続・小説みつめてナイト 紅玉の双騎士【完結】 作:ケルティック☆タイチ
“白鷲”をはじめ、シレーナ・ケ・カンタ号の巨体を後ろに引き連れながら、ドルファンから逃げてきた船団の先頭を疾駆するブルー・セレンディバイト号の舵輪を握るルシル・ルシラ・ド・ベルヴィラは、甲板に流れ込む潮風に銀色の髪をなびかせていた。
穏やかな波を船首が搔き分ける心地よい音と、時折船体が軋む木材のうなりを聞きながら赤く染まる穏やかな海原を眺めているルシルの横に、すっかりブルー・セレンに馴染んだエルザが歩み寄ってきた。
エルザは何も言わずに暮れなずむ水面を眺め続けるルシルと同じように、水平線の彼方をみつめた。
「あまり機嫌がよくなさそうに見えますね。緊張していますか」
傍から見れば上機嫌そうに見えるルシルに対し放ったエルザの言葉に、ルシルは不敵な表情のままで答える。
「なんでそう思うんだ?」
「いい加減、あなたとの付き合いも長いですからね。イングレスへの旅では毎日顔を合わせていたわけですし」
「ふふん」
ルシルは鼻で笑ってみせたが、がりがりと頭を掻いた。
「お堅い文官殿に機嫌を見透かされるようじゃ、オレもまだまだだな」
エルザは肩をすくめたがすぐに神妙な顔で呟くように言った。
「……作戦、成功しますかね」
声音からも不安が伝わってくるかのようだったが、今度はルシルが肩をすくめてみせた。
「心配いらないだろ。タダマサの立てた作戦だ。明日には散っていた海賊共も合流するし、そうなればオレ達はかなりの戦力だぜ?」
「その割には、随分ピリピリとしているように見えますが」
ルシルはふうっと息を吐いた。
「ま、そりゃあな。この作戦にドルファンの命運がかかっているとなれば。一介の海賊ごときがそんなもの背負うなんて思ってもみなかったぜ」
「そうですよね……。私も、こんな大きな作戦に関わるなんて、思いもよりませんでした」
「だが、やり遂げなきゃならねぇ。オレ達がなんとか踏ん張らないと、先行するタダマサ達の命に関わる」
一定のリズムの波を搔き分ける音に混じって、海鳥の鳴き声が聞こえてくる。
陸からの距離がそれほど離れていない特徴だ。
「それは仰る通りです。私達は海軍の主力かつ基幹なのですから、海軍所属のキサラギ曹長の帰る場所にならなければなりません」
ようやくいつもの調子が出てきたエルザに対し、ルシルはにんまりと意地悪な微笑を浮かべた。
「タダマサにとっての帰るべき場所か。それはブルー・セレンのところか、あんたのところなのか?」
一瞬で顔を赤くしたエルザだったが、ツンと顔を背けながら言う。
「あなたこそブルー・セレンなんて言っておきながら、自分の所に帰ってきて欲しいと思っているんじゃないですか」
思わぬカウンターにルシルは目を丸くした。
「なんでそう思うんだ?」
「いい加減、あなたとの付き合いも長いですからね!」
ルシルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、やがてこらえきれずに笑い出した。
「お堅い文官殿に機嫌を見透かされるようじゃ、オレもまだまだだな!」
二人は顔を見合わせて微笑むと、力強く頷いた。
流石にプロキア国内ではセサ大公の紋章の旗を下ろした忠正達の馬車だったが、ヘルシオ公の書状の効果は絶大で、その通行を妨げられる事がないどころか、立ち寄った宿ではまるで賓客のような対応であった。
結果、さしたる疲れも感じないまま、忠正達はドルファン首都城塞の北東数キロに広がるパーシル平野まで到達していた。
二十四年前のドルファン・プロキア戦争の際に、ヴァルファバラハリアンが当時のドルファン陸軍と死闘を繰り広げた曰くつきの場所ではあるが、今はただ広大な草原が広がるだけの殺伐とした場所となっており訪れる人もほとんどいない。
草原の向こうにはカミツレ山が青々とそびえているのが見える。
ここから先は道らしい道もないため、忠正達は馬車を降りていた。
「それで」
目の前に広がる一面の草の海を眺めながら、ロゼッタは強く吹きすさぶ風になびく黒髪を片手で抑えた。
「どうやってドルファン首都城塞に侵入するの? レッドゲートを突破するのは協力者でもいない限り無理よ。よしんば突破出来たとしても、銀月の塔にたどり着く前に囲まれるのがオチ」
忠正はカミツレ山の山並みを眺めながら言う。
「子供の頃、登山好きだったよな」
ロゼッタは思わず眉根を寄せた。
「カミツレ山を登ろうっていうの? あのねぇ、そんな事で首都城塞に入れるならとっくの昔にドルファンなんて陥落してるでしょ。カミツレ山の裾野まで城塞が引かれているの知らないの?」
「まさか。子供の頃を思い出しただけさ」
「じゃあどうしようって言うのよ!」
苛立ちを隠さずに言うロゼッタの態度に、隣で黙って聞いていたパトリツィアは思わず苦笑が出そうになるのを必死で堪えていた。
ロゼッタがこんなに感情を素直に表現するのは忠正の前だけだ。
双子の姉弟という無二の絆がうらやましくもあり、微笑ましくもある。
そんなパトリツィアの思いなどつゆ知らず、忠正は地図を広げた。
「ここからカミツレ山の麓の城壁まで進む。そうしたら城壁に沿って東に行き、遺跡群の辺りまで歩く。ゴールはその遺跡の一番外れの神殿跡付近だ」
「そこがなんだって言うの?」
「このあたりの警備はルシル直属の“白鷲”が担当していたんだ。こんな場所に来るヤツなんて誰もいないので、まさにこういう事態を想定して秘密裏に作業をお願いしていた」
「勿体ぶらないでよ。何があるの?」
不機嫌なロゼッタに忠正はニヤリと笑って見せた。
「城壁の下を潜る抜け穴を掘ってもらっていたんだ」
ロゼッタが露骨に顔をしかめる。
「どんな事態を想定したら、そんな事をしようって気になるの?」
「プリシラ様やデュラン陛下を陸路で逃がさなければいけない場合を想定していた。ブルー・セレンの改修が間に合わなかった時に備えての保険ってやつさ」
ふうっと大きなため息を吐きながらロゼッタはパトリツィアの方を向いた。
「ね。この嫌味な万が一の想定ってやつ、お母様そっくり」
パトリツィアは静かに頷きながら忠正に冷たい視線を送る。
「万が一に対しての備えは重要ですが、この傭兵が嫌味なヤツだというのには同意します」
どうにもセサに行ってからというもの、パトリツィアの自分に対する当たりが強くなったような気がすると忠正は思いながら言う。
「戦略っていうのは嫌味なくらいで丁度いいんだ。行くぞ、時間がない」
踵を返して歩き出す忠正。顔を見合わせたロゼッタとパトリツィアは視線を交わしつつ後を追った。
軍の幹部から耳打ちをされて内容を聞いたアルダナル・ピクシスは、謁見の間で玉座に座るヴァルデマール・ツヴァイクの前へと歩を進めた。
「ご報告が」
アルダナルが言うとヴァルデマールはその不遜な瞳にわずかに不満の色を見せた。
それを敏感に察した玉座脇に立ち尽くしていた“帝王の門番”ゴットフリート・ファン・デン・ブルクが、漆黒の鉄仮面の下から低い声を出した。
「跪け、アルダナル・ピクシス。貴様の御前におわすのは大トルキア帝国の王たるお方だ」
アルダナルは一瞬ゴットフリートを忌々しげに一瞥したが、すぐに片膝をついて恭しく頭を下げた。
「ヴァルデマール陛下にご報告いたします。鳴りを潜めていたプリシラの艦隊が動き出した事をハンガリアとわが軍の斥候が確認しております。どうやら海軍の全戦力を集結し、ドルファンに総攻撃を仕掛けると思われます」
それをつまらなそうに聞いていたヴァルデマールは、何の感情も伴わない事務的な声で答えた。
「そうか」
そのあまりにも素っ気ない反応にアルダナルは戸惑いを感じつつも、極力それを隠しながら続けた。
「その……戦力的には脅威にはならないと存じますが、それでもあのプリシラが率いる艦隊です。何か策を弄している可能性もあります」
――沈黙。
ヴァルデマールは全くなんの反応も示さずに片手に持ったグラスのワインをゆっくりと回すと、一口なめる。
しばらく黙ってその様子を観察していたアルダナルだったが、たまりかねて口を開いた。
「陛下?」
呼びかけられてようやくヴァルデマールは冷たい瞳をアルダナルへ向けた。
「なんだ? 貴殿の報告はもう終わったのではないのか」
その圧倒的というか威圧的な圧力に言葉に詰まったアルダナルではあったが反論を試みる。
「いえ、報告は以上ですが、いかがいたしますか。何かご指示があれば、と思い」
――再びの沈黙。
何も答えないヴァルデマールの態度にアルダナルは内心でいらつきを感じながら、その感情を必死に押し殺していた。
そんなアルダナルの感情を逆撫でするように、ヴァルデマールはもう一口ワインを飲み込むとようやく口を開いた。
「貴殿は国の裏切り者が自国に攻め入ってくるのをわかっていながら、指をこまねいているのか」
その何の感情も伴わない言葉に、冷静なアルダナルも片方の眉がわずかに反応した。
「いえ、陛下に何かお考えがあるのなら、それに従うべきと思った次第です」
胸に浮かんだ怒りは完全に押し殺しての返答だった。
我ながら自身の自制心は大したものだ、とアルダナルが考えていると、ヴァルデマールはその冷たい瞳に侮蔑の色も露わにアルダナルを見た。
「この国の王になろうという者が、敵対勢力への対応を一々主君に問わねばならぬのか? 貴殿は自国の防衛も自分ではままならぬ無能であると?」
流石のアルダナルも無能と罵られて平静ではいられなかった。
必死に感情を抑えながらも言う。
「恐れながら、当然我々だけでも対応に当たれます。ですがハンガリア・アルビアの合同艦隊は陛下の配下ですので、私が直接指示を出すのは無礼に当たるかと存じ、お伺いしたのです」
その言葉にヴァルデマールはワインを飲む手を休め、小さく低い笑い声を上げた。
「なぜ貴殿は余の艦隊を動かす事を前提に話をしているのだ。あれは余が率いた艦隊であり、ドルファンの戦力ではない。自国の防衛に他者の手を借りようなど随分と傲慢ではないか」
「ドルファンの海軍はプリシラと共にあります。現状では海防の戦力がない事は陛下もよくご存じかと思いますが」
幾分言葉に棘が入ったアルダナルに対し、ヴァルデマールはその厳めしい顔に不気味な笑みすら浮かべていた。
「もちろんそうだ。だが、艦隊は余の戦力。それを利用したいというなら、それなりの態度というものがあるのではないか」
アルダナルは唇の端を嚙みながらもなんとか語気を荒らげずに答える。
「私は陛下の大トルキア帝国の構想に賛同はしておりますが、これでもドルファン王国の王となるべき人間です。その関係はあくまで対等であると考えておりま――」
そこまで言いかけたアルダナルの目の前に、まったくいつの間に抜かれたのかゴットフリートのツヴァイヘンダー(両手持ち剣)の剣先が微動だにせずに突き付けられていた。
――この巨大な剣を、何の予備動作もなしに抜いたのか? いつの間に?
アルダナルは突然の死の香りに困惑しながらも、それでも冷静にゴットフリートを仰ぎ見た。
「なんのつもりだ“帝王の門番”。貴様が剣を向けている相手が誰だかわからないわけではあるまい」
だがゴットフリートは剣を構えたまま言う。
「貴様こそ自分の身分をわきまえろ。王家の血すら持たない凡百の貴族如きが、由緒正しき大トルキア帝国の王たる陛下と対等であるなどとよく言えたものだ」
「私はドルファンの誇り高き名門、ピクシス家の当主だぞ。ドルファン王家など、我らによって生かされていたにすぎん!」
一触即発のひりついた空気を出す二人に対して、ヴァルデマールは再び静かだが威圧的な笑いを顔に浮かべた。
「よい。剣を下げよゴットフリート。余は寛大な王である。愚臣の傲慢程度、このグラスのくすみと同じ。目くじらを立てる程の事でもない」
そう言いながらヴァルデマールはグラスを無造作に放り投げた。
がちゃん、とガラスの割れる嫌な音が響き、中に入っていたワインをまき散らしながらグラスが割れる。
「代わりを持て」
ヴァルデマールが冷たく言うと、脇に控えていたデュラン国王の侍従だった男が慌てて別のグラスを差し出しワインを注いだ。
それを受け取って一口飲むと、ヴァルデマールは突き放すように言った。
「アルダナル・ピクシス。貴殿に我が艦隊の指揮権を貸与してやろう。属国のためであれば多少の非礼も許すのが帝王の器量というものだろう」
アルダナルは強く噛んだ唇の端からじわりと鉄の味を感じながらも、震える拳を必死に抑えている。
「だが、覚えておくがよい。ドルファン程度の王だろうが貴族だろうが、このグラスのように替えなどいくらでもきくのだ。用が済んだのなら下がれ。貴殿の顔を肴に飲む酒は不味い」
その言葉にアルダナルは毅然と立ち上がると同時に踵を返し、振り返る事なく謁見の間を後にしていった。
その後ろ姿には言い様のない怒りと悔しさが浮かんでいる。
それを眺めつつ、ヴァルデマールは目を細めながらほくそ笑んだ。
「なんだ、良い酒の肴になれるではないか」
立ち上がり、グラスを掲げると恍惚の表情を浮かべる。
「いよいよ次の満月が差し迫っている。余が大トルキア帝国の正式な王となる時が近い」
言いながらワインを呷ったヴァルデマールの目には、狂気の色が宿っていた。