ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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25-命蓮寺3

 

 

 夜の帳も降りた頃。

権兵衛含む命蓮寺の面々は、夕食を終えて各々の部屋で寛いでいる時間帯である。

そんな時間、シンとした寺の中を、ナズーリンは一人歩いていた。

その様子は、何処か不安気で弱々しい物である。

ふらふらとしっぽを揺らしながら暫く歩くと、ある部屋の前に辿り着き、ナズーリンは足をとめた。

すぅ、と一つ深呼吸をしてから、声をかける。

 

「権兵衛さん、今少し時間を取ってもらっていいかな?」

「あぁはい、構いませんよ、どうぞ」

 

 そう言ってのけた権兵衛に従い、ナズーリンは襖を開けて部屋に入る。

権兵衛は部屋の端で灯りを魔力で作りながら、何やら書き物をしているようだった。

怪我もそろそろ治ってきたのだろう、布団はまだ畳んだままである。

権兵衛は早速筆を置き、体ごとナズーリンの方へと向き直った。

その様子に、思わずナズーリンは目を瞬く。

 

「あぁ、何か書いていたのかい? 邪魔しちゃったかな?」

「いえ、寝ている間暇でしたのでいくつか術を考えておいたので、それを書き記しているだけでして。

もう少し推敲も必要かな、と思っていた辺りなので、むしろ調度良いぐらいですよ」

 

 そんなふうに言う権兵衛の言が本当か嘘かは知らないが、こんな所を見ると気遣いのできる男でもあるんだな、とナズーリンは思う。

そうは言っても、昼間の事を思うと感覚がぶっ飛んでいるのは間違いないだろうが。

権兵衛が立ち上がり、部屋の隅から座布団を持ってきて置いたので、ナズーリンはそれに従いスカートを抑えながら座る。

背筋を伸ばして権兵衛を見据え、口を開いた。

 

「まずは権兵衛さん、昼間はありがとう」

 

 と、頭を下げるナズーリンに、一瞬困ったような笑顔を浮かべてから、権兵衛は頷いた。

 

「はい、どういたしまして。

しかし、結果的に上手い形に収まったようなので、気にすることは無いかと」

 

 と言ってから、権兵衛は簡潔に昼間の事を話す。

どうやら聖は権兵衛に劣等感を覚えていたようだった事、ナズーリンの言がそれを刺激してしまった事、そんな聖に自信を取り戻させる事に成功した事などを、必要最小限に纏めて話した。

ナズーリンはそれを難しい顔で聞きつつも、最後には納得がいったと言う顔で頷く。

 

「そうか、確かにそれでも私の言動に聖があんなに怒ったのも、分からないでもない」

 

 ナズーリンは静かに言った。

少しほっと溜息をつき、安堵の表情を見せる。

そんなナズーリンを訝しげな表情で、権兵衛が見据えた。

 

「差出ましい事かもしれませんが。

それでも、と言う事は、他に心当たりがあると言う事なのですか?」

 

 首を傾げる権兵衛に、ぴくん、とナズーリンは肩を揺らし、表情を固めた。

暫し、沈黙が間に横たわる。

畳に視線をやったまま、ナズーリンは意を突かれた事による動揺をどうにか抑えようとした。

深く息を吸い、心臓の鼓動を止めようと胸を上から手で握るようにする。

発汗が続くのを空いた手で拭いさり、深く息を吐いた。

人心地ついたナズーリンが、口を開く。

 

「確かに、そう、かな」

 

 そう告げるナズーリンに、心配そうな表情で権兵衛が身を乗り出し、告げた。

 

「もし、俺如きでよければ相談に乗りますが、どうでしょうか」

「………………」

 

 ナズーリンは、静かに権兵衛の顔を見据える。

これで僅かでも好奇心が現れでもしていたら断るつもりだったのだが、こうまで純粋に心配しているようにしか見えない顔だと、断る理由が無くなるどころか、相談しない理由が無くなるような気さえした。

それは、まるで引力に似ている、とナズーリンは思う。

権兵衛を中心に、誰しもがその心を惹きつけられるように感じているのだ。

一歩寺の面々から引いた位置を保っているナズーリンだからこそ、その様子は分かった。

権兵衛に懐くムラサ。

何かと権兵衛にちょっかいを出すぬえ。

星はすぐに寺を出てしまったので分からないが、権兵衛にシンパシーを感じていたようだし、聖は権兵衛に救われたような身でもある。

誰もが権兵衛に惹きつけられていた。

そしてそれは、自分もそうなのだろう、とナズーリンは思う。

何せ今まで仕舞ってきた心配事を、今になって権兵衛に相談する気になっているのだから。

 

「なんて言うのかな。

私、寺の中でもちょっと浮いているんだよね」

 

 予想通りあっさりと権兵衛に相談し始める自分に、自分が尻軽なような気がして、ナズーリンは少し気が引けた。

それでも一度口を開いてしまえば、まるで堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 

「皆人妖平等って言うんだけれど、私はもっと現実的でね。

本来の力関係について、妖怪は人間より下に居る。

何故なら、妖怪とは人間の恐怖から生まれる物だからだ。

対して人間は、妖怪が居なくてもなんら困る事は無い。

元々不平等なそれを平等にするのには、妖怪側に過度に力を入れなければならないんだ。

しかし力加減を間違えば、今度は妖怪が人間を虐げ、自分たちの力の源ごと無くしてしまうだろう。

そんな中で、この幻想郷は充分過ぎるほどに奇跡的なバランスを保っている。

これをそれ以上に絶妙なバランスにするのは、不可能と言って良いだろう」

 

 一旦ナズーリンが言葉を区切ると、権兵衛は思い当たる事があるようで、事々に頷いていた。

理解が追いついているのを確認し、ナズーリンは続ける。

 

「だから結局、人妖平等を掲げた所で、出来るのは妖怪の相談にのる事ぐらい。

大々的な改革なんてできはしない。

どころか、私はその妖怪の相談にのる事すらも、必要ないんじゃないか、と思っている。

だって、態々その妖怪が話しづらい事を話してきて、その内容を解決して、それで出来る事なんてたかが妖怪一人が健常に生きられるようになるだけだ。

こっちはたったそれだけに粉骨砕身しているっていうのに、結果がそれだけなんて、やってられないじゃないか。

正直ね、ついて行けないんだよ、皆に」

 

 なげやりに言うナズーリンに、権兵衛は困ったような笑顔を作るのみである。

何せ権兵衛と言えば、聖が嫉妬する程に人妖を差別せず扱っていると言うのだ、こんな事を言われても反応に困るだろう。

なのにナズーリンが話してしまうのは、権兵衛の引力が余程強いか、それとも聖に怒鳴られた事が思ったより堪えていたのかもしれない。

 

「それに、元々私は私的な理由から聖の元に身を置いたんじゃない、公的な、星が毘沙門天の弟子として相応しい働きができるかどうか、見張る為に来たんだしね」

「えっ、そうだったのですかっ」

 

 と目を見開く権兵衛がそうする通り、星とナズーリンの上下関係は強い結びつきがあると皆に思われており、この事を知ると皆驚く物であった。

なので権兵衛もそうするのはおかしくないと思いつつも、予想通りの反応しか返してくれない権兵衛に、不思議とナズーリンは苛立ちを覚える。

 

「そうさ。

そんな事があるから私だけ皆と違うのは、仕方ない事なんだろうけれどね。

だから私が怒鳴られた時、もしかして、私だから怒鳴られたんじゃあ、なんて、聖に失礼な事考えちゃってね……」

 

 実際、聖に平手打ちされかけた所を権兵衛に庇われた後、ナズーリンは自室に戻って呆然とそんな事を考えていた。

 

「ふふ、こんな事言っても、愚痴にしかならないんだけどね。

それに、ああいう黒い冗談を言うのも、命蓮寺の中じゃあ私だけ。

部下のねずみがとは言え、食人を行う妖怪も命蓮寺の中じゃあ私だけ。

皮肉だって、私ぐらいしか使いはしないし、それだって命蓮寺の中じゃあ通じない事すらある。

それに……」

 

 と、そこでぐっ、と権兵衛が身を乗り出す。

続きを言おうとするナズーリンの手を、手で確りと握りしめる。

何とも暖かな体温で、どくん、と心臓が脈打つのをナズーリンは感じた。

咄嗟に権兵衛を見やるが、変わらず優しげな笑顔をしているだけである。

ナズーリンは困惑し、口を開いた。

 

「っていや、この手はなんなのさ」

「えっと、震えてらしたので、その、咄嗟に」

 

 と言われて始めて、ナズーリンは自身が震えていた事に気づいた。

自覚すると震えは強まり、思わず自身を抱きしめるようにしてしまう。

そんなナズーリンを見かねたのだろう、権兵衛は手を握りしめるのを辞め、座布団ごとナズーリンに近寄る。

 

「失礼します」

 

 と言うと、ナズーリンの体を抱きしめたのであった。

反射的に退けようとするものの、体に力が入らない。

自然ナズーリンは権兵衛に抱きしめられる事になるが、抵抗は始めのうちだけだった。

なんというか、非常に気持ちいいのだ。

まるで太陽のように、全身がぽかぽかと暖かくなる体温だった。

こんなの自分らしくない、と冷静な自分を取り戻そうとするが、卑劣にも権兵衛の体温はそんな事を忘れさせてしまうぐらいに心地良い。

自然、ナズーリンは権兵衛に体を許す事になる。

権兵衛とナズーリンが、互いの顎を互いのうなじに載せる。

血流が脈打つのが聞こえ、ナズーリンは思わず顔を赤くしながら、権兵衛の力強い抱擁に身を任せた。

 

「ん………………」

 

 ナズーリンは、目を細めながら、自身の体を権兵衛の体に擦り付けるようにする。

人肌に温まっているのは権兵衛も同じなのだろう、その肌はうっすらと汗が浮かんでいて、その匂いが嗅ぎとれた。

顎先を動かして汗の粒に触れ、それを感じながら、暫くの間ナズーリンは権兵衛に抱きしめられたままでいる。

 

「もう、大丈夫だよ」

 

 そうナズーリンが言ったのは、だいぶ時間が経ってからの事だった。

ナズーリンは権兵衛が離れていくのを見送り、権兵衛もまた体を元の位置に戻した。

思わず名残惜しそうに手を伸ばしてしまうのを、ナズーリンは鉄の意志で止めておく。

それでも、態々座布団を離す事は無いと思ったのだろう、近い距離なままなのに、僅かにナズーリンの心臓が脈打った。

 

「ごめん、やっぱり手を握っているだけでも、してもらえないかな」

「はい、勿論」

 

 言ってから、誰だこいつ、とナズーリンは恥ずかしさに身悶えしたい衝動に襲われた。

込み上げてくる衝動に、今すぐこの場でごろごろと転がって発散したいぐらいである。

しかし、それよりも権兵衛は手を伸ばし、ナズーリンの左手を握る方が先であった。

権兵衛の手に指を絡め、また絡められもする。

恥ずかしさと安堵が入り交じり、よく分からない衝動にナズーリンは駆られる。

なんで私は、こんな可愛らしい乙女のような仕草をしているんだ。

私はもっと冷静で、皮肉屋な女ではないか。

そう考えても、権兵衛の手の温度が侵食してきて、そんな考えを打ち払ってしまう。

なら、それはそれで仕方あるまい。

暫く身悶えしてからそうやってどうにか割り切り、ナズーリンは何時ものにやにや笑いを顔に浮かべ、口を開いた。

 

「さて、いきなり女性にハグをするとは君、中々のプレイボーイじゃないか」

「うっ……。いやでも、ナズーリンさんも、手を握られながら言う台詞じゃないじゃないですか」

「うっ……」

 

 お互いにダメージを受けながらも、手を離す事は無い。

それから何とも無しにお互い気恥ずかしい気分になりつつ、じっと手を握り合うだけの時間が過ぎる。

暫くして、権兵衛が口を開いた。

 

「その、俺でよければ、愚痴などいくらでも聞きますし、胸もいくらでも貸します。

ですから、その、ナズーリンさん、自分がたった一人だなんて、思わないでください」

 

 その言葉は、不思議とよく響き、ナズーリンに素直な口を聞かせた。

 

「うん……」

 

 と言ってしまってから、幼い返しをしてしまった事に気づき、こんなのキャラじゃあない、とナズーリンは顔を赤くし俯く。

しかし、そうすると視界に入ってくるのは、権兵衛の両手である。

一瞬振り払う事も考えたが、権兵衛の体温が感じられるのが未だに嬉しく、ナズーリンはそれを手放せない。

それがまた、親の手を離そうとしない子供のように思え、ナズーリンは耳まで赤くする。

それを誤魔化そうと、ナズーリンは少し前傾を強くし、手に顔を近づけた。

 

 いい匂いだな、とナズーリンは思う。

怪我が僅かに治りきっていない事から血の匂いが僅かに混じった、汗の匂いがする。

それが権兵衛の匂いだと思うと、不思議と心地良い。

ナズーリンは吸い寄せられるように権兵衛の手へと顔を寄せ、頬を摺りつけた。

びくん、と権兵衛が思わず動いてしまうのを感じる。

からかおうにも真面目で斜め上に反応する権兵衛が、始めてナズーリンの思うとおりに反応したのである。

それがどうにも面白くて、ナズーリンはなんだか嬉しくなってしまい、口角を上げた。

そして同時に、舐めてみたらどうだろう、と好奇心が疼く。

ナズーリンはそれに従い、権兵衛の肌に一瞬だけ舌を這わせた。

 

「ひゃっ!?」

 

 驚いたようで、変な声を上げながら、飛び上がりそうになってしまう権兵衛。

驚いて目を白黒させている権兵衛に、くす、と微笑みながらナズーリンは再び頬を擦り付ける。

ナズーリンが権兵衛を驚かそうとやったのが分かったのか、権兵衛は困り顔のまま黙りこむ。

別に不機嫌になったのではなく、単にどう反応すればいいのか分からないのだろう。

 

 それにしても、とナズーリンは思う。

下に残る、少しだけ塩っぱい権兵衛の指の味は、痺れるように美味かった。

あまり何度もやると慣れられて驚かれなくなってしまうと分かっていたが、それでも我慢しきれず、ナズーリンはもう一度ちろりと権兵衛の指を舐める。

 

「っ!?」

 

 権兵衛は今度こそ、何とか声を上げずに息を飲むだけで済ませた。

少しだけそれが不満だったナズーリンだが、また権兵衛の指の味を味わえたので、基本的に満足である。

ゴムのような弾力ある触感を返す権兵衛の指は、どうしてか、ナズーリンの心を強く惹きつけた。

他のどの部位でもなく、指が、である。

どうしても気になるので、ナズーリンは権兵衛の右手の人差し指に、唇を這わせる。

ぷっくりとしたナズーリンの唇が潰れ、権兵衛の指をなぞるように形を変えていく。

そして爪に辿り着き、先端へとたどり着いた時、ナズーリンは舌を使って権兵衛の指を少し持ち上げた。

抵抗なく動く権兵衛の指は、ナズーリンの誘導通りに動き、ナズーリンの口内へと入ってゆく。

ちゅぽ、と涎が淫靡な音を響かせ、ナズーリンは権兵衛の指をくわえた。

 

「き、汚いですよ、ナズーリンさん……」

 

 権兵衛が何か言っているが、無視。

舌で権兵衛の指を転がすように舐めつつ、唇は強く権兵衛の指へ押し付けるようにしてくわえる。

ずずず、とナズーリンは権兵衛の指を深くまで口内に入れた。

じゅぷじゅぷ、と妖艶な音を立てつつ、桜色の唇が権兵衛の指を飲み込んでゆく。

暫くは深くまで飲み込む事で満足していたナズーリンであるが、次第に変化の無さに不満を感じるようになる。

そうしてナズーリンは、ゆっくりと権兵衛の指から唇を引くようにした。

権兵衛から安堵の気配が漏れ出し、ついには爪の辺りまでナズーリンが飲み込んでいる面積が少なくなる。

が、突然ナズーリンは一気に権兵衛の人差し指を、限界近くまで飲み込んだ。

権兵衛が飛び上がりそうなぐらい驚く気配に、くすりと内心ナズーリンは微笑む。

 

 そのままナズーリンは、頭ごと前後させたり、頭を捻ったりしながら、様々な位置角度から権兵衛の指を舐め続けた。

そうやって右の指五本を舐め続ける頃には、深夜に達していた。

それでも権兵衛の指を舐めるのは飽きる事のない事柄で、権兵衛が眠そうにうつらうつらとし始めなければ、何時まででも続けられただろう。

次は、足の指を舐めるのもいいかもしれない。

そんなふうに思いながら、ナズーリンは期待に胸踊らせながら自室へ戻り眠る事にするのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 満点の夜空、それを覆う不気味に婉曲して見える木々の中、星は落ち葉を踏みながら先へと進む。

星は、夜中ながらも地面を歩いて地獄を目指していた。

知己である夜摩天、閻魔である四季映姫の元を尋ねる為である。

重ねて言えば、閻魔の持つ浄玻璃の鏡によって権兵衛の能力を確認し、彼が無意識に聖を害していなかったか調べるためだった。

 

 それには当然何の制約もつかない訳ではない。

星と言えば神である。

神は空に浮いているだけで人間に反応が見受けられるぐらい、目立つ物である。

何故なら神とは信仰心を糧にして生きる生き物であり、目立たない事では信仰心を得られないからだ。

なので大小の差はあれど神は目立つし、毘沙門天と言う有名所の弟子である星は尚更である。

そして今の時期、権兵衛を探す里人は殺気立っていて、それ一つを理由に寺へやってきそうな物だ。

勿論星が何やら事を起こしていたと言って、それが権兵衛に結びつく訳では無い。

が、それでも僅かな理由さえあればそこへ飛び込んでいきそうなぐらいに里人は敏感になっていた。

まるで麻薬を求める患者のような、悲痛さを感じさせる動きで里中を歩きまわる里人を見て、星はそう判断した。

故に星は、地面を歩いて行く事によってそれを解決する事にする。

勿論少しは人の目に触れるだろうが、空を飛ぶ程では無いだろう。

もっともそれには時間がかかると言う欠点があり、その間に聖が体調を余計に崩しはしないか、と言う心配もあるが。

 

 そもそも行かなければいいのでは、と言う考えが星に無いと言えば、嘘になる。

行かずにただただ権兵衛を追いやれば、寺は安泰なのである。

なのに態々リスクを犯してまで権兵衛の能力を調べるのは何故なのか。

うぅん、と悩みながら星は首を傾げる。

両手は前へかざされており、それによって木々の枝は不思議と星を避けるように曲がっていった。

それはさながら枝で出来たトンネルのようで、前が閉じたままである事だけがそれを違う。

実を言うと、里から続くこのトンネルによって星が目立たないと言う事はとても達成出来ていないのだが、本人は全くそれに気づいていなかった。

 

 矢張り、聖の為だろうか、とまず星は思う。

聖の為と言って、聖の助けだした人間を追い出すようでは、聖の意思に反する行為である。

どころか、聖なら自分があの体調のまま権兵衛を寺に置いて済ませようとするかもしれない。

ならば当然、星が権兵衛の能力を確認しにいくのは道理である。

道理ではあるのだが。

 

「……違う、気がするなぁ」

 

 もっと正確に言うと、それだけではない、と言う感覚である。

星は反対側に首を傾げつつ、思案した。

では、権兵衛の為なのか。

権兵衛にとって、自分の能力を知って安心し、もしくは危険を知り自分の居ていい場所を悟るのは当然に良い事である。

これが無神経な人間であればともかく、自分が誰かを害する事を悲しむ権兵衛なら、そうなる。

ならば当然、星が権兵衛の能力を確認しにいくのは道理である。

 

 が、これもまた違うように星には思えた。

確かに権兵衛は好ましいのだが、会って丸一日と経たない男に対する好感度としては、そこまで行く筈もあるまい。

第一、権兵衛の事を思った所で、星の心臓は微塵も揺るがない。

ちょっとばかり動悸が速くなったりするような気がするし、頬の紅潮しているような気がするが、それも木々の影に隠されよく分からないので、星は全く赤面していないのだ。

そう思いつつも、息が荒くなってきて、立ち止まる星。

同時にトンネルを編む木々の枝も、動きを止める。

星は伸びをするように両手を伸ばしながら息を吸い、吐くと同時に肺の膨らみと反比例して腕を降ろした。

深呼吸をしているが、これは単に森の空気を一杯に吸いたいだけなのだし、この寒い中パタパタと首もとから風を送っているのも、歩くついでに自分に軽い荒行を施しているだけなのだ。

そう言い訳しつつ、星は再び歩み始める、その寸前であった。

 

「あら、こんばんは」

 

 その女は、気づけばそこに居た。

木々のトンネルと化していない前方の枝に腰掛けるようにするその少女は、星から見ても不可思議な程に美人であった。

西洋風の彫りの深い顔立ちに、紫水晶の瞳に黄金の纏められた髪。

服は洋服に中華の色を混ぜたかのような感じで、ゆったりとした白いワンピースの上に、薄紫の貫頭衣を重ね、それを腰や二の腕で赤い紐でくくっている。

目は暗く、こんな深遠に石を落としても、音などしないのだろうな、と星は思う。

八雲紫であった。

あまりに胡散臭い登場だったが、それでも礼を失する訳にはいかないと、星は返事をする。

 

「こ、こんばんは」

「なんで此処に居るのか気になるでしょうけれど、まぁ、これは私よりも頭が春な女の為でもあってね。

いえ、それによって私に益が無い訳じゃあないから、勿論これがあの子の利益にならないとしてもこれをやる事は確かなんだけれども。

まぁつまり、何にせよ、私は絶対に此処に登場する運命なのよ。

運命、そう、運命。

予め全てが定まっていると言う幻想、ラプラスの悪魔は、不確定性原理によって敗北した。

それからの悪魔は、一体どうしたのかしら。

現実に敗北しながらも書物上の存在となりつつ生きている?

それとも、幼く愚かな子供達の想像上の生き物として生きている?

それとも……幻想入りしているのかしら。

もしもそうなら、この幻想郷では運命と言う物があるのかもしれない。

吸血鬼の小娘が言うように、運命がね」

「はぁ……」

 

 ぽかん、と口を開けながら星は少女を見やる。

何とも口の多い紫は、見目の年齢すらよく分からず、星より年上にも年下にも見えた。

そう、年上と年下の隙間が安定していないような感じなのである。

そんな星の考えをどう思ったのか、紫は閉じた口をすぐに開く。

 

「だから、これは運命によるお節介かもしれない。

なのでお礼はいらないわ。

別に運命で定まっているからお礼が要らないって訳じゃなあいわ、だってそうだったらこの世からお礼さえも幻想となってしまうもの。

ただ、私がこうする理由があってしている、とだけ思って貰えれば、それでいいのよ。

別にそれには必要が無いんだけれど、それでも私は必要でない事も多くする事にしている。

必要さに縛られると、必要さの境界が強固になり、多くの物を閉めだしてしまう。

その隙間に存在する物は、妖怪の生きる糧である精神的な質量であると言うのに。

それが分からない妖怪は沢山居たけど、みんな死んで消えていったわ。

だから私はそれから学び、不必要をもこなす。

そんな訳で、礼はいらないわ」

 

 と、そこまで話した所で、紫は宙に手をやった。

長い話に辟易としていた星は、その動きに目を見張る。

空間に裂け目が走った。

ぴょこん、と飛び出たリボンが裂け目の両端をむすび、間はゆっくりと口を広げていく。

中は暗い暗い空間で、一切の光が無い世界に、無数の目が浮かんでいた。

ぞ、と背筋を走る悪寒に星が半歩下がると同時、その光景は変化。

波打つように映像がフェードインしてきた。

映像はどうやら大きな建築物ようで、何処か見覚えがあるな、と思いつつ星が見ていると、それは閻魔の裁判所の外観と一致していた。

思わず、星は紫を見やる。

にこりと、胡散臭い笑みで紫は笑った。

 

「あの方の所へ、近道は如何ですか?」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 と、思わず礼を言ってしまってから、しまった、と自省する星。

ちらりと視線をやると、紫は少し不機嫌そうな顔をしている。

いくらか釈明をしようとも思ったのだが、紫の機嫌を直すような台詞が思いつかず、また時間を節約させてもらったのに、その時間を浪費すると言うのも如何にも無駄遣いであった。

故に星は、小さな声ですいません、と謝ってから急ぎスキマを潜る事になる。

星が地獄についたのを確かめた後、紫は空間からスキマを消し去り、ふぅ、と小さく溜息をついた。

空を見やり、木々の間で輝く少し欠けた満月へと視線をやる。

 

「これで時間稼ぎは上々、そろそろ仕上げに入る時間ね」

 

 呟いてから、ふと何かに気づいたように紫は目をぱちくりとして、それから自分の頬をつまむ。

小さく目尻に涙が浮かぶぐらいの痛みで数秒、それで紫は両手を離した。

 

「あー、痛かった。

全くもう、よく喋る口なんだから」

 

 両手で両側の頬をさすりつつ、紫は再び空間にスキマを開き、そこへ消えてゆく。

後に残ったスキマもやがて閉じ、木々のトンネルはそこで謎の終点を迎える事になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「七篠権兵衛、ですか」

 

 四季映姫・ヤマザナドゥが言うのに、星は困惑した。

何せ星は、まだ権兵衛と言う言葉を一言も口にしていないのである。

どうしたものだろうか、と内心首を傾げつつ、頷く。

 

 地獄に来てから流石にすぐには映姫の元へ通されなかった星であるが、小一時間程待ったところで映姫がやってきたのだ。

待合室に指定された部屋は足元まである大きな窓がある部屋で、外には中庭で休憩している死神達が見えた。

となると、目立つ星である、何をしにきたのだろう、とこそこそ話をされてしまう。

互いに肩を寄せ合い、掌で口を覆い、死神たちが噂するのに、居心地悪く星は待っていた。

ふと、あまりの忙しさに居心地悪い部屋で待たせてなるべく二度と来ないでもらおう、と言う意図があったのだろうか、と思ったが、星はすぐにそれを笑い飛ばし、開き直って堂々と待つ事にした。

朝、権兵衛にした説教が耳に残っていたのもあるだろう。

と言っても、今度はただ待っているだけだと言うのにピンと背を胸を張っているその姿は、それはそれで死神たちの間で珍妙に語られるのだが。

 

「はい。先日命蓮寺として助けたのですが、彼は妙な能力を持っているらしく。

“名前が亡い程度の能力”、と言いましたか。

何でも神の天敵たる能力なのだそうですけれど、幸い私には影響が少なく。

ただ、代わりに何の影響も無い筈の聖が体調を崩したので、権兵衛さんが他に能力を持っていないかどうか聞いてみようかと」

 

 映姫はさぞかし忙しいだろうに、ゆったりとした、実に堂々とした態度で現れた。

その手には、星の期待通り浄玻璃の鏡があった。

きっと今此処で権兵衛の事を見てくれるのだろう、と期待した所、第一声が権兵衛の名である。

ひょっとして、来る前に星の事を浄玻璃の鏡で見てきたのだろうか。

神が同じ神を裁くとは思えず、裁くと言う名目無しに浄玻璃の鏡を覗いていいのか分からないが、星は神になった妖怪である。

そのへんは何とかなるのだろう、と納得する。

 

 映姫は、浄玻璃の鏡を掲げた。

大きめの手鏡のようなそれは、至る所に装飾が施されており、重要な役目を持つ物なのだと示されている。

ぼう、と鏡面が光を発し、映姫の顔を青く染めた。

権兵衛の人生を覗いているのだ、と緊張しながら星は生唾を飲み込む。

 

 暫くして、映姫が一切表情を変えること無く光は止んだ。

映姫がゆっくりと浄玻璃の鏡を下ろし、鏡面を下にして膝に置く。

それから、痛ましげな表情で星の方へ向いた。

 

「実を言えば。私は、これまで何度か七篠権兵衛の事を浄玻璃の鏡で覗いてきました」

「え?」

 

 思わず、星は驚愕の声を漏らす。

神としても、毘沙門天と同格の映姫と、その弟子相当である星とでは格が違う。

それ程までに高い神格を持つ映姫が、私事でただ一人の人間を浄玻璃の鏡で、それも何度も覗いた?

ありえない、と反射的に星は思ってしまったが、しかし現実として映姫が言うのはそういうことだった。

 

「そして覗く度に、彼の力が無くなっていればいい、と、そう願いながら覗いていました。

彼は、あまりにも哀れすぎる。

あまりにも、救われなさすぎる。

私は数えきれない程の魂を裁いてきましたが、これほどまでに不幸を約束された魂も珍しい」

「……不幸、ですか」

 

 想像していたのとは全く違った展開に、混乱しつつも何とかついていこうと、星は呟く。

不幸。

確かに権兵衛は不幸な人間だろうが、それは他の人妖なら兎も角、閻魔にとっては見慣れた不幸さの程度ではあるまいか?

少しだけ、星は不安になってきた。

別に星は権兵衛に不幸になって欲しい訳では無いのである。

はるばる閻魔の所まで行ってきて、権兵衛には何の心配もなく、良かったと済ますつもりだったのだ。

それが今、映姫の口から物騒な言葉が口にされている。

どういうことだ、と混乱する星を置き去りに、映姫は語る。

 

「しかも彼は、名亡しの人間。

死んだ所で果たして神の力無しに魂は地獄へ来れるのか、来ても私の裁きが通用するのかもわかりません。

そしてならば、せめて私が説教してさしあげようと、そう考えた事も幾度もありました。

しかし、彼には“名前の亡い程度の能力”がある。

神としての力は彼に及ばず、しかし力の大きさ故に彼の力に捕まってしまえば、最早私は彼の魅力に取り憑かれて、離れる事もできなくなるでしょう。

何故かは……少し、説明の必要がありそうですね」

「は、はい」

 

 頷く星を満足気に見つつ、映姫は一つ頷く。

 

「本当は貴方に説教の一つでもあげたかったのだけれども、時間がないようなので、説明を始めましょう。

七篠権兵衛は、“名前の亡い程度の能力”を持っています。

故にまず、彼は名前を亡かったが故に、その年齢に比さず、少ない穢れしか持っていません。

そして月の魔法は、穢れ無き者だけに覚えられる力。

それ故に権兵衛は、“月の魔法を扱う程度の能力”を得ました。

しかし、順番としては前後しますが、“名前の亡い程度の能力”の効力はそれだけではありません。

名前が亡いと言う事は、名前の真空であると言う事です。

空気中に真空があれば、どうなることでしょうか?

そこに引力が発生すると言う事です。

名前と言う、精神的な物を惹きつける強い引力。

それがやがて能力と化し、彼の“重力を操る程度の能力”と化しました」

「“重力を操る程度の能力”……」

「最も、自覚も制御も未熟で、幸か不幸か扱いきれていないようですが」

 

 それがどうしたのだろう、と星は首を傾げた。

確かに“重力を操る程度の能力”は聞くに凄そうな能力だが、それが何故映姫が権兵衛に説教に行けない原因になるのか。

納得行かない様子の星に、映姫は再び口を開く。

 

「彼の能力の言う重力とは、物質的な物だけではありません。

精神的質量をも惹きつける事ができるのです。

興味は好意に、好意は友情に、友情は愛情に、そして穢れなきあの狂った月に似ている彼であるが故に、愛情は狂愛に。

誰もが彼に強烈な感情を抱くのは、その能力の為なのです」

「……じゃ、じゃあ、私が彼に感じている感情も!」

 

 一旦溜めを作ってから、ゆっくりと、しかし確実に映姫は頷いた。

 

「はい。恐らく貴方の権兵衛さんへの感情の幾割かは、その能力によるものです」

「そんなっ! 人の好意を増幅する力だなんて、卑劣では無いですかっ!」

 

 思わず立ち上がり、叫ぶ星に、映姫は少し目を細めてじっと見つめる。

 

「卑怯……本当に卑怯ですっ!

私だけじゃない、ムラサも権兵衛に懐いているようだったし、ナズーリンも期待が持てそうとか言っていたし、ぬえだって悪戯をしかけていたけど、構って欲しそうで。

なのに。

なのにそれは、全て権兵衛さんの能力による物だと言うのですかっ!」

「それに、何の問題がありましょう」

 

 叫ぶ星の言葉を、映姫が一刀両断した。

絶句し、全身の力が抜けて、椅子に座り込んでしまう星。

その星を追い打つように、映姫が言う。

 

「私達の言ういわゆる能力は、その人妖の本質を表した物です。

その本質を行う事に、一体何の罪がありましょうか。

例えば“人間を驚かす程度の能力”を持ったからかさお化けが、人間を驚かせたとして、それは卑劣な罪のある行為なのでしょうか。

いいえ、無い、ありはしない。

勿論その度合や頻度を間違えてしまえば罪ともなりえますけれども、権兵衛の場合、彼はその能力を自覚すらしていない。

勿論無知は罪ですが、知った所で彼には“重力を操る程度の能力”を完全には支配できないでしょう。

それも努力や才能の不足ではなく、根源的な意味でそうなのです。

それを思えば、とても人を惹きつける事で彼を罰する事はできない」

「………………」

 

 星は、混乱した頭の中でぐるぐると思考を回転させた。

権兵衛に対して皆好意を持っているけれどそれは全部権兵衛の能力による物。

でもだからといってそれは不正な行為と言う訳ではなく、権兵衛を権兵衛たらしめている力の一部分による物であって。

ならば権兵衛は悪くないのか、と思うとなんだかそのように思えてくる。

しかし今度はぞっと星の背筋を悪寒が走り、権兵衛が悪くないと思うその事自体が権兵衛の能力による物なのでは、とも思えてきた。

どうすればいいんだろう。

なんて伝えればいいんだろう。

権兵衛を好ましいと思っていた筈が、その土台から崩れていって。

そんな風にぐるぐると思考を回す星を尻目に、映姫が口を開く。

 

「そう、彼を罰する事ができる部分は、そこでは無い。

彼の持つ四つ目の、最後の能力に関してです」

「よ、四つ目ですか?」

 

 権兵衛の持つ第三の能力までで既に混乱していた星は、思わず悲鳴を上げてしまう。

しかしそれを無視し、映姫は続けた。

 

「そう、彼の最後にして最悪の能力。

いくら精神的質量を吸引しても、権兵衛の名前の真空は収まらない。

そうなると、権兵衛はあらゆる精神的質量を引き寄せ、その中心の完全な真空に溶かし消してしまう事になる。

そして、その能力は……」

 

 映姫は、権兵衛の持つ四つ目の能力を告げた。

星は呆然と口を開き、その能力の名を反復する。

 

「そんな、彼にそんな忌まわしい能力が備わっているだなんてっ!?」

「過去の事例を全てお話しましょう。

それで貴方にもこの事が理解できる筈です」

 

 そう言って映姫は、浄玻璃の鏡から得たのであろう情報を喋る。

里と慧音との関係。

白玉楼の主従との関係。

永遠亭の四人との関係。

四季の花の主人との関係。

不死人との関係。

紅魔の主従との関係。

太古の鬼との関係。

最速の天狗との関係。

人形師との関係。

古き神と現人神との関係。

人里との関係。

全てが権兵衛の能力を真実なのだ、と示していた。

 

 あまりの事実に、星は震え上がった。

そんなにも救われない能力が、この世に存在していていいのだろうか、と戦慄すらもする。

そして何より、だからといって権兵衛にどう接すればいいのかが分からないのが最大の問題だった。

どうすればいいのか全く分からず、かといってこれ以上映姫に聞く事も何も無い。

映姫に急かされた事もあって、星は呆然としたまま地獄を去る事になる。

星が部屋を出ていくと同時、映姫は誰もいない部屋をぐるりと一瞥し、口を開いた。

 

「全ては貴方の手の中か。

ただ、それは貴方にとって扱いきれる事なのかしら?

私も、それを期待する事しかできないし、それ以上の解決案も見つからないのだけれども、ね」

 

 声は誰もいない部屋に響き、反響し、やがて聞こえない程の小さい音量となっていき、ついには消え去った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「大変だよっ! 里の方へ行ってみたら、星が寺を離れたのを見た人が居て、それで命蓮寺が怪しいんじゃって言う話になっててっ!」

 

 朝一番に聞いた台詞は、衝撃的な物だった。

肩を荒く上下させつつ言うぬえさんは、この冬に額に玉の汗を浮かべる程に焦っている。

一瞬それを飲み込めなかった俺であるが、他の面々も同様にそれを理解し始め、顔色を悪くし始めた。

 

 朝。

朝食前に聖さんからの誘いがあり、居間に集まって小さな茶会をしよう、と言う提案があり、それに俺が乗ったのが始まりである。

すると次々とムラサさんとナズーリンさんが現れて聖さんに参加の了解を求め、得た。

ぬえさんは柱に寄りかかって行く先の道に、柱に寄りかかって登場し、いいから通りなよ、と何度も言う。

仕方なしにそれに従い通ろうとすると、俺は足元にピンと伸ばしたぬえさんの足を引っ掛けられ、ビタン、とその場でずっこけてしまった。

これに聖さんが怒り心頭で、ぬえさんは急いで逃げ出したものなのだが。

 

 その後ぬえさんは、やることもなく、里の様子を見に行ったらしい。

すると里中が殺気立っており、全員角材だの包丁だの何かしらの武器をこれ見よがしに持ち歩きながら、互いを監視するようにしていたそうだ。

異常を感じ取ったぬえさんは、正体不明となり里中から情報収集したのだと言う。

その内容が冒頭の台詞になるのだが。

 

「その、ごめんなさい、そうしているうちに、なんでか勘の鋭い里人が誰か正体不明の人妖に聞き回られているって気づいちゃって。

私の“正体を判らなくする程度の能力”は効いていた筈で、私の正体が勘ぐられる事なんてある筈無かったのに……。

兎も角、そうなれば命蓮寺が怪しいって言うのは決定的になっちゃって」

 

 と言うぬえさんは普段人間相手に姿を現さないそうだが、その存在自体が隠していないのだと言う。

何でも、人間が想像する正体不明が、更なる正体不明を呼ぶ、とか何とか。

閑話休題、そうなれば命蓮寺は危うい事になる。

何時ぞやの自宅のように、いきなり壊しには来ないだろうが、冷静さを失っていれば、詰問に来るぐらいはするかもしれない。

全員顔色を悪くし、特に聖さんなど今にも卒倒しそうなぐらいの顔である。

どうにか、どうにかせねば。

そんな風にしていても考えが思い浮かばないのだろう、苛々と小刻みに指や足を動かしていた聖さんが、思わずと言った風に口を開く。

 

「全く、ごめんでは済まない事ですよ。

本当に、なんでよりにもよって人里に近づくなんてしたんですかっ」

「ご、ごめんなさい、能力があるから大丈夫だと思ってて、それに今までも何時も気づかれずに済んだのに、今回だけなんだよ……」

「言い訳はいいですから、どうすべきか考えてくださいっ」

「は、はいっ!」

 

 ぴしゃりと言う聖さんに、涙目になりつつ答えるぬえさん。

それを見守るムラサさんやナズーリンさんの視線も、冷ややかな物だった。

そんな光景を見て、俺はあれ、おかしいぞ、と思う。

命蓮寺の面々は俺が今まで見てきた他の場所と比し、どちらかと言えば仲のよい世帯のようだった。

和を以て貴しと為す、そんな空気があり、みんな仲良く和やかな人々であった。

だのに今の、この光景はどうか。

ぬえさんは申し訳なさそうにうなだれ、聖さんは苛立ち、ムラサさんはちらちらと俺に視線をやっているだけで、ナズーリンさんは真剣に考え込んでいるようであるが、ぬえさんを気遣う様子は無い。

なんとも冷たい、刺すような空気が漂っている。

 

 これは一体誰の所為なのかと言えば。

それは矢張り、俺の所為なのであった。

俺のような厄介者を命蓮寺が背負い込んだから、こんな事になっているのだ。

それも物理的にばかりではなく、精神的にもこんなにも彼女らの心をかき乱して。

となると矢張り、そうするしかあるまい、と俺は心に誓う。

面を上げ、全員の顔を見回した。

 

「皆さん。矢張り此処は、俺が此処を離れようかと思います」

 

 息を飲む声が、三つ聞こえた。

聖さんもナズーリンさんもぬえさんも蒼白な顔で、ムラサさんも辛うじて顔に生気は残しているものの、顔が強ばっている。

しかし余裕のある事は事実で、どうしたのだろう、と内心首を傾げるが、今はどうでもいい事である。

続けて、俺は口を開く。

 

「この状況、命蓮寺が潔白を証明する為には、矢張り俺が邪魔になる事は間違いないでしょう。

万が一にでも、命蓮寺で俺が見つかる訳にはいかない。

何処かに隠れるにしても、例えば数日かけて調べると言う事になれば、きっとバレてしまうでしょう。

対して幸い、まだ里人に命蓮寺を包囲しようと言う動きは無いようです。

魔力も全快していますし、俺の逃げる余地はまだあるでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 と言い出したのは、ナズーリンさんだった。

視線をやると、両手を動かしながら何か言おうとしてはそれを取りやめ、と言う行為を何度も続けている。

それでやがて思いついたのか、反論を言う物の、弱々しい声であった。

 

「その、君が出ていかなくても、きっと何か、いい方法はある、筈だ……。

最良の案がきっとあるんだ、それを待ってからでも、遅く、は、無い……」

 

 言葉は途切れ途切れで、如何にも自信なさげである。

自分自身、その言葉を信じきれていないのだろう、その顔も懐疑心に満ちた顔であった。

俺は、ゆっくりと、諭すように言う。

 

「そんな魔法のような選択肢があっても、即断できなければ選択する為の条件が揃わなくなってしまいます。

それまでに必ず最良の案が浮かぶと期待するのは、あまりにも運任せな行為でしょう」

 

 ナズーリンさんは、肩を落とし、両手を握る。

余程悔しいのだろう、全身がふるふると震えていた。

それ程までに俺の事を想ってもらえている、と言うのは嬉しい限りで、俺は此処を離れればならないと言う時なのに、思わず笑顔になってしまう。

俺は、なんと幸せ者なのだろうか。

そう思うだけで気力が湧いてきて、この先の見えない状況でも生きる活力のようなものが生まれてくる。

そうなると彼女たちにも少し余裕を持って対応できるようになってきた。

 

「ご、権兵衛、ごめんなさい、私の所為で……」

「いいんですよ。

俺が此処に居る事は、どうせ何時かバレた事です。

少しいきなりで吃驚はしましたが、いずれ俺は此処を離れればならない身。

その時期が少し早まったと言うだけの事です」

 

 と言っても、申し訳なさが勝るのか、じんわりと涙を浮かべるぬえさん。

仕方がないので、俺は苦笑気味にぬえさんの頭へと手を伸ばす。

するとぬえさんは電撃に撃たれたかのようにビクリと震え、それからゆっくりと頭を下げ、俺の手の延長線上にやった。

ゆっくりと、ぬえさんのクセッ毛に手が埋まる。

奥にある地肌を優しく撫でてやると、ぬえさんはぽつり、ぽつりと今度は涙を床に落とし始めた。

どうすればぬえさんを慰める事ができるのかと思うものの、特に思いつく行為は無く、暫く俺はぬえさんの頭を撫で続ける事になる。

 

「権兵衛さん」

 

 と、ムラサさんが口を開いた。

 

「寺を抜けるにあたって、いくらか貴方に伝えたい事があります。

此処を出る前に、私と二人きりになって、少しだけ話をしてもらえないでしょうか」

 

 その言葉に、大きく目を見開くナズーリンさんにぬえさん。

その動きでぬえさんの頭から自然と俺の手が外れ、そのまま重力に従い降りてゆく。

どうやらムラサさんは俺が此処を抜けていく事を仕方ないと納得しているらしい。

それに少しだけ寂しさを覚えるものの、どちらかと言うと、頼れる味方ができて良かった、と言う思いが強かった。

そんな思いが顔に出たのか、思わず俺はほっと小さく溜息をつき、自然に生まれた笑みでムラサさんを見つめる。

 

「はい、その程度でしたらいくらでも」

「はいっ」

 

 すると何故だか満面の笑みで答える、ムラサさん。

どうしたのだろう、と内心首を傾げながらも、俺は彼女から視線を外し、最後に説得すべき相手である聖さんに視線をやる。

びくり、と自身を抱きしめるように動かしつつ、聖さんは俺から視線を外し俯いた。

対面に座る彼女を眺めながら説得の言葉を考えるが、言葉が思いつかない。

結局俺の言う台詞は、ありふれた物だった。

 

「聖さん。

そういった事で、俺は此処を離れます。

聖さんの掲げる人妖平等に関わる事かもしれませんが、それでも構わないでしょうか」

「そんな事じゃなくっ!

私は、貴方が……っ!」

 

 と、返答は慟哭であった。

思わず目を見開く俺に対し、聖さんは立ち上がり俺を泣きそうな目で睨みつける。

だが、それも数瞬の事。

何故だか脱力した聖さんは、その場に崩れ落ちるように座り込み、視線を外しながらこう言った。

 

「……いえ、そんな貴方だからこそ、なのですね。

いいでしょう、許可します」

「聖っ!」

 

 と思わず口に出すぬえさんとナズーリンさんだが、聖さんは取り合わない。

 

「せめて、見送りだけはさせてもらいます。

半刻以内に準備を済ませ、裏口の方に回ってください」

 

 と言うと、聖さんは立ち上がり早々に居間を去っていった。

それを呆然と見守る二人には悪いが、俺も準備をしなければならない。

無言で立ち上がり、それから残る三人を眺めつつ、口を開く。

 

「では、準備に行ってきます」

 

 返事は無かった。

ぬえさんとナズーリンさんは俯いているままで、ムラサさんは笑顔で俺を見送ってくれる。

この暗い話の中で明るい笑顔は貴重だったので、俺もまた笑顔で返答し、その場を離れた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 権兵衛の準備と言っても、然程多いものではない。

彼の書いた書き物の処理と、普段から持ち歩いている物やらを整理するだけである。

万が一にも忘れ物が無いよう気を付けねばならぬが、元々此処から去る準備はしていただけあり、すぐに準備は終わった。

ならば半刻まで何をしていようか、と権兵衛が思う頃を見計らい、聖は声をかけた。

 

「権兵衛さん、少しよろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

 

 す、と襖を開けて、部屋に入り、後ろ手に襖を閉める聖。

権兵衛に向き直り、聖は権兵衛が勧めるままに置かれた座布団に座る。

大きく深呼吸。

権兵衛の瞳を確りと見据え、口を開く。

 

「権兵衛さん、矢張り此処を出ていく事は辞められないのでしょうか」

 

 一瞬困ったような笑顔を浮かべつつ、権兵衛は言った。

 

「それは、先程ナズーリンさんとも話した事ですが……。

此処に俺がいれば、間違いなく命蓮寺に大きな損害を与えてしまうのは間違いありません。

勿論それは、俺も望む所では無いのです。

どうか、わかってはいただけないでしょうか」

「……はい」

 

 消え入りそうな声で言いつつ、聖は俯いた。

確かに権兵衛にとって此処で命蓮寺を出ない選択肢が無いだろう事は聖にもわかっていた。

それに聖の理想である権兵衛を頂点とした幻想郷と言う夢も、まだ潰えた訳では無い。

権兵衛が居なくとも、彼の素晴らしさを語り、権兵衛が身を隠している間に準備をする事ぐらいはできる。

しかしそうは思っても、今にも身が引きさかれそうなぐらいの痛みが、聖の精神を犯していた。

爆発しそうな感情の奔流が、聖の中を駆け巡る。

急に叫びたい衝動に襲われ、聖はそれを歯を噛み締めて堪えた。

が、それでも衝動の残した轍は消えず、傷跡となって残っている。

傷ついた心を癒す最も効率のよい方法を、聖はよく知っていた。

 

「ならばせめて、少しだけ、抱きしめさせてください」

「いいですよ。はい」

 

 と、簡単に権兵衛は両手を開き、聖を受け入れる体制をつくる。

最初は淑女らしくゆっくりと抱きつくつもりだった聖だが、それを見て辛抱できず、がっつくように権兵衛に抱きついた。

ぎゅうう、と権兵衛の背に回した腕に、力を込める。

権兵衛の胸に顔を埋め、その匂いを鼻いっぱいに吸い込む。

少しでも隙間を作りたくなくて、乳房を潰すように権兵衛に押し付け、体を密着させた。

 

 それでも聖は権兵衛との接触部分が物足りず、頭を上げ、座布団の上にあった下半身も動かす。

股を権兵衛の太腿の上に置き、腹を権兵衛の腹に押し付けるように抱きしめる。

首は権兵衛のそれを同じ高さになり、権兵衛の顔を交差するようになった。

乳房は柔らかに潰れ、権兵衛の服越しに、僅かに権兵衛の乳首の存在を感じる。

それでもまだ物足りず、聖は自身を擦りつけるように、体を揺らすようにしてみせた。

 

「聖、さん……」

 

 聖の扇情的な仕草に、権兵衛が下半身を熱くするのが分かる。

自分に興奮してもらっているのだ、と考えるとなんだか聖も興奮してきて、まるで体の芯が熱せられているかのようだった。

体を揺らすのに下半身を擦りつけるような動作が加わり、動きが増えたからか、聖の呼吸が荒くなる。

すると今度は口が寂しくなってきて、聖は衝動的に権兵衛にキスをしてみようかと思うものの、辛うじて思いとどまった。

代わりに、声を出してみる。

 

「権兵衛、さん……」

 

 想像以上に甘い声に、聖は言ってから自分で吃驚してしまった。

目を見開く聖を、声に反応した権兵衛が強く抱きしめる。

そんな権兵衛はどうやら性欲をどうにか抑えようとしているらしく、肩越しに偶に舌を噛んだり頬をつねったりしているのが分かった。

それがどうにも可愛らしく思え、聖は権兵衛に体を擦りつける速度を速くした。

全身から汗が拭きでて、肌の上に汗の珠ができる。

髪が濡れて頬に張り付くのを感じ、聖は深く呼吸した。

権兵衛の汗の匂いが、聖の鼻孔を刺激する。

 

 此処に至って、聖の中に天啓が降りた。

電撃のように聖の中をその考えが巡り、支配する。

あまりの事実に、聖は一瞬倒れてしまいそうな程の衝撃を受けた。

ふらりとする聖を、権兵衛が抱きとめてくれたので、聖はどうにか姿勢を維持できる。

 

「聖、さん?」

「どうか、白蓮、と呼んでいただけますか?」

「白蓮、さん……?」

 

 疑問詞を吐き出す権兵衛に、にこやかな笑顔で聖は答える。

そう、聖はようやくの事気づいたのだ。

聖は確かに権兵衛を幻想郷の頂点とすべきだと考えているし、だから権兵衛を引き止めたいと言うのは本当である。

しかしそれは、真実の一片にしか過ぎないのだ。

もう一つ、もしかしたらこちらのほうが大きいかもしれないと言う、大きな理由が聖にはある。

 

 何故なら聖は、権兵衛を愛しているのだった。

女性として、権兵衛に男性を求めているのであった。

そう自覚すると、今度は自分が余りにも大胆に権兵衛を求めている事に気づき、聖は赤面する。

しかし体の方は権兵衛を求める事を辞められず、ぎゅう、と抱きしめたままである。

なので聖は、その赤面をよりによって権兵衛の肩越しにやり過ごす事となる。

 

 何とかまともに思考能力を保てるようになり、聖は考えた。

先ほど口が寂しいとは思ったし、それでキスをしたいとも思ったけれども、こうやって権兵衛の事を愛していると自覚した今、もっと良い方法が思いつく。

聖は抱きしめている手を起用に使い、権兵衛の着物を左右から引っ張り、少しはだけさせた。

鎖骨を露出する程に着物をはだけた権兵衛の肩口に、顔を埋める。

すぅう、と深く息を吸い、権兵衛の匂いを嗅いでから、聖はかぷ、と軽く権兵衛の肩を甘噛みした。

 

「ん……」

 

 自分を抑えようと必死な権兵衛の声が、より聖を興奮させる。

これによって、何があっても聖は権兵衛と一緒になるのである。

そうすれば、離れている事があってもきっと何とかその時期を乗り越えられるだろう。

だから、お願いします、と言おうかとも思ったが、きっと権兵衛も了承してくれるだろう事から、聖はそのままゆっくりと顎に力を入れる。

歯がゆっくりと権兵衛の肩に食い込んでゆく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 星は結局何をどうすればいいのか分からないまま、命蓮寺へ帰ってきた。

殆ど夜通し駆け抜ける中でも色々と思いが錯綜し、結局権兵衛が忌まわしい能力を持つからと言って、どうすればいいのか分からないままである。

追い出すのか、それともそれを承知で匿うのか。

どちらにしても権兵衛の能力によって最悪の結果が待ち受けているとしか思えないのだ。

どうすればいいのか。

それならば結局権兵衛と近くにいられる、匿う方がいいのか。

何も分からないままに命蓮寺に帰宅して、寺の中が騒然としている事に気づかないまま、真っ直ぐに星は権兵衛の部屋を目指す。

 

 途中誰とも出会わないまま、星は権兵衛の部屋の前に立った。

すぅ、と胸を張りながら深呼吸し、それから権兵衛の部屋の襖に手をかけ、ごくりと生唾を飲み込む。

 

「せめて、彼には、伝えなければならない筈、ですよね……」

 

 決意の声も、鈍い物だった。

結局星は、権兵衛が閻魔に能力の事を聞きに行った事を知られており、権兵衛に対して嘘をつきたくないから、と言う消極的な理由から、能力について話す事に決める。

権兵衛は酷くショックを受けるだろうが、それでもあの時なんで教えてくれなかったんだ、と責められる事を想像すると、星はその事を言わずには居られなかった。

襖を持ちながらもう一度深呼吸。

失礼します、と言ってからも、星は手が震えて襖を開けれない。

自分の情けなさに怒りさえこみ上げてくるのを感じ、えいっ、と力を込めて星は一気に襖を開いた。

 

「っが、ぐうぅぅうっ!」

 

 獣の慟哭。

権兵衛の肩から血飛沫が飛び、まるで花のような模様を襖や畳に作っている。

その中心である権兵衛の左肩は、権兵衛の手によって隠されながらも、その赤い肉を覗かせていた。

呆然と星は、部屋の中のもう一人へと視線を移す。

聖の黒い外套は兎も角、白いワンピースは血の赤が映え、鮮やかな赤を見せていた。

その聖はどうやら顎を動かし何かを咀嚼しているようで、くちゃくちゃと言う音が小さく聞こえる。

権兵衛も星も一歩も動けない止まった時の中、聖はゆっくりと咀嚼を終え、その何かを嚥下した。

それから、聖は星の方へと振り返り、その熱に浮かされたような瞳を見せる。

しかしそれも、慣性でワンピースのスカートがふわりと浮き上がるぐらいの時間で終わり、すぐさま正気の色を取り戻した。

 

「あ、れ?」

 

 聖は呆然と呟き、血に染まった自分の掌を見る。

小さく呻き続ける権兵衛を見て、広がった血飛沫を見て、それからもう一度星を見て、呟いた。

 

「私は、権兵衛さん、を?」

 

 そこまで言うと同時、ふらりと聖は力を失い、後ろに倒れようとした。

はっとそれに気づき、駆け寄って星は聖を抱きとめる。

その口唇はこれ以上無いほどに血の赤に染まっており、最早、聖が権兵衛の肉を喰ったのは明らかであった。

オロオロとしながら星は権兵衛に視線をやるが、なんと言えばいいのか分からない。

こんな目にあってしまった権兵衛を慰め、聖も衝動的なものであったと言えばいいのか。

それとも、こんな事を引き起こした権兵衛の能力に怒ればいいのか。

混乱する星に、権兵衛が呟く。

 

「白蓮、さん……?」

 

 権兵衛は、聖を名前で呼ぶようになっていた。

その事実を認識した瞬間、ぼ、と星の中で黒く燃え上がる何かがあった。

星の中を猛獣のようなどす黒い何かが暴れまわり、その捌け口を求める。

それは、すぐさま口を衝いて出た。

 

「権兵衛、さん。

いや、七篠権兵衛……っ!」

 

 今や星の全身には、憎悪がみなぎっていた。

権兵衛を睨みつけ、叫びつける。

 

「お前は、世界最悪の忌まわしい能力の持ち主だっ!

お前の持つ、“名前が亡い程度の能力”も!

“月の魔法を扱う程度の能力”も!

“重力を操る程度の能力”も、それには及ばないっ!」

 

 叫びつける度に星の中の憎悪の獣は大きくなり、爆発寸前のように膨れ上がった。

一言一言に権兵衛が震え上がるのを見ても、何故か憎悪はさながら無限にあるかのように沸き上がってくる。

その極大の憎悪に身を任せ、星は閻魔から聞いた、権兵衛の四つ目の能力を叫んだ。

 

「お前は最も忌まわしい能力、“みんなで不幸になる程度の能力”の持ち主だっ!」

 

 一瞬、何を言っているのか分からない、と言うように権兵衛が目をパチクリとする。

それから次第に何を言われたのか理解したように、権兵衛の顔の色が青ざめていった。

 

「そん、な……。

俺は、でも、確かに……」

 

 納得しきれない色の権兵衛に、星の中の憎悪が煮えたぎる。

衝動に任せ、星は叫ぶ。

 

「お前は何をしても、自分も他者も不幸にし続ける事しかできない。

善行も悪行も全て、お前のする事は無限に不幸へと続いていく。

何故なら、お前の名前の真空は全ての精神的質量を飲み込み、世界から精神を減らし続ける存在だからだっ!

精神が無くなれば、最早そこには幸福は残らず、不幸だけが残る。

不幸と、幸福を感じる事すらできない死滅した精神とだけがだっ!

証拠に、覚えていたか、お前は人間であると言うのに“人間を幸福にする程度の能力”で幸せになれなかった事をっ!」

 

 権兵衛の顔に、理解の色が走った。

視線を揺らしながら、ぶつぶつと呟きつつ回想をする権兵衛。

そのどれもが星への反撃の糸口にもならないようで、結局権兵衛は黙りこんで、俯いてしまった。

小さく、権兵衛が呟く。

 

「本当に……、俺には、“みんなで不幸になる程度の能力”があると言うのですか」

「ああっ! だからお前は、此処には居てはいけない人間なんだっ!」

 

 叫びつつ、星は即座に術式を組み立てる。

聖が魔界に封印され、ムラサ達が地底に封印されるのを見てきた星は、一人で寺の業務を続けていた。

当然、何度か機会があったため、忌まわしき妖怪を地底に封印する術は心得ている。

それは何時しか、聖と共に地底に追いやられた妖怪を救うための術であったのだが、その正反対の用法を星は行おうとしていた。

 

「忌まわしき人間よ……地底に封印されるがいいっ!」

 

 星の掌に、幾本もの黄色い光線が飛び出て、権兵衛の周りを球状に覆い隠す。

極大の光が放たれ、部屋の中が光で満たされた。

数瞬、閉じた星の瞼を光が焼くが、それもすぐに終わり、瞼の裏は漆黒に戻る。

目を開けてみれば、そこには権兵衛の居た痕跡はその血痕が残るだけ。

他に何一つ残らず権兵衛が消えてしまったのに、何故か脱力感を覚え、星は座り込む。

 

 肩を上下する頻度が減り、荒かった息も整ってきて、星は思う。

どうしてだろう。

権兵衛に対する感情の幾らかは彼の能力による物であると説明され、理解していて尚、何故か星は権兵衛が居なくなってしまうと同時、なんだか寂しくなってきた。

全身を脱力感が支配し、弛緩した四肢を投げ出しそうになる。

虚ろな瞳で権兵衛が寸前まで居た場所を見つめると、寸前までのように権兵衛が居るかのように幻視した。

思わずそれに手を伸ばしてしまう星だったが、当然のように幻覚を手はすり抜け、そして空気とかき混ぜられるかのように、その幻覚も消えてしまった。

 

 違う、これは権兵衛の能力による物なのだ。

そう何度言い聞かせても、星の中にある寂寥感は晴れなかった。

同時、星は思う。

もしかしてこれも、“みんなで不幸になる程度の能力”によるものなのかもしれない、と。

権兵衛は封印されると言う事によってすら、他者に不幸をまき散らしているのかもしれない、と。

そしてそれを理解していて尚、星には心から権兵衛を嫌悪する事ができなかったのも、もしかしたら。

 

 だとすれば、確かに権兵衛は最悪の能力の持ち主であった。

そしてその能力は、未だ終わる気配を見せない。

寂しさのあまり涙すら浮かべる星の耳には、三人分、足音が急ぎこちらへ向かっているのが聞こえた。

これからすぐさま、星は残る三人に権兵衛をどうしたと詰問されるだろう。

星の扱いに優れたナズーリンも居るのだ、恐らく三人は真実を聞き知ることだろう。

そうなれば、この命蓮寺は一体どうなる事か。

その心配も、すぐさま現実のものとなる。

最早足音は、部屋の寸前まで迫っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 電撃のような痛みが、聖の中に走った。

 

「あうっ!」

 

 思わず叫びつつ、聖は飛び起きる。

何がなんだか分からないまま辺りを見回すと、どうやら聖は命蓮寺の部屋の中に居るようで、しかも見あげればその部屋の天井は吹き飛んでおり、青空が見えた。

その青空を埋め尽くすのが、無数の弾幕である。

黄色い光線と、それに対抗するかのように水色の楔弾や七色のUFOや青いペンデュラムが飛び交っている。

即座に命蓮寺の面々の物だと理解し、とにかく止めようと飛び出そうとして、聖は床に手をつきぴちゃりと言う水音を立てた。

視線をやり、絶句。

血飛沫が部屋を汚しており、見れば聖自身も血に染まっている。

それを見て、聖はようやく権兵衛の肉を喰った事を思い出した。

 

「う、うげぇぇえぇっ!」

 

 思わず、聖は嘔吐しようとするものの、どうしてか、吐く事ができない。

すぐさま聖は手を喉に突っ込み、強制的に自分を吐かせる。

しかし吐瀉物は不思議と胃液ばかり。

早すぎる気もするが、聖は既に権兵衛の肉を消化し、腸まで運んでいたのだ。

それに幸福と絶望が同時に沸き起こるのに、聖は身震いする。

 

「私は、権兵衛さんを喰べて、しまった」

 

 当然悪行である。

必要もないのに人肉を喰らうなど、してはならない事だ。

それも特に、この幻想郷の頂点としようと崇めている権兵衛が相手であれば、当然のことである。

しかしどうしてか、聖の内心には罪悪感と同時、幸福で満たされた部分もあった。

 

「私の中には、権兵衛さんがある」

 

 とくん、と聖の心臓が脈打つ。

血で染まった頬が更に赤くなり、発汗が始まった。

こんな悪行で喜ぶなど、何とはしたない真似か、と思うものの、聖はそれを辞められない。

絶望と幸福の入り混じった感情に耐え切れず、聖は空へと視線をやる。

何より今は、あの四人を止めねばならない。

そう言い訳し、自分の心から目を逸らしていては、幸福には辿りつけない。

何処かでそう実感しつつも、聖はそれを無視して空へと飛び上がり、弾幕の中へと突っ込んでいった。

 

 聖が一言も発する前に、示し合わせたかのように弾幕は止まった。

全員無言で、星対ムラサ、ぬえ、ナズーリンの形になるよう陣取っており、その中心に聖が居る。

良かった、辞めてくれたのだ、と聖が安堵すると同時、ナズーリンが口を開いた。

 

「おや、食人鬼の登場だ。権兵衛さんの肉じゃあ物足りなかったかな」

 

 痛烈な皮肉に、聖は思わず顔を強ばらせる。

見れば星を除く三人は鬼のような形相で聖を睨んでおり、争いの気配は消えていない。

ムラサが、酷薄な笑みを浮かべた。

 

「当然貴方も後で権兵衛さんの為に撃ち落とす事は決定していますが、今はそこの無能虎を撃ち落とす方が先です。

邪魔ですから消えていてください」

「星……星が一体何をしたと言うのですかっ!」

 

 聖が叫ぶと同時、三人は思わずと言ったように目を見合わせた。

それから、からからと笑い軽蔑の色が混じった視線を聖にやる。

代わりに答えたのは、星であった。

 

「私は、権兵衛さんを地底に封印しました」

「………………え?」

 

 一瞬、聖は思考を停止した。

何を言っているのか、分からない。

てっきり聖は、権兵衛がそれでも逃げ出すか、それとも誰かに永遠亭まで連れていかれたのか、どちらかだと思っていたのだが。

封印した?

地底へ?

単語が一つづつ聖の中に染み渡っていき、徐々に聖の脳裏にも理解の色が生まれる。

震えながら、聖は問うた。

 

「な、何故ですか。

何故、権兵衛さんを……」

「権兵衛さんはっ!

忌まわしき、“みんなで不幸になる程度の能力”を持っていたからですっ!」

 

 涙を零しながら叫ぶ星は、どう見ても自分の意志でそうしたように見えなかった。

まるで見えない操り糸が背についているかのように、叫び続ける。

 

「このままじゃ、私も、権兵衛さんも、みんなも不幸になってしまう。

それなら、権兵衛さんは封印するしか無いじゃあないですかっ!」

 

 星の叫び声を聞きつつ、聖は今度こそ完全に思考を停止していた。

権兵衛が。

この幻想郷の頂点となりうるであろう人が、そんな忌まわしき能力を?

今や、聖の中では全ての未来が崩れ去っていた。

生きる意味、これまで生きてきた理由、その全てが注ぎ込まれた夢が、泡沫となっていく。

聖は脱力し、空を飛ぶ気力すらも失い、ゆっくりとその場から高度を下げていった。

それを好都合と見たのか、三人は星に対し再び弾幕を浴びせ、星もまたそれに応ずる形となる。

 

 流石に三対一では星の分が悪い所だが、何故か勝負は拮抗していた。

それをゆっくり落ちながら見ていた聖は、その理由に気づく。

三人は、お互いを盾に使おうと狙い、また気をつけながら戦っていたのだ。

 

 最早、当初の聖の理想であった、人妖平等はその原型すら残していなかった。

命蓮寺の面々はお互いに憎悪を剥き出しに殺し合っている。

権兵衛を頂点とするどころか、その前の理想すらも打ち砕かれ、聖は絶望に満ちていた。

 

 ゆっくりと、羽毛がそうするように、ゆるやかに聖は背から着地する。

再び権兵衛の部屋に戻ってきた聖は、襖に飛び散った血に目をやった。

それから手で畳を掴むと、湿り気が伝わってきて、視線をやれば権兵衛の血が染み込んでいる。

聖は、権兵衛の血を少しだけ付着させた自身の指を、舐めた。

 

 何故だろうか。

どん底まで落ちた聖の中には、不思議と希望が沸き上がってきた。

原因不明の衝動が聖の中で、出口を探して暴れまわる。

ぎゅ、と畳の上で握りこぶしを作り、聖は呟いた。

 

「私は……全てを失った……」

 

 事実である。

聖は再構成した自身のアイデンティティを失っていた。

その身には最早絶望しか残されておらず、希望など潰えた筈だった。

だがしかし。

 

「なら、また全てを始められると言う事では無いですかっ!」

 

 叫ぶ。

聖は勢いよく起き上がり、畳を踏みしめて立ち、キッと上空を睨んだ。

美しくも殺意の篭った弾幕が入り交じるのを見ながら、聖は宣言する。

 

「権兵衛さんが居なくなったからこうなったと言う事は……権兵衛さんの偉大さを再認識できたと言う事。

つまり、この惨事はこれから権兵衛さんを幻想郷の頂点とするため、歩み始める為の準備に過ぎなかったのです」

 

 深呼吸。

胸に手をやり、叫ぶ。

 

「“みんなで不幸になる程度の能力”?

それがあるなら、みんなで能力以上に幸せになるようにしてみせるっ!

権兵衛さん、私は貴方を、この幻想郷の頂点にしてみせるっ!」

 

 今や聖の全身は、燃え上がる希望の炎で満ちていた。

全身から活力が湧き上がり、使命感が聖の中から生まれてくる。

これから、聖は何度も挫折を感じるだろう。

また不幸によって全てを失ってしまう事があるかもしれない。

しかしそれでも尚、聖はそこへと向かってゆく。

全身全霊を込めて、向かってゆくのだ。

そう決意し、聖は畳を蹴り、空へと飛び上がる。

 

 広がる弾幕での殺し合いを目に、聖は考えていた。

きっとこれから権兵衛を頂点とするまでに、多大な時間がかかるだろう。

苦労だって死ぬほどするに違いないし、後悔だって山ほどするだろう。

だけど。

だけれども。

もしもその夢を達成できたら。

聖は、権兵衛のお嫁さんになる事はできるだろうか。

 

 実現できなくてもいい。

ただそういう希望を持つ事ができるだけで、聖は歩き出す事ができた。

想うだけでこんなにも希望がわくなんて、矢張り権兵衛はすごい人だな、と思いつつ、聖は弾幕へ立ち向かってゆく。

例えその夢が決して叶わぬ物であろうとも、希望さえあれば人は立ち向かって行ける物なのだ。

そう、希望と不幸とは同時に持てる物。

聖は自覚なしに、再び不幸への道を、歩み始めていくのであった。

 

 




権兵衛の能力1:名前が亡い程度の能力
権兵衛の能力2:月の魔法を使う程度の能力
権兵衛の能力3:重力を操る程度の能力
権兵衛の能力4:みんなで不幸になる程度の能力
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