ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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31-博麗神社4

 

 

 はっ、と覚醒。

掛け布団を弾き飛ばし、起き上がる。

荒い動悸に呼吸を、俺は心臓の上に手をおいてそれが穏やかになるのを待つ。

それから俺は、ゆっくりと部屋の中を見渡す。

いつも通りの俺の部屋であり、そこには何の変わりも無いままである。

悪い夢でも見たのだろうか。

疑問に思いつつ、俺は再び部屋を見渡した。

この部屋を、そしてそれを含む小さな屋敷を買うまでに掛かった苦労と言う物を思い出す。

俺、七篠権兵衛は、ただの記憶喪失の男として幻想入りした。

当然外の世界に取り敢えず戻そうと言う事になったのだが、何故か俺は外の世界に戻れなかったのだ。

眼の前が真っ暗になる感覚を覚えた俺だが、出来ることどころか記憶まで無い俺を、里人は皆暖かく迎え入れてくれた。

特に慧音さんは、優しかった。

当初の俺の仕事は彼女の補佐と言う物で、随分お世話になったものである。

 

 そうこうしているうちに、俺はある日突然に霊力に目覚めた。

となれば、いつまでも慧音さんに寄りかかった生活ではいけない。

里人の中でも稀有な霊力の量を持った俺は、幻想郷の運送業を始める事にした。

勿論、トラブルが無かった訳ではない。

しかし俺は、その仕事を経て掛け替えの無い友人を得てきた。

白玉楼に大量の食材を運び、疲れて倒れた所を妖夢さんに看病され、数日過ごすうちに妖夢さんと幽々子さんと仲良くなり。

永遠亭に薬の材料を運んだ時には、暇そうにしていた輝夜さんと話が合い、連鎖的に他の永琳さんや鈴仙さん、てゐさんと仲良くなり。

太陽の畑に肥料を運んだ時には、いきなり弾幕とぶっ飛ばされたりしたものの、結果的に幽香さんと仲良くなり。

博麗神社へ食料を運んできた時には、霊夢さんに会いに来ていたレミリアさんに運命を見てもらった事で、レミリアさんと咲夜さんと仲良くなり。

歩いて永遠亭へ向かおうとした時には、迷った所を妹紅さんに助けてもらい仲良くなり。

妖怪の山に散歩に行った時には、取材を受けたりして文さんと椛さんと仲良くなり。

魔法の森に運送をしに行った時には気分が悪くなった所をアリスさんに助けてもらい、仲良くなり。

妖怪に危うく負けそうになった時には聖さんに助けられ、命蓮寺の面々とも仲良くなり。

地底まで身元不明の死体を運んだ時には、さとりさんとこいしさん、お燐さんにお空さんと仲良くなり。

 

 俺は卑小で大した役にも立てなかったけれど、みんなの心を支えようとし、俺の勘違いでなければ、皆を支える事もできていた。

ささやかだけれども、最高の幸せであった。

その集大成として、今日は俺の家で宴会が行われるのである。

 

 さて、幹事として俺は一日頑張らなくてはならぬ。

俺は食料と酒が充分にある事を確認し、宴会場を掃除してピカピカにして、皆を待った。

これから楽しい時間が待ち受けているのだと思うと、気分が高揚して、なんだかふわふわした感じだった。

どうしよう、まだまだ時間はあるのに今からこんなに幸せでは、宴会が始まった時俺はどれほど幸せになる事なのだろうか。

そんな風に思いながら、俺は相好を崩しつつ掃除やら料理の下準備やらを済ませていた。

それにあまりに力を入れすぎてしまったからなのだろうか、それともこの日の太陽があまりにも優しく降り注いでいるからだろうか。

俺は眠気に誘われて、うとうととしてしまう。

思わずこっくりと舟をこいでしまう俺の頭を、すっと白い手が撫で、その心地よさに俺は目を細めた。

ゆっくりと夢の世界へ引きずられていく。

幸せな夢だといいな、と思いつつ、俺は少しの間睡眠をとる事に決め、睡眠の誘惑に身を預けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 目が覚めた。

俺はいつの間にか、布団に入って寝入っていたようだった。

弾かれたように起きだし、周りを確かめると、障子からは未だ陽光の覗く時間である。

良かった、と思いつつふと室内を見回すと、霊夢さんが正座していた。

え、と思わず声をだしてしまう。

 

「おはよう、権兵衛さん」

「お、おはようございます、霊夢さん」

 

 と言いつつ、俺は次に室内を見渡す。

見覚えがあるが、しかし多分これは博麗神社の中ではあるまいか。

記憶の中と照合を取るに、多分俺が寝かされていた事のある部屋である。

 

「あ、れ、何故俺はここに? 早く帰って、支度をしなきゃ」

「は? 何のかしら?」

「え、だってその、俺が開いた、皆の来る宴会の支度を……」

 

 と言いつつも、霊夢さんの声があまりに冷たく鋭かったので、俺は次第に声を小さくしてしまう。

そんな俺に呆れたのだろうか、霊夢さんは溜息を一つ。

ぱしん、と乾いた音が響き渡った。

遅れて痛みが走り、脳から眠気が掻き消える。

現実感がようやく背中をぞぞっ、と昇ってきて、俺の思考がはじけた。

そっと腫れた頬に手をやりながら、俺は呆然と霊夢さんに視線を戻す。

半目の呆れた様子のまま、霊夢さん。

 

「目は覚めた?」

「……はい」

 

 最悪の気分だった。

俺が皆を幸せにするなどと言う夢想は掻き消え、俺は誰をも不幸にする事しかできないと言う現実が戻ってくる。

しかしその気分は一切が俺の呆れた脳みそに原因があり、霊夢さんには何の要因も無いのである。

俺は何とか顔に表情を作り、暗さを払拭しようと努力した。

 

「此処には私一人だし、どんな顔していようが構わないわよ」

 

 あまりにも鋭い霊夢さんの声に、俺は刹那言葉を失った。

それから、俺は俺の心の赴くままに、表情筋の一切への干渉を辞める。

表情のこそげ落ちたその顔は、さぞかし醜いだろうに、平気そうに霊夢さんはじっと俺を見つめていた。

全く、頭の下がる心の強さであった。

 

 さて、何にしろ、果たして俺はどうして此処に居るのだろうか。

こいしさんは無事だったのだろうか。

あらゆる疑問が俺の中を這いずりまわるが、出すべき言葉は、ただ一つである。

 

「霊夢さん」

「何よ」

「俺を、生物の存在しない、死の砂漠のような場所に案内してはくれませんか」

 

 そう、俺を生物の存在しない場所に封印する為の言葉である。

俺が現状を把握しても、現状をより不幸にする事しかできない。

俺がこいしさんを気にかけても、不幸にする事しかできない。

ならば俺の気にすべき事はただひとつ、俺と言う最悪の生物が他の生物に接触しないようにする事であった。

それを察したのだろうか、一瞬目を細め、霊夢さんは言う。

 

「そんな場所は無いわ」

「ならばその候補となる場所を教えて下さい」

 

 返ってくる返事は予想の範疇であったので、俺は頭を下げて言った。

幻想郷は元々人妖がバランス良く住む理想郷に近い場所である、死の砂漠のような場所があるとは思っていなかった。

そんな場所をこれから創りだしてしまう事は、きっと何よりも罪深く、許されざることだろう。

それでも、散々移動して幻想郷中に不幸を振りまくよりはマシだと、自身に言い聞かせる。

暫し沈黙があって、霊夢さんが口を開いた。

 

「それもないわ。

この幻想郷は、無縁塚のような死体の集まりでさえも、幽霊が大量に居る場所になる世界よ。

どこも命に溢れて、貴方の望む生物の真空のような場所は存在しない。

ただ……」

 

 と言って、霊夢さんはその美しい唇に指を沿わせる。

 

「ただ、幻想郷の中でも特に強い者の居る場所は、その限りではないわ。

貴方の望む程では無いにしろ、妖怪なんかは強者の気配に寄ってこなくなる。

と言っても、気休め程度ね、妖精とかは死んでも生き返るし、遊びで特攻に来る事もあるから。

それと……」

 

 と、一旦霊夢さんは区切った。

それから、彼女にしては珍しい事に、俺と床との間で視線を往復させる。

霊夢さんは何時も即決即断で、このように迷った姿を見るのは初めてだったので、俺は思わず目を見開いた。

それに少しむっとした顔をしつつ、霊夢さん。

 

「一応、此処もその範疇に入るわ」

 

 言われて、はて、と俺は首を傾げる事しかできなかった。

だからといって、俺が此処に住むと言う訳にもいかないだろう。

何せ博麗の巫女たる霊夢さんは、この幻想郷を保つ為に必要不可欠な存在なのだと聞く。

であれば、彼女を害する可能性のある俺が此処に居つくなど、愚行にも程があると言えよう。

何か深遠な理由があるに違いないけれど、結局俺のポンコツな頭脳では分からない。

なので、素直に聞いてみる事にする俺。

 

「その、それはつまり、どういう事なんでしょうか」

 

 そんな俺の反応が愚かだったのだろう、呆れるように霊夢さんは溜息をつき、告げる。

 

「あんた私の能力を知らないんだっけ」

「は、はい」

 

 と頷くと、再び霊夢さんは溜息。

なんだか脱力したみたいに姿勢を崩すと、呆れ声でこう言うのだった。

 

「私の能力は、“主に空を飛ぶ程度の能力”。

つまり、無重力。

私は幸不幸の概念の平地からも、重力に引かれる事なく浮く事ができるのよ」

「…………………え?」

 

 霊夢さんの言っている意味が、分からなかった。

一度反芻、二度目、三度目になってようやく言っている言葉が耳に届くようになる。

つまり、どういう事だ?

疑問と不安が混ざり合った頭のまま、俺が小さく呟くと、霊夢さんはまたもや溜息をつきつつ、言った。

 

「つまり私は、あんたの“みんなで不幸になる程度の能力”の影響を受けないって事よ」

「…………………あ」

 

 思わず、小さな声が俺の喉から漏れた。

未だに脳みそは労働を放棄しており、俺には霊夢さんの言っている意味が上手く理解できない。

ただ、一つだけ分かった事がある。

俺は、霊夢さんを不幸にせずとも済むのだ。

それが遅れた実感と共にやってきて、涙に変わり、ポロポロと零れ落ちる。

うっ、ううっ、と嗚咽をあげ、俺は泣き出した。

そんな俺を、霊夢さんは少しだけ困ったような、それでも相変わらず適度に距離を取ったような、不思議な笑顔で見つめる。

 

「お、俺は、こ、此処に、居て、いいんです、か?」

「家賃代分、働いてくれるならね」

 

 そっけない霊夢さんの言葉が、しかし今となっては俺にとっての唯一の救いであった。

わっ、と泣き出す俺に、汚いわねぇ、とため息混じりに手ぬぐいを手渡してくれる霊夢さん。

変わらずに俺の事を他人ごとのように見つめているその姿は、本当に俺の感動などよりも、布団が汚れないかを心配しているかのようで。

その無関心さが、下手な愛情よりも嬉しかった。

涙が大粒となり、渡された手ぬぐいをすぐさまぐちゃぐちゃにしてしまう。

誰かを不幸にせずにいられるかもしれない。

夢の中で思う事しかできなかった事が、目の前に転がっているなんて、なんていう奇跡なのだろうか。

そんなふうに思いながら、俺は兎に角泣き続けた。

霊夢さんからもらった手ぬぐいがびっちょりと濡れて雫を垂らしそうになるまで、泣いて泣いて泣き続けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 半刻ほど俺が泣き続けた後のことである。

霊夢さんは面倒くさそうに溜息をついた。

さっきから霊夢さんは溜息をついていて、これではこの部屋は霊夢さんの溜息で一杯になってしまっているのかもしれない。

これでは折角の幸せも何処かへ行ってしまうかもしれないだろう。

だけど俺は、今の俺は幸せでいっぱいすぎて、何処かへおすそ分けしてあげたいぐらいの気分だった。

 

「家事は平等に分担よ。

とりあえず今日は私がご飯を作るから、権兵衛さんが掃除と洗濯と風呂沸かしね」

「はいっ!」

 

 と、俺が元気に返事をすると、霊夢さんが妙な顔を作る。

暫し天を仰いで悩むと、またもや溜息混じりに俺へと言った。

 

「まぁ、納得しているんならそれでいいんだけど……。

それにあんた、私の能力の事、嘘を言っているとか、疑う気は無いのかしら?」

「えっと、霊夢さんの方が料理が上手いので、適材適所かと。

あと、俺のような能力の持ち主を匿って霊夢さんに良い事なんて一つも無いですし」

 

 それに、と言って付け加える。

 

「霊夢さんが嘘なんてつく訳無い、って思えたので」

 

 ぴくり、と霊夢さんが頬を動かした。

それから何時もの無表情で、呆れたように肩をすくめる。

その動きで髪が流れてゆくのが、まるで絹のようにサラサラとしていて、美しかった。

 

「あんたそれでさとりにも騙されているのに、懲りないわね」

「うっ。いや、それでも本当にそうとは思えないので……」

 

 痛い所を突かれたが、本当にそうとしか考えられないのである。

この超然とした人はまるで俗世の事に動じないような所を持っていて、勿論人間らしい部分もあるのだけれど、俺の印象としてはそんな部分が多い。

だからかもしれないが、彼女は皮肉で嘘らしき物を言う事はあっても、自己の利益の為に嘘をつく事は無いように思えた。

事実その通りなのだろう、霊夢さんの顔には、俺を戒める色はあっても、嘘がばれるか否かへの緊張の色は見えない。

 

「では、まず掃除から、行ってきますっ!」

「やる気満々ねぇ……」

 

 気怠い霊夢さんの声を背に、起き上がって布団を畳み、俺は博麗神社の掃除を始めることにした。

まずは初めに、久しく回復している魔力を解放、博麗神社全体に広げる。

穢れを嫌う月の魔力は、なんとなく汚れている所と神社本体との間で透明な膜のように形を変えた。

それから指を一振り。

くるりと俺の魔力は神社内の汚れやら埃やらを包みこむと、ふわりと浮かび、俺の指先へと集まってきた。

そのまま障子を開けて屑籠を探し、ぽい、と指先を向けると、そちらへとゴミはすっ飛んでいく。

この清掃魔法は、何気に月の魔力を持つ人間しかできない、俺の得意魔法でもある。

ちょっと得意になって、俺は胸を張って告げた。

 

「あとは表の掃き掃除とか、生ゴミとか、屑籠の中のゴミの処理とか、そんな物ですかね?」

 

 すると霊夢さんはパチクリと目をまたたき、小さくつぶやいた。

 

「あんた役立たずの能なしだと思っていたけど、案外役に立つのね。

これなら、嘘ぐらいついても引き止めてたかもしれないわ」

 

 俺は、喜ぶべきか悲しむべきか迷い、結局困ったような笑顔を霊夢さんへ向ける。

霊夢さんはと言うと、まるで普通の少女のような雰囲気になっていて、先程までの何処か神聖な感じは薄れていた。

こんな事で彼女の関心が引けるとは、なるほど、とぼけた巫女と言う評判も頷ける物があるのではないか。

そんな失礼な事を考えていると、霊夢さんはふとこちらへ視線をやり、近づいてきて、さりげない所作で俺の向こう脛を蹴っ飛ばした。

 

「痛っ、ご、ごめんなさいっ!」

「ごめんなさいって事は、何か失礼な事を考えてたのね?」

「…………………」

 

 沈黙。

もう一発蹴りが飛んでくるのを、避けようと動くのだが、その軌道を予測したのだろう、蹴り足が俺の脛に吸い込まれるようにぶつかり、俺は大変痛がった。

そんな俺を尻目に、霊夢さんは何処へやらへと立ち去っていく。

矢張りこんな鋭い所を見ていると超然とした感じがあって、かといって掃除に役立つ魔法を見る目は普通の少女らしくて。

ころころと変わる表情に、俺は一体どうやって霊夢さんに接すればいいのか、小首をかしげながら外の掃き掃除に移るのであった。

ちなみに、蹴りは物凄く痛かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 掃き掃除を終えると、そろそろ夕方になる。

霊夢さんが俺を呼びに来て、俺はそれに従い博麗神社の中に戻っていった。

 

「家の間取りは分かるでしょう?

料理は私と権兵衛さんで交代制にするけど、食材を倉庫から持ってくるぐらいはして頂戴」

「はい、霊夢さん」

 

 それってひょっとして家事を全部俺がやっているのではないか。

そう思わなくもなかったが、今度こそ霊夢さんに蹴られるよりも早く俺は倉庫へと歩いた。

外の倉庫への道筋の途中、思わず俺は一瞬立ち止まる。

何時かの宴会の際、紫さんと出会った場所であった。

たった数カ月前の話なのだが、あまりの懐かしさにスキマが開いていた部分に思わず指で触れる。

勿論空間が裂ける事などなく、俺は霊夢さんに怒られないよう倉庫に足早に駆けた。

それにしても大きな倉庫だな、と思いつつ、中の一体何年引きこもろうとしているのか、と言う食材を選び手にする。

 

 それから幾度か霊夢さんの指示で倉庫の食材を渡しつつ、霊夢さんの料理の方法を見た。

以前宴会の時は忙しくて見る暇も無かったのだが、こうして見守っていると、新たな所がわかってくる。

霊夢さんは、明らかに適当な方法で料理をしているように見えた。

塩や砂糖はパッと掴んだ分だけ使い、醤油や酒も適当にドボドボと入れ、更には味見すらしない。

何度か注意をしようか、せめて味見ぐらいはしたほうがいいのでは、と思ったのだが、ロクに口に出せないままに食事の時間となった。

ちゃぶ台に載せられたのは、白いご飯に川魚の塩焼きと卵焼きに山菜の付け合せ。

見目にはどれも美味しそうに見えるが、油断してはならない。

いただきます、と霊夢さんと共に唱えてから、少しだけ霊夢さんが食べるのを見ようと待ってみるが、霊夢さんはじっとこちらを見つめているだけだった。

味の感想を求められているのだろう。

仕方なしに俺は川魚の身を解し、恐る恐る口の中に入れた。

咀嚼。

ほろっ、と身が崩れ、程良く脂の乗った身がその味を広げる。

 

「美味しい……」

 

 思わず、口をついて出た言葉に、霊夢さんが小さく破顔した。

当然でしょ、と言わんばかりの表情で、自分も魚をつつき始める。

慌てて俺は他の卵焼きやら山菜やらも食べてみるが、どれも控えめで素材の味を活かした、しかし非常に美味な物ばかりだった。

眼の色を変えて食べ始める俺に、霊夢さんは苦笑気味に自分の皿に箸を伸ばしている。

その姿に、俺の賛辞が充分に伝わっていないように思え、俺は思わず口を開いた。

 

「いや、本当に美味しいです。

なんていうか、幻想郷中を回ってきて様々な料理を頂きましたが、素材の良さを除いた純粋な料理の腕前で言えば、霊夢さんが一番かもしれないぐらいです。

その、それ以上に上手い賛辞が思いつかないのですが、本当に美味しくて……」

「……そう」

 

 と、そこまで言うと、霊夢さんは一言だけ言って、賛辞を受け取る。

俺の賛辞が伝わっていないのではないか、と一瞬悔しい思いをしたが、よくよく霊夢さんの事を見ていると、料理を食べる箸のスピードが上がっているような気がした。

ひょっとして照れているのだろうか。

そんな風に思いながら再び食事に箸を伸ばす俺の足に、軽い衝撃。

見るといつの間にか霊夢さんは正座から足を崩しており、ちゃぶ台の下から足で蹴られたのだと理解する。

照れていたのだろうか、と思ってそれに蹴りを入れられると言う事は、つまり……。

と想起してしまいそうになる所を、げしげし、と連続で蹴られ、地味な痛さで俺は脳内の沈黙を保つ事にした。

それでやっと料理を味わえるようになり、黙々と白米で料理をいただきながら、思う。

しかしそれにしても、よくあんな適当な料理法で、こんなに美味しい料理ができるものだなぁ、と。

今度の蹴りは、少し強く、じんとした痛みが残るぐらいだった。

俺は全然懲りてなかったのである。

 

 それにしても、料理の味も相まって、まるで夢見心地のようだった。

箸が転げてもおかしくて幸せで、霊夢さんの怠そうな対応一つでも幸せで、幸せで仕方ない。

心の中がふわふわとして暖かくて、皆に分けてあげたいぐらいである。

勿論俺にはそんな事はできないのだし、何時かはその問題に向き合わねばならないと思っていたが、数日はこの空気に浸っていたいと思った。

 

 それから俺は風呂炊きをやった。

霊夢さんによると風呂に入る人物が霊力を込めれば自動的に温度を調整できるようになっているらしく、然程難しくは無い。

なので久しぶりなんだから、と先を譲られた俺は、少し長風呂を楽しんでみる事にする。

地霊殿に居た間俺はずっと汗を拭いてもらうだけだったので、久しい風呂の楽しみであった。

体を洗い、それからゆっくりと体を湯船に沈める。

あ〜、と思わず親父っぽい声が漏れでてしまうような心地よさであった。

俺は目をつむりながら頭だけ湯から出して、天井を仰ぐ形で体を固定し、体の芯まで温まる事にする。

 

 ——ごそごそと、なんだか衣擦れの音がする。

それを聞いて、はっ、と目を開くと、随分時間が経ち、風呂釜の湯船を温める火が消えてしまっていた。

と言っても、肌に触れる湯の温度は、然程低いとは言えない。

どうやら俺は少しの間眠ってしまったらしい。

身を起こし、うぅん、と小さく声を漏らしつつ上半身だけで伸びをする。

 

 それから湯から上がろうとするのと、殆ど同時。

風呂の扉が開いた。

なんだろう、と視線をやると、黒い瞳と目があう。

柔らかな輪郭に大きな瞳、アップに纏められた烏の濡羽色の絹の髪の毛。

呆然と思わず視線を下にやっていくと、小さな、しかし綺麗なラインを描いた乳房、くびれを作った腹とその中心にあるヘソ。

そのあたりまで視線が行った辺りで、ズガン、と頭に衝撃。

湯船の中に頭全体で突っ込んでしまい、しかも物凄く頭が痛くて、涙目になりつつ両手で幹部を抑える。

思わず小さな悲鳴をあげようとして、お湯を飲みそうになってしまった。

 

 俺は湯船に顔をつけたまま百八十度回転。

ゆっくりと顔を湯船から引き上げ、ぼたぼたと顔から落ちる湯をそのままに、停止する。

何を言えばいいのだろうか、と言うか本当に綺麗だった、とか思っているうちに、霊夢さんの方から声。

 

「……見た?」

 

 言葉の刃で、全身を微塵切りにされたかのような感覚であった。

何時か妖怪二人にボッコボコにされて食べられそうだった事があるが、あの時以上に濃厚な死の気配を感じる。

思わず生唾を飲みながら、俺は乾いた口を開いた。

 

「は、はい。不注意ですみません」

 

 背後の殺意が増大。

思わず湯船の中で正座をし、背筋をピンと伸ばす俺。

しかし追撃の言葉はなく、焦りの募った俺は思わず口を開く。

 

「そ、その、すぐに視線を逸らさなかったのも、俺の不徳の致すところでした。

えっと、霊夢さんがあまりに綺麗に見えて、つい、長々と見つめてしまって……。

本当にすみませんでしたっ!」

 

 と言いつつ、霊夢さんに背を向けながらだが、頭を下げる。

長い静謐。

湯で温まった体が冷え切ってしまいそうなぐらいの時間が経った頃、ようやく霊夢さんが口を開いた。

 

「そう、ね。

ただの不注意かもしれないから今回は許してあげる。

でも、次は……覚悟しなさいよ?」

 

 俺は思わず胸を撫で下ろし、大きく溜息をついた。

とまぁ、そんな事があって、俺は大いに反省し、これ以降風呂の中で寝るような事はしなくなった。

これで風呂に入っている間は外から分かるようになるので、ハプニングはもう無いだろう。

しかし俺の脳内に残った霊夢さんの映像は、すぐに消しようが無い。

というのは、彼女の体は本当に美しく均整がとれていたと言うのもあるし、また恥ずべき事だが、俺の性欲が溜まっていたからと言う事もあった。

何の因果か、守矢神社に行った時からこの博麗神社に行き着くまで、ずっと美少女に囲まれての禁欲生活である。

これでも健康な男児であるので、俺は大いに困ったが、残念な事に解決方法は無かった。

とりあえず般若心経を心の中で唱え、落ち着くようにするぐらいである。

 

 さて、その日最後には当然眠る事になる。

俺は部屋に案内すると言う霊夢さんに従い歩くと、気絶した俺が寝かされていた部屋にたどり着いた。

以前俺が怪我していた時とは違う部屋だが、何か意味はあるのだろうか。

疑問に思いつつ部屋に入り、ふすまを閉めようとする。

 

「って、ちょっと待ちなさい」

 

 と、霊夢さんがふすまを掴み、止めた。

畳の上に足を踏み出し、後ろ手に霊夢さんがふすまを閉じる。

 

「えっと?」

 

 と思わず疑問詞を吐き出してしまった俺に、何時もの退屈そうな顔で、霊夢さん。

 

「私もこの布団で寝るわ」

「……は?」

 

 俺は驚愕して、とぼけた返事しか返せなかった。

一度反芻、二度、三度目でもまだ意味がつかめない。

どういう意味なのか、と混乱してグルグルしてきた視線を霊夢さんにやると、腕を組んで答える。

 

「家の布団、あんたが泊まっていた頃に何度も血まみれになって捨てちゃったから、もう一組しか残ってないのよ。

だからしょうがないでしょ。

あ、変な事はしないでね、勿論だけど」

「……はぁ」

 

 と言いつつも、俺は頭の中で何が起きているのか理解できていなかった。

真っ白な頭の中のまま布団に入り、隣に霊夢さんが入ってきて、灯りを消すわよ、と言って霊夢さんが灯りを消す。

月の光だけの暗闇になって、霊夢さんの体温がすぐそこにあると感じた時、俺はようやく言われた事を理解した。

 

「え、霊夢さん、その、男女七歳にして席を同じうせずと言いますし、俺は畳に直で寝ても……」

「馬鹿ね、そんなんじゃ風邪引くでしょうが。

あんたが変な事しなけりゃいいのよ」

 

 と言い、さっさと寝ようとしてしまう霊夢さん。

理屈で考えればそれは絶対におかしいと思うのだが、霊夢さんが言うとその方が正しいように思えて、思わず俺は頷いてしまう。

すると一度納得してしまったのに、わざわざ寝る前にもう一度問答を繰り返すのもどうかと思え、俺はそれに納得する事に決めた。

確かに布団を明日買ってくるまでの一晩、俺が変な事をしなければいいのである。

そう考えると簡単なことのように思え、俺は眠ろうと努力をし始めた。

 

 数分後。

すぐさま霊夢さんの体温に風呂場で見た光景を思い出してしまい、恥ずかしさのあまり寝れない事に気づく。

しかもなんだか良い匂いまでしてきて、女性ってなんでこんなに良い香りがするんだろうな、などとよく分からない事を考え始める俺。

 

 一時間後。

霊夢さんの手と触れ合ってしまい、思わず飛び退きそうになる。

多分飛び退いていたら、霊夢さんから布団を剥ぎとってしまう事になり、起こしてしまう事に繋がるだろう。

そうなれば今度こそ俺はぶっ飛ばされる事間違いなしである。

危ない所であった。

 

 三時間後。

やっとうとうとしてきた頃、突然霊夢さんが俺の手を握ってきた。

驚きのあまり飛び退きそうになるが、以下略。

それにしても霊夢さんの体温は少しだけ俺より低くて、心地よい冷たさだった。

その手が、俺の指の間に絡みつくようにしている光景は、想像するだけで少し扇情的である。

それに更に恥ずかしさが増して行き、すやすやと寝息を立てている霊夢さんに思わず恨めしい目を送ってしまう。

 

 五時間後。

半分夢の中に旅立っていた俺の右腕に、霊夢さんが抱きついてきた。

驚きのあまり飛び退きそうになるが、以下略。

先程霊夢さんの体温は少し低いと言ったが、それでも充分に暖かいのに違いはない。

両腕で俺の右腕を抱きしめ、何の夢を見ているのか、胸を押し付けるようにする霊夢さん。

腕にある柔らかい感触がなんであるかは、全身全霊で考えないようにしながら俺は一晩を過ごした。

 

 七時間後。

精根尽き果てた俺を尻目に、霊夢さんが欠伸混じりに起き上がった。

あぁ、気持ちいい睡眠だった、と言わんばかりの彼女は伸びをしてから、ふと俺に気づき、言う。

 

「あれ? あんた眼の下に隈ができてるけど、もしかして寝てないの?」

 

 霊夢さんの所為だよ、と言いたい所であったが、辛うじて思いとどまる。

そもそも俺が変な事を想起しなければ良かった、と言うのは確かなのだ。

それに明日には流石に布団も買ってくる事だろう。

そうやって僅かな希望にすがり、俺は頷くだけに留める。

そんな俺に、霊夢さん。

 

「あらそう。あ、この前行ったら布団屋は閉まっていたから、当分は二人で寝る事になるから」

 

 最早俺には、意識を手放し眠りにつく他無かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そんな風にして、夢のような毎日が通り過ぎた。

ふわふわと心が浮かんでいるような日々。

俺の幻想郷に来てからの一生で、幸せな数日だったかもしれない。

俺は霊夢さんの機嫌が良いだけで幸せだったし、霊夢さんも、俺が喜ぶ所には喜んでくれた。

本来ならば俺は、犯してしまった罪を償う為の方法について考えなければならなかったのだろう。

しかし俺は、まだ自身の罪に立ち向かえるだけの心の栄養を身につけていなかった。

あと少しだけ、この日々を味わったら、自分の罪に向きあおう。

少なくとも、十日を過ぎるよりは早く、そうしよう。

そう思って俺は、心の洗濯だと思って、霊夢さんとの暖かな毎日に心の全てを委ねた。

 

 しかし、そうこうしているうちに不思議な点に気づいた。

この博麗神社、俺が何時しか怪我で寝込んでいた時には日に何度も来訪者が居て、少なくとも一日に誰か一人は来ていたと思う。

勿論、俺への見舞い客を除いてである。

しかし今は、霊夢さんを尋ねる誰かどころか、参拝客すらただの一人も来ていない。

しかも、だ。

霊夢さんが博麗神社の外に出ている所を見たことも無いのだ。

勿論食材なんかは倉庫にタップリとあるのだが、少なくとも布団屋が開いているかどうか見に行くぐらいはする所なのでは無かろうか?

勿論、単なる偶然だったり、年の暮れは何時もそうなのかもしれないが……。

気になった俺は、霊夢さんが縁側でお茶を飲んでいる所を捕まえ、聞いてみる事にする。

 

「最近、と言うか俺が此処に来てから、人妖の行き来が無いような気がするのですが、気のせいでしょうか」

「あら、気づいたの」

 

 と、何でもないように言われたので、俺も茶を一口飲み、そうか、そうですよねぇ、と言いそうになってから物凄い勢いで霊夢さんの方を振り向き凝視する。

今何と言った?

そんな俺の疑問詞を読み取ったように、くすりと薄く微笑んで、霊夢さんは口を開いた。

 

「結界を張っているのよ、それも、幻想郷中の強者が集まっても解けないような、特別強力な奴。

って言うか、出入りを許可したら、あんたが入ってきた奴を不幸にしちゃうでしょうが」

「…………………それ、じゃあ」

 

 絶句。

想像だにしていなかった事実に、俺の脳内がようやく回り始める。

ふわふわと浮ついていた精神は重力に掴まれ、地べたを這いずりまわり始めた。

 

「霊夢さんは、俺を封印する為に、自分を犠牲に?」

 

 自分で言っていて、寒気のする想像だった。

そう言ってしまえば、確かにそうだと思える証拠はいくつかある。

例えば倉庫の中に山ほど入っていた食料。

あれほどあれば数年、霊夢さんが俺を完全に封印するまでに必要な期間、二人の食糧事情を支えきれるのではあるまいか。

となると、霊夢さんは、即応性のある結界でまず俺を外界から排除、それから俺をじっくりと封印しようと言う事なのだろうか。

目の前が真っ暗になりそうな気分だった。

俺だけが浮かれて騒いでいるこの状況は、霊夢さんにとっては数年引き篭っている必要がある棺桶に過ぎなかったのかもしれない。

しかし、そんな俺の想像を、霊夢さんは朗らかに笑って否定する。

 

「あぁ、違うわよ。

いくらなんでも、幻想郷中の強者が力を合わせても解けない結界なんて、あと数日しか持たないわ。

まぁ、その代わりに時間をかけて、月人やら神やらが力を合わせても解けない結界を作ったんだけど」

「では、何のために……」

 

 理由を正す俺に、霊夢さんはお茶を一口。

縁側に湯のみを置くと、俺の瞳をじっと見つめた。

 

「覚えてる? 権兵衛さん。

幻想郷の有力者の中で、貴方と初めて出会ったのは、私だって事」

「は、はい……」

 

 事実である。

俺は幻想入りしてまず外の世界に返されようとして、その時霊夢さんと出会ったのである。

慧音さんと出会ったのは、その後で里の会議でボロクソに言われた後の話。

幻想郷の有力者の中で初めて出会ったのが霊夢さんだと言うのは、事実である。

それにしても何故だろう、背中に凍土が生まれたような感覚を覚え、俺はぶるりと震えた。

霊夢さんの目には一切の狂気が感じられず、完全に正常で美しい瞳であると言うのに、何故か。

そんな俺の思考を無視して、霊夢さんは、厳粛に口を開いた。

 

「私その時、権兵衛さんに一目惚れしたの」

「…………………え?」

 

 ヒトメボレ。

一目惚れ。

単語の意味が一瞬分からず、分かってからも聞き間違いではないかと思うぐらいだった。

あの超然とした霊夢さんが、俺に、一目惚れ?

一体何の冗談だろう、と思いたくなるが、霊夢さんが俺に向ける真剣な表情が真実を告げていた。

 

「そして私の勘が、貴方の能力がどんな物であるかもなんとなく把握していた」

 

 それは、と言おうとして、俺は言葉を飲み込む。

それは、一体どれほどの苦難なのであろうか。

一目惚れした男が俺のような愚物であると言うだけでも不幸だと言うのに、ましてや呪われた能力の持ち主だとは。

思わず俺は絶句した。

が、そんな俺の想像を絶する言葉が、霊夢さんの口から放たれる。

 

「それだけじゃあない。

貴方がその優しさ故に、例え初めて出会ったその時に監禁したとしても、その優しさを私一人に向ける事は無い事も分かっていた。

助けてくれたと言う里人やらに恩を返すつもりでいて、真に愛しあう事ができなかったって」

「…………………え?」

 

 今度こそ、真剣に意味の分からない言葉だった。

何度反芻しても、その意味が咀嚼できない。

監禁?

真に愛しあうって?

そんな俺の疑問詞を無視して、霊夢さんは続ける。

 

「だから、私は考えたの。

権兵衛さんが自分の能力を自覚して、私の他の人妖神仙に頼る事は無くなる事を。

そしてその可能性が幻想郷中のあらゆる場所に存在しないと確信する事を。

その為に、私は色々したわ」

 

 完全に思考が停止した俺に、霊夢さんは何時もの気だるげな顔を少し上気させて言う。

 

「この結界だってそう、刻みこむのに半年以上かかったのよ?

権兵衛さんが順当に幻想郷の強者を不幸にするまで、硬直状態を維持して幻想郷中を回らせるのにも苦労したわ。

権兵衛さんが傷つけられた時は、勿論腹が煮えるようだったけれど、勘が今最善の道を進んでいるんだって告げていたから、その通りにした。

時間はかかったけれど……上手く行ったわ」

 

 いつの間にか、霊夢さんはしっとりと全身に汗をかいていた。

濡れて陽光の光に反射する顔は、まるでそれ自体が輝いているかのよう。

少しだけはにかむような、控えめな笑顔で、霊夢さんは続きを口にする。

 

「だって今、私と権兵衛さんは、二人きりで居るもの。

権兵衛さんには私の他に頼れる相手は居ないし、それを自覚してもいる。

だって権兵衛さんには“みんなで不幸になる程度の能力”があって、私にしかそれを無効化する事はできないんだから。

だから。

今こそ私たちは、夫婦になれるに違いないわ」

「め、おと……」

 

 今や俺は、呆然と霊夢さんの言った言葉を反芻するだけの機械となってしまっていた。

俺は今告白を聞いたばかりだと言うのに、いつの間にか夫婦の誓いを迫られている。

いや、と言うよりも、俺が是と言うに違いないと霊夢さんは確信しているようだった。

疑問詞に揺れる俺の視線に気づかぬまま、霊夢さんは続ける。

 

「権兵衛さんには、傷跡だの食事だの、他の女のつけた汚れが残っていたけれど、それも此処数日でとれてきたわ。

明日か明後日にでも、それは清められるから大丈夫、結婚はきちんとできるわよ。

完全に清らかになったらその日、私達、結婚しましょう」

 

 と、そこでようやく俺の頭の回転が追いついてきた。

なんだこれは?

霊夢さんは一体何を言っているのだ?

混乱する一方、妙に俺の中には冷静な部分があって、兎に角情報を引き出そうと矛盾点をつく。

 

「でも、この結界はあと数日しか持たないって、そう言っていたじゃあないですか?

そのあとは、一体どうするんです?」

 

 すると霊夢さんは、目を細め、小さなえくぼを作って微笑んだ。

まるで太陽が目の前まで降りてきたような、美しい笑みだった。

 

「そのあとなんて、無いわ」

 

 俺のように卑小な者では焼き尽くされんばかりの光量の笑み。

しかしそれでいて俺を優しく包んでくれる感覚があって、俺は安堵感に負けそうになる。

そんな俺に、極上の笑みのまま、霊夢さんは言い放った。

 

「権兵衛さん。結婚したら、一緒に死にましょう?」

「…………………え?」

 

 頭の中の妙に冷静な部分が、俺ってここ数分で何回え? って言ったんだろうな、と思った。

数えてみれば、三回目だった。

 

「この結界の中で死んだ私達二人は、世界の何処へも行き着かず、永遠に此処に漂う事になる。

あの亡霊姫でさえも操れない、愛の証となるのよ。

そうすれば、きっと私達、幸せだわ。

ねぇ、権兵衛さん、一緒に幸せになりましょうよ」

 

 死ぬ事でしか幸せになれない夫婦など、あるものか。

愕然とする俺を尻目に、霊夢さんは立ち上がり、くるくるとその場で回り始めた。

霊夢さん自身の回転にやや遅れて、スカートや服の裾が緩い円形を作り、回転する。

くるくる。

狂る狂る。

十回ぐらい回った後、霊夢さんはぴたりと止まって、俺を見つめながらぱっ、と両手を開いた。

その顔は、何時もの気だるげな顔に、少しだけ笑顔を足した物だった。

ただ瞳だけが狂気を孕み、蘭々と光っている。

そんな瞳を見て、俺はようやくの事思い出していた。

 

 何時しか星さんは、俺を地底に封印する時、こう言っていた。

お前は、世界最悪の忌まわしい能力の持ち主だ。

お前の持つ、“名前が亡い程度の能力”も。

“月の魔法を扱う程度の能力”も。

……“重力を操る程度の能力”も、それには及ばない、と。

“重力を操る程度の能力”。

霊夢さんの能力は“主に空を飛ぶ事ができる程度の能力”。

まるで対にある能力は、合わされば相殺されると言うのが普通の考えであり。

そうなれば、俺の“みんなで不幸になる程度の能力”を無効化する事はできなくなるのであって。

 

 そう、霊夢さんもまた、霊夢さんもまた……不幸になってしまったのだ。

 

 全てを悟ると同時、俺の体に残った気力と言う気力が抜け落ちていった。

瞳は光を失い、首はがくりと折れ、口からは涎が垂れようとするが、それを抑える気にすらならない。

絶望的な気分だった。

恩返しの為に生きてきて。

それが不可能なのではないかと絶望して。

人の暖かさの奇跡を知り、それに命を賭し。

俺は呪われた能力の持ち主なのだと宣告され。

それでも人を幸せにできるのではないかと夢想し。

その淡い夢も砕かれ。

最後に霊夢さんの事だけならば、幸せにできるのではないかと、そう思えたのに。

それすらも出来なくって。

 

 最早俺には、人生を立ち上がって歩むどころか、座り込む気力すら無く、大の字に寝転がり動けなくなっていた。

生きる気力の全てを無くし、俺は精神の全てを放棄した。

抜け殻のようになった俺を、霊夢さんは矢張り無表情気味だが、少しだけ嬉しそうに世話し始める。

それすらもどうでも良いと思い、俺は心を閉ざした。

それは奇しくも、こいしさんと同じ状態であったのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 心を閉ざし、外界への反応を無くした俺の事を、霊夢さんは上機嫌に世話した。

翌日俺は、霊夢さんに起こされ、手を引いて広間に座らされた。

朝食は霊夢さんが作って俺の口に運び、俺は口に食べ物が入ったら反射で噛み砕き飲み込んでいった。

吐き出そうかとも思ったものの、生理的欲求には逆らわない方が何も考えなくて済む。

より何も考えずに済む方へと思考を進める俺は、霊夢さんに食事を口に運ばれ、朝食を終えた。

一瞬だけ、まるで親鳥が雛に食事をやるのに似ているな、と思ったが、そんな思考も光のように通り過ぎていく。

 

 朝食が終わると、俺は霊夢さんによって着替えさせられた。

袴姿になった俺は、正座の形を取らされ、少しの間霊夢さんを待つ。

すると霊夢さんは、何時もの巫女服ではなく白無垢で現れた。

綺麗だな、と呆然と思うものの、何時ものように口は動かず、また思考もすぐに鈍つき、動かなくなる。

そんな俺を笑顔で許し、霊夢さんは俺の手を取り外へ連れだした。

 

「人数が揃わないから簡易式だけど、許してくれるよね?

あと、権兵衛さんは外の世界から来た人だから、折衷式でするけど、いいわよね?」

 

 小首を傾げた霊夢さんは、何時もより少しだけ緊張した顔でいて、可愛らしいな、と思ったが、その思考もすぐに消え去る。

返事を期待していなかったらしい霊夢さんは、そのまま俺を連れて神前に立った。

幣を用いて禊を行い、祝詞を上げる霊夢さん。

それを俺はぼうっとしたまま、何も考えずに頭を下げて受け、そして呆然と祝詞を聞いていた。

三々九度の盃を逆らわずに受け、霊夢さんに口付けさせられ酒を飲み込む。

それから霊夢さんは、誓いの言葉を口にする。

意識が途切れ途切れなので、全ては耳に入らなかったが、最後の方はきちんと聞こえてきた。

 

「……これから後は、神の教えを守り、互いに愛しあい苦楽を共にします」

 

 それから霊夢さんが、俺の方を向く。

俺の肩に手を置き、引っ張って俺を振り向かせる。

 

「……折衷式、だから」

 

 と小さく呟くと、霊夢さんはゆっくりと俺に顔を近づけてきた。

唇と唇の距離が狭まる。

そういえば、俺はファーストキスもまだだったな、と思うと同時、ぐらり、と体が揺らいだ。

重力が俺の体を捕まえ、足首を誰かの手が掴み、引きずり込まれる。

霊夢さんは俺の肩に手を置いていたが、体重は預けていなかったので、姿勢は崩れなかった。

代わりに、俺の事を捕まえようと手を伸ばしたのが、間に合わず空を切る。

 

「紫ぃぃいいっ!!」

 

 霊夢さんの絶叫。

俺が呆然と足元を見ると、地面があるべき場所の空間が避けており、そこから覗く紫色のドレスを来た紫さんが、俺の足首を掴んでいた。

上と下を見比べ、そういえばと何時か地底で見た夢の事を思い出す。

紫さんの伸ばした手は、ちょうどあの時の少女がそうであったように、真っ白な手袋で覆われていた。

すると急に、俺の中に霊夢さんの事を今手放してはならないと言う気持ちが生まれる。

今、霊夢さんの手をとれなければ、とんでもない事になるような気がしたのだ。

霊的な直感に突き動かされ、霊夢さんの方へ手を伸ばす。

 

「霊夢、さん……!」

 

 が、しかし霊夢さんは俺を掴もうとして空を切ったばかりで、姿勢を立てなおして手を伸ばすのには、時間が足りなかった。

無慈悲に空間の亀裂、スキマが閉じていく。

霊夢さんが絶叫の為空気を吸う音を最後に、空間は断裂した。

俺は紫さんに引っ張られ、何処とも知れぬ地へと引きずり込まれてゆく。

重力に引かれる自由落下の感覚だけが、長々と続いていった。

 

 




当時の前話までの感想で「霊夢こそが権兵衛にぴったりな相手なのでは」みたいな感想を見てニヤニヤしていた。
それこそがある種、作中の霊夢の思惑通りなので。
なお結果。
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