ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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10-博麗神社1

 

 

 秋の日差しの中。

紅葉の朱と黄の葉の間から、ぽろぽろと枯葉が舞い落ちる。

風に吹かれて地面の枯葉が舞い上がるのを眺めながら、博麗霊夢は神社の縁側でお茶を飲んでいた。

その隣には、担いできた薬箱を隣に置いて、何やら作業をしている鈴仙が居た。

 

「全く、神社に置き薬なんているのかしら」

「転ばぬ先の杖よ」

「飛ばない豚はただの豚。使わない杖なんて、ただの樹の枝と変わらないわ」

「つまり食料って事かしら」

「なんて言っても、一昨年は月兎……じゃなくって、狐狸を助けるのに使ったんだっけ。やっぱり必要よね」

「食べれないって事。残念ね」

 

 と言う事で、ため息混じりに鈴仙は、置き薬のうち減った物や、期限の切れた物を入れ替える。

一応博麗の巫女である霊夢は怪我をしていれば人でも妖怪でも助けるし、人が妖怪に襲われていれば、それが外来人でも助ける。

その際傷を負っていれば、その治療ぐらいはする為、薬を常備してあるのだ。

実際、いくらか薬が減っているのを見るに、ある程度人助けを行っているのだろう。

普段の所を見ているとそうは思えないんだけどなぁ、と思いつつ、淡々と薬を入れ替える鈴仙。

 

 権兵衛が永遠亭を去ってすぐ、鈴仙は権兵衛の観察をしようとして、権兵衛の家が壊されていたのを知った。

それ以降、里をどうするかは置いておいて、兎に角空き時間を使って権兵衛を探してきたのだが、見つからないままである。

輝夜と永琳がてゐを使って指示し、妖怪兎達にも探させているが、矢張り見つからない。

そんな訳で最近焦れている鈴仙なのだが、人手は十分となると、矢張り普段の作業を滞らせる訳にも行かず。

恐らく権兵衛の家を壊したのであろう里人になど薬をやる価値は無い、と鈴仙は考えていたが、永琳は別の考えがあるようで、少し薬の種類を変えるだけで、そのまま置き薬の販売を続けるよう言い渡した。

となると、鈴仙としては、従わざるを得ない。

時間が許す限り権兵衛を探したい衝動を押さえて、歯がゆい思いをしつつ、永琳の助手や置き薬の販売を続けている鈴仙なのであった。

 

 矢張り権兵衛の事を思うと、温かい気持ちになる反面、心配で仕方なくて、切ない気分になる。

そんな切ない気分でため息をつきつつ、鈴仙が置き薬を入れ替えおえて、さて、そろそろここを出るか、という、そんな折だった。

どすん、と何か重い物が落ちる音がした。

ぴくり、と二人して動作を止める。

 

「今の、何の音かしら」

「……裏、かしらね。なんか、早く見てこないとまずい気がするわ。行くわよ」

 

 お茶を置いて立ち上がる霊夢の姿に、続いて鈴仙も立ち上がり、その背を追いかける。

何せこの巫女の勘と言う物は、勘だけであらゆる異変の首謀者を見つけ、懲らしめてきた実績ある凄まじい物なのだ。

その彼女のまずい気がする、と言うのは大抵一刻一秒を争うようなまずさである。

慌てて霊夢を追いかけ、角を曲がると、そこには鈴仙が想像だにしなかった光景があった。

 

「——ご、権兵衛……さん?」

 

 それは、奇しくも紅白に彩られた光景だった。

血にてらてらと濡れた肌は不気味に膨れ上がり、いくらかの場所では肉の赤が見え隠れしており、それと同じぐらい骨の白がちらちらと覗いている。

呼吸はしているのだろう、上下する胸と、比較的無事な下半身が、それがまだ生きているのだと辛うじて示している。

倍に膨れ上がろうかと言う顔は権兵衛の識別を難しくしていたが、それでも毎日穴が開くほど権兵衛を見てきた鈴仙は権兵衛の骨格を含め、肉体のほぼ全てを把握している。

あぁ、これは権兵衛さんの足だ。

あぁ、これは権兵衛さんの腕だ。

あぁ、これは権兵衛さんの、顔だ、唇だ、耳だ、鼻だ、鎖骨だ、胸だ、乳首だ、ヘソだ、尻だ。

一瞬、現実逃避の思考が目の前の肉塊と権兵衛を結びつけるのを拒否しようとするが、瞼の裏に焼付かんばかりに見つめてきた権兵衛の姿が、それを拒絶し、これを権兵衛と認める。

 

「権兵衛さんっ!!」

「って、そっとやらないと駄目でしょっ!」

 

 絶叫し、訳もわからないままに抱きつこうとした鈴仙を、辛うじて霊夢が止めた。

刹那暴れようとした鈴仙だが、霊夢の言葉をどうにか飲み込み、権兵衛に駆け寄り、その変わり果てた体を触診するに留める。

ざっと見るに、幸い、臓器が破裂したり、折れた骨が突き刺さったりはしていないようだ。

これなら自分でも何とかしようと思えば何とかなる程度だと思いつつも、習慣で権兵衛を結界で包み、状態を維持したまま運ぼうとして、ふと鈴仙は動きを止めた。

待て。

このまま権兵衛を永遠亭に連れて行ったら、どうなるだろうか?

鈴仙の脳裏に、憎悪に満ちた永琳の顔が蘇る。

権兵衛の失踪を告げた時、輝夜は焦りを顕に永遠亭を飛び出そうとして止められながら暴れ、てゐはストンと表情を抜け落としたようになって凄まじい速度で妖怪兎に指示を出し始めた。

そこで永琳はどうだったかと言うと、今までにない程の憎悪で塗りつぶされた、般若のような表情となったのだ。

そのあと輝夜を留めて指示を出す姿こそ理性的であったが、その表情は溢れんばかりの激情に満ちていて。

鈴仙の目に、それは逃げ出した憎い解剖材料への憎悪にしか見えなかった。

だから、思うのだ。

このまま権兵衛を永遠亭に連れてゆけば、今度こそ輝夜の知らぬうちに、権兵衛は解剖されてしまうのではないだろうか。

輝夜も頼りになるかと言うと、権兵衛をいきなり殴り、永遠亭を追い出したのもあの女なのだし。

そう思うと気が気でなく、権兵衛を運ぼうと言う手を、思わず止めてしまう鈴仙。

僅かに、息を吐く。

狂気の瞳で四方八方を見やり、術で監視されていない事を確かめる。

 

「あれ? どうしたのよ、早く永遠亭に連れて行かないと……」

「お願い、霊夢っ! 権兵衛さんを、ここで治療させてっ!」

 

 故に。

鈴仙は、今度こそ権兵衛を助ける勇気を出そうと、霊夢へ切り出した。

 

「詳しい訳は私にも分からないんだけど、今の永遠亭は権兵衛さんにとって危険なの。

 でも、中立地帯の此処なら、手を出す事はできない。

 だからお願い、権兵衛さんをここで匿ってっ!」

 

 永琳への恐怖に震えながら叫ぶ鈴仙に、眉間にシワを寄せる霊夢。

僅かに考える様子を見せると、嘆息し、諦めたように告げる。

 

「確かに、この権兵衛さんって人を永遠亭にやるのは……嫌な予感がするわね。

 匿うのも嫌な予感がするけど、まだマシかなぁ。

 仕方ない、匿ってあげるわ」

「あ、ありがとう、霊夢っ! 恩に着るわっ!」

「いーから治療してやりなさいよ。

 あ、なるべく家を汚さないようにやりなさいよ」

「うん、分かったわっ!」

 

 霊夢の言を右から左に流し、急いで権兵衛を浮かし、神社の中へと連れてゆく。

幸いにして、これから権兵衛を探しにゆくつもりで、その際もしもの事を考えて一通りの治療用具は持ち歩いて来た。

種々のメスやハサミ、ピンセット、糸などは、足りない物もあるものの、霊力を用いて再現できる物ばかりである。

権兵衛を運び、室内に結界を張り無菌状態にしつつ、ふと鈴仙は思い出す。

そういえば権兵衛との初対面も、永遠亭ではなく里の中で、半人半霊に誤って斬られたのを、こうやって鈴仙一人で治す時であった。

そう思うと、もう一度権兵衛と出会えたように思え、僅かに場違いな笑みを浮かべ、それから鈴仙は治療を開始した。

 

 

 

   ***

 

 

 

 薄い午睡のような感覚。

覚醒と睡眠の間。

その境界線上のような、曖昧模糊とした場所に、俺の精神は漂っていた。

何か確りとした言葉を心の奥底から拾い上げ、それについて想おうとするものの、それは既に曖昧な物となって掴み様がなくなっていて、何とも言いがたい物になっている。

かと思えば、急に、ピントを合わせたかの如くぼんやりとしていた物が明確になり、それについて殆ど不随意に感情がふわりと浮かび上がるのだが、しかしやはり、それもすぐに輪郭を無くし、何とも言えなくなり。

そんな事を繰り返しながら、俺は、まるでコーヒーに入れられたミルクのように、確かにそこにある事は変わらないのだけれど、拡散し、輪郭を無くし、ぼんやりとしてゆく。

それは、さながら。

境界を無くしてゆくような。

 

 しかしそれも暫くすると、確りとした、形ある考えが浮かんでくるようになり、曖昧さが薄れてゆく次第となる。

そんな折でもやはり曖昧なままで、よく分からない、何とも言いがたい物が見えて、それは何と言うか、一言で言えば、目玉だった。

黒目と虹彩を黒縁が覆い、更にその周りを血走った白目が覆い、そして上下の瞼がそれを覆い隠す。

そしてそこからはぴょこんと睫毛が軽いカールをかけて上下に巻かれており、その目玉の輪郭をはっきりとしてみせていて。

目玉。

目玉。

目玉。

幾百幾千幾万もの、目玉。

幾つあるのか数えるのも馬鹿らしいぐらいの量の目玉が俺の全てを覆っており、上も下も右も左も、何処も彼処も目玉ばかり。

ふと、俺は、あぁ、これは赤子の目玉なのだな、と思う。

顔を墨で塗りつぶし、口も耳も糸で閉じられた赤子の生首が、ただただじいっと目玉だけをこちらへ向けているのだ。

それが幾百幾千幾万と犇めき合っており、空間に対して過剰に存在する為、互いにぎゅうぎゅうと押し潰し合い、だから本来薄目な筈の赤子の目玉は、ギョロリと見開いていたり、今にも閉じそうだったり、気まぐれに開いたり閉じたりと、色々になっているのだ。

 

 ただ一つ、それらの目玉、全てが俺を見ていると言う事だけが、確か。

まるで視線が物理的に存在するかのように確かに、俺は全ての瞳が俺へ向いている事が理解できる。

そのうちぼんやりと視線が眼に見えるようになり、色が付き、その色は紫色だった。

紫色の、どろりとした何かだった。

それが端から俺に突き刺さるのが見えて、それなら視界は紫色一色に染まる筈なのに、不思議と赤子の無数の目玉は視界に入っている。

それは紫色が透過されていると言うより、二重に重なって見えると言ったほうがしっくり来る、奇妙な感じであった。

 

 そのうち、ぎりぎり、ぎりぎり、と言う音が聞こえる。

無数の音源から、ぎりぎり、ぎりぎり。

何かをこすり合わせるような音で、ぎりぎり、ぎりぎり。

一体何の音だろう、と辺りを見回して、俺は悟る。

この音は、無数の赤子達の、歯ぎしりの音なのだ。

糸で口を縛られて、言葉を出す事が出来ず、だからせめてもの無言の言葉として、ぎりぎり、ぎりぎり、と歯ぎしりをしているのだ。

 

 不快だった。

しかしだからといって、歯ぎしりの音が不快なのだと分かっても、それが曖昧な事曖昧な事、そう思っていると同時その事実が霧散してゆき、掴みようのない事実になり、そして再びふとした事でその事に気づく。

そんな事を繰り返しても不快さは募るばかりで、どうしようと思ってもどうしようもなく、何一つできないまま漂っていると。

不意に、視界に白い物が入ってきた。

 

 初めは、風見さんの所で世話した小さい白い花の花弁かと思った。

しかしすぐにどうやら違うと思い、確かめようと手を伸ばすと、それに合わせて白も形を変え、俺の掌へとすっと伸びてくる。

吃驚して手を引いてしまいそうになる自分と、これは安心できる物だと不思議な確信を持った自分がいて、結局俺は、何もしないままその白が俺の手を掴み、指の間に絡まってゆくに任せる。

白は、貴人が付けるような、長い手袋であった。

手袋とその中身は、俺の手を掴み、そっと優しげな力で引き上げる。

釣られて、俺自身もまた、引き上げられていって。

 

「——あっ」

 

 ぱちん、と。

目が覚めた。

此処一月程、都合何回目になるのか忘れてしまった、知らない天井が眼に入る。

はてさて、今度は俺は一体何処に居るのだろう、と思いつつ、起き上がろうとして。

 

「いづっ!?」

 

 痛みのあまり、再び床に戻る。

全身を覆う、我慢しようがないタイプの痛みだった。

また俺は怪我をしたのか、懲りないものだなぁ、とぼんやりした頭で思いつつ、ふと、起き上がる拍子に感じた視線の方へ目をやる。

目が合う。

視線を辿った先には、呆然とした顔で、俺の事を見つめる慧音さんが居て。

 

「よ、良かったぁ……。目を覚ましたんだな、権兵衛」

 

 全身で脱力し、涙をぽろぽろと零しながら、ずるずると椅子に体重を預ける慧音さん。

その姿はよっぽど安堵したのだろうな、と思って、こんなに人の事を心配できるこの人は、凄い良い人なんだなぁ、と、改めてぼうっとした思考で思う。

何せ相手は、この俺なのである。

俺のような、価値のない男を心配してみせるなどよっぽど慧音さんの懐は深い物だと思うし、そんな慧音さんの温情を無闇に引き出している俺は、本当に駄目人間であった。

とりあえず、せめて少しでも動ける所を見せようとして、上体を上げようとする。

が。

 

「いだだっ!?」

 

 再び全身を走る激痛に、思わず俺は跳ね上がりそうなぐらいに呻いてしまう。

これが何と言うか、精緻な計算でもされたかのように体中に均等に痛みが響いており、普段ならできたであろう体の一部を動かす事も、ままならない。

当然、失敗である。

とすると勿論、この人の良い慧音さんである、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり。

 

「いいんだ、いいんだ権兵衛! 寝ていてくれていいんだ。わ、私は、ただ君が無事だったと言うだけで、その、うぐっ、う、嬉しくって……」

 

 と、俺を心配してみせるばかりか、感極まって涙まで零す事になる。

その姿は断崖絶壁を目前にした人のように悲壮感に溢れており、見ているだけで自然と申し訳なさが溢れてくる。

阿呆だ。

俺は、どうしようもなく阿呆だ。

こんないい人に心配などかけていい筈も無いのに、自分の体の調子一つも把握できずに、涙まで流させてしまって。

そして惨めである。

何せそんな阿呆な事をしでかして、慧音さんを泣かせて、それでいて、彼女を慰める為に指一本動かせない状態なのである。

恩知らずも此処に極まれりと言う事で、せめてもの恥じらいとして赤面しつつ、唯一出来る事である口を動かす事に意識を移す。

しかし、あぁ、口を動かす事だなんて。

俺の苦手分野の中でも筆頭に上がる事だと言うのに。

そんな風に、相変わらず口下手な俺は、せめて相手を不快にさせないよう意識しつつ口を開く。

 

「——はい、分かりました。

 こちらこそ、よっぽど心配してもらえたようで、ありがとうございます? でいいのかな?」

 

 と言っても、よっぽど混乱していたらしく、口から出たのはこんな珍妙な言葉だった。

全く恥ずかしい事この上ないのだが、斜め上なその発言がどうにも面白可笑しかったらしく、ぷっ、と慧音さんが吹出す。

 

「くくっ、全く、権兵衛にはもう一度寺子屋で生徒役をやって貰わなくっちゃならないかな。

 普通そこは、心配をおかけしてすいません、とかそんなんだろうに」

「あぅ……。すいません……」

 

 どうやらツボに入ったらしく、慧音さんはくすくすと笑みを浮かべながら、浮かべた涙を指でこすりとる。

その姿はまるで笑い泣きしていたかのようで、先程の悲壮感はいくらか減じているようで、たまたま道化をできて良かった、と内心で俺はほっとした。

そんな俺を人心地ついたと見たのか、矢継ぎ早に慧音さんは質問を重ねてくる。

 

「で、どうだ? 喉が乾いたりしたか? ちゃんと水差しは用意してあるぞ?

 ご飯ならちょっと時間がかかってしまうが。

 あ、それとも厠か?

 そ、それだったら、その、一人で行けないだろうからな、私が手伝ってやれるぞ?」

「あ、や、その、ご飯は兎も角、厠は、俺、霊力の扱いを覚えて飛べるようになったので、多分大丈夫かと……」

「そ、そうか……」

 

 と言うと、気持ちがっかりしたかのように、慧音さんが勢いを減じる。

世話焼きな所のあるこの人なら俺の世話をしたがるかもしれない、と思ってはいた。

俺のほうも流石に不自由なので、失礼にならない程度には世話を受けようと思っていたが、流石に厠までと言うのは、羞恥心が勝ったのだ。

とは言え、なんだかしょんぼりした慧音さんを放っておくのには、俺の良心と言うか、後ろめたさが我慢ならず。

丁度喉も乾いていたので、水を飲ませてもらっていいか、と聞くと、まるで尻尾を振る幻視が見えるかのような勢いで慧音さんは頷く。

それから自らの姿に思う事があったのだろう、少し顔を赤くしてから、慌てて水差しが差し出される。

すると当然俺は差し出された水差しの先を加えてちゅーちゅー吸う訳なのだが、慧音さんの真っ白な指が、たおやかに水差しを掴み傾けているその様は、何だか扇情的で、顔が赤面してしまう。

ちらちら視線をやるが、慧音さんはそんな事意識していないでにこにこと笑いながらやっている物なので、俺が過剰に性的な意識をもっているようで、自分がいやらしく感じてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だった。

そんな時間を少しばかり過ごし喉を潤してから、少し一息ついて、顔面の熱を放射してから、気になっていた事を口にする。

 

「それで、その」

「うん?」

「此処って、何処なんでしょうか。永遠亭では、無いように見えるんですが……」

 

 一応俺の記憶は、風見さんに肩を砕かれた辺りから曖昧になり、風見さんの謝罪の言葉にどうにか頷けた辺りで最後になっている。

その事について思うことはあるが、それは一人で行うべき物であるので、この場は意図的に後に回す事にし、慧音さんの答えを伺う。

するとすぐに、理解の色を浮かべ、あぁ、と慧音さんは一人頷く。

 

「そういえば、運び込まれた頃から意識が無かったんだっけな。此処は、博麗神社だ。

数日前、誰かが怪我したお前を此処に運んできたらしくてな。

そこで、えーと、事情があってだな。そう、権兵衛、君の怪我が大分酷くてだな、動かさない方が良いとなってな。

丁度居合わせた永遠亭の薬師の弟子が治療をしたそうだ」

「と言うと、鈴仙さんですか」

 

 と、そう告げた瞬間、慧音さんが僅かに口元を緩めた。

何故だか分からないけれど、慧音さんのような善人の代表格みたいな人の笑みならば、こちらも思わず微笑みたくなってしまうほどの柔らかい笑みであるし、実際に造形もその通りであると言うのに。

何故だか、少しだけ寒気がする。

熱でもあるのかな、と自分の体調を心配するうちに、僅かな沈黙を挟んで、慧音さんが口を開く。

 

「そう、だな。怪我をして永遠亭に世話になっていたそうだが、矢張り彼女とも面識はあるんだな。……名前で呼ぶぐらいには」

「えぇ、はい。永遠亭では皆さん良くしてくれまして。

 特にお世話になった四人とも、下の名前で呼ばせてもらうくらいには親しくさせてもらっています」

 

 これは誇らしい事なので、動かない胸を気持ちだけ張って見せて言う。

何せあの永遠亭の人々はとても尊敬できる人ばかりで、その人達に下の名前を許されていると言うのは、俺には勿体無いぐらい良き事であるので。

すると、何故だか更に僅かに寒気が増え、ぶるりと震えそうになるが、幸いと言うか何と言うか、体が動かない為、寒気に震えて慧音さんを心配させる事も無かった。

はて、どうしたのだろう、と内心で首をひねっているうちに、再び俺は、眠くなってきた。

瞼が自然と重くなり、欠伸は、体に響きそうなので咬み殺すが、それでも慧音さんにその存在は悟られてしまっただろう。

すると何故だか寒気は収まり、不思議と同時に慧音さんも顔から笑みの色を消していた。

気づけば申し訳なさげな顔をして、俺の顔色を伺うように言う。

 

「まぁ、それはいいとして。その、権兵衛が大変な時だと言うのに、本当にすまないんだが。

私としては、君の傷が癒えるまで、世話をしてやりたいと思っているんだが……。

まぁ、その、なんだ。何もかもを放っておいて、する訳にも行かなくてな。

いや、別に、権兵衛の世話が嫌いと言う訳じゃない、むしろ普段から色々してやりたかったから、都合が良いぐらいでな。

あぁ! 勿論、君が怪我した事が喜ばしいと言う訳じゃないんだ、分かってくれよ。

ただその、権兵衛、君が世話焼かせと言うか、何と言うか、その、なんだ……うん。

まぁ、兎に角。

そんな訳で、私も毎日君を世話しに来る訳にもいかなくて、永遠亭の兎の奴も結構忙しいらしくてな。

そこで、私の友人が暇を持て余していると言うので、彼女に君の世話を頼みたいのだが、いいかな?」

 

 と、慧音さん。

難しい所であるので、眠気で鈍った思考で、少し考える事にする。

これが軽い物であるなら即答していたかもしれないが、怪我人の世話と言うとこれが結構大変だろう。

慧音さんの友人が俺の容態の変化に気づきでもしなかったならば、俺はその人に大きな十字架を背負わせてしまう事となる。

が、対象は俺なのである。

自虐的な意味では無く、霊力の扱える、俺なのである。

簡単な物なら自己治癒の術も使えるし、容態の変化を霊力で知らせる事も出来、更に厠に行ったりは自分で出来る為、労苦と言う意味でも少なくなるだろう。

それに、折角治した怪我人を放っておく訳にも行かないだろうし、そうなるとこの話を断った場合俺の世話をするのは博麗の巫女様である。

妖怪退治を生業とすると聞く彼女が忙しいか、少なくとも緊急時には忙しくなるだろう事は容易く想像でき、対して慧音さんの友人は暇を持て余していると言う。

慧音さんの謙虚な所を勘定に入れたとしても、矢張りここのところは、慧音さんの友人とやらに甘えておくのが上策と言えよう。

と言う事で、俺は僅かに顎を引き、肯定の意を伝える。

 

「是非、お願いします。俺として、看病してくれる人が居るのは、心強い物なので」

「そうか……良かった。それなら、そう伝えておく事にするよ。

 それじゃあ、権兵衛、眠いんだろう? 遠慮無く寝て、早く傷を治すといい」

 

 俺は再び首を縦に振れるだけ振ると、慧音さんのお言葉に甘えて、重くなってきていた瞼を閉じる事にする。

しかし、この体と言う物は相変わらず言う事を聞いてくれず、眠くなったのですぐに寝れるかと思ったが、そうでもなく、むしろ寝ているんだかいないんだかよく分からない、曖昧な境界の上に意識が立つ事となってゆく。

早く怪我を治す為にも睡眠を多く取ったほうが良いと理解こそできているものの、実践ができないのではお粗末と言う物である。

兎に角寝よう寝ようと意識してみたり、羊の頭数を頭の中で数えてみたり、そんな事を繰り返してみるものの、中々眠りにはつけない。

そうこうするうちに頭の中にぼうっと思い浮かんでくるのは、矢張り、風見さんに対する、申し訳なさであった。

 

 俺を嬲っていた時、確かに風見さんは嗜虐的な笑みを浮かべていたが、同時に、正気に戻ったと思わしき時、涙を顕に俺に謝り続けていたのも確かである。

とすると、俺を傷めつける行為は、風見さんにとって本意ではなかったのだろう。

それは普段の彼女の優しさに溢れた仕草を見るに、明らかである。

であれば、風見さんに俺が嬲られた出来事は、俺にとっても、彼女にとっても、善果をもたらさず、悪果であったとなる。

して、その悪因は何かと言えば。

切欠は、明らかに俺が切り出した話に間違いない。

何せそれまでは妖怪の襲撃と言うアクシデントこそあったもの、基本的に上手く行っていたのである、当然と言えよう。

で、なら俺がずっと風見さんに一方的に世話になっていれば良かったのかというと、これもまた悩ましい所である。

俺は所謂ヒモ状態だった訳だが、これが健全な状態かと言えば、勿論不健全であると答えが返ってくるだろう。

それを正すのは、基本的に善事である。

が、何故俺如きが離れると言う事に風見さんが取り乱したのか、まで理由を探るとすると、また違う事となるだろう。

 

 さて、まず、俺は風見さんの元を離れると言う事で、彼女を一人きりに戻す事になるのだが、普通、それだけで人は取り乱す物だろうか。

何せ離れると言ったのは、この俺である。

口下手で、半ば以上村八分にされると言う程対人関係に疎く、それどころか絶望して自死をすら思っているような、果てしなく面倒くさい男である。

そんな、常人であれば邪魔に思うしか無い鬱陶しい存在が離れただけで、風見さんは取り乱したのだ。

それは偏に、彼女が非常に寂しがっていたのであろう事を指し示していたのではないか。

俺は、それを察する事が出来ずに、彼女から離れてゆく事を示す言葉を吐き、彼女を傷つけてしまったのだ。

それを思うと、他にもっとやり方はあり、もっとゆっくりと離れてゆく方法があったのではないか、と思ってしまう。

 

 それに、何故気づけなかったのか、と言う事を思うと、俺の罪は重くなるばかりである。

これが常人であればまだしも、風見さんの相手は俺だったのである。

半年近く、誰とも関わらない生活を続けて、孤独の辛酸を味わい続け。

その上で蜘蛛の糸の如く垂れる慧音さんの貴重さを誰よりも思い知り。

更には再び全てから見捨てられ、絶望に自死すら思い。

そしてなにより、そこで風見さんに人の暖かさを思い知らされた、この俺である。

当然他人の孤独にも敏感であって然るべきだというのに、俺は全く気づかずに風見さんと一端離れようと口にし。

果たして何の学習もしていなかった、痴呆の如き所業を、顕にして。

 

 何と俺は、惨めな事だろうか。

人は、学ぶ事が出来る。

何時しか俺が慧音さんに言った台詞であり、俺の希望の源泉の一つである。

こんな惨めな俺でも、物事を学び続けていく内に、恩返しをできるような、真っ当な人間になれるのではないか、と言う希望。

確かに俺は、霊力だの何だのと言う点ではそれを多少なりとも実践できていたかもしれない。

しかし最も大切な、人との関わり方において、俺は何の学習もしていなかった事を、見せつけてしまったのだ。

愚かであった。

惨めであった。

だが、そう思い続けて、心から希望を無くす事は、それ以上に愚かで惨めなのだと、俺は風見さんに教わったばかりなのである。

それを忘れるような行いは、今まで以上の悪行だろう。

なのでせめて、自虐の念を忘れずとも、それで希望を無くす程に自分を打ちのめす事の無いよう念じつつ、俺はゆっくりと境界の眠りの側へ、意識を移してゆくのであった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 始りは、土下座して頼み込んでくる月兎の言からであった。

 

「お願い、力を貸してくださいっ!」

 

 と言う鈴仙によると、権兵衛は八意永琳に疎まれ特別に解剖したがられており、恐らく永遠亭にゆけばそれを逃れる術は無い、との事だった。

勿論中立地帯である博麗神社に手を出すような迂闊な真似はしないだろうが、あの人の良い権兵衛である、甘い言葉を一つ二つ投げかけてやれば、あっさり騙され永遠亭に連れて行かれてしまうだろう。

一応鈴仙も慧音も普段どおり生活して誤魔化すが、何時権兵衛が見つかってしまうか分からない。

その時防波堤となるのに、亡霊姫や半人半霊では相性が悪く、半獣では力が足りず、巫女は中立であり、故に輝夜と殺し合える実力を持つ貴方にしか頼む事はできないのだ。

との事であった。

それだけであれば妹紅は首を縦に振るか横に振るか迷っただろうが、最近輝夜と殺し合っておらず暇だった事や、その場に居た慧音の後押しもあり、権兵衛と言う男の護衛兼世話を妹紅は引き受ける次第となった。

 

 正直面倒だと思わないかと言えば、嘘になる。

妹紅は元々社交的な性格ではない。

不老不死故に人に恐れられ、妖怪どもを殺し続けた時期がある故に妖怪にも恐れられており、マトモな人間関係と言えば慧音に一方的に世話を焼かれるだけである。

だと言うのに、権兵衛とか言う男の側にいて抑止力となれ、と言うのは、ちょっと不安な所があった。

そも、その男の人物評として、慧音も鈴仙も権兵衛を善人と言うが、彼女らの言葉をまるごと信じると此処千年で出会った事も無いような男であると言う事になり、二人には悪いが、ちょっと疑わしい。

不老不死となって千年、妹紅は人の美しい所も見てきたが、それ以上に醜い部分を見続けてきた。

それを思うと、二人の言うように害意を全く持たない聖人のような性格をしており、それでいてちょっと惚けていて愛嬌のある都合のよさ満載の人間など、居る筈が無い。

だと言うのにそんな像が伝わってくるというのは、不気味の一言に尽きた。

そんな不気味な人間と、どうやって付き合っていけばいいのやら、と嘆息しつつも、妹紅こそが、慧音を焚きつけ力を貸すと豪語した当人である。

仕方無しに妹紅は権兵衛の世話に出向く事になった。

 

 さて、そんな事情から複雑な心持ちで権兵衛の世話をしにきた妹紅である。

ポッケに両手を突っ込み背筋を少し曲げながら、えっちらおっちらと神社前の階段を上り、事前に事情を幾らか話して了解を取ってあった紅白巫女に軽く一言二言、それから権兵衛の眠る部屋にたどり着き。

複雑な内心から、重くなりがちな手をどうにか引っ張り上げて、襖を開いて。

 

「——あ、どちら様でしょうか?」

 

 余程暇していたのだろう、すぐに反応があった。

体中そうなのだろう、木乃伊男のように包帯でぐるぐる巻きになった男の顔が、布団からはみ出ていた。

包帯の上からでも分かるほど、顔はでこぼこと腫れており、余程酷い怪我だったのだろう、とすぐに分かる。

不老不死には久方縁のない物であるので、この怪我の程度がどれほどかは見て分からないが、鈴仙の言を聞くなら相当に酷い物となるのだろう。

だと言うのに、不思議と男には、怪我やら病気やらで弱った人間特有の弱々しさと言うのを感じ無かった。

まるで、怪我を屁とも思っていないかのような。

そんな風に浮かんできた、初対面には失礼であろう感想を、内心頭を振って頭から追い出す妹紅。

 

「私は、妹紅。慧音から、あいつの友人が暇つぶしついでに世話に来るって聞かなかったかい? そいつだよ」

「あぁ、成程。生憎立ち上がれないもので、寝ながらと失礼しますが。

 外来人の、七篠権兵衛です。これからよろしくお願いします」

「ん、こっちこそよろしくね」

 

 と言いつつ、妹紅は包帯で隠れている上腫れている権兵衛の、元の顔を想像する。

まぁ、慧音の言う所の、三割引と言う所が妥当だろうか。

と言うのも、慧音の言う権兵衛をそのまま受け入れていると、絶世の美男子となってしまうので、今見えている分でもそこまでではないと分かるのである。

全く、惚気話も大概にしてほしいものだ、と内心苦笑しつつ、妹紅は権兵衛の布団の近くに座布団を引っ張ってきて、その上に座った。

権兵衛に目をやると、目で妹紅を追っていたのだろう、目がぴたりと合う。

 

「ん、そうね、基本的に私は此処で座って本を読むなり、ぼうっとするなりしているから、何かあれば、すぐに声をかけてくれていいわ。

ご飯を作る頃には、紅白……霊夢の手伝いに行くから、その時だけは居なくなるけれど、勘弁ね。

厠は、月兎に聞いたけれど、オムツと尿瓶で……」

「いえ、飛べるんで、頑張って自分で行きます」

「あぁ、そうかい。ならまぁ、構わないんだけれど」

 

 と、断固とした表情で言う権兵衛に、それなら、と妹紅は一歩ゆずる。

それから座布団の上で胡座をかき、妹紅はポケットから文庫本を取り出した。

外の世界の書籍である。

大量生産されるようになった書籍は、出版される本の種類も幾多に増え、結果として絶版となり、幻想と成り果てるまでの期間も短くなり始めた。

故にか香霖堂に行けば、何かしらの言語で書かれた文庫本が置かれており、内容を選り好みしなければ、手の届く値段で手に入る。

と言っても人の口が発展し名作が埋もれづらくなった外の世界からこぼれ落ちた幻想である。

本当に内容は選り好みできないようなもので、貪欲な活字中毒者か、余程の暇人ぐらいしか手に取らないのだが。

当然妹紅は後者である。

勿論暇と言っても、おいおい権兵衛の人柄を見て、慧音に相応しいと思えたら慧音の応援ぐらいしてやるつもりなのだが、それはまぁおいおいやっていけばいいと妹紅は思っていた。

何せ、妹紅は不死人である、気の長くなければ務まらない人種である故に。

 

 ——暫く、妹紅が紙を捲る音と権兵衛の僅かに荒い呼吸の音だけが、空間に満ちる。

時折外を掃除しているのであろう、巫女が箒で掃き掃除をする音やら、お茶を淹れるのに湯を沸かす音やらが聞こえたりする中、静かな時間が経過する。

権兵衛であるが、最初こそは急に現れた妹紅に落ち着かない様子を見せていたが、沈黙を苦にする人種では無いのだろう、すぐに慣れてきた様子で、口を開く事なくじっとしていた。

ふと、文庫本の章替わりの頁を捲る所で手を止め、妹紅はじっと権兵衛の事を見つめた。

ぼうっと呆けた瞳で中空を眺めるその姿は、何と言うか、見ているとすっと手を差し出してやりたい姿であった。

見ていると、胸を打たれるような、そんな可哀想な瞳で、ただただその男は天井を眺めているのである。

何とも、哀愁があると言えばいいのか、哀れであると言えばいいのか、何といえばいいのか分からないけれども。

少なくとも、可愛らしさとかそういう物とは違う部分があるのは確かだろう、と妹紅は思う。

何せ、流石に傷だらけの木乃伊姿では、可愛らしさというものは感じられぬ故に。

さてはて、これが慧音の言う権兵衛の魅力であるのか、それとも長生きしている自分が説教癖を発揮し出したのか、と思いつつも、ついつい口から言葉がついて出る。

 

「所で」

「——あ、はい」

 

 呆けていた様子の権兵衛が、僅かな間隙を空けて返事を返し、妹紅へ視線をやる。

文庫本の呼んでいた頁に指を挟んで下ろし、視線を受け止める妹紅。

 

「家を——里人に壊されたんだろうってのは、私も見て知っている。それから、どういった経緯で、こんな大怪我をするまでになったんだい?」

「えーと、ですね」

 

 言葉を選びながらなのだろう、所々つっかえながらだが、話し始める権兵衛。

それによると、権兵衛は、里人が家を壊し終わる所に、丁度永遠亭から私事で離れる次第となって、戻ってきてしまったのだと言う。

丁度慣れぬ霊力も使い果たしてしまった所で、嘲笑われ、何も出来ぬままに、どうすればいいのかも分からず、放浪を始めたのだとか。

そこで夜中になり、妖怪に襲われた時、為す術もない権兵衛を助けてくれたのが、優しい妖怪筆頭である、風見幽香だったと。

 

「待て待て」

「えっ? その、すいません、何がでしょうか?」

 

 こてん、と首をかしげてから、痛みに悶える権兵衛の姿は、嘘をついているようには見えない。

千年かけて自然と人の嘘が分かるようになってきた妹紅にとってもそれは確かであり、するとあの、宴会でたまに見る物騒そうな妖怪が、優しい妖怪筆頭——?

自然、胡乱気な目で権兵衛を見やる妹紅。

何せ幽香は、宴会でも妹紅が輝夜に対して弾幕ごっこを挑む頻度以上に、他者と弾幕ごっこを行っている、物騒な妖怪である。

意外な一面と言うのもあるのかもしれないが、それにしたって優しい妖怪筆頭は言い過ぎだろう。

そんな妹紅の思いが滲み出てしまったのか、権兵衛が、無事な部分を目一杯使って、不満げな表情を作る。

 

「……その、本当に風見さんは優しい方なんですよ?」

 

 顔が無事であれば、ぷくぅ、っと頬をふくらませていただろう所作に、思わず苦笑気味になる妹紅。

するとやれ、凝った料理を嬉しそうに作ってくれただの、やれ、花の世話を凄い優しそうにしていただの、と幽香の優しさとやらを権兵衛が語り出す。

わかったわかった、と流し、続きは、と妹紅が催促すると、渋々と、権兵衛は口を開いた。

 

「それで、えっと、風見さんの不在時になんですけれど、俺を襲った妖怪が風見さんに嫌がらせをしようと、家を襲いに来て。

俺はそれに応戦して、その、えーと、や、やられちゃって。その、それで、気づけば此処で治療されていた、という事になります」

 

 視線をふらふらさせながら言い終える権兵衛に、嘘だな、と妹紅は断ずる。

これまで割りと流暢だった口がいきなりどもりがちになり、しかも内容も一気に曖昧になっている。

慧音の言っていた、素直で騙されやすいっていうのは本当なんだな、と実感しつつ、妹紅はじーっと権兵衛の目を見つめた。

口元が、きゅきゅ、と縮まり、次いで皮膚を動かすだけでも痛みが走るのだろう、一瞬目を細める。

それからそろそろと視線を逸らし、気まずそうにヒヨコ口を作る。

あぁ、こいつの嘘って分り易いなぁ、と実感しつつ、妹紅はため息をつき、その部分における詰問を終えた。

別にそこの仔細は妹紅の知りたい所では無い。

問題は。

 

「さて、ちょっと聞き辛い事を聞くけれども。

 権兵衛、あんた、里との事、どうするつもり——?」

 

 権兵衛の、里人への心象である。

無論悪い事は分かりきっているが、それでも慧音が権兵衛と里人との関係に酷く心を痛めていた事を思うと、少なくとも権兵衛側からだけでも再建可能な状態にあって欲しい、と思う。

それで里からの心象が変わると思うほど初な心を持つ妹紅では無かったが、それでも慧音の心の助けになれば、との一念から、確かめる事にしたのだが。

 

「……当分は、距離を置くしか無い、と思っています」

「へ? あぁ、うん」

「その、家を壊されるまでに俺は里に取って害であると、事実はどうあれそう思われてしまっているのですから。

とりあえずこの冬は、放置された山小屋なりを探して、そこで温度を分ける結界でも張って、やり過ごそうと思っています。

幸い、俺はある程度霊力を扱えますので、里の方達が手を出せない奥地の山の幸を手に入れられますし。

それに、お金の方はあるので、顔見知りを伝って、里でいくらか買い物をしてきてもらう事もできますので。

その、流石に持って行きたい形と言う物はまだ見えていなくて、考えたり、相談しながら過ごそうと思っているのですが……」

「や、ちょっと待って」

 

 ぐい、と掌を前にやり、権兵衛の言を遮る。

体が悪寒にぶるりと震え、自然、僅かに腰が引けた。

その、これでは。

これでは、まるで。

 

「距離を置くしか無い、って、まるで関係を続けられたら続けたいって言うように思えるんだけどさ」

「はい、勿論です。

俺は、この幻想郷に入ってきてから、様々な人に恩を受けてきていて、それを返したいと願っています。

それにはまず、自立が必要でしょう。

そして霊力が使えるだけの只人たる俺には、人里の力無しに自立する事は、難しいでしょうから。

少なくとも、誰かに恩を返す余裕ができるような生活は、できそうにありません」

 

 流暢に返す権兵衛に、妹紅は思わず、絶句した。

声色が、僅かながら震える。

 

「その……。傷を抉るようで、申し訳ないんだけど」

「? はい」

「お前、慧音と一緒に暮らしていた所を、里から追い出されたんだよな」

「はい」

「暴利を貪られていたってのも、本当?」

「はい」

「家を、里人みんなに壊されたんだよな」

「はい」

 

 何の躊躇もなく返事が返ってくる。

震える声で、妹紅は思わず吐き出した。

 

「憎く……無いのか?」

「……はい」

 

 困ったような声色で言う権兵衛に、再び妹紅は絶句した。

その瞳は、真っ直ぐに妹紅を貫いており、声色に躊躇はあっても震えやどもりは無く——、嘘の気配は無い。

まるで、子供がやんちゃをしているのを苦笑して受け止めているかのような、そんな感じであった。

害意が無いと言うか。

悪意が無いと言うか。

——懐が深いと言うか。

 

「その、自分でも戸惑っている部分は、確かにあるんです。

普通、こんな境遇にあれば、どんな人間であっても、里を憎く思う筈、なんですよね。

おかしいな、と、そう思いはするんですけれど、でも、不思議と憎悪というものが湧いてこなくって」

 

 僅かな戸惑いをのせた声色の権兵衛の目には、一切の嘘の色はなくて。

本当に自分でも戸惑っていると言うのが目に見えて分かり。

思い起こされる。

慧音や鈴仙の、権兵衛の人物評。

害意の全くない、聖人。

そこまで言うには、厳かではなく、もっと親しみやすい感じではあるけれども。

同時に何処か、狂わしくて、狂わしくて。

怖い。

恐怖が妹紅の頭の中をぐるりぐるりと回る。

とさり、と指で挟んでいた文庫本は床に崩れ落ち、頁をくしゃりと歪ませる。

 

「おかしい、ですよね?」

 

 泣き笑いのような表情を作る権兵衛。

それでやっと、妹紅は、これが七篠権兵衛と言う男であるのだ、と、静かに理解する所になるのであった。

同時に、自分はこれからこの男を見守らねばならないと言う、げに恐ろしき仕事を請け負ってしまったのだ、とも。

 

 

 

   ***

 

 

 

 数日が経過した頃だろうか。

霊力が戻ってきてからは自己治癒の術を併用できて、回復の速度が早まってきたものの、まだ両足のギブスは取れておらず、左腕の肩から先は動かず、右手一本しかまともに動かせない状態で。

それでも、たまに外の空気を吸って茶を嗜むぐらいは許された時分。

丁度外は、秋真っ盛りであった。

鮮やかな赤の紅葉に、黄葉、褐葉が入り交じり、風に揺れてゆらりゆらりと地面へ落ちてゆく。

ため息をつきたくなるような光景であった。

初体験の秋として、俺は風見さんの元で色鮮やかな花々を眺めさせてもらっていたのだが、それとはまた別に、一線を画する美しさである。

無論知識として知る所ではあったのだが、体験は別格であるのか、それとも外の世界ではこれほど見事な紅葉にであった事が無かったのか。

どちらなのか定かでは無いけれども、そんな美しい光景に感動している昼中であったと思う。

右手しか使えない上、口の中を切りまくっているので、本当にちびちびとお茶を飲んでいる所。

少し離れた所で、ぼうっとした妹紅さんに見守られている最中。

ふと、俺はがさがさと枯葉が音を立てるのに気を取られ、林の奥に視線をやった。

二つ、重なって聞こえるそれは徐々に近づいて来る次第に、その姿を見せる事となる。

 

 一人は少女、と言うより幼女、と言った言葉が似合うぐらいの背丈の少女で、日傘を差し、その影の中で目も覚めるような青い髪に、血のような赤黒い瞳をしていた。

その特徴的なのが、今までに幻想郷で見た事の無いぐらい、完璧な洋装であることだった。

いかにも洋風と言う出で立ちで、赤い模様が所々に入った、真っ白でフリルの装飾が多くついたドレスを着ており、まるで絵本の中のお姫様が本から飛び出てきたような少女であった。

その背後に連れる少女もまた、洋風の世界から出てきたような、見事な紺地のワンピースに白ブラウス、白エプロンの、メイド服を来た少女である。

まるでそこだけ別世界を切り取って貼りつけたような情景であった。

思わず呆けて口を開けて見ていると、二人の少女はゆっくりと近づいてきて、ふと、俺の前で足をとめる。

先頭の背の低い少女が、ちらりと辺りを確認し、口を開いた。

 

「なんだ、あいつは留守かい? 何時もの勘なら、寄るな寄るな、って駆けつけるに違いないのに」

 

 言ってから、俺の方へと視線をやり、すっと腕を組む。

その腕の組み方と言うのも、まるで腕が別の生き物であるかのようになめらかに動く物で、美しく、均整が取れている。

それに見惚れながらも、視線を辿るに、俺に言っているのだろうか、と考え、返事をする。

 

「その、あいつ、と言うのが博麗の巫女様であれば、多分今は賽銭箱のある方の縁側で座っているものかと、思いますが」

 

 言ってからちらりと妹紅さんに視線をやると、静かにこくんと頷いてくれたので、確かである。

が、少女は訝しげに眉を潜め、組んだ腕をほどき、頬を人差し指でぷにゅ、と僅かに押しながら、漏らす。

 

「おかしいな。霊夢の奴、勘が鈍ったのかしら。

 それともそこの不死人か、そこの初対面、貴方が関係しているの?」

「それは分かりませんが……。

 何せその、博麗の巫女様は、何と言うか、俺を避けているようでして、どうも」

 

 と言ってから、初対面、と言う言葉に自己紹介をしていなかった失礼に思い至り、あぁ、と口を開く。

 

「失礼しました。俺は、外来人の、七篠権兵衛と言います。貴方のお名前は?」

「レミリア・スカーレット。後ろのこいつは、十六夜咲夜よ」

「よろしくお願いします」

 

 と言って、粛々と頭を下げる十六夜さん。

こちらはこんなに礼儀正しく人に頭を下げられる、と言う事に慣れていないので、反射的に慌てて止めようと両手を伸ばしてしまうが、よくよく考えれば、人が礼儀を通そうとしているのに、それを遮るのは頂けない。

かと言って、俺如きに頭を下げるなどしてもらっては、むず痒い事むず痒い事、赤面しながら、果たしてどうすればいいのやら、と迷っていると、そんな俺を無視して、とことこと歩いてきて、ヒョイ、と俺の隣に座るスカーレットさん。

まるで宝石のように貴重で高貴な彼女が、手を伸ばせばすぐ届くと言う所に居ると言うのは、何と言うか、非常に恐縮する限りであり、思わず縮こまってしまう。

そんな俺を気にするでも無く、スカーレットさんは、右手をすっと空中に挙げた。

中指を親指をすっと合わせ、弾こうとする。

すかっ、と、指がすべり、しっ、と言う小さな擦過音だけが響いた。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 何事も無かったかのように、もう一度指をこすり合わせるスカーレットさん。

すかっ。ぺち。すかっ。すかっ。ぺちんっ。

思わず和やかな目になるこちらを他所に、五回目ぐらいでようやく、音らしい音が弾けると、それを合図として、かたん、と小さな音が響く。

すわ、何事か、と目を見開くと、俺の隣に入れたお茶があるのと同じように、スカーレットさんの隣にも暖かな紅茶が淹れてあるのが見えた。

確かに今の今まで何も無かったのに、と思わず辺りを見回すと、一瞬前と同じくスカーレットさんの右斜め前の辺りに居る十六夜さんの手に、円形の黒いトレイがあった。

そのまま視線を十六夜さんの顔にやると、にこり、と微笑みかけられる。

思わず、心臓が跳ね上がる。

それだけで赤面してしまうほど十六夜さんは美しい女性であり、俺はまた、赤面癖があった。

視線を足元にやっている俺を尻目に、紅茶を一口飲んで、スカーレットさんが口を開く。

 

「それで、ちょっと興味深いことを聞いたんだけれど、貴方が霊夢に避けられているって?」

「はい、スカーレットさん。どうも、確証は無いのですけれど……」

「レミリアで良いさ。で、権兵衛、どういう事なのかしら?」

 

 面白可笑しそうに言うレミリアさんに、俺の感じるままの博麗の巫女様についてを言う。

俺が初めて博麗の巫女様に出会ったのは、俺が里人の中で役立たずと判明し、なじられながら外の世界へ追い出されようと、博麗神社に連れて来られた時だった。

その時はただただ、初めて出会う弾幕決闘の出来る身分の人、と言うのに圧倒されて、更には外の世界へ出る事も出来ない、と言う事に混乱するままで終わってしまった。

思えばあの時も、必要以上に話を手早く終わらせようとされていたような気もするが、何分混乱の最中であったので、あまり覚えが無い。

そしてそれ以来、俺は彼女に会っていない。

そう、此処数日、博麗神社にお世話になっていると言うのに、俺は彼女の姿を見たことがないのである。

妹紅さんを伝って、別に嫌っている訳では無い、との言を頂いているが、少なくとも、会おうとしていないのは確かだろう。

俺など怪我人であるので、殆ど床に就いているため、見に来るのは平易であるために。

ただ、俺が一度会ってお礼を直接伝えたい、と妹紅さんを伝って伝えた返事が、無いままであると言う事から、避けられているのではないか、と思うのだ。

 

 一通りの事を言うと、レミリアさんは顎に手をやり、眉間に皺を寄せ、難しそうな顔で考え込む。

幼い外見の彼女がそういった難しい顔をしているのは、何とも似合っておらず、そんな顔をさせてしまったこちらとしては何とも言えない気分になる。

と言っても、この幻想郷は外見と中身の年齢が一致しない人妖は多く、彼女の持つ雰囲気は間違いなくその一部であると告げている。

そう思うと俺の心配は見当違いであり、むしろ礼を失するに値するだろうと言うのに、何故だろうか、俺は彼女を庇護の対象では無い、と考える事ができなかった。

見目に狂わされたのだろうか。

そう思うと、狭量で視覚と言う五感の一つに囚われる己の愚かさに、再び視線を足元に。

これが虫眼鏡であれば既に大火事を起こしているだろうと言うぐらいに、焦点を合わせる。

不意にレミリアさんが口を開き、それに合わせて、俺は視線を彼女に戻した。

 

「うーん、気になるけど、あいつだからなぁ。

 頭が小春日和って事しか分からないし。今日みたいな感じよね」

「はぁ。小春日和ですか」

 

 丁度その日も、小春日和と言って良い、やや暖かで過ごしやすい気温の日であった。

全く関係ない事に飛び飛びになるような、やや飽きっぽい感じの気性は何処か子供っぽく、矢張り外見通りの年齢を思わせる。

そんな俺の感想も気にならないのか、紅茶を一口、口内を湿らせ、レミリアさんは言う。

 

「まぁ、そんな事より、折角運命の交差路で出会えたんだ、お前の運命を視てやるよ」

「運命、ですか」

 

 大行な物言いだった。

年を重ねた人の言い方と言うよりも、外見からか、子供がそれを真似て背伸びしているように思える言葉である。

鼻白んだ俺を見やって、ふん、と鼻を鳴らし、組んだ手の甲に顎を乗せる。

 

「私は“運命を操る程度の能力”の持ち主よ。その程度、訳も無いわ」

「なんと」

 

 思わず、体ごと乗り出して、パチクリと目を瞬き、レミリアさんを見やる。

嘘の色は無く、その目は拗ねて半目になっている。

運命を視てもらう、と言うのがどのような事柄を意味するのか今一よく分からないが、貴重そうな響きである事は確かである。

慌てて機嫌をとろうと、下手に出る事にする俺。

 

「素晴らしい能力をお持ちなんですね。俺など、特に吹聴できるような能力はありませんし」

「ふふん。何処が素晴らしいんだ? 言ってみろ」

「運命と言う物が具体的に何かを俺は知りませんが、過去から未来に渡る物である事は何となく察せています。

そこで、未来とは不確定な物で、確率で出来ている事が思い浮かびます。

運命を操る、とは何をどうするのかは分かりませんが、その確率を、少なくとも間接的に操る事が出来るのではないか、と思えまして。

確率とはあらゆる物です。光も電子も、あらゆる物は確率の波によって存在する粒子です。

とすれば、運命を操る能力とは、あらゆる物を操る程度の能力と転じれるのではないか、と」

「ほ、ほほぅ。なるほど、いい事を言うじゃあないか」

 

 そう言うレミリアさんは、目を閉じながらうんうんと頷いているが、気のせいか、冷や汗が混じっているような気がする。

すると、俺の思うまでの能力では無いのか、とがっかりする反面、それでも俺よりは凄そうな能力に、尊敬の念は禁じえない。

何せ運命である、とりあえず凄そうと言う感情が頭に来る。

それに運命の交差路と言う単語も何だか貴重そうで、いかにもな感じであるし。

 

「まぁ少なくとも、俺の能力よりも凄まじいのではないか、と」

「そ、そうだな」

 

 と頷きつつ、レミリアさん。

 

「で、ちなみにお前の能力は何なの?」

 

 ……運命を視れるのでは無かっただろうか?

内心首を傾げるが、とりあえず聞かれて困る事では無いので、答える事にする。

 

「主に“月の魔法を使う程度の能力”です。こんな感じで」

 

 言って、俺は月度を高め、指を立て、その先に月の魔力を集める。

怪我して寝ている間中暇だったので、ある程度練度は上がっており、陽の下でも容易く月弾幕が生成できた。

小さな小さな満月と言うべきその弾幕は流石に珍しいのか、目を見開くレミリアさん。

この能力も輝夜先生から頂いた術である、思わずふふん、と胸を張っている俺に、レミリアさんは何故か徐々に近づいてくる。

月弾幕を持った手を左右にやるとレミリアさんの顔もそれと同様に左右に動く。

何事か、と首を傾げると、ガシッ、と手を掴まれ、物凄い力で引っ張られた。

幸い傷の浅い所だったので痛みは無かったが、驚いたのと、このままだとレミリアさんの顔に月弾幕がぶつかってしまう、と言う事で、月魔力を体内に還元して、月弾幕を消す。

すると、ぴたり、とレミリアさんの手が止まり、丁度、鼻先に俺の手が来るぐらいになった。

どうにかレミリアさんが無事だった、と言う事で、ほっと一息安堵の溜息をつく。

何せ人形のような凄まじい美少女である、その顔に傷など付けたら、俺はその罪悪感だけで死ねるかもしれない。

 

「はぁ。どうしたんですか、一体」

「………………」

 

 と、答えが帰ってこない段になって、初めて俺はレミリアさんの異常に気づいた。

瞬き一つせずに、俺の掴まれた手を睨んでいる。

そして手首を掴むその力は緩むこと無く、万力のような力で俺を、ほんの僅かづつ引き寄せ始めていた。

 

「レミリア、さん?」

 

 声が空虚に響く。

どろりと、今にもこぼれ落ちそうでねたねたと粘着質な、赤い赤い目。

それが身じろぎもせずに、俺の指を引っ込めた手を見つめていて。

不思議と、俺の体は、痺れたかのように動かなくなる。

かぱぁっ、と、彼女の口が小さく開いた。

白磁の美しい肌に、口内の赤いグロテスクな肉の色が入り混じる。

その肉の赤の中、溜まった唾液にぬらぬらと光って、奇妙に発達した犬歯が見えた。

それがゆっくりと俺の手へと近づいてきて。

どろりと犬歯から垂れる唾液が、俺の肌に垂れるぐらいにまで近づき。

 

「お嬢様!」

 

 十六夜さんの悲鳴に、はっ、と正気を取り戻したレミリアさんが、顔を引いた。

ふと熱気に気づいて振り返ると、座っていた妹紅さんが立ち上がり、その手に不死鳥の如く燃え盛る炎の鳥を手にしている。

レミリアさんが俺の手を離すのと同時に、妹紅さんはその手をぎゅ、と握り締め、炎の鳥を消してみせた。

 

「ま、一応護衛役って事にもなっているんでね」

 

 と言ってから、再び座り込み、ぼうっと力の抜けた目になる妹紅さん。

今一状況が掴めないのだが、その言から、妹紅さんが俺を守ってくれたのは、確かであろう。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

 と言う事で、とりあえず礼を言っておくと、ひらひらと手を振って返された。

もう一度頭を下げておき、それからレミリアさんの方へ振り返ると、まだ呆然としているようだった。

十六夜さんがレミリアさんの口から零れた涎を、ハンカチで拭っている。

それで俺も、自分の手の甲にレミリアさんの涎がついているのに気づき、ついつい服で拭ってしまいそうになるが、ふと思う所があって、手を止めた。

 

「吸血鬼、なんだよ」

 

 と、レミリアさんが言う。

何のことかとレミリアさんを見ると、すまなさそうな顔で、俺の顔を見ていた。

 

「私は、吸血鬼なんだ。すまないね、無闇矢鱈と血を吸うつもりは無かったんだけど」

「え、その、そうなんですか」

 

 となると、果たして、先程の俺はどれほどのご馳走に見えていたのだろうか。

吸血鬼と言えば月の魔力に大きく影響される種族であるが、あくまで表側の月の魔力にですら影響される種族とも言える。

対し俺は、裏側の月、つまり表側に漏れ出る魔力の源泉となる魔力を引き出し、それを用いていたのだ。

少なくとも、俺の貧相な想像力で考えられるご馳走には例えられない程に違いない。

 

「す、すみません、無用心な事をして」

「いや、いいさ。こちらこそ、悪かったね。私は、自分を恐れていない人間から血を吸う事はしない、と決めているんだ」

 

 とすると、減量中の人間相手に鴨が葱を背負って出てくるような所業である、兎に角平謝りする俺だが、レミリアさんはそれには取り合わず、ふるふると首を横に振る。

どうすればいいのか分からず、困って視界に居る十六夜さんに視線をやるが、気づいてないのか、無視しているのか、何の言葉も貰えず。

すっと立ち上がるレミリアさんを、俺は留める手段を持たない。

俺は、一体何をやっているのだろうか。

健常に立って、歩いている時に人を不快にするのは、分かる。

何せそこには行動があり、結果が出来、何かを成す事になるからである。

となると、心根が屑である俺としては、人を不快にさせる事しかできず、不愉快である。

しかし、怪我をして殆ど身動きできない時にですら、人を不快にするとは、なんという屑野郎なのか。

これでは雁字搦めにして閉じ込めておいても、人を不幸にすることが出来てしまうのではあるまいか。

俺自身の罪深さに沈んでいると、立ち上がったレミリアさんは、日傘を差してとてとてと歩き、くるっとこちらを振り向く。

 

「それじゃあ、って、お前、その手、私の涎でベトベトだぞ」

「え、あ、これですか」

 

 動く方の手、つまり右手をあげると、確かにレミリアさんの涎でべっとりと汚れていた。

が、しかし。

 

「いや、その、気づいてまず、俺の服で拭おうかと思ったんですけど」

「うん」

「何と言うか、高貴な感じのあるレミリアさんの体液な訳で、それを俺如きが、あんまり汚そうに拭うのも、どうかと思いまして」

「はぁ?」

「かと言って、どうすればいいのかも、思いつかなくって。洗い流すと言うのも、吸血鬼に対するとなると、より失礼なのか、とも思えて」

 

 と言っていると、まるで俺が頓珍漢な事を言い出したかのような顔で、レミリアさんがパチパチと目を瞬く。

まるで偏頭痛でも襲ってきたかのように頭を抑え、眉間を揉みほぐしながら、ため息混じりに言う。

 

「あー。お前、私の事が怖くなったんじゃあないのか? 吸血鬼だぞ?」

「はぁ。知り合いに幽霊や妖怪も居ますので、それは特に」

「いや、お前、血を吸われそうになったんだぞ?」

「はぁ。まぁ、死ななければ、献血もいいかな、と」

「お前なぁ……」

 

 と、額に手をやって、天を仰ぐレミリアさん。

しかし、何がどうなったのか、その口元は笑みの形を作っており、俺はとりあえず、レミリアさんが明るい表情を取り戻したのに、安堵するのであった。

 

「まぁ、とりあえず、依然お前から血を吸う訳にはいかない、って事は分かったさ」

 

 そう言って去ってゆくレミリアさんと、それに付き従う十六夜さん。

運命の交差路、と言う言葉から、コレが貴重な邂逅であると理解していた俺は、それが最後に台無しにならなかった事に、安堵の溜息をつく。

涎からどうなってレミリアさんの機嫌が良くなったのかは分からないが、去り際に見せた笑みは、幸せそうなそれに見えた。

久しぶりに俺と出会って幸せな形で終える事が出来る人が居て、それだけで、俺は舞い上がるような気持ちで一杯になっていた。

と同時、そう言えば結局、運命を視るとやらをやってもらえなかったな、と落ち込みつつ。

と言っても、それは、レミリアさんの言う運命の交差路、とやらが毎日交差している事を知る、その翌日までの事なのだったが。

 

 

 

   ***

 

 

 

 一週間ほどが経過した。

権兵衛の容態だが、未だに左腕が動かないようだが、早くも両足の骨が繋がり始め、浮きながらならば大抵の動作は出来るようになったようである。

全く、永遠亭の技術力は一体どうなっているのやら、と思いつつ、文庫本の頁をめくりながら、妹紅は嘆息した。

視線をやると、まだ木乃伊男度の高いままの権兵衛が、ぼうっと天井を見上げている。

かと思うと、すぐに妹紅の視線に気づいて、にこり、とこちらに微笑みかけてきた。

内心複雑に権兵衛を思っている妹紅は、作り笑顔でそれに対応する。

 

 妹紅が思うに、権兵衛は不気味な人間である。

まるで無抵抗に全てを受け入れる、人間とは思えない所があるからだ。

里との関係の事もそうだが、権兵衛自身についても同じようだ。

あまりの不気味さに、思わず何度か食事を抜きにしてみたりもしてみて、少しは不満顔もするのかと思えば、にこにこと困ったような表情をするばかりである。

多分、試しに殴ってみたとしても、こいつは怒るんじゃなく、何が悪かったのかと恐る恐る聞いてくるんだろうな、と、妹紅は思う。

そんな狂的で少しおかしな所がある反面、奇妙な事だが、権兵衛は、人間らしいと言うか、愛嬌のある部分もあった。

ちょっととぼけた所があって、所謂天然が入っている、と言う感じの気性もそうだし、人のことにはよく気づいて気遣う事もあるのだが、自分の事は抜けていてだらしのない所がある男なのだ、この権兵衛は。

例えば、妹紅の服のボタンが取れていたり、リボンが解れそうになっていたりとかにはよく気づくのに、自分が零したご飯粒には気付かなかったり、時たま自分の怪我の事を忘れたような行動を取っていたりするのだ。

最初は権兵衛との問答で彼を不気味とばかり思っていた妹紅であるが、そんな風な権兵衛と過ごすうちに、次第に権兵衛の温和な気性が好ましい物にも思えてきた。

その部分だけを見れば、妹紅としても、友人を預けるにはちょっと頼りないものの、その世話焼きで恩義にあつい部分からか、慧音と同じように友人となれるかもしれない、とも思える。

と言っても、反面、妹紅はあの、最初の問答で見た権兵衛の瞳の事を、忘れることができない。

黒い瞳。

あのドロリと溶け出した、まるで億千万の虫が蠢いているかのような瞳。

白い包帯の中から覗くそれは、まるで今にもぼとりと溶け落ちて床に広がり、瞬く間に部屋中を覆い尽くしてしまうのではないか、と思えるような物だった。

 

「はぁ……」

 

 嘆息する妹紅に、こてん、と首を傾げる権兵衛。

その可愛気のある視線を、純粋に微笑ましく思う事ができず、何処か恐ろしくも思ってしまう自分に、妹紅は再び内心で溜息をついた。

と同時、暇つぶしに、と文庫本の頁に指を挟んで下ろし、口を開く。

 

「あの、吸血鬼達の事だけれど」

「レミリアさん達ですね」

「里との関係を考えるなら、そんなに仲良くしない方が良いんじゃないか?」

「そう……でしょうか?」

 

 何時もの困り顔になる権兵衛に、見下ろすようにしながら、妹紅は言う。

 

「あいつらは、里では不気味がられている。まぁ吸血鬼なんて種族とその犬なんだ、当たり前だね」

「では、レミリア……さんは、人里に行かなそうですね。では、十六夜さんは、里を利用できていないのでしょうか」

「いや、できている。食料も普通に買っていくし、細工なんかを見ていく所も見たことがある。

 でもそれは、あいつらが強いから、里人が手を出されないようにと、遠慮しているからだ」

 

 事実その通りである。

吸血鬼やその犬に陰口を叩く里人は絶えないが、決して本人の前で言う里人は居ないし、不当な取引を持ちかける里人も居ない。

と言っても、と、権兵衛。

 

「でも、一応俺も普通の人よりは強いですけど」

「でもお前の場合、その力を使おうって気が無いだろ」

 

 にべもない返事に、うっ、と権兵衛が呻く。

 

「絶対に使わないと決まっている力なんて、無いのと同じよ。

 もしかしたら使うかもしれない、ぐらいは思わせないと、力には意味がなくなってしまう」

「そ、そうですけど……。でも、だからと言って」

「だからと言って、保身を理由に他者との付き合いを選ぶのは、健全じゃあない、って所?」

「……はい」

「なら、里との距離がより離れて、お前の言う恩返しとやらが、より遅くなるだろうと言うのは?」

「………………」

 

 黙りこむ権兵衛。

その顔が難しく歪んでいるのに、老婆心が過ぎたかな、と思わないでもない妹紅だったが、遅かれ早かれ、里と咲夜との様子を見れば、自分で考えつくであろう思考である。

ならば体がマトモに動かず、考え事の出来るうちにやらせておいた方がいい。

権兵衛の優しく真面目な気性は、千年を生きた妹紅にしても宝石のように貴重だと思えるが、だからこそ、助言できる事はしておきたい、と思う妹紅なのであった。

暫くの時間が過ぎた後、おずおずと権兵衛が口を開く。

 

「確かに、そういう面はあるのかもしれません」

「ふむ」

「しかし、俺の行動の不義理さは、俺一人を汚すのではありません。

 俺に手を差し伸べてくれた皆もまた、不義理な人間に手を貸した、目のない人妖として名誉を汚される事になるでしょう」

「……確かに、そうだろうね」

 

 権兵衛の言う事は事実であるものの、自分の首を締める発言だと分かっているのだろうか。

権兵衛の言の通りであれば当然、今現在、里にとって悪人である権兵衛は、その恩人達にとってどれほどの汚名となっているのだろうか。

最近、慧音と里との仲が少し余所余所しくなっているのに気づいている妹紅は、内心溜息をつく。

同じ思考に至って居たのだろう、びくり、と肩を震わせる権兵衛。

 

「そうなると、お前は例え力で勝ろうと、力を背景に平等な扱いを強いるのも、したくないんだろう?」

「はい、勿論」

「となれば、お前は、ただ里人の悪感情を治めるよう、里に貢献し続けるしかないんじゃないか?」

「——はい、そう考えて、います」

 

 真っ直ぐな目でそう言う権兵衛の瞳は、妹紅の記憶通り、ドロリと溶け出した黒血で出来ていた。

目を逸らしたくなるのを僅かに震えるだけに抑え、妹紅はゆっくりと口を開く。

 

「十年も二十年もかかるかもしれないよ」

「覚悟はしています」

「その前に妖怪に喰われて死ぬかもしれないよ」

「出来るだけの努力はします」

「病気や飢えなんかで、苦しむだろうね」

「はい、恐らくはそうなるでしょう」

「そう、か……」

 

 権兵衛の目の怪しい輝きが陰ることのない事を知ると、溜息混じりに、妹紅は権兵衛から目を逸らした。

権兵衛の思いに、共感する所が無い訳でもない。

はるか昔、不老不死になったばかりの頃の妹紅も、権兵衛ほど無私では無かったものの、そう考えている所があった。

皆は不老不死になんてなってしまった自分を訝しがり、不気味に思うだろうけれど、貢献し続ければその限りではあるまい。

当時の妹紅にとってその手段とは妖怪退治であり、故に様々な村から追い出された時も、最初のうちは己の妖怪退治の腕が足りなかったからだと思い、腕を磨くことに腐心した。

当然、長くは続かなかった。

何時しか妹紅は人間と関係を築こうと思わなくなり、機械的に妖怪を殺し続ける事になり、最後には妖怪退治にも飽きてしまった。

だからだろう、権兵衛の言葉はその瞳と同じく狂わしくもあり、同時に懐かしく、眩しくもあるのだ。

この権兵衛の心も、果たして何時までこの通りに居られるだろうか。

何時か妹紅と同じく心が擦り切れ、他人の事などどうでもよくなってしまうのだろうか。

それとも寿命の短さ故に、死ぬまでその意思を貫き通せるのだろうか。

どちらにせよ、まだまだ権兵衛に助言できる事は多くあるに違いない。

その道は、はるか昔に妹紅もまた辿った道であるが故に。

 

 不意に、妹紅の鼻を夕食を作る匂いがついた。

そういえば、もうすぐ夕食時か、と、巫女を手伝いに行こうと立ち上がる。

するとふと思い当たった事があって、妹紅は、此処を出て行く前に、ちょっと権兵衛に聞いてみる事にした。

 

「そういえば、権兵衛」

「? なんでしょうか?」

「お前の術って、一体誰から習ったんだ? 我流にしちゃあ、洗練されていると思うんだけど」

 

 はて、慧音か、亡霊姫か、意外な所では月の頭脳辺りか、と検討をつけて、聞いてみる。

すると、権兵衛はその恩人が余程誇らしいのだろう、満面の笑みを浮かべて答えるのだった。

 

「——永遠亭の、輝夜先生に」

 

 

 

   ***

 

 

 

 藤原妹紅は、幸せだった。

何せ死ぬことを恐れる必要がなくなり、飢える心配だって必要なくなった。

勿論死ぬことが無くなって辛いことは一杯あったけれど、今はそんな事気にしない人々の近くで、得難い友人まで得て過ごせている。

更には輝夜という同じ不老不死の相手が居て、退屈せずに何時までも何時までも殺し合いを続けられるのだ。

藤原妹紅は、幸せであった。

満たされている、と言い換えてもいいかもしれない。

 

 ただ、そんな妹紅にも、ただ一つだけ心配事があった。

それは、宿敵の輝夜が、何時か永遠に居なくなってしまいはしないだろうか、と言う事だけ。

何時しか吸血鬼が月へロケットで行った時なんて、年甲斐もなく輝夜は月に帰ってしまわないだろうか、と盗み聞きにまで行ってしまったぐらいだ。

その時は輝夜が自らを、地上の民なのだと言うのを聞いて、安心したものだった。

これで、輝夜には結局私しか居ない。

どうせ他にやることなすこと消えてゆくんだ、私と殺し合う事だけは無くなりはしない、と。

 

 そんな折だった。

輝夜の、弟子。

自分に境遇を重ねていた男が、である。

最初はどうせ輝夜の事である、適当に教えたのだろう、と術を促してみせたが、非常に丁寧に教えられたのだろう、権兵衛は精密な術の運用を見せた。

それから聞いても居ないのに、嬉しそうに、輝夜がどれほど良い師であったか、どれほど気にかけてくれたか、を語って見せる。

そしてそれを聞きながらふと、妹紅はここの処輝夜と殺し合いにならなかった事に気づき、その時期が、察するに権兵衛が輝夜に弟子入りした頃からであると気づく。

突然の不安に襲われ、妹紅はその場を飛び出した。

そうでもしないと自分がいきなり暴れだしかねない事を自覚していたからだ。

目的も定めず全速力で飛び回り、兎に角頭を冷やそうとした。

そうして全身が疲れでぐったりする頃になってようやく妹紅は地面に降り立ち、それからそこが永遠亭の敷地である事に気づく。

 

 確かに、輝夜は権兵衛の事を大切に思っているのかもしれない。

だが、別に輝夜が妹紅と殺し合うのに飽きた訳ではなく、たまたま権兵衛を教える時期と殺し合いをしない時期が合っていただけかもしれない。

例え権兵衛の方が大切であったとしても、たまたま権兵衛が初期の非常に力が伸び易い時であったから、権兵衛が特別可愛く見えただけなのかもしれない。

それになんだかんだ言って、権兵衛は寿命ある人間なのだ。

いずれは朽ち果てる物なのだ、例え権兵衛の方が妹紅との殺し合いより大切でも、いずれそれも終わる時が来る。

そう自らに言い聞かせつつ、その証拠を取る為に、何時かと同じように妹紅は永遠亭の壁に寄り添い、耳をそばだてた。

すると、永遠亭独特の丸い窓辺から、明るい輝夜と永琳の声がする。

 

「じゃ、今日もお料理教室、お願いね」

「えぇ。輝夜も、今日はサボらずきちんと最後までやってね」

「うっ。だって、折角食べさせる相手の権兵衛が、まだ見つかっていないんだもの。先に権兵衛を探した方がいいと思わない?」

「輝夜じゃ邪魔になるだけよ。昨日も言ったけど、それぐらいならこうやって権兵衛さんへ作る料理の修行でもしてた方がマシだわ」

「はーい」

 

 矢張り、権兵衛か。

ドロッとした、権兵衛の瞳のような黒い物が腹の中で渦を巻くのを感じながら、妹紅は思う。

しかし、輝夜が料理、か。

あの、何でもされる側で、何かする側には永遠に回らないと思っていた、あのお姫様が。

権兵衛、あのたった一人の外来人に心奪われて。

ぎりっ、と言う音を聞いて、妹紅は始めて気づく。

自分が、血が滲む程に奥歯を噛み締めていた事に。

はぁ、と溜息を吐き出し、妹紅はどうにか体を脱力させる。

 

「じゃあ、食材の調達から、よ。輝夜、ちゃんと下剤を飲んで腸を空にしてきた?」

「勿論よ。服だって、汚れてもいいように着替えてきたもの」

「はいはい。じゃ、包丁を使って、食材を取り出すわよー」

 

 ふんふん、と聞き流していた妹紅だが、いやまて、と聞き捨てならない内容の会話に、固まってしまった。

腸を空に?

服が汚れて?

そうこうしているうちに、輝夜達は食材を取り出し終えたらしく、血がびちゃびちゃと飛び散る音がした。

同時、独特の血の匂いが広がり、妹紅は震える唇を噛み締める。

荒い息を整えながら、落としていた腰をゆっくりと上げ、そっと窓を覗き込んだ。

そこには。

 

「とりあえず、小腸と肝臓からかしら」

「モツにレバーね」

 

 自らの腹を切り開き、そこから臓物を取り出し、まな板の上に置いている二人が居た。

どうやら小腸から切り出すらしく、包丁をあて、腸の両端を切り落とし、それから裏返してぶつ切りに。

それは普段、妹紅が鳥や猪をバラして食べる時と、似たような所作であり——。

うっ、と酸っぱい物がこみ上げてきて、妹紅は思わず口元を抑えた。

そのまま後ずさるように窓から距離をあけるが、とんとんとリズミカルに鳴り響く包丁の音だけは、未だに妹紅の耳を打ち続ける。

なまじ普通の調理と同じ様子で行っているように聞こえるのが、余計にそれをおぞましく見せる。

 

 暫くはその何とも言えないおぞましい行為に顔を青くしていた妹紅であったが、やがて、その行為の持つ意味に気づく。

あれは、不死人の肝である。

あれは、権兵衛に食べさせる料理である。

であれば。

その料理を食べた権兵衛が、果たしてどうなるのか——。

当然、同じ蓬莱人になるに決まっている。

 

 愕然とし、妹紅は背を永遠亭の壁に預ける。

どっと音を立てて背が壁に打ち付けられ、それから、ずるずると重力に引きずられて、落ちてゆく。

自然、体が震えだしていた。

かちかちと歯が勝手に鳴り出し、自身をぎゅっと抱きしめても、止まらない。

涙さえ溢れてきた。

顔にじゅっと体温が集まり、塊になって零れ落ちる。

もんぺに次々と円形の染みが出来てゆき、繋がり、大きな染みへと変化してゆく。

 

「く、そう……」

 

 輝夜を見つけてから、三百年ぶりに味わう、孤独感であった。

まるで輝夜と権兵衛の周りにだけ明かりが当たって、自分は周りの暗闇の中からそれを眺めているしか無いように感じる。

恐らく輝夜は、弟子にして同じ蓬莱人である権兵衛と、仲睦まじく過ごす事だろう。

男と女だ、ひょっとしたら恋人にだってなるかもしれない。

その間に、恐らく妹紅の入る隙間など無いに違いないだろう。

そう思うと、もう出ないんじゃないかと思うぐらい出ていた涙が、更に勢いを増して出てくる。

 

「う、うぐ……」

 

 込み上げてくる涙に嗚咽しながら、妹紅はゆっくりと立ち上がり、その場を去ろうとする。

それが何とも明るく料理している中の輝夜達と対照的で、まるで自分は敗者だな、と自嘲しながら、ポケットに手を突っ込み、妹紅は歩いてゆく。

その背は時折込み上げてくるしゃっくりに上下しながらで、地面には点々と涙の後がついている。

丁度その反対側では、明るい声をあげながら、とんとんとリズミカルに包丁が音を響かせている。

 

 きっともう、私は輝夜と殺し合う事なんて無いんだ。

 

 そう思うと、再び妹紅の胸をぞっと絶望が襲ってきて、今度こそ声を上げて泣いてしまいそうだったので、妹紅は飛んで帰る事にした。

八つ当たりだと知っていても憎くて憎くて仕方のない、あの七篠権兵衛が寝ている神社へと。

 

 




権兵衛の能力1:
権兵衛の能力2:月の魔法を使う程度の能力
権兵衛の能力3:
権兵衛の能力4:
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