ルナティック幻想入り   作:アルパカ度数38%

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2009/10/04(満月


06-永遠亭3

 

 

 夜の帳が降りた頃、輝夜は権兵衛と共にあと少しで満月となる月を拝んでいた。

輝夜曰く、権兵衛の学んでいる霊力の扱い方は、月の力を借りた魔法のような物なのだと言う。

本物の月からは大量の満月光線が降り注ぎ、月本来の穢れ無き魔力が得られる。

が、実際に幻想郷の天蓋に写っているのは、偽の月であり、表側だけの半分月でしか無い。

なので普通、表技で地上の生物が得られるのは、太古から続く本来の魔力の欠片に過ぎないのだ。

と言っても、それでも十分に強力であり、吸血鬼なんかはそれでとんでもなく力を増すのだが。

で。

裏技の方はと言うと、技法としての難易度や廃れ度の他に、それを扱う者に穢れが少ない事が必要なのだと言う。

当然、それを教えられる権兵衛は、輝夜曰く穢れは少ないのだとか。

穢れとは、寿命の存在であり、時が進み、変化がある事である。

故に生まれてから徐々に穢れは増えてゆき、数年も放っておけば裏技を扱うなど以ての外なほどの量になる。

一応穢れを抑える技術や穢れを消し去る方法は存在するのだが、それを知るために必要な知能は数歳児では不可能である為、結局の所、その裏技を扱えるのは穢れ無く尊い場所で生きる、月人しか居ない。

が、権兵衛は、例外である。

何せ名前と一緒に存在を亡くしてしまい、七篠権兵衛と己を名付けて新生し、まだ一年と経っていないのだ。

まだまだ穢れ分も少なく、輝夜に教えてもらった穢れを抑える方法を用いれば、どうにかなるのだと言う。

とまぁ、そんな訳で。

空中にぷかぷかと浮きながら、月明かりの元で実演授業と言う次第となった、二人なのであった。

 

「とまぁ、今更だけど、空を飛ぶのに不具合は無い?」

「永遠分ぐらい遅い話ですね。何せ、一週間が永遠になっているもので」

「音速が遅いのなんて、冥界の住人ぐらいだわ。まぁ、大丈夫って事よね、死んでないし」

 

 死ぬんですか、とぼやく権兵衛に、しれっとした顔で、片手を肩の高さまで上げる輝夜。

するとその掌の先に、やや黄色がかった白色の弾が浮く。

月光線による魔力を利用した、月弾幕である。

やってごらんなさい、と言う輝夜に従い、今までの復習として、権兵衛は同じように片手を肩の高さまで上げる。

目を瞑ってすうっと息を吸い、集中する権兵衛。

そんな権兵衛を見る時、輝夜は僅かに高揚を憶える。

まず、やや厚い唇がキュっと締まり、僅かに覗いていた白い歯が隠れ、頬が緊張する。

それから背を伸ばし、呼吸に合わせて小さく動く権兵衛の胸を見ていると、なんだかドキドキしてくるのだ。

これが弟子の可愛さと言う奴なのだろうか、と思うと、元々永琳の仕草が見たくて権兵衛を飼う事にしたのだが、それがとてつもなく良い拾い物だったものだ、と輝夜は思う。

実際、権兵衛は吃驚するほど覚えの良い弟子であった。

輝夜自身やその妹弟子には及ばないが、多分月兎である鈴仙よりも才能があるし、弾幕戦で見る限りでは、白黒や悪魔の犬辺りと並ぶのもそう遠くは無い事かもしれない。

そう思い、権兵衛の事が誇らしくなってくると、何だか胸を張りたくなるのは、不思議である。

などと輝夜が徒然と想っていると、権兵衛のちょっと伸びてきたので切りそろえてやった黒髪の間から、閉じた瞼が開く。

その瞳の先には、輝夜の手の先にあるのと同じ、月色の弾幕があった。

思わず、笑みを漏らす輝夜。

 

「復習成功、ね」

「——は、はい!」

 

 思わず弾幕を作っていない方の手をぐっと握り、口元を緩める権兵衛。

こんな風に感動して見せる仕草も何だか可愛く、緩みっぱなしになりそうな顔を、何とか輝夜は引締めてみせる。

 

「今の権兵衛じゃあ満月近くの月でもなければ、普通の弾幕しか作れないでしょうけど。

でも、修練を怠らなければ、そうね、貴方なら十日程で月の登っていない日中でも月弾幕を作れると思うわ。

って、貴方にとって十日は永遠で須臾だっけ。

まぁいいわ、兎も角修練は怠らない事。復習もね」

 

 と輝夜は言うが、権兵衛が復習を欠かしていないのは、教える身から既に分かっている。

前回の授業を踏まえた質問や理解をしている権兵衛の姿を見ると、彼との間に特別な絆があるよう感じられて、胸が締め付けられるような、しかし不思議と不快では無い気分になるのだ。

擬音で言うなら。

キュン、とでも言うのだろうか。

今回も、確りと前回より月弾幕の色が月度を増しているのを確認し、キュン、と顔を綻ばせる輝夜。

 

「で、次は基礎の基礎から、基礎に行くわよ。

前回教えた通り、自分の状態を満月に持ってゆきなさい。

相手を新月にするのは、ちょっと私が限界まで手加減をしても難しいから、また今度で」

「はい、先生」

 

 この先生、と言う言葉も、キュン、と来る言葉の一つである。

最初は戯れで呼ばせていたのだが、権兵衛の素直な反応や、輝夜の言動を理解しようと頑張る姿などを見るうちに、これでないとしっくりこなくなってしまった。

一度さん付けで呼ばせてみたが、その時自分はよっぽど変な顔をしていたらしく、権兵衛が慌てていたし。

兎も角、と輝夜は説明を加える。

自分たち月人は内側に作用する力を得意とし、それとこの月の魔法とを合わせると、まずは己の月度に干渉するのが初歩的な魔法となる。

月度とは、月に満ちる太古の狂気を受け取る度合いの事である。

今の権兵衛は偽の月の満月に少し届かないぐらいの月度であるが、これを操作し真の月の満月まで持ってゆけば、莫大な月の魔力を得る事となる。

勿論、月の魔力は狂気でもあるので扱いが難しいが、波長の干渉し合わない自身の物であれば、然程難易度は高くなく、今の権兵衛でも不可能では無いだろう。

これが相手を真の新月まで持って行く、となると相手の強さによりけりで、しかも効力は相手の月への依存度によるので、一定しないのだが。

 

「とまぁ、やっぱり復習なんだけど。じゃあ、やってみなさい」

「はい」

 

 と、そこまで説明してから促すと、権兵衛は静かに頷き、自分の月度を上げ始めた。

月度とは狂気度でもあるので、制御を一度手放してしまうと外部からの干渉無しに正気に戻るのは難しい。

と言う事で、ここが先生役としての、正念場である。

自然、輝夜は権兵衛の様子を仔細に観察する事になる。

権兵衛を正面から、何の躊躇もなく舐め回すように見る事になるが、暴走したら大変なので仕方ないのである。

秋の夜の涼し気な空気の中、じわりと権兵衛の肌に珠の汗が湧いてくる。

それをじっと眺めながら、権兵衛を観察する輝夜。

矢張りと言うべきか、月人の基準から言えば、権兵衛は特別美男子と言う訳でもなく、むしろ凡庸である。

しかしそのやや幼さの残るふっくらとした頬や、丸い眉は、何と言うか、思わず構ってやりたくなるような可愛らしさがあり、悪くない、と輝夜は思っている。

こうやって真剣味のある表情も、勿論嫌いでは無い。

すっ、と冷たい空気が漏れ出すような、瞼の下から漏れ出す眼が描く三日月が刀剣であるかのように思えるような、雰囲気ある顔。

うん、これも悪くないわ、と輝夜が頷くと同時、ぶわっと権兵衛の周りの空気が撓んだ。

暴力的な風が輝夜を襲おうとするが、輝夜がすっと掌を権兵衛へ向けると、風は輝夜の周辺だけ凪いだまま通り過ぎ、空気が弛緩したかのように緩み、それから権兵衛が大きく息を吐きだした。

 

「すいません、暴走してしまいました」

「そうね、今度はもうちょっと、集中を深める事よりも、持続させる事に力を向けなさい。視野を広げてね」

 

 本当はこれも先生の仕事のうちよ、なんて言いたい輝夜であるのだが、そんな風に甘やかすと永琳の顔が物凄い事になっていて怖かったりするし、やっぱり権兵衛の為にもならないので、先生をやっている時は、基本的につかず離れずの距離を心がけている。

再び頷いて、汗を拭ってから集中に入る権兵衛。

それをこうやって見守る事は、輝夜にとって最早日課である。

蓬莱山輝夜には、何もすることがなく、それが不満であった。

しかしそれは何もしようとしてこなかったからだと気づき、以来したい事をし続けて己の仕事を探してきた輝夜であるが、これほど己の心を満たす仕事は果たしてあっただろうか。

今はまだ、長く続けてきた優曇華の盆栽の世話の方に心を置いているが、それでも権兵衛との師弟関係が盆栽の世話を超えて輝夜の仕事となる日は、遠くは無いかもしれない。

そうなればどれほど心が満たされる事だろうか、と想像しながら、再び暴走する権兵衛の月度を抑え、実演授業を続ける輝夜なのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 まずはそっとそれを抱きしめ、手術台の上に置いてやる事から始まる。

がっちりと四肢を鉄の輪で固定し、手術台の上から逃れられない事を確認してから、やっと作業を始める事となる。

始まりの合図として、唇を象った部分に、永琳はそっと口付けた。

布の表面の、ざらりとした触感。

それを脳内で、自身の唇を触れた経験から想像した権兵衛のそれに変換し、永琳は頬を上気させた。

 

「ん……」

 

 ゆっくりと、歯の間から舌を出し、それの口腔の内側を舐めとろうとするが、表面だけを形作ったそれは唇に隙間など無く、故に舌が押し留められる事となる。

それが権兵衛の意思による物だと想像すると、寂しい反面、真っ白な紙面をぐちゃぐちゃに汚してやるような快感があり、永琳は頬を笑みの形に歪ませながら、唇を離した。

口紅の紅が、布の唇に残る。

それから、永琳はそっとそれの腹へと手をやり、僅かに押し込む。

綿による均一な圧力が帰ってくるが、それを想像でごまかし、肌と骨を介して内蔵がぐっと弾力を返してくるのを、永琳は感じた。

思わず、涎が漏れ出そうになるのを、ごくんと嚥下する。

 

「いくわよ……」

 

 呟き、ぞぷっ、と永琳は、手に霊力を纏い、それの腹へと侵入させた。

圧力によって綿が逃げるのを、妄想で無視し、代わりにつるりとした骨の触感を想像で愉しむ。

そのまま下腹部へとぞぶぞぶと皮を切り裂き、想像の中でだけ溢れる血が、権兵衛の腹部から漏れ出し、ぴちゃぴちゃと床に落ちた。

そしてついに、永琳の掌はそれの——つまり想像の権兵衛の、小腸へと辿り着く。

あの日、永琳が最も長い時間手にした、権兵衛の臓物である。

 

「くす——、どう、感じるかしら?」

 

 僅かに、永琳は手に力を込め、小腸を握りしめた。

微動だにしないそれであるが、永琳の瞳には、あの日と同じくびくん、と跳ね上がった権兵衛が映る。

肯定の意を返された、と解釈する永琳は、それを抑えていたもう片方の手で、自分の胸を掴んだ。

服の上からぎゅっと掴むと、その力に従い永琳の胸は形を変え、同時、胸の間に浮いていた汗が、服に吸い込まれる。

すぅ、と、永琳は息を吸った。

あの日の記憶から嗅ぎとった、権兵衛の血と便と、そして男性の匂いが永琳の胸を満たした。

 

 それから永琳は、それの腹を十字に切り裂き、布製の皮を開いてピン留めし、その中身を顕にした。

と、ここまではほぼ毎日やっている通りなのだが、ここからどの臓器に触れるかは、その日の気分次第である。

ぷるぷるとしたゼリーのような感触の肝臓もいいし、どくどくと脈打つのが分かり、権兵衛の興奮がそのまま感じ取れるようで興奮する心臓もいい。

勿論、王道である、あの日最も触れた小腸だって構わない。

どれにしようか、と迷っていた永琳の耳に、しかし、予想外の声がかかった。

 

「お師匠様、失礼します」

 

 鈴仙の声である。

忘れていた、今日はまだ鈴仙が報告に来ていなかったのだが、あんまり遅いので待ちきれず、日課を始めてしまったのだ。

驚愕し、飛び跳ねそうになるのを抑え、咄嗟にそれを隠そうとするが、それの四肢は鉄の輪で固定されており、外すのは時間がかかるし、音もする。

ちょっと待って、と声をかけようとする永琳だが、どうやら遅かったらしく、すす、と襖を開ける音がした。

咄嗟に、それの唇についた口紅をだけ、拭う永琳。

失礼しま……、と、永琳にかけられる声が、途中で止まった。

 

「ど、どうしたのかしら、うどんげ」

「あ、いえ、何時も通り、権兵衛さんの報告に来たんですけど……。その、それって」

 

 鈴仙が指差す先にあるのは、永琳の予想通り、それ——権兵衛を象った、人形であった。

布で綿を覆っただけの粗末な物だが、形は割りと細かく、人体を模して出来ている。

プリントは、全裸の権兵衛の物が刷ってあった。

最初の検診の時に撮った物だからだろう、脇腹に、深い裂傷が刻まれているのが痛々しいが、それ以前にこの権兵衛人形は、腹を十字に割かれ、ピン留めし、綿をむき出しにされている。

これは永琳が、あの日、権兵衛を解剖した時の事を思い出すために、魔法の森の人形使いの技を見よう見真似で作ってみた人形である。

こんな物を見せてしまっては、何と言うか、マズイ。

何がどうマズイと言うのかは上手く言えないが、兎に角マズイのであるので、咄嗟に永琳は口を開く。

 

「え、えっと、その、あの日権兵衛さんの手術をしたでしょう? その時、ちょっとだけ、気になる事があって。

その、それで、それを思い出すのに、いいかな、と思って、試しに作ってみたのよ。

ほら、権兵衛さんは今、輝夜のお気に入りで、ほいほい解剖する訳にはいかないじゃない」

 

 本当は権兵衛に直接顔を合わせるのも顔が火照って出来ないと言うのに、ちょっと解剖されてみてくれ、なんて恥ずかしくて言えそうもない、と言うのが理由である。

そも、権兵衛を解剖する想像も、異常に興奮してしまうので、理性的であろうとしている永琳には避けるべきものだったのだが、いや、と永琳は思い直す事にしたのだ。

感情的になる事は避けるべき事で、権兵衛は自分を感情的にする。

しかし権兵衛は輝夜のお気に入りで、一定以上遠ざけておく事は難しい。

ならば権兵衛を避けて感情的になる事を避ける事より、こうやって権兵衛を利用して、その恥ずかしさに耐え、憎悪を醸しだす事なく自然に抑える事ができるようになるよう訓練すべきではないか、と。

そう、これは権兵衛に興奮しないようにしている、訓練なのである。

だからわざわざ、キスなんて物をしているのも、その訓練の難易度を高くする為であり。

想像の権兵衛に色っぽい言葉をかけてなんているのも、訓練の一環なのであり。

こうやって鈴仙に見られて恥ずかしいと思うのも、自分の感情的な部分を知られて恥ずかしいからなのである。

そんな風に思い、それから自分で自分の言葉に叫びだしたくなるほどの恥ずかしさを覚え、それを憎悪で押しつぶす永琳を尻目に、何故か、すすっと数歩引く鈴仙。

 

「そ、そう、なんです、か」

 

 はて、どうしたのだろう、と首を傾げる永琳であるが、一体何処がおかしいのか全く分からない。

言い訳を信じられたにしろ、何か嘘を付いていると感づかれたにしろ、真意を悟られたにしろ、引いてしまうような要素は一切合切全く何処にも見つからないのだが。

まぁ、鈴仙の臆病さを考えればこんな事もありうるか、と結論づけ、永琳は鈴仙を部屋の中に誘った。

そして、座布団の上に座り、権兵衛の報告を聞く、と言うと、かなりびくびくとしながら入ってきた鈴仙の顔が、見る見る内に喜色満面になる。

すると何故だか黒い物が湧いてくるのだが、この鈴仙の報告と言うのが、それをすぐに吹き飛ばしてくれる。

 

「——と言う事で、午前中は殆ど輝夜様の気まぐれに付き合って終わりました。

それからお昼前にちょっと厠にいって、小だったんですけど、結構長かったかな。

で、それからお昼をみんなで取るんですけど——」

 

 この兎、報告が詳細なのはいいのだが、詳細過ぎるのである。

そも、永琳は、鈴仙に何かあれば輝夜のフォローをお願い、としか言っていない。

だのに鈴仙と言えば自分の存在を消して権兵衛の後を一日中ついてまわっているのだ。

 

「——で、お風呂で湯船に浸かっていると、権兵衛さん、女所帯で溜まっていたのかな、ちょっと勃っちゃったみたいで。

くす、テンプレ通りって言えばいいんですかね、ざばっと口元まで湯船に沈んで、ちょっとぶくぶくした後、般若心経なんて唱え始めちゃって。

でもあんまり覚えていないみたいで、途中からうにゅうにゅ言っているだけになっちゃってました」

 

 しかもこのとおり、厠や風呂まで、である。

どうやったのか想像するのもおぞましいが、何故か体を洗う順番だの湯船の中での反応だのまで仔細に語っており、それと、永琳に報告を済ませた後風呂に入った様子が無い事から考えるに、風呂に至っては存在を消しながら一緒に入っているのだろう。

毎度のインパクトのある報告に、のぞけりそうになりつつ、永琳は鈴仙の処遇について考える。

確かに、月兎として月と交信が出来、更に薬師の弟子として有能であり、その能力で権兵衛の行動が分かるのも、利点ではある。

しかし権兵衛に不気味なほどついてまわるその性癖は異常過ぎてとてもついていけないし、大体、権兵衛が心配である。

何せ権兵衛と言ったら自分にとって大切な存在で、と、そこまで思ってから、ぼっ、と顔が上気する永琳。

違う、違うのよ、と、誰に対してか内心で呟き、胸に手をやり自身の内心を訂正する。

そう、権兵衛は、自分を感情的にする貴重なサンプルなのだから、大切なのであって、理由など他にないのだ、と。

と、そんな事をやっているうちに報告が終わったようで、鈴仙は不気味な物を見る目で永琳の挙動を見ていた。

思わず視線を逸らしつつ、こほんと咳払いし、永琳は鈴仙に退室を促した。

 

「はい。あ、その、そう言えば明日は例月祭ですけれど、何か改めて権兵衛さんに伝えておく事はありますか?」

「あぁ、もうそんなに……権兵衛さんが此処に来て、十日ぐらいになるのかしら。

そうね、まぁ、手伝ってもいいけど………………えーと、うん、無闇に団子を食べないようにだけ伝えておいてくれないかしら」

「はい、わかりました。では、失礼しました」

 

 何せ団子には妖怪兎達を興奮させる薬が入っているのだ、人間である権兵衛には強すぎる薬であるので、食べてしまうと不味い事になる。

いや、しかし興奮した権兵衛も見てみたいな、と葛藤し、結局曖昧な歯止めをだけかける事にし、鈴仙が去るのを待って再び権兵衛人形の解剖に移る永琳なのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 例月祭。

月に一度、満月の夜に永遠亭で行われる祭りであり、月において罪人である輝夜と永琳、鈴仙の罪を償うため、薬草の入った餅をつく行事である。

その他に丸いものを兎に角集めて祀る風習があり、故に昼中、鈴仙は権兵衛と共に蔵へと丸い物を探しに行っていた。

 

「たまには、私も手伝って貰わないとね」

 

 とは鈴仙の言であり、普段兎達の仕事を手伝っている権兵衛はそれに二つ返事で頷いた。

しかし、その言は多分に嘘であった。

単に、鈴仙が権兵衛と一緒に居られる口実を、作りたかっただけである。

何せ主な鈴仙の仕事は、師の手が足りない時の薬の調合だったり、月に数回の里の置き薬の点検である。

前者は知識の足りない権兵衛には手伝わせられないし、後者は権兵衛を此処から出す許可を永琳にもらいに行く勇気が無くて、出来なかった。

蔵まで歩いてゆく中、久しぶりに存在を消さず、尚食事以外の用事で隣を歩く権兵衛に、鈴仙の心臓は高鳴ってしまう。

別に、権兵衛との約束を守る為に側に一緒に居てやりたいだけで、他意はないのだが、心臓が勝手にドキドキしてしまうので仕方ないのである。

 

「その、丸いものって言うと、何でもいいんですか? 球体でなくとも、円盤状であっても」

「ふにゃ!? え、えーと、うん、そうよ。前にCDを使っていた事もあったし」

「はぁ」

 

 突然話しかけられて、思わず変な声を出してしまう鈴仙に、それに首を傾げる権兵衛。

ばくばくと高鳴る鈴仙の心臓。

多分権兵衛は、今自分がどんなに緊張しているのか分からないのだろうな、と思うと、何だか心にもやもやした物が溜まるが、それより先に確認である。

鈴仙は狂気の瞳の能力を解放し、掌を目の上にやって、前方を確認、四方を確認、ついでに居ないと思うが空中も確認。

師の存在波長が自室から動いておらず、監視系の術も使われていないだろう事を確認すると、鈴仙は大きく息を吸い、吐いた。

ここからが勝負どころである。

権兵衛に背を向けて一旦視界から外し、高鳴る胸を押さえ、内心で唱える。

落ち着け、落ち着くのよ鈴仙。

ビークール、ビークール。

落ち着いて、さりげなく権兵衛さんの手を握るのよ。

狂気の能力で自身の波長を操作し、精神を安定的に持って行く。

よし、準備ができた、と振り返る。

すると、目の前に権兵衛の顔があった。

 

「大丈夫ですか? 鈴仙さん」

「ふぇっ!?」

 

 思わず、飛び上がりそうなぐらい驚いてしまう鈴仙。

自然、バランスを崩し、倒れそうになってしまう。

そこで、おっと、とその鈴仙を抱き抱えるように抑えて、倒れないようにする権兵衛。

当然顔はすぐ近くになり、権兵衛の吐く息すらも感じられる距離となる。

 

「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「〜〜〜〜!!」

 

 顔を真っ赤にして、鈴仙は声にならない声を上げた。

そんな鈴仙の様子に気づかず、鈴仙が自分でバランスを取れるようになったのを確認し、ほっと安堵の息を漏らしながら、手を離す権兵衛。

自然、あ……、と物欲しそうに声を上げ、鈴仙は権兵衛の手を目で追ってしまう。

すると、それに気づいたのか、ぴたりと手を止める権兵衛。

 

「あぁ、貧血気味なんですかね? 手を貸しましょうか」

「ふぇ?」

 

 意図せず願いの叶った形になり、思わず鈴仙は硬直してしまった。

 

「あ、差し出がましい事でしたら……」

「い、いや、そんな事無いわよ、うん、むしろ差し出て欲しかったっていうか、何ていうか」

「はぁ」

 

 と、よく分かっていない様子で首を傾げる権兵衛の差し出す手を、掴んだ。

指を指の隙間にすっと割り込ませ、ぎゅ、と握り締める。

僅かに爪を、権兵衛の皮膚が押し込まれる程度に、立てた。

肉の弾力が、静かに鈴仙へと返ってくる。

なんと、今日の第一目標、早くも達成である。

容易さに肩の力が抜けるよりも、飛び上がりたくなるほど嬉しく、思わず口元がつりあがってしまう。

いや、嬉しいと言っても、これは観察の為になるべく近くに居て、権兵衛の鼓動を感じられるようにする為に必要な事なので、別に鈴仙が喜ぶ必要は目標達成の快感の分だけで良い筈なのだが。

まぁ、喜びが足らぬ事に悩む事はあっても、足りる事に悩む事はないだろう、と、鈴仙は己を納得させる。

それから鈴仙は、そうやって型にはめようとする嬉しさが、型からはじけ出すかのように歩き出した。

 

「さぁ、さっさと蔵に行きましょう! ぼうっとしてると、日が暮れちゃうわ」

「永琳さんのお仕置きは怖そうですしね」

 

 と、権兵衛の言葉を聞いて思い出す。

昨夜のあの、おぞましい光景。

権兵衛そっくりの形に造られ、毎晩見慣れた権兵衛の全裸の通りのプリントを施された、人形。

まるで権兵衛の腹ワタが飛び出ているかのように、ピン留めされた腹から飛び出る綿。

なんの意味があるのか、それらは大凡その場所にあるべき臓器の色に染められており、赤や黄土色をしていたのが、尚更それが権兵衛を忠実に模していると分かる。

そう、昨夜師の元へ報告へ向かった所、師は権兵衛の人形を作り、それを解剖していたのだ。

なんと、そこまで師は権兵衛を憎んでいたのか、と理解した鈴仙は、権兵衛にそれとなく永琳の危険性を伝えるつもりだったが、さて、どうして言い出した物か、と内心で悩む。

が、そんな折にも、掌から権兵衛の体温が伝わってくるのを感じると、そんな悩みも何とかなるのではないかと思えてくるから不思議だ。

相変わらず、権兵衛は眩しい。

そんな彼の隣に居る事で浮き彫りになる自らの惨めさすら、一緒に居る間は感じられないぐらいにだ。

そんな権兵衛を毎日観察できているなんて、それだけで自分はなんて幸せなんだろう、と思う鈴仙であった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 月が顔を見せ始め、夜の帳が降りてきた頃。

今日は例月祭だから休講よ、と言う輝夜先生が盆栽の方の優曇華を世話しに行くので、俺は兎が団子をつくのを手伝おうとしたのだが、永琳さんにそれは止められた。

何でも、例月祭は月で兎が嫦娥の罪を償う為に薬——団子をつき続けているのを真似して行っているらしいので、団子をつくと言う事は、輝夜先生、永琳さん、鈴仙さんの三人の罪を背負うと言う事になるらしい。

それは、まだ此処に来て短い——らしい、俺には今時間の感覚が無いので、詳しくは分からないが——上、立場的にはペットの俺にやらせるのはおかしい事なのだそうだ。

かと言って、外の祭りの音頭を取って、歌ったり太鼓を叩いたりするのも、まだまだ連帯感の無い俺には難しい。

と言う事で。

何故か、永琳さんと二人、縁側に座ってお茶を飲んでいる俺なのであった。

 

「………………」

「………………」

 

 気まずい沈黙。

俺と此処、永遠亭の住人との関わりは、輝夜先生が最も多く、次いでてゐさん、鈴仙さん、永琳さんと縁が薄くなっていく。

輝夜先生とは授業もそうだがそれ以外でもちょっとした話し相手に呼ばれる事も多い為である。

俺の思い上がりでなければ俺はかなり可愛がってもらえており、霊力の教え方もとても親切で、しかも話し上手なので、数時間に昇る話相手も苦にならない、永遠亭で一番仲の良い人だろう。

てゐさんとは偶然でしかないのだろうが、兎さん達の手伝いをしていると、よく出会う。

その際には毎回幸せを人に与える何たるかを教授してもらい、大体初日のように成功を収めているのだが、当のてゐさんが渋い顔をしているのを解消できていないのが玉に瑕と言うぐらいか。

鈴仙さんは結構忙しいらしく、食事以外で滅多に見かける事は無い。

しかし食事の時や、たまたま出会った時など、ちょっぴりズボラな所のある俺の世話を焼いてくれて、親切な人である。

 

 で、肝心の永琳さんだが。

見かけることは少なくない。

と言うのも、彼女は薬師であると同時、医者の仕事もしており、本人曰く真似事との事だが、大抵の傷は治せてしまう凄腕だと言うので、割りと頻繁に人が運ばれてくる。

他にも色々と薬師として実験をしているらしく、兎を遣って様々な材料を持ち、実験室と銘打たれた区域に入るのをよく見かける。

が、勿論の事、忙しそうにしており、しかも俺に手伝いように無い内容とすれば、自然話す事も無くなる。

たまに暇そうにしているのを見つけて話しかけた事があるのだが、顔を真っ赤にして立ち上がり、目を合わせる事すらせず、急用が出来た、と立ち去ってしまった。

どう考えても、俺は永琳さんに嫌われていた。

正直言って凹んだし、食事の際にそれとなく、俺のどんな所が嫌いか聞いてみようとしたこともあるのだが、取り付く島もなかった。

今では、とりあえず他の三人にどうすればいいのか教えを乞いている所である。

因みに輝夜先生は理由は分からずそれとなく永琳さんに聞いてみると言ってくれ、鈴仙さんも理由は分からないようで、唯一てゐさんだけ理由を分かっている風な仕草だったのだが、呆れたようにとりあえず時間を置くのが一番と言っていた。

と言う事で、とりあえずは本人とは距離を取ろう、と考えているのであるのだが。

 

「………………」

「………………」

 

 何故か、永琳さんの方から誘いがあり、断るのも不義理と言う事で、二人きりで縁側に座って、月見をしながらのお茶と言う次第になったのであった。

あったのだが。

目が合えば、湯のみのお茶が溢れんばかりの勢いで目を逸らされ。

置いてある湯のみを取ろうとして手が触れ合えば、目にも留まらぬ速度で体ごと手を引かれ。

話題を振ろうとしてみても、返ってくるのは生返事ばかりで。

最後のは俺の会話スキルがヘボいと言うだけかもしれないが、兎も角こっちが何か極悪な事をしているのではないか、と言う気分になってしまう反応であった。

いや、事実そうなのだろう。

兎さん達に聞く限りでは、永琳さんは厳しい所もあるが優しく理知的な女性で、理由もなく人を嫌う事など想像できないそうだ。

勿論、俺に嫌われる理由の心当たりなど幾百とあり困らないのだが、しかし、すぐに思いつく里人らに嫌われているのと同一の理由であるのなら、何故にこうやって彼女の方から二人きりになるのかが分からない。

何も分からない状況に、どうすればいいのか全く分からず、正直ちょっと泣きそうなのだが、我慢してお茶を飲み込む事で、泣き声を喉奥にまで流しこむ事にする。

 

「………………」

「………………」

 

 沈黙の中、響いてくる音は兎の歌と、太鼓のリズム。

どん、どん、どんどかどん。

一つついては輝夜さまの為に〜、二つついては永琳さまの為に〜。

僅かなズレも無い輪唱が竹林に響き、そのざわめきへと消えてゆく。

普通祭りと言えば騒がしいばかりの物だと亡くなった記憶の断片が言っているのだが、これは何処か神秘的な感じのする祭りであった。

俺の記憶の片隅にある祭りは地上人による地上人の為の祭りであり、神を祀る為の物であった。

対しこちらは、月人であると言う輝夜先生と永琳さん、月兎であると言う鈴仙さんが月から地上へと逃げ出した罪を償う為の物だ。

詳しい事情までは知らないが、祭りの雰囲気が全く違うのは、当然と言えよう。

などと、お茶を啜りながら思う。

 

 お茶を啜るで思い出したが。

輝夜先生はお茶をする時自室でするのを好む為、こうやって縁側に座って誰かとお茶を飲むのは、幽々子さんとそうして以来かもしれない。

ふとこうやって思い出すと、彼女の上品なお茶の啜り方から、その暖かな雰囲気を思い出し、どうにも会ってみたくなる。

それに、いい加減傷も癒えてきたし、何と言うか、当初あった体が妙に軽い感じも無くなってきたのだ、無事な姿を一目見せてみたい。

とすれば、勿論それを伺いべき相手は、丁度隣に居る永琳さんである。

何せ俺、ペットだの弟子だのと言われていたが、それ以前に結構な怪我人なのであった。

当然、完治の太鼓判を押して良いのは、永琳さんだけだろう。

と言う事で、早速聞いてみる事にする。

 

「その、永琳さん」

「……何かしら?」

「俺の傷なんですけども。もう、外出しても良いぐらいになったでしょうか? 出来れば今度、慧音さんの所と白玉楼とに顔を見せに行きたいのですが」

「駄目よ」

 

 即答であった。

しかもなんだかピリッとした言い方であり、思わず腰が引けてしまう。

と、自覚があったのか、永琳さんは何時もの苦虫を噛み潰したような顔に困ったような成分を上乗せするだけに留めて、口を開いた。

 

「特に白玉楼の方は、妖夢が貴方を切ってしまったのでしょう? 彼女から姿を見に来れるぐらいに落ち着けるのを、待った方が良いわ」

「えっと、では、慧音さんの方は」

「駄目。まだ、取っ……傷付いた臓器が完全には治っていないわ。自覚症状は無くても、貴方は医者が近くに居た方が良い状態よ」

「そう、ですか……」

 

 思わず、しゅん、と落ち込むのを見かねたのか、永琳さんが、くすり、と笑みを漏らした。

 

「大丈夫。そのうち私の手が空いたら、付き添ってあげるぐらいしてあげるわ」

 

 思わず、見惚れる。

もしかしたら、出会ってから、初めて俺に向けられたかもしれない永琳さんの笑み。

普段の永琳さんの理性的な態度から包容力のあるそれを想像していたものの、それはまるで初な少女の見せるような、純真な笑みであった。

ぼうっと、数秒間見つめていただろうか。

何時の間にか目をそらし、顔を赤くした永琳さんが、一言。

 

「——その、権兵衛さん?」

「へ? あ、はい、ありがとうございますっ」

 

 はっと正気に戻った俺は、こちらも顔を赤くして、頭を下げた後、顔を体ごと庭へと向ける。

下世話な話だが、最近、女所帯に世話になってばかりで溜まっているからか、ちょっとした女性的な仕草に反応してぼうっと頭をとろけさせてしまう事が多い。

かと言って処理しようにも、外出は許可されておらず、永遠亭の中で処理するにも正直かなり気が引ける。

どうしようもない事なので、とりあえず頑張ろう、とだけ胸に誓って、般若心経を内心で唱えて心を落ち着けようとする。

別に俺は仏教徒であった記憶は無く、事実般若心経も相当うろ覚えなのだが、何だかそれが心を落ち着かせる時の癖になっているようだったのだ。

と、そんな風にしていると、あら、と、何だか悪戯っ気のある声。

 

「権兵衛さん、何か言おうとしてる事があるのかしら?」

「へ? 何でですか?」

「だって、口をもごもご動かしているんですもの」

「い、いや、な、何でもないんです、これは」

 

 思わず顔を真っ赤にしながら俯く俺に、くすくすと笑い声を漏らす永琳さん。

物凄く恥ずかしいので、これ以上余計な物事を言う余裕も無く口を閉じる俺。

自然、沈黙が場を支配する事になるが、先程まで永琳さんにあった刺のような物が抜け落ちたかのようで、何処かその空気は優しい。

何と言うか、空気を挟んで隣に居る筈の永琳さんの温もりが、空気を伝わり届いてくるような、暖かな沈黙。

それを永琳さんも感じているのだろうか、ちらりと横目で見ると、竹林を見つめる何処か強ばっていた永琳さんの表情も、柔らかになっている。

永遠亭に来て以来の、優しげな永琳さんだった。

俺としては恥を晒しただけで、何もやってはおらず、何が良かったのかすら分からず仕舞いだが。

それでも、この空気が何時までも続いてくれたら、と思った、その矢先であった。

 

「お師匠様〜、無事例月祭は終わりましたよ〜」

「今日は珍しく、てゐも散歩に行かないままに終わりました」

 

 遠くから、てゐさんと鈴仙さんの声。

同時、しゅばっ! と言う音。

何事か、と永琳さんの方を見ると、明らかに先程までより俺と距離を取っていた。

しかも顔には何時もの平面を貼り付けたような冷たい表情で、内側からじわじわと黒い物が湧いてきそうな顔に戻っていた。

思わず、がくり、と肩を落とす。

不思議そうに俺を見つめてくる二人に、恨みがましい視線を送ってしまう。

とは言え、二人に別に悪い所があるでもない。

何も知らない二人が首を傾げるのに、小さくため息をつく俺。

しかし、そんな俺の中には、僅かばかりながら、希望と言うべき物が芽生え始めていた。

何せ、壊れてしまったとは言え、ついに永琳さんとも俺は親密な空気を作れたのだ。

これまで永琳さん一人と険悪な空気であったのが解消できるかもしれない、と思うと、自然、口元が緩む次第となる。

これからは、永遠亭の人々全員と仲良くしていく事ができるかもしれない。

希望に満ちたこれからの生活に、思わず笑みを浮かべながら、二人と応対し始める俺なのであった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 因幡てゐは、焦っていた。

七篠権兵衛と言う、己にとって毒でありながら無視できる物でもない、と言う男を相手にし始めて、十日程。

毎日のように、暇さえあれば兎を手伝う権兵衛の元に向かって権兵衛を騙していたのだが、この男、一向に騙されてくれない。

いや、と言うか、騙されてはくれるのだが、それが一周して戻ってきてしまうような感じの騙され方で、どうにもてゐの方に騙したと言う達成感が湧かないのだ。

例えば。

あ、UFOっ! と空を指さしてみれば、本当に空を正体不明のUFOが飛んでいて、早速権兵衛は輝夜に報告に行くのだが、んな訳無いじゃない、と怒られたり。

ちょっとした歓談の時、乾杯前にピッチャーを空けて準備と称し、権兵衛を誘ってみれば、みんなでやった方が楽しいから、と全員集まり普通の乾杯になってしまったり(ちなみにてゐは怒られた)。

雷雨の時、雷からおヘソを隠すのに自分の前に来い、と言えば、それを周りの兎にふれ回って、何時の間にか円を作って全員のへそを守る形となったのだが、何故か雷が局地的に権兵衛に降り注ぎ、大怪我をしたり。

どれを見てもなんだか騙せているようで騙せていない感じで、その上大体オチとして権兵衛が不幸な目に遭っている。

しかも本人はそれを何とも思っておらず、自分の力が及ばなかったと自虐するか、不幸な目に遭ったのが自分以外でなくて良かった、とニコニコ笑っていたりするので、何とも肩の力が抜ける事であった。

兎も角。

因幡てゐの精神の根幹である人を騙す事と人を幸せにする事、そのどちらもてゐは権兵衛に成し得ていなかった。

この十日、思いつく限りの嘘をついてみたのだが、全くもって、暖簾に腕押しと言うべき結果である。

此処に至って、てゐは自分以外の永遠亭の住人、輝夜、永琳、鈴仙の三人を使って、とりあえず権兵衛を幸せにする方だけでもやってみよう、と思うに至る事になった。

そこで、その三人の権兵衛に対する感情を、改めて探ってみたのだが。

 

 最初に、身近であり騙しやすい鈴仙。

切欠さえ作ってやれば、あの臆病な割りに寂しがりな兎の事である、容易く権兵衛と仲良くなるのではないかと思っていたのだが。

まず、見つからない。

日中、殆ど見かけるのは永琳からの仕事を請け負っている場面ばかりであり、権兵衛と会わせる暇の無い場面ばかりであった。

はて、どうしたのだろう、と夜中の鈴仙を探ってみて、だ。

怖気が走った。

鈴仙の師への報告と言う物を聞き取ったのだが、あの兎、日中の出来る限りの時間を使って、存在を消したまま権兵衛をストーキングしていたのだ。

しかも言葉の調子から察するに、今自分がやっている事が尾行と気づいておらず、おまけに嫉妬に駆られて、権兵衛と深く触れ合った兎を食材にまでしていたのだ。

最近の兎の減り方や、鍋の頻度やその肉の味がどうもおかしいと思っていたが、こんな所に原因があったとは。

そのあまりのおぞましさに、てゐは鈴仙と権兵衛の仲立ちをしようという発想を捨てた。

てゐは権兵衛を幸せにしようと言うのである、異常者の餌にしようというのではない。

 

 次に、永遠亭を実質取り仕切る永琳。

彼女は普段の理知的な様相と違って、権兵衛にだけは憎悪を隠しきれずに向けている。

とは言え、愛情の反対は憎悪ではなく無関心。

相応の労苦は必要だろうが、彼女の心を権兵衛に対し開かせる事も、できなくはないだろう、と思ったのだが。

鈴仙と同じく普段の様子を観察しているうちに、てゐは彼女の夜間の日課を知る事となって。

身の毛がよだった。

なんと彼女、明らかに発情した様子で、権兵衛を象った人形を解剖していたのだ。

顔を上気させて、己の胸を揉みしだきながら人形を解剖する様は、成程、確かに権兵衛に愛情を抱いては居るのだろうが、あまりにもおぞましい愛情である。

流石師弟、と言うべきか。

てゐは、永琳と権兵衛の仲立ちをしようという発想も捨てた。

てゐは権兵衛を幸せにしようと言うのである、生贄に捧げようというのではない。

 

 最後に、永遠亭の最高権力者たる月の姫、輝夜。

彼女だけは、正常な愛情を権兵衛に抱いていたように、てゐには見えた。

何事でもする側ではなくされる側であり、やる事と言っても思いつきばかりですぐに飽きてしまい、続いているのは優曇華の盆栽の世話だけ、と言った所業である彼女だが。

なんと、権兵衛の師匠だけは、未だに続いていたのだ。

それも続くだけではなく、明らかに楽しんだまま。

成程、以前の兎の教育と違い権兵衛に明らかに才があると言うのも理由の一つなのだろうが、それだけでは説明できないぐらいに、輝夜は権兵衛の教育を日々の楽しみとしている。

よっててゐは、権兵衛と彼女との仲を進ませよう、と決める次第となった。

 

 方法であるが、簡単である。

まず、例月祭の準備として、何時も通り団子をついた。

この団子、常から永琳が、兎達が摘み食いするのを見越して、祭りが盛り上がるよう興奮剤を混ぜてある。

妖怪兎用のそれは人間に対しても十分以上の効力を発揮し、権兵衛が如何に温和な人間でも興奮させてしまうだろう。

興奮した権兵衛と輝夜が出逢えば、何時もと違った進展が見られるに違いあるまい。

と言う訳で、その団子を、いくつかポケットにくすねておく。

兎達に団子を取られないよう注意しつつ、歌って踊り、何時も通りに例月祭を終える。

この時、自分が熱に浮かされないよう、団子を摘み食いしないようにするのがポイントだ。

で、常とは違って熱冷ましに散歩する必要も無いので、鈴仙と共に永琳に報告。

権兵衛が一緒に居たのには吃驚したが、それを覆い隠し、その場から権兵衛を連れ出す。

どうせ片付けまで終わったと報告されてしまっては、権兵衛には例月祭でやる事は無いのだし、権兵衛はてゐに従順についてきた。

そこで十分に二人から離れた辺りで、一番形の良い物を選び、そっとポケットから団子を出す。

 

「さて、権兵衛よ。人を幸せにするために、一つ訓示をくれてやろうじゃないか」

「はい、てゐさん」

 

 こんな時、ちょっとだけ自分を師匠と呼ばせてみても良かったかな、と思うてゐだが、その考えを振り払い、権兵衛に団子を差し出す。

 

「はい、団子」

「はい、団子ですね。……あぁ、成程。

幸せとは皆で分かち合うもの。これを食べて、他の兎の方達と幸せを分かち合い、幸せのなんたるかを知れ、と」

「あー、まー、そんなもんだね」

 

 ここでどう言って食べさせようか考えていなかったてゐだが、何時ものように勝手に権兵衛が理屈をつけてくれるので、それに乗って団子を手渡した。

こんな風に流されてしまうから、私は権兵衛を騙せないのかもね。

そんな風に思いながら、団子を咀嚼しながら幸せそうな顔を作る権兵衛の顔を見る。

てゐは、食べ物を食べる権兵衛の顔が、そんなに嫌いでは無い。

初日、初めて夕食を共にする時にカレーを食べた時も、最初、彼がカレーを食べる顔を見て、思わず感想を言うまで見惚れてしまったぐらいだ。

何せ、本当に顔中から幸せ光線でも出ているのかと言うぐらいに幸せそうに、食べ物を頬張るのだ。

食器やら素手やらで食べ物を浚い、ちょっと小口気味に口を開いてすっと口の中に食べ物を入れるのだが、それからすぐに小さなえくぼを作って目を細め、幸せを噛み締めるようにゆっくりと食べ物を噛み、嚥下する。

その後、特に最初の一口の後は、何とも幸せそうに小さくため息をつくのだ。

この時もそんな風で、やっぱりてゐはちょっぴり権兵衛の顔に見惚れてしまう。

もっと見ていたいな、と自然と思い浮かび、手がポケットに伸びようとするのだが、それを鋼の意志でてゐは止めた。

妖怪用の薬は普通、人間に対し十倍の効力を持つと言う。

今回の興奮剤はそこまで大きい力を持っていないし、多少は権兵衛も無自覚に霊力でレジストしているだろうから一つなら問題無いが、幾つも与えては不味い。

表情筋の笑顔を作り、てゐは続けた。

 

「さ、そいじゃあ例月祭が終わったって、姫様に報告に行ったらどうだい? もう報告は行っているかもしれないけど、暇してるだろうしさ」

「そうですね、確かに何時も通り、そろそろ暇を持て余して何かし始めている頃かもしれませんね」

 

 苦笑しつつ言う権兵衛の言う通り、丁度今時分が、輝夜が盆栽の世話に飽きてきて他の事をしようとしだす頃である。

成程、権兵衛はどうやら、思ったより輝夜の事を理解しているようだった。

そう思うと、何故か、てゐの腹の中でぐねりととぐろを巻く物があった。

これは権兵衛の幸せの、ひいてはてゐの精神の健康の為に好事であると言うのに、何故か、不快感がつのる。

なんだか、これ以上権兵衛を見ていたくない。

先程まで、団子を食べる顔をずっと見ていたいぐらいだったと言うのに。

 

「ほら、さっさと行ってきな」

「はい、では、失礼します」

 

 だから、胸の中の黒い物に従い、てゐは権兵衛を急かし、さっさと輝夜の元に向かわせる事にした。

だって、それで権兵衛は幸せになれるのだ。

そうすれば自分も精神的に健康的になり、きっとこの不快感も消えてくれるだろうから。

——その筈なのに。

何故か、胸の中の黒い物は、こびり付いたかのように消えてくれないし、遠ざかる権兵衛の背を見ていると、徐々に増えていっている気さえもする。

大丈夫。

これでいいんだ。

そう思って黒い感情を吹き飛ばす為に、てゐはポケットに残しておいた団子を取り出し、一つ、ぱくりと食べた。

そのまま暫くぼうっと立っていると、興奮剤の作用で体に熱がたまって、どうにも動かしたくなる。

そんな熱を覚ます為に、何時もよりも若干遅い時間の散歩に、てゐは出かける事にした。

 

 

 

      ***

 

 

 

 輝夜の日課として、優曇華の盆栽の世話と言うものがある。

しかし世話と言っても、水をやったり肥料をやったり枝を裁断したりする事はなく、ただ眺めているだけだ。

勿論、優曇華の盆栽の特性としてはそれで十分なので、別にサボっていると言う訳では無いが、特に輝夜が積極的にやるべき事と言うのは無い。

比べて、弟子の権兵衛は、手がかかることこの上ない。

初回以降もちょくちょく時間を取って霊力講師の講義を永琳から受けねばならないし、それに加え、具体的な育成計画は自分で考えねばならない。

しかもそれで失敗してしまえば、失われるのは権兵衛の才覚なのである。

更に、今まで何をやっても永琳が居るから大丈夫だと思っていたが、今回ばかりは永琳が権兵衛に憎悪を抱いている為、恐らくフォローは無いだろう。

となると。

これはもしかして、輝夜が生まれて初めて成す自分の仕事と言えるのでは無いだろうか。

つまり、己の全てを映しだした、初めての存在。

 

 今の所、それは上手くいっているように思えた。

権兵衛は霊力の才能もあったし、それ以外に話し相手が欲しい時に呼んで居て分かったのだが、結構頭も良い。

すくすくと輝夜の教えを吸収し、霊力としても、教養としても、美しい珠のような形を徐々に取り始めている。

いわば。

権兵衛は、輝夜の宝物だった。

 

「なんて言うには、まだちょっと早いかしら」

 

 己の贔屓目の強さに自嘲の笑みを浮かべ、輝夜は縁側で満月を肴に茶を口に含む。

珠のようにとは言っても、まだまだ権兵衛は未熟であった。

師の贔屓目もあるが、権兵衛はもうすぐ氷精や夜雀ぐらいなら相手できるレベルに到達するだろうが、そこからは流石に成長スピードは落ちるだろう。

才能の有無の問題ではなく、位階としての平易さの問題であるので、それは避けられない。

宝物、などと言ってお披露目できるようになるまでは、恐らく二、三年はかかるだろう。

と言っても、それでもかなり才能がある方なので、幻想郷の面々は驚くに違いないだろうが。

驚き、権兵衛を賞賛する面々の顔や、唯一の殺し合いの相手である輝夜を取られて仏頂面になるであろう妹紅の顔を想像し、くすりと輝夜は微笑んだ。

と、そこに影が落ちる。

 

「輝夜先生。無事、例月祭が終わったようです」

「あら、そう。良かったわ」

 

 と言って現れた権兵衛の頬は赤く上気しており、はて、どうしたものか、と考え、気づく。

恐らく何も知らない兎にでも勧められて、興奮剤入りの団子を食べたのだろう。

あれは人間には相当辛い筈だが、満月の今、権兵衛ならある程度抵抗して、ちょっとした興奮状態程度に収めているだろう。

しかし、温和な権兵衛の興奮した状態とは、珍しい物である。

むくむくと悪戯心が湧いてくるのを感じながら、それに従い輝夜は口を開いた。

 

「なら権兵衛、今暇でしょう? ちょっとお茶に付き合いなさい」

「……あ、はい、是非とも」

 

 と言う息の荒い権兵衛が座って茶を口に含むのを確認して、一言。

 

「所で権兵衛って、女所帯で性欲をどう処理しているのかしら」

「ぶべふっ!?」

 

 宙を舞う液体が随分と遠くまで飛んでゆくのを見て、内心ガッツポーズを取る輝夜。

 

「い、いや、あの、あのですねぇ……」

「くす、冗談よ、冗談。何、それとも私にえっちな事聞かれて、興奮した?」

「してませんっ!」

 

 いきり立つ権兵衛に肩を震わせ、喉で笑う。

だって、ぶべふっ、ぶべふって。

止まらない笑いを、心の中の権兵衛からかい帳に永久保存しておき、ついでにちょっとだけ着物をはだけてみる。

何時もは顔を赤くしながらもすぐに目を逸らす権兵衛が、固まってしまったかのように視線を留める。

男のねっとりとした視線はあまり好きでは無いが、権兵衛のそれだと、不思議と優越感のような物が勝るから不思議である。

くすり、と再び微笑をもらし、輝夜は口を開いた。

 

「あら、権兵衛、どうかしたのかしら?」

「——っ!? い、いや、なんでもありませんっ」

 

 顔を真っ赤にして殆ど体ごと輝夜から目を背ける権兵衛に、再び輝夜は喉で笑う事となる。

そんな権兵衛を見ているとまだまだ悪戯心が湧いてくるのを感じる輝夜だが、まぁ、これぐらいで勘弁してやろう、と権兵衛をからかうのはこのぐらいで止めておく事にした。

自然視線は竹林へ、そしてその上の満月へと昇る。

満月。

貴き月。

ちょっと前、永夜異変と呼ばれる異変を輝夜達が起こすまで、満月とは恐怖の対象であったが、ここ最近はそれを愉しむようになっている。

その変化はなんだか恐ろしく、だから常は雨で満月が出ていない方が安堵する輝夜なのであったが、今は違った。

そんな事よりも、権兵衛と一緒に、こうして月見をできる事が嬉しい。

こんなことだったら、今回の例月祭も永琳に言って薬を混ぜさせず、自分たちも食べるようにすれば良かったかもしれない。

そう思うとちょこっと後悔が滲む輝夜であったが、過ぎてしまった事は仕方ない事、今こうやって権兵衛と満月を愉しめる事に満足する輝夜であった。

 

「やっぱり、今が一番大事な時なんだ、って思うわ」

「……輝夜先生?」

 

 脈絡の無い輝夜の言葉に、ようやく顔の赤さが引いてきた権兵衛が、疑問詞を浮かべる。

 

「過去なんて、安い本と同じよ。読んだら捨ててしまえばいいわ」

「そう、ですか?」

 

 珍しく、言外に輝夜に反抗する一言であった。

これも興奮剤の力によるものかと思うと一層珍しく思え、輝夜は先を促す事にする。

 

「そうよ。違うかしら?」

「——違う、と、思います。だって、過去は重要です。

俺がこの幻想郷に入ってきたのも。慧音さんと出会い、恩を授かったのも。白玉楼で、幽々子さんと妖夢さんと知り合えたのも。そしてこうやって、輝夜先生に弟子として貰えているのだって、過去があるからです。

もし俺が過去を低く見てしまうのなら、輝夜先生から受けた恩だって、軽くなってしまう。

それは、俺は、その——、嫌なんです。

俺は、この幻想郷に入ってきてから、皆に受けてきた恩を、大事にしたい。

だから俺は、過去を安く見ようなんて、できるとは思いません」

「そう、かしら」

 

 不思議と、輝夜は自分の中に黒い物が湧き上がるのを感じた。

団子など食べていない筈なのに、感情的になる自分が居るのが分かる。

膝の上で握りしめている拳の中、爪が肉に食い込むのを感じる。

 

「でも結局のところ、この世にあるのは今この瞬間だけ。それを楽しめないようなら、何の意味も無いわ」

「違います。過去を美化できないと言う事は、今に比べて幸せな物が無くなってしまうと言う事で、つまり今幸せになるために努力できないと言う事になる。

そうなると生き物を諦めの念が支配してしまいます。そうなれば、負の連鎖として、生き物はずっと悪い方向に行ってしまう事でしょう。

俺も、多分そうです。

これができず過去を大切にしなければ、未来が無くなってしまう」

 

 何故か、輝夜は不意に泣き出しそうになった。

目尻の辺りにぐぐっと熱いものがこみ上げてきて、喉奥に痛みを感じるようになる。

どうにかそれを抑える事に成功し、それから権兵衛の様子を見るが、権兵衛は自分の言に興奮しているようで、輝夜の様子は悟られなかったようだ。

それはそれで良い筈なのに、何故かその事実が、更に輝夜の涙の力を増す事になる。

 

「未来。未来だって、そんなに大切にしなくちゃいけないものかしら? 今を大切にする事とは比べ物にならないわよ」

「大切にしたいです。だって、俺は、俺がみんなに恩を返せる未来を求めて、今を頑張れているのだから」

 

 悲しいのだろうか。

怒っているのだろうか。

最早それすらも分からない感情が輝夜の目頭に温度となって集まり、ぽろり、と零れ出した。

 

「何でよっ!?」

「輝夜、先生?」

 

 思わず、口から怒号が飛び出る。

権兵衛が輝夜の方を向き、その様子にようやく気づいた。

 

「何で、権兵衛はそんな事言うの!? だ、だって、大事なのは、今、過去も未来も、過ぎ去ったか、いずれ過ぎ去る、いくらでもある物に過ぎないのよっ!?」

「——っ! で、でも……」

 

 何か言おうとする権兵衛に重ねて言うように、輝夜は叫ぶ。

 

「なのに、そんな物を大事にするなんて——」

「——でもっ!」

 

 遮るように、権兵衛も叫んだ。

 

「でも、俺の未来は——、永遠じゃあ、ないんです!」

「——あ」

 

 突然、疑問が氷解した。

なんでこんなに悲しいのか。

なんでこんなに怒っているのか。

それは。

自分とずっと一緒に居られると思っていた権兵衛が。

こんなにも違う考えなのが、悲しいのだ。

こんなにも違う生物なのが、悲しいのだ。

そう自覚すると、一層悲しさが増してゆくように思えて。

権兵衛の顔が、自分との間にある間隙を、より一層意識させるものであるように思えて。

 

「……たくない」

「え?」

「見たくないっ! 権兵衛の顔なんて、見たくないっ!」

 

 駄々っ子のような言葉が、輝夜の口から漏れ出す。

そんな言葉が自分の口から漏れ出すなんて信じられない輝夜であったが、次々と言葉の方は輝夜の口から出ていってしまう。

 

「見せないで。ねぇ、見せないでよっ!」

 

 ぱちん、と小さな音を立て、輝夜の手が権兵衛の頬を叩いた。

その弱い力に従い顔を外に向けた権兵衛の顔すらも直視できず、輝夜は視線を下ろす事になる。

なのに、体の向きは権兵衛の方を向いていて、だから権兵衛の下半身は自然と視界に入っていた。

それが、権兵衛が見えてしまうのが、権兵衛がこんなにも自分と違うと言うのを直視するのが嫌で、輝夜の口は次の叫び声をあげる。

 

「出てって。出てってっ! 今直ぐ、此処から、永遠亭から出てってよっ!」

「輝夜、先生……」

 

 呟きながら、何をすればいいのか分からない様子で、手を空中でさ迷わせる権兵衛。

視界の隅に入るそれがどうにも煩わしく感じて、つい、それすらも振り払ってしまう輝夜。

 

「ねぇ、出ていって。出ていってよっ! もう、これ以上貴方を見ていたくないのよ!」

 

 泣きながら、輝夜は権兵衛の胸を叩く。

全身から力が抜けているかのようで、胸を叩く力は、自分でも驚くほどに弱い。

ぽすん、ぽすん、と権兵衛の胸を叩く手に、権兵衛がそっと掌をかぶせて来たが、咄嗟にそれも払いのけてしまう。

ひょっとしたら、これ以上権兵衛の温もりを知り、同時に権兵衛との間隙を意識してしまうのが、怖かったからなのかもしれない。

何にせよ、権兵衛の手は払いのけられ、その顔は明らかにショックを受けていた。

そんな顔をさせてしまう自分が悲しくて、再び輝夜の目からは涙が溢れ出て、同時に罵詈雑言も口から飛び出しはじめる。

それにも飽きると、最後には叫ぶ力も尽きたのか、ただ涙を流しながらこんな風に輝夜は呟いてみせた。

 

「お願いだから……、お願いだから、もう出ていって。これ以上、私に酷い事、言わせないでよ……」

 

 ——それからどうなったのか、輝夜はよく覚えていない。

多分一晩中権兵衛に罵声を浴びせかけ、出て行けと怒鳴っていたのだろうが。

少なくとも。

翌朝には、権兵衛の姿が永遠亭から消えていた事だけは、間違いなかった。

 

 

 

      ***

 

 

 

 数日後。

秋の日差しが竹の間から差してくる中、てゐは日課である散歩をしていた。

世間では落ち葉も溜まる頃であると言うのに、茶一色である地面を軽やかに踏みしめてゆくのが秋の竹林散歩の醍醐味なのだが、その足取りは、不思議と重く、時々止まっては、思い出したかのように進んでいる。

代わりに出てくるのは、何故かため息ばかり。

憂鬱だった。

何時も心の目を楽しませてくれる不変の竹林も、その合間から覗く陽光が反射する煌きも、まるで灰色にしか見えない。

体からは変わらず活力と言う活力が抜け出ているようで、意識せねばすぐに足は止まってしまい、ため息の博覧会が始まってしまう。

どうしたのだろうか。

てゐにとって猛毒である権兵衛が、思い通り幸せとはならずとも、目の前から姿を消したと言うのに。

 

 ——例月祭の夜。

てゐは権兵衛を幸せにする為、輝夜との仲を進展させようと、興奮剤入りの団子を渡した。

結果、何があったのかは知らないが、翌朝には権兵衛は姿を消していた。

輝夜の説明によれば、ただ教育にも飽きたから放逐したのだ、との事。

しかし説明に反し顔は切なく、今にも泣きそうな顔で言うので、それには全く説得力が無かった。

何があったのか分からないが、兎に角、てゐの行動は相変わらず権兵衛を幸せにする事は出来ず、不幸にするばかりであった。

しかし。

しかし、である。

同時、てゐにとって猛毒である権兵衛が、目前から姿を消したと言うのも、また一つの事実であった。

であれば当然、権兵衛の不健康分だけてゐが健康的になってもおかしくないと言うのに、未だ精神は憂鬱であり、復調の兆しは見えなかった。

その事実にため息をつき、再び止まっていた足を、どうにかして動かし始める。

それがぐっと力を込めないと何時までもその場に座り込んでしまいそうなぐらい難しく、今のてゐにはその程度の活力を搾り出す事すら難しいと言う事実の現れであった。

 

「あら、てゐじゃない」

 

 と、そんなてゐに、突然声がかかる。

自然足元をばかり見つめていたてゐが面を上げると、何時の間にかてゐは永遠亭の庭近くを歩いており、縁側に腰掛ける鈴仙が見える範囲に居た。

声をかけられたので返そうと思うてゐであったが、不思議と、何時もなら朗々と滑りだす口が、一向に回らない。

とりあえず、やぁ、とだけ声を返して、視線を足元に戻し、この場を去ろうとする。

本当に憂鬱な時は、人が近くに居ると言う、その事実だけで億劫なのだ。

が。

 

「あ、その……。ちょっと、聞いてくれるかしら」

 

 と、続けて言う鈴仙の言葉に、てゐは再び面を上げた。

鈴仙がてゐに相談事と言えば、出会って数年で騙しまくって散々遊んで以来、滅多に無かった物であるので、ふと興味を惹かれ、てゐはゆらりと鈴仙の元へと近寄り、ひょい、とすぐ近くの縁側に腰掛ける。

ただ、鈴仙の顔を見て気遣う程の活力は出てこなくて、結局自分の足を見つめながら、鈴仙の言葉に耳を傾ける事にする。

 

「その、権兵衛さん。すぐ前まで、あの人が居たじゃない」

「うん。そだね」

「私……、権兵衛さんが最後に輝夜様と話していた時、隠れて見ていたの」

「そう——、だったんだ」

 

 成程、権兵衛ストーカーの第一人者である鈴仙であるならば、師への報告を終えてすぐに権兵衛の尾行に戻っていてもおかしくはあるまい。

とすると、例月祭の夜、てゐが団子を渡すのを邪魔されなかったのは、結構ギリギリのタイミングであったのだろうか。

そう思うと普通、ギリギリで悪戯を成功させた時のスリルと快感がてゐの背を波打つのだが、今はただ、もしもの世界には権兵衛が興奮せず、そしてその為に此処を出てゆかなかった世界があったのかもしれない、と夢想しただけであった。

 

「最初は、普通の会話だったわ。ちょっと、権兵衛さんが興奮気味だったぐらいかな。

でも、それはすぐに終わったわ。切欠は、確か、今が大切か、過去や未来が大切か、みたいな話だったかしら。

輝夜様は勿論今が大切だって仰られて。

権兵衛さんは過去や未来が大切だって言ってて。

ふふ、あの人らしいわね、皆からの恩を忘れたくない、皆に恩を返したいって言ってて。

本当に権兵衛さんらしい、可愛い理屈だったわ」

「そうだね」

 

 確かに、権兵衛ならそう言うかもしれない。

出会った時の、いきなり弟子になりたいとか言い出した権兵衛の口上を思い出し、てゐはそう思った。

 

「でも、輝夜様——、ううん、あの女は。

権兵衛さんが、ただ皆の恩を大切にしたいって、自分らしくありたいって、そう言っているだけだったのに、いきなり癇癪を起こし始めたわ。

何で、今を大事に思えないんだって。

そう言ったかと思えば、急に、権兵衛さんの頬を——」

 

 ぎり、と歯ぎしりの音がするのに、てゐの視線はゆらりと鈴仙の顔に移る。

目は血走り歯茎をむき出しにした、夜叉の顔がそこにあった。

それから、急に鈴仙は叫びだす。

 

「あの女、よ、よりにもよって権兵衛さんの顔を、な、殴って!

権兵衛さんの手を——、ふ、振り払って!

ま、まるで自分が、ひ、被害者みたいな顔して、泣きながら権兵衛さんを罵倒し始めてっ!」

 

 それから、激怒した鈴仙の口から、意味のない叫びのような怒号が続けて口にされた。

先日自分がおぞましいと言った愛情に起因する怒りにさらされたてゐだが、それにすら反応するのも億劫で、鈴仙の頭に昇った血が降りるまでぼうっと呆ける事にする。

最早てゐは鈴仙におぞましさを感じる事も、その怒りを恐れる事もなく、ただその怒号を聞いて、あぁ、私はやっぱり権兵衛を不幸にしてしまったんだな、と思い知らされていた。

予想はしていた事だったが、憂鬱である。

自分の心が更に深い所へ沈み込んでゆくのを感じながら、ただただてゐは自分の足元を眺めていた。

暫くして、肩で息をしながら、鈴仙が冷静さを取り戻す。

 

「はぁ、はぁ……。兎も角、そんな理不尽な事で、あの女は権兵衛さんに出てけって言って。

権兵衛さん、困ったんだと思う。

あの人、きっと誰に怒られても、自分に原因があるって思っちゃうぐらい、底なしに優しい人だから。

どうやったら、あの女——輝夜様の怒りを、沈められるんだろうかって。

あんな女の癇癪なんて、放っておけばいいのにね。

——で。

多分、思いつかなかったんだと思う。

だって、思いついたなら、あの人はきっとその方法がどんなに怖い事でも、びくびくしながらかもしれないけど、絶対にできる人だから。

だから、権兵衛さん、部屋に戻って、荷物を纏めて、——永遠亭を、出て行っちゃって」

 

 と、そこまで話してから、鈴仙は、大きく息を吸い、吐く。

てゐが視線をやると、鈴仙は、今のてゐと同じような、どこまでも沈み込んでいきそうな、憂鬱な瞳をしていた。

 

「私、ね。権兵衛さんが此処に来た初日、約束していたんだ。

『いざって時は、私を頼ってくれていいよ』って。

でさ、此処を出ていこうとする権兵衛さんを見て、今こそ、“いざって時”じゃないか、って思って、私、姿を表そうとして——」

 

 鈴仙の言葉が、途切れる。

自然、辺りに憂鬱気な沈黙が充ち溢れ、竹林が風で揺れるさざ波の音だけが残された。

続く言葉を待って鈴仙の顔を見ていたてゐの視線が、徐々に力を無くし、足元へと降りていって。

二人が視線を交わないまま、幾許かの時が過ぎ去った時。

ついに、鈴仙が呟くように言った。

 

「でき、なかった」

 

 一度言ってしまうと、決壊したダムのように、鈴仙の言葉は次々に溢れでてくる。

 

「不意に、お師匠様が今見ているんじゃないか、って思って。

そしたらさ、急に熱が冷めるみたいに、姿を現して私は何ができるんだ、なんて思っちゃってさ。

輝夜様を説得できる訳でも無い。

お師匠様に頼み込んでも、権兵衛さんを嫌っているお師匠様だから、そんな事絶対に無理。

なら、私も此処を飛び出して、権兵衛さんについていけば良かったのかもしれない。

でも、それすらも私には、出来なかった。

此処を離れるのが。

今持っている物を手放すのが、怖くて。

——権兵衛さんと違って、勇気が、無くて」

 

 勇気。

その言葉に反応して、ぴくり、とてゐは自分のウサミミを揺らした。

 

「自分で動く、勇気がなくて」

 

 自分で動く、勇気。

それを聞いて、てゐはそういえば、と思い出す。

焦っていたてゐは、誰かと権兵衛の仲を進展させて幸せにしようと思い、三人を思い浮かべたのだが。

よくよく考えれば、てゐが権兵衛と普通に仲良くなればいい、と言う手段があったのではないだろうか。

何故、それが思いつかなかったのだろうか。

単純に思いつかなかった?

いや、数千年の時を生きたてゐの知恵はその程度の物ではないし、問題も単純である。

実行するかは兎も角として、少なくとも、思いついてみて否定するぐらいはしていないとおかしい。

 

「本当に私、臆病で」

 

 臆病?

私は、臆病だったのだろうか——、てゐは、呆然と自分の足元を見つめながら、ふと思った。

そう、先の考えが正しいのなら、てゐは自分が普通に権兵衛と仲良くなればいい、と言う考えを、思いつきながらも自分で封殺していた事になる。

怖かったのだろうか?

今までにない、騙し騙されの関係ではなく、素の自分で接する事と言うのが。

——臆病。

ぶるりと、自分で自分に言い聞かせた言葉に、てゐは身震いする。

だが、しかし。

 

「でも、だから。だから、次こそは。

うん、次なんて、あるのかどうか、あっても何をすればいいのか分からないけど。

でもね、次こそは私、勇気を出そうと思うんだ」

 

 ——次。

ああ、そうだ、次があるかもしれないんだ!

それに気づくと、雷が落ちたかのようにてゐの全身に活力がみなぎった。

自然、視線も上がって鈴仙の顔が視界に写り、その顔が、寂しげながらも、何処か決意に溢れた表情である事に気づく。

 

「次がどんな時か分からない。その時、何をするのが勇敢なのかも分からない。

だけど、決めたんだ。次こそは、次こそは、絶対に、勇気を出して権兵衛さんの力になってみせるんだ、って」

 

 てゐの視線に気づいた鈴仙が、にこり、と笑いながら、そう宣言してみせた。

そして、ぐいっと体を持ち上げ、庭へと踊り出る。

 

「ありがとね、てゐ。私の決意表明、黙って聞いてくれてさ」

「いや、私も助かったよ」

「へ?」

「や、なんでもないさ」

 

 そう言うと、少しの間怪訝な顔をしていた鈴仙であるが、もう一度てゐに礼を言い、散歩でもするのだろう、ゆっくりと庭の周りを歩き始める。

それを眺めながら、呟くように内心でてゐは思う。

礼を言いたいのは、こちらの方だった。

そう、権兵衛との関係はただ距離が離れただけで、まだ切れておらず、次がある、と気づかせてくれたのだから。

ならば、てゐの精神が一向に健康的にならないのも、頷ける話である。

何せただ単に権兵衛が目に見えなくなった所で、それは症状の進行を緩和するだけで、根本的な治療にはなっていないのだから。

 

 だが、同時に次がある、と言う事は希望がある事をも指し示していた。

だからてゐは、賢しい兎らしく、今度こそは権兵衛と出会った時、権兵衛を幸せにしてあげる為に、色々と準備をする事にする。

——まず初めに、権兵衛を少女性愛に倒錯させる為に、永遠亭のおぞましい愛を教え、大人の女性に不信感を持たせねばならない。

その上でスキンシップと称して権兵衛の体に触れる事を多くし、更にそれを先のような興奮剤を用いるなどして興奮状態にある権兵衛に行い、権兵衛に自分が少女に対し興奮していると錯覚させねばならないだろう。

同時進行で、何処か権兵衛と一緒に逃げれる場所を作るのも必要だ。

何せ永遠亭の女どもときたら自分勝手で、恐らく権兵衛が他の誰と結ばれても、それを信じず迫り来るであろう女ばかりである。

とすれば誰にも見つからない家や、それを手に入れる為の資材なども必要になる事は、当然の事と言えよう。

勿論、権兵衛と二人きりで住まい、二度と他の誰とも出会う予定の無くなる場所なのだ、自給自足ができる事も必須だ。

その為に必要な知識や流言飛語や薬の調達など、やる事は山ほどにある。

こうやってやる事ができると、不思議な事に憂鬱さも吹き飛んでしまう物で、何時の間にかてゐの体には活力が満ち溢れていた。

先程鈴仙がしたように、ぐいっと体を持ち上げ、庭に踊り出る。

太陽を見上げると、灰色だったそれは黄金の光を放ち、これからのてゐの所業を祝福しているかのように見えた。

だから、思うのだ。

絶対に。

他の誰に幸せにされるよりも、早く。

 

「——ぜったいに、わたしが幸せにしてあげるからね、権兵衛」

 

 

 

      ***

 

 

 

「——ふぁ」

 

 午睡から覚め、輝夜は意味のない言葉を漏らした。

どうやら、優曇華の世話をしているうちに、少し寝てしまったようである。

幸いよだれなどは垂れていなかったので、少し寝ぐせっぽいのを頭に触れて直し、風にでもあたろう、と輝夜は部屋の外に出ることにした。

縁側を散歩しながら、此処数日の事を思う。

 

 権兵衛が居なくなってからの数日、輝夜は兎も角、手持ち無沙汰だった。

何時もなら毎日権兵衛に霊力を教えるか、その為の計画を練るか、そうでなくとも権兵衛と話でもしていくらでも時間を潰せていたのに、今となっては、暇ばかりが一日中満ちている。

普段であれば、それでも思いついた事を適当に実行してみるような事があったのだが、それすらもなく、ただ午睡と散歩と食事と睡眠を繰り返すだけの毎日であった。

何と言うか。

何も、する気になれずに。

その事を考えると、権兵衛の事が思い出されて胸が痛むのだが、あの権兵衛に対し、今更どうすればいいのか分からなくて、だから輝夜にはどうしようもない。

 

 例月祭が明けた朝、権兵衛が居なくなっていた事を知ると、自分が飽きたから放逐したのだ、と、表向き平然としたつもりで屋敷の皆に説明した。

しかし内心では権兵衛に会いたい気持ちと会いたくない気持ちとがせめぎ合って、嵐のような有様になっていた。

権兵衛と、会いたい。

会ってあの、素晴らしい時間を共有したい。

霊力を教えるのだって勿論魅力的だが、そこまで望めなくとも、ただ会話するだけでもいいから、権兵衛と会いたい。

そう思う反面、権兵衛と会いたくない、という気持ちがある。

権兵衛と、会いたくない。

会えば、きっと権兵衛がどうしようもなく自分と違う考えの生物だと、気づいてしまうから。

ずっと権兵衛と一緒に居られる今と言う時間の儚さが、嫌でも実感させられてしまうから。

二律違反の感情は、今でも輝夜の中でせめぎ合い、その勢いは弱まるどころか強まるばかり。

かと言って両方に従う行動など存在するはずもなく、輝夜は表向き何もせず、ただぼうっと優曇華の盆栽を眺める毎日を送っていた。

 

 散歩の合間も、今は目を楽しませる余裕すらない。

ただただぐるぐると二つの言葉が頭の中を回っており、それが他の全てから輝夜の意識を引き剥がしている。

権兵衛に会いたい、会いたくない。

そんなぼうっとしている輝夜であったが、縁側をぐるぐると散歩している間に、ふと、永琳の部屋の前を通りかかった時、襖が半開きになっているのに気づいた。

普段ならそんな物どうでもいいと思う所なのに、不思議とそこには引きつけられるような感覚があり、ふらふらと輝夜は永琳の部屋へと歩みを進める。

 

 永琳の部屋は、明かりを取り入れる窓全てが締め切られ暗闇に包まれており、その中に唯一薄緑色の光源があり、それが部屋の机の上にある物を強く照らしているようだったが、外からではよく見えない。

永琳はと言うと机に座ってぼうっとした様子で、じっとその光源近くにある瓶詰めの何かを見つめている所だった。

それがどうにも気になるので、思い切って、輝夜は襖を開けて永琳の部屋に入る。

 

「か、輝夜!?」

 

 蠱惑。

永琳が悲鳴じみた声を上げて跳ね上がるように振り返るが、それすらも目に入らない。

ただただ、幾つかある光源の瓶の中にぎゅうぎゅうに詰められた、灰色の腎臓や、黄土色の小腸、濃赤色の肝臓に、目が奪われていた。

自然、ふらふらと部屋の中を横切り、永琳の隣まで行って、先程永琳がしていたように、その内蔵を見つめる事にする。

 

「そ、その、これは……」

「これは、権兵衛の、よね」

 

 暫く、戸惑っているようだった永琳だったが、観念したように口を開く。

 

「——は、い」

 

 それを受けて、僅かに、輝夜は僅かに相好を崩す。

どうしてか、それは永琳の答えを受けるまでもなく、その事は分かっていた。

次いで、永琳が権兵衛の臓物をぼうっと眺めていた様子を思い出し、ふと、思いつくものがある。

 

「ねぇ、永琳。永琳も、権兵衛の事が好きだったのかしら」

「ええ!? い、いや、その、輝夜ったら、権兵衛さんの事が好きだったのね。ペットだとか言っていたけど、やっぱりそうだったの」

「答えて。永琳も、権兵衛の事、好きだった?」

 

 暫く、沈黙がその場を満たす。

光源の電灯が漏らす低い音だけが響く中、暫く百面相をしていた永琳であったが、ついに口を開いた。

 

「——うん。そうかも、しれないわ」

 

 言葉面とは別に何処か確信じみた物のある言葉に、輝夜は薄く笑った。

永琳のあの憎悪は、好意の裏返しだったと言う訳だ。

とんだつんでれだな、と内心呟きつつ、輝夜は静かに臓物の詰まった瓶に手をやる。

硝子製の表面を、撫でてみる。

無い筈の権兵衛の内蔵の体温を感じ取れたようで、数日ぶりのそれに、思わず輝夜の口元も緩んだ。

 

「私も、権兵衛の事、好きだった。

弟子として、話し相手として、なのかもしれないし、永琳程じゃあないのかもしれないけど。

でも——」

 

 一旦言葉を区切り、輝夜は硝子瓶を撫でる仕草を変える。

ただ体温を感じようとしていたそれから、まるで反応を引き出そうと言うような、扇情的な撫で方。

 

「でもね、永琳。

あの例月祭の夜、私、権兵衛と口論になっているうちに、気付いちゃったの。

権兵衛が、どうしても私と考えの違う相手なんだって。

どうしても儚い、ただの人間なんだって。

それが、どうにも悲しくって。

権兵衛の顔を見ていると、その事を思い知らされるようで。

だから、出てけ、って言っちゃったんだ」

 

 指先でつつっと滑るような撫で方を終えると、輝夜は次の瓶を愛でる作業に移る。

再びあるはずのない体温を感じるような撫で方で、硝子瓶の表面を撫で始めた。

 

「後悔、しているわ。

それでも我慢すれば、権兵衛の顔をもっと見ていられたのかも、なんて思うと。

ふふ、過去なんて気にする事は無い、なんて言ったその当人が、こんなに過去を気にしているなんて、説得力が無かったかな。

——、そう。

私、権兵衛を見ているのも苦しいけど。

権兵衛をずっと感じられないのも、苦しいんだ」

 

 いくつかある瓶を撫で終えると、再び瓶を元の位置に戻し、それをただただ眺めながら続ける。

 

「でも、だからって、私、何をすればいいのか、分からないのよ。

ただ権兵衛に会うのも苦しくて。

でも会えない事だって、苦しくて。

だから——」

 

 何かないかな、永琳、と続けようとして、ふと、輝夜は気づく。

自分が今まで愛でていた物。

権兵衛の臓物。

臓物。

臓物。

臓物!

 

「——あ」

 

 天啓が、輝夜に下った。

その瞬間、ぐっと視野が広がり、自分がどんなに小さな事で悩んでいたのだろう、と気づく。

大体、なんでこんな簡単な答えに至らなかったのだろうか——。

そんな自嘲をも吹き飛ばす、満面の笑みを浮かべ、永琳の方へ振り向いた。

 

「そうだ、永琳、思いついたっ!

そう、思えば簡単な事だったのよ。

権兵衛と会わない事で感じる苦痛はただの苦痛だけど、権兵衛と会う苦痛は喜びも伴なう物。

なら、権兵衛と会う苦痛をだけ無くせば、それで済む筈。

私は、権兵衛と一緒の事を考えられなかったのが、悲しかった。

私は、権兵衛と違う生物である事が、耐えられなかった。

でも、ならば、それは——!」

 

 輝夜の興奮に困惑する永琳を尻目に、胸を張って輝夜は宣言した。

 

「同じ、生き物に——蓬莱人になればいいだけの、話だったのよ!」

 

 一瞬、虚を突かれた形であった、永琳であるが、すぐに思い直す。

 

「でもね、輝夜。蓬莱の薬はもう——」

「無い。でもね、永琳、思いついたの。蓬莱の薬が無くても、権兵衛が蓬莱人になる方法——」

 

 言って、輝夜は、己の腹に手を当てる。

僅かに撫で、その体温を感じた後、ぐっと力を込めて、ずぬぷっ、と輝夜は自分の腹に手を突っ込んだ。

びちゃびちゃと飛び散る血に頭を冷やしながら、体をくの字に折りつつぞもぞもとお腹の中を探し、見つけたそれをがしりと掴んで、引きずりだす。

血で濡れた輝夜の小腸は、権兵衛の小腸の隣で、薄緑色の光を受け、てらてらと輝いていた。

 

「権兵衛に、私達の肝を、食べて貰えば良かったんだわ」

「——あっ!」

 

 久しぶりに永琳の驚く顔を見て、くす、と輝夜は微笑む。

そう、蓬莱の薬を飲んだ人間は不老不死になる。

しかしその不老不死の人間の生肝を食すと、その人も不老不死になるのだ。

こんなことも思いつかないなんて、私も永琳もお馬鹿だったわね。

そう内心で呟く輝夜の隣、立ち上がった永琳が、同じように自らの腹に手を当てる。

ぶぢゅ。びちゃ、くちゅくちゅ、ずりゅっ!

同じようにして引きずりだされた永琳の小腸が、輝夜の小腸の隣に位置する。

その美しい光景を胸に、輝夜は胸を張って、宣言する。

きっとその行為は、輝夜の嫌いだった永遠を作るのだろうと言うのに、楽しい毎日を作るに違いない。

弟子の権兵衛を毎日鍛えてやって。

暇になれば権兵衛を呼んで、話をして。

日々の事柄で、師弟の絆を実感して。

そんな風に、ずっと一緒に居る為。

ずっと同じである為。

その為に。

 

「ぜったいに、わたしたちを食べさせてあげるからね、権兵衛」

 

 それは、これからの幸せの為、権兵衛が同じ考えで、同じ時間を生きれる生き物になるための事である。

当然権兵衛も歓迎してくれ、きっと泣いて喜びながら二人の生肝を食べてくれるだろう。

そう思うと笑みを押えきれず、それから、その前に仲直りしてからかな、と苦笑気味に微笑む輝夜。

その眼前には、権兵衛、輝夜、永琳の小腸が、薄緑色の光に照らされ、ただてらてらと輝いているのであった。

 

 

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