかに上下している。

 

「アンさん……どうして……!」

 

今にも止まってしまいそうなその呼吸に明らかに動揺している忠正に、命を狙われたばかりのプリシラが膝をついてアンを覗き込む。

そして、すぐに頭上の見張り台を仰ぎ見た。

 

「降りてきなさい!」

 

プリシラのやや厳しい口調と共に、見張り台にいた全身黒ずくめに不気味な笑顔が張り付いた仮面の男が音もなく甲板へと降り立った。

その仮面の男の姿に、異常を察知して忠正の方へと駆け寄って来ていたロゼッタも声を上げた。

 

「“極寒のアイゼスケルテ”!? あなたがなぜここに!?」

 

 アイゼスケルテと呼ばれた仮面の男はその仮面に手をかけると、ゆっくりと外した。

あらわれたのは癖の無い緑色の髪に、やや疲れたような若干の年齢を感じさせるが舞台役者のように均整の取れた美しい男性の顔だった。

そして、その男はロゼッタを無視してプリシラへと跪いた。

 

「女王への即位、おめでとうございます。プリシラ陛下」

「そんな事を言っている場合じゃないでしょう。ナイフを投げたのはあなたですね、カルノー!」

 

カルノーと呼ばれたアイゼスケルテは、さも下らないとでも言わんばかりに肩をすくめる。

 

「もちろん私です。プリシラ陛下の命を狙っていた、この黒髪の男を止めようとしたまでの事です」

 

その言葉にプリシラもロゼッタ、そして周りにいたコナー、パトリツィアが一斉に忠正を見た。

 

「忠正……!?」

 

ロゼッタが緊張した声を上げたが。忠正は他の何者も目に入らない様子でアンを抱きとめている。

 

 プリシラは大きくため息を吐くと、女王らしい威厳を放ちながら指示を出した。

 

「とにかく、まずは船医を呼んで! カルノーの指摘した事に関しての真偽は後でいいわ。各自自分の持ち場に戻って。ほら、早く!」

 

プリシラの言葉にクルー達は不承不承に離れていく。

その様子を見届けながら、プリシラは悲しそうに目を伏せながらロゼッタやコナーに小さく首を振ってみせてその場を離れる。

ロゼッタもコナーも戸惑いつつもプリシラに従って後を追った。

その場には、忠正とアンだけが取り残された。

 

 

 

「アンさん……大丈夫、すぐに治療を……!」

 

腕の中で浅い呼吸をするアンに必死に呼びかける忠正であったが、その顔はひどく動揺していた。

青ざめて震えるその頬に、アンは痛みに耐えながらもそっと手を指し伸ばして触れた。

 

「忠正さん……良かった。最後にあなたの役に立てて……」

「大丈夫。大丈夫だから……!」

 

いつも冷静な忠正がここまで取り乱すのは珍しかった。

だがそれも無理のないことなのかもしれない。

 

 それは頬に触れたアンの指が信じられぬほどに冷たかったという事もある。

しかし、それ以上に忠正を困惑させていたのは、アンの胸にはナイフが深々と突き刺さっているにも関わらず、一滴の血も流れていない事だった。

その変わりに、きらきらと光る何かが傷口から溢れ出ており、音もなく空中へと霧散している。

 

 まるで命の灯火がこぼれ出ていっているようなその輝きを、忠正は必死に背中を支えていない方の手で押さえようとする。

アンは頬に触れていた手を下ろして、忠正の手の上に重ねた。

 

「忠正さん。お別れを……言わせてください。海では死ねない私ですが……ここまでのようです」

 

アンの穏やかな口調に対し、忠正は必死に首を横に振った。

 

「お別れじゃない! 大丈夫、血も出ていない! こんなものはすぐに治る!」

 

言葉ではそう言いながらも、忠正のルビー色の瞳が瞬く間に涙に濡れ、大粒の涙がアンの頬に落ちていく。

その雫の熱さにアンは忠正の想いの強さを感じていた。

 

「忠正さん」

 

あくまで穏やかだが決意の込められたその声に、忠正が頷く。

 

「本当は黙って消えていくつもりでした、でも、やっぱり最後に一目あなたにあいたくて……」

「最後なんかじゃない!」

 

涙でぐしゃぐしゃになった忠正の顔を見上げ、アンは申し訳なさそうに重ねた手を優しく握った。

 

「クリスマスの約束……守れなくてごめんなさい。あなたを遠ざけるような事を言ってしまって……ごめんなさい」

「アン……!」

 

言いたいことはたくさんあるはずなのに、喉が張り付いたように言葉に出来ない忠正の辛そうな顔に、アンの瞳からは一筋の雫がこぼれた。

アンの胸からこぼれる光は勢いを増しており、二人のまわりを薄明るく照らしはじめていた。

その神秘的な光景に、駆けつけてきた船医も近づけないでいる。

 

 アンは苦しそうに呼吸をしながら、必死に声を振り絞った。

 

「私……あなたが好きです。迷惑かもしれませんが……あなたが好き、です」

「そんな! オレも……! オレもアンさんが……!!」

 

溢れる涙と感情に言葉が上手く紡げない忠正に、アンは優しく微笑む。

 

「……嬉しいです。私、あなたを好きになって幸せでした。想いが通じ合って、心を通わせ合って、あたたかい時間を一緒に過ごす事が出来て……」

 

言いながらアンの瞳の端にも涙の雫が溜まっていく。

 

「でも神様は私に人としての生を与えてくださらなかったから。あなたと過ごす未来を一緒に生きることは許されなかったから……」

 

忠正は何を言っていいかわからず、たまらずアンの細い体を、その肩を強く抱きしめる。

アンは目を閉じてその力強さを全身で感じながら、これから口にしなければいけない言葉に躊躇していた。

 

それは、他ならぬ自分自身を縛り付けていた言葉でもあるし、それが呪いにも近しい言葉になる事を誰よりも理解しているからだ。

 

だが、言わなければならない。

伝えなければならない。

今、勇気を出してその言葉を伝えなければ、優しい忠正はきっとこの先立ち止まってしまうだろう。

 

必死に上体を起こしたアンは忠正の手を取り、涙に揺れるそのルビー色の瞳をまっすぐにみつめた。

そして、小さく息を吸い込むとゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「私、あなたを愛しています。いつまでも、永遠に、あなたへの想いは変わりません」

 

昔、あの嵐の中で、真っ黒な海へと消えていったあの人がくれた愛の言葉を。

忠正が驚いた顔をしている。

アンの胸から漏れる光はさらに勢いを増し、その身体が透けるようになっていく。

 

 この言葉だけではだめだ。ここで終わってしまったら、自分が背負ってしまったものを忠正へなすりつけてしまうだけだ。

呼吸もままならない。

言葉を発するのも難しい。

でも、伝えなければ。

 

 アンは最後の力を振り絞り、忠正へ向けて優しく、穏やかに微笑んでみせた。

 

「た、忠正さん。最後のお願いを……きいてくれませんか?」

 

言葉にならない忠正は、何度も力強く頷く。

それに安心したアンは、小さく、だが確かな意志を持って言葉を紡いだ。

 

「どうかあなたは立ち止まらないで。あなたは、あなたの生を全うしてください。例え私がいなくなっても、あなたには明日が来るし……」

 

アンの身体を包む光が一気にまばゆさを増す。

その幻想的な光景を遠巻きに見守っていたロゼッタ達はそのあまりの眩しさに思わず目を細める。

それでもアンは忠正へ向けて続けた。

 

「あなたは、生きているのだから」

 

万感の想いを込めたその言葉に、忠正はしわくちゃになった顔で必死に頷く。

そして半透明といっていいアンの身体をもう一度強く抱きしめる。

その最後のぬくもりにアンは目を閉じ、消え入りそうなほど小さな声で呟いた。

 

「……もし、生まれ変わったら……、今度こそ……あなたと」

 

 

 

 ブルー・セレンディバイト号の甲板が爆発のようなまばゆい閃光に包まれた。

しかしそれはほんの一瞬の出来事で、瞬き一つの内に何事もなかったかのように波の音とボイラーから登ってくる機械音だけが聞こえてくる。

 

 忠正は呆然と片膝をついた姿勢のまま固まっていた。

その腕に抱きしめていたはずのアンの姿はどこにもなく、わずかに泡立った海水だけが足元にこぼれている。

 

「アン……?」

 

何の感触もない自分の手をみつめながら、忠正は震える声を出す。

その呼びかけに答える者はいない。

 

「——っ!」

 

唐突に襲い掛かってきたその事実に、忠正は声にならない声を上げて泣いていた。

 

 その背中を切なげに見守っていたロゼッタだったが、小さく首を振るとしっかりとした足取りで近づいていき、息を吸い込んで言う。

 

「忠正」

 

しかし忠正は反応を示さない。

 

「忠正!」

 

今度はやや厳しい口調で言うと、忠正はようやく顔を上げてロゼッタの方を振り返った。

絶望に打ちひしがれ、希望を失った顔だった。

 

 忠正の悲しみは、痛いほど伝わってくる。

まさに生まれ落ちたその日から一緒に生きてきた双子だ。

他の誰よりもお互いの事を本能的に理解している二人だったが、そのロゼッタをしてもこれほどまでに打ちひしがれた忠正の姿は生まれて初めて見た。

 

 だが、ここで優しく接する事は間違っている。

ロゼッタは自分の中の正義感を奮い立たせ、あえて冷たい口調で言った。

 

「プリシラ陛下の命を狙ったのは……間違いないの?」

 

その言葉のもつ残酷な響きに、甲板を再び緊張が走った。

忠正は絶望の表情のまま目を伏せ、小さく頷く。

 

「……間違いない。オレは……プリシラ様を、殺そうと……」

 

遠巻きのルシルやエルザたちが息をのむのがわかった。

 

――なんでそんな事を!?

 

今にも大声で糾弾したい気持ちを必死に押し殺して、ロゼッタは努めて感情を殺しながら言う。

 

「……女王の暗殺容疑であんたを逮捕、拘束するわ。一応、異議申し立てがあるなら聞くけれど」

 

忠正は涙で濡れた虚ろな瞳のまま黙って首を横に振る。

ロゼッタは深く大きなため息を吐くと、忠正を後ろ手に縛りあげ、その手を強く引っ張り上げて立たせる。

なんの抵抗もしない忠正。

 

「パティ、こいつを船倉の牢屋に」

「は、はい」

 

名指しされたパトリツィアですらいつものポーカーフェイスではなく明らかに戸惑いの表情を浮かべていたが、あわてて縄を受け取ると忠正を船倉へと連行していく。

甲板のクルーの視線に晒されながらみじめたらしく歩いていく忠正の背中を見送りながら、ロゼッタは甲板上に転がっていたレイピアを拾い上げる。

 

「お母様のレイピア……。あんた、どこで道を間違ったの」

 

呟いたロゼッタの隣に、プリシラが近づく。

 

「……ご苦労様」

「申し訳ありません、プリシラ様。私の弟があのような事を……!」

 

あわてて跪いたロゼッタに、プリシラは小さく首を横に振ってみせた。

 

「私はキサラギ曹長がどんな人物なのか、少しはわかっているつもりです。何か理由があっての事なのでしょう」

「どんな理由があったとしても、許される事ではありません!」

「……彼への尋問は、あなたとコナーに任せます。それよりも今はシュバルツの追撃をかわし目的地へたどり着く事を優先させましょう」

 

今まさに信頼していたであろう配下に命を狙われたばかりだというのに、その気丈な態度にロゼッタは驚くと同時に感心していた。

これが人の上に立つ者の素質なのだと。

 

「御意。それで、この船の目的地は当初の予定通りでよろしいですか」

 

ロゼッタの問いにプリシラは遥か彼方の大海原をみつめつつ、静かに頷いた。

 

「ええ。行きましょう。——セサ公国へ」

 

 

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