ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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タグにもあるが、R-15グロ注意


04-永遠亭1

 

 

 恐怖はつねに無知から発生する。

逆説、恐怖を感じると言う事は全知では無いと言う意味である。

故に妖怪の賢者に恐怖してしまった月の賢者は、全知と言う称号はやや過分であり、故にたまには未体験の出来事に出くわす事がある。

それは永琳の探究心による地上人の犠牲による成果だったり、地上の穢れによって地上人をただの道具として見なくなったり、主に地上に降りてから起きた事であったのだが、これもまた、そうだった。

 

「あぁ……」

 

 思わず、ため息が漏れる。

湿り気を多分に含んだそれは、永琳の内心を表したかのように、暖かく、滑り気があった。

どきどきと高鳴る胸は今にも爆発しそうで、思わず手袋越しに服の上から抑えてしまう。

こんなにも心が不安定なのは、永琳の記憶にある限り、生まれて初めてかもしれない。

まるで今までの精神の揺れと言うもの全てが余震であったかのようで、その例えで言うなら今の永琳の心は、とんでもないマグニチュードの揺れだった。

理性の手綱を無視して手は震え、唇は開き、頬は紅潮する。

体温が高くなった所為か、汗が頬を伝い、顎を伝い、鎖骨を超え、胸の間を滑り落ちてゆく。

その感触すらも何処か官能的で、艶めかしい。

 

 なんと美しい内蔵なのだろう、と、再び、八意永琳はため息を漏らした。

半人半霊が連れてきた男、権兵衛は、連れてこられた当時は腹を斬られただけで、永琳の手によれば三日もあれば完治できる程度の怪我だったのだが、今は違う。

その傷の隙間から覗く内蔵の美しさに心奪われた永琳は、早速男の皮膚を鋏で切り、内蔵の色を透過した真皮を切り裂き、ピン止めし、その内蔵を顕にしてみせた。

あぁ、なんと美しい事か。

黄土色の濁った腸の、てらてらとした輝き。

濃血色の肝臓の、宝石のような輝き。

全てが、今までに見たことのない美しさだった。

頬に飛び散った黄色い液体でさえ、舐めとると脳裏が痺れるような快感が走る。

あぁ、美しいものは美味くもあるのだな、と、痺れる脳内で永琳は納得した。

 

 永琳は手袋を脱ぎ捨てた。

何せ何にしても生の感覚と言うものは何かを隔てた物とは段違いで、快感も勝ると言うのが定説であるのだ、当然と言えよう。

それから永琳は両手をそっと権兵衛の体内に入れた。

まるで高価な宝石を扱うように、そっと永琳は権兵衛の小腸を手に取る。

腸間膜がひきつり、海老のように跳ね上がる権兵衛を尻目に、その重量感に永琳は思わず唾を飲んだ。

心拍音が上がってきているのが、否が応でも分かる。

 

「私、興奮しているのね」

 

 呟いてから、永琳は、大きく息を吸い、吐き、体内の空気を入れ替えてから、思い切ってぐっと顔を近づけた。

ぺたっと、永琳の頬が権兵衛の黄土色の小腸に貼りつく。

粘液がてらてら輝きながら頬にへばりつき、血と脂肪の独特の匂いが永琳の鼻をついた。

こんな風に研究心からか思い切りが良い時、永琳は研究者であって本当に良かったと思う。

新しい発見は何時も脳の痺れるような快感を永琳に与えてくれるのだが、今回は格別だった。

この艶めかしい手触り、頬擦りの感覚、どちらも素晴らしいとしか言い様がない。

あぁ。

あぁ、もっと、この感覚を味わいたい。

胸を過る切なさが命じるままに、永琳は思い切って舌を這わせる事にした。

 

「ん……あぁん……」

 

 ぺろり、と、小腸の表面の粘液が、永琳の舌の上に乗った。

それを口の中に仕舞うが、すぐに飲み込むのは勿体無い。

口の中で転がし、香りと感触とを十分に楽しんでから、永琳は粘液を飲み込む。

何の変哲もない人肌の温度の粘液は、しかし熱湯を飲み込んだかのような熱量を以てして、永琳の胃へと収まる。

あぁ、私は今、これと一緒になっているんだ。

内心でそう呟き、永琳は目を瞑ったまま、しばし粘液の味の余韻に浸った。

 

 しかし、恋人の逢瀬のように、この素晴らしい時間にも終わりはやってくる。

さしもの永琳も、これ以上権兵衛を開きにしていては殺してしまう、と言う制限時間はあるのだ。

特に、今権兵衛が負っている傷は、一振りで幽霊十匹分の殺傷力を持つ楼観剣による物である。

惜しみながらも永琳は頬に張り付いた小腸を剥がし、権兵衛の体内に戻す作業にかかる。

ついでに小腸だけでなく腎臓や肝臓の感触も確かめ、その都度その官能的な感覚に身を震わせながら、永琳は作業を続けた。

 

「あぁ、勿体無い」

 

 本当に勿体無い、と、続けて呟く。

亡霊姫の手下に連れてこられたこの男は、全部解剖してしまう訳にはゆかない。

何せ蓬莱人たる永琳にとっても、冥界の主は結構な勢力である、下手に敵に回すのは不得手だろう。

ああ、本当はこの男を、バラバラにして瓶詰めにして、ずっと保管してしまいたいと言うのに……。

喉から手が出る、とはこの事か。

せめての慰めとして、幾つかの臓器を取る事をだけ決めて、永琳はため息混じりに権兵衛を修復する作業を始めようとする。

 

 と、突然そこで、永琳は気づいた。

私の今の言動は、非理性的過ぎはしないだろうか。

内蔵を引っ張りだしては自分が興奮しているなどと嘯き、挙句の果てには頬を当てて舌で舐めるなどとは。

しかも甘酸っぱいため息を漏らし、この時間を恋人の逢瀬のように思うなどとは。

かぁっ、と、永琳の頭に血が昇った。

 

「違う、違うのよ」

 

 思わず口走るが、聞く相手は何処にもおらず、当然、返答する相手もいない。

その仕業一つを取ってみても非理性的で、己を窘めたくなるのだが、その事実が更に永琳の頭を湯だたせる。

駄目だ、と永琳は思った。

この男を相手にしていては、兎に角駄目なのだ、と。

こんなにも心をかき乱されるのは、月の賢者とまで言われた永琳にとっては、恥である。

恥とは隠さねばならないものであるので、当然、永琳もどうにかそれを隠そうとするのだが、どうにも上手くゆかない。

その美しい内蔵が眼に入るだけで、頬が紅潮し、心臓が脈打つのを止められない。

せめて顔だけなら、と思ってその平凡な顔に目をやるも、同じことだった。

 

 あぁ、どうしよう、と思った所で、永琳はちょうど良い事を思いつく。

そうだ、ならば逆の、憎悪の心で睨むようにすれば、同じ非理性であっても、せめて今程の恥では無くなるのでは無いだろうか、と。

早速有限実行、と、永琳は己の中にある憎悪を引っ張り出してきて集めてみて、目の前の開きになった男にぶつけてみた。

何時ぞや、輝夜を連れ帰ろうとした使者よりも憎く。

何時ぞや、永琳に恐怖を味わせた妖怪の賢者よりも憎く。

すると、愛情と憎悪は丁度良く打ち消し合ってくれる、と言う訳では無いものの、ある程度は相殺されるようで、どうにか頬の紅潮は抑えられ、心臓の音の高く響く程にではなくなった。

流石に表情が歪むのは隠しきれ無かったが、先の醜態と比べれば、上出来と言えよう。

良かった、と内心胸を撫で下ろしつつ、永琳は心の中から憎悪を集めてくるのを忘れないようにしながら、権兵衛を修復する作業に努めるのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 さてはて、ここで一つ考えよう。

俺は残る平凡な人生で、果たして一体あと何回慧音さんと出会ったことを思い出すだろう。

精々あと四回か五回か、少なくとも十回を超える事は多分無いだろう。

果たして一体あと何回太陽を見上げる事があるだろう。

十回はあるかもしれないが、二十回あるかどうかは分からない。

だが、俺ばかりと言わず人は、何事も無限の機会がありえると信じている。

全くもって愚かであり、そしてそれは俺もまた、同じであった。

つまり、要約すると、俺は後悔していた。

なぜ、もっと妖夢さんの事を慮れなかった物かと。

 

 結局。

俺は、斬られた。

妖夢さんに。

こればかりは疑いようのない事実であり、前提として組み込み考えねばなるまい。

しかし同時に、俺は未だに妖夢さんの事を信じていると言う、不可思議だが困ったことに事実である事も、前提せねばなるまいだろう。

そう、未だに俺は、妖夢さんの事を、快楽に負けて斬る剣鬼のようになるとは思っていなかった。

何故だかは分からないけれど、しかしそう信じられるのは確かなので、しょうがない。

その理由は置いておくとして、とりあえず先の事を考えてみる。

妖夢さんが信じられると言うのならば、俺が二度目に斬られたのは、恐らく彼女の意思による物ではなく、無意識によるものだったのだろう。

勿論そればかりは聞いてみなければ分からないが、しかし当然の理として、俺が妖夢さんを信じる以上、そうなる。

で、あるならば、きっと妖夢さんは、俺を斬ってしまった事で、傷ついてしまったに違いない。

何せ俺に信じると言ってもらったと感謝してすぐの事である、きっとあの真っ直ぐな子は、俺の信頼に答えられなかった、と悔やんでいる事だろう。

 

 しかし、問題は、俺の方にも僅かばかりはある。

妖夢さんがあれほど深刻に悩んでいたのに、俺が信じてやる事だけで解決できる、と勘違いしていた事である。

何せ問題は、刀を断つと言う程に妖夢さんが罪悪感で目を曇らせていた事と、俺を斬る事に快感を感じてしまった事にあった。

しかし、前者の問題は、僭越ながら俺が解決に力を貸せたと言っても良いが、後者に関しては信じると言うだけ、実際的な方法は何一つ示してやれなかったのだ。

それで問題が半分解決するのならばまだしも、これらの問題は連結しており、俺をもう一度斬ってしまった今、妖夢さんは再び刀を持って良いかどうか悩んでいる事だろう。

これでは、俺が妖夢さんに何一つ力を貸さずに居た方が、問題の解決には早かったかもしれないぐらいだ。

いや、きっとそうなのだろう。

何せ、俺は、俺なのである。

幻想郷の底辺を生きる男なのである。

それでいて誰かの助けになれるなどとは思い上がりも甚だしい、と言うのが当然の理である。

妖夢さんの言であるが、道理が立たない、筋道が行かない、理屈が立ちゆかない、と言う奴だ。

 

 ならばはて、次に会った時どうしようか、と、役に立つのか立たないのか分からない底辺の思考をしていると、診察室の扉が開いた。

はたと面を上げると、そこには白髪の美女が立っていた。

長い三つ編みにやや鋭い目付きと賢しげな風貌に、赤十字の帽子をかぶり、何故だか赤と紺の二色で割られた服を着ている。

その様相はかつて慧音さんの元に居た頃、里人に薬師の先生と教えてもらった通りの物であった。

つまり。

 

「権兵衛さん、具合は良いかしら」

「えぇ、もう痛みも無いですし、今にでも動き回れそうなぐらいですよ」

 

 八意永琳さん。

彼女と俺は、医者とその患者と言う関係なのであった。

と言っても、先程目覚めたばかりなので、それ以外の関係などある筈も無いのだが。

それは兎に角、実際噂通りに凄腕の先生らしく、目覚めてから半刻とたたない今でも、すでに動き回れるどころか、体が軽いとすら感じるぐらいなのである。

いや、本当。

物理的に軽くなっているんじゃないかってぐらいに。

などと阿呆らしい感想を抱く俺に、八意先生は、聴診器だの何だの、鞄から色々な機材を持ち出して、俺を調べ始める。

 

「そうかもはしれないけれど、一応安静にしておいて頂戴。それに、私を連れてきた子、貴方を斬ってかなり動揺していたわ。とりあえず落ち着くまで、ある程度期間を取った方がいいと思うの」

「そうですか。三度目の正直、と言う言葉もあるのですが」

「二度ある事は三度ある、よ。止めておきなさい」

「二度ある事は三度ある、三度目の正直、どっちも言いますけれど、どっちが本当なんですかね?」

「あら、どっちも同じじゃない」

「?」

「三度とも正直なら、同じ事よ。はい、ちょっと背中見せてくれるかしら」

「それは何か違うような……」

 

 などと知能の低そうな会話に付き合ってもらって数分、どうやら診察は終わったようで、八意先生は機材を鞄にしまい始める。

 

「はい、ついでに体も見ておいたけれど、問題なし、健康体よ」

「そうなんですか? 何か妙に体が軽い気が……」

「えぇ、そうなのよ。何の問題も、無いわ」

 

 重ねて言うからにはそうなのだろうと納得し、俺は直接機材を付ける為に脱いでいた着物を着る。

ちなみにこの着物、此処永遠亭で用意された物で、白玉楼で着ていた物は矢張り血と斬撃で駄目になってしまったらしい。

藍染めの簡素な着物に袖を通すと、俺はくるりと回って、八意先生を正面に捉える。

 

「ありがとう、ございました」

 

 頭を下げた。

と言うのも、俺が此処に居る次第なのだが、まず、俺は白玉楼を出ようとする際に妖夢さんに斬られた。

で、妖夢さんは慌てて俺を抱え、幻想郷最高の医者と言っていい薬師である八意先生の住む此処、永遠亭に連れてきたらしい。

そして俺は丸一日に及ぶ手術の結果、この通りにすぐさま健康体になり、妖夢さんの方は一旦白玉楼へ帰されたようだった。

であるので。

俺が礼を言うのは当然であるのだが。

何故だか、八意先生は、顔を歪めた、ような気がする。

それがほんの一瞬であったので俺の見間違いかもしれないのだが、いや、しかし確かに。

どうしたのだろうか。

俺が何かしたのだろうか。

と思ってすぐに、俺は自身の風評に思い至る。

何せ俺は里にとって慧音さんにたかる大悪人であり、八意先生と言えば、里と懇意である薬師である。

であるならば、当然、俺などと会話する事が苦痛であったり、不信を持ったりする事になるだろう。

何せ俺と言えば幻想郷で最も低い身分の一人であるのだ、そんな男を会話して不快に思わないのが不自然なのである。

 

「えっと、その、すみません……」

「? 何がかしら?」

「いや、その、不快だったようなので」

 

 今度こそ間違いなく、八意先生の顔が歪んだ。

視線には明らかに侮蔑の色が乗り、不快感が背後から滲み出る。

まるで背後に何か大きな物が押し留められているような気配だった。

肌を刺す空気に、思わず息を飲む。

俺は、思わず申し訳なさに顔を背けた。

もしかしたら八意先生が不快であったと言う事を指摘したのがいけなかったのかもしれないし、そも、俺が口を聞いた事自体がいけなかったのかもしれない。

俺は申し訳なさに押し潰されそうになりながらも、本当にどうすればいいのか分からなくて、俺は視線をそこら中に泳がすが、しかし当然答えがその辺に浮いている訳などなかった。

こんな時、俺は自分が不甲斐なくて、消えてしまいたくなる。

鎖骨の辺りがすぅっと冷えてきて、全身から力が抜け、兎に角体中の関節が全く自然な状態になり、一切の意思が抜けきってしまったかのようになってしまうのだ。

里に行く時には毎回味わうお馴染みの感覚で、一人で黙々と動いていても、ふとした瞬間こんな無力感を味わう事はあるのだが、此処数日、白玉楼の天国のような日々を過ごした為に、久しぶりの感覚であった。

再び、思い知らされた気分だった。

俺は幻想郷の地面と余程重力が強いらしく、正に幻想郷の底辺に生きているのだと。

 

「そんな事、無いわよ」

「え」

「礼を言われて不快に思う事なんて、無いわ」

 

 俺の言葉に重ねて言われたそれに従い、俺は八意先生の顔の歪みを無かった物を考える事にする。

俺は純然たるただの患者に、八意先生は純然たるただの医者に。

こういった事務的な態度はせめて傷つかないように、と里人との間で使い慣れた態度であるので、俺にとっては慣れた物であった。

と言っても、それに慣れてしまえばこそ俺はこうやって駄目になり続けているのかもしれないと思うと、複雑な心持ちであるが、とりあえずそれは無視する事にする。

八意先生もそれに習ったのか、事務的な口調で口を開いた。

 

「——完治までは、三日とかからないけれど。でも、あの貴方を斬った半人半霊、大分動揺していたようだし、冷却期間を置いた方がいいわね」

「え、でも、お金は」

「心配しなくていいわ、それならあの半人半霊がおいて行った分で足りるから。……そうね、一週間ほど此処に滞在なさい」

 

 言うと、八意先生は、カルテらしき書類を手に、何やら記入を始めた。

妖夢さんが動揺していたと聞いてそれを心配する部分もあったが、とりあえず、と、俺はその提案に頷く事にする。

時間の解決できる問題は、時間に解決してもらった方が良い。

何せ俺はと言えば、物理的に見ても精神的に見ても、侘び寂びの見本のような侘しさと寂しさなので、解決できる問題と言うのは非常に少ないのだから。

と、そんな事務的な会話を続けていた所であった。

がらがら、と、音を立てて診療室の扉が開く。

思わず面を上げると、そこには絶世の美女が居た。

黒艶のある尻を隠す程の長さの黒髪に、宝石を散りばめたかのように輝く瞳、白磁の肌に、洋服と和服が半分づつ入り交じったような、引きずる程の丈の着物を着ている。

八意先生も幽々子さんもそうだったが、どこか浮世離れした恐るべき美人であった。

此処最近の美人遭遇率に、一体どうしたものやら、と内心呟く俺を尻目に、彼女は気怠げに言う。

 

「えーりん、何だか慌ただしかったけど、もう終わったの……って、あら、初めまして」

「あ、はい、初めまして。自分は、外来人の、七篠権兵衛と言います」

「そう、権兵衛と言うの。私は此処、永遠亭の主、蓬莱山輝夜よ。呼ぶ時は輝夜でいいわ」

 

 と、俺を見てから背筋を正して言うので、俺も同じく権兵衛で良いと伝える事にした。

すると、僅かに顔を歪ませてから、俺と視線を合わせないままに八意先生も続ける。

 

「……輝夜が名前で呼ばせるなら、私も下の名前で呼んでもらう他無いわね」

 

 と言うので俺も八意先生の事を永琳さんと呼ぶ事にするのだが、しかし恐らく嫌われているだろうと言う予感のある人に、下の名前で呼ばせる結果となってしまった事に、思わず俺は視線を足元におろしてしまう。

はい、と、消え入りそうながらも何とか返事を返す事ができたのは、幸いだった。

と言うのも、それぐらいに俺は、久しぶりの悪意に消耗をしていたのだ。

喉の辺りには何か詰まっているような感覚があるし、理由も無く頭の中が重くなり、手足の先の感覚が薄くなる。

ため息をどうにか飲み込み、体中の力を集めて、どうにか視線を輝夜さんや永琳さんの方へと向ける事に成功すると、何やら、輝夜さんの方は面白そうな目で俺の事を見ていた。

何だか、嫌な予感がする。

 

「あなた、名前が七篠権兵衛と言うの」

「あ、はい。その、幻想入りする際に名前を亡くしてしまって、それで自分でつけたのですが」

「へぇ、名前の亡い外来人、ねぇ」

 

 宝石のような目をキラキラと輝かせながら、すすっと輝夜さんは永琳さんの目前にでたかと思うと、合わせた両手を頬にくっつけ、こてん、と首を傾ける。

 

「ねぇねぇ永琳、この人間、飼ってもいいかしら」

 

 奇しくも、俺は永琳さんと同時に絶句する事となった。

俺を、飼う?

ペットのように?

思わず、無け無しの反抗心が、ぐっと湧き上がる。

俺はいつも、人と対等にありたいと思っているだけなのに、それすらも叶わないのか、と。

しかし、吐き捨てようとした言葉は、喉の辺りで停止し、急激に力を無くしてゆく。

そうかもしれない、と、心のどこかで思ってしまったのだ。

何せ俺と言えば、先程永琳さんに思い出させられた通りに、兎に角、人に嫌われる事が上手く、人に好かれる事が下手くそなのだ。

だからといって何か力や地位があるのかと言えば、どちらも最底辺で、どうにも救いようがない。

せめて、その言葉を否定して欲しいと永琳さんの方へ視線をやる。

目が、合った。

冷笑と共に、視線を逸らされた。

そして俺が家畜のように扱われているのが当然とでも言うように、会話を続ける。

 

「輝夜、この地上人は、月の兎とは訳が違うのよ」

「あら、分かってるわよ。でも、名前を亡くしたなんて面白いじゃない。事実、ほら、この男はこんなにも穢れが少ない。地上人としてはこれは異常だわ」

「確かにこの地上人が面白いのは事実だけれど、でも輝夜、ペットなら他にいくらでもいるでしょう」

「永琳? どうしたの、この地上人に何か特別な所でもあるの?」

 

 暫く躊躇った後で、永琳さんは口を開く。

 

「里での評判が悪いわ」

「別にそんなの関係ないわよ」

「冥界の客だった男よ」

「別に飼うぐらいいいじゃない、その冥界の下っ端に斬られたんでしょう? この権兵衛とやらは」

「一週間で完治として送り出す、と約束したわ」

「なら私の永遠の魔法をちょこっと応用して、権兵衛にとっての一週間を永遠にすればいいじゃない」

「その………………」

 

 口を噤んだ永琳さんに、勝ち誇ったような笑みを輝夜さんは浮かべた。

 

「ほら、いいわよね。権兵衛も、別にいいでしょう? 飼われる事ぐらい」

 

 俺はと言えば、なんだ、それは、と呆然と口にしようとして、しかし、声を出す事すらままならなかった。

体中から気力を根こそぎ奪われたようで、全身が脱力して、瞼を開けているのですら、残る力をぎゅっと集めて、ようやくの事成し遂げている事なのである。

俺が家畜同然に扱われることや、それが当然のように会話する二人と言う状況は、俺から力と言う力を奪っていた。

そも、俺は妖夢さんの力になれたと思ったら全然そんな事は無かった、と言う事で精神的にダメージを受けていた所であったと言うのに、これではあんまり過ぎて、何の力も残らなかったのだ。

最早俺は反抗心の欠片も起こす力も無く、むしろ、俺と言う底辺の男が、家畜同然に扱われる事が、当然のようにさえ思えてくる。

何せ、俺なのだ。

俺は、俺なのだ。

俺なのだから、仕方ない。

そんな風に力が抜け、寂びてゆく心に、もう俺は抵抗する術などなくて、だから、状況に流されるままに、俺は残る力を集めて、愕然としたままに首を縦に振る事にする。

小さく、もしかしたら分からなかったんじゃあないかと言う程度の首肯であったものの、どうやら俺の意思は伝わったようで、輝夜さんはにっこりと、花が咲き開くような美しい笑顔を見せたと思う。

と思う、と言うのは、最早俺には視線を上げている力すら残っておらず、すぐに足元に視線をやり、後は頭上で交わされる会話を呆然と聞くしか無かったからだった。

 

 

 

      ***

 

 

 

「輝夜、本気なの?」

 

 しつこく聞いてくる永琳に、輝夜は薄く笑いながら首肯した。

くるり、と回り、着物を床を這わせながら、後ろについていた永琳の方へと向き直る。

 

「本気よ、勿論。別にいいじゃない、地上人の一人ぐらい。それも、里人じゃなくて外来人だわ、好きにしていい相手よ?」

「それは……そうだけれど。でも、何で」

「一目みて、気に入ったからよ」

 

 永琳が、顔を歪ませる。

そう、言っている事は間違っていない。

輝夜は一目見て、永琳が権兵衛に見せる反応が気に入ってしまったのだ。

永琳と言うと、月の賢者である。

当然言動も輝夜にですら理解し切れない程に理性的で、不満や怒りなどを顕にする事はまず、ない。

と言うか、果たして千年以上付き添った輝夜でさえ、永琳の感情的な所など、見た事があったかどうか。

侮蔑は、ありはしただろう。

何せ永琳は輝夜と同じ元月の民である、汚れた地上人に対する侮蔑は、あったかもしれないが、それも僅かに雰囲気に滲み出るかどうかと言う程度で、殆ど無かったと言っても過言ではない。

兎も角、それぐらいに輝夜は永琳の感情的な所を見たことなど無かったし、時々機械仕掛けで動いているんじゃあないだろうか、と言うぐらいに、彼女の情動の有無を疑った事すらある。

 

 しかし、だ。

永琳は明らかに、権兵衛と言う男を嫌っていた。

あの普通っぽい地上人にすら、容易く見抜けるだろうと言う程に、感情を顕にして。

永琳の普段見せないその一面を見る事ができるのが、何と言うか、永琳もそんな風にする事があるんだ、と言う安堵に似た感情があって、新鮮さもあったり、より生の永琳を見れると言う好奇心に似た物もあって、兎に角気に入ってしまったのだ。

それに、永琳の嫌悪と言う感情も、輝夜の世話する優曇華の盆栽が地上の穢れを吸って身をつけるのと同じで、地上の穢れを身に受け始めた事の影響から出始めたのかもしれない。

そう思うと、より永琳の変化を見ていたいし、それに当の永琳が権兵衛を嫌っている以上、権兵衛を引き止める役は自分しかおらず、そう思うと、これも自分のすべき仕事の一つなのではないかと思えるのだ。

蓬莱山輝夜は、何もすることがなかった。

しかしそれは、何もしようとしなかったからであり、ならばしようと思った事はなるべくしよう、と輝夜は思っている。

故に権兵衛をとどめ置くのも、己の仕事の一つとしてみようと思ったのだ。

 

「仕事、ね」

「輝夜?」

 

 ふいに呟く輝夜に、永琳が疑問の声を上げる。

顔には嫌な予感がする、と書いてあり、こんな分り易い感情を永琳に浮かばせるのだから、やっぱり権兵衛を飼おうと思ったのは正解だな、と輝夜は思った。

 

「なら、とりあえず、権兵衛の暇つぶしの相手は、私がしようかしら」

「それなら、そもそもあの男を飼わなければ済む話よ」

「そうね、まず、一日一回は話をするようにしようっと」

「あの男にとって一日は永遠の魔法で狂わされているわ、別に私たちの一日で計らなくてもいいんじゃなくて?」

「それから、どうしようかしら」

「どうもしなくていいわ。飼うのは分かったから、世話まで貴方がする必要は無いのよ」

「そう、世話と言えば、永琳は私の世話をするとき、教育係をしていたわね」

「………………」

「なら、私も権兵衛の家庭教師でもやってみようかしら」

 

 深い溜息を永琳がつくのを聞きながら、その顔に憎悪が湧いているのに、内心輝夜はぐっと拳を握り締める。

と言っても、家庭教師と言うのは、永琳への嫌がらせで思いついたのではなく、実際に思うままに口にしてみた思いつきなのだが。

しかしまぁ、教師なら、何時ぞや永遠亭の兎相手にやった事がある。

これは腕の見せ所だわ、と、内心輝夜は腕まくりする。

と言っても、あれはすぐに飽いてしまったから、今回もそんなに長く持たないかもしれない。

だがまぁ、いいだろう。

これもまた、輝夜が己のすべき仕事を見つけようとする手段の一つなのだ。

優曇華の世話のように定着するとは思わないが、少なくとも飽いてしまうまでは続ける事にしよう、と、思って、輝夜は気づく。

そういえばあの男、権兵衛と言う名の男も、優曇華の盆栽のように、何処か侘び寂びを感じさせる男であった。

永琳の一言一言に含まれる悪意に心打たれ、寂びてゆくその様は、優曇華の葉も花も実も付けていない見窄らしさに、よく似ていた。

ならば少しはこの仕事も続くのではないかな、と、僅かな期待に心を揺らしながら、思うことにした輝夜であった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 夜半。

永琳は、自分の部屋に戻ると、後ろ手に襖を閉めると同時、膝の力が抜けてしまい、座り込む次第となってしまった。

と同時、大きなため息をつく。

ため息の主な成分は場合によって違い、時には甘酸っぱさだの極楽の気分だのを内包している事もあるが、殆どの場合主成分は幸せである。

それ程この世の中は空気中に幸せを吸引する物質があり、人々の幸せはどんどんと侘びてゆく他無いのだろう。

永琳の場合もそれは同じで、輝夜の我侭に小さくため息をするのは常であったが、今度ばかりは深い深い溜息であり、その分幸せもまたごそっと持って行かれた気分であった。

何せ、権兵衛、あの永琳を非理性的にする男と、少なくとも一週間以上屋根を共にする事になったのである。

恐らくは輝夜が蓬莱の薬を飲んで以来となるであろう大事件に、永琳はごくりと生唾を飲み込む。

と同時、誰も見ていない今、表情筋から憎悪の成分を離していいんだな、と気づき、永琳は表情を自由にした。

すぐさま、隠していた頬の紅潮が現れ、口元がだらしなくなってしまう。

誰も居ない自室のみで許される、表情筋を自由にできる時間の到来であった。

 

 まず永琳は、これはやっかいなことになったぞ、と、内心呟いた。

あの権兵衛と言う男は、兎に角、永琳にとってマズイ男である。

なにをどう以てしてマズイと言うのかは言語化しにくいが、兎に角永琳を興奮させたり切なくさせたり、普段封じている情動を無理矢理に動かしてくるので、マズイのである。

なので本当は二週間は取るべきだと思った、半人半霊との冷却期間や取ってしまった臓器の再生期間を、半分の一週間と言って、とりあえず権兵衛を遠ざけようとしたのだが、それを輝夜の我侭が邪魔をした。

よって、一週間でもとんでも無いと言うのに、それ以上に、権兵衛と屋根と共にする事になったのだ。

 

「——っ」

 

 思わず畳の上を転がりだしてしまいたくなる衝動を、必死に自身を抱きしめて抑える。

何かの拍子で今度興奮してしまったら間違いなくその衝動を押えきれないので、慎重に、しかし確実に、肺の中の熱い空気と空中の冷たい空気とを交換する。

暫くその作業のみに没頭し、どうにか頭が冷えてきたと思った辺りで、永琳は考えを再開させる。

 

 兎に角、権兵衛を一週間以上永遠亭に住まわせるのは、決まった事であるので、仕方が無い。

いや、仕方ないで済ませれる問題では無いのだが、それを置いておいて、更に問題がある。

輝夜が、権兵衛の世話を、果てには家庭教師をすると言い出した事である。

永琳はとっさに、自分が輝夜にしたように、権兵衛の教育係をする所を想像してしまった。

机に向かう権兵衛の後ろから、肌の触れ合わんばかりの距離で、後ろから権兵衛に指導をして。

失敗をすれば権兵衛を窘め罰を与え解剖したり、成功をすれば頭を撫でてやったりと。

 

「〜〜っ」

 

 今度は、衝動を押えきれなかった。

ぽふん、と音を立てて敷いてあった布団の上に転がり落ち、しかしせめてコロコロと転がり出さないよう、布団をぎゅっと抱きしめて、その代わりに力を発散させる。

興奮して荒くなった息が常の通りになるまで、じっとその姿勢で居て、ようやく冷静に考えを続けられるようになった頃、永琳は思考を再開させる。

 

 兎に角、輝夜は権兵衛の家庭教師をすると言ったが、それが上手く行くとは永琳は露程にも思っていなかった。

何せ、輝夜である。

何かされるのが大得意で、何かするのが大の苦手の姫である。

それが教師と言う、ある程度忍耐の居る上、相手を理解する事が必要な職を全うするのは、到底不可能であるように思えた。

なのでそのフォローをしなければならないが、永琳は権兵衛に近づきたくはない。

そう、だって権兵衛は、こんなにも永琳の心を乱すのだ。

心の乱れとは、すなわち恥である。

こんなに永琳を恥らわせる権兵衛に、永琳から近づくなど、以ての外である。

 

 それにしても、と、永琳は少し考えを脱線させた。

何だって権兵衛は、こんなにも永琳の心をかき乱すのだろうか。

内臓の美しさから、と言うのは確かにあるが、果たしてそれだけだろうか?

否、少なくとも、それだけではない。

何せ先程、治療の説明をしている間にも、権兵衛は永琳の心を、これ以上無い程に掻き乱したのだ。

特に下の名前で呼んでくれるようになった時など、権兵衛を直視する事すらできなかった程だった。

と言うか、かき乱されているのは、初対面からずっとどころか、こうやって対面していない時でさえも、である。

これではまるで、と永琳はうかつにも思う。

これではまるで、一目惚れのようではないか、と。

 

「〜〜っ!」

 

 今夜最大級の衝動が、永琳を襲った。

きゃ〜、と叫びださなかったのが奇跡だろう。

どうにか一線を守りきった永琳は、震えながらぎうっと布団を抱きしめ、深い、深いため息をついた。

今度こそは幸せよりも、甘酸っぱさの方が含有量の多いであろう、ため息を。

なんと言うことだろう、と永琳は内心で呟く。

これではまるで、初な少女のようではないか。

こんな姿、自分には絶対に似合わない。

と言う事はつまり、一目惚れ、なんて事は、絶対に無いのである。

なんだか論理の飛躍が見られるが、それでも絶対は絶対なのである。

なんて事を考えている最中の永琳に、声がかかった。

 

「お師匠様、失礼します」

 

 鈴仙の声であった。

吃驚して跳ね起きた永琳は、さっと回りに目を通す。

ぐしゃぐしゃになった布団に髪の毛、皺になった服、じんわりとしみ出してきている汗。

不味い、と永琳の額に冷や汗が混じった。

ちょっと待って、と声をかけて、手早く身支度を整え、それから通す事にする。

 

「どうぞ、もういいわよ」

「それでは、失礼します。……あれ、お師匠様、汗かいてますけど、今夜はそんなに暑かったですか?」

「そ、そうかもしれないわね」

 

 流石に湧いてくる汗ばかりは短時間でどうにもできず、鈴仙に指摘されてしまい、再び冷や汗をかく永琳。

それを不思議そうな目で見ながら、鈴仙は続ける。

 

「で、どういったご用向きでしょうか」

「えぇ、それなんだけどね」

 

 永琳は、輝夜が新しく飼う事にした権兵衛の事と、輝夜がその家庭教師をすると言う事を説明する。

 

「教師って、前に家の兎相手にやって、すぐに飽きてませんでしたっけ……」

「えぇ。そんなんだからきっと上手くゆかないと思うけれど、あまり粗雑に扱う訳にもいかないのよ」

「あぁ、白玉楼の客、でしたっけ」

「で、貴方に頼みたい事があるの」

 

 げっ、と、鈴仙が嫌そうな顔をする。

残念ながらその予感は当たりである。

 

「貴方に、隠れて輝夜のフォローを頼みたいのよ。あと、作業兎を使って、常の世話も」

「うっ、その、師匠じゃなくて、私が、ですか」

 

 鈴仙は臆病な兎で、何せ地上人との戦いが怖くて逃げ出したと言う上に、未だに里人とも満足に会話できていないぐらいなので、この返答は予測していた。

と言ってもしかし、どうしても権兵衛の世話をする自分を想像してしまい、永琳は頬を緩めそうになる。

しかし、それを誰かの前で出すのは、当然、恥である。

故に絶大な憎悪でそれを塗りつぶし、どうにか、頬は軽く歪ませた程度で済んだ。

すると何故か、鈴仙が数歩引いたような気がする。

 

「わ、わかりました……。や、やります」

「えぇ、素直なのはいい事よ」

 

 まぁ、この臆病な兎の事だろう、大方今の漏れ出した憎悪が怖くて反応したのだろう、と思いながら、永琳は満足気に頷いた。

 

 

 

      ***

 

 

 

 ぱちん、と眼が開いた。

夢とは、現実とは相いれぬ魂の置き場所であり、当然、普通一つしか無い魂は同時に二箇所に置けないので、魂は常にどちらか一方に属する事になる。

夢から覚めると、夢の内容を忘れてしまうのは、その為である。

と言っても、それには一つだけ例外があり、夢から覚めつつある、境界の曖昧な間だけは完全に夢を記憶しているのだ。

しかし当然それは現実に起きる為には捨てなくてはならない記憶であるので、それにならい、俺は夢の記憶を捨て現実に起きだす事にする。

俺は、広い和室の真ん中に、布団の中で寝ていた。

こうまで広い和室と言うのはどうにも白玉楼を思い起こさせるのだが、此処は、どうやら違うようだ。

欄間の意匠が違うようだし、飾られている調度品も、僅かに近代へと針を振ったような感じのする物である。

と言っても、俺に取っての現代と言う感覚——外の世界の感覚を比べると、まだまだ古めかしい物であるのだけれど。

 

「さて、俺は何処に居るんだっけかな……」

 

 呟き、上半身を起こしてみる。

すると、布団の脇に藍染めの簡素な着物が畳んであったので、とりあえずそれに着替えながら考える事にする。

脱いだ寝間着と布団を畳んで、とりあえず目覚めはさわやかで、何時になくさっぱりとした感じで、今日は一日良い日になりそうだな、と思った辺りで、そっと襖が開いた。

陽の光に、目を細める。

太陽の光を背負って来たのは、見知らぬ美少女であった。

紫がかった薄い色の髪を膝近くまで伸ばし、瞳は赤く、肌は雪のように白い。

と、そこまでなら普通の美少女であるのだが、此処からは物が違った。

うさみみだった。

しかもブレザーにスカートだった。

意味が分からないと思うが、俺にも分からなかった。

意味不明度の高さが、何時ぞやの妖夢さんのいきなり土下座を軽々と超えてゆき新記録を達成するのを感じながら、俺は少女の言葉を待つ。

待つ。

待つ。

………………?

 

「「えっと、あの」」

 

 と、お互い痺れを切らしたのだが、声を掛け合う形となってしまった。

思わず目を見合わせて、くすり、と微笑み合う。

何だかこんな風に気が合うような仕草があると、それだけで幸せな気分になってしまう。

ちょっと俺の幸せが安くなりすぎている事に危機感を覚えながら、ここのところ、こんなお見合いになってしまう事が多いな、なども考えつつ、口を開く。

 

「俺は、外来人の七篠権兵衛と言います。起きたら此処に居たんだけれど、君は此処の人でいいのかな」

「あ、うん。私は、鈴仙・優曇華院・イナバです。その、此処、永遠亭の兎のリーダーと言う事になるわ」

 

 永遠、亭。

その一言で、安っぽい幸せが吹き飛んでしまうような、絶望の嵐が俺の心を襲う。

そうだった、俺は呑気に寝てなどいたけれど、今、俺は、家畜同然に扱われているのだ。

しかもそんな風に扱われるのに反抗する気力すらなかったと言う事実が、俺の価値の低さを指し示しているような気がして、その扱いの正しらしさを証明している気さえする。

何が良い一日になりそうだな、だ。

朝から最悪の気分だった。

これから俺は、どうなるんだろう、と、否が応でも、嫌な想像が俺の中で育ってゆく。

あの俺を人間以下としか扱ってくれない里人でさえ、俺を家畜のようには扱わなかった。

なら、家畜の扱いとはどうなのだろうか。

檻の中にでも入れられて、鑑賞されるのだろうか。

首輪でも嵌められて、何処ぞへ繋がれるのだろうか。

餌は這いつくばって食べねばならないのだろうか。

暗雲立ち込める未来が次々と浮かんでは消え、代わりに俺の頭の中を重くしてゆく。

家畜の気分とはこういう物を言うのだろうか、と思いつつも、思わず膝を付きそうになってしまうのをぐっとこらえる。

 

「えっと、大丈夫?」

 

 大分酷い表情をしていたのだろう、優曇華院さんが声をかけてくれた。

しかしその目が何を語っているのかは分からず、と言うのも、視線を足元から上げる勇気すら、俺には残っていなかったのだ。

これでもし、その視線に一片の悪意でもこもっていたら、俺が家畜として扱われるのを更に実感させられるような気がして。

かと言ってずっとうつむいたままで居る訳にもいかないので、意を決して頭を上げると、幸い、少女の目には俺を心配する一念だけがあった。

俺は彼女の心配を疑ってしまった事を恥ながら、兎に角、すっと息を吸い、吐く。

頭の中を真っ白にして、余計な事を考えないように、ただ目の前の少女を心配させない事だけを考えるように努める。

 

「あ、あぁ。ありがとう、優曇華院さん、大丈夫だよ」

「あー。えっと、鈴仙の方が呼ばれ慣れているから、そっちでいいわ。とりあえず朝食に案内がてら此処について話をしようと思うんだけど、いいかしら」

「ああ、分かったよ」

 

 頷き、俺は鈴仙さんに連れられ、廊下に出る。

するとその廊下が長いこと長いこと、もしや此処はあの白玉楼のような巨大な屋敷なのではないか、と思える程であった。

関心しつつ、こんなに広いから部屋を家畜ごときに与える事もできたのか、と、考えつつ、先導する鈴仙さんに続く。

 

「えっと、何から話せばいいのかしらね……。輝夜様の呼び出しが無ければ、基本的に自由にしていていいわ。多分一日に一回はあると思うけど。

えーと、それ以外は、兎の仕事を邪魔しない事、お師匠様……永琳様の言葉には従う事、食事の時間は守る事、それぐらいかしらね。

で、さっきの部屋が貴方の部屋、食堂はあっち、厠はこっち、輝夜様の部屋はそっち。まぁ、分からなければ妖怪兎を捕まえて聞けばいいわ。大抵、暇してたりサボってるのが何羽か居るから。

あー、でも一羽、物凄い腹黒いのが居るから注意してね。まぁ、でも騙された分幸せがもらえるだろうから、別に良いのかな。

………………って、あれ、どうしたの?」

 

 思わず、俺は途中で足を止めて聞き入ってしまっていた。

基本的に自由?

貴方の部屋?

食堂?

想像とは全く別の言葉が出てくるのに、頭の回転が追いつかない。

俺は、家畜として飼われるのでは無かったのだろうか?

それとも、もしや。

俺は、人として扱ってもらえるの、だろうか?

そう思うと同時、体中から力が抜けて、今度こそ、ぺたんと座り込んでしまう。

 

「え、え!? な、なんで泣いて……」

 

 泣いて?

疑問詞と共に目の下に触れると、暖かな液体が流れ出ていた。

そう、か。

俺は、泣いているのか。

そう自覚すると、もうどうにも止まらず、静かに流れていた涙も濁流のように流れだし、喉の奥からのうっ、うっ、と泣き声が漏れ出し始める。

 

「ご、ごめ、ん、うっ、ひぐっ、うっ、す、すぐに、泣き止むからっ」

「ど、どうしたのよ一体」

「き、昨日、うっ、飼われるって、聞いて、ううっ、家畜みたいに扱われるのかと思って。

こ、これまで、うああっ、里の中でだって、人間じゃないみたいに、うっ、扱われてて、そ、それだけでも、もう、限界だったのに、ううっ。

これから、そ、それ以上に、ひぐっ、酷く、なるんじゃ、とばかり、ううっ、思ってて……、うぐっ、き、昨日の夜だって、本当に、怖くて、ずっと眠れなくって。

そ、それでも、うっ、ひ、人並みに扱ってもらえるって、分かって、ひっく、あ、安心したら、なんか、涙が出てきちゃって」

 

 全くこんな事で泣いても仕方が無い事だ。

何せ単なる俺の勘違いと言うとてつもなく恥ずかしい事で、その上、永遠亭の人々を人間を家畜のように扱うようだと勘違いしていて、甚だしく失礼である。

俺は泣く前に彼女に謝らねばならないし、鈴仙さんも俺をなじる権利があると言うのに。

ぽん、と肩に手を置かれる。

 

「あーもう、しょうがないわね」

 

 と、苦笑しながら、慰めてくれる鈴仙さん。

それだけで、肩越しに人の体温に触れるだけで、俺の涙腺は決壊してしまったらしく、最早涙は、止めようのない量になっていた。

ぽたぽたと廊下に落ちた涙が次第に繋がり合って、広がってゆく。

 

「あううぅ、ううっ、うあぁあああっ!!」

「大丈夫、もう大丈夫よ」

 

 掌が肩を離れ、ぽんぽんと、子供をあやすように頭を撫でられる。

たった掌一つ分の体温だと言うのに、それがとてつもなく嬉しくて嬉しくてたまらなくて、俺は、しばらくの間泣き続ける次第となった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 で。

数分後。

俺と鈴仙さんは、食堂で俺一人朝食をつつきながら、お互い顔を真っ赤にしてうつむいていた。

鈴仙さんが顔を赤くする理由は分からないが、俺の方はと言うと、もう本当に恥ずかしくて恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。

何せ成人前とは言え、大の男が、慧音さんに拾われた時以来の大泣きである。

しかも理由が、勘違いから、ときた。

何とも阿呆らしい理由で、その勘違いだけでも恥ずかしいのに、泣き顔を見せて、しかも慰めてもらっては、二重に恥ずかしい。

そんな訳で、無言のまま朝食を終える次第となった。

折角用意してくれた朝食だと言うのに、味わう事すらできないままであった。

その事に申し訳なさを感じつつ、とりあえず食器を水につけておき、お茶を入れてもらい、鈴仙さんと対面に座る。

 

「あー、えっと」

 

 口火を切ったのは、鈴仙さんだった。

 

「普段の食事はこんな感じで、輝夜様とお師匠様、私と、あと兎のまとめ役のてゐって子が居るんだけど、その四人と一緒に取ることになると思うわ」

「あ、はい。えっと、永琳さんも、ですか」

 

 俺を嫌っているであろう人の名前に、思わず身構えてしまう。

同時に、昨日の悪意の篭った永琳さんの視線を思い出し、僅かに体を震わせた。

里人達の悪意にも勝るとも劣らない、絶大な悪意だった。

一体俺の何が癇に障ったのかは分からないが、何せ相手が、何をしても嫌われる事のできる特技を持つ俺である、心当たりが多すぎて絞れない。

となると、あの悪意を改善する事は叶わず、食事の度に顔を合わせる事になるのか、と若干気が滅入ってしまう。

勿論嫌われる事をしたのは俺であるので、こんな気の滅入り方は筋の通らない事なのだが、そんな俺に鈴仙さんが安心させるような笑みを浮かべてくれた。

 

「あー、まぁ、大丈夫よ。お師匠様は理性的な方だから、輝夜様の……えっと、ペットって事になってる貴方には、手出しするような事は無いと思うわ」

「はぁ」

 

 と言っても、直接的に手出しされずにどれだけの悪意を身に受ける事ができるか、身を持ってよく知っている俺としては、まだ心配であった。

それが顔に出てしまったのか、仕方ないなぁ、と言わんばかりに、鈴仙さんがその端正な顔を崩す。

 

「はぁ。ま、大丈夫よ。いざって時は、私を頼ってくれてもいいから」

「え、あ、その、いいんですか?」

 

 鈴仙さんにも立場と言う物があるだろうに、と疑問詞をあげる俺に、花弁の開くような笑顔を見せながら、鈴仙さんは言う。

 

「あんなに泣いているのを見ちゃあ、私だってほっとけないわよ」

 

 と言われてしまえば、俺としても顔を赤くしてうつむいてしまうしかないのだが、その際に視界の端に捉えた鈴仙さんの顔も、赤みを帯びていたような気がする。

ひょっとして、鈴仙さんも恥ずかしさをおしてこの言葉を言ってくれたのではないかと思うと、感謝もひとしおである。

——あぁ、この人はなんていい人なんだろうか。

感謝しても感謝してもし足りず、何時かこの恩を返せたらな、と思いつつ、俺の永遠亭での生活が始まったのであった。

 

 




永琳はかなり好みのキャラなので、やたら愛があふれてしまった。
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