ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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02-白玉楼1

 

 

 半月に一度、俺は里に出かける。

物入りの為の、買い物の為である。

売り物の方はと言うと非常に困難を極めており、先日慧音さんの力を借りる結果となって、ようやくのこと売り終えることが出来た。

で、買い物の方も困難であるかと言うと、そうでもない。

何とも奇妙な話だが、たまに暴言を振るわれたりはするものの、暴力沙汰にまでなる事などなく、最低限必要なものを買い入れる事ぐらいはできたのだ。

矢張り、金さえあれば大抵の事は解決できると言うのが、確かな事だからなのか。

さてはて、少なくとも俺の弁舌以上には威力の高い金を用いて、今日も買い物を済ませていた最中であった。

しかし金の威力て。

下品な表現だが。

 

 兎も角。

俺は、日持ちする漬け物だのを買って、次に米を買おうとした、のだが、そこで一悶着あった。

前の客が買っていった米の金額に比べ、俺に提示された金額は五割ほど増されていたのだ。

流石に俺も、それには抗議した。

弁舌の不安もあったし、里人の悪感情を刺激すべきでは無い、と言う考えもあったのだが、流石にそれでは生活が立ちゆかない。

いや、と言うか、俺が気づかないだけで、それまでも不当に金を取られていたのかもしれないが、それにしても、気づいたなら放っておいて良い問題では無い。

だが、米屋との間にも重力が足らないようで、何時もの通りの、確かこんな感じの会話になったのだと思う。

 

「ちょっとちょっと、米屋さん、そりゃあ無いんじゃないですか。

さっき買っていった人の、五割増しの値段じゃないですか。

いや、特別人によって少しだけおまけをする事だって、逆に水増しする事だって、米屋さん、貴方だって人間だ、ありうるでしょう。

でも、五割だ。五割ですよ。

流石にそれじゃあ、俺の生活だってなりゆかない。

何とかなりませんかね」

「ふぅ………………やれやれ。

今貴方が言った事が、そのまま答えですよ。

貴方に高く売っているんじゃあありません、先程の彼に特別安く売ってあげたのです。

それだけです。

貴方には、適正な、そう、貴方にとって適正な値段で売ろうとしていますよ、私ぁね。

………………。

そう、適正な。

そういえば、風の噂に聞きましてねえ。

何でも何処かの極悪人が、あの慧音先生を利用して、不当に高く野菜を売りさばいていったとか。

いや、あくまでそういう噂があるってだけですよ、うん、それだけです。

ここで貴方に対して見せてる米の値段にだって関係無い、それだけの話って奴ですよ」

 

 と言われると、俺としては弱い物がある。

記憶によると、俺の野菜が、相場に詳しくないので多分、としか言いようが無いが、平均的な野菜より高く売られたのは、事実だからだ。

と言っても、それは夏妖精の祝福を受けて、平均的な野菜より出来が良かったからなのだが……。

しかしそれを言っても、通じはしまい。

俺は里にとって、慧音さんの温情にすがるばかりか、利用までする極悪人であったのだ。

それでもまだ、何とか生きていけるであろう金額に収まっているのですら、情けと思うべきなのだろう。

野菜の多くを売り払ってしまった俺は、今、里に物を売ってもらえなくなれば、飢えて死ぬか、それとも慧音さんに頼る他無い。

いや、間接的な殺人を自らの手で下すのを嫌ったか、それとも慧音さんがまた利用されるのを嫌ったから、生きてゆくギリギリまで絞りとると言う事になっているのかもしれないが……。

兎も角、俺は、悔しさに顔を歪めながら、提示された五割増しの値段を財布から出す事に決めた。

と言うのも、俺の金が無くなると言う事は、俺の生活に余裕がより無くなると言う事であり、俺が苦しいばかりでなく、慧音さんへ恩返しできる日まで遠のく事になるからだ。

とは言えここで反論しても、俺の拙い弁舌でこの不当な取引を覆す事などままならないだろうと言う予感もあり、それにこの悪意に満ちた目で見られ続ける事にも耐え難い。

仕方無しに銭を数えながら出すと、店主は言った。

 

「足りませんねぇ」

「は?」

「米は、時価ですので。もう一割、値上がりましたとも」

 

 俺は、思わず絶句した。

時価? 初耳である。

流石に今度こそは、俺は金を支払おうと言う気にはなれなかった。

 

「何を言っているんですか、そんな不当な金、支払いませんよ。

さぁ、品物をよこしてください、ほら、早く」

「そちらこそ何を言っているんですか。

不当な金? いえいえ、妥当な金額ですとも、もう二割、支払ってもらいますよ」

 

 当然のごとく、話している間に増えていた。

俺は手にとった五割増しの銭を叩きつけるように置くと、無言で店主を押しのける。

 

「おい、こら! 貴様、一体何をする気だ!」

「金は払ったのに、品物はこない。

いやはや、忙しいんでしょうね。

ならその忙しさを埋めるべく、自分の手で品物を探して取ってこようかと」

「なんだと、この卑しい盗人め!」

 

 叫ぶ店主を無視して、俺は一番近くにあった米俵を一つ担ぐと、再び店主を押しのけ、外に出る。

 

「おい、聞いているのか、この人間の屑が!

慧音先生に寄生し、やっとこさ切り離したと思えば、今度はその温情を利用する人でなしが!

貴様など生かす価値も無いと言うのに、それでも生かしてやっている里の温情を忘れやがって!

くそ、くそ、クソッタレが! この、盗人めが!」

 

 しかし叫びながらも、店主は人を呼ぼうと言う気は無いようで、声もそこら中に響くほどの物ではなく、人だかりもできはしなかった。

というのも、これが慧音さんの耳に伝わっては、里としても不味いと思っているからなのだろう。

外を歩いている里人がウジ虫を見るような目で俺を見るが、それから唾を吐き捨てるなりため息をつくなりして、目を逸らすばかりである。

俺は店主を無視してリヤカーに米俵を載せ、それを引いて去ろうとする。

まさにその、瞬間であった。

 

「物取り——、ですか」

 

 一瞬立ち止った後雑踏に戻る里人の中、一人、立ち止ったままの少女が居た。

白髪にリボンのカチューシャ、白いブラウスに、緑のベストとスカート。

洋装の出で立ちと似合わず、その背には二振りの刀が背負われている。

容貌は、青白い肌に引き連れる人魂が、この世のものを思わせないのであるが、印象はと言うと、真逆だ。

何というか、真っ直ぐで、鍛え抜かれた直刃の刀とでも言えばいいのか。

生き生きとしていて、竹を割ったような晴れ晴れとした気質な体から溢れてくるような感じで。

容貌と印象、まるで半分づつ死んで生きているような子だ、と、俺は思った。

失礼な感想ではあるが、それが非常に適当な感想であるように、その時俺には思えたのだ。

 

 兎に角、目の前に立たれて、どうしたものかと首を傾げる俺。

俺は物取りではないとも言おうとしたが、しかし、被害者と言える店主がそう叫んでいる以上、俺の釈明は非常に説得力の無い物になってしまう。

詳しいことを説明しようにも、中身が入り組み過ぎていて、どうやって話せば良いのか分からない。

かといって、目前の少女は、無視して、物取りと思われたままでいたいと思う類の子では無かった。

と言うのも、本当に第一印象でだけなので、その通りに言うしか無いのだが、何と言うか、この子の目の前では、俺は、背筋を伸ばしたくなってしまうような子なのだ。

兎も角そんな訳で、どうにかしようと俺が口を開くよりも先に、少女の口が開かれる。

 

「——斬る」

 

 ぱくり、と、擬音でも出そうなぐらい綺麗に、肉が開く。

内側の臓物が、太陽の光に顔を見せる。

不思議と痛いと言う感覚は無かった。

ただ奇妙にふらつくというか、バランスが取れていないというか、まるで重力に捕まってしまったかのように、切られた側の足から、力という力が抜けてゆくのが分かる。

聞けば重力と言うのは、物と物とが惹きあう力であるのだと言う。

なれば今の状況は、俺の肉を地面が捕まえているだけでなく、俺の肉の方こそが地面を捕まえようとしているのではないか——。

血が舞っているのを見るに結構な重症な筈なのだが、俺の脳内は呑気なもので、そんな事を考えながら頭蓋の兜ごと揺れる。

空が舞った。

背中がどすんと地面を捕まえる音がし、白雲の残像が線から点へと姿を変える。

まるで半死人のような白い肌を、更に青くしている、白髪の少女の姿が見えた。

多分。嗚呼、思えば短い人生だった——などと走馬灯を眺めるのが普通であると言うのに、俺の呑気な脳髄はそんな事を考えようともしない。

変わりに、ただただその少女を、綺麗な子だなぁ、などと考えながら意識を締めくくるのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 土下座と言う物を、俺は二度しかしたことは無い。

と言うのも、俺の記憶が名前と共に葬られて幻想入りした物であるので、幻想入りしてここ半年ほどに二回と言う事である。

一度は、名前を知らない、あれ以来あったことも無い里人にほったて小屋へぶち込まれた後、頭蓋を足で踏まれてさせられた土下座である。

それを土下座と言うのかどうかは諸説あるが置いておくとして、二度目は、春野菜を売る時であった。

夏野菜を売る時と違い慧音さんが居なかったあの頃、俺の野菜を買って欲しいと言う願いに店主が言ったのは、ならまずこの場で土下座して見せろと言う台詞だった。

問答はあったものの、結局、俺は土下座をした。

それは俺の誇りよりも、俺が金を手にし、いくらか生活に余裕を作り、慧音さんが困ったとき何時でも手を貸せるようにする事の方が、大事であったからだ。

そんな自明の理があっても尚、土下座には躊躇するものがあった。

当然と言えば当然である。

躊躇せずに誰でもができるものであれば、それは謝罪の意を含む物にはなりえない。

兎も角そんな訳で、俺のような、人里において底辺のような位置で暮らしているような人間にも、土下座と言う物をする機会は中々ないし、躊躇もするものである。

で、あるが。

 

「本当にっ、申し訳ありませんでしたっ!」

 

 起きたら、いきなり土下座する少女が居た。

意味が分からないと思うが、俺も中々に意味が分からない。

何時しか兎が団体で切り株にぶつかっていって、目を回しているのが、どうにもかわいそうで喰うのも気が引け、介抱してやった事があるが、その時整然と揃ったお辞儀を返された時以来の意味不明度だった。

とりあえずは一体何があったものか、と、俺は周りを見渡し、布団の中で胡座をかいて、状況把握に努める。

 

 家のほったて小屋の倍はあろうかと言う、広い畳部屋。

枕元の蝋燭の灯りに照らされて、俺の寝ている布団の他には、意匠の施された箪笥、床の間には生花にミミズの這ったような字の掛け軸、一方は障子で区切られ月明かりが僅かにさし、二方は襖で仕切られている。

家の板張りのほったて小屋とは次元違いの、豪華な家であった。

この部屋だけで、恐らくは家の数倍の値段がするだろう。

目眩のするような感覚に襲われながら、再び視線を土下座する少女へと戻す。

 

「ええっと、状況を確認したいんですけどね」

「は、はいっ」

「俺は、そう、米を買いに行って。で。物取りと君に間違られて——、それで、どうしたんだっけか?」

 

 そう、それ以降の記憶が俺には無かった。

米屋に盗人呼ばわりされ、そしてこの子に物取りと間違えられたのまでは覚えているのだけれど。

その後、一体どうすればこんな豪勢な部屋に連れ込まれる事になるのか、検討もつかない。

しかし少なくとも、意識を失っていた事は確かである。

ならば、あの後俺が目眩でも起こして倒れ、それで介抱されている、と考えれば辻褄が合わなくもないが、土下座される所以が無い。

なら記憶を失っていると言う事で、酒でも飲んでいたのかもしれないが、少女に物取りと間違られた事からの繋がりが分からないし、これまた謝られる道理が無い。

 

「………………」

 

 しかし、頭を上げた少女は、居心地悪そうに、口をつぐんだままだった。

何か言葉にならない言葉を口にしようとして、うずいてしまう。

はてさて、どうしたものか。

とりあえず謝られたと言う事は俺が悪い訳では無いのかもしれないが、しかしそうとも言い切れない。

善さとは主観的な物である。

立方体を二次元に切り取ってみよう。

ある面に水平に切り取ってみれば正方形ができるだろうし、立方体の中心を挟んで対となる二辺を通るように切り取ってみれば、今度は平行四辺形ができるだろう。

同じように、ある物事があったとして、それにおいて彼女と言う主観で切り取って悪くても、それが俺と言う主観にとって善かったと言う保証にはならないのだ。

 

 そして、当然。

俺である。

この、俺である。

慧音さんに迷惑をかけっぱなしの、俺である。

当然、俺が悪くもあった可能性はある。

と言うか、そんな気がしてきた。

とすると、今度は正座する少女に対し胡座をかいている自分はとても無礼な気がしてきて、どうにも座りが悪く、こちらも正座すべきかと、身じろぎする。

 

「——痛っ!」

 

 と、鋭い痛みが腹に走った。

慌てて抑えるより早く少女が腰を上げ、俺の体を抑える。

 

「動かないで下さい、貴方は斬られたんですよっ!」

「斬ら、れた?」

 

 疑問詞を浮かべると、少女はピタリと動きを止め、視線を下にやり、縮まりかえって再び正座する。

深く、深呼吸。

まるで大舞台に向かうような気概で、少女は言った。

 

「はい。私は、貴方を——、物取りと勘違いして、斬ってしまったのです!」

「はぁ」

「本当に、申し訳ございませんでしたっ!」

 

 言って、再び土下座。

本当に、はぁ、としか言い様のない感想であった。

斬られた。

多分、正座する隣に置かれた二振りの刀のどちらかか、両方かで。

ずぷりと。

すぱっと。

ばっさりと。

多分今痛かった、腹を。

ちょっと想像の外にある事態だった。

この幻想郷に来て以来、俺の受けた一番の外傷は、名前も知らない里人にボコボコに殴られた事である。

あれは結構痛かったが、それでも殴打の痛みから斬られると言う痛みは、正直言って、想像できない。

まるで、現実感が無かった。

 

「えっと、俺、本当に斬られたんだよね? 動かなければ痛くない、程度なんだけど……」

「はい、確かに。傷の方は、ちょうど居合わせた永遠亭の薬師の弟子に手当をしてもらったので、数日安静にしてれば、と」

 

 が、矢張り斬られたと言うのは事実だったらしい。

かと言って実感が湧くかと言うとそうでもなく、何というか、むしろ、転んで腰を打っただけなのに何故だか土下座をされている、と言うぐらいの方がそれらしいようにさえ感じられる。

多分、幻想入りしてから、謝られる事より罵られる事の方が多かったから、と言うのもあるだろうけれど、それよりも、何とも、謝られると言う、その行為自体がくすぐったいような感じなのだ。

それに、だ。

 

「————………………」

 

 俺は、面を上げている少女の目に視線をやる。

少女は僅かに顔を強ばらせたものの、決して視線を逸らさず、真っ直ぐに俺を見据えている。

何とも、真っ直ぐな感じのする少女であった。

仕草一つ一つからその気概が伝わってきて、俺に躊躇しつつも土下座して謝ってみせたのも、その印象を助長する。

俺を斬ったと言うのも、記憶から類推するに、その気質故の事と考えれば、当然のことであるように思える。

この少女であれば、物取りなどと聞けば見逃す事などせず、情緒酌量など後に置いて罰を食らわせてやる、と飛んでいきそうだ。

実際、そうしたのだろう。

そしてその結果、無実の人を斬ってしまったと、心の底から悔いているに違いない。

本当に、真っ直ぐで、誠実で、いい子だ。

 

 対して俺は、どうだろう。

里人には忌み嫌われており、その言い分も、否定しきれない部分があると言う事で、悪人である。

しかも、先の物凄いボッタくりを思うに、俺が貧乏から抜け出し、慧音さんに恩返しをする事ができる未来は、再び暗雲立ち込めるようになったように思える。

つまりは、恩知らずである。

悪人で、恩知らずで、妖精の気まぐれで生きている俺。

そんな俺が、真っ直ぐに生き悪人を斬ろうとした彼女に謝られていると言うのは、どうにも、居心地が悪かった。

 

 いや、違う。

そんな着飾った話ではなく、もっと手の早い、簡単な話なのだ。

俺は、彼女に劣等感を感じているのだ。

その真っ直ぐさに。

その誠実さに。

何せ俺と彼女の立場が反対であったとして、俺は彼女ほど真っ直ぐに相手の目を見ながら謝る事など、できはしないだろうと言う思いが、確かにあるのだ。

それがどうにも、悔しくてたまらない。

人として彼女より清く、正しく、あれない事が。

それはきっと、幻想入りして、慧音さんと出会ったときからずっと続く、俺の奥底の何処かで渦巻く劣等感からなのだろう。

だから俺は、言う。

 

「えっと、許します」

「って、そんなに簡単にっ!?」

 

 驚いた少女が目を見開くが、仕方が無い事なのである。

と言うのも、俺はこれ以上彼女に対して負い目を負わせる事に耐えれそうにもないし、そも、彼女が言う物取りと言うのもあながち間違っていない部分もあったのだ。

よく思い出せば、確かに店主の言い分は法外であったが、俺の行いもそこそこに法外である。

となると、少女の謝罪も半分は正当では無いものになってしまい、そんな物を向けられても、何と言うか、困る。

 

「とまぁ、そう言う訳で。

どう言う説明を聞いて俺を物取りと勘違いした、と言う結論に至ったかは知らないけれど、君の行為は、半分ぐらいは正当であったのも確かなんだ。

だからと言って謝罪を半分こにするなんて事は、できっこない。

と言う事で、これまでの君の土下座で、帳消しって事にはできないかな。

いやまぁ、それじゃあ君の過払いだって言うなら、俺も謝るのは吝かでは無いんだけれども」

「え? え、え?」

 

 と、言い分を言ってみせるのだが、彼女はどうしてか目を白黒させるばかりで、了承の意は得られない。

手を胸に当てて目をあっちこっちに泳がせながら混乱する様は非常に可愛らしいので、目の栄養にしつつ答えをじっと待つ事にする。

すると少女は、ぶつぶつと、えーと、この人は斬られたんだよな、私に、しかも物取りって言うのは半分とは言え誤解で、と言うかこの人の言い分でも、半分も誤解だったのか……などと呟く。

状況を確認するごとに、顎に手をやったり、掌を打ったりして髪を踊らせる様を眺めているうちに、やっと少女は俺に向きあってみせた。

 

「いや、その、やっぱりそれはおかしいです」

「おかしいのですか」

「はい、おかしいです」

 

 おかしいらしかった。

 

「貴方は正当な理由なく斬られ、私は正当な理由なく貴方を斬り、そしてその結果がただ謝るだけで済むのは、やっぱりおかしいです。

世の中とは当たり前でなくてはならないのです。

ならば私はもっと重い罰を受けなければ、道理が立たない。

筋道が行かない、理屈が立ちゆかない。

………………と、思うのですが……」

 

 最後になって自信を失う少女が可愛らしく、内心で笑みが浮かぼうとしてくるが、俺は笑みの重力を強くし、内心の奥深くに沈めるに努める。

 

「と、言ってもなぁ。俺としては、もう十分過ぎるぐらい謝られたつもりなんだけど」

「いえ、そうは言われても……」

「うーん、何か妙な状況になってきたね。

片や斬られてこれで許す事を願う側、片や斬って許されない事を願う側。

これじゃあ、あべこべだ」

「みょん」

「みょん?」

 

 と、調子よく続けていると、謎の奇声。

思わずと言わんばかりに反応した少女は、青白かった頬を熟れた林檎のように赤くして、体を縮こませる。

それはそれで実に可愛らしくて幸いなのだが、さてはて、どうしたものかと首を傾げる俺。

何せまず俺が折れるにしても、彼女に与える罰と言うのが思いつかず、そも、俺が劣等を感じている彼女に対し俺が罰を与えると言うのは、むしろ俺に対しての罰である。

対して彼女が折れるにしても、その言い分によれば、その罪過に対し適切な罰が無ければならないらしい。

両方を上手く満たすような事柄を思いつけばそれでいいのだが、そも、彼女の事を殆ど知りもしない俺にとって、屏風の中の虎を退治するに匹敵する難問であった。

だからってお互いの事を知りましょう、から始めてしまっては、日が暮れてしまう。

大体、それじゃあお見合いじゃあないか、と思った辺りで、俺は自分の思考が大分鈍っている事に気づく。

お見合いて。

俺の思考は何処へ向かっているのだ。

と、鈍らな己の思考にどんよりした気分になった辺りで、突然背後から声がかかった。

 

「あらあら妖夢、お客様に迷惑をかけるものではないわよ」

 

 跳ねるようにして背後を向——こうとして、脇腹の痛みに悶え、抑えながらゆっくりと声へと視線をやる。

そこには、一人の女が居た。

肩の当たりで切り揃えた、薄桃色の髪。

少女と同じく青白くさえある肌に、髪色を濃くし、丁度血の色にしてみせたような瞳の色。

身を薄い水色の着物で包み、頭には、幽霊の付けるような頭巾を合わせた不思議な帽子を被っている。

一瞬、絶世の美女と言う単語が脳裏に巡ったが、何処かそれは似合わず、何というか——、そう、彼女は、浮世離れした美女であるのだ。

陽気そうになだらかな曲線を描いている眉も、何故か儚く。

エロティックで肉感的な肢体も、何故か薄らで。

浮世にいない。

穢れがない、美女。

 

「初めまして。私は此処、白玉楼の主、亡霊の西行寺幽々子と申します。

ようこそ、白玉楼へ。部下の非礼をお詫びいたしますわ」

 

 腰をおろし、頭を下げる彼女——西行寺さん。

その所業一つ一つを取って見てみても、雅と言える趣がある。

例えば膝を付いた後、着物の裾を無闇に広がらせないよう抑え、それからゆるりと、まるで音速の遅いような動きで座るのだが、それが本当に美しいのだ。

ほぅ、と、思わずため息をさえついてしまう。

仕草一つでそこまでさせるほどに、彼女は美しかった。

 

「そして妖夢、貴方という子は本当に半人前なのね。

まずは謝るよりも先に、自己紹介からでしょうに」

 

 言われて、俺は思わず妖夢と呼ばれた少女と目を合わせた。

そういえば、俺たちは互いに名前すら知らないままに、斬ったり斬られたり、謝ったり謝られたり、許したり許されたくなかったり、果てには俺など勝手に劣等を感じたりまでしていたのだ。

思わず、目を合わせたまま二人でくすりと笑みを浮かべてしまう。

そして居住まいを正し、まるで段取り通りであったかのように自然に、少女から口を開いた。

 

「初めまして。私は此処、白玉楼の庭師兼お嬢様の剣の指南役で、半人半霊の魂魄妖夢です」

「初めまして。俺は外来人でして、名前は幻想入りした時に亡くしてしまいました。今では、七篠権兵衛と名乗っています」

 

 互いに軽く頭を下げたのを合図に、ぱちん、と西行寺さんが手に持つ扇子を閉じる。

 

「さて、権兵衛さん。この子は納得の行かないようですが、私としても、部下の非礼をそのままにしてはおけませんわ。

かと言って、貴方の意に沿わず、無理に妖夢に罰を与えさせると言うのも、致せません。

ですがせめて、その傷が癒えるまでの間は、この白玉楼でお世話をさせて頂きたいのです。

それでこの件、手打ちとしていただいても構わないでしょうか」

「俺としては願ったり叶ったりで、申し分ないのですが……」

 

 傷が治るまでの間どうしようかと思っていた所である、治るまでの数日世話になるのは構わない。

しかし魂魄さんが納得が行かないだろうと視線をやると、彼女は視線を下にやり、体を縮こませる。

 

「妖夢でしたら、罰を求めるのならば自分で考えさせます。

そも、罰とは与えられるばかりではなく、己で考え行う事も含むもの。

だと言うのに権兵衛さん、貴方に罰を与えられる事に固執したのは、この子の未熟故ですわ」

 

 との事だった。

俺としては、できれば魂魄さんが自罰について考えるのに力を貸してやれる結果であった方が良かったのだが、此処の主と言う彼女の顔を汚す訳にもゆくまい。

 

「分かりました。では、この件は、それで手打ちと致しましょう」

 

 深く頷いてそう返すと、ぱちん、と音を立て、西行寺さんの扇子が開く。

と同時、空気が弛緩する。

気づかぬうちに背負っていた肩の上の空気が消え去り、呼吸が楽になる。

そうまで至って、ようやく、俺は目の前の美女に圧倒されていた事に気づいた。

カリスマ、とでも言うべきなのか。

先程まで放射されていたそれがなくなり、目前の物凄い浮世離れした美人が、美人である事には変わりないのだが、何処か親しみやすくさえ感じる美人になった。

何と言うか。

あの世から、現世へ降りてきたような、感じ。

狐につつまれたような変化に目を白黒させている俺と、柔和そうな彼女の目とが、合う。

にっこりと、微笑む彼女。

 

「じゃあ、妖夢〜、おまんじゅうとお茶持ってきて〜」

 

 急降下しすぎだった。

思わず肩を落とし、急な姿勢の変化に、痛みと共に脂汗が滲む。

アホか俺は、と思いつつ、ついでとばかりに俺も魂魄さんに物を頼む事にする。

 

「えーと、魂魄さん。それじゃあ、俺もついでに何か頂いていいかな。

昼から何も食ってないから、流石に腹が空いて」

「あ、七篠さん、私は妖夢で構いませんよ。それじゃあ、お粥か何かを作ってきます」

「それなら俺も権兵衛でかまわないよ。じゃあ、お願い」

「あぁ、それなら私も幽々子でいいわ。私だけ仲間外れってのも、無いじゃない」

 

 とまぁ、こんな感じで俺の白玉楼での生活が幕を開けるのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 さてはて、何はともあれ、俺は斬られた、と言う事になるが、この事を果たしてどう捉えていたか。

怪我をしたので惨事であるか、斬られても生きていられたので好事であるか、それとも斬られると言う体験事態が珍事であると考えていたか。

その、どれでも無かった。

と言うのは、むしろ俺は、久方ぶりの会話ができる、切欠としか思っていなかったのである。

何せ俺は、相変わらず人との出会いが無く、そも先の慧音さんとの会話の後、半月ぶりに漬け物だのを買う時に会話した事になるのだ。

その上悪意の篭められていない、となると、この半月で初の会話である。

俺が妖夢さんを容易く許した理由の一つには、会話に飢えていたと言うのがあったのかもしれない、俺は会話に飢えていた。

と言う事で、俺は、再び握る事の叶った細い蜘蛛の糸を、今度こそは離さずにいられるように、と、努めてこの白玉楼の生活を送る事にする。

望ましくは、慧音さんがそうであるように、定期的に会話なり酒盛りなりをするような仲になれれば良いな、と思いながら。

 

 そんな訳で、朝。

起きた俺は、妖夢さんの用意してくれた新しい藍染めの着物に着替え、茶の間に二人と共に集まり食事をしていた。

縁側を背負った妖夢さんを起点として、幽々子さん、俺、と三等分に座布団に座る。

中央のちゃぶ台の上に並ぶのは、白米に焼き魚、味噌汁に漬け物、玉子焼きにほうれん草のおひたし。

 

「これぞ和食、って感じだなぁ」

「? 権兵衛さんは洋食派でしたか?」

「いや、和食派だけど、俺は里外れに一人で住んでいるものだから、自分で料理しないといけなくてね」

 

 と言うと、それだけで察したのだろう、仕方ないですね、と妖夢さんがため息をついた。

ついで一旦箸を置き、ぴん、と指を立てて、片手を腰にお説教を始める。

 

「全く、権兵衛さん、料理はきちんとしなくてはなりませんよ」

「いやぁ、面目ない。自分一人で良いんだと思うと、どうにも不精してしまってね。

あの世に住んでいる訳じゃあないんだから、霞を食って生きる訳にはいかないと言うのに」

「あら、あの世に住んでいても、霞をだけ食って生きる訳にはいかないわ。

あの世もあの世で浮世と同じく不自由、五臓六腑のどれを維持するにも、食事は欠かせないもの。

権兵衛さん、貴方は一つでも臓器を置いてゆけて?」

「それは勘弁願いたいですね。何をとっても、困ること困ること。

昔は潰瘍になったら臓器を取ってしまったと言うけれど、俺には考えられません。

特に、やっぱり——」

 

 言い、一瞬間を置くと、幽々子さんと目が合った。

うん、と同時に頷くと、同時に口を開く。

 

「「胃が大事ですよね(ですわ)」」

「お二人とも、息がぴったりですね……」

 

 呆れがかった様子で、妖夢さん。

 

「と言っても、亡霊の幽々子さんには息が無い訳で」

「無い物が合うなんて、それはそれは、世にも奇妙な事」

「だってここはあの世、この世じゃないんですからね」

 

 そうですか、と不貞腐れたように、言い、妖夢さんが再び箸を進め始める。

何となく視線がふらりと幽々子さんの方へ泳いでしまい、再び目が合う。

 

「呆れられてしまった」

「呆れられちゃったわね」

 

 くすり、とお互い笑みを頬に浮かべ、こちらも止めていた箸を進め始める事にした。

当然、それは苦になるような事は無い。

と言うのも、この料理は絶品で、俺の自炊料理などとは比べ物にならない出来であり、恐らくは記憶に遠い慧音さんの手料理より美味しいぐらいだ。

勿論誰かの手料理と誰かの手料理とを比べるなんて失礼な事でしか無いのだけれども、それでも思わずこんなに美味しい物は何時ばかりか、と記憶を辿ってしまうほどに美味しいのだ。

米は粒が立ち、焼き魚はよく油が乗っており、玉子焼きもふっくらと焼けている。

どれもどれも美味しくて、箸が進むこと進むこと。

よく味わって食べていると、不意に幽々子さんが呟く。

 

「そういえば、もう秋も見え隠れしてきたのかしら」

 

 見れば、紅葉の形に切り抜かれた人参を箸で挟み、持ち上げている。

それをぱくりと口にするのを尻目に、妖夢さんがぴたりと動きを止め、思案顔で言った。

 

「えぇ、妖怪の山でも豊穣神に紅葉神が目撃されたそうですから」

 

 そんな物まで幻想郷には居るのかと驚きつつも、そのまんまな回答に、思わず俺は視線を妖夢さんへやった。

自信満々と言うか、当然至極と言うか、そんな感じの表情で言っているのだが、はて、豊穣神と紅葉神とやらは幻想郷の風物詩のようなものであるのだろうか。

疑問詞を視線に載せて幽々子さんの方へとやると、仕方ないなぁ、と言わんばかりの微笑みを浮かべている。

と、そこで三度、目があった。

自然、頷いて俺から口を開く。

 

「秋と言えば、だんだん合服の季節ですね」

「ええ。服を重ねると、徐々に人は重力を弱めてしまう。何でか分かるかしら、妖夢」

「え、ええ?」

 

 疑問詞をいっぱいにする妖夢さんを尻目に、ならばと視線を向けられた俺が、答えた。

 

「裸の付き合いと言う言葉があるように、服を脱ぐ事は人と人との重力を強めることになります。

逆説、服を重ねれば重ねるほど、人は重力を弱めてしまうのでしょう」

「その通りよ、権兵衛さん。それはきっと、纏った物の重力が混ざってしまって、ぐちゃぐちゃでよく分からない事になってしまうからなのでしょう」

「エントロピー増大の法則ですね」

「ええ。だから人々は冬に向けて家に篭る事が増えてくるし、その為に冬ごもりの準備をしなくてはならなくなってしまう」

「つまり、俺たちはと言うと、随分と気の早い冬ごもりの準備を、胃にしなくちゃならない訳ですね」

 

 と、そこで俺と幽々子さんは、空になった茶碗を妖夢さんに差し出す。

え? ええ? と、変わらず疑問詞で頭がいっぱいな様子の妖夢さんに、一言。

 

「妖夢、ご飯怖い」

「妖夢さん、えーと、白米怖い」

「お二人とも、普通に言ってくださいっ!」

 

 怒鳴りつつも茶碗を受け取り、厨房へ向かう妖夢さん。

自然、幽々子さんと二人、目を合わせる。

 

「怒られてしまった」

「怒られちゃったわね」

 

 今度はくすりとではなく、互いにくすくすと長く笑みが続くこととなった。

お代わりを盛ってきた妖夢さんが困惑するのを他所に、二人して笑みを続けていると、ふと、俺は心の中で張り詰めていた物が緩んでゆくのを感じた。

俺は、気概を持って挑まなければ、この人達と縁を作る事など叶わないだろうと思っていたが、こう、気の抜けた会話をして、お互い笑っていられるのを感じると、何だか、それは違うのではないかと思えるようになってきたのだ。

この二人との間であれば、自然体を以てしても、縁が作れるのではないかと。

俺のような弁舌の立たない嫌われ者であっても、受け入れてくれるのではないかと。

無論、それは冷静に考えれば、間違いであるのだろう。

何せ俺はと言えば、この幻想郷に来て以来、運勢や状況の悪さはあったとは言え、慧音さん一人しか話し相手も確保できないような、人付き合いの下手な男なのだ。

だと言うに、典雅な亡霊姫や、真っ直ぐな庭師にばかり気に入られると言うのは、筋道がゆかず、ありえない事とさえ言っても、大体は合っているだろう。

だが、それでも。

それでも、思ってしまう。

彼女たちは、俺のような程度の低い男でも、その深い懐で、受け入れてくれるのではないだろうかと。

これから、月に一度の慧音さんとの宴会のように定期的に会う事までは構わなくとも、せめて顔を合わせたら、少しばかりの会話を続けるようになる関係になる事も、可能なのではないだろうか、と。

そう思ってしまうぐらい、此処での会話は暖かく、身に染みる思いなのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 数刻後。

庭掃除に行くと言う妖夢さんを見送り、俺はと言えば、幽々子さんと並んで縁側に座り、茶を啜っていた。

初日、初めて向いあった時に比べると圧迫感のような物は感じ無いものの、矢張り幽々子さんは、動作の一つ一つが洗練されていて、雅である。

例えばお茶を飲む時、すっと湯のみを掌で包むように僅かに持ち上げ、それから底を持ち、ゆっくりと顔辺りまで持ち上げ、それからゆるりと湯のみを傾け、その先にだけすっと口をつけてお茶を飲んで見せる。

俺がそんな事をやってみせればずずずっと下品な音を立てそうなものなのだが、彼女がやると、不思議とすすっと言う上品な音がするのみで、汚らしさは、欠片も感じられない。

流石、と思いつつ、真似をしてみようにも、中々上手く行かない。

元々俺は作法など知らぬ男である、幽々子さんのように典雅な振る舞いを望むのは高望みであったのかもしれない。

と内心落ち込みつつも何とか試していると、不意に、幽々子さんが口を開いた。

 

「権兵衛さん。ちょっと聞いていいかしら」

 

 突然であったので、一泊、音を開けてしまったが、俺も湯のみをゆっくりと置き、肯定の意を伝える。

 

「良かった。じゃあ、聞いてみたいのだけれども……、貴方の、名前を亡くした、と言うのは、どういう事なのかしら。

昨日自己紹介の時にそう聞いたけれど、詳しくは聞きそびれてしまって」

 

 不可思議な問であった。

と言っても、別に隠すような事では無いし、もしそうであってもその事を忘れてしまっているので、俺は率直に答える事にする。

 

「そう、ですね……。ちょっと感覚的な物なので説明するのは難しいし、長くかかると思うんですが、構いませんかね?

えぇ、はい、それならいいんです。なら、お話しましょう。と言っても、お茶菓子替わりになるような甘い話ではなくて、どちらかと言うと、お茶替わりになりそうな、苦いお話なのですが。

俺が幻想入りした時、俺は、いわゆる記憶喪失状態でした。

自分の名前も過去も全くもって分からず、ただしかし、外の世界の一般常識のようなものはあったので、外来人と分かっただけなのです。

と言えば、普通、記憶喪失と名乗って終わりなのでしょうが、何と言うか、これが感覚的な事で、言葉にしづらいのですが。

ただ記憶を失ったのではなく。

名前、と言うのが、中心にあるように思えるのです。

そして名前には三つ、状態があるでしょう? 名付けられる前と後と、忘れられてしまった状態の三つです。

で、そのどれにも当てはまらないようで、かといって無い、と字を当てると、俺には失う前にも名前が無かった事になってしまうものなので。

——だから、亡くなった。

人があの世へ召されるように、名前が。

全ての状態を捨てて、何処かへと消えてしまって」

 

 一旦区切ると、俺は茶で喉を潤す。

 

「だから多分、俺は幻想入りした時、全く新しい自分として、始まり直したんでしょう。

証拠に、俺は、博麗の巫女によっても外の世界へ戻る事ができませんでした。

そして彼女の言葉によると、それは俺が名前を亡くしてしまった事が原因なのだそうです。

ほら、まるで、俺がこの幻想郷に、生まれ直したみたいでしょう?

かつての外の世界に居たらしい俺とは、全く違う俺に。

——新しい名前は、ほら、名無しの男を、名無しの権兵衛って言うじゃないですか。

なんで名無しで始まった俺は、七篠権兵衛と名乗るようになったのです」

 

 と、一通り語り終えた俺は、再び茶で喉を潤す。

さてはて、気の利かない俺にはこの話の面白さが分からないのだが、幽々子さんには感じ入る事があったらしい。

彼女と言うと、俺の話を反芻しているようで、顎に手をやり真剣味のある表情で庭の土を眺めていた。

手持ち無沙汰になったので、俺は反応があるまで、と庭の方へと目をやる。

残暑も残り少ない今、最後の輝きとばかりに緑濃く木々が茂り、蝉の鳴き声響く庭。

それを見ての第一印象と言えば、顎が外れんばかりの広大さであった。

何せこの白玉楼、屋敷自体ももの凄くでかいのだが、それすら小さく見える程の広大さである。

遠くは霞み、音はただただ蝉の鳴き声が何処かむなしく響き、普段五月蝿く思えるそれすらも、この広大な空間では反響の無さが逆に静けさを思わせる。

屋敷の主とは似てつかぬ、無機質な感覚を思わせる場所であった。

と言っても、それは当然と言えば当然なのだろう、ここは冥界、死後の世界であり、元来有機物より無機物の集まる場所である。

それでなくとも、庭とは侘び寂びの世界の物だ。

侘しくあるのは当然のことで、ならばこの不思議な静けさを楽しもうでは無いか、と、俺は静かに茶を口に含む。

 

 だが、何故だか、気分は一向に晴れなかった。

俺の心に侘び寂びを感じる粋が存在しないからなのかもしれない、と思ったが、それもどこか違うような気がする。

そう、何と言うか、俺は、まるで、この庭を見ていると——、俺を見ているようになるのだ。

俺は、先の言葉を借りるならこの世界に生まれたその瞬間から、劣って、劣って、劣り続けているように思える。

生まれた完全な状態から、少しづつ、乾燥してひび割れてゆく砂漠の大地のように、珠が欠けてゆく感じに、侘びてゆくのだ。

実際に思い起こしてみれば、そうだった。

俺がこの世界に生まれ落ちてからした事は、何もかもが、上手く行っていないような気さえする。

里人らに蛇蝎のごとく嫌われている事は当然として、慧音さんとの関係でさえ、少し前までは俺が借りを返せそうな兆しが見えていたと言うのに、その兆しは、まるで悪質な喜劇にあるように、あっさりと消え去ってしまった。

大体、俺は今、俺一人でさえ、養えていけるか分からないのだ。

野菜の大方を金子に変えてしまった今、里にこれ以上暴利を求められては食っていけないし、その里との関係は、今回の事で一層悪くなっていた。

俺が倒れた後どうなったのか詳しくは知らないが、少なくとも、前以上に良くなっている事だけはありえないように思える。

俺は、これからずっと、寂びてゆく事しかできないのだ。

 

 そんな事を考えていると、突然、俺は震えるような寂しさに包まれた。

ぶるりと、まだ残暑が残っていると言うのに体が震え、温かさが欲しくて湯のみに手を伸ばす。

とっさに手を出して、急いで持ち上げようとしてから、ふと、先程幽々子さんがしていたのを真似して、ゆっくりと持ち上げて、すすっと茶を啜ろうとしてみるものの、上手くは行かない。

ずずっ、と、幽々子さんのそれと比べると上品とは言えない音を立てて飲んだ茶は、少し温くなっていて、体を温めるのに足らない。

思わず俺は、縋るようにして幽々子さんへ目をやる。

ふと、目があった。

 

 ふわりと、包みこむような微笑み。

花弁が開くようなそれを見て、俺は呆けたように口を開いてから、何も言わないままに、その口を閉じた。

何故か、目頭が熱くなる。

いや、熱くなったのは、目頭だけでは無かった。

彼女の笑みを見た。

それだけ、本当にそれだけだと言うのに、体全体から、先程の寂しさが抜け落ちたようであるようで——、救われる、思いなのだ。

はぁっ、と彼女に聞こえぬよう、努めて小さな音で、塊のような息を吐く。

瞬きを何度か繰り返し、僅かに歯を噛み締め、すぐそこまで上り詰めていた涙を、飲み込む。

それから俺は、矢張り彼女は、浮世離れしているのだな、と思った。

何せこんなにも簡単に、人を上へ、温かい所へ、連れて行けるのだ。

余程地面との重力が少なく、もしかしたら今足元を見れば、足が無いのかもしれない、と思うほど。

 

 そんな感慨に浸っている俺に、ぐぐっと、幽々子さんは身を乗り出してみせる。

ふわり、と桃色の髪が舞い、陽光を反射して輝きながら、女性特有の——つい先日までは慧音さん特有かとも思っていた——いい匂いが運ばれてきた。

 

「そう。貴方には、ある部分からの、過去の自分が無いのね——。

その事を貴方は、どう思っているの?」

「どう、ですか——」

 

 言われて、俺は虚を突かれる形になった。

と言うのも、不思議と俺は、此処に来てからも、過去の自分と言うものについて考える事が無かったからである。

かつての俺は、何の違和感もなくスッパリと過去の自分を切り捨て、新しい自分を始めれていたような気がするのだ。

勿論、里人らの会議で酷い扱いを受けた時など、何でこんな事になってしまったんだ、と考えなかったと言えば嘘になるが、それぐらいで——。

いや、本当にそうだっただろうか?

よくよく思い出してみると、幻想入りして以来、俺はたまに過去の自分についての事を聞いてみた事があった気がする。

それもぎりぎり自覚できるかできないか程度のもので、言われて思い返してみれば——、と言う程度の物なのだし。

当然、この幻想郷の誰にも、外の世界の俺の事など分かる筈も無かったのだけれど。

と、そんな具合の混沌とした話を伝えて聞かせると、幽々子さんは何か納得がいったのか、そう、と呟いて姿勢を戻し、ぱちん、と扇子を広げる。

 

「ありがとうね、権兵衛さん。不躾な質問に答えてくれて」

「いえ、滅相もない。こちらこそ、俺が過去の自分を知りたがっているなんて部分が発見できて、良かったですよ」

 

 でなくとも、何か幽々子さんの抱える事情に役に立てたのならば幸いである。

と言うのは、先程の俺の言葉を聞いて感じ入る幽々子さんの様子が、何処か真剣味の混じった、それでいて初対面のカリスマのあるものとも違う、何というか、素で事情があったように思えたからだ。

どんな事情なのかは俺如きが窺い知れる事では無いかもしれないが、その役に立てたと言うのならば、嬉しい事この上無い。

何せこの人の笑顔は、何と言うか、非常に軽やかで、ふわふわとしていて、兎に角、救われるのだ。

鬱々とした考えに囚われやすく、そして実際に鬱々とした生活を続けている俺にとっては、とてつもなく貴重な人だ。

どうかこの人と、良い関係を続けられたならばいいな、と思いつつ、俺はその後も暫く、昼ごろまで談話を続ける事にするのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 夜半。

鈴虫の声が庭に響いては消えてゆくのを眺めながら、幽々子は物思いにふけっていた。

 

 西行寺幽々子には、自分が無い。

言葉を重ねるなら、過去の自分が無い、と言えよう。

何せ彼女は生まれ——と言うか死に始めてからこの方亡霊であり、その瞬間に生前と言う別の自分とは、恐らくハンカチ無しでは語れぬであろう別れを経験してしまい、全く記憶と言う物が無い。

親友の八雲紫やかつての世話役魂魄妖忌に聞く限りでは、容姿と、能力のおおよそは同一であったらしい。

おおよそと言うのは、単に強化され、人以外も死に誘う事ができるようになっただけであるので、ある程度は似ていると言って構わないだろう。

が、他については何も分からない。

何せ誰も生前の幽々子の事を語ってくれないのである、興味本位程度であった幽々子は何一つ、特に性格などについては生前の己を知らないままであった。

別に構わない、と、幽々子は思っていた。

今でも大体はそんな感じである。

生前がどうであろうと今の自分にとっては関係ないし、興味だって話の種程度にしか無い。

大体紫や妖忌だってどれほど生前の自分を知っているかも分からないのだ、そんな事よりおまんじゅうの方がよっぽど気になる。

筈、であった。

 

 しかし幽々子は、定期的に過去の自分を知ろうとしているらしい。

らしいと言うのは、自覚が無いからである。

自覚のないままに、例えば倉庫を整理する時に、妖夢に何となくと言ってついていっては昔の資料を探してみたり、何度も断られたのと言うのに、話の拍子に紫に生前の自分について聞いていたり、そんな風にしてしまうのだ。

と言っても、それで知る事は殆ど無いに等しい。

何せ自覚が無いのだ、そこには強い意思も無く、意思が強くなければ強固に隠された事実にはまず達し得ないのだ。

しかし兎も角、幽々子には過去の自分がなく、それを無自覚に知ろうとしているらしい。

 

 権兵衛もまた、同じであった。

妖夢に斬られると言う斬新な方法で白玉楼の客となった彼は、幻想入りする際に名前を亡くし、一緒に過去の自分も無くしてしまったらしい。

しかも幽々子に聞かれて初めて自覚する程度に自覚なしに、過去の自分について知ろうとしていたと言う。

ついでに言えば、幻想入りと言う観点から紫が多少自分を知っているかもしれない、と言うのも同じである。

だからなのかそれとも関係無いのか、幽々子は権兵衛に何処か親近感を感じていた。

朝食の時、妙に気があったのも、それに拍車をかけているのかもしれない。

 

 権兵衛から名前を亡くした話を聞いた後、一緒にお昼を食べ、ついでに妖夢を弄り、それからまた縁側でのんびりとし、ついでに妖夢を弄り、他愛のない話をし、ついでに妖夢を弄り、夕食をし、そしてまた妖夢を弄って遊んだ。

その間幽々子はずっと、不思議なほどに権兵衛に心を許していたし、権兵衛も、最初は不意に何処か鬱々とした様子になる事こそあったが、徐々に幽々子に襟を開き、先程に至っては、幽々子の思い上がりで無ければ、幽々子と同程度に互いを思っていたように思う。

まるで、生まれついての親友が一人増えたかのような、不思議な体験だった。

 

 なのに、だろうか。

それとも、だから、だろうか。

幽々子にはある欲望が生まれつつあった。

それは正直に言って生まれて——死に始めてから初めての体験で、それを思うと、普段にこやかなばかりの幽々子の顔にも、赤みが差してしまう。

似たような感覚はあったものの、ここまでの純度の物は初めてだし、それに、これまでに縁あったのは、乙女の恥じらいと言うより淑女の嗜みであったのだが、この頬の赤みは前者であるように幽々子には思えた。

そんなものが自分に似合うとは少しばかり思えなくて、こんな所紫には見せられないな、と、幽々子はため息をついた。

その溜息にも、憂鬱と一緒に恥ずかしさや甘酸っぱさが含まれているかのようで、そんな事をする自分に、尚更幽々子は顔を赤くする。

 

「——うん、そうね」

 

 呟いて、幽々子はその気持ちと向き合う事にした。

すぅっと息を吸い、はちきれんばかりになってから、はぁぁ、と息を吐き出す。

深呼吸を終えて、幽々子は目を閉じ、流していた足を正座に戻し、掌を腿の上にやった。

どうしてこんな事を思うんだろう、と、幽々子は疑問に思う。

私は。

何で。

どうして。

こんなにも。

権兵衛の事が。

私は。

私は——。

 

 何で私はこんなにも、権兵衛の事を死に誘いたいのだろう、と——。

 

 

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