ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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2009/12/02(満月


19-守屋神社1

 

 

 洩矢諏訪子は、時々神奈子や早苗に隠れて、里まで遊びに行っている。

何の用事でかと言うと、諏訪子は神である。

故に祭りの日などは神遊びと言って人間と遊ぶ必要があるし、それには人間の遊びを知る必要があった。

中でも自分が子供の姿であるからか、特に子供の遊びの流行を知る必要がある。

勿論昔ながらの水切りなども諏訪子は達人的な腕前であるが、矢張り人は流行りの遊びをしたがるものだし、何より諏訪子自身の趣味として、新しい遊びは楽しい物である。

此処一年程は間欠泉地下センターやら非想天則やらの扱いで忙しかった為、その日久しぶりの暇が空いて、諏訪子は里を訪れる事にした。

勿論里の見張りの目を掻い潜ってから認識阻害の術をかけ、里の子供の一人だと思わせるようにしつつ、里をうろつく。

 

 子供は矢鱈と秘密基地を作りたがる物であり、必然、活動拠点もそこに限定される。

と言っても、所詮子供の作る物である、厳しい冬を超えられる筈もなく、大抵の秘密基地は冬にその生涯を終え、また春に新しく作られる事になるのだ。

此処一年程里を訪れていない諏訪子は当然新しい基地の場所を知らないので、必然的に歩きまわって探す事となる。

あらまぁ久しぶりねぇ、だの、元気にしていたか、だの、里の連中から声をかけられながら里を回ってみて、諏訪子が最初に思ったのは、何となく違和感を感じる、と言う事であった。

里人に活力が無い。

何処か元気が無い様子の人間が多く、虚ろな目をしている人間や、暗い顔をしている人間が多い。

そう言えば今年はなんだか参拝客も多くなったと言う事を早苗から聞いたが、その分里人の悩みが増えたと言う事だろうか。

さてはて、不作と言う話は聞いていないんだけどな、と思いつつ、思い思いに諏訪子が里を回っていると、知った顔を見かけた。

里の子供の、一人である。

 

「あ、諏訪子、久しぶり! お前今までどうしてたんだよ!」

「あはは、久しぶりー。ごめんね、ちょっと忙しくって」

 

 と言っても余り広くは無い里である、子供同士で顔を見かける者が居ないと言うのはおかしい事なのだが、そのあたりは諏訪子の術がごまかしてくれる。

むくれる男の子に苦笑しつつ謝り、軽く談笑してから、諏訪子は切り出した。

 

「で、さぁ。私が居ない間、此処一年ぐらいで流行った遊びって何かあった?」

「え? え、えーと、なぁ……」

 

 男の子の明らかに怪しい挙動に、諏訪子は首を傾げる。

男の子の言い難い遊びと言えば性の目覚めに関する事だが、それにしては恥ずかしいと言うより、何か後ろ暗い感情のこもった物言いである。

こちらも釣られて暗い口調で、口を開く。

 

「その……、何か事故とか、嫌な事でもあったの?」

「いや、そう言う訳じゃないんだけど……」

 

 煮え切らない口調であるが、目前の男の子はもっとハッキリとした性格の人間だったように諏訪子は記憶していた。

とすると、一体何があったのだろうか?

内心首を傾げる諏訪子であったが、その疑問の答えが出るよりも早く、そこに声が割り込む。

 

「ねぇっ、権兵衛が来たってっ!」

「えっ、権兵衛が!?」

 

 割って入ってきた女の子の声に、驚きの色を乗せる男の子。

権兵衛。

聞いたことのない名前だけれど、と首を傾げる諏訪子に、焦った口調で男の子が言う。

 

「その、諏訪子、俺もみんなも、権兵衛の所に急いで行かなきゃならないんだ。久しぶりに会ったのにごめんな」

「ううん。でも、みんな集まるなら、私も行ってもいいかな?」

「あー。いいんじゃないかな?」

 

 気もそぞろに言う男の子に肩をすくめ、諏訪子は続く事にした。

暫く女の子に先導されて行くと、そこには既に子供たちの人だかりができていた。

里の外れ、大人の気配も少なく、通りからは死角になってよく見えない広場。

端には適当な木材で作られ放置された小屋があり、その中には木剣など、子供の玩具がしまってあるのが見える。

そんな広場の中心に一人、成人するか否かと言う程度の年齢の、優しげな風貌の男が立っていた。

男の子が広場に到着したのと同時、喧騒の中の一人が口を開く。

 

「あ、来たなっ。これで全員揃ったぞっ!」

 

 と言うのに驚き見やると、本当に里の子供の殆どがこの場に揃っていた。

強いて言えば、阿礼の子など、普段里の中を遊んで回らない身分の高い子は居ないと言う事ぐらいか。

さてはて、どうなるものやら、と、諏訪子は一人輪を離れてその場を観察する事にする。

ざわっ、と子供たちは男の回りに少し間を空けて、ドーナツ型に並び、その中から一人、先ほど諏訪子と出会った男の子が男の前に出てきた。

困ったような笑顔を作る男を前に、男の子は背筋をぴんと伸ばして立つ。

 

「その、権兵衛っ」

「何だい?」

「今まで権兵衛の事をいじめていて、ごめんなさいっ! もうしませんっ!」

 

 直後、他の子供達全員が、ごめんなさい、もうしません、と輪唱した。

おやおや、と思わず諏訪子は目を丸くする。

大人を子供がいじめると言う行為の奇妙さもあるが、それより。

自分の非を認めると言うのは子供どころか大人にも難しく、特に集団で行ってしまった行為については責任がばらばらに別れてしまうので、尚更難しい。

だと言うのに此処の子供たちは、大人に強制された様子も無く、独力で全員で謝る行為を行っていた。

矢張り幻想郷に来て良かったな、と諏訪子が目を細めていると、権兵衛がその顔を和らげる。

ふと、明らかに空気が暖かくなった。

日でも差したのかと、物理的な要因があったのかと勘違いするほどの暖かさが、ただ一つの笑みからもたらされたのである。

その笑みの余りの暖かさに驚く諏訪子を置いて、権兵衛が口を開いた。

 

「本当に、良かった」

 

 見事に安心した様子で、権兵衛は胸に手を当て、安堵の溜息をつく。

 

「俺は君たちにいじめられた事など気にしていないよ。

何せ君たちは子供なんだ、間違ったら正してやればいいし、それをしてくれる人だって俺以外にも居る。

ただ心苦しかったのは、君たちに他者を傷つけると言う罪を、犯させてしまった事だ。

そしてそれを、里の大人が止めようとしない中、唯一言葉をかけれた俺の言葉でも、止められなかった事だ。

あの頃言葉は通らず、強引に力で止めさせようにも、必ず里の大人達の目があったものですから、それもできなかった。

それでも俺は、信じてた。

君たちがきっと何時か、こうやってかつての過ちを反省してくれる事を。

だから。

だから俺も、言うよ」

 

 一端区切り、すう、と胸に息を吸い込む権兵衛。

 

「ありがとう。

本当に、ありがとう。

許しを請うてくれて、本当にありがとう。

反省をしてくれて、本当にありがとう。

だから、これからはみんな仲良くしていこう。

それが俺にとって、何よりの報いなんだから」

 

 そう言って見せる権兵衛は、感動の余りか、涙をすらこぼしていた。

その顔に感銘を受け、子供たちも皆ぽろりと涙を零す。

そんな中、諏訪子は何という善人なのだろうか、と、思わず口をぽかんと開けながらその光景を眺めていた。

年上の人間のプライドと言うのは時に醜い物で、特に権兵衛のようなまだ若い人間の全てが、子供たちの過ちを許せるかと言うと、そうでもない。

故に諏訪子は、いざとなればこの場で権兵衛と子供たちとの間に割って入る事すら考えていたと言うのに、である。

場はまさに、絵画に描かれんばかりの感動的な場面であった。

権兵衛を中心に子供たちが純粋な涙を流しており、その中でもより一層引き立つ、より柔らかく純粋な印象の涙を、権兵衛が流している。

やがて感極まったのか、権兵衛が手を伸ばし、一人出てきた子供の頭を撫でる。

男の子が顔をくしゃくしゃにし、涙をより一層ぽろぽろと流し始めた。

 

 それが、契機だったのだろうか。

次々に子供たちが輪を飛び出て、権兵衛に抱きついたり、体を擦り付けたりしようとする。

思わず貰い泣きしてしまいそうになって、潤んだ目を擦っているうちに、諏訪子はその異常に気づいた。

何というか、子供たちが、少し手荒いのである。

前の子供を押しのけ権兵衛に抱きつこうとする子供に、そんな子を後ろに押し戻す子供。

すぐに押し合いは掌ではなく握りこぶしで行われる事になり、余程強い力を込めていたのだろう、最初に殴られた子供達が地面に伏し、権兵衛の視線がそこに行く前に他の子供がそこを埋める。

次第に暴力は激化し、すぐにより年の幼い子供達が地に伏す事となった。

その体の上を、年重の子供達が、何の躊躇もなく踏みしめ、権兵衛へと触れようとする。

背丈の大きい子供が壁になっているからか、権兵衛側からは何も分からないようであった。

そしてそれでも権兵衛は一人であり、年上の子供達全てが権兵衛に触れられる訳ではない。

すると子供達は権兵衛に見えないようお互いに暴力を振るい始め、すぐにそれは目潰しや金的すらも混ざった、完全な暴力となる。

その頃になってようやく、権兵衛は自分の回りで暴力が振るわれている事に気づいた。

 

「み、みんなどうしたんだ!?

お、おい、やめてくれよっ、何で殴り合っているんだ!?

やめて、やめてくれよっ!」

 

 権兵衛は叫び、すぐさま身近な子供を取り押さえるが、所詮二つの手である、抑えられる人数には限界がある。

ばかりか抑えられた子供は他の子供に優越感に溢れた笑みを漏らし、それに応じて他の子供が抑えられた子供に暴力を振るい、それを権兵衛が抑え、その繰り返しであった。

なんだ、この悪夢は。

寸前まで清廉で美しい光景であったのが、諏訪子が少し呆けている間に、すぐさま地獄の如き光景になってしまった。

子供達は殴り合い、地面には年下の子供達と血と折れた歯が散らばっている。

権兵衛も頑張っているし、魔力を使って威圧もしているが、それでも止まらない。

止まらない——、そう、止めなくては。

あまりの光景に呆然としていた諏訪子は、はたとそう思い当たり、急ぎ神気を開放する。

 

「やめなさーいっ!」

 

 瞬間、諏訪子の居た地点から放射状に、激烈な神力が撒き散らされた。

権兵衛の霊力が蟻のように見える凄まじい神力に、子供達は一斉に動きを止める。

ばかりか、どろりとしていた粘着質な何かが瞳から抜け落ち、全員脱力し、立っていた者はその場に座り込んだ。

暫し、荒い息遣いだけがその場を支配する。

諏訪子もまた、寸前まであった恐ろしい光景に混乱し、何を口にすればいいのか分からなかったのである。

そうするうちに、矢張り魔力の持ち主であるからか、権兵衛がまず立ち上がった。

その権兵衛も矢張り何を言えばいいのか分からない様子で、子供達に向けて口を開こうとしては閉じ、そんな事を繰り返している。

そうこうしているうちに一人一人と子供達が立ち上がり、俯いたまま無言で、逃げるようにその場を後にしていく。

最後には、広場には血と折れた歯と権兵衛と諏訪子だけが残された。

 

 向かい合う。

先ほどは子供達が壁になっていたので、権兵衛の全身を見るのは初めてで、諏訪子はまず優しげな風貌だな、と思った。

柔和な顔立ちに暖かな雰囲気で、まるでその周辺だけ太陽が明るく照っているかのような気さえするのだが、服に残された先の暴力の痕跡がそれを台無しにしていた。

子供達の血と泥と、歯型や涙で、藍染めの着物がぐしゃぐしゃになっている。

しかしそれも、一度権兵衛が、儚げな笑みを浮かべると、全く違う物に見えるようになった。

汚れた服や肌は、他人の為に汚れを厭わぬ心の現れのように。

優しげな風貌は、それ故に弱く人々に搾取される、儚い印象に。

雰囲気を一新した権兵衛は、深く頭を下げ、諏訪子に礼を言う。

 

「ありがとうございます」

 

 と言う権兵衛は、短絡的に考えれば、里が変な理由や、子供達が豹変した理由に関わっているのかもしれない。

何せ諏訪子が里に居なかった間の変化といえばこの権兵衛なる男の存在しか知らないし、子供達が権兵衛を前に豹変した事から、この男に原因があるのではと考えられる。

愁傷な態度を取っているようだが、それも自分より強い諏訪子を見ての演技と考えれば納得が行く。

しかし諏訪子は、不思議と権兵衛を疑う気にはなれなかった。

先の権兵衛が子供達を許す際の言葉の美しさが、耳から離れないのである。

だから諏訪子は、にっこりと笑って権兵衛に返すことにした。

 

「そうね、どういたしまして。良かったよ、子供達を止められて」

「はい、本当に良かったです。あ、俺は七篠権兵衛と言います。 さぞ名のある神様と存じますが、名を伺ってもよろしいでしょうか」

「洩矢諏訪子。諏訪子でいーよ、神社と紛らわしいから」

「あ、はい、では諏訪子様と。って、神社ですか? 博麗以外に幻想郷に神社が?」

 

 と、言われて思わず諏訪子は目を見開く。

霊力持ちの前で神力を開放したのだ、神とバレているのは想定内だが、守矢神社を知らないとは。

 

「うーん、守矢神社って言うんだけど、聞いたことない? 家の早苗が里で結構宣伝している筈なんだけどなぁ」

「えっと、申し訳ありませんが、存じ上げておりません。その、まだ幻想入りして一年と経っていないので、その為かと」

「ん? 外来人なのに、早苗ってば信仰をもらいにいってないの?

あの子がサボるなんて考えづらいんだけど、最近変な常識にはまってきたからなぁ」

「はい、その早苗さんと言う方も知りませんので……。ただその、俺は里の外れで暮らしているので、その為かもしれません」

 

 思わず首を傾げつつ権兵衛の顔を覗き込む諏訪子だが、権兵衛の顔には困惑の色しか無い。

確かに権兵衛は、妖怪の襲ってくる可能性のある里の外れに住む事の出来る力もあるし、それなら早苗が見つけていないと言うのも可能性としてありうる事だ。

しかし、この人当たりの良い男が態々里の外れに住むなど、一体何がどうしたものなのか。

悩むが、初対面で踏み込むには深い事情である。

諏訪子はそれを捨て置く事にして、取り敢えず要件を先に済ませる事にして口を開く。

 

「ま、いっか。それでさ、権兵衛、ちょっと遠いけど、家の神社に来ないかな?

そんなに汚れてるんだ、一風呂ぐらい浴びさせてあげるし、ついでに厄払いもしてやるよ?」

「え、でも……」

 

 と、遠慮しかける権兵衛を遮り、続きを口にした。

 

「遠慮しないでってば。

私の信徒予定の子達が、素直に人に謝れるいい子になる切欠になってくれたんだもん。

最後酷い事になっちゃったけど、それ以外はこっちがお礼を言いたいぐらいなのよ。

勿論、権兵衛は良い子だから、神様のお礼を受け取らなかったりなんか、しないよね?」

 

 小首をかしげて言ってやると、観念した様子で、権兵衛がはい……と呟きながら項垂れる。

言質をとった諏訪子はやった、と飛び上がってから、ふと、私は何でこんなに必死になっているんだろう、と思った。

確かに権兵衛には借りがあるといえばあるが、それも先の子供達への威圧で返したとも言える。

なのに何故自分はこんなに権兵衛を家に連れていきたがるのか。

少しだけ疑問に思ったが、しかしそれは権兵衛を風呂に入れてやってる間にでも考えればいい事か、と、諏訪子は思考を放棄し、権兵衛と共に空をとぶ。

飛び始める時、眼下を一度視界にやって、おや、と諏訪子は首をかしげた。

何故だかさっきまでの権兵衛達が居た広場を、上白沢慧音が身を隠しながら監視していたようだったからである。

今はどうも身動きできていないようだが、恐らく余りに凄惨だった光景か、諏訪子の神気か、もしくはその両方にやられてしまったのだろう。

しかしまぁ、どうでもいい事か、と思いつつ、諏訪子は権兵衛と共に守矢神社までの道程を再開した。

 

 

 

 ***

 

 

 

  さてはて。

どうしたものだろうか。

流石に冷え込み、雪もよく見るようになった昨今。

この日、俺は何時ものように隔日で里に買い物に来て、秋の実りや冬の恵みを売り払ってお金にした所で、里の子供達に里の外れの方にある広場に来てほしいと頼まれたのである。

俺と里の子供達との関係は、正直に言って悪かった。

里の子供達は俺をイジメていたのだ。

道を歩いていると、生卵を投げつけてきたり、数人で体当たりをして泥へと転けさせたり、酷い時には数人がかりで俺を倒し、背に乗り、乗り物のように扱った事もあった。

周りの大人は、そんな子供を見ているだけであり、一切注意しなかった。

そればかりか、俺を見て溜飲を下げている様子さえあったのだ。

しかも、当然と言うか何というか、俺のような口の回らない男の言葉では子供達を叱っても言うことを聞いてはくれない。

ばかりか、俺が子供達が怪我をしないよう注意を払っているのを盾に、一層調子に乗らせてしまうだけ。

そんな最悪の関係であったので、今回もどうなる事やら、一応月の魔力を扱えるようになったのだ、今度は力尽くで叱る事ぐらいはできそうだが、と思いつつ広場に行くと、予想外の出来事があった。

 

 俺は、全員に謝られたのである。

 

 当然、俺は感動の余り、涙さえ零してしまった。

何せこれまで俺は子供達に悪影響しか及ばせていなかったのに、いつの間にか、子供達は過ちを認める事のできる人間になっていたのだ。

何が切欠でそうなったのかは分からないが、何にせよ良い事は良い事である。

涙しつつ子供達を撫でてやっていると、しかしその場はそれで収まらなかった。

気づけば、子供達が争って前に出ようとし、止めようとする頃には本気で殴り合い、目を引っこ抜こうとし、血反吐を吐き出させていたのである。

慌てて止めようと、魔力を使って威圧しつつ止めようとしてみるものの、子供達が怪我しないように留める方法が思いつかず、俺は右往左往していた。

本当なら、愚かな事である。

何せ、子供達に互いに本気で闘ったと言う最悪の記憶を植えつける前に、俺と言う一人の大人による暴力により気絶させてしまう方が、少々傷をつけてしまうとしてもマシだったからだ。

 

 そんな俺を救ってくれたのが、諏訪子様であった。

さぞ高名な神なのだろう、凄まじく上等な神気を放出して、その場の子供達を傷つける事無く正気に返らせて見せたのだ。

その後、掛ける言葉も見つからず、帰ってゆく子供達を見逃した後、諏訪子様は俺に言ってくれた。

なんと、俺が感動した光景に諏訪子様も感動してくれたらしく、その礼に厄払いをしてやるし、ついでに風呂でも使っていったらどうか、と言う話であった。

たしかに、子供達が狂ったかのように傷つけあってしまったのを見れば、俺に厄があったのかもしれぬとも思える。

それに、子供達の血や歯型や泥やらで俺の一張羅はかなり汚れてしまっており、見るに耐えない状況だった。

また、お礼をと言うのに断るのも礼を失すると思い、俺は諏訪子様について守矢神社までやってきた。

 

 守矢神社は想像以上に立派な神社であった。

博麗神社が小さく見える程に大きく、山の頂上にあると言う事も関係しているのか、荘厳な雰囲気があった。

何というか、まるで空気分子が全て口を閉じているような、不思議な静けさがあるのだ。

思えば周りの動物の気配も少なく、動きと言う動きが排除されているような。

ただ、その中でも一つだけ、神社の中に大きな存在が感じられて。

 

「この気配が、もう一人の守矢神社の神様と言う事でしょうか」

「え? 神奈子は今用事があって出かけてるよ?」

 

 駄目駄目だった。

いくら俺が間抜けにも程がある男とは言え、これはちょっと恥ずかしすぎる。

故に思わず俺は背を丸め、頭をがっくりと落とし、そうですか……、と返すのが限界であった。

それにくすりと諏訪子様が微笑み、立ち止まる。

くるりとターンし、広がる服の裾を抑えてから、両手で俺の右手を手に取り、はにかむ。

 

「ドンマイ権兵衛っ。まぁ、うちの巫女は神様だから、その気配を感じ取ったんだと思うしさ」

「あ、そうなんですか」

 

 と、あっさり立ち直る俺。

そんな俺が矢張りおかしいのか、またもや諏訪子様はくすくす笑いをしている。

別に悪意のある笑いだとは感じ無いのだが、それでもこうやって笑われてしまうと、反射的に恥ずかしさがこみ上げてきてしまう。

顔が赤くなり、俯き、俺はぐぐっと俺を引っ張る諏訪子様に先導を任せて、参道を歩く事にした。

確かに言われてみれば、神社に感じられる存在は大きいものの、諏訪子様と比べると幾分格下としか言いようのない存在であった。

巫女と言われればあぁそうかと思うものの、ちょっと待てよと俺は思う。

巫女が、神様?

一体どういう事なのかと諏訪子様に視線をやるが、先程の恥ずかしさが尾を引いて話しかける勇気がどうにも出ない。

と思っていると、諏訪子様が振り返りそうな気配が感じられ、慌てて俺は視線を足元に合わせる。

足取りが止まり、俺の頭部に視線が注がれているのが分かったが、それも一瞬、再び諏訪子様は歩き出した。

内心ほっと息をつきつつも、俺は自分で自分をゴツンと殴ってやりたい衝動に襲われる。

俺は明らかに阿呆だった。

幻想郷に来てから今の今まで少しでも成長しているような気はしていたのだが、気のせいだったのかもしれない。

今時シャイな子供もこんな事をしないだろうって言うのに。

 

 舗装された道を歩いてゆくと、急に諏訪子様が手を離すのが感じられた。

その頃にはどうにか顔の火照りが取れていた俺は、釣られて視線をあげ、緑色の髪をした、多分俺より年下ぐらいの巫女服の少女が掃き掃除をしているのを見つける。

何故か脇が空いているのは、多分幻想郷の標準仕様なのだろう。

変なことに納得している俺を尻目に、諏訪子様はぴょんぴょんと跳ねるように走りながら巫女さんと思わしき人の前に行き、身振り手振りを加えながら俺の事について説明しているようだった。

俺もそれについていくのが自然な所作であるのだが、今時感心な若者で〜とか、吃驚するぐらいやさしい子で〜とか、聞いているこっちの顔が噴火しそうな褒め言葉を耳にすると、思わず足取りも遅くなる物である。

そろりと、諏訪子様の話が終わるのに合わせて近づいていくと、それに気づいたのだろう、諏訪子様が俺を紹介した。

 

「ほら、この子だよ、早苗。挨拶しな」

「はい、諏訪子様。初めまして、私は東風谷早苗と言いま……」

「あ、はい。初めまして、俺は七篠権兵衛と名乗っています」

 

 と、いつもするように挨拶をしたのだが、なんだか東風谷さんの顔色がおかしかった。

顔がすっと死人のように白くなり、極寒の雪山にでも居たのだろうかと思い違う程に唇も青くなる。

明らかに俺と顔を合わせてから顔色が悪くなったような気がするが、はて。

 

「ど、どうしたの、早苗。顔が真っ青だけど」

「その、体調でも悪いのでしょうか。今すぐ休んだ方が……」

「い、いえ、何でもないんです。そ、その、すいません、近づかないでください」

 

 と言いつつ東風谷さんは近づく俺から一歩離れ、顔ごと視線を逸らす。

同時に俺はガツン、と頭を殴られたような感覚を覚え、足元がふらつくのが分かる。

嫌われるのには慣れた筈なのだが、思ったよりショックだった。

が、すぐに頭を振り、ショックを頭から叩き出す。

何せ今本当に傷ついているのは、顔色を見れば明らかなように、東風谷さんなのである。

何とか彼女の不興を覆せぬものかと考えてみる。

とりあえず、俺を嫌がっているのだろうか。

となれば勿論、論理的に考えて俺が悪い事は確定事項なので、とりあえず俺の悪事を考える。

心当たりが有り過ぎるが、とりあえず解消のしようがある事から解消しようと試みた。

 

「その、七篠権兵衛と言う名前は、幻想入りした時に記憶喪失になったからつけた名で、偽名とかそういう怪しい事な訳では……」

「いえ、すいません、どうでもいいですから喋らないで貰えますか」

「あ、はい……」

 

 ぶった斬りだった。

思わず落ち込み数歩下がる俺だが、それにカチンときたのは諏訪子様である。

 

「ちょっと、早苗!? いきなり初対面の人にそれは無いんじゃない!?

何があったのか知らないけど、そんな無礼な真似……!」

 

 と、怒鳴っていた諏訪子様から、数歩距離を取る東風谷さん。

まだ怒り足りない様子である諏訪子様を尻目に、早口に言う。

 

「そうだっ、その、今思い出したんですけど、今日はちょっと里に用事があったんです。

今すぐ行かないと間に合わないので、その、すいません、失礼しますっ!」

 

 と行って、飛び立ってしまった。

思わず唖然として見送ってしまう、諏訪子様と俺。

暫くの間、なんとも言えない沈黙が横たわる。

頭の中をぐるぐると、一体俺の何が悪かったのか、と言う事が回っていた。

こうまで嫌われてしまうとなると、罪悪感の余り土下座したくなってしまうが、その対象が居ないのでは空回りである。

内心半べそになりながら、処理不能な出来事に棒立ちになっている俺を尻目に、沈黙を破ったのは諏訪子様だった。

弾かれたように振り返り、慌てて俺に釈明する。

 

「ご、ごめんね権兵衛っ! 何時もなあんな事する子じゃないんだけど……。

後で謝らせるから、本当にごめんねっ!」

「いえ、俺は気にしていませんから、大丈夫ですよ」

 

 諏訪子様の謝罪を遮り、俺は言った。

まぁ、正直ショックを受けているのは本当だが、これも嘘では無い。

むしろ気になるのは。

 

「それよりも、東風谷さん、あんな顔を真っ青にするほど傷ついていて……、そっちの方が心配です。

もし俺に原因があるのなら、俺に何かできればいいのですけれど」

 

 と言うと、ぴたりと諏訪子様は動きを止めた。

まじまじと俺の顔を覗き込んでくるので、どうしたのだろう、と俺は思わず首をかしげてしまう。

それがおかしかったのか、またもやくすりと微笑む諏訪子様。

 

「えっと、すいません、今俺、何かおかしな事を言ってしまったでしょうか?」

 

 だって、俺は所詮俺なのである。

そんな俺が傷ついた事などよりも、東風谷さんが傷ついている事の方が余程重要な事だろう。

それは世界共通の事実だと思っていたのだけれども。

くすくすと、まるで慈母のような微笑みで、諏訪子様は俺の事を見やる。

 

「ううん、権兵衛ってやっぱり、優しいんだなぁ、って思ってただけよ」

「そう……でしょうか?」

「うん、絶対だよ」

 

 と言う諏訪子様には申し訳ないが、俺は矢張り俺は真に優しくなどないと思った。

何故なら本当に優しいのならば、そもそも東風谷さんを傷つけてしまう事など無いだろうに、と思う為である。

と言っても、わざわざそんな事を口に出して諏訪子様と論争するのも、馬鹿らしい事だ。

俺は言葉を飲み込み、笑顔をつくり、諏訪子様の後をついていって、とりあえず神社へと進んでいく事になる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 厄払いと言えばいくつか種類があり、種類によっては神仏が身代わりになってくれる物であるが、守矢神社では違うらしい。

どうやら巫女が厄を追い出すような厄払いを行っているようだった。

とすれば勿論、東風谷さんが帰ってくるまで俺は厄払いを受ける事も出来ない訳で。

ならばお暇しましょうか、と言った所、風呂に入っている間に東風谷さんが帰ってくるかもしれないし、とりあえず風呂だけでも浴びていったらどうだ、と言うのが諏訪子様の言であった。

いやいや、と断ろうとする俺であったが、口下手な俺と長生きしている諏訪子様とが上手い具合に噛み合い、いつの間にか俺は風呂に入っていく事になっていた。

いやはや、恐るべきは年の功か。

などと言えば、諏訪子様も幼い見目であるが女性である、ぶっ飛ばされるのだろうけれども。

 

 とまぁ、そんな訳で今現在俺は、風呂に入っているのであった。

体を洗い頭を洗い、湯に浸かっている所である。

何というか、風呂には毎日入っていたのだが、何というか、違和感のある一風呂であった。

いや、本当に何だか分からないが、違和感があるのだ。

何というか。

視線が足りない。

 

「っていや、それじゃあ変態じゃあないか!」

 

 と、ひとり突っ込みする俺。

浴室内の声はよく響いた。

かぁ、あぁ、ぁ、といった具合に反響が長々と残り、俺の耳朶に響く。

次第に、なんと恥ずかしい事をしているんだろう、と顔が真っ赤になってゆき、それを隠すように俺は体育座りで湯船に浅く顔を沈めた。

えーと、兎に角、だ。

こうやって他の家で風呂に入って初めて気づいたが、俺は自宅の風呂に入っている時、どうも無意識のうちに視線を感じていたらしい。

はて、どうしてだろうか、と考えるに、すぐに答えはでた。

此処は神域であり、他の存在が近づきがたい場所である。

対し俺の家は、様々な存在が引き寄せられているようで、色んな霧やら幽霊やらが漂っている場所なのである。

俺の家で視線を感じる事になるのは当然の事と言えよう。

それが風呂でより顕著に感じる、と言うのは何だか妙な気がするが、単に家に居る様々な存在が、湿気が好きなだけなのかもしれない。

そう思うと納得でき、俺は体をゆったりと伸ばし、湯船に浸かる事にする。

 

「ん〜〜〜」

 

 思わず、感嘆の声が喉から漏れた。

疑問が氷解して、すっきりとした入浴になった筈である。

なのに何処か俺の中に濁りのような物を感じるのは、矢張り東風谷さんの事が気になっているからなのだろう。

俺は一瞬、眼を閉じて東風谷さんの表情を思い出す。

真っ青で今にも倒れそうな、血の引けた顔。

それを思うと俺は彼女に手を貸せはしまいかと思ってしまうし、それには俺を嫌っている理由の推測が必要であろう。

俺は浴室の窓硝子に目をやりつつ、黙して考え始めた。

さて、東風谷さんが俺を嫌っていたとして、それは当然俺の事を知らねば嫌う事は出来ない。

対し俺は、初対面である。

すると東風谷さんは直接会う以外に俺の事を見知って、もしくは聞き知っていたのだろう。

後者であれば、当然俺の悪評を聞いてと言う事なのだろうが、それにしては妙な対応であった。

何せ俺は、里にとって、慧音さんにたかる寄生虫なのである。

同じように守矢神社に寄生されないよう、俺を見張るのが打倒な対応なのでは無かろうか。

対し東風谷さんの対応は正反対、顔も見合わせたくないとばかりに逃げの一手であった。

とすると、それ以上の何かがあるように思える。

 

 が、そこで手詰まりだった。

俺は自身の悪評についてそこまで詳しくなく、また、東風谷さんが一方的に俺の事を見知っていたのだとすれば、どんな場面を見ていたのか特定できない限り、俺を嫌う理由には辿りつけないだろう。

当然、嫌われるような行為の心当たりが有り過ぎる俺には、場面の特定は難しそうだった。

 

「結局、なるべく顔を合わせないように、って言う所になるのかなぁ」

 

 何せ理由を解決できない限り、顔を合わせる度に東風谷さんに負担をかけるのだとすれば、俺が直接問題を解決するのは東風谷さんの負担を考えればあり得ないだろう。

日常生活に支障が出ないのならば、顔を合わせないだけで良い。

だが、里でたまたま顔を見られただけであんなふうに体調を崩してしまうのだとすれば、諏訪子様やまだ出会っていないもう一人の神様の力を借りて、解決法を探らねばならないかもしれない。

内心頑張る為の覚悟をしつつ、いい加減のぼせそうだったので、風呂から上がり、脱衣所への扉を開いた。

同時、廊下から脱衣所への扉が開く音。

 

「「あ」」

 

 と、声が輪唱した。

反射的に持っていた手拭いで下を隠せたのは、我ながら良い仕事をしたと思う。

黒曜石の瞳に輝く金の髪の毛と、それを結った赤い紐に、黄土色の目と思わしき飾りが二つついた帽子。

諏訪子様が、殆ど全裸となった俺の正面に居た。

女性の前にこんな姿で出ると言うだけでもとんでもない事なのだが、神様の前にこんな姿で出てくるとは。

俺は、一体何をやっているのだろうか。

頭の中がぐるぐると周り、思考が定まらない。

何か口にしようとするが、喉がからからに乾いて張り付いていて、何も言葉にならない。

どうしよう、どうしよう、と言う言葉だけがぐるぐるぐるぐる頭の中を回っている。

それは諏訪子様も同じようで、固まったまま、視線を固定させて動かさない。

と思ったが、よくよく見ると、諏訪子様の視線は俺の顔に向いているのでは無かった。

ちらりと視線の先を辿ってみると、俺の左腕に行き着く。

風呂に入るのに、義手を外していた左腕に。

 

「あの、権兵衛、その左腕……」

 

 という声には、何処か不安の色があった。

そういえば、諏訪子様が俺の左腕の欠損を暴いてしまった形にもなっている事に気づく。

 

「あぁ、別に隠していた訳では無いのですが、一々言う必要も無いかな、と思って。

友人の心を守る為の負った傷ですので、特に気にはしていませんよ」

 

 義手も便利な物ですし、と付け加えると、呆然としたまま俺の左腕を見つめる諏訪子様。

全く出ていこうと言う様子は無く、視線も変わらず左腕に釘付けにされたままである。

このままでは湯冷めしてしまうので、何となく気が引けつつも、口を開く俺。

 

「その。着替えるまでで良いので、出ていってもらえないでしょうか」

 

 すると諏訪子様は、顔色を一変。

驚いたかと思うと、すぐに真っ赤な顔になり、慌てて脱衣所を出てゆき、後ろ手にバタンと扉を閉める。

恐らくはそのままの姿勢で言っているのだろう、扉越しに聞こえる声。

 

「ごごご、ごめんね権兵衛っ! その、えーと、背中を流してあげようと思ったんだけど、思いついたのが遅かったみたいでさ。

ごめんね、本当にごめんね、権兵衛っ」

「あ、いえ、大丈夫です」

 

 何が大丈夫なのか自分でもまったくもって分からなかったが、とりあえず大丈夫と言っておく。

というか俺も動揺しっぱなしであり、頭に血が登った状態なのであった。

というのも、よくよく考えれば、俺がこれまで異性に肌を晒したのは、宴会の時の上半身裸の状態ぐらいなのである。

あの時も相応に恥ずかしかったが、下半身も殆ど裸となると、数学的に二乗に恥ずかしい。

とりあえず湯冷めしないように体を拭きながら、俺はまるで現実的でないようなふわふわした感覚に身を任せるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 にしても。

出会い頭に、東風谷さんには物凄い勢いで避けられてしまい。

風呂を出ようとすると同時に諏訪子様と鉢合わせになってしまい、俺に左腕が無いのを暴かせる形になってしまい。

本当に今日は、俺に厄でもついているのかと思ってしまうような一日であった。

そしてそれは今現在も続いている。

ほぼ全裸を、神とは言え、年が一桁かと思える程の幼い容姿の幼女に見られてしまい、動揺している俺と。

礼をと言って招いたのに、身体の欠損を暴く真似してしまう事になった諏訪子様。

特に諏訪子様は、かなり長生きした神だと言うので、昔は身体の欠損による迫害が今以上に酷かった事を思うと、かなり気にしているのではなかろうか。

そんな状況に押しやった事は本当に申し訳なく思うのだが、かと言って解決策が思い浮かぶ訳でもなく、俺は困り果ててしまう事しかできない。

 

 とまぁ、そんな訳で。

今現在、俺と諏訪子様はとてつもなく気まずかった。

それを紛らわそうと茶を手にとろうとすると、何故か二人同時に手を動かしてしまい、お互い気まずく、何となく手を戻してしまう。

和室とは言え近代の作りが珍しく、懐かしみながら眺めていると、強い視線を感じ、諏訪子様に視線をやると、今度は物凄い勢いで視線を逸らされ。

何というか、気まずい事この上無い空間であった。

しかも、厄払いは巫女の役割と言う事で、東風谷さんが帰ってくるまで待たねばならないのだと言う。

勿論、東風谷さんと言えば会った瞬間青い顔を逃げられた相手であり、当然今以上に気まずい空間になってしまうに違いない。

せめてもう一人の、今留守にしている神様が、気まずい相手ではない事を祈るばかりである。

と思ってから、いや、そういうのも傲慢な願いか、と俺は思い直した。

何せ諏訪子様相手に気まずいのも、タイミングの悪かった俺の所為なのである。

何せ東風谷さん相手に気まずいのも、恐らくは俺の風評の悪かった所為なのである。

全て俺の責任であると言うのに、他人からの助けを期待すると言うのは、虫が良い話だろう。

とりあえず、せめて諏訪子様との関係を気安く、とまでは行かずとも、せめてこの気まずさを解消しよう、とそう考えた所で、丁度諏訪子様が口を開いた。

 

「そのさ、権兵衛。ちょっと、聞いてもらっていいかな」

「はい、何でしょうか」

 

 真剣そうな雰囲気での言葉であった為、自然、俺も諏訪子様との関係改善計画を放棄し、全力で諏訪子様の言葉に耳を傾ける。

すると何故か、諏訪子様は僅かに目を細めた。

意図が分からず、僅かに戸惑う俺。

 

「その、誰にでも、会って初めての人にはこんな事を言っている訳じゃあないんだよ?

今回はね、そう、特別、特別なの」

「成程」

 

 と、俺は改めて居住まいを正す。

諏訪子様の言から見るに、これから重要な事が言われるであろう事は明らかだったからだ。

ちなみに特別と言うのは、当然機会が偶然にあったと言う事で、俺個人が特別な訳ではない、と勘違いせずに理解している。

 

「——私にはね、かつて人間の夫が居たの」

 

 と、衝撃の事実から諏訪子様は語りだした。

幼い容姿の諏訪子様と夫と言う言葉が一瞬噛み合わなかったものの、考えて見れば普通にあり得る話である。

相手が人間と言うのは神話の世界で見ると珍しい話であるが、半人半神と言う存在もあるのだ、あり得ない話では無いだろう。

俺が頷くのを確認して、諏訪子様は続ける。

 

「権兵衛と同じように左腕が無くってね、それで思い出しちゃったのかな。

優しい人だった。

すべての人に別け隔てなく優しい人でさ、私が妻なんじゃないのって、嫉妬しちゃいたくなるぐらいみんなに優しくって。

特に子供達に好かれてたっけな。

生まれた娘にも何時までもベタベタされてて、焼き餅焼いちゃった事もあったわ。

——そんな人だったから、思えば、神の夫なんて役は似合わない人だったなぁ。

一応神の眷属っていう立場になるから、偉ぶる事も必要だったんだけど、そういうのが苦手な人で。

だからちょっと、私が夫にして良かったのかなぁ、なんて思ったりもしたけど、そんな時は、ちょっと怒られちゃったっけ」

 

 諏訪子様は余程その夫を愛していたのだろう。

口ぶりは十代の少女のように、全てが面白可笑しくて仕方がない、といった次第であった。

俺はそもそも自立さえできていない男で、婚姻など遙か彼方にある出来事でしか無いのだが、それでもこうやって幸せな家庭を思わせる物があると、矢張り憧れてしまう。

思えば幻想郷に来て以来、里人には嫌われてばかりなので、幸せそうな顔をした既婚者を見るのは初めてだろうか。

思わず口元が緩み、微笑みを作ってしまう。

 

「その方の事を、とても愛してらしたんですね」

「うん。愛し合っていたよ。

まぁ、もう結構前の話だからさ、あの人ももう逝ってしまったんだけれど。

——そういえば、夫が死ぬ前なんか、私泣きながら逝かないでって言っててさ。

夫は常人だったから、そういう訳にもいかないってのに。

そしたらあの人、約束してくれてさ。

もし来世があるのならば、必ず君と出会い、また伴侶をしてみせる、だなんて」

 

 口調こそは軽いものの、諏訪子様のその表情が、その約束の大切さを示していた。

思わずこちらまで胸が暖かくなってきてしまい、口元が緩くなる。

目を細めて眺める俺の視線に照れたのか、少し顔を赤くしつつも諏訪子様は俺を見つめ続けた。

 

「まぁ、もう千年以上前の話なんだけどさ。

その血を受け継ぐ早苗を見ると時々思い出すんだけど、それも稀でね。

貴方を見て、久しぶりに思い出せたから、それでお礼を言いたくって。

なんて、何もやってないのに神にお礼なんて言われちゃって、困っちゃったかな?」

「い、いえ、そんな事は」

 

 と、慌てて俺は両手に首まで横に振るが、くすくすと笑う諏訪子様を見て、からかわれたのだと分かり、少し困った表情を作る。

俺と言う人間は生来の不器用なので、こういったからかわれ方は遠い記憶に覚えがあるような気がするのだが、かと言って慣れたような反応をするのも違う気がして、憮然とするのも失礼な気がして、だから困った顔なのだ。

そんな俺がおかしいのか、諏訪子様はくすくす笑いを大きくする。

俺はと言えば、矢張り何処かおかしかったのか、と思うと恥ずかしさで顔が真っ赤になり、思わず俯いてしまった。

そうやって縮こまるのもおかしいのか、くすくす笑いは暫くの間続く事となったのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夕方も暮れて、夜の帳が降りてきた頃。

既に虫の鳴く声も消え、時には雪がしんしんと降るような静かな音ぐらいしかしない時間。

俺は未だに諏訪子様と話しているままであった。

こんな遅い時間までお世話になるのも失礼だろうと思い、厄払いはまた今度と言う事で、何度か席を辞そうとも思ったのだが。

何というか。

諏訪子様の、間の取り方が絶妙なのである。

俺が帰ろうかと思った瞬間に話題を投げかけてきたり、体をぐっと寄せて話に惹きつけたり。

決して強引ではなく、自然と俺が諏訪子様との会話を続けるように、誘導されているのである。

そんなこんなが続いているうちにこんな時間にまでなってしまった。

勿論、そこに悪意が無い事は確かである。

多分諏訪子様は、東風谷さんがどうしてあんなに顔色を悪くしたのか、それは一刻だけの物なのか、俺を使って確かめたいのだろう。

何せあの時は余りに短い時間だった上、突然のことだったのだ。

その上東風谷さんはかなり礼儀正しい方らしく、その豹変を嘘だったと思いたい、と言う思いが諏訪子様の中にはあるのだろう。

勿論俺も嘘だったらいいと思うが、俺に叩きつけられた悪意は本物だったように思える。

故に俺は一旦帰った方が良いとは思っているのだが、流石に話術の巧みさの違いか、気づけば俺は腰をおろし、諏訪子様に話をしたり話を聞いたりに集中していた。

そして、今もまた。

 

「で、畑に迷いこんできた妖精はどうなったんだい?」

「あ、はい。夏でしたから、暑さにやられたのか、ふらふらと飛んでは木にぶつかって……」

 

 と話すのは、かつてのほったて小屋での生活の頃、家に迷いこんできた妖精の話である。

妖精にしては自意識の強い彼女は、何でか冷やすと元気になったのはいいが、元気すぎであった。

そこら中の物を凍らせたりして暴れ回るのだが、どうにも本人には悪意が無いようなので怒れもせず、困っていた所。

 

「結局、たまたま家の様子を見に来ていた慧音さんに引き取られていって。

あたい最強なのにー、とか言ってましたけど、ゴツンゴツン頭突きされたら大人しくなっていったみたいです」

「あはは。蛙を粗末にする罰だね」

「それから結局一度も見た事が無いんですが、一体どうしたんでしょうかね。

何でも冷たくて夏に重宝するからって捕まえようとした人が居るらしいんですが、結局見つからなかったとか」

「妖精だしねー。いつの間にか湧いていつの間にか消える奴らだし、消えちゃったんじゃない?」

「ですかねぇ。割と人格がしっかりある子だったんですが」

 

 などと話に区切りがつくと、ふと話の間に空白が出来た。

何やら諏訪子様が、じっと俺の事を見つめているのである。

どうしたのだろう、と首を傾げるも、諏訪子様の視線はじっと俺の目を見つめていて、動かない。

諏訪子様の瞳は、何かが蠢いているようだった。

黒い瞳の中、黒い物から黒い物が生まれ、ぞぞぞ、と黒い瞳を更に上から覆っていく。

それは何重にも重なった、黒の被覆であった。

その上を更に、黒い物が這いずり回って、上塗りしていって。

そんな瞳に、吸い込まれそうになる、その瞬間であった。

 

「ただいまー。今帰ったよー」

 

 扉が開く音と同時、知らない女性の声と、二人分の足音がした。

はっと二人とも廊下の方に視線をやり、当然の如く諏訪子様から視線が外れる。

妙に惹き込まれる瞳の色であった。

分からないのが、そんな目で俺が見られる覚えが無いと言う事である。

どうしたものだろう、と内心首を傾げつつ数秒、障子が開き、紫色の髪をした胸元に鏡のような装飾をつけた女性と、その後ろに隠れた東風谷さんが姿を現す。

 

「なんかこの子、家の前でウロウロしてたから連れてきたんだけど、何かあったの……って。

おや、初めましてかしら? 私は八坂神奈子よ」

「あ、はい初めまして。俺は七篠権兵衛と言います、八坂様」

「なんだい、妙な名だなぁ」

 

 と返す八坂様に返事をするより早く、鋭い口調の諏訪子様。

 

「そう? 素敵な名前だと思うけど」

「へ? あ、あぁ、そうかもね。それは兎も角、どうしたんだい、こんな時間まで」

「感心な子だから厄払いしてやりに連れてきたんだけど、何でか早苗が逃げちゃってさ。

今の今まで待たせていたんだけど、そろそろ妖怪が闊歩する時間だ。

こりゃあ明日まで泊まっていってもらった方がいいかもね」

「え? えぇ!?」

「え、う、嘘!?」

 

 思わず俺は、東風谷さんと輪唱して悲鳴を上げてしまった。

それから何となく目を見合わせ、物凄い勢いで視線を逸らす東風谷さんに、矢張り俺は嫌われているのか、と再確認し、落ち込みつつ俺も目をそらす。

それにしても、意外であった。

諏訪子様としても俺と東風谷さんを長々と会わせる事なく、少し顔を合わせた程度で帰すつもりであると思っていたのだが。

何か狙いがあるのかもしれないが、今の俺には分からない。

とりあえず、いきなりの事だし八坂様は反対するだろう、と八坂様に視線をやると、八坂様は諏訪子様に視線を向けていた。

視線の先を辿り、諏訪子様の視線が何処に向いているのか見ると、八坂様。

アイコンタクトである。

……もしや、このままなし崩しに俺の一泊が決まってしまうのではないか。

儚いと分かっていながらも、俺は抵抗を始める。

 

「い、いえ、でも女所帯に男が泊まっていったなんて、外聞が悪い事この上ないのでは……」

「私は賛成だね。

参拝客が追い返されて死んだなんて噂流れて欲しくないし、早苗も現人神の一柱だよ?

あんた神三柱相手に変な事できる力があるのかい?」

「うっ……無い、です」

「神奈子様までっ!」

「なんだい早苗、何か不都合でもあるの?

今までだって、この男ぐらいの年頃の男を泊めた事はあったじゃないか」

「たしかに、そうですけど……」

 

 と、早速東風谷さんの抵抗は終わってしまった。

確かに俺も、前例があると言うのならば、外聞の悪さが女性の家に泊るべきではない理由にならないと分かる。

しかし、相手は俺である。

俺なのである。

外聞の悪さには定評のある、俺なのである。

と言う事で、再度抵抗を試みる。

 

「いえ、そりゃあ確かに俺にそんな力は無いですけれども。

そのですね、俺には里で悪い噂がありまして。

そんな男を泊めたとあっては、普通の男を泊めるよりもずっと外聞も悪くなるのではないでしょうか?

そしてお二人は神様です。

当然信仰の力は重要で、俗な噂は信仰を弱める物となってしまうのでは?」

「それなら、殆ど丸一日あんたを連れ込んだ事で、既に手遅れだね。

なぁに、この幻想郷は信心深い物が多い。

それぐらいの事じゃあ、信仰は揺らがないさ」

 

 ピシャリと言われてしまった。

矢張り儚い抵抗であった、と肩を落とす俺に、にっこりと笑いかける諏訪子様。

 

「じゃ、決まりだね、権兵衛っ。今日は家でお泊りって事でっ!」

「は、はい、分かりました……」

 

 言ってから視線をあげ、改めて姿勢を直し、俺は三人の神様に向き直した。

経緯が本意では無いとは言え、一夜をお世話になるのである、丁寧に挨拶し直さねばなるまい。

と言う事で、俺は三つ指をついて礼をし言った。

 

「では、本日はお世話になりますっ」

 

 下げた頭の向こうから、優しげな視線を二つ感じると共に、矢張り強烈な視線を一つ感じる。

さてはて、東風谷さんを出来る限り刺激しないようにできればいいのだが、と、不安に満ちた一夜が幕を開けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 「で、一体どういう事なんだい?」

 

 と言う神奈子の他二人、権兵衛と早苗は家事を行っていた。

早苗が家事を執り行うのは何時もの事だが、今日は帰りが遅れた為に、家事が普通では間に合わない程の時間となっていた。

そこで名乗りを上げたのが、世話になる形となった権兵衛である。

早苗は精一杯嫌な顔をしたのだが、権兵衛が料理を、早苗が洗濯物の取り込みを、と言うように分業するよう権兵衛が提案すると、何とか納得の色を見せた。

と言っても、台所を任せるのはかなり苦渋の決断であったようだが。

兎も角神奈子と二人きりになった諏訪子は、権兵衛の料理の音であろう、トントンとリズムカルに包丁がまな板を叩く音を聞きつつ、それに隠れるよう小さな声で言う。

 

「神奈子、私の夫の事は覚えている?」

「ん? あぁ、あいつの事かい? 確かに覚えちゃあいるけど、それにあの権兵衛とやらと何の関係が?」

「ふふ、焦らないの」

 

 と、諏訪子は人差し指を唇にあて、ウインクする。

最近諏訪子は色気のある所作など千年は神奈子に見せておらず、それが子供らしくも何処か色気のある仕草だったからだろう、神奈子は少し驚いた様子であった。

そんな神奈子に、くすりと内心諏訪子は微笑む。

恋って人を変えるんだなぁ、と改めて諏訪子は思った。

心の中で、ドロリとした物が燃え上がるこの感覚は、間違いなく恋である。

だから精一杯の笑顔で、諏訪子は言う。

 

「権兵衛はね、私の夫の、転生した姿なのっ」

「………………はい?」

 

 思わず、目が点になってしまう神奈子。

そんな素っ頓狂な表情がおかしくて、くすくすと諏訪子は口元に手を当て微笑んだ。

 

「くふふ、見ただけじゃ分からないかな。

うん、私も一目見ただけじゃあ分からなかったよ。

でもね、間違いなく権兵衛は、私の夫だった魂だよ」

「えっと、何か、根拠があるのかい?」

 

 訝しげに言う神奈子に、分からず屋だなぁ、と小さな苛立ちを覚えつつ、同時にそれも仕方がない事かと諏訪子は思った。

何せ人間の魂は転生する際にほぼ間違いなく浄化されるし、時には犬畜生を経過して人間となる為、千年も前の魂を判別するのは普通不可能である。

だが。

だがしかし。

 

「あまりに権兵衛は、私の夫に似ているんだよ」

 

 と、諏訪子は言い放ち、語り始める。

似ている。

似ている。

似ている。

思いの丈をぶちまけながら、諏訪子は内心で天にも昇らんばかりの笑顔を作る。

権兵衛は、見れば見るほど夫に似ていた。

左腕の欠損も、子供の頭に手をやった絵画に切り取られた一場面かと思わしき程の優しさも、記憶に定かである夫と似ていた。

試しにかつての夫の話を振ってみて、その反応も矢張りかつての夫に似ていた。

素直に家庭を作る事に興味を示して見せるのも多分夫に似ているし、その後からかわれて顔を真っ赤にするのも、恐らく夫に似ていたと諏訪子は思う。

その後見聞きした、お茶を飲む仕草の上品さや、食べ物の好みなども、ここまできたのだ、夫に似ているに違いないと諏訪子は確信する。

淹れるお茶が透明な味がするのも、夫が淹れた茶の味は記憶の彼方だが、同じに決まっているだろう。

 

 最早諏訪子にとって、権兵衛が夫の転生した姿であると言う事実は、明確であるように思えた。

ただ一つ、悩ましい事があるとすれば、どうやら権兵衛は前世でした約束を覚えていないようである事だった。

権兵衛の前世、かつての夫が死ぬ間際にした約束。

もし来世があるのなら、必ず君と出会い、また伴侶としてみせる、と言う夫からの約束。

 

 まぁ、権兵衛が覚えていないのも仕方がないだろう、と諏訪子は内心独りごちた。

何せかつての夫は常人である。

転生の輪を超えて記憶を持ち越せるような尋常では無い人では無いし、尋常である事を果たして責められよう事か。

それにこの約束は、権兵衛が積極的に守らなくても、結果的に守られていればそれでいいのだ、と諏訪子は考える。

つまり諏訪子から権兵衛を伴侶としてやれば、それでこの夫との約束は守る事は出来るのだ。

そんな風に長々と語る諏訪子に、神奈子は恐る恐る口を開く。

 

「いや、って言っても、今日初めて会ったんだろう?

それなのにもうあの男の事が全て分かってるって言うのかい?」

「うん。でも、権兵衛の事で私に分からない事は何も無いの。

目があった瞬間、私、権兵衛の事が全て分かっちゃったのよ」

「一目見ただけじゃ分からなかったんじゃ……?」

 

 神奈子が何か言っているが、それを無視して諏訪子は権兵衛に想いを寄せる。

胸の前で祈るように手を合わせ、目を閉じ、権兵衛の事を真摯に思う。

それだけで胸の中が熱くなり、まるで宝石の輝きのような綺羅びやかな炎が踊った。

ぐっと全身から汗が吹き出し、肌の感覚が鋭くなる。

 

「うん。やっぱり、私、権兵衛に恋してる。

こんな気持ちになったの、あの人以外では無かったもの、やっぱり権兵衛は私の夫の転生体なのよ」

「いや、そこに因果関係は無いんじゃないかい?」

「私ね、権兵衛の前世と約束したの。

生まれ変わったら必ず出会って、結婚しようって。

今日こうやって権兵衛に出会ったのは、運命だわ」

「運命ってあんたね……。

それにほら、あんたの旦那、霊力とか何も無かったじゃないか。

なのに権兵衛の奴、明らかに魔力を持っているだろう?

それもかなり、特別な力を」

 

 と、それまでは神奈子の相槌を無視して語り続けていた諏訪子であったが、神奈子の言にぴたりと動きを泊めた。

油の切れたブリキ人形のように、ぎこちない動きで神奈子へと視線をやる。

何故か、神奈子の腰が引けたようだった。

 

「何を言ってるの? 神奈子。

だって権兵衛が魔力を持っているんだもの、私の夫だって魔力を持っていたに違いないわ。

権兵衛が何か能力を持っているようなんだもの、私の夫だって何か能力を持っていたに違いないわ。

ねぇ、違う? 違う? 私の言う事、そんなに間違っている!?」

 

 当然のことを言いつつ神奈子に迫る諏訪子であったが、次第に声色が大きくなってゆく。

それに連れて神奈子の腰が引けていき、ついには後ろに倒れようかと言う頃、扉が開く音がした。

驚愕と同時に二人が視線をやると、諏訪子の声が聞こえてきたのだろう、心配そうな顔色の権兵衛が居た。

 

「あの、すいません、気のせいかもしれませんけど、何か怒鳴り合っているような音が聞こえた気がして。

その、俺はある程度自衛手段もありますし、だから、何時家に帰る事になっても、大丈夫なんで、その……」

 

 と、一息で言い切ってから、大きく息を吸う権兵衛。

僅かに震える体のまま、小動物のような弱々しさで言う。

 

「ご迷惑でしたら、何時でも出てゆけ……」

「そんな必要ないよ。今の話は、権兵衛とは関係の無い話だったから」

 

 それに重ねて、ピシャリと諏訪子が言ってのけた。

すると押しに弱い権兵衛である、何も言えず、棒立ちになってしまい、そこに料理はいいのか、と言われてしまえば、すごすごと台所に戻ってゆく他無かった。

権兵衛が姿を消してからは、暫し沈黙が続いた。

諏訪子にとっては権兵衛が再び台所に戻るまでの時間のマージンを取っているに過ぎないのだが、神奈子にはそう思えないのか、どうも苦々しい表情であった。

沈黙を打ち破ったのは、諏訪子の言葉だった。

 

「この話は、また今度で良いかな?」

「……えぇ。そうしましょう」

 

 諏訪子にしても優しい権兵衛の近くで権兵衛の事で言い争う確率のある話はあまりしたくないし、神奈子にしても客人の前で怒鳴りあうのは礼を失する言動である。

とりあえずはと言う事で、この話は後に持ち越す事になり、諏訪子は食事の時まで一旦沈黙を続ける事にする。

そんな訳で神奈子への説明を一先ず置き、諏訪子はどうやって権兵衛に守矢神社に永住してもらうか、考える事にした。

勿論権兵衛は諏訪子の夫なのである、一緒に住むのが道理と言う物だが、今までの近所付き合いと言う物もあるだろう、中々そうすぐには行かないだろう。

すると家を引き払う準備が必要なのだが、これは神の伴侶となったと伝えれば、すぐに解決すると思われる。

なので権兵衛が一度別宅に戻ったら、早速里のみんなにこの事を知らせよう、と諏訪子は思った。

と、そこで神奈子が口を開く。

 

「そういえば。七篠権兵衛って言う名前、人の名前としちゃあ不自然だけど、どういう事だか分かるかい?」

 

 妄想に水をさされる形となった諏訪子は、一瞬不機嫌そうな顔を作るが、寸前に神奈子相手に喧嘩腰になって権兵衛を心配させてしまった事を思い出し、素直に返事をしてやる事にした。

 

「何でも、幻想入りした時に名前を失って、それでそんな名前を自分につけたんだって」

「ふぅん、そうなのかい。ありがとね」

 

 と、そこで話は終わったようなので、再び諏訪子は権兵衛に関する妄想に脳内を浸す事にする。

なのでこの後神奈子が呟いた一言は、よく聞き取れず、何を言っているのか分からないままだった。

 

「名前が亡い程度の能力、かねぇ……」

 

 




権兵衛の能力1:名前が亡い程度の能力
権兵衛の能力2:月の魔法を使う程度の能力
権兵衛の能力3:重力を操る程度の能力
権兵衛の能力4:
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