続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
今回の話は本当に難産で、仕事の忙しさも重なりなかなか書き進められませんでした。
ドルファン奪還に向けて折れてしまった忠正に言葉を届けらえるとしたら、紅玉の双騎士としてはやはりこの人しかいないですよね。
少し大きめの屋敷、といった規模のサヴォイ城であっても王の居城である事に間違いはない。
その地下には他の王城の例に洩れず牢獄が用意されており、外部からの光の侵入を頑なに拒んでいる。
ドルファン城の地下牢獄と決定的に異なる点は、ドルファン城が四つの牢獄を備えているのに対しサヴォイ城のそれは一部屋だけ、という点だった。
そのたった一つの牢獄に、如月忠正は投獄されていた。
脱獄防止用の手枷、足枷をつけられ、冷たい石造りの床の上で足を抱えながら座る忠正の目には、一切の光が届かない地下空間での真っ暗な闇だけが映っている。
目を開けていても閉じていても同じ。
ときたま聞こえるどこかで水が落ちる音がする以外は、まったくの虚無といえる空間で、忠正はただただ無為な時間を漫然と過ごしていた。
忠正の脳裏に浮かぶのはたった一つ。
自分を庇って命を落としたアンの最後の穏やかな微笑み。
光に包まれて消えていったアンの笑顔だけ。
今もってあの瞬間が現実だったのかもわからないが、自分の腕の中でアンは泡となって消えてしまった。
ドルファン王家への復讐も、シュバルツデスアプグルント騎士団との戦いも、すべてが空しい。
心に大きな穴がぽっかりと開いており、すべての感情がその穴から零れ落ちていってしまうような感覚が忠正を支配していた。
そんな地下牢獄に、こつんこつんと階段を下りてくる足音が響き、燐光灯のランプの光が闇を切り裂いていく。
その足音に忠正は顔を上げたが、ランプのまぶしい光は暗闇に慣れ切った目には刺激が強い。
足音の主は鉄格子の前まで来るとしゃがみこんで床の上にランプを置いた。
忠正は顔の前に手のひらをかざしながらしばらく目を細めていたが、徐々に目が馴染んでいきその輪郭が朧気に認識できるようになってくる。
「少し、お話できませんか」
わずかに遠慮気味なその声に忠正は聞き覚えがあった。
「フィオナか……」
名前を呼ばれ、フィオナ・ロベリンゲは神妙な顔で小さく頷いた。
フィオナは鉄格子越しに冷たい石の地べたに座り、忠正をじっとみつめていた。
だが、忠正はその視線を避けるように目を伏せたままだ。
しばらく二人は何も語らなかったが、やがてフィオナが重い沈黙を切り裂くように静かに言った。
「何が起こっているのか、父と母から聞きました。ドルファンが置かれている状況も、プリシラ様の国王即位も。タダマサさんがそのプリシラ様にしようとした事も」
そこまで言いながらフィオナは少し口ごもり、悲しそうに視線を落とした。
「……それに、アンさんの事も」
その単語に忠正の肩がわずかに反応したが、それ以外は黙ったままだ。
二人の間に重苦しい沈黙の時間が流れていき、静寂がそれをより強調しているようだ。
どれだけの時間そうしていたのかわからないが、やがて口火を切ったのは忠正だった。
「軽蔑しているだろう。今までさんざんドルファンの為だの、君たちの事を守るだのと言ってきたというのに、自分の復讐の為にプリシラ様に刃を向けたオレを」
自嘲気味な雰囲気を持った言葉にフィオナは悲しそうな目をしたものの、小さく首を横に振った。
「いいえ。タダマサさんがどんな想いで今まで戦ってきたのか私にはわかりません。でも、本当は憎んでいるはずのドルファンの為にあなたが命を賭けて戦ってきた事は知っています。……だから、軽蔑なんて……するはずがありません」
「やめてくれ。オレはプリシラ様に近づいて暗殺する隙を作り出すために戦っていたに過ぎない。君たちと関係を築いたのだって、君たちを上手く利用する機会があるかもしれないと思ったからだ」
率直すぎるその言葉に、フィオナはわずかに傷ついたように視線を下げたが、膝の上で拳を握ると顔を上げた。
「そうだとしても、少なくとも私はタダマサさんに感謝しています。ずっとお互いの気持ちを隠したまますれ違っていた父の愛を知れたのは、タダマサさんのお陰です。それは私だけじゃない。あなたに命を救われたサラだって、きっと同じ事を言います」
ランプの光に照らされたフィオナの青い瞳がまっすぐに忠正をみているので、忠正は思わず眩しそうに目を逸らした。
「感謝される筋合いなんてない。オレはドルファンを、君たちを裏切った。その事実があるだけだ」
「その裏切りだって、プリムさんの名誉の為ですよね」
フィオナの口をついて出た予想外の名前に、忠正は思わず顔を上げた。
「なんでフィオナがその名を知っているんだ」
再びのわずかな沈黙の後、フィオナは静かに答えた。
「ローズバンク手記の事も伺いました。そこに書かれている内容も、その作者がプリムさんのお祖母様だという事も、プリムさんご本人から……」
「プリム本人だって?」
「……プリムさんもこのセサにいらっしゃっています。それに、タダマサさんのお母様も」
「母さんとプリムが……」
それで察したのか、忠正は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
「プリムさんが教えてくれました。きっとタダマサさんはローズバンク手記を読んで、ドルファンを追いやられた自分と、デュノス公やレイスさんの名誉を回復する為に王家に復讐しようとしたのだろうと」
「……そうだとしても、それがプリシラ様を狙った事を正当化する理由にはならない。王族殺しは重罪だ。たとえ未遂だったとしても、裁かれなければいけない罪だ」
いつもの淡々とした口調ではなく、どこか投げやりなその口調にフィオナは眉を寄せた。
「どうしてそんな風に言うんですか。まるで裁かれるのを望んでいるみたいに」
「オレは裁かれるべき人間だからだ。ドルファンを裏切り、プリシラ様を裏切り、君たちを裏切った。それだけじゃない。君のお母さんであるソフィアさんの信頼や、ジョアン中佐も裏切った」
そこまで言って忠正は大きくうなだれた。
「……何もかも裏切ったんだ。こんな男、裁かれるべきだろう」
悲痛なその声にフィオナは思わず唇を噛んだ。
フィオナの知る忠正はもっと理知的で冷静で、どこか奥手な雰囲気はあっても、自分の言葉に自信を持ち、いつだって迷っていたフィオナを引き上げてくれた。
こんな風に投げやりで、絶望を前に諦めてしまう様な人ではない。
そんな思いを胸に、フィオナは反論を試みる。
「確かにタダマサさんは裏切ったのかもしれません。でも、失った信頼は取り戻す事ができます。あなたは傭兵だし、これまでもドルファンの為に戦ってきたじゃないですか! 王国が危機に瀕している今だからこそ、もう一度剣を取るべきじゃないんですか!」
「……オレなんかがいなくてもどうにでもなる。プリシラ様がいて、ジョアン中佐やコナー団長もいる。ブルー・セレンもあるし、ルシルやディーリア伍長だっている。それに……ロゼッタだっている。オレがいなくても、ドルファン奪還はきっとうまくいくさ」
無気力な瞳で言い放つ忠正に、フィオナは思わず鉄格子にしがみついた。
「どうしてですか? 私の知っているタダマサさんは、こんな簡単に諦めるような人じゃない!」
必死に呼びかけるフィオナに、忠正はうなだれたまま呟く。
「……もう、放っておいてくれないか。オレは重罪人。おそらく極刑だ。オレなんかに構わないでくれ」
もう顔を上げる事もなくなった忠正に、フィオナも同じように頭を垂れて俯いた。
しかしその瞳には悲しみではなく怒りが浮かんでいた。
胸の奥にふつふつと湧き上がる怒りは、フィオナらしくない感情であった。
――私なんか。
その言葉はつい先日までのフィオナの口癖だった。
だが、そんな口癖を言い続けるほど自己肯定感の低かったフィオナを変えたのは目の前にいる忠正に他ならない。
そして、そんな弱かった自分が母のような歌姫を志し、夢への一歩を踏み出すきっかけをくれたのはアンだった。
アンが自分の命と引き換えに忠正を救った話は聞いている。
彼女が最期に残した言葉も、パトリツィアがしっかりと聞いていた。
フィオナの脳裏に最後にアンと会った時の記憶が鮮明によみがえる。
あの時フィオナに忠正の事を託したのは、きっと自分の死期を予測していたからだ。
そんなアンに託された忠正への想いを、諦めるわけにはいかなかった。
フィオナは再び顔を上げると鉄格子を握る手に力を込める。
「ここで極刑になって、アンさんとの約束はどうするんですか」
アンという名前に再び忠正の肩がわずかに反応した。
「あなたはアンさんの最期のお願いを、無下にするつもりですか!」
その言葉に忠正の肩が小刻みに震えだし、うつむいたままの顔から雫がぽたぽたと落ちて冷たい石の床を濡らした。
「タダマサさん……?」
フィオナが名を呼ぶと、忠正は弱々しく震える声を絞り出す。
「わかっている。わかっているんだ。……でも、どうしようもないんだ」
思わず伸ばしたフィオナの手が震えるその髪に触れると、忠正は嗚咽ともとれるような声を上げた。
「だって、アンはもういない! オレを庇って、オレのこの手の中で光になって消えてしまった!」
縋るようにフィオナの手を握った忠正は、まるで体当たりをするように鉄格子に体を寄せた。
「アンはオレのせいで死んだんだ! オレがいたせいで、オレがアンを好きになったせいで!」
叫ぶように声を上げる忠正が強く握る手をフィオナはそっと握り返しながら、必死に言葉を探していた。
忠正がこんなに感情を露わにするのを目の当たりにするのは初めてだったし、これほどまでの絶望を正面からぶつけられるのも初めてだった。
自分のような子供が何を言っても慰めにもならない気がして、言葉が見つからない。
だがフィオナはそれでも必死に言葉を探した。
それは単に忠正への同情だけではなかった。
アンと同じように忠正に好意を寄せる一人の女として、アンに負けられないという気持ち。
そして、憧れていたアンが最期に残した願いを、想いを託された人間として、絶対に叶えなければいけないという純粋な気持ちからだった。
取り繕った慰めの言葉はきっと忠正の耳には入らない。
ならば自分の正直な気持ちをぶつけるしかない。
フィオナは覚悟を決めたように小さく息を吸うと、忠正の手を力強く握った。
「忠正さん。アンさんはあなたを守って亡くなりました。プリシラ様を狙ったあなたの中にどんな正義があったのかは、あなたにしかわかりません」
言いながら、フィオナはもう一度短く息を吸う。
「その行いは罰せられるべき罪である事は間違いありません。そして、その行いによってアンさんの命が散っていったのも。……でも、なんの為にアンさんが自身の命を賭してあなたを守ったのか。どんな想いで最後のお願いをしたのか、わかりますか」
「…………」
忠正は突き付けられた言葉を受け入れるつもりがないかのように、視線を逸らして涙で濡れる瞳で床を睨む。
それでもフィオナは続けなければならなかった。
ここで止めてしまったら、アンに託された想いを裏切る事になる。
「私、あなたの事が好きです。あの春の日に波止場で助けてもらった日から、ずっと憧れていました」
その突然の告白に忠正は驚いたように顔を上げる。
フィオナはそんな忠正を強い意志のこもった瞳でまっすぐにみつめながら、言葉を続けた。
「私の好きなタダマサさんはいつだって優しくて、冷静で、すこし不器用だけれど真面目で一生懸命な人です。そんなタダマサさんだから、アンさんだって好きになったはずです」
そこで言葉を区切ったフィオナの瞳から涙が一筋こぼれ落ち、握った手に落ちる。
その涙の熱さに忠正は驚いて顔を上げた。
「アンさんや私が好きなタダマサさんは、みんなが困っている時に目を逸らすような人じゃない。大切な人のお願いを聞き入れないような人じゃない!」
フィオナの双眸からは堰を切ったように涙が溢れ、鉄格子越しに握った二人の手を濡らしていく。
感情の高まりと涙で言葉が上手く紡げないフィオナは、それでも必死に訴える。
「あなたが絶望の淵で苦しんでいるのはわかります。でも、それでも! あなたは立ち上がらなきゃいけない。あなたは前を向かなきゃいけないんです!」
残酷な事を言っているのはわかっている。
苦しんでいる人に鞭を打つような事をしているのだ。
しかし、それでもフィオナは言わなければならない。
「アンさんの好きな……私の好きな“如月忠正”という人を、嘘にしないで!」
フィオナの叫びが静まり返った牢獄に反響する。
数秒後には牢獄は何事もなかったかのように再び静寂に包まれる。
忠正とフィオナの不安定な息遣いだけが、静けさの中で確かな命の証のように二人の耳に貼り付いている。
二人はそのまま何も言わずにいたが、やがてフィオナはゆっくりと忠正の手を離して立ち上がった。
そして、感情を抑えた落ち着いた声で静かに言った。
「……私、信じています」
その言葉を最後に、フィオナは振り返ることなく階段の方へと歩いていってしまった。
残された燐光灯のランプの光をみつめながら、忠正は手に残るフィオナの涙にそっと手を重ねた。