ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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20-守屋神社2

 

 

 あれから俺は、夕食の用意を手伝う事になった。

何せ一晩お世話になるのである、何も手伝わないと言うのも居心地が悪いし、東風谷さんの帰りが遅く、家事が遅れていたと言うのもあった為だ。

と言って、名乗りを挙げて置きながらなんなのだが、俺は特別に料理が得意と言う訳では無い。

何時しか幽香さんには喜んでもらえたし、宴会でも好評であったが、そもそも俺は家事を行うようになってまだ数ヶ月しか経っていないのである。

流石にキャリアの違いから、正面から東風谷さんに勝負すると、分が悪い。

が、料理をするからには食べてもらう人には喜んでもらいたい物だし、一晩泊めてもらうと言う事に対する礼でもあるのだ、全力を尽くすのも当然と言えよう。

とりえず食材の様子を見る事から始めるが、何故か稼動している現代の冷蔵庫があった。

思い返せば、諏訪子様と話していた居間にも、エアコンがあったような気がする。

ここの神社は、よく分からない近代性を持っているようだった。

何だか奇妙な感覚を覚えつつも材料を確認し、牛肉にしらたき、焼き豆腐とあったので、すき焼きにする事にする。

丁度時期も冬である、鍋料理が恋しい頃合いであるのだし。

まずは材料を食べやすい大きさに切っておく。

次に醤油にみりんに日本酒を一煮立ちさせ、割り下を作る。

白米と酒とどっちが良いか聞いた所、全会一致で酒と来たので、砂糖は入れない。

そこで鍋を温めてから牛脂を溶かし、割り下を投入、牛肉をいくらか入れ、色が変わってきた辺りで他の材料を入れる。

その間、何だか諏訪子様と八坂様で言い合いがあったようで、顔を突っ込んでしまったのだが、どうやら俺には関係の無い事だったらしく、すごすごと台所に逃げ帰る羽目になった。

そんな事をしつつ火が通った辺りで、鍋ごと居間に持っていくと、丁度東風谷さんも洗濯物の取り込みやらを終えた辺りだったらしく、鉢合わせした。

 

「あ、東風谷さん、今日はすき焼きにしましたよ」

「……は、はい、そうですか」

「……はい、そうなんですよ」

 

 そのまま返してしまった。

って、俺は何をやっているのだろうか。

そう思いつつちらりと東風谷さんを観察する。

微細な震えと、僅かに顔色を青くしているその様子は、何だか、東風谷さんの様子は、俺を嫌っていると言うよりも……。

恐れられている、のでは無いだろうか。

初対面の時は、もう少し攻撃性があったので、嫌われていると思っていたのだけれども。

と言っても、果たして、俺に恐れられるような部分があっただろうか。

逆に侮られる要素ならいくらでもあるのだが……。

とりあえず思考を中断し、机の上の鍋敷きの上に鍋を置く。

それから、東風谷さんの方に振り向いた。

一緒に台所まで行ったほうが良い用事があるので、唾を飲み込みつつ聞いてみる。

 

「その、普段皆さんの使っている箸やコップがあるなら、教えていただきたいんですけど……」

「……諏訪子様は黒塗りに茶色い木目の入った箸、神奈子様は全体的に薄黒い箸で、私は端が赤い箸です。

盃は特にありませんので、人数分お願いします」

「あ、はい、分かりました」

 

 口頭で教えられてしまった。

いやまぁ、俺の思惑としては、東風谷さんに関しては以前考えた通りに、今日の所はやり過ごして諏訪子様や八坂様に任せると言うのがある。

その後里で顔を合わせる事があったりして日常生活に影響があるなら兎も角、それでなければ嫌われている俺が行動するのはリスキーだと考えた為だ。

と言っても、俺を今日返さずにいた諏訪子様の考えはそうではないみたいなので、その考えも揺れ、俺も探りを入れた方がいいかと考えていた所である。

何かアクションが起こるのでは、と内心肩に力が入っていた所なので、拍子抜けであった。

まぁ、元々の俺の考えとしては良い筈なのだが、何だか納得の行かない感じである。

ううむと首を捻りつつ、食器に卵に酒を持ってくると、すき焼きの出来上がりであった。

 

「いただきます」

 

 と、四人で輪唱。

溶き卵に通して各々の好みの食材を口に運んでいく。

 

「うん、美味しい美味しいっ。早苗のともまた違う味だね」

「あぁ、濃い目の味なのに、なんだか透明な感じがするな」

 

 諏訪子様と八坂様に褒められて、謙遜の言葉がついてでそうになるが、食材やらは東風谷さんが買ってきた物であるし、調味料もそうである。

果たしてこれは謙遜していいものか、と首をかしげつつ箸を伸ばすと、狙っていた肉がさっと取られてしまう。

箸の来た方を見ると、諏訪子様が美味しそうに肉を咀嚼していた。

思わず、首を傾げる。

 

「諏訪子様はお肉、好きなんですか?」

「って、あれ? むくれたりしないの?」

 

 と疑問詞で返されるが、俺は首を横に降った。

酒で口を湿らせつつ、答える。

 

「いえ、好きならもっとお肉を入れた方が良かったかなぁ、と思いまして」

「……うんうん、そうだねっ」

 

 と、何故か諏訪子様は嬉しそうに言った。

はて、お肉が少なくて悲しい所なのではないか、と首を傾げるも、それがおかしかったのか、くすりと笑う諏訪子様。

何がおかしかったのだろう、と救いを求めて八坂様の方を見ると、そちらもにやにやと笑っていた。

 

「うぅ、八坂様まで」

「まぁ、あんたがどんな奴か、やっと分かってきた気がしてさ。

って、そういや権兵衛、私のことを八坂って呼んでたっけ。

諏訪子も下の名前だし、私も神奈子でいいよ」

「あ、はい、では神奈子様、と」

 

 と言うと、かちゃん、と甲高い音。

見れば東風谷さんが、箸を置いた所であったようだ。

どうしよう、俺が二人に気安く接しているから、怒ってしまったのだろうか。

いや、それならばまだ良い、気分が悪くなってしまったりしていたら、一体俺はどうすればいいのか。

こちらまで顔を青くしつつ東風谷さんを見ていると、どうやら一旦箸を置いただけらしく、盃の方に手をやっていた。

顔色を見るが、見て分かるような悪さは無い。

胸をなで下ろし、ついでに酒を口にする俺を尻目に、神奈子様が怪訝そうに口を開く。

 

「どうしたんだい、早苗。

すき焼き、美味しいのに全然口を付けてないじゃあないか」

「——あ、はい、そうですね」

 

 と言い、すき焼きに箸を伸ばす東風谷さん。

言われてみれば、東風谷さんの溶き卵は他の皆の卵に比べ、色が黄色のまま濁っていなかった。

内心不安気に思いつつ見ていると、東風谷さんはしいたけを箸に取り、溶き卵を通して口にする。

ちらりと視線をやると、どうやら諏訪子様も神奈子様も東風谷さんに視線をやっており、東風谷さんは皆に注目されながら食べている事になる。

これは食べにくいのでは、と思ったものの、東風谷さんはあっさりとしいたけを嚥下して。

再び箸を置き、手は盃に。

 

 えっと、口に合わなかったのだろうか。

一瞬そう思うものの、東風谷さんの食べ方がこうなのかもしれないし、もし口に合わなかったのだとしても、俺がそんな事を聞いた所で気を使わせるだけである。

とりあえず気にしないよう努めつつ、鍋に箸を伸ばすと、それに釣られるように諏訪子様も神奈子様も箸を伸ばすようになった。

が、二人は何だか目と目で会話しているようで話しかける隙が見当たらず、かと言って東風谷さんに話しかけるのも気が引けるので、黙って酒を飲みながら食事をする事になる。

そんなわけで、全員黙々と食事を続ける事になった。

とりあえず酒をごくごく飲みつつ箸をすすめるうちに、手酌で盃に酒を入れていようとすると、瓶の方が空になっていた。

一升瓶が、である。

 

「あ……」

 

 と、思わず口に出して沈黙を破りつつ思い出すに、俺は飲み過ぎでは無かろうか。

少しは遠慮しようと思うと同時、神奈子様が口を開く。

 

「あ、もう無くなっちゃったかい? じゃあ早苗、次のを持ってきてくれる?

にしても権兵衛、あんた結構イケル口じゃあないか」

「はい、恥ずかしながら酒量は多い方でして。

あまり酔わない方なんですけれども、未だに限界に達した事がなくって」

 

 と言う通り、俺はあの宴会以来、酒を飲んでも記憶を失わなくなっていた。

何が契機だったのかは不明だが、急にそうなったのである。

試しに一度一升瓶を五本ほど買い込んでみたのだが、普通に一晩で飲めてしまい、それ以上どれぐらい飲めるかは、主に俺の金銭的事情により不明であった。

そんな訳で酒量を減らそうと思った矢先に、にやりと笑う神奈子様。

 

「へぇ、じゃあ今日は限界に挑戦してみる?」

「いや、その、以前鬼の方と一緒に飲んでも限界が来なかったぐらいなので、それは不味いかと」

「え、あんたそんなに飲むの!? 確かにそりゃあ家の酒が無くなっちゃうねぇ」

 

 と、そんな事を言っている間に、東風谷さんが一升瓶を抱えて持ってきた。

机の上に静かに置くと同時、神奈子様がぴくりと眉をひそめる。

が、それも一瞬、瓶を掴んで、笑顔で言った。

 

「ま、限界に挑戦するのはまたとして、この一杯ぐらいは飲んできなよ」

「あ、ありがとうございま……」

 

 と盃で答えようとした瞬間、背中に凍土が生まれたような悪寒が走る。

思わず振り向くと、諏訪子様が俺をじっと認めていた。

当たり前だが、可愛らしい姿である。

幼い容姿に純粋そうな目は、その外見を裏切らない純粋さを感じさせる物だ。

なのに何故か、俺は指一本動かせないような寒気を感じていた。

それは神奈子様も同じだったらしく、視界の端で神奈子様が諏訪子様に視線をやっているのが見える。

何がどうしたのか、と混乱すると同時、再びかしゃん、と甲高い音。

意識を引き戻され、思わず視線を音の方にやると、東風谷さんが箸を置いた所であった。

悪寒がすっと引いてゆき、代わりに諏訪子様の視線がぎょろりと東風谷さんへ向けられるのが見える。

 

「ぁ……」

 

 東風谷さんが小さな悲鳴を上げた。

見ればその顔は青いを通り越して土気色と化しており、唇も青くなってブルブルと震えている。

今にも倒れそうなその顔色の悪さに、咄嗟に手を伸ばそうとする俺。

 

「や、やめてくださいっ!」

 

 が、返ってきたのは、俺に対する罵声であった。

ぶるぶると震え、必死に手を伸ばし、俺と距離をとろうとしているその姿は、どう考えても俺に怯えている物である。

何をやっているのだろうか、俺は。

咄嗟の反応とは言え、こうまでに一人の少女を怯えさせてしまった事に、俺は内心を後悔の色で染める事となった。

俺は、所詮は俺なのである。

人として低い位置にある俺が誰かに手を貸そうなどと言う、おこがましい行いをするから、こうやって世界に不幸は増えてゆくのだ。

少し人格を褒められたからと言え、俺は驕っていたのではなかろうか。

そんなものは建前やお世辞に過ぎないと言うのに。

伸ばしていた手を引っ込め、視線すらも彼女を怯えさせるかもしれないと思うと、視線の置き場すらも思いつかず、俯く事となった。

と同時、諏訪子様が口を開く。

 

「——早苗」

 

 底冷えするような言葉であった。

思わず、続きが諏訪子様の口をついてでるより先に、俺が口をはさむ。

 

「そ、そのっ、諏訪子様、東風谷さんをどうか勘弁してやってくれませんか。

悪いのは、嫌われていると知りながら手を伸ばしてしまった、俺の方なのです。

何せここには諏訪子様も神奈子様も居るのです、東風谷さんの顔色が悪ければ、嫌われている俺よりもお二人に任せたらいい。

なのに手を伸ばしてしまったのは、俺の悪徳によるものなのです。

だから、責めるならばどうか、俺を責めてください。

どうか、どうか、お願いします」

 

 言いつつ、俺は三つ指をついて頭をさげる。

穴だらけの言葉であった。

何せ、最初に東風谷さんが諏訪子様に睨まれてから顔色を悪くした事を、無視した言葉であった。

何が悪かったのかは分からないが、そこの諏訪子様が東風谷さんを睨むような理由があったのなら、俺が悪かろうがどうだろうが、諏訪子様には東風谷さんを叱る理由がある。

しかし、俺はただでさえ顔色の悪い東風谷さんが、今この場でこれ以上叱られるような事を、許容できなかったのだ。

私欲である。

我儘である。

当然に論破する事は簡単だが、それでもこうやってクッションを置く事で、諏訪子様が東風谷さんを叱る事を思いとどまってはくれないか、と言う一縷の望みにかけた言葉であった。

が、それに対応するのは、予想外の言葉。

 

「早苗が、権兵衛を嫌っていただって——?」

 

 神奈子様が言うのに思わず反応し、思わず面を上げる。

視界の端では東風谷さんが俺を信じられないような目で見ているのが見えた。

何だって?

疑問詞を浮かべる俺を尻目に、神奈子様が続ける。

 

「ちょっと待て、諏訪子、私はそんな事、一言も聞いてなかったけど……」

「あ、ごめん、言うの忘れっちゃってた」

 

 てへっ、と舌を出す諏訪子様に、思わず絶句する。

それは神奈子様も東風谷さんも一緒だったようで、一瞬、部屋の中が沈黙に包まれた。

俺は思わず、信じられないと言う表情を作ってしまう。

いや、言うのを忘れていたのは、まだいい。

良くは無いが、人間何だってミスはあるのだ、神様にだってミスぐらいはあるだろう。

信じられないのは、それを子どもが悪戯を告白するような軽い調子で言ってのける所だった。

東風谷さんが俺を目前にして見せた不調は、今にも倒れそうな、深刻な物だった筈である。

それをまるで重要視していないように言って見せる諏訪子様。

初対面の俺の、あるかどうか分からない優しさにすら感動してくれた彼女は、相応に人に優しいと思っていた。

また、東風谷さんへの物言いから、巫女である彼女の保護者のような姿勢を取っているように思っていた。

だがしかし、それは勘違いだったのだろうか。

思わず神奈子様の方に視線をやるが、彼女も俺と同じように信じられないと言うような表情を作っていた。

東風谷さんもまた同じで、更に顔色を悪くしているように見える。

とすると、今までは東風谷さんを蔑ろに扱うような事は無かったのでは、と思えて。

混乱する。

 

「忘れちゃってたって、あんた……!」

 

 激高する神奈子様の言葉にも、僅かにバツの悪そうな顔をするだけで、平気で鍋に箸を伸ばす諏訪子様。

神奈子様は、諏訪子様の反応を見て、何かを悟ったかのように溜息をつき、東風谷さんの方を見るが、言葉が見つからないようで、何も言えないままであった。

東風谷さんも表情が固まったきり、身動き一つしない。

俺はと言えば、視線を右往左往させるだけで何もできず、ただ座っているだけの所に、諏訪子様が話しかけてくる。

 

「権兵衛? すき焼き食べないの? 冷めちゃうよ?」

 

 と言って、肉を差し出してくる諏訪子様。

無視する訳にもいかず、かといって気の利いた言葉も思い浮かばず、思わず俺は器を持って肉を受け取ってしまう。

受け取って、食べている場合じゃないと思うものの、かといって何をすればいいのか分からず、暫く迷ったが、肉をこのまま放置しておく訳にもいかず、俺は肉を取って口にした。

肉は冷めていて、少し硬くなっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あの後、残りを諏訪子様が平らげ、夕食は気まずいままに終わった。

東風谷さんが逃げるように食器を洗いに台所へ持って行き、俺はと言えば客間の場所も知らないのでずっと居間にいるままであった。

神奈子様が相槌を打つばかりで沈黙を守る一方、諏訪子様は何事もなかったかのように俺に話しかけてきた。

勿論俺は東風谷さんの事が気になったので生返事しかできなかったのだが、それでも気にならないようで、遅くまで諏訪子様の話は続いた。

多くはかつての夫についての話であり、諏訪子様はそんなに人を愛せたのだな、と思う反面、俺は何故今東風谷さんを気遣ってやれないのだろう、と内心独りごちた。

 

 そして夜中。

知らぬうちに東風谷さんが準備していた寝室を借り、俺は布団の中で横になりつつも、どうしても眠れなかった。

昼間の東風谷さんの豹変。

夜中の諏訪子様の豹変。

前者は明らかに、後者は周りの反応を鑑みるに、どちらもタイミングとしては俺が来てから変わったように思える。

俺の持つ何らかの要素が、二人の心を変えてしまったのではないか、と。

勿論、それは誇大妄想の類であろう。

何せ俺如きに、神の心を変えてしまうような大きな要素があろうとは、到底思えない。

思えないのだが、あまりにタイミングが良いからか、どんなに頭を降ろうと頭の中にそんな考えが残ってしまう。

思えば、俺はこれまで、あまりに短期間に、幻想郷の有力者達の感情的な姿を見すぎて来てはいないだろうか?

妖夢さんに輝夜先生、幽香さんに妹紅さんにレミリアさん。

もしかしたら、俺の知らない所で、他の女性達も感情的になっていたのかもしれない。

俺には、もしかして人の心を操るような、忌まわしい力があるのでは無かろうか。

 

 なんて。

結局はそんな物は妄想に過ぎないのだろうけれど。

溜息をつきつつ、俺はごろりと寝返りをうつ。

何せ俺はただでさえ、“月の魔法を使う程度の能力”と言う人には過ぎた力を持っているのである。

普通一人一個だと言う能力をそれ以上持っているなど、自意識過剰にも過ぎる事だろう。

内心の不安を吹き飛ばし、俺はどうにか寝ようと務める事にする。

ちなみに普通じゃない人と言うのは霊夢さんで、“空を飛ぶ程度の能力”に“霊気を操る程度の能力”、“博麗の巫女としての能力”にあの勘の鋭さの能力の一つらしい。

まぁ、あれほど重要な立ち位置に居るのに必要な能力を思えば、納得も行くが。

 

 とまぁ、そんな風に取り留めのない事を思って、次第に眠気の脳内が支配されていっていった、その時である。

す、と何かが滑る音。

寝ぼけ眼でそちらを見ると、障子が開いており、廊下には桃色の寝間着姿の東風谷さんが立っていた。

 

「あぁ、夢か」

「え? あの、違いますけど……」

「あれ、夢なのに夢って分かっても覚めないぞ、珍しいなぁ」

「いえ、ですから夢じゃないんですけど……」

「うーん、折角ならぬいぐるみとかに囲まれた夢とかが良かったんだけど……」

「少女趣味ですね……。えいっ」

「あいたっ」

 

 ぱちん、と言う音と共に、額が叩かれ、頭の中で軽く火花が散った。

思わず飛び上がって、両手で額を抑える。

あまりに不意打ち過ぎたので、痛みに思わず涙が浮かんだ。

 

「えっ、あのっ、もしかして泣いてます?」

「な、泣いてませんよ、大丈夫、大丈夫ですってば」

「はぁ……泣き虫の言い訳っぽいですねぇ」

 

 と言って退いた東風谷さんを尻目に、俺は涙を零さないよう努力する。

何が何だか分からないが、とりあえずこの場で泣くのはとてつもなくみっともない事だと、本能で理解できた。

なので頑張れ俺、頑張れっ、とエールを送りつつ抑えていると、痛みも引き、涙も何とか引いてゆく。

ほっと一つ溜息をつき、東風谷さんに視線をやった。

 

「どうです、泣かなかったでしょう」

「いえ、そこで威張られても」

 

 びしっ、と手でツッコミを入れられ、そりゃそうかと思う。

納得して首を上下させる俺に、東風谷さん。

 

「それにしても」

「はい?」

「権兵衛さんって、ぬいぐるみとかお好きなんですね」

「——っ」

 

 言われると同時、俺が寝ぼけて口走った内容が脳裏を走る。

まるで顔が燃え盛りそうなぐらい、赤くなった。

恥ずかしくて恥ずかしくてとても視線を合わせていられず、思わず俺は俯いて体を小さくする。

俺の阿呆め。

そう内心で言って、想像の中で自分で自分を殴り続けるが、それでも恥ずかしさは紛れず、暫くの間俺は身動きひとつできなかった。

そんな俺に、容赦なくかかってくる言葉。

 

「うぅん、男の人が少女趣味って、気持ち悪いなぁ」

 

 ぐさっ。

 

「あ、いえ、権兵衛さんが気持ち悪いって言う訳じゃあないんですよ?

ただ、友達にそんな人が居たら、携帯に登録してある連絡先を消すかなぁ、って思っただけで」

 

 ぐさぐさっ。

 

「えぇ、なんで泣きそうになるかなぁ。

その、私何か気に障るような事言いましたか?」

 

 あの、すいません、もう勘弁してもらえませんか。

内心平服しつつ、俺は言葉のナイフで傷つけられた部分を抑え、これ以上話を続けるのが危険だと判断して話を遮る。

 

「え、えぇと、その。

東風谷さん、わざわざこんな夜中に俺の所を訪れたんです、何か用事があったのでは?」

「あ、はい、そうでした……」

 

 と、なんとか仕切り直すと、東風谷さんも居住まいを正したようだった。

俺も同じく、姿勢を正す。

そうして言葉を待つが、中々東風谷さんは口を開こうとしない。

これで口の上手い人ならば小粋な話で話しやすくしてやる、なんて言う事ができるのだろうが、口下手な俺にそんな事は望むべくもなく、沈黙が横たわることとなる。

自然、する事と言えば東風谷さんの様子を観察する事になり、見ているうちにふと気づく。

東風谷さんはどうやら俺には怯えているような様子を見せているものの、諏訪子様や神奈子様が居た時程では無いようだった。

さて、そこにある差は一体何なのだろうか、と内心首を傾げると同時、東風谷さんが口を開いた。

 

「権兵衛さん、貴方は、里人を恨んでいないのですか?」

「え? それは勿論、恨んでいないですけれど」

 

 と、当たり前の事を聞かれたので、当たり前に答える他無い。

 

「だって、里人が俺を害した行為は、全て誤解によるものなのです。

そしてその誤解を作ったのが誰かと言えば、全て俺の悪徳によるものなのです。

そうとあれば、俺が里人を恨むのはお門違いと言う物でしょう。

どちらかと言えば、自虐の念に囚われる事はあるのですが」

 

 と言う俺を、信じられない物を見るような目で見る東風谷さん。

何故か焦ったような様子で続ける。

 

「そ、その、本当に恨んではいないと言うのですか?

苦しんでいたらざまぁみろとか、そんな風に思う事すらも無いのですか?」

「えぇ、それは勿論、恨んでいないですとも。

それに、いくら俺とは言え、苦しんでいる人を見てざまぁみろだなんて、そこまで思う事はありませんよ」

 

 と言うと、東風谷さんは花が萎れるように、活気を無くし、項垂れる。

何か悪い事を言ってしまったのかと思い焦るが、思い当たらない。

それでも目の前の彼女が沈んでいる様子に何かしてやりたくて、手を伸ばそうとするものの、今度こそ東風谷さんに嫌われている事を思い出し、寸での所でそれは止められた。

それに内心ほっと溜息をつきつつ、恐る恐る視線を東風谷さんの方に向けると、矢張り東風谷さんは僅かに体を震わせていた。

息を吸うのも荒く、今にも涙を零さんばかりに昂っている東風谷さんは、確かに俺を恐れているように思える。

だが、矢張り何度考えてもその理由は分からず、俺は自分が再び記憶喪失にでもなってしまったのかとさえ思った。

そんな風にしているうちに、静かに東風谷さんが口を開く。

 

「それ、では、その、聞いてもらえますでしょうか」

「……はい」

 

 今にも泣き出してしまう子供のような姿に、支えてやりたいと思うものの、何とかその思いを俺は握りつぶす事に成功した。

辛うじて声を搾り出しているようにしか見えない東風谷さんに、せめて返事は確りとしようと、目を目に向けて言う。

すると、僅かに一度震えたのを最後に、東風谷さんは震えを止めた。

すぅ、と大きく息を吸い、肺に空気を貯め、喋り始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

 東風谷早苗は、現代人にありえない緑の髪と、二柱の神を見る目と、奇跡を起こす程度の能力を持って生まれた。

それは一族の中でも奇異な程の高い能力であり、両親でさえも早苗には遠く及ばない程度の能力しか持っておらず、神を見る事すらできなかった。

いわば、早苗は先祖返りなのだ。

かつての幻想の時代と同じ程の力を持って、生まれた。

そしてそれ故に早苗は特異であり、孤立した人生を歩んできた。

 

 幼稚園児の頃から、早苗は孤立していた。

神様が見えると言う事もそうだし、その緑の髪も早苗を孤立させる一因となった。

初め幼稚園児達の対応は、イジメだったと早苗は記憶している。

遊びに混ぜてもらえなかったり、陰口を言われたりから、段々と暴力が混ざるようになり、悪い事は全て早苗の所為になっていった。

早苗は、二柱の神にそれをおくびにも出さなかった。

幼いながらに二人を心配させたくなかったと言うのもあったし、自分がイジメられるような悪い子だと思われたくなかったのだ。

そうやって早苗は我慢を続けたが、いずれ限界は来る。

ある日の夜中、自分の境遇と、それが何時までも続くかもしれないと思うと、自分の将来が悲しくて悲しくて、早苗は涙を零した。

そして願ったのだ。

どうか、こんなイジメは無くなってください、と。

 

 果たして、“奇跡”は起きた。

具体的にどんな奇跡だったか早苗は既に覚えていないが、確か風に関連した奇跡がいくつか起きたのだと言う事だけは覚えている。

その結果、園児達は早苗をイジメる事はなくなり。

代わりに、誰一人早苗に話しかける園児はいなくなった。

気味が悪かったのだろう、と今になって早苗は思う。

当時はどうしてか分からなくて、何度も泣いてしまったものだったが、よくよく考えれば、“奇跡”など周りからみれば気味の悪い出来事にしか過ぎなかったのだ。

ただそれでも、両親と二柱の神だけは早苗に話しかけてくれて、だから早苗は四人に精神的に依存するようになりながら幼児時代を送った。

 

 小学校に入ってからも、同じことの繰り返しだった。

緑の髪や、神を信じると公言して止まない早苗は格好の標的で、イジメの対象となり、そして“奇跡”が起こり誰も早苗に近づかなくなる。

両親は当然働いていたし、二柱の神も信仰の力が無くなってきていて神社を出る事が出来ず、早苗の生活を知る者は居ない。

しかし、孤立した生活は苦しかった。

それを吐き出す相手すらも居らず、苦しみは貯まる一方で、早苗は次第に耐え切れなくなっていった。

故に、孤独な生活を肯定する為に、自分は特別なのだと思うようになっていった。

自分は特別な存在なのだ。

だから皆はそれを妬んで攻撃を仕掛けているだけなのだ、これは優れている者が生きる為の弊害なのだ、しょうがない、と。

実際それがある程度は間違っていなかったのが、早苗の考えに拍車をかけた。

また、どんどんとプライドを高くする早苗の様子は、周りからの孤立にも拍車をかけた。

 

 高校生になる頃には、早苗は完全に両親と二柱の神に精神的に依存していた。

最早四人の前だけが自分をさらけ出せる瞬間だったし、だから早苗は両親にも二柱の神にも感謝を忘れた事はない。

孤立は深まるばかりであった。

誰も話しかけてこないけれど、私は無視なんてされていない、孤高だから話しかけられないだけだ。

ボソボソと嫌味を言われたり、コソコソと笑われてなんかいない、あれは気のせいだ。

私は、イジメられてなんかいない、プライドが高いから孤高を選んでいるだけだ、特別なだけなんだ。

そうやって自分をどうにか誤魔化して、神奈子と諏訪子と両親だけが頼りどころのまま、早苗は日常を過ごした。

 

 そんなある日の事である。

夜中何となく寝れずに起きだした早苗は、厠に行って帰る時、両親の部屋から灯りが漏れているのを見た。

こんな夜中にどうしたんだろう、と疑問に思い、耳を傾ける。

 

「早苗……あの××、今日も何も無い場所に話しかけてたわ」

「ああ……、またか、あの××」

 

 反射的に、これ以上聞いてはいけない、と早苗は思った。

だが思いとは裏腹に、体は両親の言葉に耳を傾けたまま、動きを見せない。

 

「あいつは神が居るって言っていたけど、本当に居るのか? ××ならではの気違いからじゃあないのか?」

「分からないわ……。お母様は先祖には見えたって言ってたけど、それってつまり……」

「そうだな、あいつはやっぱり……」

 

 ××って何だろう、と早苗は思った。

何か言っているようだが、早苗の脳が受け取りを拒否しているようで、意味が通じない。

何を言っているのか、分からない。

そうやって現実逃避をするのは、早苗が自らの心を守るために行った行為であるのだが、それを嘲笑うかのように、両親の言葉は輪唱し、早苗の心に突き刺さった。

 

「化物だ」

 

 それから、早苗はどうやって自室にたどり着いたのか覚えていない。

ただ、こんな事を内心叫んでいた事だけは覚えている。

私はこんな事聞いていない。

聞いていないったら聞いていない。

そう叫んでも、耳に残る言葉は何度も響き渡り、早苗を責め続ける。

化物、化物、化物。

次第に早苗はこう思うようになってきた。

嫌だ、こんな事を言う両親なんて、居るはずがない。

こんな事を言う両親なんて、私にはいない、いていい筈が無い。

そう内心で叫びつつ、泣きつかれて早苗は寝た。

 

 果たして、“奇跡”は起きた。

早苗の両親は火事で死んだ。

次に起きた時早苗は病室で目を覚まし、呆然としながらその事実を知った。

幸い大火災にはならず、寝たまま焼死した両親とその部屋付近以外に大きな被害は無かったそうだ。

それを知った時、早苗はまず己の罪深さを呪い、自己否定に走った。

しかしそれもあまりの罪の重さに長くは続かず、次第にこう思うようになった。

私は特別な存在なのだ。

それを悪く言った両親は悪であったのであり、死んで当然だったのだ。

そう思わねば早苗は、今まで信じていた両親にすら気味悪がれており、そしてだからと言ってその両親を自らの能力で殺してしまった、と言う事実を受け入れられなかった。

 

 最早、人間社会において天涯孤独となった早苗は、神奈子と諏訪子への依存を余計に強くした。

突然の不幸で両親を亡くしたのだ、と思っている二柱もまた、それを許した。

そうなると問題であるのが、二柱の神への信仰心の低さである。

それを補うために幻想入りが考えられ、最早外の世界に未練の無い早苗は、それを即諾し幻想入りした。

そして、空飛ぶ巫女と出会う。

 

 博麗霊夢は、あっさりと早苗を倒していった。

これは何かの間違いだと思う早苗を、今度は霧雨魔理沙があっさり倒した。

そして早苗は、自らが特別な存在では無かった事を、知らされる事になる。

 

 それまで早苗は、自分を特別だと思う事で自分を保ってきた。

幼少時代から続く孤独も、両親の死も、どちらも自分が特別であるから許されると考えてきた。

そうでなければ、両足で立ち、人生を歩む事すらままならなかったのだ。

しかし二度に渡る敗北で、早苗の人生の根拠は、粉々に砕かれてしまった。

自分は、特別では無い。

何せ霊夢のような同じ巫女にも、魔理沙のような幻想郷ではそう強い部類にない魔法使いにも負けてしまったのだ、当然である。

では、自分は果たして、何故孤立していたのか?

自分は何故、両親を殺してしまったのか?

それらの現実を、早苗は受け入れられなかった。

 

 早苗は最早、考える事を放棄せざるを得なかった。

神奈子と諏訪子の言う事、それを守るだけの、ロボットにしかなれなかった。

一切の判断を、その二柱の神の言葉以外で行う事が無くなったのである。

非想天則を追って諏訪子と対峙できたのも、神奈子の言葉があったからと言うだけ。

UFOを追って魔界まで旅した時も、二柱の言葉を守る事しかできなかった。

 

 そして。

そして、だからこそ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「私は、貴方を、見捨ててしまったのです」

「へ?」

 

 意味が分からない、と言う目でこちらを見てくる目に、視線を逸らしそうになってしまうのを、早苗は意地で押さえ込んだ。

震える体を抑えきれないままに、口を開く。

 

「二ヶ月ほど前の事です。

私は里人が連れ立って歩いて行くのを見て、何をやるのだろうと空を飛んで追いかけました。

里人達は、権兵衛さん、貴方が住んでいた家に辿り着きました。

すると、手に持っていた斧や、鈍器を使って……貴方の家を、壊し始めて」

 

 声が震えるのを、抑えられない。

どうしても次の言葉を考えると、それの持つ意味を考えると、早苗は次の言葉が言い出せなかった。

拳を、握りしめる。

爪を突き立て、痛みで恐れを消しつつ、言うんだ、言うんだ、と自らにを鼓舞する。

大きく息を吸い、まるで何かを吐き出すかのように言った。

 

「私は、それを見て見ぬふりをしたのです」

 

 ついに、言ってしまった。

そうすると、今度は何を言われるのだろうか、と言う恐怖が全身を駆け巡り、がくがくと体が震えを大きくし始める。

流石に驚いたようで、権兵衛は目を見開いていた。

だが、それも数瞬。

早くも現実に戻ってきて、何かを言おうとするのを見て、早苗は咄嗟に目を逸らしながら続ける。

 

「私は、怖かったんです。

悪い噂がある人を庇って、神奈子様や諏訪子様の言葉に背く事になってしまわないかと。

これはいくらなんでもあんまりだと思いながらも、自分可愛さに悪事を無視したんです。

貴方を、見捨ててしまったんです」

 

 権兵衛の口を開けば、罵声が返ってくるものと早苗は思っていた。

早苗は留守にしている間に自宅を壊されるのを、それを防ぐ力がありながらも、見て見ぬふりをしたのだ、その程度当然の酬いと言えよう。

いや、そんな軽い怒りで住めば行幸であろう、とさえ早苗は思っていた。

家である。

ただ人が住むと言うだけでなく、その過ごした思い出が残る場所なのである。

それを奪うと言う事は、その思い出をも奪ってしまうのに等しい行いだ。

それを、早苗は見過ごしたのである。

暴力、暴行——、そればかりか、怒りの程によっては、我を忘れて命すら奪おうとしてくるかもしれない。

それそのものよりも、自分が怒りの対象であると言う事が怖くて、兎に角早苗は喋り続ける。

 

「いえ——、それも違います。

私は、あんまりだなんて思っていませんでした。

私は、ただ怖かったんです。

判断をするのが。

自分の責任で、何かを行うのが。

悪い事が行われているんだ、とは分かっていました。

でも、里人の方が悪いのか、それともそこまでされる程貴方が悪かったのか、わからなくって。

でも、私、神奈子様か諏訪子様の言葉が無ければ、何も分からなくって。

もっと簡単な事な、どちらが悪いか決まり切っている事なら兎も角、どっちが本当に悪いのか分からない時、どうすればいいのか教えてもらわなくちゃ、何も出来なくって」

 

 自分の余りの情け無さに、早苗は吐き気をすら覚える。

幻想郷に来て以来、早苗のプライドは最早ズタズタに引き裂かれていた。

自分は特別ではないと認めざるを得ず、しかしそう認めるなら現実を見据えなければならず、それができずに早苗は思考を放棄する事で正気を保っていた。

神奈子にも諏訪子にも相談はできなかった。

何せ二人の前では、早苗はずっといい子で居たのであるし、そもそも現実を見ない早苗に、その現実を相談できる筈も無かった。

故に早苗は、権兵衛の家を守る事が、出来なかった。

権兵衛が悪人であると判断したからではなく。

今回の物事の判断が難しく、思考を放棄した早苗では既存の神奈子や諏訪子の言葉を用いて判断できなかったから。

分からないから、見て見ぬふりを。

見なかったことにして。

 

「あ、貴方が神社に来て、先に諏訪子様に善人だと紹介を受けて、貴方の名前を聞いて——。

私は最初、現実を受け入れられませんでした。

距離を取って、とりあえず逃げて。

それで出来るだけ時間を取っても、貴方はまだ家に居て。

怖くて入れなかったけれど、神奈子様が来て、私を連れて入って。

そ、そしたらっ」

 

 震えが強くなり過ぎ、ついに言葉を発するのが辛い程になった。

早苗は自らの体を抱きしめ、どうにか震えを抑えようとする。

僅かな沈黙を置いて震えは弱まっていき、大きく吸気した早苗は言葉を続けた。

 

「貴方は、震えるほどに善人でっ!

神奈子様も諏訪子様も、私にはもうお二人しか居ないのに、貴方の事ばかりでっ!

確認してみても、貴方は矢張り、甚だ善人でっ!

ど、どう考えても、あの時の私の行いは間違いでっ!」

 

 ついに、早苗の目から、涙が零れ落ちた。

自らを抱きしめる手の力も強まり、掴む服の皺が深まる。

噛み締める歯の力は強く、ぎりり、と嫌な音を残した。

 

「ど、どうしよう。

わ、私、神奈子様と諏訪子様に見捨てられたら、もう他に何も残っていないんですっ!

でもきっと、見捨てられちゃうっ!

わ、私が悪い子だから。

学校でもイジメられてたし、お父さんとお母さんを殺してしまったし、権兵衛さんも見捨てちゃったし、貴方に謝らなきゃいけないのに、保身の事ばっかりだしっ!」

 

 最早自分が何を言っているのかすら判断がつかず、早苗は半狂乱になって叫んだ。

嗚咽と共に吐き出された言葉が、夜の室内に僅かに反響し、消えてゆく。

震える早苗は、僅かな恐れと共に、会話を初めてすぐに逸らしていた視線を権兵衛へと戻した。

これで怒り狂っていてくれれば、まだ早苗には救いがあったのかもしれない。

そうすれば早苗は卑劣ながらも、怒り狂う権兵衛を悪人として二柱の神に報告した事だろう。

当然そうなれば諏訪子によって一刀両断されるのは間違いないが、少なくともそれまでは希望を持っていられた。

しかし権兵衛は、残酷なまでに優しかったのだ。

権兵衛は、全てを包み込むような、優しい笑顔をしていた。

 

「大丈夫です」

 

 そう言う権兵衛の言葉には、何も解決していなくとも何故かほっとしてしまう、暖かな力が宿っていた。

早苗の涙が僅かに引き、動機が収まり、火照った頬が熱を引いてゆく。

 

「大丈夫です。

俺は怒ってなどいませんし、告げ口をするような事はありません。

神奈子様も諏訪子様も、取っていこうなんて思いません。

大丈夫です、東風谷さん、貴方は見捨てられなんかしない。

お二人は、貴方を見捨てなんかしませんとも」

 

 ぞっとするほど冷たい物が、早苗の中を過ぎった。

最早権兵衛がこよなく善人である事は明白であり、早苗の行いが悪事である事もまた明白である。

すると。

諏訪子が権兵衛を異様に贔屓する姿が、目の裏から焼き付いて離れない。

神奈子が、会ったばかりの権兵衛とすぐに仲良くなる姿が、目の裏から焼き付いて離れない。

気づけば、早苗の口は意思とは無関係に動いていた。

 

「嘘だ」

「……え?」

 

 突然の言葉に目を見開く権兵衛に、早苗は震えながら叫ぶ。

 

「嘘だっ!

神奈子様も、諏訪子様も、私から奪っていく癖にっ!

貴方が……、貴方さえ居なければっ!」

 

 叫びながら、早苗は権兵衛に飛びかかった。

咄嗟に魔力を纏う権兵衛であるが、早苗の霊力の方が圧倒的に上である。

あっさりと権兵衛を押し倒し、その首を両手で掴む早苗。

一瞬固唾を飲んでから、全力で絞め始めた。

 

「貴方さえ!

貴方さえ……貴方さえ……貴方さえっ!」

 

 叫びながら早苗は権兵衛の首を絞め続ける。

すぐさま権兵衛も両手を伸ばし、早苗の手を剥ぎ取ろうとするが、霊力で強化された度合いが違いすぎる。

すぐに権兵衛の抵抗が弱くなってゆき、次第に目が虚ろになってゆく、その瞬間であった。

一瞬、早苗の目に映像が潜り込む。

見た筈の無い、両親が苦悶の表情で焼け死ぬ姿。

 

「う、うわぁあぁっ!?」

 

 早苗は、思わず仰け反って、背後に倒れこんだ。

そのまま四肢を使って這いずり、咳き込む権兵衛から距離を取る。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 荒い息をしつつ、肩を上下させながら早苗は考えた。

今、一体自分は何をしようとしたのだろうか?

今度こそ、完全に自らの意思で、人を殺めようと?

それも、完全に私利私欲で?

早苗は、自分で自分が信じられなかった。

あまりに卑劣で下衆な自分が居る事に、驚愕していた。

 

「わ、私って……」

 

 最低だ。

そう心の中で続けながら、早苗はついに絶望した。

人をまた一人、しかも今度こそは直接殺めようとしてしまった罪悪感。

最早悪事を働き過ぎて、間違いなく神奈子と諏訪子に見捨てられるであろうと言う恐怖。

そしてそうなれば、ついにこれまでの自分の現実を見なければならないと言う戦慄。

全てが早苗の心を渦巻き、その絶望を形作っていた。

これから、私からは何もかもがなくなるんだろう、と早苗は思う。

初めに神奈子と諏訪子を失い、巫女でなくなるだろう

それから行った悪事が知らされ、信仰心を失い、神でもなくなるだろう。

そして残る普通の少女の部分は、そこに至って自分の現実を見据えた時、そんな物は幻想でしかなかったと気づくだろう。

最早早苗からは、全てがなくなる事が予定されていた。

 

「あ、はは、はははは……」

 

 あまりの虚しさに、笑いすらもがこみ上げてきた。

目を瞑り、涙と共に、後ろ手に持ち上げていた上半身を畳に落とそうとする。

その、瞬間であった。

何か暖かい物が早苗の頭を包んだ。

驚愕して目を見開く早苗の目前には、権兵衛の顔がある。

権兵衛がゆっくりと膝の上に早苗の頭を下ろすと、膝枕の形になった。

すっ、と。

権兵衛の顔が、非の打ち所が無い笑みを作る。

 

「大丈夫です」

 

 権兵衛は、言った。

 

「俺は、貴方を許します。

誰が何と言おうと、貴方を許します。

神奈子様や諏訪子様が貴方を罰するとしても、貴方を許します。

そして。

その、俺でよければ、ですけれども。

俺は、貴方の味方になります」

 

 遠慮がちに言った権兵衛の言葉に、早苗は目眩を覚えた。

味方?

誰の?

 

「わ、私、だって、貴方を殺そうとして……」

「それでもです。

俺は、貴方の味方です。

神奈子様が貴方を見捨てようとも。

諏訪子様が貴方を見捨てようとも。

俺は、ただ一人になっても、貴方の味方です」

 

 次第に早苗にも権兵衛の言う事が飲み込めてきて、混乱する。

自分にこんなうまい事があって良いのか。

そんな疑念が湧くが、権兵衛の笑顔が、まるで太陽が氷を溶かすかのように疑念をも溶かしてゆく。

それでも残る疑心を振り絞って、早苗は口を開いた。

 

「だって、まだ会って一日で……」

 

 未だに権兵衛を拒む様子を見せる早苗に、自虐的な笑顔を浮かべ、権兵衛が返す。

 

「それでも、俺には貴方がどれほど傷ついているかは分かります。

俺は、これほどまでに傷ついている貴方を、放っておく事ができない。

いえ、安心してください。

同情からと言う訳では無いのです。

だから、貴方が同情に値するかどうか、なんて悩む事はありません。

これはただ、俺の私欲、我儘による物なのです。

俺は、傷ついている貴方を見捨てる事を、己に許せない。

そういう事なのです」

 

 権兵衛が、それからもう一度、太陽のような笑顔を作った。

早苗は、胸に花が咲くような暖かさに身を包まれ、あまりの希望に顔を紅潮させる。

それは。

それはまさか、こういう事なのだろうか、と。

 

「私は……。

私は、救われるんですか?

私は、独りじゃあないんですか?」

 

 掠れた声で言いつつ、早苗は手を伸ばす。

すると権兵衛は、両手でがっしりとその手を握った。

まるで燃え盛る火炎のような、それでいて暖かな湯のような、不思議な体温が早苗の手を覆う。

 

「はい。

貴方は、もう独りではありません。

心は、常に貴方の側に」

 

 あまりに救いに満ちた言葉であった。

今度は絶望からではなく、嬉しさのあまりに、早苗の両目から涙が零れ落ちる。

残る手を伸ばし、早苗の手を包む権兵衛の手に、上から被せる。

するとより権兵衛の体温が感じられ、早苗は目を細めくした。

 

「ぜ、絶対、ですよ。

は、離そうとしたって、そうはいきませんから、ね」

 

 鼻声になりつつそう言うと、早苗はごろりと少し身を転がし、顔を権兵衛の腹に押し付けた。

両手を離し、今度は権兵衛を抱きしめる。

すぅ、と効かない鼻で権兵衛の匂いを嗅ぎながら、早苗は静かに泣き始めた。

それを慰めるように、権兵衛の手が早苗の後頭部を覆う。

絶望の中の、唯一の救い。

最早早苗にとって、権兵衛は神に等しかった。

権兵衛は早苗の全てを救っていた。

理解者の居ない孤独。

自分を偽る苦痛。

裏切られた絶望。

罪を犯してしまった罪悪。

権兵衛の存在がそれらを覆して現実は希望に満ちており、故に今や早苗は、現実を見る事が出来た。

何故なら、今は完膚なきまでに幸せなのである。

いろんな事があったけれど、今は幸せだと、そう言い切れるのである。

今までの二柱よりも尚早苗の事を理解してくれる、権兵衛と言う名の神。

その神はどんなに酷い事をしても早苗の事を受け入れてくれて、許してくれる優しさを持っていて。

私はなんて幸せなんだろう、と、生まれて初めて早苗は心の底から思った。

そう思うのが生まれて初めてだと言う事を含めても、早苗の考えは揺るがない。

目が覚めたら、と早苗は思う。

目が覚めたら、権兵衛さんの巫女になろう。

そして権兵衛さんを神として祭って、大きな神社を作ろう。

きっと神奈子様も諏訪子様も賛成してくれるに違いない。

そう思って、早苗は眠気に従い目を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 東風谷さんが泣き止み、俺に与えられた部屋の布団を被せて寝かせた後。

俺は神力の誘いに乗って、庭に出ていた。

空は雲ひとつ無い快晴で、ふと気づいたけれど、今夜は満月だった。

満月とは一月の中で狂気の度合いが最も大きい日の事である。

すると、今日一日だけで吃驚する程色々あったのは、その狂気の度合いが大きすぎるからか。

そういえば、先月だって満月の前後に宴会があったのだし、と、そんな取り留めのない事を思いつつ、俺は庭を散策する。

 

 厳かな感じのする神社であった。

日頃東風谷さんがよく整えているのだろう、神社の中の木々は神秘的な雰囲気を崩さぬように植えられており、雑草なども見る限り殆ど生えていない。

周りの妖怪の山の、何処か怪しげな様子との対比が、よりそれを思わせる。

と、そんな風にぐるりと半周回ると、縁側に一つ人影があった。

どちらだろう、と少しだけ疑問に思う。

順当に考えれば、諏訪子様である。

何せ俺をわざわざ家に残した理由はまだ聞いておらず、このままだと諏訪子様が俺を残したのは気まずい夕食を取るためだけになってしまう。

と言っても、夕食の時の様子を見るに、もしかして何も考えていなかったのでは、と思う部分もある。

さて、どちらなのやら、と近づいて見ると、満月の光に照らされ、その人は居た。

 

「やぁ、良い満月よね、権兵衛」

 

 お猪口片手に挨拶をする、紫色の髪をした、何処か蛇の皮のような光沢を思わせる輝きを瞳に秘めたその人。

神奈子様であった。

 

「はい、月が綺麗ですね」

 

 と言うと同時、神奈子様が何故か酒を吹き出しつつ飛び上がった。

徳利にお猪口が宙を舞うのを見て、慌てて魔力を使って重力を操作。

液体を零す事なく双方を掴みとり、ほっと胸をなで下ろす。

 

「あ、あの、俺何か変な事を言ったでしょうか?」

「……あー、うん、分からないんならいいんだよ」

 

 何故か凄まじい疲労の色を顔に、神奈子様は徳利とお猪口を受け取る。

一体何が悪かったのか、と首を傾げる俺に、大きな溜息を一つ、それからお猪口の上に残った酒を啜る神奈子様。

こくこく、と小さく鳴りながら、滑らかに喉が蠢く姿は、何処か扇情的だった。

ぷは、と小さな声と共にお猪口が神奈子様の唇から離れ、同時、その瞳が俺を見据える。

俺ばかり立っているのも首が疲れるだろう、と、了承を貰って俺は神奈子様の隣に座った。

 

「権兵衛、私はこんなに近くに居ながらも、どうやら早苗の事を全然分かっていなかったみたい」

 

 笑みは、自嘲的だった。

そんな事は、と反射的に言いそうになってしまうが、実際、東風谷さんが孤独を感じていたのは事実であったようなので、何も言い返せない。

 

「礼を言うよ、権兵衛。

あの子の事を分かってやってくれて、本当にありがとう」

「そんな、俺だって、東風谷さんから打ち明けてくれなければ、どうしようも無かったのに」

 

 と言うと、くすりと微笑み、神奈子様は軽く肘を俺の腹にぶつける。

唐突であったので、思わず軽くむせこみ、腹を折る俺。

 

「よせやい、こういう時の礼は素直に受け取っておくもんだよ」

「げ、げほっ、は、はい」

 

 と、何とか返す俺の背を、神奈子さまはぽんぽんと叩く。

多分軽くやっているつもりなのだろうけれど、俺が貧弱なのと、咳き込んだ直後なので、少し痛かった。

もしかしたら、東風谷さんを取られてしまったかのような感覚があり、その嫉妬が詰まっているのかもしれない。

だとしたら。

だとしたら、本当に良かった、と俺は思う。

何せ東風谷さんには俺が居る、と言ってやれはしたものの、居るのは所詮俺である、一人では少し心許なかった。

安堵の笑みを見せる俺に、神奈子様は笑みを顔から消し、満月に眼をやる。

暫しじっと月を眺めていたかと思うと、不意に俺へ視線を戻し、神奈子様は口を開いた。

 

「権兵衛、お願いがあるんだけど、聞いてはくれないか?」

「はい、何でしょうか?」

 

 と聞き返すと、神奈子様は僅かに迷った後、粛々と告げた。

 

「明日の朝一番に此処を出ていって、もう二度と此処に来ないでもらえるかい?」

 

 

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